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Avalantear アバランティア  作者: 海豹
第一幕 ―起―
5/68

風を切ったあの道

 善の携帯電話に連絡が入ったその頃、〈リジスト〉を出発して〈イレブン〉本部がある大都市セリカを目指すレイスは、マラキアから支給されたバイクに乗って風を切っていた。


「う、寒い」


 出発して丸一日。レイスは休憩を取りつつ、ひたすら目的地を目指して北上を続けていた。そんな彼の疲れた体に、容赦なく冷たい風が叩きつけてくる。世界の北東部に位置する大都市セリカ。その地の秋季は日が沈んでからの冷え込みが激しく、一足早く冬の香を漂わせる。

 ハンドルを握る手は白く、彼はしっかり手袋をしてこなかったことを後悔した。


「しかし、マラキア団長も嫌な時期に送り出してくれるもんだよなぁ」


 独り言はただ森林が覆う暗い道の中へ白い余韻を残して消えていく。セリカ地方はこれから極寒の地へと姿を変えていくだろう。病を持つ彼にはその厳しい環境がかなり応えていた。


「……もう限界かもな」


 ふと時計を見れば午前一時も後半に差し掛かっている。

 今更ながら一睡もしていなかったことに気づいたレイスは、バイクの速度を緩め、休息をとれそうな場所を探すことにした。


「どこか良いところないかな」

 キュ~~ン


 すると可愛らしい音がした。レイスは胸元にふわふわしたものが当たるのを感じ、慌てて上着のボタンを片手で二つほど空ける。その間もモゾモゾとレイスの服の中でそれは動いていた。


「こら、待て。まだ動いているんだから、暴れるなって」


 上着からひょっこり顔を出したのは、白いイタチだった。鼻元をヒクヒクさせ、まだ外が寒いことを察した彼女はすぐに頭を服の中に潜り込ませてしまう。


「まったく……」


 苦笑しながらも手頃な空間を見つけ出したレイスは、バイクを道際に寄せて停止した。そして近くの切り株に腰掛けると、バックから食べ物が入ったふくろと水筒を取り出す。


「アミー、ほら、クッキーだぞ」


 食べ物の匂いをかぎつけた白いイタチは、また顔だけを上着から出し、レイスが取り出したクッキーを見つけると飛びついた。


「疲れたぁ~」


 イタチがクッキーを食べているのを確認した彼は温もりのある水筒の蓋をあける。湯気が立ち上るそれはただの白湯だった。


「徹底的だな、ルナン団医」


 少しばかり中身に期待していたレイスは、口元に笑みを湛えながら温かいそれを口にして軽く瞼を伏せる。


「いってらっしゃい……か」


 彼はそういって、悲しそうに微笑んでいた。




 *****




 一昨日の朝に遡る。

 〈イレブン〉潜入の任務を受け、会議室を逃げるように飛び出したレイスは自室へと戻り、ただがむしゃらに荷物をまとめることだけを行っていた。そうしていなければ自分の何かが溢れ出てしまうような気がしたからだった。

 しばらくして、白いふわふわした何かを抱えたルナンが部屋の入り口に立っていることに気づく。


「どうした? ルナン団医殿」

「話は聞いたよ。どうして断らなかったんだ」


 いつものおどけた口調で話しかけたつもりだったのだが、相手はしっかり情報をつかんでいたようだった。レイスは顔に張り付いた笑顔の仮面が粉々に砕けたのを理解する。


「別に、何となく」

「何となくとは、どういうつもりなんだ。君は既に“結晶化病”がB+に進行している。これから体がどうなるのか分からないっていうのに――」

「だからだよ」


 ルナンの顔が怒りで険しくなっていた。主治医なのだから当然だろう。レイスはその思いを重々承知していながらその言葉を斬って捨てた。


「……」

「俺はそんなに長くない。だから、いいんだ。どうせ短い寿命なら精一杯動いていたいからな」


 しまった、と思った時には遅く、レイス思わず口を塞いだ。


「それが、本音なんだね」


 ルナンの目が怒りから、諦めという暗い光を宿す。頭の良い彼の事だ、レイスは己の気持ち全てを見透かされていると感じた。


「あぁ」


 己の心一つ偽れないとは情けない。レイスは次に来るであろう言葉を覚悟し、ルナンの目を直視出来なかった。


「いつもおどけて、本音を言わないから……。まぁ、いいかな」

「はい?」


 てっきり、弱音を吐くんじゃねぇ、勝手なことをするな! そんな辺りのことを言われるものだと思っていたため、レイスは拍子抜けしてしまった。


「実はね。私がここにきたのは、この子を預かって貰うつもりだったんだ」


 ルナンは笑っていた。レイスの間抜けた顔を眺め、彼は穏やかな表情のまま手にする白くふわふわしたものをレイスに押し付ける。ルナンの表情変化は著しい。彼の複雑な感情を、それらは実に素直に現わしていた。


「うわっ、なんだこいつ」

「イタチのアミーちゃんだ」

「はぁ?」


 両手で抱え込むと、ふわふわするそれからは命の温かみを感じた。モゾモゾと動くと顔を出し、レイスの手の中で大欠伸をする。両手ですっぽり入ってしまうほどそれは、小さく幼い。丸く潤んだ瞳をレイスに向け、小さい鼻とヒゲをヒクヒクと揺らす姿は非常に愛らしかった。


「アニマルセラピーって知ってるかい?」

「ああ」


 名前くらいなら聞いたことはある。レイスは大きく頷いた。


「どうやら“結晶化病”にはアニマルセラピーがかなりの効果をみせるらしくてね、旅のお供にしてやってくれないかな」

「こいつを?」


 ルナンの提案はレイスを驚かす。よって言葉が続かず、断るタイミングを彼は失った。ルナンはそれを良いことに、口早に言葉を放つ。レイスに都合の悪いことを言わせぬように、言葉を言葉で封じ込んだのだ。


「こいつじゃない、アミーだ。まだ幼い子供でね。私が育てていたんだけど、そろそろ彼女も外の世界を見てもいい頃だ。丁度君が外に行くのだから、預けようと思った訳だよ」


 ルナンはそう言い聞かせると、更にレイスに何かを押し付けた。……今度はメモ用紙だ。


「そこに私個人の家の住所を書いておいた。毎月の薬は私が裏ルートから送るから症状の変化を連絡してくるように」


 言い切ると、ルナンは一息ついて微笑んだ。


「いってらっしゃい」




 *****




「俺は嫁入り前の娘かっ」


 ははっ、と気づけば笑っていた。どうやら少し思い出に浸っていたようだった。


「ルナンといえば……おっ、忘れるところだった」


 レイスはハッと目を開けて、微睡んでいた気分を吹き飛ばす。そして腰の収納バックから薬の入った瓶と、平べったい痛み止めの塗り薬を取り出した。


「アミー、ちょっと悪いな」


 食事中のアミーをやや横にどけ、それらを切り株に乗せる。少し眺めたあと、レイスは塗り薬を手にとって防寒着をめくり、左腕を露わにした。

 真夜中、バイクのライトだけという視界の悪さではあったが、手首から肘にかけて明らかに変色しているのが分かる。


「結晶化してるな……」


 触れてみれば皮膚の弾力はなく、まるで石に触れていると勘違いしてしまうほど冷たく固い。よく目を凝らすと、腕はエメラルドグリーンの結晶のようになっていた。


――“結晶化病クリスタル・シック”の典型的な症状である。

 体の一部が何らかの原因で硬化し、いずれは体の至る所を硬化させ、臓器機能を停止させて、最終的には死に至らしめる。

 皮膚にあたっては、エメラルドグリーンの結晶のような変色を伴う。

その奇妙な変色から“結晶化病クリスタル・シック”と呼ばれるようになった。

 症状は硬化に伴う拒絶反応・細胞再生による激痛。硬化した身体の運動能力の低下が主である。

 病状の進行は初めに硬化した体の部分によってそれぞれ違い、ハッキリとした進行速度は決まっていないが、大半が皮膚の硬化から始まるため発病後約五年で死に至るケースが殆どであるといわれている。

 なお病状はアルファベットで分けられており、発病初期をE、末期をAとされる。

 約七五〇年前に発見されたその病気は、現代になっても一切の原因・予防法が発表されることがない。治療法も、痛み止めを使った延命治療が限界であり、一度かかれば助かることは無い、不治の病であった。


「痛いぜ、まったく」


 外気の寒さに反応するように痛み出した腕にせっせと薬を塗りたくるレイス。ルナンお手製の薬はしばらくすると痛みを和らげてくれた。


 キュ~~ン

「心配してくれるのか、悪いな」


 痛みに顔をしかめているのを察したのか、クッキーに夢中だったはずのアミーがレイスの腕にすり寄っていた。

 そんな彼女の頭を優しく撫でた後、レイスは瓶から硬化抑制剤を含めた五種類の錠剤を取り出す。


「アミー、俺は薬ってのは甘い飲み物と一緒に飲めるように改良すべきだと思うんだよ。こんなくそ苦い薬を白湯で飲み込むのは地獄なんだぞ」


 薬を忌々しいと睨みつけ、アミーへ小言を呟いた。アミーは訳が分からないとポカンとしている。


「ふ……」


 そのマヌケな表情に彼は小さく笑うと、一気に薬を口に放り込んで白湯で飲みこんだ。

 アニマルセラピーとはこういうことをいうのだろうか、と彼は思いつつ、再び目を閉じた。硬化抑制剤は副作用で睡眠作用があるためバイクを運動できない。

 レイスは束の間の睡眠を穏やかにはじめるのだった……




 *****




 午前四時。ようやく大都市セリカについたレイスは目を丸くした。

 街は何もかもが高いビルばかりで、あちこち電灯やらネオンやらが輝き、まだ日が昇りきっていないというのにやけに明るい。これもアバランティアのエネルギーだというのだから、人の技術は侮れないと改めてレイスは思うのだった。


「そういえば、この街の住人って全部〈イレブン〉支持者なんだっけな。気をつけることに越したことはないか」


 自分が〈リジスト〉の間諜だということを思い出した彼は、大きく深呼吸して明るくなりかけてきた空を見上げた。


「いくか!」


 目指すは〈イレブン〉。彼は緊張する胸を抱え、足を踏み出した。


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