崇拝の街 カルタス3
カードに集中していたレイスは、突然現れた新しい気配に、ほんの少しだけ反応が遅れた。振り返る前に彼は頭を上から鷲掴まれて、その場に押さえつけられる。無理矢理前を向かされてしまった。しかも異様に力強い。抑えられる力で、机に顔を突っ伏さないように歯をくいしばって耐えた。
「あら! 見間違えじゃないわよね?」
レイスが頭を押されたのとほぼ同時に、老婆の声高な声が飛ぶ。
「しばらく見ていなかったからもしかして……と思っていたわ。まさか幽霊ってことはないでしょうね、“銀の狐”?」
「その通り名は口にするな。どこでだれが聞いているか分からないぞ」
来訪者は、掴んだレイスの頭をしっかり机押し付けてから、その手を解放した。打ち付けた鼻を押さえながら勢いよく顔を上げる。視界に艶のある銀髪がかすめた。見覚えのあるその後ろ姿に、レイスは目を丸くする。
「いつの間に独眼になったの? より男前に見えるようになったのはいいけれど、その感じじゃ、また厄介ごとに首を突っ込んだみたいね」
「厄介事を請け負うのは、俺の仕事だ。ただ今回は長引きすぎた」
リオールの隣席に腰掛けたのは、情報収集に出かけていたはずのテラだった。彼はなぜか顔に擦り傷を幾つもつくり、気怠そうに円卓に頬杖をついている。紅い目を隠す眼帯も土で白く汚れていた。
レイスはテラに顔の痛みを訴える前に、バラバラに行動していた一同がこの小さな店に集まっていることにひどく驚いた。街は広い。こんな偶然があるのだろうか。
「どうして、ここにテラがいるんだ?」
呆気にとれている三人を代表して、ルナンが最もな質問をテラに投げかけた。顔だけでなく腕も指も傷だらけで、一体何があったのか非常に気になったが、彼はやはり気怠そうに肩をすくめる。
「それはこっちが聞きたいものだ。なんで一般人のお前たちが、“赤の梟”の情報屋にいる」
「情報屋?」
リオールは、相変わらず選ぶカードの選定に意識を向けていたようだが、テラの問いかけに怪訝そうな表情になる。それは、一緒にいるレイスも同じだった。
初めは占い屋。ルナンが来て、薬草屋。そしてテラが現れると、情報屋になった。……随分と多才な店である。特にテラの態度を見る限り、最後の売り物についてはあまり堅気の人間が利用しなさそうな気配すらした。
「お名前がたくさんあるんですね、アニス夫人」
「もう、こういう話は普通のお客さんがいるときにしないものでしょう? まったく、信じられないわ」
ルナンがおずおずと話しかけると、老婆は大きくため息をついてテラを睨んだ。
「私は占いの館のアニーばあさんで、医師に薬草を提供する、アニス夫人。そして、地下で暗躍する“赤の梟”。他にもいろいろやっているけれど、さっきも言ったけど本職は占い! いろんな人が集まるから、情報業の方が有名になって困るわ」
「地下を覗き込んだ時点で、そうなるのは覚悟の上だろう。……とにかく、例の情報。あるんだろう?」
テラは情報収集の真っ最中のようで、下からなめるように老婆を見つめている。纏う空気が異様に冷たく、レイスはつい身震いした。今更だが、彼が密売を生業としてた地下の人間だと実感する。これは真っ当な仕事をしている者が纏える気配ではない。
「例の情報? なにかしら」
老婆はそんなテラの目線にも物怖じすることなく、柔和な笑みを浮かべる。
「しらばっくれるな。俺が何を嗅ぎまわっているのかくらい、もう耳に入ってきているだろう」
「せっかちね。今日のお昼に来たばかりのあなたの行動なんて、いくら私だって把握しきれないわよ」
いつ街に入ったのか、それは知っているのか。レイスは老婆の言葉に身構える。
「俺が知りたいのは、<イレブン>の動きだ」
「なるほどね……。それについて語る前にまず確認させて、テラ。あなたは私から情報を得られる程、危ない橋を渡れるの? 以前のあなたなら、避けていたわ」
「今回ばかりは避けて通れないからな。……もったいぶる辺り、やばい感じなんだな?」
テラは、老婆の様子にじれったくなったのか。懐から幾つもの鍵がついた束を取り出した。レイスはその鍵束に見覚えがあった。それは<イレブン>地下牢の鍵。途中で置いてきたと思っていただけに、今ここにあることに、彼は驚く。
「これは情報料だ。これで<イレブン>の地下に潜れる。きっと鍵は変えられてしまうだろうが、この形状の鍵を使っている、という情報だけでも食いつく輩は山のようにいるだろう?」
老婆の表情が、ここで初めて険しくなった。彼女はテラの手にする鍵を見つめ、何かを吟味するように一度だけ目伏せる。
「今、<イレブン>は非常に不安定な状態よ。元々、世界情勢として拮抗していた組織抗争に変化が起きたの」
老婆が再び瞳を見せた時には、今までたたえていた笑みが消え去っていた。
「<イレブン>はこの数日、侵略作戦を行っていないどころか、領地防衛においても後手を取っている様子すら見受けられているわ。戦力・技術において他組織を圧倒する彼らの今までの動きとは異なり、情報伝達もおろそかで、全く統率がとれていないように感じるの。これをチャンスを捉えたものは多く、小規模の組織が次々に手を組み、大きな戦力になりつつあるところも出てきたわ。今後、領地奪還抗争が激化していくのは火を見るより明らかよ」
何かのトラブル、とは自分たちの事であることは容易に想像がついた。ここまでは道中で聞いたルナンの話と一致する。
「噂では、この数日のうちに<イレブン>本拠地にあるセリカの情報端末が全てストップしたことが原因とも言われているけれど――」
「それで、領外での干渉はないのか?」
重複する情報に、テラは方向性を変えさせようと老婆の話を遮る。
「そうね。あまり大きな動きはないわね。そもそも今の<イレブン>は組織の立て直しに忙しいというところかしらね」
「本当にないのか? 大きな動きでなくていい、組織間の抗争でなくても、物資の流れとかそんなあたりでもいいんだ」
テラは傷だらけの手を前にだし、老婆を問い詰める。老婆はそんな彼の様子に少しだけ考える素振りを見せた。
「そうね。これは本当は言いたくなかったのだけど」
「隠すな。出し惜しみするのであれば、鍵は渡さない」
「せっかちね。いいわ。先ほど入ったばかりの情報よ。<イレブン>最前線基地エアトリックに、車両が数十台入ったそうよ。物資の補給車かと思いきや、逆にエアトリック内で物資を受け取っているそうで、どうも妙な感じだと」
「物資を調達している……しかも、よりによって最前線基地で。もしかして、それらは領外に打って出る気でいる、と……?」
ルナンが顎鬚を弄りながら、感慨深そうに唸る。老婆は一度だけ、ルナンの顔をみて微笑むと、断言できないけれど、と肩をすくめた。
「そう考える輩も多いわ。まあ仮にそういう意味合いでできた小隊だったとしても、あまりにも小規模すぎて現実味がないという意見が優勢だけれどもね」
レイスは、老婆の微笑みを眺めながら、ルナンの意見が正しいと直感的に思った。
最前線基地で物資補給を補給をするのは、領外に出るつもりがあるから。小規模なのは、足跡がつきにくく、なおかつ俊敏に目的を果たすためだけに編成されているのだとすれば……。自分たちを追う追跡部隊である可能性が高い。
「本当に、今わかるのはそれだけよ。これ以上は、直接<イレブン>の兵士にでも聞き出さなければ分からないわ」
「いや。それだけわかれば十分だ。ちなみに……それは、どんな奴からの情報だ」
「秘密。それは業務上答えられないわ。先方にもいろいろ事情があるのだからね。ただいえるのはこの情報は“確かな情報”よ」
「分かった。それ以上は聞かない」
テラは老婆を相変わらず睨み続けながら、深く頷いた。そして、指で弄んでいた鍵束を投げるように、差し出した。
「<イレブン>と、なにかもめているのね。気を付けなさい」
「……」
老婆の問いに、テラは答えない。
「<イレブン>と、悪い関係だろうと良い関係であろうとどうあれ、つながりがあると知れれば、あちこちの組織から情報源として付け狙われる要因になるわ」
「それは、あんたも含めてか?」
「……否定はしないわ。だからこそ、いうの、気を付けていくのよ」
テラは老婆が、鍵を受け取ったことを確認すと、すぐに踵を返して店を出ていこうとして一度だけ立ち止まる。体は前を向いたまま、彼はルナンに目線だけを投げた。
「ルナン。作戦会議が必要だ。俺は先に宿に戻る、用事がすんだら早く戻ってこい。いいな」
「……分かったよ。私を頼ってくれるのは嬉しいけれど、その時はちゃんとみんなで話をしたい。いいね?」
自分の名前が呼ばれたことが意外だったのだろう。ルナンは目を何度も瞬きさせながら、答える。
「勝手にしろ」
テラは今度こそ、乱暴に扉を開けて去っていった。天井から下がる、モビールがその空気の流れに沿うようにゆらゆらと揺れている。老婆はそれを何処か悲しげに見つめて、小さく息をついた。その表情は初めのころと同じ、優しい微笑みをたたえたアニス夫人だった。
「さあて。不届き者は去ったことだし。カードの続きね」
「あ、はい。そろいました」
リオールもレイス同様、話に割り込む余裕などなかったようで、どこかおろおろとした様子で、二枚のカードを差し出した。カードの上部に描かれた、太陽の様な物体。しかし、カードの文字は“月”。二匹の犬の様な生き物とザリガニが描かれているその絵柄は、一枚は正位置で、一枚は逆を向いている。
「あらぁ。これは判断に難しいわね。……それだけ状況が複雑なのかもしれないのだけど」
老婆は、小さく唸ってカードを見つめると数秒間考えるように俯いた。心配そうに一同が彼女を凝視していると、この解釈が一番正しいわね、と声を零して、顔を上げた。
「お嬢さん。これは、これからの貴方たちを象徴するカードよ。月のカードは、先に進むことの重要性と危険性を表すもの。今、貴方たちは先の見えない道を前にしているわ。その先に何があるのか、まだ始まりに立つ貴方たちには見えなければ、すぐ近くに迫る危機にすら気づけないのかもしれない。だた、その道は正しいの。それだけは忘れないで。たどりつけるかつけないかは運しだい。でも、決してあきらめて道を反れずに進み続けなさい」
老婆の答えは、ひどく胸に響くものだった。後半は運勢というより、リオールに向けての助言のようにも聞こえる。
「……はい。頑張ります。私、信じて前に進みます」
リオールは、老婆と真っ直ぐ目線を合わせて、深く深く頷いた。その返答に満足したのか、老婆はおもむろに立ち上がると、外へ続く扉の一つに手を差し伸べた。
「そう。なら大丈夫ね。さて、占いはここまでよ。もう外も暗くなった頃でしょう。お帰りなさい。この扉からなら、貴方たちの宿に一番近い道につながっているわ」
「ありがとうございます!」
慌ただしく、立ち上がったリオールは大仰な礼をして、レイスの腕を引っ張った。早く行こうといわんばかりのその様子に、レイスは笑いながら、銀貨を机の上に置いた。占いのお代としては多すぎる額だが、お礼の気持ちを込めて、銀貨を二枚置いた。ルナンも、そんなレイスの横にもう一枚の銀貨を置く。合計三枚になった。
「気を付けて。夜道も油断せずに」
「はい!」
リオールは、老婆にもう一度礼をして扉を勢いよく開く。夜風が出てきたのだろう、扉から強い風が入り込み、それは机の上に並べられたカードを悪戯に宙へと舞い上げてしまった。
「あ……」
大変! と彼女は扉を閉めようとするが、風に煽られてそうもいかない。老婆が大丈夫、、気にしないで、と背後から声を飛ばしてきた。レイスは悪戦苦闘するリオールの肩を叩き、先を促した。
そんな時
レイスの視界に一枚のカードがふわりと舞い降りた。反射的にそれを掴むと、それが合図だったかのように外からの風が止んだ。扉から手を離したリオールが、少しだけ息を切らせながら、レイスの手にあるカードを不思議そうに眺めている。
カードの絵柄は馬に乗った髑髏。文字は“死”と書かれている。非常に縁起の悪そうな物に思える。
「アニーさんに、渡さないの?」
「……あ、ああ。そうだね」
カードの絵柄に目が行ったまま、意識を奪われていたレイスは、リオールに言われてカードを机に戻した。老婆も気になったのだろう、レイスの置いたカードを手に取り、ああなるほど、と笑う。
「大丈夫。これは死神のカードよ。絵柄が不吉だけれども、意味は“今までを捨てて新たなスタートをきる”というものなの。今のあなたたちにピッタリね」
「……」
老婆はレイスに優しく微笑み、さあ、ともう一度外へ手を差し伸べる。
「いろいろと。ありがとう」
レイスは去り際に、お礼を述べると外に出て、後ろ手に扉を閉めた。
老婆の言う通り、外は夜。見上げた空には無数の星が輝いている。彼は再びリオールにローブをかぶせると、彼女を引き寄せルナンと共に宿への道をだどった。
*****
「最後にもう一枚だなんて。なんて運命の柵に縛られた人達なのかしら」
一人、円卓の前に佇む老婆は、ばらまかれたカードを整え、小さく息を零していた。その手に握られるはレイスが最後に手にしたカード。
「死神は別名“魂の運び手”といわれるのよ。彼はこれからどんな道をたどるのかしらね。……あなたはどう思う?」
老婆は、背後の給湯室に気配を感じて声を投げる。そこには黒いローブを身にまとった人物。“赤の梟”としての彼女の数多くの部下の一人であった。
「さて、某の様な影の者に聞かれても、分かりませぬな」
「……想像力が無いわね。まあいいわ、それよりいいタイミングで来たわね。一つ頼まれてくれるかしら?」
「なんなりと」
老婆は、カードから手を離して背後の部下へと振り返る。その顔は、狡猾な情報師らしい鋭い眼光をたたえていた。
「これからいうことをメモに取りなさい。そして“緑の兎”につつがなく伝えるのよ。いいわね」
「御意」
老婆の言葉に部下は拳を胸の前に置いて軽く頭を傾倒した。敬意を示す礼なのだろう。彼女は彼が再び顔を上げるのを見計らい、口を開いた。
「始まりはそうね、“羊は狼の所在を知った。今しばらくは安定なり”」




