飛び立った籠の鳥 2
『えっ!?』
リオールだけでなく、レイスもその名前に驚く。リオール自身、自分のことを案じてくれる人物は数えるほどしかいなかったが、ジアスの名が上がるとは思わなかったのだ。
「やっぱり、知っているんだな」
テラは、二人の驚愕の表情に要約納得して、肩の力を抜く。彼は、二人の大声にキョトンと耳を立てたアミーの頭の毛を掻き混ぜ、大丈夫だと彼女に囁いた。
「ジアスさん!? ジアス・リーバルトという人なんですか?」
「苗字までは知らん」
キンキンと、金切り声のような声を上げるリオールは、立ち上がってテラに迫る。
「奴とは、牢にぶち込まれた時に会った。奴は駆け落ちに失敗し、俺は仕事を失敗した。何故かは分からないが、馬があって、何度か会話したことは、覚えている」
「駆け落ち……。姉さんとの」
リオールは胸を締め付けられるような思いに駆られた。牢に入れられたということは、そのときのジアスはソフィアと離されてしまったのだろう。誘拐犯として待ち受けているのは死であり、愛した人には二度と会えない。そのときの彼の無念は計り知れないものだったはずだ。
「ジアスさんは?」
「死んださ。俺にお前を託してすぐに」
テラは、サラリと答え目線を抱えたアミーに下げる。少しの間、会話が止まったが、テラが次に顔を上げた時には、疑問いっぱいに首を傾げているレイスと目が合った。表情は質問責めする気で力が入っている。
「ややこしいことは聞くなよ。俺はジアスと牢が隣り合わせだっただけだ。それ以上でもそれ以下でもない」
したがって、テラは釘を刺すつもりでレイスへきっぱりと言い切る。
「じゃあ、ややこしくない質問!」
しかしレイスは、質問する機会を得たとばかりに、学生のように真っ直ぐ挙手した。先駆けた言葉の目的を、早速無意味なものにしてくれた彼の行動にテラは、なんだ、としか聞くことしか出来なかった。
「どうして、リオールを助けるなんて約束したんだ?」
「……ストレートでよろしい」
皮肉にならない。レイスの質問は、逃げ道を作らせない簡素で真っ直ぐな内容だった。テラはふと、<イレブン>逃走中、レイスに全て話すと約束していたことを思い出す。約束してしまった以上は真実を語らなくてはならないのだが、
「それを話す前に、まず――」
少しの躊躇いが彼の中にあった。しかし差し当たって、まだ明かしていない
とを話さなければならなかった。躊躇いとはそれだ。
「リオール」
「はいっ!?」
え? と想像通り間抜けた表情でリオールが口を開く。
「俺は五年前、お前を<イレブン>から逃亡させるために雇われた密輸業者だ」
頭一つ分ほど小さい彼女を見下ろすテラの、左眼の紅は炎に照らされ、真紅の宝石のように見える。
「俺の本業はアバランティアのエネルギーを裏市場で売り捌く密輸業者だ。だが五年前、牢にぶち込まれた時、俺は少女を運ぶという仕事を請け負っていた」
話さなければならないのは己の身の上。面倒なことこの上ない。これから口にすることは古傷の自慢話と同じことだ。安っぽい戦士のような真似事をしなければならないことにテラは舌打ちしたくなる。
「それがどういった事情を持った少女なのか、どんな姿なのか、名前すら教えられなかった。それでも引き渡しの場所に俺は向かった」
「依頼内容が随分雑だ。よく引き受けたな」
雇われる事が直接仕事の傭兵レイスが、うさん臭いと唸る。
「好きで引き受けた訳ではないが、報酬は申し分なかったからな。」
まったくその通りだと、テラはうんざりした声色で力無く言葉を紡いだ。
「まぁ、今思えば浅はかだった。実際、待ち合わせ場所には依頼人どころか少女ですら、いくら待てど現れはしなかった」
言葉の内容とは裏腹に、テラの様子は飄々としている。彼はこれを笑い話として片付けてしまいたいのかもしない。
「それで最悪なことに、待ちくたびれた頃、大勢兵士が詰め掛けてきた。そこで訳も分からずお縄にかけられ、囚人の仲間入りしたわけだ」
もちろん、笑うことなどレイスとリオールにできるはずがなかった。特にリオールは唇を震わせ、明らかに狼狽している。テラは自責に陥りかけている彼女に、どうしたら良いものかと溜息をついた。
「気にするな。だいたい裏家業というのはこんなものだ。莫大な金を稼げるが、しくじったときのダメージは計り知れない――そうだろう?」
テラは比較的冷静に話を聞いているレイスに同意を求める。傭兵も金を貰えば汚いことや人助けもこなす、何でも屋のようなものだ。レイスはそのあたりのことは潔癖のようだが、仕事上知らないはずがない。
「ああ、そういうもんだ」
レイスは苦々しい表情で頷いた。テラはリオールに落ち込む必要などない、ともう一度繰り返すと、話を再開する。
「……という訳で、知らなかったとはいえ<イレブン>にとって大事な大事なお嬢さんを誘拐しようとした訳だから、牢獄に入れられるだけで済むはずがなかった。リオールのことを外部に洩れることを恐れ、<イレブン>は俺の口を塞ぐ方法として死刑を言い渡してきた」
レイスがむ、と唸る。当然だろうな、と口にしかけ、無理に抑え込んだようだ。テラは険しい顔で首を傾げる彼に、肩を竦めてみせる。
「それじゃ、ここにいる俺は何だ? ということになるが……ここからが本題だ。奴の話をしよう」
テラは徐に歩みはじめた。アミーを赤ん坊をあやすように抱いたまま、ゆっくりゆっくりと。
「ジアスは、俺が牢獄に入れられて、一週間程経った頃に隣の牢に入ってきた。初めは、がっくりとうなだれている奴が、何もかもどうでもいい、そんな様子にみえた。実際、格好も髪も乱れていたし、顔や体のあちこち殴られて腫れていて、酷い有様だった」
尋問と言う名の拷問を受けたそうだ、とテラは続け、
「だが――目は死んでいなかった」
何かを瞑想するように、瞳を閉じる。
「奴は何度も脱走を試みた。何十回とな。俺が無駄といっても、馬鹿かと罵っても奴は耳を貸さなかった。ボロボロの体で、鉄格子に体当たりし、爪の剥がれたその指で壁を引っ掻いた。奴は異常だった。何かをしていなければ自分を保てない、そんな印象を受けた」
リオールが口元を抑える。親しくしていた人間のことだ、耐えろというほうが酷だ。レイスは泣き出しそうになっている彼女に近づくと肩に手をおいた。
話の中で、レイスは牢の中でテラが言っていた“馬鹿”のことを思い出す。レイスはここで、彼が牢で自分をジアスに重ねて見ていたことを理解する。頭をわしづかみ、乱暴に撫でられたことも、彼なりのジアスへの哀悼だったのだろうか。そう考えるとレイスはテラの背中が淋しく見えた。
「余りにも、酷い有様だから、行動の真意を問いただした。……驚いたよ。奴の目的と俺の依頼には関係性があったんだからな」
テラは歩み続け、三人をおとなしく見守る大鷲、アルの前までやって来るとその翼に背中を預ける。
「奴はソフィアという女と駆け落ちをし、<イレブン>が混乱してる最中、俺みたいな奴を何人か雇って一族の逃亡を手伝わせる……本来はそういった手筈だったんだそうだ」
「姉さん達は……囮になったってこと?」
リオールはまさか、と思わず声を荒げたが、テラは大きく頷く。
「馬鹿な話だ。自分達だけで逃げるだけならもっと上手く行っただろうに。妹はまだしも一族の人間まで助け出そうとしたんだから。欲張りすぎだ。失敗して当然だろう」
その点、お前達は素直で良い。テラは相変わらず飄々とした口調を崩さず言葉を紡ぐ。
「それでも奴はそんな無茶もやり遂げる気だったんだろうな。……奴は諦めなかった。諦めたらソフィアが“肥やし”になってしまうとか言ってな。けど、簡単に脱走など出来るはずが無い。何日もただ逃亡未遂を繰り返して、とうとう間に合わなかった」
間に合わなかった。その一言が異様に重い。レイスはその時のジアスの無念さを考えるといたたまれない。自分にも降り懸かったかもしれなかった運命なのだから。
「奴は、本当に何もかもどうでも良くなってしまった様だった。それでもお人よしなのは変わられないようで、“俺を殺す代わりに隣の男は助けろ”と<イレブン>に懇願し、俺に遭遇できるかも分からない少女を託して逝った」
「……ジアスさんは……どのように亡くなったんですか?」
「奴は銃殺された。最期の最後までアバランティア一族の解放を訴えていたそうだ」
一同はその後眠りにつくまで言葉を発することができなかった。ただ暗闇に溶ける黒い海の、押しては引き戻る波の音だけが響いていた。
*****
翌朝、レイスは肌寒さに目を覚ました。横になったまま、重たいまぶたを押し上げた彼は、思わず息をするのを忘れた。
空が明るい。昨夜、闇に隠れていた風景が鮮やかな色をつけて、一面彼の目の前に広がっていた。水平線に太陽が頭を出し、昼間、青い海も空も金色に輝き、波は光を受けてキラキラと瞬いている。
――美しい。
レイスは寝起きでハッキリしない頭で、素直にそう思った。
「はっくしょん!」
しかし、涼しい潮風に現実に戻される。レイスはようやく、自分が目覚めた訳を理解した。
「アルがいない」
白い翼が美しいその大鷲は、昨夜ずっとレイス達を夜風から庇うように、その大きな翼で包み込んでいてくれていたはずだった。
どこに行ってしまったのだろう。レイスは海から目を離して体を起こした。相変わらず体は怠い。薬を飲んでいるはずなのに、左腕にほとんど力が入らない。
「……これは本格的にまずいな」
よいしょっ、掛け声と共に何とか右腕のみで立ち上がると、辺りを見渡してみる。三歩ほど距離にアミーを抱いて眠るリオール、火の番に付いていたテラは、もう少し離れたところで座ったまま寝息を立てていた。リオールに抱かれるアミーは、天敵であるはずのアルの羽を頭に乗せている。不思議な光景だが、二匹は仲が良いようだ。
更に遠くへ目をやると、砂浜が広がる先に、森がそびえ奥には小高い山が見える。微かに金木犀の花の香りがした。
「?」
何故だか何となく、その風景に妙な感覚を覚えるレイスだが――
<<よぉ、目、覚めたか?>>
聞き覚えのある声が、レイスの思考回路を遮った。
「…………ほんと何なんだよ、お前」
気分は一変、レイスはがっくりと肩をおとした。頭に直接響いてくる声に、驚くよりか、がっかりしてしまうのはどうしてだろう。自分は順応性が高すぎるのだろうか。とにかくレイスは悲しくなった。
<<まあまあ、そんなしょげるなって! いい朝日じゃないか。爽やかな気持ちになるってもんだろ。せっかく朝の散歩の途中みたいだし、俺も仲間に入れろよ!>>
「もうツッコミ所多すぎて、どっから突っ込んでいいか分からない……」
謎すぎる声の主、Zは前触れもなく現れておきながら、いきなり上機嫌。彼はレイスの昔からの友達のように、ぽんぽん言葉を放り投げていく。
<<しかしレイス、やったな! <イレブン>から逃げおおせたじゃないか。いやぁ、やればできるもんだな>>
「素直に喜ぶほど、理解力が無いつもりはないけどな」
レイスは首を振った。実際、<イレブン>から脱出出来たことは、八割以上が偶然と奇跡の恩恵だとしか言いようがない。不気味な疑念は問いたださずに胸の奥にしまっているが、本来なら誰かを質問攻めしたいくらいだった。
「Z」
<<あ? 何だ?>>
質問攻めしたい第一候補のZは、存在事態ありえない上に訳の分からない力を持っているらしい。レイスはこの男に実体があるのなら殴りかかってでも口を割らせたいところだが。
<<なんか、お前物騒なこと考えてねーか?>>
「ああ。どうしたら、あんたをぶん殴れるんだろうか考えてた」
きっとZは質問しても適当にはぐらかしてしまうだろう。レイスは考えることも、上手にしゃべるのも得意ではない。ここで問い詰めてもむだ足になるとかんがえた。
<<……おいおい。いきなり怖いなぁ。まぁ無理なことだけどな。俺、今声だけの存在だし。ちなみに、お前が何か痛い目にあっても基本的には俺にダメージはないからな>>
「本当なんなんだよ。ていうか、基本的って言ったな? 例外があ――」
<<おぉ! あれを見ろよ、レイス!>>
ほらみろ。レイスは早速話を逸らされた、と溜息をついた。しかし、<イレブン>の時に起きた現象と同じく、体は己の意思と反して海岸の方へと向きを変えている。
Zの示した方向には、いつの間にか姿を消していたアルが翼を広げて佇んでいた。朝日の光をうけて白銀の翼が宝石のように輝いている。美しい海を背景に佇むその姿は雄大で気高く、レイスの胸に何故か暖かいものを込み上げさせた。
「アルナイル=アルタイル」
言葉がこぼれ落ちた。意味は――
「光り輝き、飛翔する鷲。かっこいいな」
声を聞き、海を眺めていたアルが首を傾げてレイスの顔を見つめる。
五年前、ソフィアとジアスと善がつけた名前。夢で見た、かつて暖かかった彼等の関係を体言するアルの存在に、レイスは目を細めずにはいられなかった。今はもうあのころの彼等はいないことを彼は知っているだろうか。
「アル、ありがとうな。助けてくれて」
礼を言わなくては。行ってしまう前に。レイスはアルがこの場から飛び去ってしまうであろうことを何となく分かった。
どうして自分がこの大鷲の名前を知っていたのか、何故大鷲が自分達を助けてくれたのかは分からない。それでも、レイスは微笑んだ。アルが愛おしく思えて仕方がなかった。
<<レイス>>
Zが不思議そうな声で彼の名を呼ぶ。
レイスは答えない。頬に何かが滑り落ちたような気がしたからだ。滑り落ちたもの何なのか確認せずとも、レイスの心はその感覚に、大きな乱れを起こす。
理由が分からないのに、息が出来なくなるくらい悲しい。苦しい。
Zも流石に黙り込む。代わりに彼は何もできずにいるレイスの体を動かし、アルの方へと歩み寄らせた。
「なんなんだよ、もう……」
歩みを進めながら、感情がコントロールできないことがもどかしいレイスは、とりあえず、
「うぉぉおおお!」
叫ぶことにした。それしか抵抗の術が思いつかなかったのだ。
キェエエエ
すると、その声に反応するように鳴きだしたアル。彼は鳴くと同時に翼を羽ばたかせ、宙に浮き上がった。
<<行くのか!>>
Zも流石に驚いて、レイスを立ち止まらせる。レイスは相変わらず叫びながら、空を旋回しはじめたアルを目で追った。
キェエエエ
アルは名残惜しげに、何度も何度もレイスの頭上を回る。少しずつ高度を上げていくアルの姿はやがて黒い影にしか見えなくなった。
<<……元気でな>>
Zが小さく呟く。
「うぉぉおおお!」
叫び続けるレイス耳には、その声は届かなかった。
*****
「……で? それが朝方ずいぶん騒がしくしていた理由か」
「すんません」
時間は流れ太陽が高くなった頃、レイス、テラ、リオールは海岸から森林へ足を踏み込んでいた。
「お前には、自分が逃亡しているという自覚が無いのか」
レイスを先頭にリオール、テラと続いて草木で覆われた獣道を進む。今朝、大声を上げていたレイスは早速、テラから冷たいお咎めを受けた。弁解をしようにも説明が出来ないレイスはしょんぼりと俯くしかない。
「アミー、見て見て! 私、こんなに綺麗な色の葉っぱ、見たことなかった!」
一方でリオールは機嫌良く、初めて見る世界に興味を爆発させている。それはそのはず、この地の森林はみな、赤、黄、と色づき、鮮やかな紅葉を見せていた。アルは三人を乗せ、冬季のセリカ地方を越え、南下したようだった。
「リオ、やけに元気だな」
「庭園にはこんな風景はなかったから!」
レイスの弱々しい声に、明るく返すリオール。彼女は落ち葉が舞う中を、アミーを抱えて走り出す。十七年、まともに<イレブン>の外へ出られなかったのだから、この秋の絶景を前に、はしゃぐのは仕方のないのかもしれない。
「お前達には自覚がなさすぎ――」
「テラさん」
テラの眼前にリオールの顔がずいっと近づいてきた。二人の楽天的な様子を見兼ねて、溜息をついていた彼は思わず目を丸くする。
「さっきからする良い臭いってこの木の花ですよね?」
「……それは、金木犀の花だ」
リオールが笑みを浮かべて、テラの鼻先に差し出してきたのは、オレンジ色の花。甘い、特徴のある香りはむせるよう強く、テラはそっと花を押し返し、視線を前に逃がした。ほんの少しではあるが、彼の表情に狼狽がみえる。不本意にもリオールの無邪気さに毒気が抜けてしまったようだ。
「レイス! 本当にこの道で合っているんだろうな」
動揺を隠したいがあまり、レイスに声をかけると、
「そのはずだけど」
やる気のない、どこか投げやりな答えが返ってくる。どうやらレイスはレイスでふて腐れているようだ。
「お前、本当にこの辺りに見覚えあるのだな?」
やれやれ面倒な奴め、と、テラは自分の咎めでへそをまげているレイスに容赦なく、質問を浴びせる。
「あるって! 嘘なんかついてねーよ」
レイスは幼い子供のように憤慨し、歩むペースを上げた。
朝になって周りの風景が見渡せるようになった浜辺で、レイスが知った土地であると彼等に言ったのである。更に、
「知り合いの家が近くにあるんだってば!」
と言うのだから、テラは信じて進むしかない。だが、口にするのがレイスなのだから心配で仕方がなかった。
「どんな知り合いなんだ」
レイスに対して用心深いテラは疑うように彼を睨む。実はこのような質問攻めは朝浜辺を出発してからずっと行われていた。
「俺の、主治医だよ!」
勘弁してくれ! と叫ぶレイスの声が森林の中でこだました。




