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Avalantear アバランティア  作者: 海豹
第一幕 ―起―
7/68

リオール・アバランティア

 ビルの最上階、善の後を黙ってついていくレイス。無愛想で冷淡な善から情報を聞き出すことはなかなかに難しく、途中で話をするのを諦めた。


「いくぞ」


 エレベーターのドアが開き、善がぼけっとしたレイスを残して進んでいく。その後ろ姿が殺気立って見えるのは、果してレイスの思い込みなのだろうか。

 当然エレベーターのドアはそう長く開いているわけがなく、レイスはドアを無理やり手で押さえながら外に出る羽目になった。


「あははっ」


 視線が痛い。レイスは繕うようにとりあえず笑った。振り返った善はこちらが注意して見ないと分からないぐらい無表情だが、レイスにはものすごく呆れられているのが分かる。 


「この扉の先だ」


 気を取り直して善は、二人組の警備のついた、簡素ながらもそれなりに装飾されている両開きの扉の前までレイスを案内した。


「特務総合部隊の善だ。新人を連れてきた」


 彼は警備の者に声をかける。今後、お前もこうやって入るんだと教えてくれている様なので、レイスはしっかりと彼らのやり取りを観察した。


『お入りください』


 警備兵二人の返事は綺麗に重なった。示し合わせたようにすら聞こえた声にレイスは感心した。以心伝心、いや統率のとれた良い組織体制ができているのだろう。レイスはきっちりと礼をする二人を見ながらふと、彼等の顔が似ていることに気づいた。もしかすると兄弟か双子かもしれない。

 意識が散漫しているのが分かるのか、善はもう一度レイスを見て注意を促すと、大きく扉を両手で開け放った。


 本当にここはビルだよな。レイスは驚きを隠せなかった。

 全部、植物。レイスの受ける第一印象はそれだった。扉が開かれた先、軽くバイクで走り回れるほど広々としたその空間を目にしたレイスは、一瞬己が何処にいるのかを見失った。足元はよく世話が行き届いた芝と野花が繁り、目を前面に移せば、果実のなる樹木が数本そびえ立っているのが見える。壁には花をつけた蔦植物が煩くない程度に伸びていて、天井にあたる部分は大きな天窓が備え、殆どがガラスになっており、燦々とした光が差し込んでいた。

 最上階というより空中庭園といった環境を目の当たりにし、先程までの無機質な廊下と比べて、この華やかな空間に場違いな印象を受ける。


「あそこにいるのが、リオール・アバランティアだ」


 目の前の景色に圧倒されているレイスを横目に、善がやや左前方を指した。

 天窓から差し込む朝日に照らされ、目的の少女はそこにいた。少女は花の手入れをしているようだった。


「リオ」


 少しだけ大きめに口を開けた善の声が響く。名前を呼ばれた少女ビクッと肩をふるわせ、恐る恐るこちらを向いた。が、呼んだ相手が善だとわかると手にした花を持ったまま、こちらに歩み寄ってきた。

 色素の薄い青い髪に、スミレを連想させる瞳。繊細な顔立ちはまだあどけなさを残し、少し白すぎる頬をほんのり赤くした彼女は華奢で可憐だった。


「おはよう。善さん」

「おはよう」


 レイスが想像していたよりも、少女の声は明るく元気だった。善は素っ気なく挨拶を返すが、少女はやわらかく微笑んで今度はレイスの方へと目を向けた。


「今日はずいぶん早い訪問だと思っていたら、お客様?」


 珍しくもないといった感じで、少女はレイスにも微笑む。その柔らかな表情にレイスは不本意ながら胸を打った。


「初めまして。リオール・アバランティアです。リオと呼んでください」

「レイス・シュタール。よろしくな」

「こちらこそ、レイスさん」

「レイスでいいよ、堅苦しいし」


 本当はもっと大人しい、暗い人を想像していたレイスは思いのほか人懐っこい彼女の様子に少々戸惑う。これが本当に研究サンプルとして扱われる人物なのか? レイスはにわかには信じ難かった。

 自己紹介が済んだと同時に善が説明を始める。


「彼がこれから先、君の護衛をすることになった」

「はい」


 素直に頷いたリオは、少し考える素振りを見せ、善の顔をまじまじと見る。


「……善さんは? 何か悪いことしたとか」

「別に、悪いことをして仕事を外された訳じゃない」


 心配そうな彼女の言葉に、善は呆れ半分に答える。相変わらず態度は淡々として素っ気ない。


「君が心配する事など何も無いし、する必要もない」


 善の突き放す言葉を受けて、途端に彼女はしょんぼりして俯く。さすがにそんな言い方しなくても、と口を開くレイスだが、お前に言われることではないと、善は冷めた目を向けることでレイスの言葉を止めた。


「レイス」


 何か言われるのか! と身構えるレイス。しかし善はスーツのポケットから小さなメモを出して彼に差し出してくるだけだった。


「詳しい仕事内容だ」


 身構えてた分、かなり拍子抜けしてしまったレイスだが、言われたとおりに手の平に収まる小さなメモに目を通す。

 飾りのない白のメモには綺麗な字が並んでいた。


「其の一、護衛は一日五時間以上行うこと……どういうことだ?」


 声に出して読んでみれば非常に妙なことが書かれていて、レイスは首をひねる。


「文字通りだ」

「護衛って普通、一時も離れず行うものじゃないのか?」


 若いとはいえ、レイスはそれなりに経験を積んできている傭兵である。いろんな条件の護衛をしたことがあるが、こんなケースは初めてだった。一言で表すなら、緩い。楽な仕事と考えてしまえばそれまでだが、わざわざ遠くからレイスを呼び寄せたことと、仕事内容が割に合わない。


「〈イレブン〉本部にいて危険なことの方が少ないぐらいだ。他組織が乗り込んできたとしても高いリスクを払ってまで、この最上階にまでくるとは考えにくい。例外はあるだろうが、長い間護衛にあたる必要はないと思ってくれればいい。どちらにしても、張り付くほどではないが必ず一日に一度はこの階のフロアでリオールと顔を合わせてもらうことにはなるがな」


 レイスの疑念は承知の上なのか、善が長々しい説明を加えた。その内容は本人を前に口にしないだけで、やはり護衛というより監視としての役割が多いようにレイスには感じられる。


「それに、護衛以外にやらなくてはならないオプションの仕事があるからな」

「オプションって?」


 善はレイスに向けていた視線を突然上に変える。一瞬彼の表情が強張ったように見えたかと思うと、リオールの前にそれとなく移動した。

 何事かと善の視線を追って上を見上げたレイスは言葉を失う。 

 見上げた先の天窓に、目を疑うような光景があった。

 複雑な形態の生き物が、びっしりと天窓に張り付き、空からの光を遮っていたのだ。


「やけに数が多い……」


 善が舌打ちした音が響く。レイスは動揺する己の心とは対象的に、剣の柄に手を置いて、未知の生き物達の姿を観察していた。

 簡単に言えば、それは羽の生えたイモリのような生き物。それが天窓を埋め尽くすように張り付いていたのだから、グロテスクな光景であった。

 体は固い緑色の皮に包まれ、ビルの最上階まで上り詰めた翼は緑色の半透明で何故か片翼しかない。彼等は赤く濁った目をくまなく動かしながら、突然天窓を破壊した。


「なんだあれは!?」


 ガラスの割れる音で我に返ったレイスはすぐさま剣を引き抜く。


「化け物だ」


 分からないのか? といわんばかりにしれっと返す善。そんなこと言われなくても分かる、とレイスは言い返そうとしたが、割れたガラスの入口から侵入した“化け物共”の姿を見て無理矢理飲み込んだ。明らかに殺気立っているそれらは、こちらに向かって突撃してくる。


「悪いけど少しだけリオを頼む」


 善の返事を聞かずに、剣を横一線に凪ぐ。第一派の化け物の数体がボトリと落下した。レイスは剣を握り直して次に備える。


「ひぃ、ふぅ、みぃ……って何匹いるんだ」


 数を数えながら、地面を蹴って大きく跳躍した。小さな入口からもみ合うように勢い良く飛び込んでくる化け物達は真下から振り上げられる剣を避けられない。空中で長剣を軽やかに上下させる姿は単調ではあったが、無駄のない洗練された動きだった。気づけば銀白の防具が赤く染まり始めている。


 背後からガラスが割れる音がして、レイスは振り返った。二つ目の窓が破られたようだった。学習能力はあるらしく、化け物はその他の天窓を破壊し、入口を見つけては侵入してくるようになった。


「多少知能のある化け物なんだな」


 少し感心しているレイスだが、その動きも忙しくなってくる。彼等が壊した天窓は三つ。それぞれ別の方向から襲いかかる化け物達の攻撃を飛び上がっては捌き、時に串刺した化け物を振り回して殴り飛ばす。

 一カ所に集まっている所を見つければ、敵を踏み付けながら飛び、剣を頭上まで持ち上げると一気に振り下ろした。背中の翼から尻尾にかけて斬られ、更に両手で握られた長剣の容赦ない一撃は化け物は近くにいる仲間を道連れに地上へと叩き落とされていく。落下でついた勢いを殺せず、化け物は地面に衝突して動かなくなる。


 順調に数を減らしていくと、彼等の中の一匹が炎の固まりを吐き出してきた。初めのうちは拳位の大きさだったのだが、近づくごとに勢いも大きさも変化してくる。驚いて反応が遅れ、それでもなんとか避けてみせる、が、真下にリオールがいることに気づき、慌てて振り返る。


――バリア。


 戦闘中初めて見た地上では、リオールを中心に包むような半透明の膜が張られていた。炎はそれに衝突して力無く消えてしまう。


「こちらは気にしなくていい、たかが魔法程度で隙を作るな」 


 膜の外でリオールを守る善は、レイスが斬りこぼした数少ない化け物の牽制し時に体術で応戦していた。そして今の一撃で動きを鈍らせたレイスに鋭く叱咤する。

 体術を使うに手前、激しい動きをしているはずだが、善の服には乱れ一つ無い。


 下は大丈夫だ、と確認したレイスは地面に再び足を着けたとき、剣の構えの形を変えた。


「一気にいくぞ!」


 己を鼓舞し、レイスは守りに徹するが如く剣の腹を敵方に見せる。右手は柄、左手は刀身を支えるように持ち、体に対して垂直になるように顔の前で真横に構えた。

 迫り来る化け物は、構えたままの体制で停止した彼にこれ見よがしと、群がって襲いかかり始める。

 鋭い爪が血で汚れた剣に叩きつけられる。背後に回り込まれることをだけを回避しながら、敵の攻撃をただ牽制するだけに留まった。但し構えた剣は型を崩さず、引かない。彼はじっと周りに化け物が集まるのを待ち続けていた。


「まだまだ」


 剣に叩きつけている奴らの力はとてつもなく強く、複数の化け物の爪を抑える腕もだんだん震え始める。それでもレイスは何かを見定めるかのように相手の出方を観察するだけで打って出ようとはしない。


「……見つけた!」


 支える腕が押されはじめたその時、レイスは群がる化け物の中に一際大きい存在を視界に入れた。

 それがこの団体のリーダー格に違いない、彼はそう感じた。

 発見と同時に群がる化け物達から一瞬剣を引き、力あまり前方へバランスを崩す奴らを体の回転の勢いを使って凪ぎ飛ばす。


「覚悟しろ、この化け物!」


 リーダーと思わしきそれは空中に漂っており、レイスは群がっていた化け物の頭上に跳躍してそれを踏み台に飛び上がり、更に他の輩を斬っては踏み台にして高く高く迫る。

 近づいてくるレイスに気付き、それは慌てて炎の固まりを吐き出してきたが、勢い良く剣を逸走させた彼に炎ごと斬り裂かれてそのまま落下した。


 落下した化け物が動かなくなるのを確認してレイスは思わずガッツポーズをとる。それもそのはず、今の一撃は戦いの空気をがらりと変えたのだ。あの化け物はやはりリーダー格だったようで、先程までの勢いを嘘のように無くした他の化け物は、再び着地したレイスと傍らに横たわる仲間の骸に恐れをなして、飛び去っていく。


「一体何だったんだ?」


 最後の一匹が飛び去って、レイスはようやく剣を下ろす。辺りには何十匹という化け物の亡骸だけが転がっていた。 


「わ!」


 すると突然、眺めていた骸が突然形を失い始め、崩れきるとただの白い灰になった。不気味過ぎる。レイスは慌てて己の剣に目を向けてみたが、べっとりこびれ付いていたはずの化け物の血も白く変色し始め、最後にはサラサラと剥がれ落ちてしまった。

 何がどうなっている。レイスは呟きながら、無意識の内に準備していた古びた布を腰のバックに押し込んだ。血糊の着いたままの剣をそのまま鞘に入れるのはあまり好ましくない。拭き取るのは習慣なのだが、肝心の血糊がなくなってしまった。結局剣は汚れ一つ付くことなく彼は鞘にそれを静かに収める。


「リオ、もういいぞ」


 奇妙な感覚に首を傾げていると善の淡々とした声が耳に届いて、レイスはリオールの方を振り返る。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ」


 荒い息遣いにレイスはギョッとしてしまった。リオールの周辺には、炎から身を守っていたあの半透明の膜が展開されたままだった。

 顔を伺うと、彼女の表情は辛そうに歪み、この寒い時期にもかかわらず汗が頬を滑り落ちている。

 元気な少女というのは早とちりだったらしい。レイスはどうしたら良いものかと、その場に棒立ちになった。

 しばらくして小さなため息が善の口から零れ、レイスの耳に届いた。彼は仕方なさげにリオールに近づき、へたり込んでしまっているに合わせてしゃがみ込むと、周りが見えていないリオールのスミレ色の瞳を見つめる。


「リオ」


 終わった。そう呟く善は相変わらず冷淡としてはいたが、その声音にはどこか相手を労る心遣いが感じられなくもなかった。


「落ち着け、ゆっくりバリアを解くんだ」


 リオールが魔法使いだったのか。てっきり善が彼女を守るために使用したものだと思っていたため、レイスは驚きつつ、薄れていく半透明の膜を目を細めながら眺めた。


「魔法使いで、アバランティアのコントロールができる人材か……まぁ可哀想だな」


 アバランティアのエネルギーが主な資源となった今、術師の体力を根こそぎ奪って使用する魔法は、効率の悪い“古い”存在になりつつある。最近では術師自体も古臭いと、よく思われないらしい。レイスの身近な存在として医者のルナンが魔法使いだったため、その辺りの都合は理解していた。

 リオールの場合、アバランティアのコントロールができる人材故に行動を監視されいるのだから、更に窮屈だろう。


「いい加減に教えてくれ、あれは何なんだ?」


 割れた天窓から冷たい風が吹き込み、白い灰が空中に舞った。レイスはリオールが落ち着いてきたのを見計らって善に詰め寄る。


「メモ」


 返された言葉はたった二文字。レイスは首を傾げながら、先ほど渡された白いメモ用紙のことだと気づき、慌てて体中を探した。


「其の二、護衛以外の勤務中はリオールの危険を及ぼす“ハザード”の戦滅を基本常務とする……はざーど?」


 メモを取り出して読んでみるが、よく分からない。レイスは説明を求めて再び善の顔を見た。


「危険生物“ハザード”、アバランティアのコントロールができる人物が現れる度に誘拐しに現れる厄介な化け物共だ。特徴は片翼、死亡後の急速な灰化」


 そこまで言って善は、バリアを解いた途端に疲れてぐったりとしてしまったリオールを抱き上げた。そしてついてこいと花畑を黙々と進み始める。


「いつもならば奴らもこんなに接近してくることはない。何故なら今までは我々特殊部隊が屋外で、ある程度の数は定期的に倒してきていたからだ。しかしここしばらく遠征の仕事が重なっていて、討伐できなかった分かなり数が増えていたんだろう」

「つまり俺は、リオに近づこうとするハザ-ドを外で倒していけばいいんだな?」


 善を追いかけながらレイスは確認の意味で問いかける。その通りだ、と頷いた彼はズンズン先を進み、やがて花畑の端に建てられた小屋に入った。


「大丈夫か」


 小屋はリオールの部屋だった。八畳ほどの決して広くない部屋は、女の子らしい物は何一つ置かれておらず寂しい印象を受ける。善は中心に置かれたベッドに彼女を横たわらせると、一声かけた。


「……はい」


 弱々しい声で返すリオールはとてもじゃないが大丈夫そうではない。善はそうかと納得してしまったようだが、レイスは辺りを見回して食品庫らしい箱の中から水の入ったボトルを取り出した。


「大丈夫じゃない。魔法はかなりの体力を消耗するんだろ? せめて水ぐらい」

「まだやることがある。リオは大丈夫だと言っているから、気にするな。いくぞ」


 皆をいう前に、さっさと小屋を出ようとしている善がそれを遮った。その目はあまり深入りするなという、警告の意でもあった。


「りょーかい」


 護衛の分際で余計なことはするなってか。水のボトルを元の場所に戻し、レイスはむっとしながら善の後についていく。


「……ありがとう」


 小屋の扉が閉じられ、一人残ったリオールが呟いた言葉は、小屋の中で淋しく響くだけだった。

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