消えた脱走者
レイス達が、双子の兵士達と遭遇したころ、月の間は怒号や指令の声が交錯していた。
「警備部隊からの、脱走者二名の目撃情報はまだか」
「それが……」
問いを投げられた兵士は、どこか気まずそうに、言葉を濁す。すると、問いかけた司令官はじれったそうに声を荒げた。
「はっきりしないかっ! 別に良い返事は期待していない。他に、答えられる者はいないのか!?」
「はっ。今だにL―10、T―306両者共に<イレブン>に潜伏しているのは確かです。しかし、ここ一時間近く、接触した警備部隊及び戦闘部隊は皆無です!」
月の間の戦場のような騒がしさは、たった一人によって作り出されていた。指令を下しているのは、先程ツウ゛ァインに現場の管理を任された、特務総合部隊統括アベル・ロムハーツ。その任命したツウ゛ァインや他の幹部達は不自然死した幹部の調査のために月の間から姿を消した。よって今の最高司令官はアベルである。
「目撃情報までも無いとは……。仕方ない。全部隊に武器装備許可及び、銃器・戦闘機の解放許可も出す。戦闘部隊、警備部隊に限らず全ての部隊に伝達するんだ」
見つからないなら、逃げ道を塞ぎ、待ち受けるしかない。アベルの眉間にくっきりとしたシワが出来る。彼はレイスを死なせたくないのだ。それだけに全ての部隊に武装許可を下すのは彼にとっては辛くないわけがない。
「了解!」
「それと公安部隊! 報告がないが、施設内の非戦闘隊員の避難は終わったのか!? 余裕があるなら今度はセリカの街全域に避難警告をだせ! L―10が出方次第では街が戦場になりかねん」
「承知しました。至急、公安部隊統括に伝達致します」
報告にやって来ては出ていく兵士達へキビキビと指示を投げていく彼には、普段の穏やかな雰囲気は無い。空軍仕込みのよく響く声の迫力に、周りの兵士達がびくつきながらも慌ただしく動き回っていた。
「なぁんか、キャラが違くないっすかね。アベル統括」
そんなアベルの姿をどこか楽しそうに眺めて呟く者が一人。彼は大量の書類や分厚い冊子を手にしており、一度それらを持ち直すと、背後へ振り返らずに声を掛けた。
「どう思います? リーダー」
「……」
「いつもはこっちが心配になるくらい物腰柔らかい人が」
「何故ここにいる。ターナー」
お前は整備士隊の指揮に回したはすだぞ。お気楽な声を遮り、ターナーの後ろで壁を背に佇んでいた善は、殺していた気配を纏う。
「何でって、酷いなぁ。俺の手、見えません?」
ターナーは両手に抱える書類達を善の見える位置に持ち上げた。
「それは?」
「何だと思います?」
問い掛けてみると、ターナーが待ってましたと口元を緩める。嫌な感じの笑い方だ、直感的に善は思った。
「行動許可書ですよ、これ全部。アベル統括に署名貰わないと、機械一つ相手にさせてくんないもんで。参りますよ、火災警報機で監視カメラがストップしてるってのに」
ターナーは悪びれることもなく、不機嫌そうな表情を隠さず善に披露する。流石に善も苦笑いしか出来なくなってくると、ターナーが思い出したように善の顔をまじまじと見つめた。
「それはそうと、リーダーこそ“こんな所”で何油売ってんですか」
「なにも、油を売っているわけではない」
善は壁から背を放し、そのままターナーの隣にまで歩みを進める。月の間の青白い明かりに照らされた彼の黒い髪は光りを反射する雫が散らばっていた。更に彼のスーツから湿った土の匂いを感じる。
――この人、外にいたのか。
ターナーは即座に理解した。もともと今日の空は雲に覆われていて星も伺えず、とうとう降り出したのはほんの数十分前。きっと善は傘もささずに走り回っていたに違いない。
「今の今まで、<イレブン>施設裏手に広がる森へ非常線を張りに行っていた」
非常線の完成を報告しようと戻る途中で降られてな。善はスーツに着いた雨の雫を軽く払いながら、無感情にそう言った。
「他のメンバーは?」
「グレイスには、頑固な警備部隊の指揮に回ってもらった。シエルは戦闘部隊と共に行動している。ケイスは今まで私と行動していたが、裏手の森で銃撃隊と共に残ってもらった。イヨールは今アベル統括の補佐に回ってもらっているが、先程情報部隊リーダーのレキアスに連れられてリオの警備を強化させに向かった所だ」
「思ってたより手際がいいみたいっすね。俺はてっきり、特務部隊が指揮に立つと聞いて、また他部隊に嫌がられて動けなくなるもんかと思ってたけど」
嬉しい誤算だな、と意外そうに話を聞いているターナー。しかし善はそんな彼の笑みをため息と共に否定した。
「いや、他部隊に我々の存在は嫌がられている。もちろんこちらとしても動きにくい。しかし」
善は、そこで言葉を切ると上を仰ぐように視線を上げる。彼が見つめたのは空になった十一席の幹部席。
「十一人幹部の決定事項だ。いくら周りの連中が我々を嫌っていようと、皆<イレブン>に忠誠を誓った者だ。上の命令は無視出来ないのだろう」
ターナーは半信半疑と言った様子だった。善はそんな曖昧な返事を流して、更に目線を動かす。
「それに。統括のおかげだろうな」
「アベル統括の?」
目線は、月の間の中心で忙しく指示を投げまくっているアベルのところで止まる。ターナーも彼の目線を追って、感慨深げに頷いた。
「確かに。想像してたよりかなり指揮を上手くこなしてるし、何より凄い迫力だもんな。あの声に怒鳴られたら本能的に背筋が……こうピシッと」
怖い怖いと肩を竦めるターナー。善は相変わらずアベルを見つめたまま、何処か遠い目をしていた。
「もともと、統括は“あちら側”の人だ。彼の温厚な性格さ故に私も見くびっていた。あの人がここまで全体を纏めてくれなければ、周りもここまで譲歩してはくれなかった。おそらくな」
「元、戦闘飛空挺連合隊セキレイのエースパイロット……コンマ数秒単位の判断力や離れた位置の仲間を纏めるのは得意分野ってことですかね。というか、珍しいですね。リーダーがそんなことを言うなんて。今日は雨でも降るんじゃないかな」
「もう、降っていたがな」
ターナーのからかいに、真面目に答えた善は、ようやくアベルが一息つく程のタイミングを見つけて、報告のために彼に向かって足を進めた。ターナーも許可書の印を貰うべく善の後に続く。
「アベル統――」
「失礼します!!」
声を掛けようとした瞬間、月の間の巨大な扉が物凄い勢いで蹴破られた。
誰だ。こんなに沢山人が出入りする部屋の扉を閉め切ってたのは。ターナーが呟く。突然勢い良く開かれた扉に強打されて、情報部隊の若い兵士数名が吹っ飛んだのだ。
「アベル統括、大変です!」
「ど、どうしたんだい?」
流石に司令官モードになっていたアベルも、動揺を隠せない。鬼司令官の面にヒビが入り、いつもの弱々しい彼の表情に戻っている。
「……イヨちゃん?」
入り口の方へ目を移したターナーは、驚いたようにポカンと口を開けてしまった。
入り口で、荒々しく息を切らせているのは今はレキアスと共にいるはずのイヨールだった。彼女はいつもの冷静な表情とは打って変わり深刻そうに顔をゆがめている。かなり急いでいたのか、青色フレームの眼鏡がズレ落ちかけていた。
「御報告します。アバランティア制御優先体がいなくなりました!!」
「……は?」
ターナーは手にしていた書類達が床に散らばったことに気づかなかった。アベルも善もその他の兵士達も全て動きを止める。
「リオール・アバランティアが、いなくなったのです!」
嘘だろ。誰もがそう思った。




