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Avalantear アバランティア  作者: 海豹
第一幕 ―起―
29/68

二つの願い

「ところで、何故ここに囚われの姫君がいる?」


 二人に落ち着きが戻ってくると、無造作にテラが切り出した。レイスはその冷めた声で、現実に戻る。今は再会を喜んでいる場合ではない。


「最上階に幽閉されているんじゃなかったのか?」


 自然に目線は戦闘部隊の兵士へと注がれる。テラは鋭い眼で睨みつけるように問いかけるので、兵士はたじろいだ。


『……我々がお連れしました』

「何故だ? お前達は<イレブン>の兵士だろう」

『はい』


 兵士の返事は堂々としていた。自分達が行ったことは断じて間違いではない。そう確信しているようだ。


「二人が私に協力してくれたんです」


 テラと兵士達の間に緊迫した空気が漂い始めると、リオールが慌てたように立ち上がる。涙の後が頬に残る彼女を目にしたテラは、眉間にシワを寄せた。


「どういうことか、説明できるか?」


 相変わらず言葉は刺々しているが、レイスにはテラの口調が物凄く、柔らかいことに気づいた。二人の再会の場を、仕方がないとはいえ早く切り上げさせてしまったのが、彼なりに悪いと思った行為なのかもしれない。

 リオールは、その心遣いに柔らかく微笑み、話しはじめる前に軽く頭を下げた。


「先に挨拶させてください。はじめまして、私はリオール・アバランティアです。貴方は?」

「テラだ。さしずめそこのお調子者の脱獄の共謀人だと思ってくれ」


 腕を組んだテラの自己紹介はぶっきらぼうで、早く話しを進めろと言わんばかりだ。レイスはどこか余裕がないテラの態度に苦笑いする。


「はい。では――」


 あれは、施設内に火災の警報機が鳴り響いた直後のことでした。リオールはそう言って目を伏せた。




 *****




『緊急事態発生、緊急事態発生。B1フロアサンプル室より脱走者あり。繰り返す。緊急事態発生、緊急事態発生』


 けたたましいサイレンだった。今の今まで静寂で支配されていた<イレブン>が一瞬で警戒体制になる。そんな殺気じみた反応を肌で感じながら、ここ数日、花畑の小屋に閉じこもっていたリオールは驚いて立ち上がり、椅子を派手に倒してしまった。眼下で、インクをたっぷり吸わせたペンが転がって、かすれた黒いラインができるが、気にも止められない。

 まさか、と思った。動揺して震える手を抑えられない。


『緊急事態発生、緊急事態発生。B1フロアサンプル室より脱走者あり――』


 “脱走者”という単語に心当たりは一つしかなかった。


「レイス」


 無意識のうちにそう口にしていた。レイスが花畑で捕らえられて三日。彼が今どうしているのか、これからどうなってしまうのか、リオールには何一つ誰も教えてはくれない。それでも何となく、彼がどんな事になるのかは彼女にも理解出来ていた。


『俺は余命があんまりなくて、頼りない傭兵だけど、君をここから助け出すことくらいできる!』


 レイスは無茶ばかりする。黒騎士が現れた時も、善と戦った時も。リオールは目を伏せた。彼の生き方は、投げやり過ぎる。それが嫌だった、でも自分を真っすぐ見てくれる、心から守ってくれるのは嬉しかった。彼女はいつの間にか手を強く握りしめていた。

 自分は狡い。周りの人が傷つくのが嫌なのなら、何故レイスが善と戦う段階で、身を投げてでも止めに入らなかったのか。


「ごめんなさい」


 それは、自分のことしか考えていなかった証拠に他ならない。自分はレイスの気持ちにただ甘えたのだ。


『火災発生、火災発生。B1フロアサンプル室より出火。繰り返す。火災発生、火災発生』


 思考停止。リオールは再び鳴り響いたサイレンに耳を疑った。


「脱走者……に、火災? 一体、何が」


 二回目のサイレンは、火災警報だった。訳が分からない。脱走と火災は、同時に起こりうることだっただろうか? リオールは首を傾げていると、ふと、ある考えにたどり着いた。


「もしかして……これもレイス?」


 異なる二つの警報音。そんなものを施設内に響かせれば、組織内の情報は乱れ、当然兵士達は混乱する。巨大な組織だけに、その混乱によるタイムロスは大きなものになるに違いない。


 動揺作戦だ。


 リオールは確信する。これは単なる誤報ではない。意図的に起こされた――そう、兵士達の行動を鈍らせたい者が起こしたものだ。


「そうに違いないわ」


 彼女がそんなに自信がもてるのは、幼い頃、姉のソフィアを連れ出そうと奮闘していた傭兵ジアスからの入れ知恵によるものだった。


「レイスは……諦めていない!」


 知識のお陰なのか、リオールはレイスの意思を理解した。そして同時に彼が次にするであろう事も分かった気がして、涙が溢れそうになる。


「逃げてくれればいいのに。私なんて放っておけば……」


 レイスはここにやって来る。リオールはそんな力強い予感を前にして、その涙を堪えた。

 今は泣いてはいけない。

 今更、三日前の出来事をどうにかすることはできない。ならどうしたらいいのか、自分には何ができるのか。リオールは前向きに考えた。

 レイスは諦めていない。今度こそは、と立ち向かっていくのだろう。なら、リオールは、今度は狡い自分にはなりたくないと思った。


『君だって自分の生き方を自由に決める権利があるはずだ』


 もう、ただ見ているのは嫌だ。自分の知らないところで、自分のことで傷つく人は居てほしくない。でも、それは自分の自由を諦めることじゃなく、前へ進むこと。


『君は自由になれるんだよ、飛べない鳥なんかじゃない』


 レイスの言葉が蘇る。リオールは自らが行動することを決心した。




 *****




 決心したはいいものの、一体何をすれば良いのか。リオールは小さく首を傾げ、しばらく考え込む。と、何か思い出したように、部屋の隅に追いやられた本棚へと走り寄った。


「……あった」


 そんな本棚の一番下、埃を被り赤い革が白くなりかけている本を彼女は引っ張り出す。


 “私的日常記録”


 表紙に見慣れた丸っこい字に堅すぎるタイトル。彼女の姉ソフィアの日記の一冊だった。

 姉の日記は他にも十数冊あるのだが、リオールはこの赤い革の日記だけは五年間、手に取らないようにしていた。

 怖かったのだ。


「姉さんの最後の日記……」


 それは、五年前のあの日に至るまでの一番新しい日記だった。姉の駆け落ちに至るまでの決意と、悩み苦しんだ気持ちの記録。リオールは薄く積もってしまった埃を払いながら深呼吸する。

 ここには<イレブン>を脱出する何かしらのヒントを見つけることができるかもしれない。

 しかし、それは同時に姉の本当の気持ちを垣間見ることになるのだ。

“肥やし”という運命から逃げ、その運命をリオールへと押し付け、愛する人との生活を望んだ姉の本心が……

 弱音を吐かず、いつも優しい姉だったソフィアが、リオールをどのような気持ちで裏切ろうとしたのか、そんな経緯は知りたくなどなかった。


「でも、前に進まなくちゃ」


 いつまでも過去にとらわれては駄目なんだ。リオールは、怯える思考を押し止め、表紙へと手をかける。

 恐々と開いた日記には、驚くことに何一つ文字がない。いや、正確には文字が書き込まれていた部分が破り捨てられていたのだ。


「どうして?」


 破られたページの残り破片を指でなぞりながら、リオールは酷く狼狽する。

 理由は分かる気がした。当時のソフィアの日記は、駆け落ちを誘発させるような内容だと判断すれば<イレブン>が放っておくはずがない。

 そうそう諦めるつもりはなかったが、いきなり出鼻をくじかれ、ため息をついていた。


「ん?」


 そんなとき、あることに気づいた。手にしている日記の表紙がひどく重たい。リオールは慌てて日記を机の上に持っていくと、表紙を調べた。


「これ……魔法?」


 表紙を何度も触れていくうちに、静電気の様なピリッとした痛みをを感じて、リオールは再び表紙の厚い革を凝視する。


「微かだけど、姉さんの術がかけられてる」


 リオールは、表紙の隅に小さな紋章を発見し、直ぐさまそれに爪を突き立てる。蝶を連想させられるような紋章は、紛れも無く姉の物であり、この手の魔術は紋章を傷つければ解けるものだと知っていた。

 変化は著しかった。“私的日常記録”のタイトルの下に、まるで火にあぶったかのように文字が浮かび上がってきたのだ。


“脱出作戦”


「作戦……作戦!?」


 リオールの思考は一瞬にして、五年前の駆け落ちの事で一杯になる。そもそも日記の表紙に隠すように術を施していたのだ、疑わなくてもこれが駆け落ちの計画資料なのだと分かった。


“魔術”


“眠り”


“壁”


“鳥”


 そのあとも、少しずつ区切られた短い単語が浮かび上がっては消えていった。それらをリオールは、机に放置されたままだった汚れた紙に慌てて書き写していく。

 やがて表紙は沈黙し、彼女はしばらく関連性のなさそうな単語を眺めた。これらの単語は脱出手段へと繋がっているはず。リオールは藁にも縋る思いだった。


“魔術”


“眠り”


 これは見張りへ魔術で眠りを誘え、ということなのだろうか。


「眠り。安眠の魔術なら、使えるからなんとかなるかな?」


 アバランティア一族は魔術師の家系でもありリオールも魔術が使える。それでも体力を大幅に消費する魔術は、彼女を研究対象とする研究室から、習得内容に制限がかけられていたために、彼女は極簡単な魔術しか使えない。

 だがそれはリオールの姉のソフィアも同じことであり、ソフィアがその方法で脱出しているのなら、彼女にも十分可能なことだと思える。


「じゃあ、この“壁”と“鳥”は?」


 微かではあったが、手応えがあったのでリオールの単語を見つめる目に知らずと力が入っていく。

 しかし、そんな彼女の行為を遮るように小屋の扉が叩かれた。



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