消えた脱走者 2
「どういうことか、説明出来るか? イヨール」
アベルは一瞬で、冷静さを取り戻す。彼はざわめく一同を押し止めながら、入り口に立つイヨールを中へと通させた。彼女は、はい、と即座に頷いて、アベルの方へと歩き出す。
「説明も何も無いですよ、統括」
そんな彼女の後から続くように、やれやれと肩を竦めて入って来るのは、情報伝達部隊リーダーのカイザ・レキアス。上官である彼の登場に、イヨールは反射的にアベルへ向かう足を止めた。
「逃げたのですよ、リオール・アバランティアが」
「レキアス、それは事実か。優先体――いや、リオが自分の意志で?」
レキアスは登場と同時に、扉によって吹っ飛ばされた兵士達を助け起こす。そして何やら命令を下していった。兵士は二回程了解の意志を示すと、足早に月の間より消える。アベルはその間も、ただじっと質問の答えを静かに待ち続けた。
「もちろん、あれは制御優先体の独断でしょう。いくらなんでも脱走者達がやったようには思えません」
「遠回しな説明はいい。証拠を示せ、レキアス」
やがて話しはじめたレキアスに、善が鋭く割り込んだ。彼は話を勿体振る悪い癖がある。今はそんな彼の話を聞いていられるほどの時間が無い。そんな意味を含めた善の言葉にすぐに、イヨールが待っていたように口を開いた。
「紋章です。リーダー」
「紋章だと?」
「はい。リオールの魔術紋章が部屋のあちらこちらに書き記されていました」
そういって、彼女はポケットから小さなメモを取り出し、善に手渡した。
メモには花の形を思い起こす、変わった形のマークが簡単にスケッチされていた。すかさずそれをアベルに手渡し、善はイヨールに向き直る。
「リオは、安眠の術を使ったんだな」
「はい。その通りです。小屋の周りに警備させていた五人の兵士が深い眠りに倒れていました」
よく分かりましたね。イヨールはそんな驚きをもって善を見上げ、ハッとして目を反らした。
「五年前もそういえば、そんなことがあったからね、善。前制御体ソフィアも眠りの術であの階を脱していた。妹も同じ手を使うとは。君のその口ぶりでは、予想できる事だったみたいだね」
イヨールの気づいたことに、レキアスはとっくに気づいてたのか、彼は得意げに善の前に歩み寄った。
「リオールは姉のソフィアから魔術を習っていた。安眠の術ならば、研究所からの制限にはかからない。彼女が逃げると決断したのなら、その術を使わないはずが無い」
善は相変わらず冷静な面持ちで頷き、そしてレキアスの視線を受け止める。ちっ、と隣でターナーが忌ま忌ましそうにレキアスに舌打ちしたのが聞こえたが、善は敢えてそれを無視して話しを続けた。
「レキアス、一つ聞くが」
「なんだい?」
「あの場には、ジャックとジョーカーはいたのか?」
「あぁ、あの“例の”双子の警備兵士ね」
レキアスは善の問いに愉快そうに頬を緩ませると、大丈夫だと頷いた。
「彼等は、L―10の初めに行った誘拐事件から、あの階の警備から外させていたよ。彼等も非公認とはいえ制御優先体の血族だ、あの事件に乗じて何か起こされても困るからね」
「そうか」
何かひっかかる。善はそう思ったが、それ以上の詮索は止めておいた。今は共犯の可能性を探す時ではない。状況把握なら既に充分だろう。彼は一人頭の中を切り替えると、指示を、と言わんばかりにアベルへと視線を投げかけた。
「アベル統括」
「……参ったな」
流石に、アベルもこの展開にはかなり困惑したようだった。だが、数秒間考え込んだ後に、振り切るように言葉を発した。
「この場にいる情報伝達部隊に命じる。今の事を作戦実行部隊の全統括及び部隊長に連絡! 公安部隊も、住民の避難が終わり次第に脱走者捕獲作戦に参入するように。いいな!?」
『了解』
「あと、ターナー!」
「は、はい!?」
迫力のある命令口調のまま、いきなり名指しされたターナーは、返事と同時に“気をつけ”の体制になった。
「監視カメラの復旧はまだなのか!? 整備士隊は何をしている」
「それが……監視カメラの災害プログラム自体が使われたのが今回が初めてで、戸惑っているのもあるんですが、もともと今の監視カメラは古い物でしたので、プログラム発動と拍子にヒューズか回路かなんかが吹っ飛んだらしくて」
「まったく、作動訓練くらいしておけば良いものを! じゃあ、通信回線は? 無線機は使えるのか?」
「いえ、まだです。特殊部隊の持ってる俺の開発した携帯なら動きますけど、無線は多分まだだと思います」
「伝達だけで、人員を割く羽目になるとは」
アベルは忌ま忌ましそうに呻くと、ターナーの下に散らばった書類達を指し示めす。
「それは?」
「はっ! えぇ~と、俺に対する行動許可書です。許可書が無いと、俺は整備士として動けないのでサインをお願いします!」
ターナーはようやく手にしていた書類が床に落ちてしまったことに気づいたらしい。慌てて拾い集めようと屈み込む。するとその行動を制する手がターナーの肩に置かれた。
大きく吐き出されるため息が聞こえたような気がした。
「ターナー、拾わなくて良い。私が直接話をつけよう。悪いね、君も不便だったろう」
小声で彼の頭の上から囁く声。ターナーは思わず顔を上げると、悔しそうに顔をゆがめているアベルの目とぶつかった。口調もそうだが、その表情は、いつもの穏やかな彼のものである。
「ターナー、君のことだ。ここにいてもいつでも連絡ができるように携帯を整備士隊の近くに置いてきてあるのだろう?」
「はい」
「分かった。ターナー、君はもう整備士隊に戻っていい」
そう言ってアベルは、ターナーから善へと視線を移す。善も彼が何をするのか分かったのか、スーツの内ポケットから薄い携帯電話を引っ張りだした。
「整備士隊長に喧嘩でも売る気ですか? いつもの貴方なら嫌がるでしょう」
「緊急事態だから仕方ない。それに善。私は君の仲間意識と忠誠心は尊敬に値すると思っている。君に習うわけじゃないが、司令官の私がまごまごしてるわけには行かないだろう」
「明瞭ですね、統括」
善は携帯を手渡し、心からアベルの司令官としての能力に安堵した。
「レキアス、イヨール。集まってくれ」
携帯を手にしたアベルは、コールを掛けながら声を上げる。すぐに二人は善の隣にやって来た。
「君達の知恵を借りたい。今の脱走者の動き、リオ……いや制御優先体の居場所、そのあたりを推測してほしい。先が読めなければ作戦も練れないからな」
「了解です」
「お任せください」
イヨールは返事をすると同時に、アベル達の前に大きな机を用意させた。そして、彼女は腰に付けた小さなバックから何回も折り畳んだ紙をその上に広げる。
「<イレブン>の全階の見取り図です」
広げられたのはA1サイズの大まかな施設の地図だった。イヨールは胸ポケットから三色ペンを取り出すと、赤いペンで地下フロアと一階フロアを丸で囲った。善とレキアスが揃って地図を覗き込む。
「地下フロアで脱獄が確認されたのが大体今から二時間以上前です。因みに地下フロアの負傷兵士はおよそ五十人。幸い死傷者はいませんでした。そして一階フロアで、脱走者の捕獲を命じた警備達八名が負傷したとの連絡が入ったのがその三十分後です」
「五十八名……大した奴だな。本気で二人で脱走しようとしているんだろうが、馬鹿を通り過ぎて、ある意味天才だな」
レキアスが感心したように唸る。善は脱走者があのレイスなら可能なことだろうと踏んでいたので驚きは無い。
「そして、ここが今から一時間程前に報告があった最終地点です」
イヨールは今度は青色のペンで東側外階段の七階辺りを四角く囲った。
「ここから辺りに散らばっている兵士の連絡が無くなったと……怪奇現象だな。我々はその時には五百名程の兵士達を辺りに投入させていたはずだ。いくら幹部の死で行動が遅れていたとはいえ、一度も兵士と遭遇しないのはおかしいな」
レキアスは眉間にシワを寄せ、難解だと呟いた。
「脱走者が消えた、とでもいうのか?」
馬鹿な。レキアスも善も頭を抱えてしまった。
「脱走者が消えたのではないのなら、考えられる行動は限られてきますね」
善、レキアス共にそれぞれ険しい顔で地図を睨みつけていると、イヨールが緑色のペンで書き足していく。
「まず初めに、この東側外階段を飛び降りて逃走という案はどうです?」
ペンは階段から地上に向けて矢印を描く。一見無茶苦茶な意見だが、レキアスはふむと頷いた。
「七階程の高さならば、ロープ辺りがあれば何とかなることはあるが……この考えがあっているとなれば」
「L―10はリオの争奪を諦めたことになる」
善も割り込む。するとレキアスは愉快そうに笑った。同じ事を考えていたことが彼には面白かったらしい。
「その通りだよ、善。僕は、制御優先体の脱走からしてまずそれは有り得ないと思うんだが」
「私もです。レイス……いえL―10がリオールのことでそう簡単に投げ出すような人ではないと思います」
矢印を書いた本人、イヨールですらその可能性を否定した。善はこの案は違うな、と自分の胸ポケットにささった黒いペンを取り出して更に地図に書き足していく。
「では、私も推測案を出そう。そうだな、もし私が脱走者なら」
善はそういって、七階とハ階の間に真っ直ぐ横線を引いた。そしてそれを施設の中心――エレベーターの辺りまで引っ張ると上へ垂直にペン先を動かしていく。
「ここには人一人入るには十分な広さの排気口がある」
ペンを止めてキャップをすると、善は引きはじめの七階の東側外階段をトントンと叩いた。
「そのままダクトに入れば、兵士に遭遇せずともエレベーターまで突っ切れる」
言いながら、蓋をしたペンを先程書いた線をなぞりながらエレベーターの辺りまで滑らせる。
「空調のダクトはエレベーターの配管に出る」
そのまま善はエレベーターの通り道を通ってペンを上に動かす。
「例え、エレベーターの中に誰がいようとも、脱走者達は床か天井の上にいることになる。誰かがエレベーターで最上階に向かえば……彼等は誰にも見つからずに制御優先体と接触ができるはずだ」
「ほぉ」
レキアスは心底驚いた様子で善のプランを聞いていた。この簡略化された見取り図だけで、彼は最も適切で確実な作戦を作り上げたのだ、驚くのも仕方のないことのように思える。
「しかし」
だが、完璧なプランを考えた善はどこか納得行かないように、首を傾げていた。レキアスは彼の言わんとしていることにすぐに気づいた。そして彼の確実な作戦の“弱点”を堂々と突く。
「そうだね。そんな適切なプランを立てれるのは、君が優秀な特殊部隊の兵士であることと、この<イレブン>の施設の事をかなり把握できているから、立てられるのだろう。少なからず、相手にその発想ができるとは僕には思えない」
「あぁ。その通りだ」
善は険しい顔のまま大きく頷いて、地図に書き示した部分に大きく“×”しようとした。
「お待ちください。リーダーの考えなら、リオールがいなくなったのも、脱走者達の目撃情報が無いのも説明がつかなくはないですよ」
その手を、落ち着きを払ったイヨールの声に止められ、善はペンを胸ポケットに戻す。しかし、彼はイヨールの意見には決して首を縦には振らなかった。
「確かに説明はつくし、つじつまも合うのかもしれない。だが、脱走者がこの手を使っている可能性は低すぎるんだぞ」
善はもっと確実な推測をすべきだと、イヨールに言うが、彼女も彼同様に首を縦には振らない。
「ゼロではないのですから、調べさせましょう。人員ならご心配せず。納得が行くまで調べることが私達の役目ではありませんか?」
イヨールの言葉は正しかった。善はここは大人しく引き下がり、彼女のやりたい様にやらせることにするのだった。
「情報部隊のそこの二人、ちょっと良いかしら?」
イヨールが指示を投げに動き出す。善はその様子をどこか納得行かないといった目で見つめていた。
「一つ」
再び、机へと目を戻した善は、真剣な表情で地図を睨みつけているレキアスの姿を見た。彼は、イヨールが置いた緑色のペンを手にして、何やら考え込んでいるようだった。
「まだ考えられる事があるんじゃないかな?」
「どういうことだ」
「何、簡単なことだよ」
レキアスはふざける様子も無く、善に一瞥をくべると、ペンのキャップを引き抜いた。
「篭城だよ、いわいる。いや、篭城というか、今は様子見と言うべきかな?」
「篭城? 様子見?」
訳が分からない。善は訝しげにレキアスを見つめると、レキアスは物分かりの悪い子供に説明するようなゆったりとした口調で説明し始める。
「七階を最後にして、目撃情報が途絶えた。そして続いて、制御優先体までもが姿を消した。普通、そんなことになればまず疑うのはここだと思うんだけどね」
レキアスはペン先を七階から上下2階辺りの部屋に向けた。
「脱走者達はこの部屋のどこか」
言いながら彼は次々に部屋のある位置全てに“レ点”を打っていく。
「特に、立て篭もりや作戦を練るに適切な“居室”のある部屋に隠れていると思うね」
印を付けられていた部屋は、レキアスの指摘通り居室のある部屋。善やイヨール、もちろんレキアスにも与えられている隊員寮だった。
「馬鹿な。いくら何でも」
善はレキアスの単純とも取れる案に有り得ないと首を振る。レイスはともかく、相手は火災警報機を鳴らして、組織の混乱に乗じ、行動をする程の策士が一緒にいるのだ。そんな誰にでも思い付くような、立て篭もりなどという手を使うとは思えない。
「善」
しかし、批判の声はやんわりとレキアスに遮られる。彼は、肩の力を抜けと善の肩に手を置いた。
「いいかい? 君は敵を少しばかり過剰評価しているようだが、相手は僕等のように施設の事情に詳しいわけじゃない。ましてや今施設には、武装した兵士が何百、何千という単位で動いている。多少の教養がある者ならば、自分の立場がいかに危ういのか位は、だんだん追い詰められていくに連れて気づくだろう」
レイスならそんな事も気にせず突っ込んできそうだがな。善は頭の中で、この数週間の出来事を思い浮かべてそう思ったが、それを口にはしなかった。
「それに、何故か制御優先体は決して合理的だとは思えないような手段で最上階を抜け出して行方不明。しかし、もし彼女の行動が、“ただ逃げた”と取るのではなく、“どこかに隠れているL―10に会いに行く”為の行為だとしたら」
「十分、今の状況のつじつまに合う。賭けてみる価値はある推測だな。おい、そこの兵士」
善は、レキアスの洞察力の高さに感服したように、大袈裟に頷いて見せ、直ぐさま兵士に隊員寮を調べるように指示した。レキアスの意見は確かに策に走りすぎない、正しく、且つ現実的な物に思える。敵の勢力に自分が先入観を持ちすぎていたのは、善も反省すべき点だろう。
「しかし、嫌な感じだな。僕にはこの意見ですら、正解の回答ではないような気がする」
善は忙しく指示を投げはじめた中、レキアスがそう感慨深げに呟いたのを頭の片隅で聞いていた。
「何だろうな。この違和感。君には思い出させるようで悪いが、この雰囲気がどうしても五年前の事件の時と酷似しているようにしか」
――なに?
突然、善の耳の中で辺りに散らばる雑音がフツリと消えた。
“五年前の事件の時と酷似しているよう”
レキアスが呟いた言葉が、エコーを効かせように、耳について離れない。なにが起こったのか、咄嗟に善にも理解が追いつかなかった。
“五年前の事件の時と酷似しているよう”
違和感。レキアスも感じている違和感。突然起きた不思議な感覚に混乱する善は、頭の中に黒い靄のようなものが広がっていくのを感じた。
“……た……大変……です!”
靄はやが形を持ち始め、だんだんその姿を確かに確認できるようになっていく。善はまるで視覚で物を捉えるように、頭の中に現れた曖昧なそれを確かに“見ていた”。
“篭城だよ、いわいる。いや、篭城というか、今は様子見と言うべきかな?”
“居室のある部屋に隠れている”
“ここ一時間近く、接触した警備部隊及び戦闘部隊は皆無です!”
やがて靄の正体が、今まで起きた出来事の破片だということに気付くのに、そう時間はかからなかった。
“五年前の事件の時と酷似しているよう”
情報。今まで話した、聞いた、見た情報が頭の中でパズルのピースのように、善の中で関係性を持ちはじめる。少しずつ、少しずつ本性を露わにしていく“何か”が彼にはどこか懐かしい気にさせる、妙な既視感に襲われた。
“リオール・アバランティアが、いなくなったのです!”
――なぁ、善。俺、ソフィアを救いたいんだ。
息が止まるかと、思った。
「まさか」




