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Avalantear アバランティア  作者: 海豹
第一幕 ―起―
47/68

光り輝くもの


「全員、注目。ちゅーもーく!!」


 大声が、昼下がりの<イレブン>の花畑に木霊した。元気良く、扉を開けて入ってきたジアス・リーバルトは、顔に満面の笑みを浮かべている。よほど良いことがあったのだろう、花畑を進む足どりはどこか軽快だった。


「あ! 美味しいっ」

「うん、美味しいっ」


 ジアスが目指すのは花畑の中心にある木の下。天窓から舞い降りる燦燦とした日の光を受けとめる緑の眼下では、簡素なテーブルと椅子が並び、仲睦まじい姉妹が食事をしていた。


「おーい、みん――」

「リオ、そんなに急いで食べると体に悪いわ。はい、水」

「あ、姉さん。ありがとう」


 花畑に囲まれ、優雅な時が流れる。幼いリオールのあどけない表情に、ソフィアは微笑みを浮かべ、自分のグラスを与える。それをリオールは飲み干し、空になったお皿を手に取った。


「だから、お――」

「善さん、お代わりくださいっ」

「了解した」


 リオールが皿を差し出す方向には、白いワイシャツの袖をめくり上げ、お玉とフライパンを構えた善が佇んでいる。その表情はいつもの堅いものではなく、姉妹の食べっぷりに、口元を綻ばせていた。


「本当、美味しい。善、あなた料理上手になったと思うわ。特に……この炒めたご飯は絶品よ」

「炒飯だ」


 ボソッと訂正し、途端に穏やかな表情を険しくする善。それが照れ隠しだということはソフィアは昔からよく分かっている。


「俺を無視するな!!」


 ジアスの存在など無いかの如く、会話をする三人。先程から大声で喚きながら歩んでいるジアスは、全く自分の存在に見向きもしない面々に、更に怒鳴った。


「あ、ジアス。いたのね!」

「お、おう……」


 文句の一つでも言ってやろうと、かっかっしていたジアスだが、彼の声に反応したソフィアが、ニコニコとした笑みを憤慨するジアスに向ける。そのあまりにも嬉しそうな顔に、ジアスは逆に戸惑ってしまった。


「……ってか、気づけよ! さっきからここにいた。善なら気配とかで声張らなくても分かっただろうが!」


 困ったジアスは、とりあえずソフィアではなく、善に矛先を変えた。


「何故私に言う」


 リオールのお代わりをよそう善は、ついでにジアスの分を皿に分けながら、ジアスへと批難の意志を示す。


「いや、あんなに笑顔でいられると言いにくくなって――って、違う!」


 なんで俺の方がバツが悪そうな顔しなきゃならないんだよっ! ジアスはそう叫ぶと、なんで無視してたんだよと、やはりソフィアではなく、善へと問い詰める。


「無視ではない。気づかなかったんだ」

「は?」


 耳を疑った。ジアスが言うように、善は声を上げずとも、気配である程度の情報を得られる人間だ。よって、気づかないなどと言う台詞には納得いくはずがない。


「お前がうるさいのはいつもの事だ。日常のことすぎて、皆耳が慣れきってただの騒音になりかけてる、ということだ」

「騒音って、お前なぁ」


 しかし、真顔で淡々と述べる善を前にして、ジアスは口にしかけた言葉を飲み込んだ。


「マジか」


 心当たりが多過ぎるのだ。自分が賑やかな性分であること、それによって人に迷惑をかけることなど、一度や二度ではない。とうとう愛想をつかれたか、とジアスは、途端に弱々しい声で善を見つめる。


「こら、善。あんまりジアスを虐めないの!」


 そこへ皿を空にしたソフィアが、口元を拭いながら、善の横っ腹を突いた。ジアスはキョトンとして、楽しそうに笑うソフィアを凝視する。


「ど、どういうこと?」


 更に戸惑い、どぎまぎと善とソフィアを代わる代わる見るジアス。ソフィアはそんな彼の姿に少しだけ申し訳なさそうな表情になった。


「ジアス、安心して冗談よ。声は聞こえてたわ。もちろんジアスを騒音だなんて思ったことはないわ」

「私はいつも騒音だと思っているが」


 すかさず横槍を入れる善。


「もう、善!」


 なんでそういうこと言うかな。咎めるように善を見るソフィアは膨れっ面だ。善はわざとらしく肩を竦めた。そして会話から逃れようと、二人に背を向け、盛りつけた皿をリオールの前にだしてやることに集中する。


「素直じゃねぇなぁ。善!」 


 そんな様子に、ジアスはニヤリと笑みを浮かべ、ガバッと善の背中に抱き着いた。ソフィアには善の態度が悪いものに取れたようだったが、ジアスはそうではないと思っていた。


「くっつくな! 気持ち悪い」


 危うく、リオールに倒れ込みそうになった善は、なんとか体を保たせると、慌てたようすでジアスに怒る。しかしジアスは意地悪であるため、なかなか離れない。


「なぁ、聞こえてたんなら、なんで反応しないんだよ?」


 善の様子も含め、邪魔物扱いされていた訳ではないことに安心したジアスは、更に深まる謎にただ首を傾げ、善に抱き着いた状態のまま、ソフィアに問う。


「えっと、それは……」

「困ったジアスさんを観察するのも面白そうだから、反応しなかったんだって!」


 ソフィアがどこか答えにくそうに、口を動かすと、その場にいる誰よりも素直なリオールが、元気良く答える。


「おらぁ! お前の仕業か、善!!」


 なるほどと、納得したジアスはくっついていた善の首に腕を絡ませ締め付けた。


「だ・か・ら……何故俺に言う!」


 首を絞められ、苦しい善は叫びに近い声をあげる。てっきり善の仕業だとばかり思っていたジアスは、え? と慌てて善から離れた。


「違うのか?」

「ゴホッ……言い出したのはソフィアだ。私はそんな悪巧みはしない」


 呼吸を整え、搾り出すように答える善に、ジアスは信じられないとソフィアへ目を移す。


「まぁ、悪巧みだなんて。くだらないって言ってた善も楽しんでいたくせに」


 真相を漏洩されソフィアはもじもじとしながら俯くと、ぽつりぽつりと白状した。


「いつも元気があって、面白いリアクションをするジアスの、ほとほと困り果てた時の反応がどうしても見てみたくて……面白そうでしょ?」

「悪巧みだろう、それは」


 善がこれでもかと言わんばかりに溜息を吐いた。一方のジアスは、肩透かしを受けたようにほうけてしまった。比較的におしとやかなソフィアの意地悪は、ジアスには想像を絶したのだ。


「で? さっきから、お前は腹に何を隠している」


 ぼんやりとしている、ジアスをこれまた溜息混じりに小突いた善は、妙にジアスの上着が膨らんでいることに気づく。


「もぞもぞ動いているぞ」

「あ! そうだった!!」


 ジアスの目に光が戻った。彼はもともとここにいるメンバーに用事があったのだ。


「リオール、おいで」


 ご飯を食べているリオールを呼び寄せ、三人の目が集まる中、ジアスは己の服に手を入れ、それを引っ張り出した。


「じゃーん!」


 それは、美しい白い雛だった。


「わぁ、ひよこ!?」


 リオールは目を丸くして、ジアスの手の中で首を傾げている雛を凝視する。卵から孵って少し時間が経つのか、既にふわふわの羽が生え揃い、大きさは拳ほどある。大きな瞳を濡らし、辺りをキョロキョロとする様はなんとも愛らしかった。


「姉さん、ひよこっていうんでしょう? 私、本でしか見たことなかった」

「そうね。私も実物は初めてみるわ。大きいから、ニワトリにはならなそうね」


 普段外に出ることの無い、姉妹は雛の存在にすっかり夢中になっている。


「どうしたんだ、これ?」


 愛らしい雛にさほど興味を示さない善は、満足そうに雛を差し出すジアスに、すぐさま問いを投げる。


「かわいいだろ?」

「どこで拾ってきた」

「このつぶらな瞳とか――」

「ど、こ、で、拾ってきた?」

「……森」


 尋問のような問いに、ジアスは咎められた子供のように小さくうなだれる。


「セリカ北部の森で、山猫に追い掛けられてるのを見つけて……」

「連れて来てしまったのか?」


 善は肩を落とし、小さくなるジアスを苦々しく見た。


「母親は?」

「えっ?」


 続いて出た善の言葉は、思いもよらないものだった。


「鳥の母親は探したのか、と聞いている」


 質問の意味は分かる。だが、次いで声が出てこない。ジアスは三秒たっぷり時間をかけて、答えを形にした。


「も、もちろん、探したさ。どこにもいなかったんだ。……巣すらなかった」


 てっきり今すぐ元いた場所に返してこい、とジアスは構えたのだが、善からはそんな刺々しい雰囲気は感じられない。

 更に予想をして善は彼の手の中から雛を取りあげる。それも壊れ物に触れる時のように、優しく、ゆっくりとしていた。


「育児を放棄せざる負えなくなったのか、こいつが巣から落っこちてきたのか」


 あっけらかんとするジアスをよそに、雛の体を慣れた手つきで調べていく善。雛に注がれていた姉妹の視線も当然、善の方へと移る。


「こいつ……」


 注目が集まる中、ふと善の目が細められ、再びジアスの手に雛が戻された。

 善の表情は渋いを通り越して苦々しい。ジアスは何かまずいものがあったのか? と彼の顔を伺った。


「こいつは……グレイトイーグルだ」

「グレイトイーグル?」


 鳥の種類だろうか。ジアスもソフィアもリオールも聞き慣れない名前に首を傾げる。カラスやスズメあたりの名は知っているが、善の口にした名はそんな身近なものではなかった。


「セリカを越えた、西部に棲息する、猛禽る……いや、鷲だ」

「猛禽る?」

「とにかく鷲だ」


 ジアスに難しい言葉を使うのをさりげなく避けた善は、空になったフライパンを置いて腕を組む。やはり表情が暗い。

 理由はわからないが、やっぱり良くない事があるのだ。軽い口調で続きを促すジアスだが、彼はそう直感で理解する。


「つまり、こんなところでウロウロとしていていい鳥ではないということだ。グレイトイーグルはこんな北方には住んでいない」


 善の目線は鳥に注がれたまま動かない。ジアスは善の違和感のある態度に、ただ首を捻るしかなかった。


「で、何か問題があるのか?」


 善はジアスの顔を見て溜息をつく。察しが悪い人間には、一から全て口にして説明しなければならない。しかし、自分が話したがっていないのだと言うことだけは分かって欲しかった。


「グレイトイーグルの棲息位置は西部。現地でも珍しい類の種だ」


 説明を始めれば、口にしたくない事まで内容を掘り下げなければならない。善は感情が表に出ないように努めながら言った。


「西ねぇ……隣町とかか?」


 ジアスは、セリカから西側の地名を幾つか頭に浮かべていく。

 善は地名については答えない。


「西部といえば善、あなたの故郷も西よね?」


 そこへソフィアがそういえばと呟く。しかし、ハッと我に返り、彼女は急いで口を閉ざした。

 善の表情を創る、冷たい仮面にヒビが入る。

 故郷の話は、善としてはあまり好ましいものではない。つい言ってしまったソフィア同様に、ジアスもそれを考えて気まずくなる。が、微かに動揺した善を見ている内にある仮説が浮かんだ。


「もしかして……トキナなのか? この鳥の棲息地って」

「そうだ」


 なるほど。ジアスは納得し、なるべく明るく振る舞いながら言葉を選ぶ。


「なんでトキナにいるような鳥がこんなところに?」

「おそらくだが……捨てられたのだろうな」

「えっ!?」


 これはこれで衝撃を受けた。思わず全力で叫ぶジアス。


「コイツの羽を見ろ。光沢のある白だろう?」


 叫ばれるだろう、と予測していた善は耳を塞ぎながら、うんざりするように言葉を紡いだ。


「そうだな」


 手の中でもぞもぞと身動きしている雛は、その白い翼に日光を受けキラキラと輝いているように見える。


「故郷に棲息するグレイトイーグルは、くすんだ茶色だ。決して美しい白ではない」

「じゃあ、こいつは」

「生まれる過程で何かの異常があったのか、ある程度成長しているから、成長するうちに色が抜けたのか。どちらにしても通常のグレイトイーグルではないのだろう」


 ピィと、可愛らしい声で雛が鳴いた。手の平の上でキョロキョロと首を動かすそれは遊んでもらっているのだとでも思っているのだろうか。


「そんだけ!? 色が違うから捨てられたのか」


 ジアスはこれでもか、と言わんばかりに善に近づき、耳をふさぐ手を無理矢理退かして再び叫んでいた。


「捨てられたのは珍しいケースだ。通常奇形児は親が食い殺すものだから、生きていること自体が奇跡だ」


 鼓膜を震わす声に激しく顔をしかめる善。


「奇形児って、こいつは――」

「自然界のルールだ。人間だって己と異なる者を、理解できない存在を怖れるだろう! 彼等にとってそれがこの雛だ」


 しつこい問いに善は苛立ち、荒々しくジアスの言葉を遮る。ここで議論したところで雛の処遇が変わることはないのだ。ソフィアもそれが分かっているのか、ジアスの怒る肩に手を置き、首を振って見せる。


「かわいそう……」


 そこへ話を聞いていたリオールがぽつりと呟く。常識や、規則に縛られない無垢なその言葉は、納得しかけたジアスを奮い立たせた。


「よぉし! 決めた!」


 ジアスは拳を作り、三人が見下ろせるように木の椅子に上ると、再び三人に雛を突き出す。


「コイツ、育てるぞ! 皆で!」


 勢いのある彼の言葉への反対は三人三様だった。


「やっぱりな」


 善には予測できたことだった為、やれやれと肩を落とし、


「どうやって飼育するのかしら?」


 さっそくやる気になったソフィア、


「やったぁ!」


 何はともあれ、雛を心配していたリオールは、雛の安全が確定したことにただただ歓声を上げていた。


「ちなみに、反対意見は受け付けない!」


 それぞれの反応を見ながら、ジアスは先手を打つように早口で言葉を繋ぐ。


「……何故私に言う」


 ジアスの言葉は否定的な善に向かって放たれており、善はもともと鋭い目つきを更にキツクして言葉に対抗した。


「お前、反対する気満々そうなんだもん」


 刺すような睨みに耐え兼ねるように、正直に白状すると、善は片眉を上げ、子供の失敗を見るような態度をとった。


「当たり前だ。一体どうやって育てる? ここでやるなら研究所の許可がいるだろう」

「研究所は無理だろうな。ケチだから」


 ジアスが顔を険しくすると、ほらみろ、と善の言葉が聞こえてくる気がした。


「一年も経つと、全長三メートルにはなるぞ。成鳥ならば、更に大きくなる。そんな鳥をどうやって」


 続けてぶつぶつと恨み言のように零す善に、夢のないやつ、と文句を言い、ジアスは頭を抱える。


「飛べるようになるまで、面倒を見てやりたいんだ。俺はペットにしたいんじゃないんだ」

「飼うことに変わりはない」


 刺々しい棘のある善の言葉に、ジアスは諭すように声の調子を変える。


「変わりない? 違うだろ、善。コイツはあのまま放っておけば山猫や他の肉食獣に食べられてるさ。親がいない子供は誰も守ってやらないからな」


 ジアスの手の平は居心地が良いのか、雛は眠たそうに目をパチパチとさせている。


「では、救ってやったと?」


 毒のある言い方。


「いや、元はたまたま通りかかっただけだから、そんな大口をたたこうとは思わないただ――」


 ジアスは冷静さを保たせながら、善を真っ直ぐ見据えて首を微かに振った。


「放してしまえば消えてしまう命を、俺は見殺しにはできない。命は大切なものだろ? 奇跡と偶然で生まれたものなんだからさ」


 善は押し黙った。

 ジアスも、そこから言葉を発することをやめる。善がようやく真剣に雛のことを考え始めたのが分かったからだった。


「分かった。協力しよう。もう、どうにでもなれ!」

「よっしゃ!」


 渋々として、どこかやけくそじみた言葉を搾り出した善に、ジアスはガッツポーズを取る。そして、手の中の雛と共にくるくると回りはじめた。


「お前な、協力するとは言ったが、限度は考えろよ。責任を問われるのは毎度私なんだから」


 そのはしゃぎ様に、危機感を覚えた善。


「さっそくだが、名前を決めるぞ!!」


 しかし、ジアスが責任どうこうに配慮するような人間ではない。浮かれ、有頂天になっている彼には最早、都合の悪いことは聞こえないのだ。


「おいっ、人の話はちゃんと聞けっ」


 善は無駄だと知りながらも、叫ばずにはいられない。彼と並び立つソフィアも、そんな二人のやり取りに小さな苦笑を浮かべていた。


「何だよ。いいから、名前決めようぜ」


 ジアスは、椅子から飛び降りると、あちこちをウロウロし始める。雛は相変わらずピイピイ鳴いており、善の緊迫した叫びを柔らかく中和してしまう。


「シロとかどうだ?」

「話を聞け……というか、シロはないだろうが、シロは」

「そうねぇ、犬じゃないんだし」


 ジアスの酷い提案に、流石にツッコミが入った。


「ジアスさん、ネーミングセンスなさそう」

「リオール、なさそうじゃなく、ないんだ」


 思わず零した様なリオールの言葉を訂正し、苦々しい顔を更に色濃くする善。彼は、自分に降りかかる責任や問題も重要なことではあったが、それよりも、雛の名前を安易に決められてしまうことに大きな危機を感じた。


「じゃあ、何かあるのかよ。善」

「知るか」

「何だよ、そんじゃシロで良いじゃんシロで」

「……それはちょとね」


 ソフィアも、ジアスのネーミングセンスには顔を渋くする。そして控え目だが、提案の否定を始めた。


「もうちょっと、ないかな? 違うの」

「え~? ピイちゃんとか?」


 インコじゃないんだから……ソフィアは口に出さないように努める。


「……ピイちゃん、か。この子、将来ものすごく大きくなるのよ、ジアス」

「でも、今はかわいいだろ?」


 しかし、自覚が無いにしろジアスはしぶとかった。

 二人のコントのような会話と、飛び交うコミカルな名前を善は聞きながら、ある言葉を思い出していた。


「善は? 何か良い名前ある?」

「……アルタイルなんていうのはどうだろうか」


 呆れたソフィアが、善に駄目元で聞いてみると、彼は徐に言った。返答があるとは思っていなかったソフィアは途端に顔を輝かせ、善に一歩歩み寄る。


「アル・ナルス・アル・タイル、故郷に伝わる古い言葉で、飛翔する鷲を意味するんだが、短くしてアルタイル」

「素敵ね」


 独特な発音で紡がれる言葉。善は必死に、子供の頃に母に読み聞かされた伝承を思い出し、舌を打った。記憶が古すぎるのだ。


「でも意味は飛ぶ鷲なんだろう? そのまんまじゃん」


 感心するソフィアに対し、ジアスの反応は素っ気ない。


「まぁそうだが」


 善は否定する気もなく、頷く。もっと故郷の古語を知っていれば、洒落た名も浮かぶだろうが、何せ母に古語を読み聞かされたのはもう十年以上も前になるのだ。ジアスの言う、捻りがないつまらない名前だということは善自身よく分かっていた。


「ジアス! せっかく、堅物な善が柄にもなく名前なんて真剣に考えてるんだからそんなふうに言わないでよ」


 善が表情を無くしたのを見て、ソフィアが割って入る。


「いや、ソフィア、君もなかなか酷いことを言ってるぞ」


 しかし、全くフォローになっていない。善は頭を抱えた。どうして自分の回りにはまともな人間が少ないのだろう。善の苦悩は堪えなかった。


「他に合いそうなのあるの?」


 そんな善の苦悩など知らぬソフィアは、彼に続けて尋ねる。


「そうだな」


 気を取り直した善は雛を見つめた。ジアスの手の中で眠り始めた雛は、翼を綺麗に畳み、太陽の光を受け気持ち良さそうに見える。


「アル・ナイル」


 寝顔を見つめていると、つい言葉が零れた。


「アルナイル?」


 ソフィアが首を捻り、説明を促されている。善は、分かりやすく説明できるように再度、頭をフル活動させた。


「アル・ナイルは“輝くもの”の意味がある。雛の翼は美しい白だ。その美しさは、大人になったときの翼ではどんな宝石にも劣らないだろう……と思えてな。故郷では、輝かしい成長を願って名前として使うことがあったそうだ」

「輝く、もの……アルナイル」


 ソフィアが噛み締めるように言葉を繰り返す。どうやら響きが気に入ったようだ。


「さっきのもいいけど、アルナイルも良い。善はセンスがあるわ! ね、リオール?」

「うん。アルナイルとかアルタイルとか、なんか、カッコイイ!」


 ソフィアとリオールが揃って善を褒めたたえる。当然だ、と深々と頷く善は視界の隅にいるジアスをあえて無視して肩を竦めた。


「当たり前だ。どこぞの馬鹿と一緒にされては堪らない」

「どこぞの馬鹿って、俺のことか」


 すかさずジアスが反論する。しかし、そんな彼の勢いが今一つ足りない。それは、善の提示する名前が自分のものより良いことを感じているからなのだろう。


「どうする? アルタイルとアルナイル。貴方のお名前はどっちがいいかしら?」


 ソフィアは眠る雛の頭を、指の腹で優しく撫でながら、首を捻った。雛は自分の名前が決められているのだとは分かるはずもなく、時たま薄目を開けては身震いをするを繰り返している。


「アルナイルとアルタイルかぁ……」


 リオールが名前を声に出して、雛に注目している横で、善は黙り込んでいた。自分が提案しただけに、どちらが良いと答えるのはなんとなく気が引けるのだ。


「面倒だな。良いじゃんか、アルにしようぜ!」


 二択が頭によぎり、なかなか決められない姉妹を押しのけ、ジアスが閃いた、と胸を張った。


「アルタイルとアルナイル。どっちも長いから呼びにくいし、どっちもアルだろ?」

「なんとまぁ、雑な理由ね……」


 リオールが溜息をつき、ソフィアが肩を落とす。単純化してしまうジアスの提案に、彼にはロマンのカケラもないのかと、ついついがっかりするのだった。


「私は、そう悪い提案でもないと思うが?」


 しかしそこへ意外にも、善が肯定の意を示した。ジアスは想定外なことに、喜ぶ事すら忘れていた。


「輝くもの、飛翔する鷲。どちらも名前にしてもおかしくはない。名前とは親から初めて貰う贈り物だ。ならば名前にはいろんな願いが込められている方が貰う側も嬉しいだろう。まあ厳密に言えば、アルだと言葉は成立していないが、大事なのは込める意味だろう」

「つまり、アルっていう名前に、輝くものと飛翔する鷲、どっちも入っているってことですか?」


 真っ先に反応したのは、リオール。彼女はクイッと首を捻り、小さな皺を眉の間に作った。


「そうだ、リオール。光り輝き、飛翔するまで健やかに成長してほしいから、アル。違うか、ジアス?」


 リオールへの説明の中で、ジアスへと振った善。それにジアスは虚をつかれながら、


「俺が言いたかったこと全部言いやがって……」


 渋々という様子で頷き、


「ソフィア? 駄目かな」


 そして、一人意見を吟味しているソフィアに、彼は恐る恐る問う。


「光り輝き、飛翔する鷲……アル。凄く良いと思う! 素敵ね!」


 ソフィアの反応は良好だった。彼女はウンウンと何度も頷いて、再び雛に声をかける。


「貴方はアル。光り輝き空を飛翔する存在よ」

「まぁ、そいつ自分の名前の意味も、名前自体、わかんないんだろうけどな」


 ジアスの口元に呆れたような乾いた笑みが浮かぶ。お前が名前を決めると言い出したんだろうが。善はやれやれと思いながらも口を挟んだ。


「そんなことはない」

「へ?」

「グレートイーグルは知能が高い。名前など覚える事など大人になってからでもできる小技だ。……というよりか、お前知っていたんじゃないのか?」

「何を?」


 惚けたようなジアスの反応。善は白々しいと、肩を竦めて続ける。


「トキナで私に聞いただろう?」

「何を?」

「……」

「あれ?」


 こいつ、本当に分かってないのか? 善は肩透かしを喰らったように一瞬言葉を失う。


「懐く鳥のことだ」

「あぁ! この間の休暇のな!」


 ジアスはようやく思い出したようだ。善は片眉を上げて、


「……てっきり、そのために連れてきたものだと、思っていたのに」


 と、批難の意を込めて睨みつけた。


「ということは! アルがその懐く鳥なんだな!?」


 そんな泣く子も黙るような鋭い眼光を、臆する事の無いジアスは花が咲いたように表情を一気に明るくする。


「そうだ。知能が高いグレートイーグルだからこそできることだ」

「早く言えよ!」


 そして何を思ったのか、ジアスは上機嫌で、歩きだす。方向は花畑の出口。


「何処へ行くつもりだ」

「あれだろ、ここじゃ研究所の許可が無いとダメだろ?」


 問い掛けても、ジアスの歩みは止まらない。


「まぁ。そうだな」


 善はその場に置いたジアスの分の食事を取り、空いている手で、フライパン等を持った。片付けをしようとしているのだろう。


「良い場所があるんだ。お前の部屋から行ける」


 ジアスは善の片付けを音で感じ、一緒に来い、とジェスチャーした。


「俺この間、お前の部屋のダストシュートに隠れてたら足滑らせて落ちたんだよ。そしたら、使われてない秘密のスペースがあったんだ。そこに藁を敷き詰めれば……」


 一人、あれやこれやとしゃべりまくるジアスはずんずんと花畑から去ろうとしている。訳がわからない残された三人は少しの間固まっていたが、いち早く善が我に返ると、フライパンを抱えて走り出した。


「どういうことかしっかり説明しろ!」

「来りゃ分かるよ」


 雛がピィと鳴く。花畑の花達は、新たな家族を歓迎するように、さわさわと手を振っていた。


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