秘密の抜け道 2
「今度は何をしでかしたんだっ!!」
テラの怒りは凄まじいものだった。叫び声は目の前の三人の鳥肌を立たせるには十分な気迫で、三人とも面食らったまましばらく呼吸すら忘れていたほどだった。
「はぁ」
柄にも無く叫び声を上げた後、テラは小さく深呼吸をした。恐らくは何とか気持ちを落ち着かせようとしているのだろう。
「……テラ…さん?」
だが怒りの勢いは落ち着くことはなく、むしろ増したようにリオールには感じられた。恐る恐る顔を覗いてみると、彼はきつく口を結ぶ端は微かに怒りを我慢仕切れず痙攣しており、鋭い目には相当力が入っている。そして更にはこめかみに青筋が浮かんでいるではないか――てっきり冷静な人なのだろうと思っていたリオールは驚き、目を丸くしてしまった。
「とことん理解できん」
リオールの第一印象のとおり、“いつもは”冷静なはずのテラだが、今は彼自身ですら止められない怒りで我を忘れていた。
「あいつ」
とはいえ、怒りを抑えられない彼を責めることはでできないだろう。それだけレイスの行動は非合理的であり、身勝手だったのだ。
無謀な事柄を恐れもせずに平気で実行しようとはする。せっかく立てた作戦は忘れる。さらに人の意見も聞かずに飛び出して転ぶ――と、間違いなく三回は死んでいてもおかしくはない失敗をしでかしていた。
今まではその無謀な行動も、レイスの高い戦闘能力や強運のお陰で上手く切り抜けられていた。叱るに叱れない状況は、テラに何とも言えない苛立ちだけを蓄積させていたのだ。
そして、今。敵陣のど真ん中で身を隠している最中に、居場所を知らせるような音をレイスは発生させた。テラの堪忍袋の緒が音を立てて千切れたのは仕方が無いことなのだ。むしろよくここまで我慢したと、言い換えることができる。
「…………」
深呼吸を止めたテラは、一見落ち着いたように見える。だが、殺気がオーラのように体から迸しっているのはその場にいる三人全員には分かった。怒りというより憎悪を漲らせるテラを目の前に、リオールは本能的な恐怖で動けなくなってしまった。
「テラ殿っ」
落ち着いて、とジャックが何とか身を乗りだしたのも虚しく、我慢できなくなったテラの行動は速かった。
乱暴に床に置いた槍を引っつかむと、跳躍する。これだけの行動だけなのに、リオールの目にはその殆どの動きを目でとらえることが出来なかった。
少ないとはいえ、ベッドや箪笥などの障害物のある部屋の中をたった三歩で通り抜け、三秒とかからずにレイスの前へと移動するテラ。ジャックもジョーカーもリオールも、咄嗟に何もすることができなかった。
『……レイス殿、自業自得です』
ただ双子はレイスの無事を祈らなければならないと、頭の片隅で思うのだった。
テラは、乱暴に足音を立てながら、入口から数メートルと離れていない廊下あたりに降り立つ。何故かすぐ横のトイレのドアが開きっぱなしになっていたが、そんなことを考える余裕がテラにあるわけもなく、すぐに彼は氷のような目つきで床に転がったレイスを見下ろした。
*****
「~~~痛っってぇええええ!!」
一方のレイスは、ほぼ逆さまの体勢で壁に後頭部を打ち付けた後、痛みに悶絶してのたうちまわっていた。その姿は哀れむよりもむしろ、笑いが取れるだろう。
レイスが薄目を開けると、槍を手にしたテラがこちらを見下ろしている姿が目に飛び込んできた。幸い出血はしていないが、頭の痛みは酷く、ハッキリしない意識の中で、彼はテラの顔色を理解できる程の視力が戻っていなかった。
「……」
テラは目の前の状態を確認するように見つめ、最後に視線をレイスに向け、をただ淡々と槍を突き付けていた。
「ひぃ!」
「黙れ」
テラの言葉は氷点下を大きく下回っているように感じる。
「……はい」
たった一言。“黙れ”の一言で、レイスは体を強張らせた。てっきり、この不様な体勢を笑われるものだろうと、少しズレた事を考えていたレイスは、それくらいの反応しかできなかったのだ。
首筋ぎりぎりに当てられた刃は鋭利な光りをレイスの目へと反射する。本当はまだ頭が物凄く痛いので、じっとしているのは辛かった。だが、ここで数ミリ身じろぎすれば目の前の刃に当たる。今のテラは、多分レイスが出血しようとも気にもしないだろう。彼はそんな判断の元、目だけをテラへと向けた。
「もしかして、物凄く怒ってる?」
返答無し。顔は無表情だか、目が恐い。いや、片眉が少し動いた。自覚症状の無いレイスに更に怒りを深めたテラだが、頭の痛みと格闘しているレイスにはそれに気づけない。
「テラ?」
返答無し。こりゃあ、まずい。レイスは笑みを口元に貼付けたまま、必死に打開策を考える。射殺してやると睨みつけてくるテラの視線をどうにか反らさずにいるレイスだが、本当はすごく怖いのだ。
「こ、これには色々と訳がな、あるんだよ。実は頭――」
正直に話してみるか。レイスはとにかくテラの怒りをどうにかすべく口を開き、そのまま、凍りついた。“頭の中に変な男がいて、そいつが俺を転ばせた”――などと誰が信じるのか。ただでさえ今のテラは冷静さを失っているのだから、信じるどころか、逆に本当に殺されかねない。レイスは慌て口を閉ざした。
「……」
レイスが不自然な形で言葉を止めたにもかかわらず、テラは無言で無反応だった。そして首元の刃も、一ミリと動かずにレイスの皮膚と密接しており、退かそうとする気配は一向に見られない。
「俺は、どうしたら」
謝っても許してくれるような雰囲気ではないし、かといって本当の事を話したところで理解されないだけで、更に怒らせてしまいかねない。レイスは殆ど八方塞がりだった。
「Z……」
困惑はだんだんと、この状況を作り出した者への怒りへと変わった。レイスにはこのどうしようもならない事態をZにぶつけるしかなかった。
「最悪だ。どうすんだよ、この状況」
《……》
「だんまりかよ。今仲間に殺されかけてんだけど。あんたのせいでっ」
小声で詰問しようとするが応答が無く、レイスは苛立った。頭は痛むし、首元の刃のせいで身動きもとれない。焦りは募るだけで、状況はどんどん悪くなる。
「Z! おいっ」
おかしい、とレイスは思った。
「おい。まさか」
Zがあえて返事をしないのだとしても、頭の中が静か過ぎる。先程はZの息遣いですら感じ取れる程だったのに、今は何も聞こえない。
「まさか、トンズラしたわけじゃ――」
沈黙が答えだった。
「レイスっ!」
『テラ殿!!』
言い訳も無くなったと、愕然としてしまったレイスだったが、その時我に帰った三人が、ようやく駆け付ける。
「な、何やってるんですかっ! 貴方は」
予想していたとはいえ、流石に無抵抗のレイスの首筋に槍を突き付けているテラの姿を目にして焦るジョーカー。
「……怒っている」
ジョーカーの言葉にテラはボソッと答える。
「それは分かりますが、いささか――やりすぎかと」
ジョーカーはなるべくテラを刺激させないように努めた。リオールは今だに状況をしっかり把握できていないらしく、放心状態になっている。
「多少こうしてやれば、嫌でも危機感を持つかと思うが」
テラの瞳から、狂気が薄れた。ジョーカーと会話をするうちに落ち着いてきたのだろう。
「しかし、凄い音がしましたけど、レイス殿は大丈夫でしたか?」
間髪入れずに、ジャックが話の方向を変えようと口を挟んだ。落ち着きを戻しかけているこのタイミングを逃さないいいフォローに、レイスは思わず安堵した。
「あぁ、なんとか。頭は痛いけど」
「頭?」
「ぶつけたんだよ。壁に」
まだ首の刃は離れないため、起き上がることはできなかったが、レイスは右腕を上げて激突した壁を指差した。
「壁? ってうわ――凄いですね。壁が凹んでますよ」
レイスの示す壁を見たジャックが心底驚いた様子でしげしげと壁を覗きに行く。そしてその三秒後。
「これは……」
ジャックの声から明るさが無くなった。彼はテラの横を割り込むように壁に近づき、真剣な面持ちで壁に触れる。
「どうした、ジャック」
ジョーカーが、兄弟の様子の変化にいち早く反応した。
「壁の素材がここだけ違うんだ。ジョーカー。しかもこの部分の壁、壁紙の下が金属のような感触がする」
熱心に壁を調べるジャック。レイスはハッと我に帰った。
《そうだ。お前には“秘密の抜け道”を教えてやる。スペシャルだろ?》
Zの声が蘇る。
「そうだ……“抜け道”だ」




