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Avalantear アバランティア  作者: 海豹
第二幕 ―承―
62/68

正義の神2

 乾いた土地、乾いた風。血と硝煙の匂いが混じった最前線基地街エアトリック


「無理だけはしないでください。お願いです」


 目の前を次々と通過していく車両。砂を交えて巻き上げる風が髪を乱す。イヨールは飛ばされそうになる眼鏡を片手で押さえながら、通り過ぎていく車を目で追いかけた。先頭車はもうしばらく前にメインストリートから姿を消した。一人残されたイヨールは、車が通る度確認するように言葉を繰り返す。最後の一台がストリートからいなくなってから、彼女はようやくその場から踵を返した。


 やらなければならないことがある。



 *****



「納得いかない、だろう?」

「いいえ、そんなことはありません」


 五年前、イヨールに与えられたのは特務総合部隊への異動命令だった。当時、アバランティア制御優先体の逃亡事件と結晶化病による人員死亡が重なった特殊部隊は、荒れ狂う海に放り出された小舟同然の、足元が危うい部隊だった。部隊人員数は二。もはや小隊も組めぬような規模にまで堕ちたそこは、いつ取り潰されてもおかしくはない、と囁かれていた。そんなところへの突然の異動命令。保身を考える者ならまず、行きたくないところだろう。


「君ほど情報部隊の兵として長けている者が、なぜ潰れると分かっている部隊になどいかなければならない」


 情報伝達部隊の上司は悔しげに辞令の書かれた紙を睨みつける。彼はイヨールのことを強く買ってくれている理解のある男だった。


「しかし、これは捉えようには本部に栄転ということでもあります。私には断る理由がありません」

「君も頑なだね。本部に行きたがっていたのは知っているが……。出世に興味があるわけでもないというのに、まったく」


 後悔しないんだな、という意味を込めた彼の目線に、決して逸らすことなくイヨールは深く頷く。

 当時のイヨールの職場は、都市セリカから離れた辺境の小さな支部。以前から本部での活動を強く望んでいた彼女にとって、願ってもいない辞令だった。たとえ、それが泥でできた船だったとしても。本部に行きつく前に話が立ち消えになって、彼女の居場所がなくなってしまう可能性があるのだとしても。


「いままで、お世話になりました」


 イヨールは深々と、上司に頭を下げた。





「本日付で配属になりました、イヨール・ツインハークです。よろしくお願いします」


 二人しか使用していない、オフィスは広くガランとしていた。


――酷く冷たい部屋


 イヨールが特務総合部隊に対して初めて思った感想だった。私物らしい私物もなく、眩しいほどの照明が物のない部屋を更に味気なく演出している。そんな人の形跡を消せる限り消してしまった状態が、かえってデスクの傷や染みついた脂の匂いを目立たせ、ここにかつて多くの人がいたことを伺わせていた。


「君のデスクはここだ」

「おい……善、挨拶くらいしとけよ」


 顔を上げて、一番初めに言われた言葉は淡白なものだった。イヨールの挨拶を受けていたのは若い男二人。一人は顔の中心に大きなガーゼをつけた大男、もう一人は骨折しているのか右腕を吊るした細身の男だった。満身創痍、二人はその言葉をを物語っているような風体だった。淡白な第一声は細身の男。彼はイヨールから背を向けて群になっているデスクの一つを示した。


「君は、なぜこの辞令を辞退しなかった」

「善!」


 大男は細身の男の横柄な態度に、しびれを切らして近づく。だがそんな彼を目で制して、細身の男はイヨールのデスクの前で歩みを止めた。


「我々の事情はあらかた分かっているのだろう。事実、君と同じように辞令が渡った者たちはそろって辞退を願い出てきた。君だけが今ここにいる」


 善と呼ばれた、細身の男は胸ポケットから煙草を取り出すと左手だけで火をつける。中途半端な長さの髪をワックスで後ろに撫でつけ、煙草をくわえた様は何処か背伸びをしているように見えた。おそらくイヨールと同年代、二十そこそこの若者だ。


「なぜ、辞退しなかった」


 声に感情がない、表情にも感情が見えない。イヨールは善の上から注がれる目線を真っ直ぐ受け止めた。

 この手の内容の質問はもう何度目だろうか。彼女が答える言葉は決まっていた。


「断る理由が、私にはないからです。私は本部に来たかった、それが望みだったからです」

「それがいつ潰れるかわからない部隊でも?」

「そんなことは私には重要なことではありません。ここに来ることしか考えていませんでした」


 驚いたように片眉を上げる善は煙草の煙を吐き出し、ついでというように笑い出した。最早ついていけないのだろう、諌めようとした大男は深くため息をついている。イヨールもいきなりの笑い声にその場の緊張が崩れていくのが分かった。


「なるほど、いい心構えだ」

「善、いい加減しろよ」

「分かった」


 大男に睨まれ、ようやくイヨールを真っ直ぐと見つめる善。自己紹介をしてくるつもりなのだろうが、何故かなかなか口を割らない。不審に思った彼女は善の顔を見つめ返す。


「私の顔になにか?」

「いや……」

「そうですか」


 善はもう一度だけイヨールをまじまじと見て、諦めたように自己紹介を始めた。イヨールの前にいるこの二人が、特殊部隊リーダー、サブリーダの善とグレイスだった。何とも言えない空気を打開しようとするグレイスが不自然なほどに空元気な声を上げていたが、善は全く無視して表情は堅い。


「新たに就任される統括はアベル・ロムハーツという方だ。今はまだ先日の騒動で負った傷が癒えておられず、治療中だ。ここには来られない」

「はい」


 善はそこまで言って、自分のデスクの引出から何かを取り出してグレイスに投げる。


「グレイス、彼女に部屋を案内してやってくれ。私はこれからアベル統括のところへ行く。今後のことを話しておかなければならないからな」

「了解。任せてくれ」


 大きく弧を描いてグレイスの手に収まったのは鍵。善はオフィスのドアへとすぐさま歩み出していた。


「先ほどは、試すようなことをして悪かった。君はこれより私たちの仲間だ。少ない人数だがお互い頑張っていこう」


 振り返らずに、彼は続けて言葉を紡ぐ。イヨールの隣で、まったく素直じゃねーんだから、とぼやくグレイスの声。


「よろしくお願いします。……リーダー」


 イヨールはドアが閉じる直前を見計らい、深々と頭を下げた。



 *****



 「中央広場に二つ、酒場の裏に一つ、あとは……」


 乾燥地域エアトリックでの植物の捜索は、想像以上に難航した。もともと植物が育ちにくい上に、ここは抗争の最前線。世話する人も、植物を必要とする需要自体が少ない。更に善の注文の背の高い木。幾度か見つけても、資材として使われたか、攻撃の際にまきこまれたのか、完全な形として現存している物はわずかだった。


「これでは、しっかりとした報告ができない。まだ五カ所しか見つけていないなんて……」


 手にしたエアトリックの地図に印を付けながら、顔を上げると甘い匂いを感じた。視線をさまよわせると、近くの比較的裕福そうな民家が目に入る。窓から、子供たちがパンケーキを啄んでいる姿が見えた。


「もうティータイムの時間……もう会議は終わってるはずね」


 タイムリミット。イヨールは小さくため息をつきながら、地図を畳んだ。そろそろ戻らないと善に報告ができない。彼女はあくまで上司からの任務に忠実に行動していた。もちろん、疑問に思うことも多々あるが。


「あ、イヨール!」


 ふと背後から、聞き覚えのある声が響き、イヨールは振り返った。


「まだこんな所にいたんだぁ、グレイスさんが心配してたわよぉ」


 栗色の長い髪を可愛らしいリボンでポニーテールにしている、同僚のシエルがそこにはいた。なぜか両手に縦長の紙袋を幾つも抱えているので、顔が半分しか伺えない。


「シエルこそ、何をしているのこんなところで」

「私はお買いものよぉ。主に食品のねぇ。会議が終わってからグレイスさんに頼まれちゃって」

「なるほど。いい品はあった?」


 イヨールは、彼女に近づき荷物をいくつか奪う。中身は主に缶詰の食品類ばかりだったが、時折お菓子が混じっている。菓子類はもちろん経費で買っていないと思いたい。イヨールは小さく笑った。


「なかなか、いっぱいあったわぁ。缶詰なのに全然中身の分量が一定じゃなくてぇ。おかげで質量が多い物ばかり選別できたから、お買い得だったのよぉ」


 うふふ、と笑うシエル。イヨールはそれにそれとなく頷いていたが、ふと彼女の上着のポケットに膨らみを見つけて、手を伸ばした。

 ポケットには幾つか財布が入っていた。それも硬貨が入っている、高額な物ばかり。彼女の悪い癖が出たようだ。


「また、盗ってきたのね?」

「何のことでしょぉ」


 シエルは白を切っているが、確実にこの財布は彼女の物ではない。イヨールは仕方ないな、とため息をついて、それらを再びポケットに詰め戻した。

 そして痛くなる頭を抑えて、イヨールは彼女の特技を思い出す。

 シエルは<イレブン>で働く以前は軽業師として芸をしていた。そのためか彼女自身の身体能力やバランス感覚は非常に高い。更にバランスを見極める能力が高く、大体の物体の質量を言い当てられるという奇妙な特技を持っている。そんな能力あってかなのか、昔からの癖なのか、通行人の財布のありかを目で探してくすねるという悪事を働くことが多々あった。特に重い金貨が入っている財布は見つけやすいのだという。


「それよりぃ、さっきはどうしたのぉ? リーダーと喧嘩でもしたぁ?」


 イヨールの追及がなくなったことをいいことに、シエルは話の方向を変える。


「最近いら立ってるのかしらぁ、変なところで感情出してくるのよねぇリーダー。変といえば、体の調子も良くなさそうだし、やけに体重も落ちてるのよねー」


 体重。イヨールはシエルの言葉に内心動揺した。善の体調は著しく悪くなっている。それは彼女だけでなく多くの者が感じている。

 善の吐血について知っているのはおそらく自分だけだ、とイヨール思っている。誰かに彼の異常を伝えた方がいいのだろうか、植物の捜索の間彼女はずっと考えていた。吐血するような状態が、無視できることとは思えない。


「グレイスさんが本当に心配してるのよぉ。リーダーのことも。さっきの貴方のことも」

「……」

「リーダー、さっきの会議でも情報部隊のリーダーさんと冷戦繰り広げてたしぃ、ほんとイライラしていると思うのよねぇ。あんまり気にしたらダメよぉ」

「ありがとう、シエル。でも何でもないわ。……さっきは私が少しお節介なことを言っただけなの」


 言えなかった。イヨールは自分の中にある不安を押し込む。今の状況下では、善の体調を気にすることだけが許されているわけではない。彼が無理を重ねているのも、今の状況を何とか打開しようとしているからだと、メンバーの誰もが知っている。その思いを無下になどできない。彼女はそう判断した。


「ふーん、でも痴話喧嘩できるくらいには親密になったんだねぇ」

「な……! ち、痴話喧嘩って」


 聞き捨てならない言葉に、思考回路が一時停止。


「あ、照れてる! いーのよぉ、そういうことなら心配無用だもんねぇ」

「……いい年してはそんなヤジではしゃがないでよ、恥ずかしい」

「えー? 図星?」


 シエルは大きな目を、幼い悪戯っ子のように輝かせてコロコロと笑う。イヨールは楽しそうにしている彼女を見て、否定するのも馬鹿らしくなってしまった。年甲斐もなくここで騒ぐのは彼女のプライドが許さなかった。


「やけに、騒がしいが」


 突然背後から咎めるような低い声がかけられ、イヨールとシエルは同時に振り返る。


「あ」

「……リーダー」


 振り返ったと同時に、イヨールは手にしていた荷物を奪われた。視線を上げると、相変わらずの無表情で佇む善の姿が目に入る。逆光のせいか彼の顔には影を差しており、その仏頂面と相まって妙な迫力を醸し出していた。


「シエル。グレイスが探していたぞ」


 突然の上司の登場に狼狽する二人が、固まったまま何もできずにいると善がため息交じりに言った。

彼はイヨールから奪った袋の中身をチラリと見て、そのまま背後を指さした。


「中央広場でお前を探していた。買い出しに時間をかけ過ぎだとお怒りだぞ」

「もう、堪え性がないんだからぁ。まだ一時間くらいなのに!」

「いらん物まで買っているから遅くなるんだろう、行ってやれ。急ぎの用事があるみたいだった」


 持てるか? と言いながら善は手にした荷物をシエルへ手渡した。再び顔半分を隠すように抱えたシエルは、挨拶もそこそこにその場から忙しく走りだす。大荷物を抱えながらも、人と人の合間を滑るように進んでいくのは流石軽業師といった様子である。イヨールはその姿を感心しながら見送った。


「やけに時間がかかっているな。見つからないか」

「えっ」


 意識を引き戻す低い声。イヨールは思わず素っ頓狂な声を上げたが、内容が依頼されていた件だとすぐに思い当たる。


「この土地はそういったものが育ちにくいようで……とりあえず五ヶ所はマークしてありますが」

「分かった。それでは一番人気のない場所に案内してくれ。出来れば裏通りあたりだな」

「……はい」


 善の言う条件がそろっている箇所は幸い、その五ヶ所の中に含まれていた。イヨールはなるべく善と視線が交わらないように、前を先行するように歩みを進め、案内を開始した。

 午後のティータイム時間は、前線基地であることを忘れるほどに穏やかな空気が辺りに流れている。時折子供たちの笑い声も聞こえてくる。イヨールは意識を別の物に行くように極力努力をした。


「ここが抗争の最前線だということを忘れてしまいそうになるな」


 しかし、意識を外に向けていたせいで善が隣に並ぶように足を速めていたことに気づかなかった。結果的に合わせたくなかった目線を、思わず自分から合わせに行ってしまうという失態を犯してしまう。


「……ええ、私もそう思います。あとで一緒にお茶でもしますか?」


 とっさに出てきた言葉は、彼女自身意味の分からない内容だった。虚を突かれたように、善の表情に驚きが走る。イヨールは再び歩みを早めて先を急いだ。


「冗談です」



 *****



「ここでいい。よく見つけてくれた」


 イヨールが案内したのは、メインストリートから道を三本挟んだ民家の多い狭い裏通り。そんな通りの小さな広場に常緑樹が一本、高々と聳えていた。広場からは更に分岐する狭い道があり、薄暗いそこを警戒してか人通りは少ない。


「リーダー。なぜ植物を?」


 先ほどの悶着があったとしても、善が意味のない命令をしないことは分かっていた。しかしいくら考えても意味をくみ取れず、イヨールは疑問を口にする。


「ここが落ち合うポイントだからだ」

「?」


 さらりと返答する善は木には近づかずに、広場からこちらが伺えない場所で遠目で木を見つめている。しばらく辺りを確認していた彼は、唐突に口笛を吹いた。途絶え途絶えで、高い音で吹かれるそれはまるで野鳥の鳴き声の様で、可愛らしい。意外な特技を見つけたように、彼女は呆然とその様子を見守るだけだった。

 三度、規則的な口笛を吹いた彼は大きく深呼吸をして、イヨールにことの説明を始める。


「前リーダーが仕切った特殊部隊での決まりだった。任務時唐突に仲間同士で接触を取らなばならない際には」

「――人気がなく、背の高い木のある場所、口笛の合図。これが落ち合うために必要な条件だ」


 善の言葉は途中で、重なるように現れた声によって遮られた。イヨールは突然自分の体に影が差したのを察して背後を振り返るとそこには熟年と思わしき男性が立っていた。

 緩やかなクセのある灰褐色の髪を耳の後ろに流し、無造作に左右に分けられた前髪。身に着けている濃紺のジャケットもよく似合っている。煙草をくわえて微笑むその姿は遠目には優しげなおじさんにしか見えなかった。


「まだ、習慣は覚えていたようだな。感心だ」

「まだ新体制になって五年ですよ。リーダー……いえ、エヴァンスさん」


 気配に気づくことができなかった。この人はただの民間人ではない。イヨールは動揺を顔に出さないように気を付けながら一礼。善の言葉が正しいのであれば、この熟年の男性が全盛期時代の特殊部隊を指揮していた前リーダーということになる。とてもではないが、退職した人間とは思えない姿、立ち回りに彼女は驚いていた。


「可愛い子を連れているじゃないか」


 一礼したイヨールに、穏やかに笑って見せるエヴァンスは肩をすくめて辺りを見回す。


「イヨール、君はここの道のはずれで余計な者が来ないように見張りを頼む」


 エヴァンスの視線が外れると同時に、善の指示が飛んだ。イヨールは呪縛が解けたように慌てて走り出した。


「少し、やつれたんじゃないか? アスラ」

「貴方の代わりは大変なんですよ」


 道の分かれ目に立ち位置を決めたイヨール。彼女の耳に入ってくるのは、いつになく穏やかな声色の善の笑い声だった。





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