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Avalantear アバランティア  作者: 海豹
第一幕 ―起―
4/68

特殊部隊のお仕事

「プランBへ移行。これより本部隊は突入を決行する」


 暗い、狭い、空気が悪い。

〈イレブン〉特殊部隊リーダーのぜんは、天を貫くと評される摩天楼の街、セリカで一人、排気ダクトの中を這いつくばっていた。

 高さ、幅共に規格サイズより大きめのダクトは、善の侵入を受け入れたが、体つきの良い男にはそれでも窮屈だった。更にダクト内は蒸し暑く、五メートルおきに付けられた金網から生暖かい空気が流れ込んでくる。額に浮いた汗は、すぐに滴り落ちてきた。


「繰り返す、本部隊は予定通り作戦をプランBへ移行する。それから」


 汗をぬぐうこともせず、善は耳に当てた通信機に全神経を向けている。さらにこの悪条件の中でも彼は苦い表情一つ見せず、冷静な面持ちでいた。


「――ケイス、目標ターゲットを射程範囲内に入れておけ。グレイスとシエルは戦闘部隊を連れて出入り口を占拠。くれぐれも中の者に気付かれないように注意は怠るな」


 リーダーである彼の役割は作戦の指揮である。指示を与える立場の人物が、ダクトで這いつくばっているというのは、奇妙な状態ではあったが、善は大真面目に進行を続けていた。

 利便性を重視した薄型の通信機を肩と耳で挟み、バランスを保つ。左手のペンライトで方向を確認、右手で壁を押して体を前にずり出す――気の毒なほど地道な進行作業は繰り返される。


「ターナー、聞こえているか?」

「はいはぁ~い。はっきり、くっきり、ばっちし聞こえてますよ」


 軽い調子の男の声が耳に入ってくる。よほど機嫌が良いのか、耳を澄まさなくとも鼻歌が聞こえた。ご機嫌な理由は聞かずとも善には分かる。彼がこの薄型通信機の開発者だからだ。奇天烈な発明が好きなこの部下は、今回の作戦に携帯電話なるものを投入してきた。それが難なく使用できていることがうれしいのだろう。緊張感がない発言には問題があるが。


「現在のそちらの状況を報告してくれ」


 ため息を押し込め、善はあくまで冷淡に言葉を続ける。


「建物のエネルギーコントロールは一つの制御室が行っていたので、とっくに制圧は終了しています。念のため現在は、爆破処理の予備準備を進めているところで、こっちは大丈夫ですよ」

「そうか」


 頭が壁にぶつかった。

 携帯電話と報告に注意を向けすぎたらしい。少々痛いが声には出せず、唇を噛む。なぜならダクトのすぐ下の居室には、今回の任務の目標がいるのだ。


「各自準備が整い次第、私の合図で行動しろ。それまでは待機」

『了解』


 さまざまな種類の返事が耳に届き、彼は携帯電話の通信を繋げたまま、それを胸のポケットへと収める。とりあえずは順調のようなので、ただ前進することに集中を向けた。

 しかし今度は足が壁に当たり、擦れる音が発生。いくら集中すれど、己の不慣れな潜入技術はどうにもならない。善は自分の体の大きさをを呪って心で舌を打ち、それでもただ進み続けた。

 あと三メートル。

 もう少しで侵入可能な金網に到達する――その時だった。


「おい、イヨールよ。先ほどから何か物音がしているようだが?」


 冷たい汗が背中を滑り落ちるのを善は感じる。

 声は善の携帯電話ではなく、体の下から放たれたものだった。

 女性をベッドに誘う中年の男が、不審そうに首を傾げている様子が金網ごしに見える。


「嫌ですわ、旦那様。きっと腹を空かせた子ネズミではありませんか? 明日、清掃の際に綺麗に駆除致します」

「そうか」


 助かった。

 善は思わず息を吐き出した。目標と共にいる女性、イヨールも〈イレブン〉特殊部隊の隊員であり、善の部下であった。恐らく彼女は善が近くにいること感じ、機転を利かせてくれたのだろう。


「旦那様。今日はいつもの厳つい男どもはいないのですか?」

「あぁ。今宵は二人だけだ――不満か?」

「いいえ。ただ、いつも護衛を仕事としていますと、守りもなく、更に丸腰では落ち着かないものでして」


 うまい。善は耳をそば立て、二人の会話で大体の状況を把握する事ができた。彼女なりに現状を伝えようとしているようだ。

 現在、目標は護衛の一人もつけておらず、室内にはイヨールと二人のみ。更に丸腰。だが何の守りも無いとは信じにくい為、彼等の近くに武器か何かは置かれているだろう事も推測できた。

 さて、どのタイミングで突入したら良いものか。善は下の様子をうかがう。

 今回、統括より下された任務は目標の拘束。難易度はレベル2。特殊部隊では標準的な仕事である。


 だが、目標がなかなかの曲者だった。


――〈イレブン〉都市開発部隊総務部長、つまりは身内なのだ。

 目標はその地位と権力で私兵を組織・隠蔽し、〈イレブン〉への反逆行為と思われる作戦を企て、さらに都市開発のために支給された資金を他組織へ横流ししているという。

 身内の弾劾。公安じみた仕事は通常の戦闘系の作戦とは違い、騙す、騙されるが主になる、駆け引きが勝負となるのだから何かと面倒が多いのだ。

 わざわざイヨールを二ヶ月も間諜として送り込んでいた手間を考えると、これはレベル2どころではなかったなと、善は思うのだった。


「ところでイヨール。君はどこの部隊の回し者なのかな?」


 下で動きがあった。イヨールに詰め寄って、それとなく逃げている彼女で欲求を満たそうとしていたはずの目標が、突然銃を取り出した。微かに撃鉄を引き起こす音が聞こえたが、気のせいではないだろう。嬉しくない展開である。


「バレたか……思ったより頭は回るらしいな」


 付け焼き刃の善の潜入技術とは違い、イヨールの間諜としての能力は折り紙つきだ。私欲に目が眩んだ裏切り者には到底見抜けぬと思っていただけに、彼は感心しながら繋がったままの携帯電話に意識を向ける。


「作戦変更。繰り返す、作戦変更だ。目標がイヨールの正体を疑っている。プランDに変更する」

『プランD?』


 状況の変化に動揺する者はいなかったが、困惑した声が一斉に返ってくる。ざわつく一同の思いを代表し、部屋の扉付近に待機する、サブリーダーのグレイスが言葉を紡いだ。


「善、プランDとは? 作戦資料にあったか?」

「悪いな。今作った」

「はぁ?」


 この状況に似つかわしくないグレイスの大声に善は顔をしかめる。


「作ったって、どういうことだ」


 グレイスの混乱は当然の反応だ。善も己が無茶を口にしていることは理解している。だが、こうしている間に有能な部下が命を落としかねない。考えた結果、善は過激な手段を選択した。


「一体、どうする気だ?」


 まだ何か聞きたそうなグレイスを無視し、善は眼下の金網に手をかける。慎重に引き上げてそれを外すと前方に置いた。


「先に私が行動を起こす。指示は折々出すから――頼む」


 再び携帯電話を胸ポケットに収め、侵入口へと足をかける。


「おい!」


 グレイスの叫び声と同時に、善は飛び降りた。


「む」


 〇.七秒後、着地したのは柔らかなベッドの上だった。

 自重で足元が沈み込み、体の重心が前に傾いてバランスを崩す。よって、次の行動へ移るまでに三秒間、時間を浪費した。


「何者だ、貴様!?」


 もし相手が戦闘慣れした兵士であれば、その三秒間のうちに善の頭に向けてトリガーを引いていたかもしれない。


「答えろ、どうしてここに――痛っ!」


 だが、目標は兵士でもなければ、戦いを経験したことのない中年男。事務職に身を沈めた素人に、通常以上の反射能力があるはずがない。銃が向けられたときには、既に善は体勢を整えて、左足で銃を蹴り上げていた。とはいえ、善には冷や汗ものである。


「突然の侵入、失礼いたします」


 善はそんな動揺を噫にも出さず、ベッドから音も無く降りる。蹴り上げた銃を素早く拾い上げ、恭しく一礼した。


「質問にお答えします。私は〈イレブン〉特務総合部隊リーダー、善です」

「特殊部隊!?」


 目標は手首を押さえ、後退した。彼の目に狼狽の色が伺える。汚職の現行を目撃されていたようなものなのだから、驚いて当然だろう。

 善は背筋を伸ばし、相手を威圧するように目標を見下ろした。


「何故、こんなところにいるのだ」


 声が震えていることを隠そうともせず、目標は問う。善はそれに対してたっぷり間を取り、相手の焦燥感を煽ってから口を開いた。


「それにもお答えします。我々は貴方を拘束せよ、との任を承っております。従って乱暴と知りつつ、このような手段をもって参上致しました。都市開発部隊、総務部長殿」

「公安から回されてきたのだな?」

「お答えいたしかねます」


 冷めた、事務的な会話が途切れると、目標は落ち着きと威厳を取り戻そうとしていた。善が己より低い地位の者であるということに安心しているようである。


「私を拘束するだと? 何を指し、貴様は私を捕らえようとするのだ。全くそんなことをされる覚えがないのだがね」


 少し語気を強めに目標は言い、大げさに肩をすくめて見せた。

 善はその様子に多少の苛つきを感じて、我慢する。初めくらいは白を切るだろうとは思っていたが、やはり真っ向から言われると気分が悪いのだ。


「無許可による兵士の召集、及び私兵の組織・隠蔽、そして敵組織への資金横流し等、十分罰せられると思われるのですが」

「証拠は?」


 まだ言うか。善は眉間の皺を一本増やし、言葉を続ける。


「お分かりかと思いますが、そこにいる娼婦……いえ貴方の護衛は、二ヶ月前から潜らせていた私の優秀な部下でして」


 さりげなく目標の背後に回り、退路を塞いでいたイヨールは、自分のことを示されやや深く一礼する。


「彼女が得た情報が立派な証拠になります。もう言い逃れはできませんよ」

「なるほど、さすが《イレブンの悪魔》と名高いだけはある。用意周到だ」

「当然のことをしただけです」


 驚くほど目標は落ち着いていた。善はその姿に微かな違和感を感じ、真意を探ろうとする。

 怪しんだのもつかの間、会話の途切れたのを見計らったように、バルコニーへの扉が蹴破られた。


「しかし、私も素直に捕まる訳にはいかないのだよ」


 バルコニーからは、八人ほどの武装した兵士達が乗り込んでくる。全員が銃器を所持し、装備も重厚。そのどちらにも統一した装飾が施され、やけに華やかだった。これでは隠密兵力ではなく近衛兵だ。金のかかったその姿に、善は思わず苦笑した。


「この兵士は例の……」


 明らかに<イレブン>の兵士ではないな、とイヨールに説明を求めると、彼女は善に向けて大きく頷く。


「察しの通り、隠蔽していた私兵です。ほんの一部ですが」

「そうか」


 ならば、と善は銃を構えた男達の前に堂々と歩み寄る。思いの外、しっかり護衛を張らせていたことに彼は大いに感心していた。

 〈イレブン〉の上層部の人間は大抵、スキだらけで無防備な人物ばかりだと常々彼は軽視していた。だから、この人数の兵士をそばに置いているとは思ってなかったのである。

 しかし予定外の事態の連続に、相手を甘く見積もりすぎていた、とも反省した。


「銃を捨てろ」


 善が一歩進む度、兵士たちの殺気が強くなっていく。それでもかまわず彼は前進した。


「ここで飛び道具を使うには狭すぎる。跳弾すれば誰に当たるか分からないぞ」


 分かっているのか、やや侮蔑を込めた言葉を投げる。それでも銃の向きを変えない彼らを見て、一定の距離で善は足を止めた。相手の反応を見ることで力量を測っていたのだが、存外素人なのだと気づいて、彼は残念そうに一息吐き出した。


「忠告はしたぞ」


 返事がないが、従う気のない兵士達に向けて善は戦闘体勢をつくる。途端に、彼の体を冷たい闘志が纏った。


「イヨール、お前は下がっていろ」


 丸腰状態のイヨールに目標の銃を与えてそう命じると、彼女は頷いて二歩下がる。


「この人数相手に、一人でやる気か?」


 すると黙っていた兵士の一人が口を開く。彼は顎で入り口のドアの方を指した。


「外で張っている連中に助けを求めた方がいいだろう? 二十、いや三十以上いるのなら、そっちの方が効果的だ」

「なるほど、まんざら三流というわけではないようだな」


 こちらの手を読んで、発言された兵士の言葉に、善は冷笑する。そして、同時に首を左右に振った。


「この狭すぎる空間にその人数でいけば少なからず我々に隙ができる。そこを突かれて目標に逃げられては面倒だ。それに部下の手を煩わせなくとも、この程度なら私一人で十分だ」

「馬鹿にしているのか?」


 兵士の怒りを含んだ声が響く。状況は八対一。どう見ても数に差がある。しかし善は涼しい顔で“この程度”と言ったのだ。憤るのは当然だろう。


「いいや、私は場所を選ばない冗談も悪口も嫌いだ」


 大真面目な善の言葉に、兵士は悟るように目を閉じる。


「そうか。ならばその判断を後悔しながら、死ね」


 再び開かれたその瞳は冷酷な色に染まっていた。



*****



「おい、おーい、善! くそっ、あいつ聞いちゃいない」


 善がダクトから飛び降りたその頃。

 部屋の外で中隊規模の兵士を引き連れ、待機を命じられていたサブリーダーのグレイスは、室内からの銃声を聞き、忌々しいと携帯電話を睨みつけた。心なしか、携帯電話を握る手が白い。力のあまり小さな通信機はミシミシと、悲鳴を上げていた。開発者がいたら、大急ぎで取り上げるに違いない。


「何を考えているんだ、あいつは」


 事前の打ち合わせにはなかった作戦をその場で作り上げ、たいした説明もなく飛び込んでいった善。混乱する現場を静めつつ、様子を伺っていれば部屋から聞こえる銃声の嵐。忍耐強いと定評のあるグレイスだが、さすがにこのリーダーの暴走ぶりには我慢できなかった。


「シエル、この状況をどう思う?」


 背中の愛刀二本に手を伸ばし、ふとすぐ後ろで沈黙を守り続ける部下へ、目だけを向ける。


「そうですねぇ……とりあえずは助けに入る必要はないと思いますよぉ。リーダー強いですし」 


 やんわりとした独特な口調で答える、シエルと呼ばれた女性は困りましたねぇと、ライトグリーンの瞳を細めた。

 傍目では全然困っているようには見えないが、グレイスの赤い双眸は彼女の眉間にくっきり皺が寄っているのをとらえている。


「……相変わらず、分かりにくい」

「何か言いましたぁ?」

「いや、別に」


 表情が読みにくい部下は、ポカンとした顔でグレイスをしばらく見つめていたが、やがて思い出したように視線を扉の方へ向けた。

 先ほどまでの耳を塞ぎたくなる銃声が消えている。


「でも本当に、リーダーが暴走なんて、らしくないですねぇ」

「珍しい。年に一度もないぞ、こんなイベント」


 軽口をたたき合いながら、二人は低くしていた体勢から立ち上がる。グレイスは刀、シエルは鞭を、それぞれが得物を手にした。すると後ろに続く三十名の戦闘部隊の兵士達もそれに習う。


「どうしますかぁ? 突入命令は出ていませんよぉ」


 全員が戦闘隊形に揃いつつある中、今更ですが、と付け加えて言うシエル。その表情はどこかこの状況を楽しんでいるようにも見えた。


「お前、実は結構性格悪いんだな」


 せっかく行動しようとしているのに水を差す彼女の言葉は、グレイスの凛々しい眉を八の字にさせる。


「いえ、それほどでもないですよぉ」

「褒めてないんだが、なっ」


 ニコニコしているシエルの栗色の髪を、くしゃっ、とかき回すとグレイスは改めて刀を握り直し、振り返ることなく大声を張り上げた。


「皆も分かるだろうが、リーダーの暴走と断定できる状況であるため、緊急プラン実行を決断する。これより本隊の指揮権はこのグレイス・レイファールが持つ。総員突入!」

『了解』


 返事と同時にグレイスは双刀を扉に向ける。

 次の瞬間剣が動く軌跡が走り、扉は派手な音を立てて木片が飛び散って破壊された。

 派手な演出と共に登場した侵入口に、シエルをはじめとした兵士達は競うように突入していく。


「ヒーローの登場は、派手な方が格好いいだろう――なんてな」


 頬に掠める木片を誇らしげに見つめ、グレイスは彼女達に続いて進行する。あれだけ激しく斬りつけたのに、刀に刃毀れらしい損傷が見られない。彼の技量が刃そのものへのダメージを軽減させているのだろうか。


「無駄な抵抗はせず、大人しく従え! 我々は――って、すごいなこの部屋」


 部屋に入るなり、血の臭いが鼻を刺激し、グレイスは眉を寄せた。壁に軽く触れると、まだ真新しい血痕があることが分かる。

 暗い部屋を見上げれば、照明が粉々に割れており、足元にガラス片として散っている。中心に置かれたクイーンサイズのベッドが、元の形が分からなくなるほど銃弾を浴びせられており、脆くなって半分に折れていた。その折れていた突き出た木材がなんとも痛々しい。

 更に奥へ目をやると、敵側の兵士が倒れているのが目に入った。

 相手の残存勢力はわずかで、これは突入する必要なかったな、とグレイスが思い始めた頃。視界に血だらけで座り込む男の姿をとらえた。それが誰かと理解すると、グレイスは走り出す。


「善!」


 まさか、やられたのか! うずくまる善をに駆け寄り、グレイスは刃を残党へ向けてさまよわせる。


「……あれ?」


 だが刀を向けた先に、まともに戦えそうな人間など一人もいなかった。護衛と思わしき兵士達は自ら発砲した銃弾によって被弾し、倒れている。被弾していない者も善と戦闘したらしく、壁に叩きつけられたような痕を残し、その下で崩れていた。その他の者も、戦闘部隊の兵士が現れたことで、戦意をなくしている。


「私に近づくな!」


 唯一、全く無傷なのは目標だった。部屋の奥で半ば狂乱状態で銃を〈イレブン〉の兵士に向けている。よく見ると彼の周りには、ベッドの大きな木片が投げられたような形で転がっている。恐らく流れ弾が目標に当たるのを防ぐ為に、善が戦いながら投げていた違いない。気休めにしかならないその手段が、功を奏したかは不明だが、あくまで無傷で拘束したいという意図に、グレイスは苦笑するしかなかった。


「グレイス、救護班に至急連絡を入れろ。死者を出してはならない」


 しばらく呆気にとられるグレイスだが、怪我をしたと思っていた善が、何事もなかったように立ち上がったことで我に返る。すぐにシエルを探した。


「シエル、ターナーに伝令。そちらに待機させている救急メンバーを呼び寄せるように、と」

「はぁい。了解ですぅ」


 鞭をしならせ、目標を見ていたシエルは元気よく返事を返す。


「それと、爆破の件は白紙にしろと伝えてくれ」


 善が思い出したようにグレイスの声に続ける。重ねて返事をするシエルは、軽快な足音を立てて部屋を出て行った。


「イヨール、目標を拘束するぞ。グレイス、お前の命令違反についての話は後だ」


 次々に命令を下していく善の姿に内心ほっとしたグレイス。だが、イヨールがこちらを睨みつけていることに気づき、慌てて刀を構え直す。

 まだ任務が終わっていなかったことを、ようやく思い出したのだ。


「貴様等、こんな事をして、ただですむとは思うな!!」


 目の前で自慢の私兵が倒され、武装した兵士に囲まれている目標は、近づく全ての者に銃口を向けている。その無駄な悪あがきに、グレイスは肩をすくめた。やれやれ、といった気持ちが一同に伝わる。


「ただですまないのは、貴方の方だ」


 鋭い言葉が善の口から紡がれ、一瞬でその場の空気が凍りついた。再び緊張感が空間を支配する。


「現状を見なさい。一歩前にでて、火傷をするのは貴方だ」

「何だと?」


 鋭く、どこか言い聞かせるような善の言葉遣いに、目標は目を剥いて銃口を彼に向ける。善は応戦しようとする周りの兵士達を手で制すると、目標に一歩近づいた。


「あなたはここで我々に囲まれているだけではなく、隣の高層ビルから銃に狙われています。あなたは私に発砲する前に撃ち抜かれるでしょうね。揺れるヘリから地上の三十センチの的を撃ち抜く、優秀な部下です。狙いを外すとは思っていません」


 それに、と善はポケットに滑り込ませた携帯電話を出してみせる。


「建物のエネルギー制御室は我々が制圧しています。この小型通信機は例外ですが、現在は外線・内線共に連絡機材は使い物にならないでしょう。つまり貴方は、助けを求めることもできない」


 さすがに己の立場を理解し始めたのか、目標の表情から生気が失われていく。


「それと、もう一つ言いましょう」


 善はあくまで冷淡とした態度で、目標の握る高価な銃を指差した。


「安全装置が入ったままです」

「あぁ」


 それが決め手だった。ドサリと彼は膝を落とす。


「ああああ……」

「イヨール、後は任せた」


 訳の分からない事を口走り始めた目標を無表情に見て、善はすぐに踵を返した。彼はグレイスの横をすり抜け、彼の背後のイヨールの前に立つ。


「リーダーはどうなさいますか?」


 イヨールは命令に対し、一礼して了解の意を示すと、血だらけの善に問いかけた。


「報告を兼ねて先に本部へ戻る。実は慣れない侵入で少し立ち眩みを起こしていて、倒れる前に休みたいという身勝手な理由も入っている。お前の方が二ヶ月もの潜入任務で疲れているだろうに、悪いな」


 善は言いながら、目がしらに指を当てる仕草をする。


「構いません、私は大丈夫です。お疲れ様でした」


 イヨールは深々と再び礼をして、今度こそ目標の拘束に取り掛かった。


 さて、と言わんばかりに善は頭を振り、振り返った。当然後ろにいたグレイスと視線がぶつかる。


「グレイス、命令のことだが」

「あ、あぁ」


 グレイスは善の呼びかけに恐る恐る答える。部屋への突入はグレイスの独断で、リーダーの権限を差し置いての指令は、規定違反である。とっさに行ってしまったことではあったが、お叱りの一つは受けるのだろう、と彼は構えた。


「今回はすまなかった。私の明らかな暴走だ。命令違反とは言ったが、正直突入してくれて助かった」

 しかし、その予想は外れた。善はグレイスに深々と頭を下げたのだ。その様子に、周りの兵士たちが何事かと視線を向けてくるのが分かる。

「な……」


 てっきり説教されるものだと思っていたグレイスは、頭を低くする同期の上司の姿に驚いた。


「八人倒したあたりまでは良かったのだが、目標の諦めが悪かった。往生際の悪いあの人には、圧倒的な人数で圧力をかけるしかなかった。お前の機転に大いに感謝する。下手をすれば、彼を負傷させていたかもしれない」


 相変わらず無表情な善だが、グレイスは彼なりの精一杯の謝罪に深く頷いた。

 この男は感情を表情に出さない。彼の同期であり、親友であるグレイスは、深く低頭する彼の肩を叩いた。


「気にするな。よく考えてはいなかったが、“プランD”とか言い始めた時点で、俺の判断を当てにしているのは何となく分かってた」


 謝罪を笑い飛ばしながら、もう一度辺りに倒れている兵士達を見るグレイス。


「実際のところ、突入は脅し程度の役しか立たなかった。ほとんどお前一人で片付けたようだしな」

「……いや、それでも助かった」


 グレイスは頭を上げた善の口元が和らいでいることに満足しする。しかし、善の目線が血まみれになった自身のシャツに向けられているのに気付いて、グレイスは腕を組んだ。


「そういえば、突入したときにうずくまってたよな? どこか怪我したのか?」


 上着をつまみ、何事もなくケロッとしている彼に近づいて、体を上から下まで調べるグレイス。善が言うには、付着した血は全て敵のものだという。その言葉は嘘ではないらしく、傷一つ彼は負っていなかった。


「ふむ、大丈夫そうだな。怪我をしたなら早めに言えよ」

「いや、別に怪我は」


 心配するなと言いかけたその時、善が手にしていた携帯電話が振動した。開発者ターナー曰く、音のならない機能を、マナーモードなるものだという。


「誰からだ?」


 ディスプレイを見てぼけっとしている善に、グレイスは早く出てやれと言わんばかりに問いた。そうだな、と善は頷いて発信者の名を口にする。


「アベル統括だ」


 その名前から、発信が外部であると気づいたグレイスは、ターナーが通信回線を解放したのだと気がつく。


「なるほど。ということは新しい任務が入るかもしれんな。……休めない」 

 

 グレイスも善も、今回の任務において一週間ほど休息らしい休息を取っていなかった。辛そうに欠伸を噛み殺すグレイスをよそに、善は通信を繋げる。


「はい。お疲れ様です。――いえ、お構いなく。こちらは任務を完了しました。ええ大丈夫です。目標は無傷です」


 ただの報告連絡か? グレイスは善の会話内容に何ら重要性を感じず、現場の後片付けを手伝いに戻ろうと善に背を向けた。


「えっ。傭兵ですか……優先体の護衛に? ええ、帰り次第受け入れの準備をします」


 しかし善の調子に変化が生じ、グレイスは慌てて振り返る。銃を突き付けられても動じない善が、妙に驚いた声を上げているのだ。グレイスのみならず、その場に留まっていた兵士達もが反応した。


「分かりました。では」


 携帯から耳を離した善はグレイスと目を合わせて、肩を竦めてみせる。


「明日、いやもう今日だな」


 説明を求める彼等に、善は腕時計に目を向けながら口を動かす。つられて時計をみたグレイス、針は午前一時を指し示している。


「新人が来るらしい」


 顔を上げた善は、グレイスにそう告げると、血と硝煙の臭いが充満する部屋を後にした。


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