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Avalantear アバランティア  作者: 海豹
第一幕 ―起―
35/68

秘密の抜け道

「あぁぁあんの馬鹿! 今度は何をしでかしたんだっ!!」


 テラの叫びが耳の中でこだまする。レイスはそんな声を聞きながら、頭に走る激痛に悶絶していた。後頭部を壁に打ち付け、打ち付けた勢いが強すぎたのか、立ち上がれず芋虫のようにあちこちを転がっていた。


「痛ってぇ!」


 そもそも、何故こんなことになってしまったのか。それは少し時間を遡る。




 *****




 十数分前。


「よいっしょっと」


 トイレに行ったレイスは、どこかオッサン臭い台詞を呟きながら、蓋をした便器の上に腰掛けていた。だが、その表情は暗い。先程双子の辛い生い立ちを聞いたばかりのだ。彼が落ち込むのは仕方ないことなのかもしれない。彼がトイレに駆け込んだもの、少しの間頭の中を整理したいが為だったのだろう。


“我々はアバランティア一族としてカウントされてないんですよ”


 双子が口にした言葉は、レイスの耳に残り、微かな痛みを伴って心に突き刺さっていた。彼は長く息を吐き出して、頭を深く下げて目を伏せる。


「俺は目の前しか見てなかったのか」


 アバランティア一族はリオール一人ではない。彼女だけが辛い思いをしている訳ではないのだ。たまたまリオールはアバランティアの制御体として手厚い警備の中にいて、レイスと出会った。では、彼女の親族達はどうなのだろうか。婚姻を自由に結ぶこともできず、身体の自由も意志の自由も与えられない生き方を強いられているのだから、辛くないはずがない。

 レイスは自分の考えの甘さに落胆し、申し訳ない気持ちで一杯になっていた。


「……っ痛」


 すると、そんな彼の感情に反応するかの如く、左腕に鈍い痛みが走る。レイスはゆっくりとした動作で袖をめくりあげ、エメラルドグリーンの腕を薄目を開けて確認した。


「ちょっと無理したかな」


 肘までだった変色は、二の腕の方へ侵食し始めているように見える。痛みに耐えながら、彼は腰のバックへと手を伸ばした。 痛み止めの塗り薬を取り出して、ふと同じく腰にくくり付けられた愛剣が目に入る。

 剣は主に利き腕である右で握っている。とは言え、戦いの中で左腕を使わないわけがない。硬化した腕には柔軟な対応に耐えられない上に、再生しかけた皮膚がまたひび割れ、激痛が走る。

 無理を重ねればそれだけ体は壊れていく。いつも涼しい顔で戦っているレイスだが、その間も“結晶化病(クリスタル・シック)に確実に蝕まれていた。


「うっ!」


 腕の痛みは秒刻みに強くなり、額にツフツフと汗が浮かぶ。自然とレイスの口数も余裕も無くなっていった。


《おいおい、辛そうだな。大丈夫か?》


 そんな時、プチッと頭の中で何かが繋がるような音が響き、レイスは思わず平べったい薬の容器を取り落とした。

 頭の中で声がしたのだ。聞き間違いではなく、確かに。


「は……?」


 相変わらず腕は痛い。だが、レイスはそんなことなど忘れてしまったかのように、辺りをしきりに見回した。


《何だよ。人がせっかく心配したのに、無視か?》


 この軽い調子の男の声、どこか聞き覚えがある。レイスは、とにかく神経を張らせて辺りの気配を探った。もしかすると、敵が近くにいるのかもしれない。そうであるのなら、この密室にいるのは危険だ。

 しかし、いくら辺りを見回してもここはトイレ。他に人がいるわけでもないし、普通いるわけがない。


「痛っ!」


 となれば、自分が寝ぼけているのか、既に眠ってしまっているのかと思ったが、腕はそれを否定するように痛みを訴えていた。つまり、夢を見たり、寝ぼけたりしているわけではないのだ。


《おい、本気で大丈夫か? まさか、夢でも見てると勘違いしてないよな。現実だぜ、安心しろ。お前の頭は馬鹿だが、しっかりはしてる》

「……馬鹿は余計だ」


 とりあえず返事を返したが、レイスは“夢”という単語に思わず表情を凍らせた。


《ようやく、分かってくれたみたいだな》


 そう、夢の中ではないのだ。レイスは、はたと顔色を変え、その場に立ち上がっていた。夢という単語にレイスは驚愕を隠せない。


「何でお前が――」

《久しぶりだな、レイス》


 声の主は笑った。レイスはそれに腹を立てる余裕すらない。


「何で、お前が“現実”にいるんだよ!?」


 声の主は、数時間前に牢の中で見た夢に現れたものと全く同じだった。


「痛っ!」


 叫んだら、腕に響いたらしい。レイスはあまりの痛みに、その場にしゃがみ込んでしまった。


《まぁ、いきり立つなよ。いいからまずは薬を塗れ、薬を》


 猫撫で声が、囁かれるような音量でレイスの頭へ、指示する。


《早くしろよ! お前、このままじゃ痛みで気を保つことも出来なくなるぞ》


 本気で心配している、迫力の篭った声はレイスの行動を促すには十分だった。彼は弾かれたように、取り落とした容器を手に取って左腕に擦り込み始める。


《……慌てさせるなよ。全く》


 声の主はその様子に心底安堵したようだった。

 これではまるで保護者じゃないか。レイスは薬を塗りながら、苛立つ気持ちをそのまま言葉にした。訳が分からない。彼の頭の中では全く解析できない事が続いており、イライラはピークだった。


「何が、何がどうなってる!? 一体、俺の頭の中で何が起こっているんだ!」

《お前の疑問は尤もだ。多分、俺はその疑問に答えなきゃいけない。でも悪いな、その話はまた今度にしてくれ。必ず話してやるから》


 レイスの苛立ちへ、幼い子供に言い聞かせるような声色で、声の主は必死に話を紡ぐ。


「納得できるかよ」


《そこを何とかしてくれって、な? 頼む》

「それじゃあ、一つ教えてくれ」

《ん?》


 懇願され、レイスは渋々と苛立ちを抑える。そして、今度は何かに怯えるように頭を抱え込んだ。今更だが、夢の中でもないのに頭の中で声が響いていることが酷く恐ろしく思えたのだろう。


「お前は誰なんだ? まさかとは思うけど、もう一人の俺って訳じゃないよな?」

《さっきも言ったが、お前の頭はしっかりしてる。別に二重人格とかそんなもんじゃない。つまり、俺はお前じゃない。俺はお前の頭の中に干渉してるだけだ。安心しろ》

「干渉? ていうか、結局誰だよ?」


 余計に訳が分からなくなった。レイスは自分の正常さが確認出来たことに安心しながらも、食い下がる。


《俺は誰でもない。……誰でもないよな、多分》

「はぁ?」

《あ、でも名前はあった方がいいよな。そうだなぁ、“Z”とでもしようか。Xじゃありきたりだろ?》

「どんなネーミングだよ」

《グズグズ言いなさんな。いいか、とにかく俺はZだ》


 自称“Z”は、無理矢理話を切り上げる。そして、今だ質問を浴びせようとするレイスの思考を遮ると、少し焦りを感じさせる口調で話を変えた。


《それより、レイス。お前達の今の状況はかなりヤバい》


 Zの言葉に、レイスは落ち着きを取り戻す。今は、自分の頭の中にいる正体不明な声が誰なのかと考えている場合ではなかった。


《いいか。今、お前達のいる階を除いて、大体のフロアには武装した兵士等が沢山いるぜ》

「そんなことは、分かってる」

《いや、分かってない》


 ピシャリとレイスの言葉を切り捨て、Zは声を堅くした。


《お前は、分かってない。たかだか二人やそこらが出し抜けるほど<イレブン>は甘くない》

「そんなもん、やってみなくちゃ」

《だから、分かってないんだよ! 現にお前は今、善の部屋に隠れてる。鍵が掛けられていたはずのこの部屋に》


 Zが怒鳴った。レイスは頭の中で叫ばれ一瞬ふらついたが、何とか持ちこたえる。


「どういうことだよ? ジャックもジョーカーも、この部屋は開いてたって」

《閉まってたさ。俺が開けるまではな》

「は!?」

《それにな、このフロアにだけ兵士がいないのだって、不自然だろ! いいか、お前が今こうしているのだって、いろんな奇跡が織り成してんだ! 楽観的になってる場合じゃないんだよ》


 一通り怒鳴りきったZ。レイスは頭の中で響くそれを堪えながら、唖然としてしまった。閉まっていたはずの部屋が開けられている。不自然にもレイス達がいるフロアにだけ兵士がいない。確かに偶然で片付けるには出来すぎている。


「Z。お前が誰かなんて聞かないけどさ、お前は神様かなんかなんだな。鍵を開けたり、兵士をフロアに入らせないようにさせたりさ」


 今、真実を聞いた所で教えてくれるはずがない。レイスはとりあえず、やわらく笑みを口元に浮かべていた。


「ありがとうな。俺が楽観的過ぎてたことは事実みたいだし」

《……分かればいい。けど、俺は魔法使いでも、神様なんかでもないからな、これ以上のことは出来ない》

「あぁ。分かった」


 レイスは大きく頷くと、意を決して立ち上がり、トイレのドアを開いた。


《ちょい、待て》


 話は終わりだなと、トイレを出ようとしたレイスだが、Zの鋭い囁きに動きを止めた。長話は苦手故に、無視することもできたレイスだが、不思議と体はピクリとも動こうとはしない。


「なんだよ?」


 不機嫌そうに問い掛けてみると、Zはどこか楽しげな声色で答えてきた。表情が見えたのなら、ニヤニヤしているに違いない。


《お前達にスペシャルな脱出作戦をプレゼントしてやりたいんだけどな》

「スペシャルな脱出作戦?」


 意味不明。

 元々Zという存在自体が理解不能な要素であり、今更驚く気にもならなかったが、レイスは無意識のうちに身構えてしまった。


《そうだ。お前には“秘密の抜け道”を教えてやる。スペシャルだろ?》


 そんな彼の緊張する様子が、微笑ましいとでも思えたのか、Zは含みのある笑い声を上げた。その笑い方にますますレイスの警戒が強まる。


《この抜け道なら、<イレブン>を出し抜ける。お前と一緒にいる奇策士よりも確実な作戦だ》


 奇策士――テラのことだろう。レイスは苦いものを飲み込んだような表情になった。

 確かにテラは頭が良い。だが、彼が立てた策は全くと言って良いほどに的を外している。彼が悪い訳ではないが、もし確実な作戦があるのなら、その場凌ぎの危うい橋を渡る必要はなくなるだろう。

 悪い話ではない。


《この作戦な、お前の無茶で作戦を潰すなんてこともありえないから安心しろ》


 テラの作戦が成功しないのは、レイスの無茶苦茶な行動が原因の一つとして考えられる。随分と耳が痛い話だ。

 しかし、元を糾せば<イレブン>に二人で立ち向かっている時点で無茶苦茶なのだ、レイスはあえて気にしない振りをした。


《どうだ、悪い話じゃないだろ? 聞きたくないか》

「そうだな」


 胡散臭いとは思ったのだが、これから先どうしていいのか分からないことは事実なので、レイスは自然と頷いていた。手段を選んではいられないのだ。


《よっしゃ! よ~く聞けよ》


 レイスの決断に、満足げに声を張ったZ。罠に掛けられてるんじゃないか、と不安感もあったが、今更何も考えまいとZの話を待った。


《その道なら、進む方向を間違えなければ確実に外に出れる》

「……どこにあるんだ?」


 とりあえず、そのルートを目にしておきたい。レイスはZの説明を遮り、早くしろと急かした。


《目の前》

「は?」

《目の前の壁だよ》


 一瞬、言われた言葉の意味が分からなかった。目線を、一メートルと離れていない通路側の壁へと移す。

 観察の結果、壁紙はシンプルな白色。幅木周辺にはご丁寧にも暗闇で足元を照らす小型ライトが備え付けられ、いかにも部屋主の慎重さ加減が伺えた。

 つまり、ただの壁なのだ。


「何もないぞ?」


 レイスが困惑したように呟くと、Zは慌てんなよ。と小さく笑った。


《今から作るんだよ。道を》

「どういう――」


 全てを口にすることは、レイスには出来なかった。


《壁をぶち破るんだ。お前の頭で》

「えっ? え?」

《せぇーの!!》


 何だって!? そんなこと誰が出来るんだよ! レイスは怒鳴ろうとして、体が傾き始めていることに気づき、言葉を失った。重心が前に移動している。


――これは自分の意志ではない。


「うわっ」


 何が、起きている!? レイスは左手を咄嗟にドア枠に掛け、転倒をさけようとした。しかし、体……特に頭は重心を傾けようと前に乗り出そうとする。背中に小麦の袋を次々に担がかされていくのように、どんどん体が言うことを聞かなくなって、前に倒れ込んでいくのだ。


――頭で指令をだしても、体は自分の物ではないのかの如く、重い。


《腹を据えろ! 転ぶだけじゃねーか!》


 言うことを聞かない体を必死にその場に留めているレイスだが、苛立ったようなZの言葉に、カチンときた。


「やっぱり、お前の仕業か!?」


 夢の中に登場し、起きている頭の中でも話し掛けてきた。今度は、体が別の意志で動きはじめた……となれば、もはや犯人を疑う必要などどこにもなかった。


《大丈夫! 俺が上手いとこ転ばしておくからさ》


 しかも、Zはあっさりと肯定するのだ。レイスの疑念は怒りへと変わる。


「な・ん・で・だ・よ! どうぉおして俺の体は、お前の好き勝手に付き合わされなくちゃならないっ。ていうか、本当にお前なんだよ!? 人の体を操れるとか――」

《いいから! 早くっ。転べっての!》

「嫌だ。どうして俺は一日に何度も転ばなくちゃいけないんだよ」


 必死に抵抗する様は、さぞかし滑稽なのだろう。言い争うZは所々で大笑いしていた。更にレイスの神経を逆なでる。


「ぜっ~たい。力を抜かないからな」


 今の所、左腕をはじめとして、右腕も両足も自分の意志では動いてくれる。レイスは左腕がまだ痛いことなど全く気にすることはなく、全力で体を起き上がらせようと抵抗する。もはや、自棄だろう。


《あ、そう》


 しかし、それが悪かった。

 Zの声色がどこか間の抜けたようなになったかと思った瞬間、レイスに掛かったあらゆる負荷が消えたのだ。頭を押さえ付けられるような重みも、背中に掛かった重心を傾けさせるほどの馬鹿力も。

 何の予兆も無く、突然に。

 当然、力の釣り合いが崩れたレイスの体は、彼自身の力によって思いっ切り背後へとのけ反る。自制が効かないだけに、彼は完全に自身の体の操作権を手放してしまった。


「ひ、卑怯だ!」


 押して駄目なら引いてみろ、という言葉がある。まさしく、これがそうだ。馬鹿みたいに真っ正直に力に対抗していたレイスが痛い目あったのだ。

 そんな先人の賢い知恵の言葉が、こんなにも酷く恐ろしいものだったとは――


《誰が、卑怯だ。お前がアホなだけだろが!》


 そして、レイスがのけ反ったこの一瞬を逃さないと言わんばかりに、直ぐに前へと倒れ込ませようとする、大きな力が再びレイスを襲い掛かり――


「~~~痛っってぇええええ!!」

《あ、わりぃ。ちょっと力入れすぎたみたいだわ……》


 先程の展開に戻るのであった。




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