命のあり方
――今日は早いのね。
見知らぬ女がいる。彼女は一人空を眺めていた。そしてこちらの方を向き、イタズラっ子のような笑みを浮かべる。
――せっかくだから外にいってみない?お目付役の彼には内緒でね。
そういう彼女は白い頬を赤くして、小声で囁く。
――たまには良いと思うの。彼も働きづめだから休日になると思うし……だったら三人で行けばいいんだわ。ほら彼、最近料理に目覚めちゃったみたいでね。きっと美味しいお弁当作ってくれると思うのよ。
夢中で話す彼女。後ろから草を踏みしめる足音が聞こえ、彼女は更に声を小さくする。
――噂をすれば彼だわ。ねぇ、頭の堅い彼を一緒に説得しましょ。ね?
――何をこそこそしているんだ?
――あのね、今度
背後からの人物へ振り返る彼女の声が 空の中に溶けていった。
*****
キュ~~ン
「…………」
何故か、耳元にふわふわする物が当たっている。ゆっくり目を開けたレイスはふわふわの正体に気づいた。
「アミー、どうした」
すり寄って、甘えるように鳴いているアミー。仕方なく周りを見やると、カーテンから差し込む光が見えた。
「朝か」
今日の夢はどこか暖かく、何故か懐かしい気分にさせた。あの、どこかに落とされるような奇妙な物じゃなかったと、うろ覚えになりつつある先ほどまでの夢の内容を思い出し、レイスはため息をつく。
そういえばさっきの夢、知ってる奴が出ていたような。
「は!」
そんなこと考えている場合ではなかった。レイスは掛けていた布団を跳ね飛ばす。今日からリオールの“護衛兼監視+オプション”の仕事が始まるのだ。
「ほい、アミー、朝飯」
まず最初に、荷物の中からイタチの餌という袋を出して、彼女に与える。自分も何か食べようと荷物からパンを出して口にした。
ついでに薬を取り出すと、パンと一緒に口に入れ水道の水で飲み込む。薬には睡眠作用があるのだが、我慢しなければならない。
なんとか食べ終わると、レイスはフルスピードで着替た。
「よし、行くか!」
部屋をでようとすれば、アミーが寂しそうに鳴く。その目がやけに寂しげな印象をレイスに与え、部屋を出ようにも出れなかった。
「仕方ない、行くぞ」
考えたのは約三秒。彼はアミーの首根っこを掴むとそれを肩に乗せて、ドアを大きく閉めた。
*****
「……お、おはよう」
「おはようレイス。ギリギリセーフだな」
午前七時五十八分。特務総合部隊の札のついた扉を蹴破り、レイスは転がるように入り込んだ。
朝の仕事確認の前だったらしく、焦茶の髪を短く切り揃えた厳つい大男が、書類を手に彼に笑いかけた。確か彼はサブリーダーのグレイス。昨日の紹介で律儀に握手をしてきた人物だとレイスはふと思い出す。
レイスは恐る恐る辺りを見回す。大胆のメンバーがデスクに揃っていたが、善がいないことに気づいた。
「グレイス、善は?」
「ああ、あいつならアベル統括に呼ばれてさっき出てったぞ」
これで睨まれなくてすむ! レイスはガッツポーズを決めて、近くの黒い椅子に腰掛けた。
「良くないですよ。レイス君、あと一分三十三秒で遅刻だったんですからね」
嬉しそうなレイスに困ったように言うのは、特殊部隊のメンバーで一番若い狙撃手のケイス。レイスの寝癖のついた髪とは違い、輝くような金色の髪は整えられ、几帳面に前髪を左側に流している。まだ使い込んだ感じのない白いワイシャツは糊がきいてシワがなく、<イレブン>の兵士というよりは学生のような印象を受ける。先輩風を不慣れに吹かせる彼は、自分より年下がいることが嬉しくてたまらないらしい。
「数えてたのぉ、細かいわねぇ」
ケイスの秒刻みのカウントに、笑いながらツッコミを入れるシエル。栗色の長い髪を高く結い上げ、かわいらしいリボンでくくっている彼女もやはり兵士には見えない容姿だった。レイスは“おっとりお姉さん”とコッソリ称号をつけたくなるほどその物腰は緩やかであった。
「皆さん朝礼中です。静粛に。レイス、あなたはこちらのデスクを使うのよ」
静かにレイスを誘導する、眼鏡クールビューティーのイヨール。彼女はその冷たい態度のほかに二十種類以上の性格を演じることがてきる、潜入・間諜のスペシャリストだ。今の彼女が、本当の彼女なのか初対面のレイスには分からない。しかしそれでも、神経質に短く切られた銀色の髪、背筋を伸ばして座っている彼女からはケイスとは違う種類の真面目さを感じさせる。
素直に移動を開始して、指定のデスクを発見したレイスはその机上の状態を見てうめき声を上げる。
彼のデスクには、ドライバーやらネジやら設計図らしき紙が散乱していたのだ。
「悪いな、レイス。今、開発途中の指輪型通信機の組み立て中だったもんで少し散らかすぜ」
「……少しって」
座る椅子にまで参考資料が乗っているんだけど、と隣のデスクを睨みつける。サラサラの若葉色の髪は長く、前髪を止める額のヘアバンドの下は遮光グラスをかけているため、顔は見えない。それでもレイスは彼が軽薄で女好きの機械工作・電子工学のスペシャリストのターナーであることは分かった。
「軽薄で女好きは余計だ」
「あれ、声にでてた?」
「めっちゃくちゃ、でかい声だったぞ」
「ほらほら静かにしろ。ターナー、今から今日の仕事確認するから一回手を止めろ」
レイスとターナーが火花を散らし始めると、グレイスがやんわりと間に入る。手元で機械の溶接をしていたターナーは遮光グラスを外して、仕方なさげに切れ長の目を伏せて投げやりながらも参考資料をどかした。
「みんな、いいか。今更だがこの二ヶ月間身内の弾劾の仕事はよくやってくれた。これからは暫く難易度レベル1から5までの個人・チームミッションにあたってほしい。最近は他組織も大げさな攻撃をせず、面倒な干渉をしつつあるが、上手くやっていって欲しい」
『了解』
「まず、シエル」
「はぁい」
名前を呼ばれたシエルは気の抜けるような返事をし、その場に立つ。
「お前は俺と一緒に上層部の護衛任務だ。今日はボスが直々にお出掛けらしいぞ」
「珍しいですねぇ」
「じゃあ、準備して来い」
小さく敬礼した彼女は部屋から出ていった。
「次、イヨール」
「……はい」
返事はしたものの、彼女はシエルの様には立ち上がらなかった。顔もどこか無表情で覇気がない。
「今日は情報収集のミッションが入っている」
「内容は?」
「南方の組織に所属する、ある医者だ。元は〈イレブン〉の研究員だったらしい。彼の最近の情報を知りたい、頼めるか?」
「単独任務ですか」
どこまでも淡々とした声。しかし次のグレイスの言葉に、彼女は強く反応することになる。
「いや、今日は善と一緒だ」
「……リーダーとですか?」
みるみるうちに、頬が赤くなっていく。声も何故か掠れて動揺が見られる
。レイスは一瞬目を疑った。
「イヨちゃんはね、リーダーにほれてるんだよ」
レイスが不思議そうに彼女の変化を見ていると、隣のターナーが小声で笑いを堪えながら囁く。なるほど分かりやすい、とレイスは納得した。
「張り切って行ってこい」
「はい!」
先程とは比べものにならないほど元気に返事をすると、彼女は早足で部屋を出て行った。恋する乙女は強し、レイスが呟くと残ったメンバーが揃って笑いを零した。
「次にケイスとターナーとレイス」
『はい』
「お前達は、セリカ周辺のハザードの討伐だ。ただしレイスは昼飯後はリオールの護衛任務にあたってくるように」
以上だ。とグレイスは書類をデスクにまとめて置くと、シエルを追って部屋を出て行った。
*****
「準備しろよ、新人。あとその肩にいる生き物なんて言うんだ?」
ターナーがデスクの引き出しから投擲ナイフを数本取り出しながら、レイスの肩を指さす。
「アミーだ。白イタチのな」
「アミーちゃんねぇ、女の子か。戦場は危険だからどおぉ~~しても連れてくなら俺が預かるぜ」
「どうして」
「俺は機械専門。もっぱら後方支援だ。前線がしっかりしていればこっちに危険は少ないからな」
「………」
「それに、大切なものは近くにおいておくと自分の本領を発揮できなくなるものだと俺は思ってるもんでな」
「ターナー」
意外だ、とレイスは思った。ただの軽薄男だと思っていたため、こうも気を遣ってくれると、かえって体が痒くなるような気分にさせられる。その間にターナーは準備を進めているケイスに声をかけていた。
「ケイス、お前は今回はマシンガンかオートマチックで戦闘しろ、中距離支援がいないと困るからな」
「なんか今日の先輩、無駄に格好いいですよ。分かりました、準備します」
やはりターナーが真面目なのは珍しいことなのか。レイスはケイスの言葉でターナーを“時たま頼れる奴”だと認識する事にした。
「じゃあ、行くか」
ターナーは切れ長の瞳を細めてニヤリと笑うと、レイスの肩に乗るアミーを自分の肩に移動させ、部屋を出て行った。
*****
数時間後
「護衛のレイスだ。通してくれ」
『お入り下さい』
セリカ周辺の森でハザードの戦闘を一通り終わらせたレイスは、最上階の花畑へと向かった。入り口に立つ二人の兵士に声をかけて、彼は扉を開けさせる。
「あ、レイス!」
足を踏み入れた途端、リオールが走り寄ってきた。表情はどこか焦っているようにも見える。レイスは咄嗟に剣の柄に手を添えた。
まさかハザードかと思ったが、邪悪な殺気が感じられず違うのだと分かる。白い頬に朱を差して息を切らせながら、リオールは懸命に後方を指で示す。
「こ、小鳥が」
小鳥? 少々拍子抜けしながら指さす方へ行ってみると、花畑の中心にある比較的大きな木を発見する。
遅れて追いついて来たリオールは、首を傾げたレイスにもう一度指で指し示す。
指の指す方向を目で追うと、青い小さな鳥が飛べずに枝の上でうろちょろしているのが見えた。
「昨日のハザードの入って来た所から来たみたいで、多分その時ガラスの鋭いところで怪我をしたのだと思うの。私の背じゃ届かないし、木登りは挑戦してみたけど出来なくて」
「なるほど。つまり、俺が行けばいいんだな?」
よく見れば、彼女のワンピースの裾は土で汚れていた。恐らく何度も木の枝によじ登っては転落したのだろう。
綺麗な髪にも草がついている。その必死そうな姿にレイスは苦笑して、腰の剣を外した。お転婆な女の子だ。レイスは素直にそう思った。
「持っていてくれ、大事な物なんだ」
外した剣を彼女に渡し、銀白の防具も脱いで地面に下ろすと、動きやすい格好になった。改めて防具だけを手にしてみると重く、レイスはやれやれと首を回して体の凝りを解いてゆく。
「あと、こいつも頼むよ」
キュ~~ン
防具を脱ぐまで大人しく足元にいたアミーは、脱ぎ終わるなり肩に飛び乗ってきたため、レイスは彼女の首筋を掴んでリオールに突き出した。
「アミーっていうんだ」
先ほどまでターナーに守って貰っていたアミーは、また違う人間に預けられるのを快く思わないのか、不服そうに鳴き声をあげる。そんなアミーに、レイスは大人しくしてろよと乱暴に頭を撫でてから、体ごと意識を木に向けた。
「さて」
大きく息を吸ったレイスは早速木の幹に手を当てる。
木登りなんて、もう何年ぶりだろう。レイスはそんなことを考えながら軽々と登って行く。幸い、枝の多い木で登りやすかった。
下では、アミーと剣を抱えたリオールが上を見上げて声援を送っていた。
その姿にレイスは微笑ましく笑う。
「小鳥さん、発見っと」
数分後、ある枝を掴んだレイスはその枝の上に、問題の小鳥がいることに気づいた。
腕に力を入れ、枝に何とかよじ登ったレイスは、小鳥と目を合わせた。間近でみるとそれは本当に小さく、リオールの推測通りその青い羽は傷つき血が滲んでいる。
「大丈夫、おいで。助けてやるから」
早く手当してやらねば。そんな気持ちで声をかけてみるが言葉が通じる訳もなく、小鳥はレイスを恐れて徐々に端に寄っていく。
「こら危ないって。こっちに戻って……仕方ないな」
なにを言ってもやっぱり駄目なので、レイスは枝を跨ぐ体制で腰を下ろすと、枝の上を滑べるように前進しながら、じりじりと近づいていくことにし
た。
「あ、危ないっ」
しかし近づけば、小鳥は離れる。そんなことを繰り返していけば、すぐ足場が無くなった。だが怯える小鳥は更に後退り、リオールが叫ぶのを聞いて、レイスは大胆な行動に出る。
彼は枝の上に飛び上がるようにして立ち上がり、バランスなど全く考えずに小鳥に向かって走り出したのだ。
「くっそぉぉぉおお」
当然の事ながら安定しない体は傾き、レイスは枝から落ちそうになる。だが彼は根性で手を伸ばすと小鳥を掴んだ。空いた左手は枝を掴むことに成功し、宙ぶらりんの体制ではあったが、転落は免れたようだった。
「大丈夫?」
「ああ」
リオールも冷や冷やしていたようで、安心したようにレイスのいる枝の方へと歩み寄って来るのが見える。右手の中の小鳥は窮屈そうだったが、今は我慢してもらうしかなかった。
「……ん?」
みし、っと乾いた音が耳に入ってきた――嫌な音だ。レイスは恐る恐る顔を上げてみると、掴んでいる枝が音を立てて折れ始めている様子が目に飛び込んできた。折れるのは時間の問題だろう。
「リオ、離れろ!」
下にいる、少女に警告した時にはもう遅く、手元に遭った感触が一気になくなった。一瞬の浮遊感を感じながら、彼は枝が折れたのだと理解した。
「うわぁぁぁぁぁあああ」
*****
「もしもし、レイス? 大丈夫?」
頭を少し打ったのだろうか、周りがハッキリしない。
「起きないと、私外に行っちゃうかもしれないよ」
また、夢か? またあの女の声が聞こえて――
「レイス!」
「うわっ」
鋭い痛みが頬を走り、レイスは跳ね起きた。
「大丈夫? なかなか起きないから」
目の前ではかなり至近距離にリオールの顔があった。
頬を張られたらしいが、それよりも彼女が自分の顔から数センチ程しか離れない位置にいることにかなり驚いた。
「良かった」
彼女は安心したように笑い、今更ながら自分とレイスの距離に気付いたようで、一気に顔を赤くした。
「ごめんなさい、あぁぁ、ごめんなさい、私ったら」
そんなに叫ばれると頭に響く。とりあえず、レイスは体を起こすことにした。
彼女は恥ずかしさで相当パニックになっていたらしく、レイスが起き上がるとバランスを崩して後ろにひっくり返ってしまった。
「大丈夫か?」
何やってんだか。笑いを堪えながら手を差し伸べると、彼女はおずおずとその手を重ねた。
彼女はとても軽く、簡単に立たせることができた。
「ふふ」
何が可笑しいのか、リオールはレイスの手に掴まりながら小さく笑っていた。
「どうしたんだ?」
「凄い格好……」
言われてみれば確かに。レイスは自分と彼女の服を見てみる。
彼女は先ほどの土の汚れの上にアミーの毛が付き、レイスの手から逃れた小鳥を捕まえようとしたために小鳥の羽があちこちに引っかかっている。レイスは黒い服のため、土汚れは白く目立ち、木の幹からついた皮もこびれ付いていた。さらに頬は赤く手形の跡が残っているのだろう。確かにこの姿はさぞ滑稽なはずだ。
何故か笑いが込み上げてきたレイス。二人はしばらく笑い、手の中の小鳥がバタバタし始めるとリオールは歩き出した。
「この子の怪我見てやらなくちゃ、ちょっといいかな」
彼女はレイスの横を通り過ぎ、木の幹に寄りかかるように座る。レイスもただ何となく立っているのも変なことだと思い、彼女から斜め前にあたるところへ座った。
キュ~~ン
「こらっ、アミー、お前どこにいたんだ。主人の一大事に姿を消しやがって」
肩に重みが掛かったと思えば、アミーがずっしりと乗っていた。どこから取ってきたのか、野いちごを手にはいっぱい持っている。
「あ、羽が傷ついちゃってる」
レイスがアミーに意識を向けているうちに、リオールは暴れないように優しく羽を開かせ、ガラスで傷ついた部分を発見する。
「羽が傷ついたら、飛べるものも飛べないよね」
彼女は少し寂しげに呟くと、羽に指を置いた。
――キュア
お、魔法か。レイスは彼女の指先に光が集まるのを見た。その光は鳥の傷ついた羽に被さるように移動する。
「これで良し、っと」
やはり体力はかなり消耗するようで、額に汗を浮かべながら彼女は満足げに頷いた。光を失った指先が羽から離れたので、レイスは小鳥の羽を覗き込んだ。傷は綺麗に塞がれている。
「外に出してあげなくちゃ」
何が起きたのか分からないと言わんばかりに首を傾げる小鳥。リオールはそれをレイスに手渡した。
突然手の中に帰ってきた小鳥に、どうして良いのか分からないレイス。警戒は解けたのか、小鳥は先程とは違い大人しくての中に収まっている。
「ちゃんとした窓から出してあげたいんだけど、やっぱり届かなくて」
リオールの言葉を待っていると、レイスはああなるほどと頭上を見上げた。小鳥は割れた天窓から入ってきたのだ。だから無下に飛ばしてまた怪我をするのを防ぎたいのだろう、レイスは理解した。
「……どこから飛ばせばいい?」
「ありがとう」
彼女はすぐ後ろの窓を指すので、レイスはそこへ向かった。窓は鉄格子がはめられ、リオールの背では届かない位置にあった。
「ほら、飛ばすぞ」
「じゃあね、小鳥さん。私の分まで羽ばたいてきてね」
私の分まで、か。レイスの腕が辛うじて通るほどの鉄格子。リオールの背に届かない窓。レイスは感傷的になりかける己の思考を無理矢理停止させる。
手を離すと、小鳥は一度だけさえずり、飛び立った。リオールはその姿が見えなくなるまで見送っていた。
*****
「さっきの小鳥、なかなか頑張ったな。飛べないくせにバタバタしてさ」
「……意味はないのに」
小鳥が見えなくなって、レイスが声を掛けると、リオールはどこか落ち込んだ様子で呟き、その場に座り込んだ。その様子にレイスは嫌な感じが胸に広がったが、深く考えることをやめる。
「私、生まれて物心ついたときにはここにいて、姉さんといつも二人だったの」
「お姉さんと……」
確かリオールの姉はここの研究所で亡くなっていたはず。二人は一緒に生活していたのか。レイスは情報の一つだと心の片隅にそれを留める。
「その時は何も辛いことなんて無かった。姉さんは優しかったし、その時護衛を担当していた善さんも今みたいに悲しそうな顔してなかった。それに……」
「それに?」
「私自身、ここにいる意味を知らなかったから毎日が幸せだったのかもしれない。でも今は姉さんはいなくなってしまったし、善さんも……」
深く様子を知らないレイスにも善はリオールに少し素っ気ないように見えた。それは任務だからだろう、と思っていたが何か事情がありそうだ。彼はそんなことを考えながら黙って彼女の話を聞く。
「私、生き物は命をどう決めるか考えることをしなきゃいけないと思うの」
「……」
「さっきの鳥だって、飛べないと分かっていたのに羽ばたこうとしたわ。そうすべきだって考えたから、例えそれが無駄なことだったとしても」
彼女は小鳥が飛び立った窓を見上げた。
「命のあり方は人それぞれある、きっと私にもあったはずなの」
だけど、と彼女は俯く。何故だろう、レイスはお腹の辺りが熱くなるのを感じた。これは怒りかだろうか。
「でも私はそれを考えることを許されない、あの鳥よりも無駄な時間を過ごしていると思うの」
「……だから、生きていても仕方ないのか? 生き方を考える事を諦めるのか?」
気づいたら、口が動いていた。言ってはいけない、心の隅で何かが叫んでいる。彼女は今、感傷的になっているだけだ。自分まで引きずられてはいけない。分かっていても言葉は止まらなかった。
「そうかもしれないね」
突然のレイスの変化に戸惑ったリオールだが、彼女は小さく頷いた。そして諦めたような擦れた笑みを彼に向けた。
その仕草に、レイスは何かが弾けるような感覚に襲われた。
「何もせずにただ諦めるのか」
戸惑うリオールの様子が分かる。レイスは頭が熱くなるのを感じながらも、言葉を紡いだ。
「そんなの自分を守る奴の言い訳だ。それでいて自分は悪くない、状況が悪いって言う」
喋るうちに、レイスはリオールの顔が他の人物のものとタブって見えてきた。奇妙な、でもどこか確信を持ってレイスは続く言葉を躊躇いなく言い放つ。
「第一、君のお姉さんは何度もここを抜け出そうとしていたはずだ」
「どうしてそれを、あなたが」
予知夢。レイスはリオールの反応を見て納得する。彼が今日見た夢はリオールの姉のことだったらしい。顔が似ているからもしかしてとは思っていたので余り驚きはなかった。
本来、冷静な状態のレイスならここでその夢の奇妙さに真っ先に気付くはずだが、今の彼には到底無理だった。
「俺はな、君が自分が可哀想だって言って欲しいだけの人にしか見えないんだよ! やろうと思えば出来ることがたくさんあるのに」
何でこんな事を口走っているのか分からない。ただ無性に腹が立った。
「ごめんなさい」
リオールはこれだけ言われているというのに、ただ謝るだけだった。目を合わせようとはしないが、決して慇懃無礼な謝罪ではないと分かる。
「どうして」
謝るんだ、どうして言い返さない。レイスは一人で喚いているみたいで惨めになる。実際彼は一人で喚いているだけだった。
「本当にごめんなさい」
彼女は居たたまれなくなったのか、ふらふらとした足取りで小屋に戻っていく。
「……俺、最低だ」
居たたまれなくなったのは自分の方だ。レイスは時計を見つめて舌打ちする。まだ予定の五時間までに三時間はあった。
「何なんだよ」
あの女も、バカにみたいに怒りを爆発させる自分も。何もかもが気に入らず、彼はただ拳を地面にぶつけるだけだった。




