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Avalantear アバランティア  作者: 海豹
第二幕 ―承―
59/68

旅は道づれ

 まだ靄が払いきられていない早朝。ルナン邸の玄関先で動く影が三つ。

一人は大きな紙を手にしていて、また一人は大きな荷物を持って、一人は大きく頭を垂れていた。


「お世話になりました」


 頭を垂れて、礼を言うのはリオール。彼女の首元には生成り色の襟巻。首だけに収まらず、口元まで隠れてしまっていることが、それが男物と主張されている。リオールの前で大きなカバンを運び出しているテラも地味な囚人服ではなく、裾の長い厚手のジャケットに、黒いパンツを身に着けていた。ルナンと背格好が近かったこともあり、譲ってもらったものである。


「足りないものは、近くの町で揃えるといいよ」


 ルナンは扉ひとつ挟んだ家の内側で、三人を見送っていた。彼の肩にはアミーが大人しく乗っている。彼女はまだ眠いのか、小さく欠伸を零していた。


「泊らせてくれただけではなく、食糧や服までいただけるなんて……」

「いや、私はたいしたことはしていないよ」


 リオールは首元の襟巻に触れて小さく微笑むと、更に深く頭を下げる。感謝というより、謝罪しているような低頭ぶりである。ルナンは、その様子に少し戸惑ったそぶりを見せたが、ふと何かを思い出したようににやりと笑った。


「まあ、レイスのことだ。これも家にきた目的のひとつだったはずだから、気にしなくていいよ」


 ははは、と笑って、リオールの礼にこたえるルナンは、地図を広げて既に出発モードになっているレイスと目を合わせようと見つめる。


「なんせ、私はひどく心配性なんだからね?」

「う……」


 正確にたくらみを読まれていたことへ、動揺を隠せないレイスは、ごまかすように再び地図に目をやる。横で大きなカバンを背負うテラは、そんなやり取りを見て大きくため息をついた。食糧や衣服を狙って、押しかける――まるで盗賊のようだ。


キュ~~ン

「アミー。お前は残るんだな」


 テラが、アミーの声に反応する。アミーはルナンの肩で身震いする素振りを見せた。


「なるほど。自分がいると、目立つし邪魔になると……。どこぞのバカに聞かせてやりたい賢さだ」

「おい!」


 テラのセリフに、レイスが抗議の声を上げた。アミーと離れるのが寂しいのか、レイスは先ほどから彼女と目を合わせようともしない。


「君は、動物と会話ができるんだね。面白い」


 ルナンは、アミーの頭を撫でながらテラの顔を注視する。


「それも、その人ならざる“眼”の恩恵ということかな?」


 返答できないテラは、己の顔左半分を手で覆う。現在、醜く大きな紅い瞳はルナンに与えられた眼帯によって隠されている。目立つというのが理由だ。

 テラ自身いちいち見られて驚かれるという、心配をする必要がなくなって安心していた。


「君たちは早めに姿を変えて、情報収集に努めるんだ」


 リオールとレイスにそう続けるルナンは、すぐ近くにいるリオールの青い髪に触れる。


「街に入るときは、襟巻で髪も隠しなさい。君の青い髪は目立ってしまう」


 君たちの容姿は、すぐに手配情報としてあちこちに流されてしまうだろう。ルナンはそのままリオールの頭を撫でると彼女に笑いかけた。


「君の幸せを祈るよ。頑張って……」

「ありがとうございます」


 リオールは、一瞬目を潤ませたが、笑顔を返す。ルナンはいい子だと、再び頭を撫でた。


「さあ、行こうか!」


 レイスは、一度だけ振り返って目を細めて景色を見つめる。その姿は眩しいものを見るときの動作に良く似ていた。



*****



「で、一体今度はどこに向かうつもりだ?」


 歩き出して三十分。テラはレイスの今後の予定を聞き出す。


「大まかな予定としては、カルタスに行こうと思ってる」

「崇拝の街、カルタス……か」


 そこそこ、大きな街だな。テラは頷いてその場をぐるりと見回す。相変わらず道は険しく、獣道といっていい。途中、補整された道に出くわしたものの、それをレイスは素通りして、あえてなのかそうでないのか、険しい道に入っていった。街に近づけば、道は良くなっていくもの。しかし、今は進めば進むほど道は険しくなっていく。テラは疑わしげにレイスを睨んだ。


「しかし、こっちであっているのか? どんどん森の奥に入り込んでいるような気がするんだが」

「いいんだ。今は」

「?」


 レイスは、首をかしげるテラににやりと笑って見せると、前を向く。リオールが叫んでいるのだ。


「レーイースー!」


 元気よく先行しているリオールは、何かを発見したのか、大きく手を振っている。元気な姿は微笑ましいが、また転ばないだろうか。好奇心旺盛なリオールの姿を見て、少し心配になったレイスが、慌てて走りだす。


「どうした!」


 リオールは道を外れ、脇にそびえたっている木の根元にしゃがみ込んでいた。


「ここから、魔法の気配がする」

「ああ、もう見つけたんだ。さすが魔術師」


 レイスは感心したように、彼女の隣にしゃがみ込んだ。そして根元の土を掘る。


「あった」


 しばらく土を掘りだしていくと、箱が現れた。レイスはそれを両手で抱えるように取り出すと、その場に胡坐を組んで座り、膝元にそれを置いた。木でできた箱は薄汚れていたが、随分頑丈にできている。


「先にこれを取りに来たかったんだ」

「何が入っているの?」


 興味津々といった様子でレイスの手元を見つめるリオール。その幼い子供のような表情に小さく笑うレイスは、ためらわずに蓋を開いた。


「備蓄だよ」


 箱の中には革袋が三つ。そして小さな首飾りが入っていた。


「袋を一つ取ってもらえるか?」


 口をしっかりと紐で縛りつけている革袋は、相当年季が入っているのかどれも飴色に変色していた。

 リオールは、三つのうち小さな袋に手を伸ばす。思っていたよりも重みがあるのか、少しだけ腕を震わせて持ち上げた。


「これって……」


 袋からは金属のすれ合う音がして、リオールは中身がお金だと気づいたようだ。そして袋の重みの重大さに気づき、信じられないとレイスの顔を伺う。その見つめてくる表情が、あまりにも緊張で強張っているので、レイスは笑いをこらえながら背後の存在を指さした。


「テラに渡してくれ。それだけあれば当分は大丈夫なはずだ」


 いつの間にか、近くにまでやってきていたテラも、リオールから受け取った袋の重みに驚いたようだった。


「まさか、これは」

「全部金貨とは言わない。半分は銀貨だよ」

「半分が銀貨だと!?」


 信じられない、とリオールと同じく緊張した表情になるテラ。レイスは涼しげな顔をしているが、彼らが驚くのも無理はない。通貨には紙幣と硬貨があり、硬貨は高額なお金に使用されている。硬貨には銅貨、銀貨、金貨と種類があるが、銅貨一枚でパンが二個買えるのに対し、銀貨は一枚でそのパンが百個買える価値がある。更に金貨には銀貨の五倍の価値がある。ちなみに一般家庭のひと月の収入は銀貨十五枚。重さからして、袋には百枚ほどの硬貨が入っている。その半分が銀貨だとすれば相当の金額が入っていることになるだろう。


「悪いけど、それはテラが管理してくれ」

「なぜ俺が……」

「俺みたいなガキが金を持っていると、ろくな目に合わないんだ。騒動を起こしたくないから、持っていてほしい」


 レイスは、振り返らずに懇願する。テラは、その言葉の裏に隠された内容に気づいて無言で願いを承諾した。きっと、大金をこんなところに隠しているのはそれが答えの一部なのだろう。


「せめて金は分割して持たせるからな。さすがに一人でこんな大金は持てない」

「まかせる」


 レイスは言っている間にも他の袋を取り出して、中身を確認する。残りの二つは、金粒と宝石だった。また高価な物が出てきて、リオールは小さく悲鳴を上げる。


「傭兵って、稼げるんだよ。戦場なら、死体から金目のものは奪えるし。報酬が硬貨じゃなくて砂金や、宝石なんてこともよくある。もちろんその分出費は多いけど、命張っている仕事だから、それぐらいの報酬はもらえるんだ」


 弁解するように慌てて言葉を紡ぐレイス。その血生臭い内容に、彼が腕利きの傭兵だということを思い出したテラが、納得したように頷いていた。


「あと、これを」


 レイスは入っていた首飾りを、取り出した。紐と、トップシンボルがついているだけのシンプルなものである。


「これは、戦利品。大した価値は無いものなんだけど、その石が綺麗だったから取っておいたんだ」


 それは小刀の首飾りだった。透明感のある紫色の石が鋭く加工されていて、カットが荒いせいか、太陽の光を不規則に反射している。確かに、高価なものではなさそうだが、リオールはその首飾りに目が釘付けになった。


「綺麗……」

「小刀の形をしているけど、本当に切れるわけじゃない。でも尖ってるし、護身用くらいにはなるだろうから」


 レイスは首飾りの紐を不器用に巻いてまとめると、リオールの手に乗せる。


「あげるよ」

「! ……ありがとう」


 リオールは、首飾りをそっと握った。


「後でもう少しまともなナイフとか買うから、それまで我慢してくれ。流石に女の子とはいえ、何も持たないのは俺も心配だし、なにより今後の――」

「聞いてないぞ」


 テラの声に、口を閉じたレイス。どういう意味だと聞き返そうとして、リオールの顔が視界に入った。

 彼女は首飾りを持ってうっとりした表情を浮かべている。更に、小刀を日光に透かしては幼子のように笑っていた。まったくレイスの声など届かない、己の世界に入っている――少なからず、首飾りはお気に召したようだと分かる。


「まあ、気に入ったのならなによりだ」

「おい、この鈍感」

「あ?」


 再びテラの言葉に、遮られる思考。明らかに馬鹿にしたような顔つきをして二人を見つめている彼は、レイスの目が己に向いたのを確認すると、箱を指さした。


「一つ、聞いていいか?」

「なんだよ」

「こんな高価な物を、魔術師にバレるようにしていたらまずいんじゃないのか?」


 さっき、リオールが簡単に隠し場所を見つけただろう。まずくないか? とテラは問う。レイスはああ、と合点いったように笑った。


「あ……いや。分かるようにもしておかないと、俺忘れっぽいから。ルナンの家も近いし、宝石の一つを魔石にしてもらったんだ」

「それでは、隠している意味がない。というか、忘れないだろう普通」

「大丈夫。ここ一帯はルナンの管轄内だから、魔法も感知しづらくなっているらしい。詳しく、どんなからくりなのか知らないけど、かなり近くまでいかないと魔術師でも分からないんだ」


 それにしても、魔術師ってすげーな。レイスは空になった箱を持て余したように、両手に抱え込む。さらっと己の忘れっぽさを棚に上げた彼の物言いに、納得いかないテラだが、ふと言葉の中に恐しいものが混ざっていると気が付いたようだ。


「魔法が感知しづらいって……まさか」

「もちろん、ルナンの敷地トラップを隠すために行っているからくりの影響」

「筋金入りだな」


 テラは少し頬を引きつらせ、口元を歪める。流石に呆れているのだろう。レイスも大きくため息をついた。


「ねえ」


 己の世界から帰還した、リオールが脈絡なく立ち上がった。今度はなんだと、レイスとテラがそろって彼女を見上げる。


「あっちから、魔力の高まりを感じる。とても大きいと思う。なんだろう」


 リオールの示す方向は、つい先ほどまで歩んできた道。


「え? あっちって、ルナンの家じゃ――」


 直後。

 爆音と大きな振動が、三人を襲った。



*****



 リオールの呟きの直後に起きる、地響きと爆発音。

 レイスはとっさに彼女の肩を抱いて地へと伏せる。音に遅れるように吹き付ける風が、二人の髪を荒々しく乱す。音は断続的に鳴り、地面の振動もそれと同じように続いている。その音も、間近で起きたというわけではなく、ややくぐもっていて、直接的に自分たちには影響はないようだと気づいた。

 一体何が起きたのだ、と頭を上げたレイスは隣でしゃがみ込んでいるテラと目があった。

 テラは前回のことがあってからか、耳を指でふさいでいる。


「おい……この音だが。確実にあの医者の家の方から聞こえているんだが」


 耳を塞いだままでも、音は良く聞こえているようで、テラは苦々しい表情でレイスに指摘する。

 

「魔法の発動音か!?」


 うわー、と大げさに叫ぶレイス。ルナンの登場シーンを思い出したのか、テラが離しかけた手を再び耳に宛がっている。再び鳴り響く豪音。微かに、悲鳴のようなものが混じっている様な気がしたが、気のせいだと思いたい。


「魔法ってこんな物騒な音がする代物だったか?」

「知らない! 俺の記憶ではこのあたりでこんな物騒な音が発生する場所はルナンの家しか……」


 二人で、言い合っているとレイスの腕の下にいたリオールが、もぞもぞと動いた。直接的にここに被害があるわけではないので、レイスはあっさり彼女を解放する。途端に腕の中にあった温もりがなくなった。

 土にまみれた服に目もくれず、立ち上がったリオール。低い位置で話し込んでいる男二人は、思わず彼女の姿を見上げる。突然行動を起こした意図を計りかねているのだ。


「アミー!!」


 嘘だろう。レイスはリオールの発した言葉に耳を疑った。

 両手を前に突き出して、走り出したリオールは森の奥へと向かう。慌てて後を追おうとレイスは立ち上がり、目の前の状況に目をむいた。

 道もない、木々の間からやってくるのは、アミー。ジグザグと方向を忙しなく変えてこちらに向かってくるその姿は必死そうに見えた。問題はその後ろの――

 

「ハザード?」


 黒い毛並を持つ、狼。その背中には片方しかない翼。地を蹴り、翼で大きく跳躍しながらアミーを追うそれは自然界に生息する生き物ではなく、リオールを探し回っている化け物だった。

 レイスはとっさに腰に掛けてあった短剣を、ハザードに向けて投擲する。リオールは己の横を通り過ぎた短剣に一瞬怯む。それでもアミーが心配なのか、足を止めない。


「リオール、下がれ!」


 隣のテラが叫んだ。狙われている本人がハザードに立ち向かってどうする。レイスはテラの声を耳に入れつつ、腰に差してあった短剣全てを投げた。幸い、数本が命中してハザードが怯んだ。その隙に槍を手に走り出したテラが、リオールの前に踊りだす。レイスも剣を鞘から引き抜いて後に続いた。

 狼の姿のハザードは、一匹で行動していたようで、すぐに勝負がついた。先に飛び出したテラが槍で一突き。それ以上の攻撃は必要なかった。地に崩れ落ちる狼を見つめながら、安堵の息を吐いたレイスは、すぐに視線をリオールへと向ける。


「なんて無茶を――」

「テラさん!」


 アミーを抱きかかえて、立ち尽くしているリオールだったが、我に返ったように大声を出したので、レイスはその気迫に驚く。


「アミーは何て言ってるの!?」

「分かっている! あの医者が襲われているんだそうだ、この化け物どもに。先ほどから何度も俺に向かって叫びまくっていた!」


 続けられたテラの言葉に更に驚くレイス。数秒後言葉の意味を理解して、戦慄した。


「ルナンが……襲われてる?」


 どういうことだ。意味が分からない。ハザードがなぜルナンを襲う。レイスは混乱する頭を抱えながら、ゆっくりと翼から灰になっていく狼型のハザードを見つめた。


「行かなくていいのか、レイス! お前の主治医だろ」


 呆然としているレイスに、しびれを切らすように叫ぶテラ。リオールも震えるアミーを抱えた状態で彼を見つめている。


「行くぞ!」


 レイスは二人にこたえるように深く頷き、駆けだした。


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