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Avalantear アバランティア  作者: 海豹
第二幕 ―承―
52/68

始動 3

「会議は終わったんだろうか……」


 グレイスの呟きが酷く不安げに響いてきて、近くで水分補給をしていたシエルは俯いた。


「どうでしょうかねぇ……」


 十二階エレベーターホール、ここは月の間の前に設けられたベンチスペース。事件の後始末を一通り済ませてきたシエルは、その一角に居場所を決めると座り込んだ。アベルが幹部達に今回の出来事の報告へ出向いたと聞いてやってきたのだが、待ち続けてかれこれ一時間になる。


「なかなか終わらないですねぇ。会議はいつから始まったんですかぁ?」

「今から二時間前だ」


 彼女が来た時には既にグレイスは一人壁を背に立っていた。彼は現場の混乱を抑えた後、いち早く離脱してアベルに付き添ったと聞いている。ということは、つまり彼は丸二時間ただひたすら月の間の扉を睨みつけていたのだろうか。シエルは給水器から汲んできた水を一気飲みしながらグレイスを盗み見た。

 表情には出ていないものの、今の彼は非常に冷静さに欠いている。ひたすら扉を見つめる瞳はいつになく苦悩の色が濃い。

 理由は考えずとも分かった。今後の自分達の処遇や処罰のことだ。それは彼だけでなく特殊部隊全員が考えていることなのだから。


「アベル統括!」


 グレイスの顔に焦燥と期待が入り混じる。彼を観察していたシエルは、視線を月の間の扉へ向けた。

 会議が終わったようだ。今までの静寂が一変、大きく両開きの扉が開かれると賑やかな喧騒にのまれる。アベルは比較的後の方に出てきたが、グレイスは周りの者をかき分けて一目散に彼に走り寄った。シエルは出だしが遅れたせいで退出する人々の波に遮られ、二人の姿を見失う。


「やあ、グレイス。わざわざ待っていてくれたのかい」


 アベルは驚いた様子でグレイスを見る。グレイスは現場から帰還してからずっとアベルの補助を務めていたので、会議が始まる前に休息取るように指示したはずだったのだ。


「 統括……あの……」


 そんなアベルの親切心など鼻から理解する気のないグレイスは、疲れた体にムチを打ってなんとか彼の前まで辿り着く。途中何度かわざとぶつかってきた輩がいたような気がしたが、それすらグレイスにはどうでもよくなっていた。

 聞きたいことが山ほどある。しかしどれから聞いたら良いのか分からない。グレイスはアベルを目の前になかなか言葉が出てこなかった。


「とりあえず首は繋がったよ。任務は続行、主権も我々にある」


 グレイスの考えなどお見通しなのかアベルは疲れた顔に笑みを浮かべ、それを答えとする。


「それでは……お咎めなしと?」

「いや、それは」


 グレイスは周りの目を気にしながら声を抑えて尋ねると、アベルは困ったように眉間にシワを寄せる。先程から二人の横をすり抜けて退出する者たちのほとんどが、アベルに向けて嫌悪の視線が当てているのが分かった。気のせいではない。


「そういうことを今ここで話すのはオススメしないな」


 そこへ溜息混じりの声が挟まれる。背後からだ。振り返るとシエルの腕を掴んでいるレキアスという妙な組み合わせの二人が目に入る。


「お届けものだ。受け取れ」


 訳がわからず首を捻るグレイスに、レキアスは無理やりシエルを彼に引き渡してきた。


「彼女、他の部隊の連中にからまれかけていたぞ。気をつけたまえ。彼女の保護者でもあるんだろう君は」


 シエルはレキアスの説明に苦笑いを浮かべてグレイスに舌を出して見せる。


「からまれたって……シエル!」


 特殊部隊が無事ならば、何らかの不満を周りが抱くことは予想できたことだ。しかし薄い笑みを浮かべるシエルの表情に、狼狽の色を見つけたグレイスは思わずいきり立ってしまう。


「大丈夫よぉ、絡まれたっていっても悪口言われただけだしぃ。情報部隊のリーダーさんに助けてもらったから」

「よくない!」


 必死に誤魔化そうとする態度が気に食わず、グレイスは柄にもなく怒鳴り口調になってしまった。途端にエレベーターホールが静まり返る。嫌な沈黙だ。グレイスは苛立つ気持ちを抑えようと拳を作り、ありったけの力をそこに向ける。


「グレイス、待っていてくれてありがとう。疲れているところ悪いが、我々の処遇についてのことを先に皆に伝えてもらえるかな。流石に現場からも何人か戻ってきている頃だろう」


 アベルはその静けさを穏やかな言葉で破ると、グレイスの肩に手を置いた。


「頼まれてくれるね?」

「はい」


 だが、目が笑っていない。グレイスは真剣なアベルの申し出に素直に従うと走り出した。


「珍しいな。グレイスが怒鳴るなんて」

「それだけ今が非常時ってことですよぉ」


 グレイスの姿が見えなくなるとアベルはシエルの隣りに歩み寄る。シエルはどこか困ったように肩を竦めると、視線を己の後ろに向けた。視線を追うと口元に笑みを浮かべたレキアスと目が合い、アベルはそういえばと彼に小さく会釈した。


「先ほどの会議といい、君には助けてもらってばかりだ」

「いえいえ、頭を下げてもらえるようなことは何もしていませんよ、統括。僕は僕のやりたいようにやっただけですから」


 レキアスはいつも通り上品に一礼して、アベルの礼の言葉に首を振った。


「私は君を誤解していたらしい。君が私達に協力的なことを正直信じられなかった」


 謙遜しないでくれ。アベルはその気持ちを全面に出した。彼は一連の事件を通して、レキアスを信頼できる者だと思うことにしようと決めたのだ。


「お言葉ですが統括。信じられなかったのなら、そのまま信じないほうがいいですよ。特に僕については」


 だがアベルの言葉にレキアスは笑った。心底楽しそうに。彼としてはシエルを助けたことも、会議中特殊部隊を庇いでたことも善意で行ったわけではないのだ。なぜなら、


「面白そうだからですよ」

「は?」

「貴方達につくことがですよ。周りの連中に混じって野次を飛ばすことの何倍も愉快なんです。……意味が分からないですよね? それでいいんです。分かるはずありませんから」


 レキアスは楽しくて仕方ないと、満面の笑みを浮かべてもう一度頭を下げる。いつ見ても恭しく、優雅な礼だ。


「だからアベル統括、貴方が僕に礼をいうことはないのです。僕は本当に"やりたいようにやっただけ"なのですから」


 呆気に取られるアベルにウインクを飛ばし、レキアスは背を向けた。


「貴方のお人好しすぎるところ、僕は嫌いではありませんが、食いものにされぬようにお気をつけください」


 最後に彼はそうアベルに告げると、だいぶ人もまばらになってきたエレベーターホールを後にした。


「悪く言い寄ってきた連中から私を助けてくれたとき、あの人はもの凄く嬉しそうでしたぁ。まるで子供が新しいオモチャを手に入れたときみたいな、そんな笑顔……」


 シエルはレキアスが消えた方向を見つめてポツリと零す。


「あの人はきっと危険な人」

「そうかもしれないな。けれど、彼が我々にとって敵だとは私には思えないよ。たとえそう思わされているのだとしても」


 アベルは歩み出した。


「さあ、私達もオフィスに戻ろう。皆を待たせていると悪いからね」


 シエルはその言葉に頷き、アベルの後を追った。




 *****




 オフィスに戻ると、予想通りメンバーが全員揃っていた。


「お! 統括お帰り~」

「た、ターナー先輩っ。言葉! 言葉!」


なぜか仲良く並んで椅子に座り、コーヒーをすすっているターナーとケイス。そしてその二人を見張っているようにお代わりを注いでいる、イヨール。シャワーを浴びたのか髪の上にタオルを乗せている善。そんな彼の前の席で頭を抱えているグレイス。アベルの予想通り、全員そろって彼を迎えた。


「あの、アベル統括。先ほどは失礼しました」

「気にすることはないさ。君にも取り乱すことがあるのだとかえって私は安心したくらいだよ」


 頭を抱えていたグレイスはエレベーターホールでのことを冷静に考えていたらしく、アベルの姿を見つけるとすぐさま謝まりに近づいてきた。


「それで、さっきの質問のことなんですが」

「会議で決定した我々の処遇のことだね」


先ほどは周りの目を気にして言葉にできなかった。アベルは今度は笑みを浮かべて誤魔化すことはせずに、真っ直ぐグレイスを見据える。


「グレイス、その前に席につけ。統括はこちらへ座って頂きたい。長くなるのなら立ったままでは忍びないですから」


 そのまま口を開こうとしたアベルを遮って善が席を立った。彼は他のメンバーも正しく席につかせると、アベルへ己の席を譲る。そして自身は空席のデスクへ落ち着いた。自然と賑やかだった部屋の空気が変わる。


「話を続けてください、統括」

「ありがとう」


 アベルは前を向いた。六人の様々な色の瞳が彼を見つめている。何から話せば良いのか、彼は考え込むように瞼を落とした。


「特殊部隊にアバランティア優先制御体の捜索の命がおりた」


 考えた末、月の間で告げられた事柄を短いその一言に何とか纏める。彼自身驚くほど発した声が硬くなっていた。もっと穏やかに話しをするつもりだったのにと瞼を起こすと、安堵や驚き、落胆、畏怖と、実に様々な感情を含ませた部下達の顔が見えた。


「我々は任務遂行において役立てられると判断されたんですね」


 疑念が隠せないというケイスは、冷静さを必死に繕うとしている。しかし再びレイス達を追うことに抵抗があるのだろう、手にしているカップに残されたコーヒーが波を立てていた。


「てっきり、お前なんぞ役立たずだ! バサリッ、 ぎゃー! って左遷とかされるもんかと思ってたんだけどな」


 一方、大袈裟に胸を掻き毟る仕草をして戯けてみせるのはターナー。彼は笑いながら椅子の上で大きく伸びをする。


「なんか胡散臭い感じがするなぁ……」


 一連の動作をする間にもターナーの瞳には冷たい光が帯びていた。彼はアベルが口にしなくてもこの決定には裏があることを感じている。もちろんそれは彼に限らず皆分かっているに違いない。

 アベルは言葉を続けた。


「これからのことだけど、Lー10並びにTー306、リオール・アバランティアの捜索には補助には今回と同様にサポートに情報部隊が着いてくれる。もちろん戦闘部隊からも何人か人が回るそうだ。更に捜索において移動しながら、<イレブン>支部へ協力を仰ぐこともあると聞いている」


 この件について一番納得がいかないと思っているのは、今こうして話をしているアベル自身である。だがそれを統括という立場上、口にするわけにはいかなかった。状況だけ見れば特殊部隊は幹部の慈悲によって首をつないでいるのだ。今の自分達の存在危うさを彼は誰よりも理解している。


「いうまでもないが遠征型のミッションになるだろう。大掛かりな捜索も検討しているが、他組織にこのこと知られるわけにはいかない。レベルSS級の任務だ、皆気合いを入れて当たってもらいたい」


 乾いた音が手元から発生し、アベルはようやく自分がデスクへと前のめりに倒れかけていたことに気づいた。そうして彼は己の体に休息が必要なのだということを理解する。


「統括……」

「大丈夫」


 一番アベルの席に近かったシエルが立ち上がっていた。心配そうに手を差し伸べようとする彼女を笑顔で制して、アベルは再び真っ直ぐメンバーを見る。


「今の時点において質問はあるかい?」


 休息が必要なのは、私だけじゃない。アベルは己を鼓舞した。


「統括。我々特殊部隊に対する処遇は本当にこれが全てなのですか?」


 アベルの具合を気にしてなかなか声を上げない中から、代表するように善が挙手した。アベルはその問いに対して、安心していいと言わんばかりに頷いて、


「そうだね。今回はお咎め無しも同然の判断をいただいた。戸惑うのは分かるが」

「では、“私達”には特別罰は無いということですね?」


 更に続けられた善の鋭い言葉に言葉を失った。


「それはどういった意味です?」

「言葉通りだ、イヨール。私はアベル統括自身には何も処罰が無かったのかと聞いている」


 唐突の言葉に理解が及ばないイヨール。

善の言葉は説明としては不足しているので、彼の向かいに座るグレイスが補足に乗り出す。


「どう考えても今回の任務失敗に対する特殊部隊の穏やかな処遇は異例中の異例だ。幹部の温情と捉えるのはいいが、流石に<イレブン>ほど大きな組織になってしまってはそんな綺麗事では事の収集がつかないだろう。だから俺達特殊部隊が責務の対象にならなかったのなら、この場合ーー」

「全体の指揮権を移行されていた司令官である私が責任を取る事を求められる」


 隠すつもりはなかったんだ、とため息混じりでアベルはグレイスから言葉を奪った。


「特殊部隊に対してあんなに譲歩してくれたから、せっかくなら全てを水に流してもらえれば良かったんだけどね……」


 疲れを顔に滲ませるアベルは笑みに全ての感情を押し込む。


「私はしばらく席を外す事になる。ツヴァイン殿の下に着く事を命じられたんだ」

「それは左遷では……」

「役職は特殊部隊の統括の地位のままだからそれは違うだろう。強いていうのなら謹慎処分といったところだな。どちらにしても事の大きさからして甘すぎる罰には変わりないのだけれどね」


 果たしてそうだろうか。善はアベルの強がりに素直に納得できない。確かに客観的に見れば、組織内の兵力を総動員させてながら失敗を犯した者に対しての罰にしては軽い。しかしいくら軽いといっても今の特殊部隊から統括という人物の力を失うのはあまりにも痛手だった。


「あと、何をさせられるのか分からないがもう一人連れて来てくれと言われている」


更に一人差し出せというのか。

グレイスが呻いた言葉がアベルの耳に届く。特殊部隊とは少数精鋭で動く<イレブン>内でもイレギュラーな部隊だ。しかしそれで何事もなく成り立っていたのは強者が揃っていた五年前。新人ばかりを抱え、ようやく使えるようになって来たとは言えどメンバーは僅か六人。そこから更に減らされるのはいささか厳しい。


「そう渋い顔をしないでくれ。大変なことは十分承知している」


 眉間に深々とシワを寄せて苦い顔をしているグレイスを見てアベルは笑みを浮かべることしかできなかった。


「だけど、我々には指令をえり好みできる立場ではないんだ。やるしかない」


 アベルは声に力を込める。今回の指令が特殊部隊に不都合な条件だということは誰の目にも明らかだ。だが同時一度失態を犯した身の上、もうこれが最後のチャンスでもある。ここを逃すことになれば全員の首が飛ぶ。後がないのだ。


「私達に異義を唱える権利がないのなら、汚れた任であろう何であろうと全力で突き進むしかない。そうだろう?」


 アベルは善の顔をチラリと見る。相変わらず表情に感情を見せない彼だが、アベルの言葉に少し驚いたように見受けられた。


「ええ、そうですね。我々にはそれしか許されないしょう」


 しかし次の瞬間には、微かに覗いていた驚きの感情すら善の表情から消えており、彼はアベルの言葉に賛同すると真面目に頷いていた。


「やるしかない。分かるな、グレイス? 私達は五年前に特殊部隊壊滅の恐ろしさを理解しているはずだ。お前はその時の無力感を部下にも味合わせるつもりか」

「……む。文句を言うな、この意気地なしが、と言いたいんだな。全くお前の腹を括る決断の早さには毎度頭がさがる」


 今だに納得がいかないと渋い顔をするグレイスは善の偉く遠回しな叱責に眉を力なく下げる。他に方法がないのは彼自身よく理解していた。


「いいかい、私達はこの任務をやり遂げる。誰一人として脱落は許されない。これは私からの願いであり、同時に命令だ。各自、各々の責務にあたってくれ、以上だ」


 その場にいる人間の異議が上がらないことを確認したアベルは、一人一人の顔を確認しながら強く言葉を放った。

この時が 、<イレブン>特務総合部隊が正式にアバランティア制御体捜索任、通称"(エース)の約束"と呼ばれる任務の指揮権を得た瞬間だった。



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