交わる運命(とき)
雪と、植物に張り付いた雨水が、歩く度に付着して頬を汗と共に流れる。
道の無い森を走り出して五分。全身に湿り気を纏った善は、ケイス達狙撃班を引き連れ、G―5ポイント地点に到着していた。
「善殿、ターゲットを発見しました」
既にポイントに着いていた戦闘員の一人が、身を低くしろとジェスチャーで指示しながら善の隣に並ぶ。素直に濡れた土の上に身を伏せ、兵士の視線の先を追いかけた善は、一瞬光るものを見たような気がして、目を細めた。
「何か光っているな。あれは……剣か」
光の動きが流動的であること、微かに聞こえる金属音から、善は光が刃物の反射光だと気づいた。
「君、今どこの部隊が戦っているか分かるか?」
剣が激しい動きであることは、光の筋を目で追いかけていれば分かる。善は匍匐前進で光が見える方向へ少し近付きつつ、隣の兵士へ問い掛けた。
「おそらく、排気口に向かっていた先導隊のどこかしらではないか……と」
「了解した。では重ねて聞くが、我々の他に此処に来た者達は、どうしている?」
咄嗟に、腰に装備した無線機を手に取った善は、兵士の返事を待ちながらチャンネルを弄る。
「始めにグレイス殿が先導する我々戦闘少隊の一、二班が。他六少隊、単騎数で四十四名が集結しており、命令通り囲い込みの為周囲に四散し待機中です」
「照明、捕獲に必要な機器の搬送は?」
「既に完了しています」
「優秀だな、流石だ」
お世辞で言った訳ではなかったのだが、善の言葉に兵士が眉を顰める。厭味と取られたらしい。しかし善は、あえて訂正することなく視線を、こちらに向かって進んで来る光へと向けた。
「激情に駆られ、先導隊の援護に出ているものはいないな?」
光の筋はだんだん激しさを増している。金属音の合間、聞こえる呻きはやられた兵士のものかもしれない。善は隣の兵士を見つめ、念押しするように聞いた。
「……我々をあまり見くびらないでいただきたい」
相手が苦笑したのを感じた善は、無線機を弄っていた手を後方に動かし、兵士の肩を軽く叩く。
「確認の為だ。気を悪くしたのなら謝ろう。すまない」
そして、返事を待たずに無線機へ口を近づけた。
「諸君、聞こえているか」
言葉を発した途端、周辺の空気が微妙に変化するのを肌に感じる。四散している兵士達の集中が一斉に善に向けられたのだ。
「待機状態をくれぐれも崩すことがないように。目標は目の前を通過しても、見つからない限りは極力戦闘してはならない。森を出て、海を眼下に行き場を無くした時点で目標に対し警告を発する。主立った戦闘はその後だ」
善は自分の声がやけに小さいことに気づく。目の前にレイス達を感知しているからなのだろうか、緊張しているのかもしれない。久しぶりに感じる感覚に、善は自分を殴りつけたくなる衝動に駆られた。緊張は声に現れ、緊張は伝染し、行動効率を下げる原因になる。
「銃を所持している戦闘員に告ぐ。私の許可無くしての発砲は認められない。繰り返す、私の許可無くしての発砲は認められない。相手はアバランティア制御優先体を連れての逃走だ。目標が彼女を盾にする可能性を考慮しろ」
〔了解〕
「そして、全戦闘員に警告する。L―10は戦闘に関していえばかなりの手練れだ。よって気配を察知する能力も高い。余分な闘志は相手に気づかれる危険因子だ。今の奴は先導隊の向ける殺気と攻撃に気が行っているはずだから、感知する能力は低くなっているかもしれないが……くれぐれも気配を抑えろ――以上だ」
言い切って、回線を切る。すると、今まで張り詰めていた空気が、まるで何事もなかったように静かになった。やはり訓練された兵士だな、と頷いた善は自分の後ろに待機する狙撃班に声をかける。
「ケイス」
「はい」
「お前は、威嚇係だ」
今まで黙って善の動向を見つめていたケイスは、突然脈絡もなく言われた言葉にただ首を捻るしかなかった。
「威嚇……係とは?」
「意味はそのままだ。お前達はL―10達が森を通過したらすぐに彼等の前に姿を露わにしろ。海という逃げ場の無い状態で、剣を手にする奴にとって、銃器は脅威になるはずだ。撃たずとも、存在だけで役に立つ」
「了解です」
ケイスは、不服そうに頷く。善はそんな彼の沈んだ様子に小さく息を吐いた。そしてやれやれと首を左右に振る。やはり考え方が甘いな、と思ったのだ。
「善殿、目標が来ます!」
「全員、身を隠せ!」
隣の兵士が焦りを伴った鋭い声を上げた。善は慌てて額を土に当てる。
足音が近づいて来る。自分の心臓の音と重なって、どんどん大きくなっていく。善は息をひそめて、自分の存在感を消し、耳をそばだてた。
「早く!」
レイスの声。焦りをはらんでいるそれは、戦いながら口にしているせいか怒号に近い。
「待って!!」
絶え絶えの息づかいから零れるか細いリオールの声。彼女に長距離を走ることなど経験が無いはずだ。善はそう思いながら、ただ耳に集中を集める。
「……急ぐんだ! このルートの脱出路はまだ誰も知らない。だから、今のうちに逃げきるんだ」
レイスの言葉に、善は口元を歪めた。
こうして兵士が、そう離れていないところで潜伏していることを、奴は分かっているのだろうか?
――いや、知るわけがない。
善は前方に現れた、三つの人影を睨みつけたまま、彼等が通り過ぎていくのを待った。
「待って!!」
「ソフィア。頑張ってくれ」
声が耳に微かな余韻を残し、足音は善達から再び遠くなって行った。
「今、ソフィアって言いましたよね」
ケイスは息を飲んだ。聞いてはいけないモノを聞いてしまったと言わんばかりの表情を浮かべ、恐る恐る、善の背中へ視線を移す。
「行くぞ」
しかしケイスの危惧は杞憂だった。
地に伏せていた善は、レイス達が通過したので、中腰の体勢になっていた。遠くに走る背中を、目で追う彼の表情は無く、ただ状況把握のみに神経を向けている。
目の前を走り過ぎた逃走者達は予想通り自ら袋小路へと向かっている。無理に襲い掛かる必要はない。善は、手にする無線機を強く握り締めた。
「彼等の向かう先に、道は無い。逃走劇はここで終わりだ」
*****
「レイス! 森を抜けるぞ!」
テラの声が再び後ろから飛んで来る。レイスは前を見据え、走るスピードを上げた。
「嘘だろ……」
森を抜けた先は、海だった。
水面を照らす物は一つとしてなく、ただポッカリと闇が広がっている。雨のせいで波は荒れ、海から吹く強い冷たい潮風は容赦なく三人の体力を奪っていく。
「しかも、絶壁か」
テラの声にも、諦めに似たものが混じる。レイスは目の前の絶望的に不利な状況に直面し、それでも諦めまいと気配を探った。追っ手の数は信じられないスピードで増え続けている。
軽く目を伏せ、辺りの気配を全身で探りながら、レイスはリオールを自分の背に隠し、森へと向き直る。少し伸びた前髪が激しい風になびていた。
「……海に落ちるのは自殺行為だな」
崖を降りることは可能なのか、確認のために視線を海へと落としたテラが、うんざりしたように舌打ちしたのが耳に入る。慌てて走って来ただけに、先に進めないのは何よりも彼らを焦らせていた。
「まさしく崖っぷちだ」
レイスはつい皮肉を零す。
「上手いことを言っている場合じゃないだろうが。……敵が来るぞ、どうする?」
テラが鼻を鳴らし、自嘲気味に笑うレイスを窘める。
「流石に一緒に心中は嫌か?」
溜息と共に出た言葉は、おどけた口調になってしまった。レイスは苦笑いしながらテラに肩をすかして見せる。するとテラは眉をひそめて、少し怒ったような声色ですぐに言い返してきた。
「言ったはずだ。お前が死ぬなら、俺も死ぬ。……それに、お前が死ぬような場面で俺だけ生き残るなんてことがあるわけないだろう」
「ふん。一回、見捨てようとしたくせに、よく言うぜ」
追い詰められているのに何故、こいつは笑っていられるんだろう? テラは、ムッとした表情を崩して笑うレイスを見て素直にそう思った。
「……死を……恐れてないのか」
「何か言ったか? テラ、おいっ」
「なんでもない」
ポジティブもここまでくると、異常だな。テラはレイスの考え方に小さな違和感を感じずにはいられなかった。
「レイス」
リオールがレイスの様子に不安を感じたのか、声を上げた。彼女は体のあちこちに擦り傷を作り、服が汚れ、ふらふらと安定しない足元は、今にも倒れてしまいそうなほど疲れきっているのが分かる。
「大丈夫だ」
頭を抱えそうな状況ではあったが、レイスはその声にすぐ振り返り、柔らかく笑って見せた。諦めたくはない、そう考えていたから、彼女にこれ以上の不安を与えたくなかった。
「でも……!」
リオールはそんな彼の創った表情を、受け止められるほど賢くはなかった。自分だけが、この危機的状況でただ守られていることが堪えられない……懸命に声を張ったが、それは酷く頼りなく揺れているように聞こえる。
「リオ」
その言葉を耳にしてもレイスは、微笑んだ表情を少しも崩さなかった。そして、黙って逃げ腰の彼女の手を再び握り締める。掴んだ華奢な手は酷く冷たく、震えていた。
「いっただろ。君だって自由になれる、飛べない鳥じゃないんだって」
レイスは両手で彼女の手を優しく包み込む。リオールの震えはゆっくりと彼の手の中に消えていった。
「逃げよう。誰も追いつくことが出来ない所へ、三人で!」
「……うん」
リオールは手を包む温かさに心を決めて、頷いた。
自由になりたい。
外の世界に行きたい。
自分の足で人生を歩みたい。
そして――
「……り、リオ?」
強く思った彼女は、心が思うがままに、レイスの胸に飛び込んだ。
反射的に抱きしめてしまったレイスだが、腕の中の温もりに動揺してしまう。情けないことに、己が赤面していくことも分かった。
「ふん」
まったく初々しい奴らだ。隣に並ぶテラが、口元を綻ばせる。だが、状況が状況なだけに、その顔もすぐに消え、彼は鋭く唸りを上げだ。
*****
〔そこまでだ〕
テラの反応を見て、一歩踏みだそうとした時、目が眩むようなライトが三人の姿を四方から捉える。思わず目をかばったが、すぐにレイスは鞘に戻していた剣の柄に手を添える。
「さすが、<イレブン>と言った方がいいのか?」
光の眩しさに慣れてくると、レイスは口元を笑みの形で止めて、上目で姿を現した兵士等を睨みつけた。数は四十ほど。脅しのように、ライフル銃を構える兵士がずらりと前方を囲んでいる。照明機具が四機、小型の銃を構えている兵士が十人。他も全員が武装している強者ばかり。特にレイスは、ライフル銃を構える兵士の後ろにいる男を――この団体を指揮している善を注視した。
〔抵抗せず、武装解除しこちらに投降せよ。我々は君達を包囲している〕
型にはまる警告の言葉を善は、淡々とマイクに向けて述べていた。その間にもレイスが物凄い眼力でこちらを見ているのが分かる。彼が包囲された程度では、投降する気など無いことなど、善は百も承知だった。
〔抵抗は無駄だ。L―10、いやレイス・シュタール。お前にもこの状況は痛いほど分かっているはずだ〕
逆を言えば、レイスにも善の考えはよく分かっていた。
「抵抗すれば……殺す、だろ?」
〔理解が早いと助かるな〕
「こっちには、リオがいるんだぞ? 出来るのか?」
レイスは背中に隠したリオールを目で示し、善をさっきよりも強く睨んだ。戦闘になれば、彼女への危険は免れない。
だが、善はそんなレイスの言葉を鼻で笑い飛ばした。
〔今更何を言うと思えば。こちらには優秀な狙撃手がいることを忘れたか? 腕前は……お前も身を持って知っているはずだ〕
数日前は、お互いにリオールを守っていた関係だとは思えない、酷く冷めた会話。自分のことを言われているのだと、善のすぐ前で銃を構えるケイスの顔が険しくなった。
善の言う通り、数日前にハザード退治でレイスの背中を守っていたのは誰でもない、ケイス自身だった。きっと近くで待機しているターナーもケイスと同じ思いでいるに違いない。
〔護衛を放棄し、誘拐に失敗したと思えば、今度は脱獄か……<リジスト>の雇われ兵士はなかなか芸達者だな〕
目の前で、ケイスの体が強張っていくのが分かった。レイスを目の前にして、良心の葛藤が始まったのだろう。それも理解した上で、善はあえてレイスを挑発する言葉を選んだ。
「やっぱり<リジスト>のことも調べたか」
レイスは唇を噛む。
「言っておくが、リオを連れていくのは、<リジスト>の指示じゃない」
そうだろうな。善は心の中で何度も頷いていた。<イレブン>にとって<リジスト>は理念も目的もその行動パターンも掴めさせない謎に包まれた危険な存在。その<リジスト>が何の計画性の無い無謀な誘拐を行わせるはずがない。第一に、レイスの纏う気迫は義務的なものとは違う。
「俺の意志だ!」
感情的で、このころの年齢によくある青臭く、そして揺るぎない。レイスを動かしているのは全てが非合理的で理想的な何かだ。善は一種の怒りを心に押し込め、あくまでも冷淡な態度を貫く。
〔今一度聞くが、リオール・アバランティアを誘拐して、どうするつもりだ〕
「どういう意味だ?」
〔独断とはいえ、お前の行動は<イレブン>と敵対する組織にとっては大いに称賛されるだろう。彼女を“手土産”に連れてゆけば、傭兵としての名も上がる〕
「ふざけるな!」
レイスは怒った。善が言っていることが明らかな挑発だと分かっていても。
「リオは自由にさせる。彼女は生きているんだ。お前達の“もの”なんかじゃない!」
レイスは空いている左手をぶんぶんと振るいながら、全身で叫んだ。背後にいたリオールはもちろん、テラや善の周りにいる兵士達もが、彼の激しい主張に息を止める。
「命は“自分”を持って生きるからこそ意味を持つんだ! それなのにお前達は、体も気持ちも全部取り上げて、彼女が生きていることを肯定してない! そんなの、命を殺すことと同じじゃないか!」
体中が熱い。こうやって少しでも無理を重ねれば、呼吸は乱れ、左腕が痛む。レイスは自分の体がもう長くないことを知っている。だからこそ彼は生きることに誇りを見出だしていた。生きていることの幸せを誰よりも強く信じている。
「命は偶然と奇跡で誕生する! それが身動き出来ないようなものにするだなんて、絶対に駄目だ! 周りがなんて言おうと、俺は嫌だ!」
真に迫る言葉というのはこういうものをさすのだろうか。善は息をすることも忘れたように驚いている部下達を見回して小さく息を吐き出した。
〔……だ〕
「は?」
〔自己満足だと言ったんだ〕
「な!?」
〔リオールだけが助かるならそれでいいのか? 彼女がいなくなった後、彼女の一族達はどうなると思っている〕
「……」
〔残念なことに、現在アバランティア制御体として機能するのは、リオールをおいてはまだ未熟で使い物にならない。……が、お前の暴挙によってアバランティア一族の管理がより厳しくなることは確実だろう。自由だと――笑わせるな。彼女と引き換えに彼女の一族の自由がさらに奪われるだけだぞ〕
レイスの顔に苦渋の色が入った。痛いところを突かれている。不意にジャックとジョーカーの顔が頭の中に浮かび上がった。
〔お前は、目の前で起きる事しか見えていない。いや、目の前に起きる不幸を見るのが嫌なだけだ。結果としてお前の行動の果てに誰が幸せになる?〕
レイスに纏う力強い意志が揺らぐのを、善は見逃さなかった。戦わずに言葉のみで事を解決できる可能性があるかもしれない。善は狙いを定め、レイスへと鋭く言葉を突き刺し続ける。
「それは詭弁だと思うぞ」
しかし、言葉を遮る声が善の思惑を壊した。善はその低く抑えられた声を放った方へと目を移す。
「そもそも、その人権を廃したシステムを作り上げたのはお前達だろう。そのシステム上の変化を傭兵であるレイスの責任にするのはお門違いだ」
声は、テラのものだった。彼は腕を組み、レイスの前方へ足を前に出す。そして、逆光の中、善の姿を捕らえ睨みつける。
「それに、レイスの行いはアバランティア一族を自立へ立ち上がらせるには持ってこいな火種になる。この馬鹿が起こした行動の結果に得るものが例え、不幸だとしても。その上で語るのであればこの愉快な逃走劇にも大いに意味があるとは思えないか?」
〔……お前だったのか、T―306というのは〕
「皮肉なものだ。あんたが追う番に成り代わっているとはな」
テラの口元が笑みの形を作る。逆に善は眉間に寄せるシワを一本増やした。
「知り合い?」
「いや……俺に聞かれても」
話についていけないレイスとリオールは、お互いに首を捻る。
〔……何にしてもだ。お前達がこの絶対的不利な状況で何ができる? 投降しろ。それ以外に道はない〕
善はテラを強く睨み、彼には何も言わずに視線をレイスへと戻す。これで、説得という方法での解決は見込めなくなった。スピーカーから流れる淡々と努めた声色も、つい力が入る。
〔正義を貫くが為に、リオとここで心中するのか? 本末転倒だ。彼女も命までも投げ出すとは言わな――〕
「覚悟ならあります」
思わぬ方向から声が上がり、善の意識が途切れた。
声は、レイスの背中に隠れていただけだったリオールからだった。善は彼女の発言を予想しておらず、レイスの背から離れ彼の隣に並び立った事に驚いた。
「私は姉さんがいなくなった時、逃げることは間違っていると思った。周りの人間を傷つけ、迷惑をかけるだけだから」
しかし、一番驚いていたのはリオール自身だった。彼女が自分の意見を<イレブン>の人間にはっきりと口にするのはこれが初めてなのだ。昂揚する気持ちで胸を抑えながら、彼女はレイスを一瞥する。
「でもレイスと出逢って、レイスと話をしていくうちに私、黙って終わりの時を待つことも、間違っていると思った。私がしていることこそ、目の前の事しか見えていなくて、目に見える不幸から目を反らしているだけじゃないかって」
リオールは、善に自分の意志を伝えたかった。自分はレイスに何となくついて行っている訳ではないのだと。一人だけ関係ない人間として扱われたくなかった。彼女はそんな憤りを隠すことなく口にする。
「――私、行きます。誰かが何かを起こさなければ、リスクを冒さなければ、私達一族は前に進めない。姉さんはその初めの一歩だったんだ、と今ならそう思えるから」
〔それが死を早め、大切な人間を失うことになったとしても、君は後悔しないと、罪の意識に捕われないと断言できるのか?〕
「……分からない。でも、私は前に進みたい」
善は無意識のうちに、マイクを持ちながらも、右手の甲に爪を立てていた。
彼にとって、彼女の発言は予想外だった。今までのリオールは、主張せず、己の決められた領分に不満を零さない。そしてなにより組織に協力的だった。
〔まさしく“模範生”――だと思っていたんだが、な〕
もはや、猶予はない。リオールが迷いを持たずレイスと同行しているのならば無茶苦茶な行動も躊躇いなく実行するかもしれない。善は、リオールからレイスへと視線を移した。
「俺が大人しく投降するとでも?」
待ち構えていたように、レイスは剣を引き抜いた。
ブンッと抜き放った剣は絶対的な拒否を意味しており、レイスは善を見て不敵に笑ってみせる。
〔剣を納めろ、レイス〕
最終警告。いや、聞く人が聞けば、善の懇願だった。
「悪いけど、俺は引かない!」
レイスの拒否の言葉に、善は心を決める。顔に出さぬように呼吸を深くし、肩に入った余計な力を抜いた。
犠牲が出る――彼はそれを頭に叩き込みつつも、マイクを指先で叩いた。
初めは二回。トントンとスピーカーからくぐもった音がこぼれ落ちる。
“海に飛び込むそぶりか”
〔次は言わない……剣を納めよ〕
声に紛らせて、次は三回。爪でコンコンと固い音をたてる。
“こちらに突っ込んでくるときは”
〔そうか。殺されてもかまわないということだな?〕
そしてもう一度二回、指の腹で叩く。
“撃て”
「……狙撃班全員。照準をL―10へ。命令通り、動きがあれば一斉に狙え」
あらかじめ決めてあった合図なのか、ケイスは善の暗号を耳にして、小声で一列に並ぶ狙撃者達に命令を下す。
「レイス……どうするんだ?」
ケイスはライフル銃を構えた。スコープに目を押し当て、レイスの左胸を貫く弾道を想定する。トリガーに指をかけ、彼はただレイスの動向に意識を向けているしかなかった。
「おい、大将。大きなことを言い切ったが、ここからどうする気だ?」
レイスの行動を意識しているのは、テラも同じだ。彼は殺気立った空気に反応し、辺りに、特に目の前の銃を構える集団を警戒する。
「この状況下じゃ、最善の手は。海だ」
レイスは視線を善から反らさず、小声で言った。
「自殺行為だとは言ったが、確かに真っ直ぐ突っ込むよりは遥かにましだ」
テラは溜め息混じりに頷き、背中に背負う槍を引き抜く。そして、改めてレイスとリオールの方へ体を向けて、目で狙撃班を示した。
「おそらく、あそこで物騒なものを構えてる奴らは、俺達が背を向けた瞬間に引き金を引く……狙いはレイス、お前だ」
「だろうな。さっきから、俺にむけて妙に殺気が集まってる」
レイスは苦笑し、肩を竦める。怯えることも諦めることもない、その余裕のある態度にテラは更に溜め息を零し、
「いいか。撃たれたくなかったら、俺のいうタイミングで海に飛び込め」
と、槍を無造作に地面に突き刺して、意味ありげに片眉を上げて見せた。
「……何か秘策があるのか?」
「秘策というよりは、非常手段だ」
再び体を正面に戻したテラは何故か苦々しい表情で、突き刺した槍を両手で強く握りしめる。
「いち、にの、さん、で行くからな」
「ああ分かった」
様子がおかしいことに気づいているが、レイスは首を縦に振った。そして隣りに並ぶリオールの手を取り、握りしめる。
「希望を信じよう」
「はい」
リオールはレイスの左手を握り返し、そのひんやりと冷たい彼の皮膚が、彼女から焦りや心の乱れを取り払ってくれるのを感じた。
「いくぞ」
テラを纏う空気が変わる。レイスは瞼を下ろした。
この瞬間で全てが決まる。
「いち」
「にの」
「さん!」
レイスが背を向けたのと、銃声が轟くのはほぼ同時だった。




