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Avalantear アバランティア  作者: 海豹
第一幕 ―起―
34/68

消えた脱走者 3

「善?」


 何故か突然、善の動きが停止した。レキアスは明らかな彼の異変に、心配するというよりはどこか面白がるように、声を掛ける。善の表情は何かを思い返そうとしているような、険しく、そして物思わしげに見えた。


「ふ」


 別に狙った訳ではなかったが、想像以上に精神的なダメージを受けたように見える善の反応に、レキアスはほくそ笑む。


「《イレブンの悪魔》にもこんな面白い一面があるとはね」


 いわば“五年前の事件”は善の弱点だ。通常は必死に平静を装っているようだったが、レキアスにはそれすらただの悪あがきにしか見えなかった。

 趣味が悪いとよく言われる――レキアスは人の憤りや、悲痛な表情、激しい怒り等をを見る事に快感を覚えるのだ。悪い癖だとは分かっているのだが、つい人をからかいたくなる。今の善への言葉だって半分はその衝動に駆られて口にした。


「…………」


 今の善は、まるでバッテリーを抜かれた機械のようだ。人間の自然な体勢での停止ではなく、明らかに何かに驚愕して、体だけが頭の指令を無視して強張らせてるように感じられる。


「くそっ!」

 

 変化は突然だった。

 ざわついた月の間に痛々しい程の衝撃音が鳴り響く。机を叩く音。

 善が倒れ込む様に両手を机上に打ち付けている。


「まさか――」


 信じられない、そう小さく呟く声が聞こえたような気がする。レキアスは面食らって上手く働かない頭の片隅で思った。

 善は地図が置かれた机に、今度は激しく拳を叩きつけたかと思えば、直ぐに踵を返して走り出す。不思議な事に誰もそれを阻む者はいなかった。


「何事だ」


 整備部隊と連絡を取っていたアベルが、話しを止めて怒鳴る。はっと我に返ったレキアスは、無意識の内にイヨールの姿を探した。


「イヨール、善を追え」

「え……」

「早く!」

「は、はいっ」


 珍しく、反応の鈍いイヨール。レキアスは顔に張り付いた笑みの仮面を完全に剥ぎ取り、全力で叫んだ。イヨールは弾かれたように月の間から走り去った。


「何が……あったんだい?」


 状況に追いつかないアベルは、唖然とした表情で、回線が繋がったままの携帯電話を持て余している。いや、状況に追いつかないのは彼だけではない。その場にいる者全員、イヨールに指示を出したレキアスですら全ての理解には及んではいなかった。


「分かりません。善の行動は僕の想定範囲を凌駕しています。正直なところ理解不能です。ですが」


 レキアスは善が殴りつけた机に目を落とす。


「彼の顔は、何か手掛かりを掴んだような、そんな様子でしたよ」


 まさか、と呟いた善の表情は驚きと絶望のものだった。手掛かりは決して今の状況を良い方向にするようなものではないかもしれない。


「まぁ、報告を待ちましょう。統括」


 レキアスの口元はこんな時にもかかわらず、面白い物を見たと笑みを浮かべていた。




 *****




「なんて事だ……!」


 階段を三段跳びで駆け降りながら、善は悪態をつかずにはいられなかった。階数表示を確認しながら、彼は猛スピードで進む。


「もし、この推測が正しければ……大変なことになる!」


 善は、今さっき頭の中で組み立てた考えの危険性の高さに呻いた。そして同時に恐怖していた。


“五年前の事件と酷似している”


 これこそがポイントだ。そうでなければたかが一人や二人の脱走者に<イレブン>が混乱させられるはずがない。善は自分の考えが正しいことを、どんどん己の中で肯定していくことに頭を痛ませる。

 奇跡など、そう起こる事ではない。だが、レイス達の逃亡劇の展開は偶然で片付けるにはいくらなんでも出来過ぎている。

 では、この奇跡はどうやって引き起こされているのか。善のパズルの原点であり、それは彼にはもう謎が解けていた。


「誰だ! レイスにいらん知恵を吹き込んだのは!」


 <イレブン>は完全な要塞ではない。必ず警備には穴がある。それを証明するように五年前にジアスとソフィアは施設の外へと出ることができた。

 成功例があれば、それに習えば良い。それだけでもレイスの逃亡劇の奇跡が成立する確率は一気に引き上がる。<イレブン>は、よそ者が五年前の逃走ルートを知っているはずが無いと、警戒などしてはいないのだから。


「それこそが、警備の穴だ!!」


 何故もっと早く気付かなかった。善は悔やむ。ジアスとソフィアを逃がすために作戦を練ったのは、五年前の彼自身だった。自分の作戦を利用されているかもしれないというのに。彼はあまりの情けなさに呻くしか無い。


「リーダー!!」


 背後から、軽やかな足音が追ってくる。善は、それがイヨールだと振り返らずとも分かった。


「一体、どうしたんですか?」

「……杞憂ならば良いのだが」

「?」


 善は答えをはぐらかす。当然イヨールは困惑しているようだった。


「ついて来い」


 それでいい。自分の考えはある意味有り得ない作戦でもある。間違いであればそれに越したことはない。善はそう思いながら、七階へ続く最後の段を軽々と越えた。そしてそのままフロアに続く重い鉄製の扉へ体当たりするように開いて、廊下へと侵入した。


「どこに向かうのですか?」


 イヨールは命令通りついて来る。善はそれに返すように足を止めて、ある部屋の前で停止した。


「ここはリーダーの……私部屋ですよね?」


 善は自室のドアノブに手を掛ける。瞼を落とし、どこか祈るような表情で彼はノブを回した。


――開いた。


 善は途端に顔を歪める。無駄だと分かりながらも確認する為に、彼はスーツの裏ポケットに手を入れた。背後のイヨールは善の憤りに気付かないのか、黙ったままだ。

 指にあたる金属の感触。引っ張り出してみると、指に絡みついたのは、自室の鍵だった。つまり――


「やられた」


 善は部屋に鍵を掛けていたのだ。空いているということは、自分以外の人間が侵入したということに間違いない。彼は釈然としない気持ちを当てつけるように、ドアを蹴り飛ばした。


 そして、その先の光景を目にして――。


「くそっ!!」


 悪態をついた。

 あまりにも生々しく感情を露にする善の姿に圧倒されたイヨールは、恐る恐る善の背中から部屋の中を覗き込む。


「壁が切り取られ……えっ?」


 イヨールがまず目にしたのは、床に放り投げられた、壁の一部。切り口からして、刃物で故意に斬られたように見えた。そして、切り取られた壁には大きい穴が。


「ダストシュートだ……」


 穴を調べようと身を乗り出したイヨールを押し止めるように、手で制止しながら善は呟いた。


「どういうことですか?」


 ダストシュート? そんな物は個室にあっただろうか。イヨールはそういった様子で説明を善に求める。


「L―10達は既にこの<イレブン>を脱出しようとしているということだ」


 イヨールの方へ振り返った善は冷静を取り戻しているようだった。それから彼は、一度部屋を出ると、落ち着こうとするように小さく息を吐く。その間も、イヨールは彼の次の言葉を待った。


「これは私の感だが、L―10は二十分とかからずに<イレブン>を出るだろう。そのあと、彼等は施設裏の森に逃げ込むはずだ。イヨール、君は今から外に出て特殊部隊全メンバーをそちらに回るように手配してほしい。私は一度月の間に戻る」

「了解。……あの、リーダー」


 命令が下ると、イヨールは大きく頷き、そしてどこか冴えない表情で善を見上げる。


「なんだ」

「無理はしないでください」


 言い切ったと同時にイヨールは走り去っていく。善は、一瞬彼女の言葉に面食らったようだが、直ぐにそれは自嘲へと変わった。


「無理か……」


 そう呟いた後、善は改めて部屋に鍵を掛ける。そして、月の間へと足を向けた。



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