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Avalantear アバランティア  作者: 海豹
第一幕 ―起―
40/68

五年前の作戦 3

「総員、ネズミ一匹逃さぬ気で作戦に当たれ! 君達の健闘を祈る――以上だ」


 アベルはマイクを切った。

 とたんに彼の周りに沈黙が下り、それは月の間全体に広まる。司令を下したというのに、一息すらつかず、目を伏せて険しい表情のまま固まっているアベルの様子に、兵士達は行動を起こせずにいた。

 アベルはまだ月の間の兵士には司令を下していないのだから。


「――レキアス」

「はっ!」


 数秒後、低く抑えた声で静かに名を呼ばれたレキアスは、思わず踵を合わせて“気をつけ”の姿勢を取っていた。その表情は通常の落ち着きを払った様子ではなく、緊張に強張っている。それだけ、アベルの押し殺した声には凄みがあった。


「情報伝達部隊には情報管理と、<イレブン>の維持に当たってもらいたい。これからの重要な仕事になる」


 アベルはそこで一度言葉を切り、堰を切ったように息を吐きだした。


「私はL―10の追撃に殆ど全勢力を投資してしまった。今の<イレブン>には第三勢力に対抗する術は無い。言いたいことは分かるな?」

「えぇ」


 レキアスは神妙な面持ちで頷く。


「今からは情報を操作して<イレブン>の状態が外に出ないようにしますね。隙を狙って付け込んで来る輩はいくらでもいますから。警備が薄手なことを危惧していらっしゃるようですが、僕には当然の選択だと思いますよ」


 レキアスの返答はアベルが考えていた物とほぼ同じ内容だった。アベルはそれ聞いて、何か心を決めたように伏せていた目をカッと開き、その場全員が見渡せるように立ち上がった。


「私は現場に賭ける。その分不足する能力を君と私で補いたい。やってくれるか?」

「お任せ下さい。アベル司令官」


 含みの無い、真っ直ぐな受け答えだった。同時に行った優雅な一礼はカンに障ったが、皮肉屋の彼にしては珍しい行動だと善は思う。

 アベルはホッと胸を撫で下ろし、拳に入れていた力を抜いた。すると、月の間の空気も不思議と軽くなる。アベル自身は気づいていない様子だが、空間に与える彼の影響力は凄まじい。善は腹の底で感心し、そして次のアベルの行動の出方を伺っていた。


「さて次は」


 善はタイミングを見計らい、アベルが視線をさ迷わせて口を開きかけたところを狙う。


「善――」

「私は現場に行きます」


 アベルは善の姿を目にして、口を開いた。しかし声にする隙を与えず、善が発言したために、口にするはずだった言葉は形にはならない。アベルは目的を失い、開いたまま固まった唇を怖ず怖ずと閉ざした。


「アベル統括、許可を」


 動揺に畳み掛ける善の言葉は鋭い。アベルは渇きかけた唇を湿らせ、呼吸法で心をを静めながら善の視線と向き合った。


「まぁ……そう言うとは思っていたよ」


 溜息混じる呟きを零してみるが、善は相変わらずアベルを穴が空くぐらいしっかりと見つめている。


――頑として、異議は受け付けない。


 アベルは無表情を繕う善の顔に、そんな意志を感じた。自然と彼は否定する言葉を見つけることが出来ず、次いで出て来た言葉は酷く稚気なものになっていた。


「……北か? 東か?」


 行く先を聞いている――唐突で簡易すぎる言葉に、善は全く揺れ動かず、


「北側森林地区へ。あの地区の地形は複雑で獣道を数に入れれば幾つも道があります。グレイス一人では山勘で目標を捕捉するのは厳しいでしょう」


 迷いもせずに行く先を否定する余地の無い理由付きでサラリと述べてみせた。


「……ふむ」


 どうしたら良いものか。アベルは眉を潜め、少し迷いを表す。

 善には、今の状況を幹部死亡事件に追われている“十一人幹部”に伝え、その後はセリカ街から退却させた住民の対応に回すつもりでいた。地味だが、アベルの次に現場の統率権を持っているの彼ならではの重要な役割だったのだが。アベルは善の表情をまじまじと眺めると、諦めたように苦笑する。


「分かった、現場に向かうことを許可しよう。君に現場統括の指揮権を依託する――現場は任せた」

「ありがとうございます」


 善は声を張り、背筋を伸ばして敬礼し、心から感謝の意を示す。駄目元でも我が儘は押し通してみるものだ。善は内心自分が無茶を言っていたことを理解していた。


――よし、とりあえず準備は整ったな?


「さあ、ボサッとするな! 全員動け!」


 司令を与え切り、ホッと一息ついてやろうと考えていたはずなのに、アベルは無意識の内に叫び声を上げていた。体が、“時間が無い”という、頭の中で鳴り響いていた警鐘に本人の意志を無視して従う気になったのだ。


『了解!』


 途端に月の間の空気にスイッチが入る。その場全員の目に、火が着いていく。


「さて……」

「よしっ」


 そんな中で、善とレキアスが己を鼓舞するように呟き、踵を反したのはほぼ同時だった。


「この場にいる者だけでいい。聞け! 今より、<イレブン>に情報漏洩警戒レベルSSを敷く。同時に箝口令もだ! 作戦行動中、間違ってもアバランティアに関わることや、L―10とアバランティア制御優先体の逃走の事実を<イレブン>管轄領内から、出すことは許されない!」


 口を開いたのはレキアスで、早足で歩きだしたのは善。

 二人の行動が合図になり、月の間が再び忙しい喧騒に飲み込まれる。レキアスは今までのようにその場に留まっていることは無く、月の間を歩き回りはじめた。


「いいか、情報という情報の出口を塞げ。分かるな?――発信源を潰すんだ。システムコンピューターをのぞく高精度の情報発信電子機器も、作戦に使われていない通信機もブロックだ。セキュリティレベルを一気に引き上げろ。ハッキングなどさせられるなよ」


 物凄い速さで、多くの部下達一人一人に指示していくレキアス。情報部隊兵等は、彼の言葉を頭に叩き込むと、月の間に持ち込んだコンピューターに走り寄った。兵の中には分厚い冊子を取り出して、マーカーで何やら細やかな計算を始めている者もいる。


 そんな慌ただしく走り回る兵士達の間をすり抜けて、善はただ廊下を目指す。ざわつき、レキアスの声も埋もれる程騒がしい筈なのに、彼の足音は酷く響いた。


「もちろん、人の流れも忘れるな! 一時的に商業ルートを圧迫させてもいい、外部・内部共に出入りを禁止させろ。作戦に参加していない兵力を全て投資しても良い。<イレブン>に薄汚れた情報屋に躍らされる事になるのだけは回避させるんだ」


 レキアスの声がどんどん大きなものになり、部下達の返事もそれに合わせて大きくなる。……彼が指示をすれば、間を空けずに部下達の返事が返ってくる。情報伝達部隊の纏まりの良さが窺い知れるが、そこへ兵士の一人がレキアスに駆け寄った。


「商業ルートの通行禁止は、町の有力者達や、何かと五月蝿い商人達が良い顔をしませんが……大丈夫でしょうか?」

「安心しろ」


 レキアスはニヤリと笑った。


「文句を言う奴は、力を使ってでも止めていい。お前達で手が負えないのなら、こう言え。“抗議なら、カイザ・レキアスが、直々に話を聞いてやる”とな」

「……」

「だいたいの有力者は、何も言わなくなるだろう。人間誰にでも隠している情報の一つや二つがあるからな。情報伝達部隊の専門は情報収集だ。彼等もその意味が分からんほど馬鹿ではあるまい」


 レキアスの目がすうっと細められる。怖いっ! 話を聞いていた彼を囲む半径三メートル以内の部下達全員がそう思った。


「さぁ、何にしても時間は無い。全員総力を尽くして行動に当たれ!」

『了解!』


 ふと、レキアスの耳に足音が入った。焦りを交えたその速さに、彼は思わず振り返る。そして叫んだ。


「あと、善!」


 足音が止まった。音からして、扉のすぐ前だろう。顔は見えないが、呼び止められ嫌そうな表情になっているのはレキアスには分かっていた。分かっているからこそ面白い。彼は次いで口を開いた。


「“今度は”捕まえられるといいな?」

「余計な世話だ」


 ボソッと低い声が返ってきた。

 レキアスは薄く笑うと、相手が見えていないことが分かりながらも、深々と一礼する。


「じゃあ、せいぜい頑張り給え」


 返事はもう返って来なかった。




 *****





 戸口をくぐり、月の間を出た善は早足で歩き、同時に腰に装着していた無線機を手に取って、回線を切り替え始める。

 キビキビとした行動とは裏腹に、彼の口からは溜息とも取れる息がこぼれ落ちていた。


「まったく……」


 彼にとって月の間でのやり取りは、正直なところ心労を重ねる以外の何ものでもなかった。特に、レキアスの毒の強い台詞を聞き流すのには相当疲れた気がする、と善は思った。


「こちら、善だ。北側森林区域現場統括のグレイス、聞こえているか?」


 ようやく目的の回線に切り替わり、視線を前に戻した善は、たまたま開いていたエレベーターに滑り込むように乗り込む。


〔北側森林区域、グレイスより善。聞こえている〕


 二秒後、無線口調で返事が返ってきた。善はそれに答えようとしたが、目の前に佇む人物を目にしてその動きを停止する。

 更に気付けば、反射的に半歩下がっていた。


「……ノワール様」


 エレベーターには<イレブン>の最大権力者が乗っていた。変わらず黒いローブは顔を隠し、こぼれる長い髪は柔らかく波打っている。ただ、今の彼を纏うものに妙な気迫を感じ取った善は、無礼と知りつつも距離を大きく空け、ノワールから目を離さなかった。


「かまわん。会話を続けよ」


 そんな無礼な態度にも、ノワールは微動だにしなかった。そのかわり、善の一連の動作を戸惑いと解釈したのか、彼は小さく頷き、善の手元の無線機へ顔を向ける。


「はい?」


 善は何の事か解らなかった。


〔善、応答を〕


 しかし、グレイスの声が耳に入り、ようやく自分が無線に応答していないことに気づく。再びノワールを見れば、彼は無線機をずっと見つめていた。早く出てやれ、ということらしい。


「すまない。私だ」


 軽くノワールに会釈すると、善は早口で応答した。そして、降りる気配を感じた彼は、慌ててエレベーターの階数スイッチの一階を押す。


〔どうした?〕


 なかなか返事が返って来なかったこと、何やら善の落ち着かない息遣いから、グレイスは酷く心配そうな声色で善の返答を待っていた。


「今、そちらに向かっている」


 善は息を整えると、成るべくこちらの動揺が伝わらないように努めて言葉を発した。


〔本部を抜けてきたということか?〕

「ああ」


 グレイスの声に、呆れが入る。また無茶をしたんだな、と口にされていないが、善には彼がそう苦笑いしている姿が容易に想像できた。


「分かるとは思うが、北側森林区域の指揮権は私に移項する。全員に伝えよ」

〔了解〕

「そしてグレイスには、副指揮に回ってもらう。そのまま現場を纏めていろ」

〔了解。俺はG―2ポイントに陣を張る〕

「私もそちらに向かう」

〔待ってるからな〕


 最後に茶目っ気のある言葉を残し、グレイスは回線を切った。

 会話中から善は、背中に痛いほどの視線を感じていたが、やがてエレベーターが三階で止まると、そんな気配が消える。


「ドアが開きます」


 機械の合成音が、ポンと軽やかな到着音と共に鳴り響き、目の前のドアが開く。途端にノワールが真横を通り過ぎ、出ていこうとするのが分かった。


「あまりやり過ぎるなよ」


 ノワールが横を通り過ぎるほんの僅かなとき、善は彼が自分の耳元で語りかけて来る気配を感じて、鳥肌が立つのが分かる。


「“肥やし”には足掻くだけ足掻いてもらった方が良いからな」


 言葉の意味が、分からなかった。

 聞き返そうとしたときには既にノワールはエレベーターを降りていて、彼の姿はドアが閉まり遮られた。

 結局、何だったんだろうか。善は眉間にシワを更に刻みかけたが、すぐに一階に降りていたので、慌てて疑問を振り払う。


「こちら善。ケイス、応答願う」


 開いたドアを通り過ぎ、再び彼は無線機を口元に当てる。騒がしく、混雑しはじめた一階のエントランスフロアの中、兵士と兵士の間を縫うように歩き、相手の応答が返ってくる前には、彼は雨で泥濘るんだ土を踏んでいた。


〔こちら狙撃班、班長ケイスです。リーダー、どうぞ〕

「ケイス。今どこにいる?」


 聞き慣れたアルトボイスが耳に入ると、北側森林区域を目指していた善は一度、足を止める。


〔現在、K―1とJ―5ポイントの間やや東寄りに潜伏中〕

「私が北側森林区域の指揮権を持っていることは知っているか?」

〔はい〕

「分かっているのなら、命令だ。お前達狙撃班は速やかにG―2ポイントの停留場所に向かえ。私もそちらに向かう」


 善はケイスが率いる狙撃班と合流することが第一目標だった。


「五分以内に到着しろ」

〔了解〕


 通信は慌てて切られた。

 <イレブン>の領地には、訓練や作戦行動を行う為に、施設を中心に円を書くようにポイントが置かれ、名前が付けられている。一つの区切りは約五十メートル。ケイス達は今の命令で一キロほどの距離を銃器を抱えて走ることになった。


「いつまでそこにいるつもりだ。ターナー」


 無線機の回線をいじりつつ、ケイス達との合流場所へ向かおうと歩きだすと、善はそのまま背後にむけて声を投げた。


「あら、ばれてました?」


 すると、近くの木の影に紛れるように身をひそめていたターナーが、気まずそうに現れる。


「盗み聞きしていた訳じゃないんですよ。たまたま、リーダーの声がしたから何話してんのかな~って思ったもんで」

「お前にはまだこちらに向かえという連絡をしていないはずだ」


 そういうのを盗み聞きと言うんだろうが。善は溜息とも着かない言葉でターナーの言い訳を遮ると、振り返りざまに冷ややかな目で彼を睨みつけた。


「まぁ……でも、呼ぶつもりだったでしょ?」


 眼力に押され、数歩後ずさるターナー。

 善はまぁいい、と小さく呟いて再びターナーに背を向けた。


「時間が無い。ついて来い」

「りょーかいっす」


 返事が返ってきたと同時に、善は思いっきり土を蹴り、走り出す。続いて後方からも土を蹴り出す音がした。


「何分集合にしたんです?」


 後ろで踏み出し音を聞いたと思えば、次の瞬間には真横から、おどけた声が聞こえて来る。


「あと四分だ」


 相手の脚力に舌を巻きつつ、善は腕時計に目を落とした。


「四分!? 間に合うんですか?」

「……」

「あ……もしかして、遅れてるのって俺のせい?」


 善は何も言わずに走るスピードを上げた。




 *****




 三分四十七秒後、善とターナーはG―2ポイントの停留場所に到着した。

 停留場所は木を切られた開けた場所であり、多くの戦闘員達が右往左往している。まだ戦闘は無いため、負傷者はおらず、その場全員には闘志をみなぎらせていることが肌で分かった。


「善、待ってたぞ」


 そして中心には簡易なテントが立てられており、その中でグレイスが手を振っていた。


「まぁ、座ってくれ」


 全力で走ってきただけに、息を整えるのに手間取ったが、善はターナーを引き連れたままテントに入り、グレイスと対面する椅子へと腰掛ける。


「現状は?」

「まだL―10らしき存在は発見していないわぁ」


 グレイスの後ろにはシエルが控えていた。相変わらず、微笑みを絶やさない表情でやんわりと言葉を口にしている。

 近づいてみて気づいたが、グレイスとシエルは、さっきまで降っていた雨で濡れ、湿気を含む土で全身汚れていた。恐らくあちこちをひたすら走り回っていたのだろう。


「奴はとっくに外に出てるはずだぞ」

「分かっているさ」


 頬まで泥で汚しているグレイスは、疲れを滲ませた表情で、善の非難じみた言葉に唸った。


「しかし、悪天候に月も出ない暗闇だ。視界や嗅覚が効きにくく、捜索が難航している。おまけに濡れた森林は兵士達の体力を大きく削ぐから、そう簡単には――」

「最近導入したサーモグラフィは? 役に立たないのか?」


 善はグレイスの徒労の声を遮り、テントの隅に置かれた機械へ目を向ける。善の視線を追ったグレイスは、思い出したように声を上げた。


「あれか……」


 アタッシュケースの中に埋め込まれたようなそれは、複雑にコードが繋がれ、一緒にくっついている緑の画面は、赤や黄色の奇妙な模様を浮かべては消えるを繰り返していた。


「使ってはいるが、まだ使い勝手が悪い。センサーの精度も粗く、獣と人の分別が付きにくい」


 グレイスは肩を落としながらそう語ると、一瞬善の横にいるターナーへ目を合わせる。


「敵の体温を利用して、居場所を発見するというアイデアは斬新だがな、まだ改良の余地があるように思えるぞ、ターナー」

「使い方が悪いんだよ、使い方が。ついでに言うと、体温じゃなくて感知してるのは赤外線だから」


 グレイスの機械への苦情に、ターナーがいち早く反応して、機械へと走り寄る。


「もっと感知する範囲を限定すれば良いんだよ。範囲が広すぎると小さい虫とかまでセンサーが拾ってしまうだろ」

「まあ、サーモグラフィはターナーに任せるよ」


 グレイスは、機械をいじる彼の背中に苦笑いした。そしてそれも、善と向き合うときには険しいものに拭い去られていた。


「善」

「なんだ?」


 知らない内に腕を組んでいた善は、低く抑えられたグレイスの声に、眉をひそめる。


「俺が言うのもなんだが。奇妙じゃないか、この展開。イヨールから聞いたぞ、これじゃまるであの時と――」

「そうだな」


 善は素直に気持ちを表情に表した。グレイスは、彼のその顔が酷く怒っていることに絶句する。


「五年前と同じだ。脱走のやり口から天気や兵士達の緊張感までも、まるでコピーしたかのような錯覚を覚えるほどだ」


 眉間に深々とシワを寄せ、善はイライラしていると言わんばかりに、右手の甲に左手の爪を立てた。


「奇妙だ。ここまで完璧にしてやられると、この騒動を裏で操作している輩がいるのではないかって考えたくなる」

「タイミングを計ったように、十一人幹部の内二人が原因不明な変死をしてるし、もしこれが誰かの策略だとしたら、悪質だ。気分悪いな」


 グレイスは善を肯定し、諭すように言葉を選んだ。俯き加減で話す善が、思うように進まない状況に確かな焦りを感じていることを、彼なりに理解しているのだろう。


「この騒動で喜んでいるのは、他人の不幸を好む悪趣味なリーダーぐらいだろう」

「……まさか、レキアスの奴の茶番劇とか言わないだろうな?」

「そうは言っていない。まぁ、私もその線を疑ったが、奴は白だ。考えすぎだとは思うが、出来過ぎている」


 てっきり、過去の傷をえぐられて辛い思いをしているのだろうと心配していたグレイスは、善の怒りの矛先が想像以上に現実的なことに驚いた。


「リーダー、やけにご立腹ですねぇ」

「レキアスのせいだろうな。あいつは何かと善の過去を突きたがるから、本部で相当あることないこと言われたんだろう」


 小声で話し掛けてきたシエルに、グレイスは唇を極力動かさないように話す。だが、リオールの誘拐騒動の展開は明らかに五年前の事件と一致するのは事実であり、そこには何かしらの意図を感じるのは、グレイスも同じではあった。


「グレイス。伝令よ」


 そんな時、静かで冷ややかな声がやり込んできた。善ははっと我に返ると、声がした方へと体ごと向けた。


「どうした、イヨール」

「あ、リーダー。いらしていたんですか」


 声ついで、姿を表したのはイヨール。彼女は善を見て一度立ち止まると、軽く一礼すると、グレイスへ視線を向けて言葉を続けた。


「排気口に向かっていた先導隊の一隊からの連絡が途絶えたわ」

「L―10と接触したか」

「恐らくは、そうかと」

「とうとう現れたか」


 グレイスに頷きかけるイヨール。善はその姿を見て、すぐに行動を起こした。


「ターナー、サーモグラフィで人の通常の温度を少し超える高温の生物だけに限定して、ここから半径一キロ内に検索を掛けろ」

「なんで高温生物を?」

「いいからやれ」

「りょーかい」


 一度は首を捻ったターナーだが、善の言う通りに機械をいじる。


「一つ引っ掛かった。大きさからして人か熊ほどの哺乳動物。ポイントはG―5。このまま海岸に向かって移動中。速さはそれ程速くないな」


 数秒後、機械の画面を注視していたターナーが善へと振り返った。


「それだ」


 善はターナーの報告に大きく頷く。


「グレイス」


 善は視線をグレイスと交差させると、グレイス分かっていると頷き、テントから出ていく。


「全員聞け! L―10を発見した。ここにいるメンバーは目標を海岸追い詰めるように、囲い込め」


 善はグレイスと共にテントを出て、声を張り上げた。その場に待機していた兵士達はようやく出番かと、威勢の良い返事を返し、次々と森へ駆けていく。


「一班、二班は俺が先導する。いくぞ!」


 グレイスも善の命令になんら異議なしといった様子で、適当な人数の兵士をまとめて、森の奥へと走った。


「だから、なんで高温生物に限定したわけ?」


 一方、テントの中で今だ首を捻り続けているターナー。すると、走り去るグレイスの背中を眺めていたシエルが、呆れたように肩を竦めた。


「ターナーぁ、あなたは風邪をひいたことないのぉ?」

「どういう意味だよ?」

「人間はぁ、体に害をなす異物と戦う能力があるねぇ。風邪の時、熱が出るのは病原菌と戦ってますってことでしょぉ?」

「あ、なるほどな」


 シエルの言わんとしていることが分かったターナーは、サーモグラフィを片付けながら苦笑した。


「レイスは結晶化病クリスタル・シック。常に硬化を続ける肉体が皮膚を再生させようと必死になってるんだったっけ。そりゃ、あいつの体温は普通よりは高いだろうな」


 しっかりと機械のケースを閉めたターナーは、それから手を離す。そして、サーモグラフィに記された情報を書いたメモ用紙に目を落とした。


「……対象表面温度三十七.六度。あいつそんな体で逃げ回ってんだな」

「ターナー」


 シエルは、ぽつりと零した彼に何も言えなかった。


「シエル殿。我々も出動しましょう!」

「えぇ。今行くわぁ……ターナー、行きましょう?」


 テントに顔を出した兵士にシエルは慌てて頷き、沈んでいるターナーを無理矢理立たせ、走り出した。


「狙撃班は来ているか!」

「はいっ」


 停留場所の中心で叫んだ善の声に、飛び出して来るように駆け出してきたケイス。戦闘服を着込み、ボルトアクション式のスナイパーを抱える彼は酷く疲れた表情をしていた。五分以内という制限時間を守った彼等は、皆この冷え込んだ天候の中、大量の汗を顔に浮かべていた。


「お前達は、私について来い」

「了解」


 ケイスはその場で敬礼をし、背後で待機する隊員に手による合図を送る。善はその様子を見届けると、一度テントに戻り、上着を脱ぎ捨てた。下のワイシャツの上から着込んでいた戦闘服には、小型ナイフが多く装備されており、現状の物々しさを示していた。


「準備は良いな?」

「はい」


 善は一度隊員達を見つめると、背中をむける。

 ポツリと、頬に冷たいものが当たった。


「雪」


 後ろで誰かが呟くのが聞こえる。


「……急ぐぞ」


 善は、停留場に置かれたライトの光を受けチラチラと舞い降りる白い妖精達を視界に入れながら、走り出した。



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