正義の神
「間もなく、目的地です」
イヨールの声が耳に届き、善は瞼を起こした。
振動を体全体に感じ、己が車上の助手席に身をうずめていることに気づく。善はドアガラスに寄り掛けていた頭を起こし、運転席でハンドルを切る彼女を見た。
「今、何時だ」
「一二〇〇(ひとふたまるまる)です。予定時刻との誤差はほぼありません」
腕時計を確認して、きっちりと返答するイヨール。善はそれを聞いて慌てて身を乗り出した。時間が想像していた以上に経過していることに驚く。ぼんやりとしていた頭が覚醒し、彼は己の身に置かれた状態を思い出した。
Aの約束。作戦の行動開始は今より二十二時間前。車での移動で、おおよそ千五百キロの道のりを超えて、部隊は領土最南端に存在する<イレブン>支部に向かっていた。
部隊の構成は特務総合部隊、情報伝達部隊、戦闘部隊の精鋭約六十名。領土関係なく目標を探さねばならない追跡任務としては小さな編成だが、人員の移動だけでも車六台、武器輸送車も入れたら二桁に届く。
世界において車や飛行艇などの存在はまだまだ貴重だ。<イレブン>の領地であれば珍しいものであっても一般市民の間にも認知され、一部の富裕層への普及が見られるが、文明基準の低い地域では存在自体が知られていない場合がある。
つまり、この全てが並走して移動するとかなり目立つ。しかしそれもこの<イレブン>領内まで。この後、支部への協力要請が終了次第追跡に合わせた作戦行動に移るだろう。
車のことが頭に浮かぶと、善はハッと我にかえった。
「運転――」
「いいですよ。よく寝ていたみたいでしたから」
善の記憶では、眠りに落ちる前の景色はまだ日も昇らない早朝だった。イヨールは一人でかなりの間運転していたことになる。交代するために助手席に控えていたはずの善は、すまないなと小さく詫びた。
「ケイスが途中代わってくれたおかげで、実際には私が運転していた時間は少ないんです」
特殊部隊には車一台が人員輸送として割り当てられている。輸送車は運転席と荷台に分かれた作りになっていて、善とイヨールは運転席と助手席に身を置いている。背後の荷台には屋根と長椅子の座席二つを取り付けており、残りの三人が乗っているはずだ。
背後を覗き込んだ善は、ケイスが座席の上で横たわって眠っている姿を確認した。長椅子をベッド扱いしてるため、一人で片側の座席を占領している形になるが窮屈そうではない。もともと八人を収容することのできる車に、五人では車内は広く、他の部隊よりも贅沢な仕様だ。もっともこれは人数の関係で有利なだけで、優遇されているわけではない。
反対側で昼食を取っているシエルとグレイスが、ケイスを見る善の目線に気づいたのか、サンドウィッチ片手に手を振っている。
「起きましたかぁ?」
「すまないな、気を遣わせてしまったようだ」
「大丈夫ですよぉ。リーダーは上司でもあるんですからぁ、遠慮しない!」
シエルのウインクつきの励ましの言葉に苦笑で返しつつ、視線を前に戻す。遥か彼方だが、街並みの様なものが見え始めた。
「そろそろ、エアトレックに着く。到着次第、支部に乗り込む」
グレイスが感慨深そうに唸り、運転席に寄って声を投げる。
「分かっているだろうが善、ここからが本番だ。人員の確保、敵領土での支援援助、南部地域の情報収集……やることは山ほどある」
グレイスに相づちを返すうちに景色は切り替わり、木々に囲まれていた道が消え、砂地が目立つ平野へと車は突入していった。
<イレブン>領最南端都市エアトリック。豊富な山脈と水脈を持つそこは鉱山で栄える鉱山街。金、銀をはじめ、鉱石・鉄と多くの鉱脈の存在するため、<イレブン>の宝庫として世界に名をと轟かせる。同時に領土の境目とあって、他組織との抗争も多く戦いの最前線でもあり、<イレブン>支部の中でも本部に匹敵する規模と人員数を誇っている。
今後領土を超えて追跡任務を行うため、最終調整をこの地で行う。敵地では如何に強大な組織としての<イレブン>の力も全く発揮できない。最悪の場合、敵組織の襲撃で全滅する恐れもある。彼らはそれに耐えるだけの戦力を整える必要があった。
「そういえば」
思い出したと、突然素っ頓狂な声を上げるグレイス。その声が飛び抜けて大きく、眠りから覚醒したばかりの善は思わず耳を塞ぐ。
「エアトリックにはエヴァンスさんが着任している。善、挨拶に行けよ」
「……分かっている。いかないと後でどやされるからな」
何事かと思えば、と善は鼻で笑う。
セドリック・エヴァンス。五年前まで特務総合部隊のリーダーを務めていた人物。善とグレイスにとっては父親のような馴染み深い存在だった。
礼儀として挨拶に行くのが道理だろう。善はグレイスに、お前はいかないのかと、目で問いかける。しかし、彼は苦々しい色を目に浮かべた。
「……さて、そろそろ関門だ。先頭車両がだらしないと示しがつかない。シエル、そろそろ食事も終わりにしよう」
口を開いたと思えば、そくさくと話題を変えて逃げられてしまう。善はつい非難の声を上げた。
「誰かが本陣に残らなきゃいけないだろ? レキアスの奴一人に任せるのは、後々怖い。悪いが挨拶は一人で行ってきてくれ」
グレイスは投げ捨てるように言葉を吐くと、それっきり奥に引っ込んでしまう。
やれやれと、諦めをつけた善は座席に身をうずめ直した。視線が前方に戻り、車がもう街の入口の直前だと気づく。
エアトリックは最前線基地を置く、現在戦争地域の中心的拠点だ。そのため外敵を想定した都市計画は、街を砦のような造りにしている。巨大な石塀で街は覆われ、遠目に鉱炉の煙突が空に突き出ているのが善の視界に入る。
道なりに一列に並ぶ車両を警戒して、門では慌ただしく警備兵が走り回っていた。事前に来訪の連絡を送っているのだが、常時緊張状態でいる彼らに、十台以上の大所帯では警戒するなという方が酷だろう。
イヨールは車を門の五メートル前で停車する。目の前に、十字のバリケードが行く手を阻んでいるからだ。街の周囲には敵の侵入を阻む目的で、金網が無造作に地に転がされ、ところどころ激しい争いの跡と思わしき、不自然な穴や血痕が地に刻まれている。
「通行証、身分証の提示をお願いします」
帯剣した兵士、銃器を抱えた兵士二名が運転席と助手席を挟むようにして近づいてくる。善は相手に答えるために、ドアに付けられたハンドルを回して、窓を開いた。
「連絡はきているだろう? 本部からの遠征だ」
「代表者の身分証をお願いします」
無駄と分かりながら、少しくだけた口調で話しかけると、想像通りの角ばった言葉が返ってきた。善は上着の内ポケットから認証カードを取り出し、帯剣した兵士に手渡す。
「<イレブン>特務総合部隊リーダー兼“Aの約束”作戦総指揮官の善だ。領地外の遠征作戦敢行により、エアトリックには物資補給を目的に来訪した。支部長へのお目通りを願いたい」
相手がカードを確認しているうちに、名乗りを自ら上げる善。この場を早く通過するには、潔い行為が最善な方法だと悟ったのだ。兵士はそれに頷きながら身分証の真偽を見極め、十数秒後には善の手元に返される。
「幾分かの無礼、失礼いたしました。後続車両にも同様の確認を行いますが、ご容赦くださいませ」
「構わない。それが君達の仕事だ」
兵士は、型どおりの非常に生真面目な敬礼をした。善はカードを再び上着に収めつつ、そんな彼に首を左右に軽く振って見せる。
「来訪の連絡、物資補給の要請。どちらも承っております。支部長は基地会議室で皆様をお待ちです」
「了解した。ちなみに、本日の我々の滞在先は? 確保はしてあるのか」
「つつがなく。支部の空き部屋と、街の宿を二つ確保しております」
「分かった。……お務めご苦労」
善と帯剣した兵士の会話中にも、バリケードが外された。イヨールがおもむろにアクセルを踏込み、警備の兵士はもとより、一気に目の前の景色が消えて、新たなものへと切り替わる。十字のバリケードが外されると、巨大な石塀の門扉も開かれ、善を含めた“Aの約束”特別編成部隊はエアトリックに招き入れられた。
「リーダー」
乾いた砂地の道、メインストリート沿いに並ぶ宿場町。<イレブン>本部が構えるセリカとは違い、建物の構造的にも荒が多く、劣化の多く見える雑多な街並みだが、昼時とあって人が多くにぎわいを見せている。そんな活気のある街並みを、何となく眺めていた善はおもむろに口を開いたイヨールに返事を返さずに、目線だけをそちらへと向けた。
「……お体のお加減はよろしいのですか」
「どういう意味だ」
「先日、気になったことがありまして……ご無礼と知りつつ、いろいろ調べさせていただきました」
予想外の質問に、善は声を落として聞き返す。よく観察するとイヨールは緊張した様子で、言葉を選んで話をしようとしているのが分かった。おそらく、善の体調の悪さを心配しているのだろう。少し前であれば、部隊のメンバーからそういった声をかけられることがしばしばあったが、最近はそんな心遣いができるほどの余裕のある者もおらず、久々のことだと善は他人事のように思う。
「アルフスレッド博士とここ一年、よく接触されていたそうですね」
「ああ、博士には世話になっている。最近体の不調が多くて……な。不覚だが、過労だと言われた。自己管理とて己の責任だろうに、情けない話だ」
いろいろと調べた――イヨールの発言にはただの親切心からの言葉ではないことが伺えた。アルフスレッドに善が診てもらっていることは、調べればすぐにわかることでもあるが、彼女の言葉が嘘ではないことを悟り、善は身構えて話を聞く姿勢を取った。
「博士は、今や研究設備を一手に任される重要人物です。現在はハザードや結晶化病の研究に追われ、一介の兵を診ることはほとんどないと聞いています」
「……何が言いたい」
イヨールの探るような言葉選びに、下手な返しをすることを止めた。ただ、背後のメンバーに声が届いていないかイヨールに悟られぬように確認する。
「リーダー。最近の体の不調は過労などではないのではないですか? もっと重篤な……」
「君のそれは杞憂だ。実際、私の病状については推測の域を出ていないだろう。何度も言うが、単なる過労だ。それ以上でもそれ以下でもない」
幸い、背後の二人は深い眠りについているケイスに悪質な悪戯を仕掛けている最中で、全くこちらに気を向けていない。イヨールの追及も今一つ力が足りず、善は鼻で笑い彼女からの問答を強引に切り上げようとした。
「しかし……リーダーは吐血していました」
ガタン、と車体が大きく揺れる。タイヤが石を踏んだようだ。思わず前のめりになる善だが、それよりも、イヨールの発言に酷く驚く。
「否定されないのですね」
イヨールは善の顔を一瞬覗き見て、納得したように頷いている。感情を表情に出したつもりはなかった善は、彼女の反応に対して、一瞬でも言葉を返せなかった自分の態度に後悔した。彼女は元情報伝達部隊に所属し、現在特殊部隊でも潜入捜査をこなすスペシャリスト。彼女の人を観察する力を甘く見てはならなかった、善は大きく呼吸をして動揺を押さえつける。
「例の騒動の翌日、オフィスにいた貴方は意識がなかった。その時、口元と左手には血が付着していました。あれは過労の一言で片づけられるものではありません」
「……めろ」
「何故、言ってくれないのですか。もし重い病気なら――」
「車を止めろ」
小さいが、鋭く言い放った善の言葉にイヨールは黙って従った。エンジンをふかす音だけが車内に広がる。
「運転を代われ。……頼みたいことがある」
すぐさまドアを開き、助手席を降り立った善。幸い、まだ後続車両は姿も見えない。突然の停止による混乱は起きずに済みそうだ。彼は小さく息を吐きながら車の前方を回って、運転席のドアを開く。既にシートベルトを外し、降りる準備を整えていたイヨールが目を丸くして彼を見つめていた。
「降りろ。私が運転する」
明らかに、これが話を遠ざけたい一心で命令を下していることは彼女にも本人にも理解できていた。そして重い空気を察して、後部の者たちが困惑しているのが分かったが、善はそれを無視して言葉を紡ぐ。
「ここの街は植物が少ない。悪いがこのあたりを一周して多く植物があるところを探してきてくれ」
「植物……?」
「できれば高い木を見つけてくれ」
「これは拒否できる命令ですか?」
ほとんど運転席から降りつつある状態で、彼女は冷ややかな目で問う。善は肯定するとも否定するともなく、ただ彼女の目を見返した。
「……分かりました」
「では、代わるんだ。君はここから探しに行っていい」
イヨールが地に降り立ち、善はすぐに席に乗り込んだ。彼女が一歩後ろに下がるのを気配を感じて、彼はドアを閉めた。
「どうか、無理をなさらないでください。お願いです」
ドアが閉まる直前、イヨールの小さな消え入りそうな声が彼の耳に入る。善はそれを聞いていないものと心に言い聞かせ、荒い手つきでギアを切り替え、その場から走り出した。




