始動
「申し上げます」
アベルは月の間の中心で片膝を付き、俯いたまま口を開いた。彼の周りは近づくことを避けるように空いており、白々しく二歩後ろで、他部隊の長が窮屈そうに固まっている。前方では二人が欠けたせいで、どう呼べば良いか分からぬ、実際九人しかいない“十一人幹部”が不気味なほど静かにアベルの言葉を待ち構えている。
「先の作戦実行におきまして、アバランティア制御優先体の奪還は失敗。L―10並びにT―306は詳細不明の大鷲を足に逃亡。それと同時にハザードが乱入、兵士十八名が負傷。他、L―10等によって傷を負った兵は軽傷含めると、七十人に上ります。彼等は研究室へ搬送され、治療中です」
アベルは声を張る。そうでもしなければ、自分という存在が押し潰されてしまうような気がしたからだ。後方から自分に向けられた視線は、考えずとも非難と中傷に分かつ類のものだ。変わって、前方からの視線は威圧的で且冷ややかである。そんなものに板挟みされたからか、アベルは知らず知らず額に汗を浮かべていた。
「現在の対処といたしましては、セリカ街にレベルSSの情報規制を敷き、現状が他に露呈することは免れています。ですが、足を止められた商人達が騒ぎ始めており、アバランティアについての情報は隠し通すことはできても、この騒動の有無が広まるのは時間の問題かと……」
これは懺悔ではない。ただの報告だ。アベルは何度も何度も心の中で復唱する。しかし体は心の葛藤をやすやすと裏切って、うっすら浮かぶだけだった汗は、瞬く間に彼の顎に滴り落ちてきた。
任務の報告だ。断じて、我々は、私は、誤ったことをした訳ではない――そう必死に己に言い聞かせるアベルは、既に重い空気に押し潰されているようだった。
アバランティア制御優先体が姿を消し、二十八時間が経過しようとしている。武装を纏う兵士が忙しなく走り回っていたセリカ街も、一部の兵士を除いて武装解除し、かなり安定してきている。ハザードも黒い騎士の負傷と共に退去し、<イレブン>の組織としての混乱は早々と落ち着きを見せていた。
「――以上。口答におきまして報告を終了します。詳細はそちら手元にある書類に印された通りです」
混乱が収まれば、次いで来るのは現状把握。
作戦を失敗に終わらせた特務総合部隊は、その首に刃を向けられている。現状把握とは則ち、作戦失敗への断罪なのだ。<イレブン>の兵や武力そのもの全てを投資したあげく、取り逃がしたとあらばその罪の大きさは問うまでもない。
アベルはたった一人で、その判決を聞き及ぼうとしている。後方の者達は、嘲け笑い、一度堕ちた部隊が今度こそ消えることを望んでいる。耳を澄まさずとも先程から口々に悪口を叩かれているのは聞こえていた。
「アベル・ロムハーツ統括司令よ。君は今回の騒動で何をした?」
五月蝿い中傷からアベルの意識を離したのは、ノワールの右隣に席を持つ幹部――ツヴァイン。
「私は――」
来た。アベルは絞首台にでも上る気持ちで、下に向けていた顔を上げる。
「恐れ多くも託された兵力、兵士にして二千、他物資等の施行、配備。情報部隊との連携による情報操作。そして、現場には下りはしませんでしたが、全体指揮にあたりました。それがどういった結果になったかは……言うまでもありません。私は幹部の総意を、貴方の期待を裏切りました。それだけです」
アベルは静かに、独白するように、返答する。ツヴァインを見上げると、月光の如く降り注がれる証明が眩しい。アベルは目を細め、左目に走る長い傷の形を歪めた。
「装うなかれ、か。その謙虚さ、私は嫌いではないがな、アベルよ」
眩しい為、見間違えているのだろうか。ルナンは首を傾げる。彼には仮面で表情が見えないはずのツヴァインが微笑んでいるように見えたのだ。
「本来ならば、同じ質問を善にもしたかったのだがね」
「善は」
アベルはツヴァインの言葉を受けて、唇を噛んだ。彼は無意識の内に左斜め後ろへ目を向ける。本来そこにいるはずの部下はいない。
最後にレイスに接触し、対処にあたった責任者は善だ。グレイスから受けた簡単な報告から考えても、レイス達の逃亡は到底実話とは信じ難い方法を使っている。ハザードの乱入騒ぎも重なり、この場で一番説明を求められているのは彼だ。
アベルは頭が痛かった。何故自分は一人なのだろう。彼は眉間にシワを寄せて苦笑いするしかなかった。
「なに、分かっている。彼は今、アルフスレッドの所にいるのだろう」
しかし、善に対する扱いは妙に寛大だった。ツヴァインは肩を竦めて見せるだけでその後も何も善について述べることは無かった。
「しかし、異様なほど出来過ぎた逃走劇だ。そうは思わないか、ゼークス?」
ツヴァインはアベルにのみ放っていた言葉を、左端の座にいる幹部へ投げる。ゼークスと呼ばれた比較的小柄な人物は、ひじ掛けに腕を置き、頬杖をついて感慨深げに頷いた。
「出来過ぎているといえど、所詮いきあたりばったりの三文芝居のようだが。しかし現実に現れると些か神の采配のように思える」
回りくどい。アベルはゼークスの毒々しい台詞に苦笑を噛み殺した。ようするに、彼は今回の事件を稀有なことと捕らえていると言いたいのだろう。
ここにきて、希望の光が見えたようにアベルは感じた。これだけ今回の事件を難儀なことだと意識しているなら、彼らは特殊部隊の失態をそう深刻には受け止めていないのかもしれない。お咎め無しとまでは行かなくても、首の皮一枚は残るのではないか。アベルは期待した。
「私は特殊部隊に落ち度が無かったとは言わせんよ」
銃声が響く。アベルは自分のすぐ横に煙が立ち上るのを見て、息を止めた。
「確かに昨夜の騒動は我々も、把握が追いつかん。だが、あそこまで兵力を費やしながら何の成果を上げられぬとは、こちらとしても処罰を与えるほかないだろう」
声をはったのは、見分けの付かない幹部達の中で、例外にも強烈な印象を放っている人物であった。相変わらず物騒な銃を握りしめ、威圧的な態度を取っている。
「覚悟は……してきたつもりです」
アベルは楽観的になりかけた自分を恥じた。今ここで責任を逃れたとして、どうだというのか。痛い思いをしないからといっても、自分の失態の後始末もできぬ役立たずだと、更に特殊部隊の株が下がるだけだ。
「それについては、僕も同罪でしょう」
しかし、ここで意外な人が手を挙げる。声が飛んできたのはアベルの後ろ。慌てて振り返れば、斜め後ろ――つまり本来善がいなければならない位置に、情報部隊リーダーのレキアスが片膝をついて頭を深く下げていた。いつの間に近づいていたのか。アベルは振り返った体勢のまま固まった。
「情報部隊も特殊部隊のサポートにあたっていたのです。彼等を切るのなら情報部隊も同じ処罰を」
「ふむ。私はここで讒言大会をしたいわけではないのだがね。おい、ツヴァイン!」
銃を手にした幹部はレキアスの発言にやれやれと首を振り、やがて面倒だといわんばかりにツヴァインに声と銃声を投げかける。
「そんなに大声を上げずとも聞こえていますよ。銃口をおろしなさいアインス。一体何ですか?」
「こいつらの処分、お前ならどうする?」
さすがにツヴァインも呆れ顔。結局意見はこちらに丸投げなのか。そんな思いが彼の言葉の端々に見えた。
「それは私一人に聞いていると思っても良いのですか?」
「ああ。元はといえば本来なら指揮官であるお前がいなかったのが悪いのかもしれん。言うだけ言ってみろ」
銃を手にする幹部、アインスはそんな皮肉など耳に入っていないようにツヴァインに鋭く問う。
「痛いところを突いてきますね……いいでしょう。どうしても罰を与えるのであれば私なら、謹慎処分ですね」
ツヴァインの口にした処罰は冗談のような内容だった。無論アベルの後ろであざ笑っている者達がざわめく。
「だそうだ。良かったな、それくらいだとさ。アベル」
アインスはさもツヴァインの答えが分かっていたかのように笑い、再び視線を前に戻したアベルの顔を見つめた。
「はぁ」
謹慎処分。それは何かの間違いじゃないか。アベルは後方の人物達ほど動揺せず、むしろ冷静に幹部の言葉に反応した。そして彼は今の言葉への訂正や反論がくるのを待つ。
「お言葉ですが、ツヴァイン様」
「何だ。――警備部隊、発言か?」
早速、アベルの後ろから声が上がった。アベルは振り返らずに耳を澄ませる。焦燥と侮蔑、さらに劣等感の混じり合った声色。どうあっても特殊部隊を潰しておきたい、そんな感情が痛いほど感じられ、彼は小さく肩を落とした。
「はい。あれだけの兵力投資をしておきながら、特殊部隊はアバランティア制御優先体の奪還を失敗したのですよ。そのように甘い処罰では、負傷した部下達に示しがつきません」
「ほぉ、私の下した処分は甘いと?」
「……恐れながら」
「ふむ」
ツヴァインは顔を半分以上覆う仮面を右手でずらした。青い鋭い目が微かに覗き、それは発言者をよく見つめる。そして一言、
「思い上がるなよ」
とこれまでの丁寧な言葉から一変した、思いがけない発言をした。
「えっ……」
「お前達は自分の立場を理解していないようだな」
ツヴァインの声が一段低くなったようだ。勢いよく発言した警備部隊統括は、怒りをはらんだそれに狼狽して口をぱくぱくさせている。
「特殊部隊が奪還任務を失敗させた? では君達警備部隊が怠っていた整備のせいで起きた、監視カメラの故障や無線回線の障害騒ぎは失敗の一因にはならないのか?」
ツヴァインの目は冷え冷えと、警備部隊統括を見据えていた。ヘラヘラと笑みすら浮かべていた統括の表情はたちまち凍りつく。
「もしそれらが支障なく作動していれば、特殊部隊とてもっと確実に指揮できたはず。足を引っ張ったのはお前達だ。……身の程を知れ」
大馬鹿者め、と言葉を吐き捨てたツヴァインはその勢いのまま、警備部隊の近くにいた公安部隊に目をつけた。
「それに公安部隊! お前達は非戦闘員を避難させるのにどれ程の時間をかけた。己が指揮に立たぬからと気を抜いたのか? 馬鹿者め。お前達なら半分の時間でてきたはずだ! 組織をまとめることが公安の本分だろうに、お前達が乱してどうする!」
自分のことを棚にあげ、仲間を蹴落とそうと画策する醜い中間職の争いに、ツヴァインは軽蔑を隠すことなく態度に表す。喜々と特殊部隊の粗探しをする者達は揃って黙り込んだ。
「今回の騒動でまともな仕事ができたのは戦闘部隊と特殊部隊、情報部隊くらいだ。常時動いている部隊しか能力を発揮できぬとはどういうことだ! <イレブン>本部が攻撃されることがないと考えていたのなら、おごりもいいところだ。何故日頃から想定した訓練をしておかなかった。人の粗を探す暇があるのなら、その考え方から直せ」
ツヴァインは本気で怒っていた。指揮に立っていた特殊部隊をさしおいて他部隊が怒鳴られるのを、アベルはどこか妙な気分でながめることしかできなかった。微かにレキアスが“ざまあみろ”と呟いていた気がしたが、アベルは笑う気分にはなれない。彼はただ表情を変えずにツヴァインの青い瞳を見つめた。
「その点、アベル。あの状況下での君達の働きは悪くなかった。おそらく君達でなければ、L―10の追跡すらかなわなかっただろう」
「いえ、あれは指揮能力云々の問題ではないでしょう。彼らを追いつめられたのは殆ど善のおかげです」
よって次にやってきた言葉に対してアベルは、気張ることなく平然と言葉を返すことが出来た。我ながら角の立たなかった返答だと彼は脳内でため息をつく。
「彼が一人で目標の動きを見つけだしたようなものです。正直、私の力では……」
「それが謙遜だというのだ、アベル。それも君が指揮を行ったからこそ発揮した力だろう。優秀な探知器も使う者次第だよ」
ツヴァインはそこまで言って、仮面を元の位置に戻した。そして少し乱れた息を整えると、隣に黙って座るノワールへと向き直った。
「お騒がせいたしました。私も本来ならば指揮をせねばらなかった立場でした。いかなる理由にせよ私にも落ち度はありましょう」
不思議な光景だ。アベルはツヴァインが頻りにノワールに話かける姿をみて率直に思う。
常日頃感じていたことなのだが、ノワールは巨大組織を纏めるリーダー的存在にしては非常に無口であった。神格化させるために他の幹部らに言葉をまかせているのかと、初めのうちこそアベルはそう理解していた。だが今聞いているだけでも幹部達の言葉は、彼ら一人一人の感情から生み出されているように思え、ノワールの口の代わりをしているようには到底見えない。今ですら、ノワールはツヴァインの言葉を幼い子供のようにただ聞き及んでいるだけに見えた。
それがアベルの目には不気味に映った。ノワールが<イレブン>という組織に不釣り合いな最高権力者だからではない。人間の感情を誰よりも重んじる彼にとって、ノワールから感情も熱意も生気すら見られないことに、漠然としない不安を感じていた。
「ノワール様、処罰を」
ノワールとは、他の幹部たちが最高権力者として祭り上げた空虚な存在なのだろうか。だとすればつじつまは合うが、などとアベルは一人様々な考えを頭に張り巡らせた。しかし、ノワールが立ち上がって発言するそぶりを見せると、彼は強制的に詮索を停止させた。
「諸君。私にはこの申し開きに関してなんの必要性を感じない。今は味方の弾劾に時間を割いている場合ではなかろう」
声を張っているわけではないのに響くバリトンボイス。滑らかに、歌うかの如く言葉を紡ぐノワールは、先程の黙っていたときとは別人の様だった。
「特殊部隊には引き続き、アバランティア制御体の捕捉の任に付いてもらい、周りの部隊には再びサポートに当たらせるつもりだ。他の部隊が何を言いようが、特殊部隊が一番追跡任務に向いている。部隊の特色が追跡に有利であることと、善というキーパーソンがいること。この条件を揃えて使わぬ手はない。私は組織の規律より、現状の解決を優先したい。分かるな」
流石、最高権力者の言葉。今までとは違う真剣さのある静寂がその場を支配した。アベルはその時、今までまるで無かったノワールの存在感が頭にのしかかるような圧力として感じた。
「しかし、失敗は重く受け止めねばならない」
ノワールは、誰よりも高い場所からその場全員を満遍なく見渡し、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「特殊部隊並びに、今回役に立てなかったと思われる部隊。これは甘さではない。自分が失った信頼、尊厳、プライド全て、これからの働きで取り戻せ! それが私が君達に与える命令でありチャンスだ。よいな」
『了解!』
脳に直接響いて来るようなノワールの声と発言に、異論を唱えられる者など誰もいなかった。




