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Avalantear アバランティア  作者: 海豹
第二幕 ―承―
53/68

少女の出逢い

 その日の風は清々しく、冷んやりとした空気の漂う朝だった。

 樹齢数千年をこえた木が幾百もそびえる深い森を少女が一人、傍らに立派な黒い雄狼を従え歩いている。年の頃は十から十二ほとだろうか。後ろで編まれる髪は、蜜柑を思わせる赤みがかったブロンド。パッチリとした緑色の猫目を持つその容姿は、森に住む愛らしい妖精のようだ。

 そして華奢な少女と対象的な雄々しい狼は、人慣れしているのか彼女を襲うことはなく、むしろ外敵から守るように一定の距離を保ちながら張り付いていた。彼が少女の頼れる保護者なのかもしれない。傍からみると不思議な組み合わせである。

 しばらく歩いていると、少女はとある低い木の前で立ち止まった。それには赤々とした果実がみのっていた。林檎に似たその果実を彼女は一つもぎ取り、黒い相棒の鼻元に差し出す。彼は拳ほどの大きさのそれを油断なく観察して問題無いとかぶりついた。少女はその様子を見てから背負った小さな袋の中に果実を詰め込みはじめる。貴重な食糧だ。彼女はなるべく若い実をもがぬように気を使いながら、小さな袋を果実でいっぱいにする。

 彼女が意気揚々と積み込んでいると、地面に下ろした果実に食らいついていた相棒が唐突に顔を上げた。彼は耳をピンと立てて辺りをしきりに気にし始める。


「クラン」


 少女は狼の名を呼んだ。落ち着かない彼をなだめるつもりで口にしたのだが、全く効果をなさない。彼はやがては吠え始めた。静かな森にそれは異様なほど響く。

 袋を背負い直して吠え立てる狼のそばに寄ろうとしたときだった。少女の耳に何かが動く物音が入る。

 慌てて腰にさしたダガーの柄を掴むが辺りに危険なものは見当たらない。しかし聞こえる音は近い。狼は更に激しく吠えた。


「誰かいるの?」


 音は少女の前方にそびえた大樹の裏側から聞こえる。力ないが途切れることのないその音は大きな生物がもがいているようにも感じられた。少女は恐る恐る大樹に向けて足を踏み出す。

 危険だと狼の吠える声が少女に届く。しかし彼女は恐れはしたが、立ちどまらなかった。

 近づくにつれて、音の中に人の呻き声が混じっていることに気づく。それはとても苦しげで、怪我をした旅人かもしれない。少女の気持ちは恐れから救出による使命感に変わった。

 背負った袋を再び手元に下ろした彼女は直ぐにも手当のできる道具を探りながら声の主の元へ向かう。


「!」


 しかし、ぐるりと大樹の裏手に回った少女は思わず大声をあげてしまいそうになった。

 大樹の根元に力無く座り込んでいたのは大人の男性。しかし彼の姿は少女の目にはかなり奇怪なものに見えた。

 男は黒い甲冑に身を包み、その背中からは白い翼が生えている。


 天使だ。天使がいる。


 少女は今よりも幼い頃に読んだ絵本の中に翼のある者の絵を見たことがあると思い出した。本物を見るのは初めてであり、彼女は素直に小さな感動を覚える。

 しかし天使は大怪我をしていた。甲冑はいたるところが凹み、翼は穴だらけで所々から出血している。更に白い翼は片翼しかない。この怪我を負う際にもがれてしまったのだろうか。少女はあまりの痛々しさに足が竦んでしまった。

 クランが先ほどから吠えているのはこの天使の流す血の臭いに反応しているからだ。


「だ……誰? だれ…だ… っ!」

「きゃっ!」


 天使は己を見つめる少女の視線を感じて、身を捩る。そして彼の足元に転がっている大剣を手にしようと立ち上がろうとして――倒れた。倒れても必死に剣を掴もうと腕を伸ばしている。彼には現れる者全てが危険を及ぼすものとしか感じられないのかもしれない。

 倒れた体を戻そうと翼をはためかせる天使。しかしボロボロの翼は言うことを聞かない。ただ羽を散らすだけで、無理に動くため出血は更に酷くなっていく。


「だめっ」


 見ていられない。少女は気づいた時には天使の体を抱きとめていた。


「私は何もしない。大丈夫!」


 お願いだから動かないで!

 まずは彼に自分が危害を加えるものではないと伝えなければ。少女は小さな腕でボロボロの天使の体にしがみつく形で叫んだ。

 天使は黙り混んだ。小さな女の子に抵抗する余力も彼には最初から残っていなかったからだ。

 それでも思考の片隅で少女が敵ではないことを理解できたようで、彼は力つきたように翼をパタリと下ろす。


「こんなところで倒れてたら、死んじゃうよ」

「……死……?」


 少女はいつの間にか警戒を解いて側に寄って来たクランの力を借りて、なんとか天使の体を木の幹にもたれかけさせる。


「死….…ぬか」


 まじまじと見つめ、彼の怪我の具合を調べる。出血が酷いのは翼。血の通わない風切り羽はもちろん、血の通う雨覆と計三箇所に穴が空いていて、白い翼を紅く染めていた。体は甲冑に覆われているので致命傷と思しい怪我は見受けられないが、甲冑に残る凹を見る限りその下は大変なことになっているかもしれない。


「応急処置だけでも……」

「わた……し……は、し……死ねな……死ぬ……わけには…」

「分かってる」


 少女は曖昧な天使の言葉に堪えず頷きながら袋の中を掻き分け、親指程の赤いガラスの塊のようなものを取り出した。そしてそれを一番怪我の酷い翼に押し付ける。


「…………?」


 天使は何をされているのかイマイチ分からず、ただ彼女の手元をジッと見つめている。その視線が堪えられないのか、少女はぎこちなく笑った。


「"人工魔石"ね、初めて使うから……あんまり期待しないでね」


 失敗したらごめんなさい。と少女が口にして翼に押し付けた塊を両手で包み込んだ。

 刹那、暖かい光が手元から零れ二人を飲み込んだ。


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