医師と患者とその他二人と一匹
「よっしゃ、着いたな」
空の太陽が比較的西へ傾き始めた頃、レイスは感嘆を含む高々とした声を上げた。
キュ~~ン
レイスの肩に乗っているアミーも彼に続くように甲高い声で鳴く。テラではないのではっきり彼女が何を言いたいのか分からないが、レイスには喜んでいるように感じた。
「そうか、アミーはここが故郷だもんな!」
キュ~~ン!
「なんか嬉しそうだな。きっとルナンもアミーに会えたら喜ぶぞ! 本当久しぶりだな、ここにくるのも。何年ぶりだろ」
レイスが見つめる先には小さな平野が広がっている。平野の半分を埋める、色とりどりの植物は見事に手入れが行き届いていた。それらへ水を行き届かせるために水路が張り巡らされ、小さな水車や井戸も見える。奥には煉瓦作りの家が建っていた。どれも手作り感のある簡素なものではあるが、住む者の人となりが分かる機能的な世界だった。
「わ、これ全部薬草? 凄い!」
リオールが感激したように声を零す。彼女曰く、生えているものは希少価値の高い薬草ばかりなのだという。医師が住んでいるというのは納得がいく。
「で、お前の主治医とやらはここにいるのか?」
目の前の風景にさほど興味を持たないテラは、立ち止まったレイスの隣りに並び立った。心なしか声に力が無い。
「今頃は<リジスト>で仕事してるだろうから、いないな」
「すぐにでも家に招き入れて欲しかったんだな。リオール、足は大丈夫か?」
レイスの返事を苦々しい面持ちで受け止めるテラ。何故なら、
「お陰様で、だいぶ血は止まったみたいです」
彼はリオールを背負っているのだ。かれこれ一時間近くなる。
朝から歩き続けて約五時間半。美しく紅葉した木々の茂る森は歩みを遮る高い草が多いわけでもなく、道も基本的には平坦で土壌も程よく乾燥していた。獣道としては比較的歩き易かった……のだが、
「ごめんなさい……」
外に出たことの無いリオールには、長時間歩き回ること自体が厳しいことだった。疲れはもちろん、新しいものへ対する好奇心が足元への注意を散漫とさせる。結果、たまたま地表に顔を出していた木の根に躓いて転び、足を酷く擦りむいてしまった。見兼ねたテラが彼女を背負ってここまで来たのである。
「謝られても困る」
テラは心底申し訳なさそうなリオールへ、何も問題は無いという態度を取った。謝罪の言葉を繰り返されるの正直不快だ。テラはリオールが何度も言う"ごめんなさい"にうんざりしていた。別に大丈夫だと言っているのに、どうして彼女は己の重さや自分の徒労をしつこく気にするのか。テラには難解だった。
「せめてお前が座れそうなところを探そう。傷を消毒する必要がある」
再び謝罪を口にさせまいと彼は歩き出そうと足を踏み出す。
視界の片隅でレイスが物凄く怖い顔になった気がした。
「ちょっ! テラ、止まれ!!」
「!?」
緊急停止。
テラは文字通り動きを停止した。心臓すら止まりかけたかもしれない。前に出した足は宙に浮かせたままだ。
「危ねぇ……」
叫んだレイスは顔面蒼白だった。彼は強張った表情を顔に貼り付けて、テラの足を掴んで元あった位置に戻す。それも慎重に、ゆっくりと。
「おい……一体、何なんだ?」
レイスの気迫に押され、されるがままになっていたテラは、たっぷり深呼吸してから問う。本能的に今のレイスに逆らわない方が良いと彼は思った。
「……そっちはトラップだ。絶対、行ってはダメだ」
トラップ。硬い声で帰ってきた言葉に、何となく物騒な雰囲気を感じる。テラも、彼の背中にいるリオールも、咄嗟に何も言い返せなかった。レイスの肩に乗っているアミーですからピクリとも動いていない。
「俺の主治医……ルナンは、過度な心配性なんだよ。なるべくならこの場所に人を近づけたくないみたいで、魔法を駆使しておっかないカラクリを仕掛けているんだ」
「魔法?」
唯一、三人の中で魔法を使えるリオールが反応した。彼女は目を伏せて辺りの空気を探る。魔法の中には気配が分かるものがある。危険なものであれば事前に理解しておきたかったのだ。
「……魔法の気配は感じない」
魔法使いといってもリオールには分からないことの方が多い。
「隠しているんだろう。何者か知らないが相当の術師なんだな、そのルナンという奴は」
一般常識を一応は会得している、テラはしげしげと辺りを見回して感慨深げに頷き、レイスに目を向けて――ギョッとする。
「この場所はルナンの聖域だ。下手なことしたら死ぬ。冗談じゃないからな!! グスッ」
何故泣く。レイスの目が涙目で、テラは激しくツッコミたくなった。一体この長閑な平地でどんな悲惨な目に遭ったんだ。というか、そんな危険な場所に連れてくるなよ。言いたいことが多すぎる。
「いいか、絶対俺が進む道から逸れるなよ!」
しかし不思議なことに、テラはこの後一度もレイスに対して毒を吐かなかった。後で彼はこの選択が正しかったのだと知ることになる。
「ちなみに、あそこに行ってたらどうなったの?」
「……グスッ」
リオール、それ以上聞いてやるな。テラはレイスの背中を見て呟いた。
*****
「ふぅ。いつ来てもあそこを通り抜けるのは緊張するな」
三人は平野の奥に建つ、煉瓦作りの家の前にたどり着いた。たった三十メートル程歩くだけだったのに十五分かかっていた。レイスが言うには薬草が生えている辺りが"歩くには"一番危ないのだという。一体何がどう危ないのかテラにもリオールにも分からなかったが、草木の無いただ地を均しただけの広場に腰を落ち着けた。
――キュア
「なかなか効率が悪いもんだな。魔法ってやつは」
リオールが背中から降りて、テラは彼女の右脚を注視した。膝小僧から足首にかけて傷だらけになってしまっている。それを彼女は荒い息で治療していた。幸い初めに行った処置が良かったのか、傷は綺麗で跡に残ることは避けられそうだった。しかしなかなか傷は癒ない。ちまちまとした力しかない魔法にテラは気の毒に思えてきていた。
「しかし、派手に転んだにしても……な」
傷酷すぎないか? テラは首を傾げる。彼女が身につけている衣服は白い簡素なワンピースだけだ。なんのガードがなかったことも原因だが、彼女の皮膚がやわ過ぎるのかもしれない。
「はぁ、はぁ、はぁ」
それに体力も。ずっと室内に閉じ込められていたのだから仕方ないのかもしれないが、今後の彼女とレイスのことを考えるとどうにかすべきだろう。テラは他人事のようにそう思った。
「はい、綺麗な水。あとその水で湿らせた布」
家の横に備え付けられた水車に辺りにいたレイスが、水筒と布を座り込んでいる二人に手渡す。彼は体力を消耗しているリオールへ目を向けた。
「リオ。俺の主治医が来てくれたら足を診てもらえば良いよ。そいつ本当に腕はいいから、ちょちょいのチョイだぞ、きっと」
「ありがとう」
「さあ、水でも」
「レイス」
和んでいるところすまないが。テラが会話に割り込む。
「医師はいつ頃帰宅するんだ? ここで待ちぼうけを喰らうのもいいが、俺達は一応追われている身だ。あまり一箇所に長く居るのは良くない」
毎度思うが、こいつ等には追われているという自覚があるのか? テラはこめかみを抑えながら頭痛に耐える。
「ルナンは多分帰ってこない。ここにくるのは早くても一週間に一度くらいだし。帰らないときは一ヶ月近く家を空けるぞ」
衝撃発言。テラは無意識のうちにレイスの胸倉を掴んでいた。
「じゃあ、聞くが! 何でお前はいつ帰ってくるかも分からん知り合いの家に助けてもらおう、となんて提案したんだ? 無意味だろ!」
「く、苦しい。ひ、人の話は最後まで聞け……」
キュ~~ン
アミーはレイスの味方なのか、テラへ抗議の声を上げる。渋々腕の力を抜くと、すぐさまレイスはテラから離れた。
「来るのを待つんじゃなくって、こっちから呼ぶんだよ」
「……呼ぶ?」
わけが分からない。基本的にレイスの言っていることは理解しにくいのだが、重要なことなら分かりやすく話して欲しいものだ。テラは更に痛くなってきた頭を抑える。
「そう。呼ぶんだよ。ここにはそういうことができるものがあるから」
「ほう」
「ここの主、こんなひと気のない場所に住んでるけど一応は医者だから、薬を求めに人がやってくる時があるんだ」
レイスは説明しながら広場を歩く。遠目で見たときにはあまり感じなかったのだが、目の間にそびえる家は一人で住むには大きすぎる。それは診療所や入院施設を兼ねて作られているの為なのだろうか。テラがそんなことを思い浮かべているうちに、レイスは家の隣りにある、これまた手作り感あふれた小屋の前に立った。
「ルナンは動物の世話が上手いから、いろいろ飼っているんだけど」
小屋は表面に網が張られ、中が見える。灰色と白い鳩がそれぞれ二匹ずつ止まり木に乗っていた。網の一部には鳩が飛び立つのに丁度良い扉が付けられ、開けっ放しにされている。よく躾されているのは一目瞭然だった。
「この鳩の足に付けられた筒に言づてを入れれば、<リジスト>にあるルナンの診療室に飛んでってくれる。でもルナンが来るのに二日くらいかかる」
「そんなに悠長に待てるか」
「ここに訪れる人の大体が薬を頼むだけだからなぁ。これで事足りるんだよ」
「そんな馬鹿な。普通ならもっとましな連絡方法があるだろう。無線とか、電話とか。ここが、<イレブン>の統治下じゃないにしても、多少の文明の利器はあるはずだ」
五年もの歳月を牢で過ごしていたテラですら驚くほど、ルナンの敷地内には機械らしいものが見当たらなかった。更に、連絡手段が鳩郵便? どこの原始人だ、テラは思わず天を仰ぐ。
「そんなの知るかよ。本人に聞いてくれ……よっと!」
テラの言葉を半分以上聞き流すレイスは何やら鳩小屋の窓の横に備えられた箱に手をかけていた。箱には比較的厳重に鍵がかけられていたが、レイスは腰から剣を引き抜いて躊躇うこと無くそれを破壊する。
「おいっ」
「あっ!」
鍵を固定していた鎖がバラバラになり、落下して地面に散らばる。座り込んで休憩しているリオールのところまで破片が飛んでいったが、目の前に集中するレイスは続けて箱の蓋を乱暴に引っぺがした。薬草畑でトラップに恐れながら歩いてきたときとはまるで真逆なものの扱いに、テラもリオールも困惑を隠せない。
「おい、一体何をしている」
恐る恐る問えば、レイスは手元を見つめたまま無機質に答える。
「鳩じゃ、ダメだろ? 他の方法を使うんだよ。これだったらすぐこっちに来てくれる」
説明しながら剥がした蓋を放り投げ、抜き身の剣を鞘に戻した。
箱の中にあったのは拳サイズのガラス玉。そしてガラス玉を箱の中心にとどまるようにつけられた無数の糸。リオールはその仕掛けに見覚えがあるのか、さっと顔色を変えた。
「魔石!?」
「お、よく分かったな。これ、天然ものなんだぜ」
レイスはその魔石に手を伸ばし、無色透明なそれを鷲掴む。
途端に魔石は赤い光を灯した。チカチカと点滅する光は何やら危険な様子にしか見えない。
「起動してるよ!」
思わず、悲鳴のような声がリオールから上がる。
「起動させたからな」
しれっと言っ返すレイスは、何処か苦々しい表情でリオールに笑いかけた。その態度に危機感を覚えたリオールは、無意識の内にバリアの魔法を頭の中でシュミレートする。
「何が起こるんだ? ちゃんと説明しろ、レイス」
テラも何処か危機迫る表情でレイスに声を投げつける。
魔石が光を灯し出した辺りから、小屋の鳩達が騒がしくなった。何を言ってるのかまでは感じ取れないが、テラには彼等が何かに怯えているのが分かる。
「何って、そんなに危ないこと…って、あっ!!」
大丈夫だって、と言いかけたレイスはルナン邸の真ん前で座るテラを見て、何を思ったのか大声を上げた。
「耳を塞げ!」
直後、テラの目の前で眩い光と爆発音が炸裂した。
*****
爆発はルナン邸の"中"で起きたようだった。
激しい光が内部の爆音共に窓を突き抜けてくる。光は赤く、何処か禍々しい色を帯びていた。その光は現れた途端に文字のような形に変形し、ルナン邸の外壁に張り付いたように見えたが、恐らく見間違いではないだろう。
時折衝撃音の中に、ガラスの割れる甲高い音や、本が雪崩れを起こしたような鈍い音が混じっている。家財道具が倒れたのかもしれない。爆風と衝撃波が、内部から窓ガラスを押し、その力に耐えきれずガラスに亀裂が入った。
「いや、派手なもんだ」
爆音は初めの一回だけだったが、光はその後も二回ほど瞬いてパタリと消えた。結局被害はルナン邸内にとどまる、比較的小規模な爆発ではあったが、穏やかな雰囲気をまとっていたルナン邸の印象は、一気に冷え冷えとしたものへと変わった。
「て、テラさん!!」
突然の爆発に頭がついて行けず、ポカンと口を空けて固まっていたリオールだったが、ルナン邸の前にいたテラがその場に倒れたことで我を取り戻した。
「だから耳を塞げって言ったのに……」
リオールが倒れたテラに駆け寄るのを眺め、レイスは苦笑する。低い声で、耳が、と呻く声が聞こえる。超人的に耳の良い彼にこの爆音はこたえたに違いない。
「……それにしても」
レイスはルナン邸を改めて見つめた。外観はそう変化していないが、窓ガラスの亀裂や外壁の隙間から零れる煙のような埃。部屋の中を見るのが恐ろしくなってくる。爆発は、ある装置の発動の余波なのだが、とレイスは視線を鳩小屋に向けた。先ほどまで光を放っていた魔石が、力を失ったように沈黙している。魔石を起動させたのは紛れもなく自分なのだが、この荒れた現場を前に、レイスは逃げ出したくなっていた。
「お待たせしました!」
そんな騒然とした空気の中で、唐突にルナン邸のドアが開かれる。
留守だったはずの家から現れたのは三十に手が届くであろう年頃の男。
薄茶の髪に眼鏡、整えられた顎鬚を持つ彼は、レイスの主治医でアミーの育て親であり、且つ目の前の家の所有者であるルナンその人だった。
「急患ですか!?」
大量の埃の煙と共に飛び出して来たルナンは、ずり落ちた眼鏡を直すことも忘れ、埃まみれのローブ姿で辺りを見回す。直ぐに倒れているテラを見つけて、駆け寄った。
「体を仰向けにして下さい。お嬢さん、この方に意識はありますか?」
「えっ?」
「見た目には外傷は見られませんが……病気ですか。彼は何か持病を抱えていますか? この状態になったのはいつからです?」
「えっ、え、え?」
テラのそばに付き添うリオールに矢のごとく言葉を投げるルナン。何をどうして良いのか分からない彼女はオロオロと視界を彷徨わせ、後方のレイスへ助けをもとめた。
「おーい。ルナン、そいつは緊急召喚の爆音に耳を痛めたんだ。診てやるなら鼓膜を見てやってくれ」
やれやれ相変わらずだなと、レイスは肩を竦める。
「そうでしたか。緊急用の呼び出しはそれ相応の力を消費するので、どうしても周りへの影響がでてしまうのです……ん?」
ルナンは、相手の意識がある事を確認して一先ず安心したようで、ようやくこの場の空気の異質さに気づいて顔を上げた。
「レイス!?」
キュ~~ン
レイスの肩に乗っていたアミーが、ルナンに突撃した。久しぶりの再会に、大人しくしていることができなかったのだろう。レイスの目からも、彼女がはしゃいでいるのが分かる。
「アミーまで……!」
「久しぶり、団医殿」
状況把握に追いつかず、目を白黒させているルナンにレイスは笑いかけた。アミーを抱き上げ、信じられないと顔を歪める彼は、レイスを穴が空くほど見つめる。
「なぜ、ここに?」
「<イレブン>から逃げてきた」
「逃げて来た!?……どういうことだい?」
ルナンの声は酷くかすれている。レイスはルナンのここまで激しく狼狽するところを見たことが無かった。もちろん、己の行為がこれを引き起こすことは十二分理解していた。それでも、レイスは咄嗟に返せる言葉が見つからない。とにかく話の方向を変えなければと、レイスは口元に笑みを作った。
「実は頼みたいことがあって」
「任務は、失敗したの……か?」
ハッと何かを察したように、ルナンの目に冷たい光が灯る。レイスはその瞳にどうしてか、呼吸を乱された。作った表情がたちまち強張る。
「なんて言っていいのか……何から説明したら……」
おかしい。レイスは自分の舌が上手く回らないことに驚いた。いつもの明るい調子で、何とかごまかして笑い飛ばすつもりだったのに、言葉が嘘のように出てこない。
「そうなんだろう? レイス」
困惑が声から消えた。ルナンの真っ直ぐレイスを突く言葉は静かで、しかし逃げることを許さない鋭さがあった。彼はレイスを責めてるわけでは無い。しかし今のレイスには、"ただ事実を問われる"ことが異常に恐ろしく感じるのだった。
「いろんなことがあったんだ、ルナン」
ルナンは立ち上がり、ゆっくりとした足取りでレイスに近づく。
「俺、任務を放棄したんだ」
これまでの出来事をはっきりと自分の言葉にするのは初めてのことで、レイスは居心地が悪くなって俯いた。今までは勢いだけで考えもしなかったことだが、口にすることで嫌でも現実を目の当たりにさせられる。
「 放棄……? 君が?」
ルナンは嘘だろう、と語尾をあげる。しかしそれでも思い当たる節があるのか、彼は顎に手を当てて言葉を紡いだ。
「……これはまだ、噂程度の信憑性のない話なんだけど、<イレブン>の動きが何やら騒がしいそうだ。何かを血眼になって探しているらしい。もしかしてそれは、君のことか?」
今更思い知らされるが、<リジスト>の団医なのだルナンは。レイスはだんだん自分の判断に自信が無くなり始めていた。助けを求めるべきではなかったのかもしれない。
「どうなんだ、レイス」
レイスには狙いがあった。ルナンは心配性で、患者に優しく、命を何より大事とする医師の鏡のような男だ。彼なら<リジスト>の一員としてではなく、一人の友人として話をしてくれると思っていた。
「……そうだ」
レイスは俯いたまま、頷く。顔が上げられなかった。ルナンは手が触れられる距離で止まる。
*****
「……リオール」
テラはうつ伏せの体勢で、己の右側にいるであろうリオールを、手で探した。
「おいっ!」
「!」
ルナンとレイスが言い合う姿を、どうして良いのか分からず見守ることしかできずにいたリオール。テラに左腕を掴まれて、思わず飛び上がりそうになった。
「耳が馬鹿になって、彼奴らの声が分からない。今、あの馬鹿はどうなってる? ……こっちを見るなよ。そのままの姿勢で説明しろ」
耳の痛みを堪えているのか、かすかに覗くテラの顔は苦々しい。リオールは慌てて視線を元の位置に逃し、息を一瞬止めた。
それだけ、腕を掴むテラの手には力が入っている。声が、緊張していた。
「レイスは俯いています。相手の男の人との話が、うまく行っていないみたい……」
「そうか。さっきは流したが、リジストの団医とか言っていたな、あの馬鹿の主治医は」
まったく、どうしようもないな。と呟いたテラはリオールの腕を引き寄せる。<リジスト>はレイスの正式な雇い主だと、テラは頭の片隅の情報を引っ張り出した。
「あいつめ、敵かもしれん相手に助けを求めたようだ」
そのまま二人の様子を説明していろ。テラはリオールにそう言って目を伏せた。
レイスは<リジスト>の任務を無断で放棄した上に、<イレブン>に追われる立場である。当然、彼等は間諜を送りつけた<リジスト>を目の敵にするだろう。
<リジスト>にとってレイスは、暴走して計画を破壊しただけでは飽き足らず、要らぬ火種を持ち込んだ厄介者だと思うはずだ。結果としてレイスが<リジスト>の人間と話をすることが良い方向へ進むとは思えない。
だが――
レイスにはその負債を一度でひっくり返せる、切り札とも弱点にもなるカードを持っている。
「リオール・アバランティア」
「えっ?」
「いいか、いつでも俺の後ろに逃げ込めるように覚悟しておけ。場合によってはあの男を斬る」
リオールの体が緊張するのが、腕を通して伝わる。テラは静かに目を開いた。
「まだ、大丈夫だとは思うがな……」
空いている手で槍の入るソフトケースの口を開く。テラはこの刃が表に出されることがないようにと願った。
レイスが<リジスト>との関係を良好にしたいのであれば、まずリオールの利用価値と重要性を話したあと彼女を差し出せばことは足りる。それは逃走時に善も言っていたことだ。
しかし、レイスはその手段を絶対にとらない。それは予測ではなく事実だろう。
さて、どうなることやら。テラの推察が終わりに差し掛かった頃、二人を見つめるリオールが口火を切った。
「レイスが、殴られた!」
その一言で、テラは槍を引き抜き、飛び起きた。
*****
「痛てっ!」
左頬に焼けるような痛みが走って、レイスは一歩下がる。
「これは医師として、御両親から君を任された私の、義務だと思ってくれていい」
低く抑えた声。レイスはそれがルナンの声だと気づくのに少し時間が掛かった。同時に己が殴られたことも。
「詳しいことは、後で聞く。だがね、この流れで私が言えるのは君の馬鹿さ加減についてだけだ!」
今度は頭。真上からビタンと、手のひらを叩きつけられた。レイスは呆気に取られ、目線をルナンへと向ける。
逆にルナンが俯いていた。
「君は自分の出来る範囲をわきまえて行動しない! そんなボロボロの体で気張って結局転んでいるじゃないか! できないなら、最初から潜入任務などしなければ良かったんだ!!」
ルナンは嵐を体に纏っているようだった。それだけ、彼が怒っているのが分かる。
「私は言ったはずだ、結晶化病はそう治る病ではないと。薬も、気をつけて調合してはいるけど、どんな副作用が出るか分からない。無茶したいのは君の性格だからと諦めていたけど、私は医師だ。君の主治医だ。患者が好き勝手するのは腹が立つ!」
考えていたものと方向性は違うが、ルナンはレイスを糾弾した。そこには医師のプライドを滲ませた、真剣な眼差しがあった。レイスは激しい言葉に恐縮する中、どこか安心し始めている自分を感じる。
「まったく、どいつもこいつも勝手なことばっかりして」
しかしその言葉もだんだんと勢いをなくしていき、ルナンは怒りからその表情を悲しいものへと変えていく。レイスは再び居た堪れない気持ちになって俯いた。
「まぁ、でも……」
だがそんなレイスの頭を、叩きつけられたままだった手が、わしわしと髪を撫でる。
「よく、生きて帰ってきた」
レイスが慌てて顔を上げると、泣き笑いのような顔をしたルナンの目とぶつかった。
「おかえり、レイス」
キュ~~ン
ルナンの左腕に絡みつくアミーが甲高く鳴いた。レイスは安堵でへたり込みそうになるのを我慢しながら、今度こそ笑みを浮かべる。いつかも、こんな会話をしたことがあったな、と呟いて。
「ったく、俺は嫁入り前の娘じゃねーぞ」
「……」
「斬らなくてよさそうですね、テラさん」
「ふん、まだ分からんさ……」
刃が土に突き刺さる音が、薬草畑に溶け込まれた。




