再会
一階フロアで東側外階段を発見した二人は、地道に一段一段を上っていた。
簡素な外階段を駆け上がる度に、薄い金属の踏板が甲高い音で悲鳴を上げる。明かりは少なく視界が悪いので、一歩踏み違えば真っ逆さまに転落しかねい。通常、荷物の持ち運びぐらいにしか使われない階段だけに、全くと言っていいほど利便性に欠けているように感じた。
「……リオ、待ってろ」
上り始めて何度呟いたのか、レイスは息を切らせながら目線を上げる。
星は一つも見受けられなかった。空は雲に覆われて、月光すら薄ぼんやりしており、どこか清々しない。
更に外気は凍えそうになるほどに冷たかった。走り回っているため、寒くはなかったが、結晶化している左腕は冷たい空気に触れて微かな痛みを訴えていた。時刻は定かではないが、一番冷え込む時らしい。
「これは降られるかもしれんな」
前方を駆けるテラも上空を見上げていた。空を隠す雲は大きく、まがまがしいものにすら見える。
この時期は雪になるかもしれない。レイスは様々な思いを浮かべつつ、目線を下げる。
踊り場に設置された小さな非常灯が、ぽつりぽつりと緑色の光りを浮かび上げ、上に向かって一列に並んでいた。――高層ビルなだけに、終わりはまだ見えない。
「今、何階くらいか分かるか?」
先の長い道のりに思えたのか、テラへじれったそうな声でレイスは話しかけた。
「七階くらいだろう。まさか、もう疲れたのか?」
踊り場の階表示を目で探したテラは、どこか意地の悪そうに肩を竦めて見せる。
馬鹿にされたと思ったレイスはすかさず首を左右に振った。
「その割には、初めより随分足が重くなっているが?」
振り返るテラの表情に笑みなどは見て取れないが、レイスのふて腐れている様子をどこか楽しそうな目で見ていた。レイスをからかうことがすっかり気に入ったらしい。
「仕方ないだろ! さっきから戦ってるのは俺ばっかりなんだから!」
必死に抗議するレイスの右手には、抜き身の剣が握られている。
テラもその言葉には意義を唱えなかった。事実、人気はない階段とはいえども多少ながらに兵の出入りがあり、それがたまたま通過している場所の下階からばかり出現する為、後ろを走るレイスが全て相手をしなければならなかったのだ。
「やっぱり、タイミングが悪いんだよ、タイミングが」
勘弁してくれと、がっくりと肩を落とすレイス。
「なぁ、階段駆け上がるだけならさ、先頭を交換して――」
キュ~~ン
抗議する言葉を遮るように、レイスの肩に乗っかるアミーが、突然大きな鳴き声を上げる。
耳元での甲高い叫びにレイスは思わず階段を踏み外しそうになる。今までの戦闘でもレイスの腰のバックに入って大人しくしてくれていたので、どうしたんだ!? と狼狽した。
キュ~~ン、キュ~~ン、キュ~~ン!!
叫びまくるアミー。何か伝えたいことがあるのか、彼女は鳴きながらレイスの肩の防具を引っ掻いている。
「何が言いたいんだよ」
キュ~~ン
「“上の階が騒がしくなっているわ! 足音が増えて、こちらに向かっているみたい”……だそうだ」
「へぇ、って通訳!?」
テラお得意の“動物お話術(レイス命名)”のおかげで(妙に女言葉なのが気になるが)のアミーの意図することを理解した二人は、唐突に足を止めた。
「上が騒がしい? もしかして」
顔を派手にしかめたレイスが頭上を仰ぐ。一方、目を伏せ耳をそばだて足音を捕らえようとするテラは、やれやれと肩を竦めた。
「ようやく組織の連中が本気で鬼ごっこを開始したようだな。遅いくらいだが」
「幸運もここまでってことか」
レイスは溜息をつきながら、剣の柄を握り締める。
第一、今にいたるまで数えるほどの兵士しか接触していないこと自体が異常なのだ。ここから先は、多勢に無勢。いつ殺されても文句は言えなくなる。彼はどうしようないことは分かりつつも、テラへと視線を投げた。
「どうする? 片っ端から兵士をボコボコにしてさ、このまま突っ切るのか?」
「他になにか案があると思うのか」
俺はそこまで出来の良い策士じゃない。テラは、期待の色を感じるレイスの目線に、力無く首を左右に振って見せた。
「じゃあ、仕方ないか……」
がっくりと肩を落とし、剣の柄を強く握るレイス。彼は一瞬で肺の中の息を全て吐き出すと、高く跳躍した。
テラを追い越し、上の階の踊り場に降り立つと、彼は毅然とした顔付きに変わっていた。
「早く行こう、テラ」
「ああ」
テラもそれは同じだった。彼とて、現状が楽観視出来るわけが無いのだが、何処か割り切ったような表情で、レイスの後を追う。
「リオ、待ってろよ」
呟きは、夜の曇り空に吸い込まれ消えてなくなった。
*****
「なぁ」
そうやって、割り切った選択をしたのは、果して何分前の出来事だったのだろうか。
「あれって、もしかして……いや、でも違うか?」
現在九階踊り場。レイスが何処か興奮した様子で、フロアへ続く金属製のドアに張り付いて、なかの様子を伺っていた。先程の決意に燃えていた姿は無く、その姿が挙動不審な変人にしか見えないことに、本人は気づいていない。
テラは、そんな彼の姿に目も当てられないようで、溜息をつきながら空へと視線を逃がしている。だが、やはり気になってしまうのか、レイスの不振な姿を視界から外せないようだった。
戦いを決意して、それでも階段を駆け上がっていた二人だったが、九階踊り場に差し掛かった時、今度は先頭を走っていたレイスが、急に立ち止まったのだ。最後に通った者が閉め忘れていったのか、開いたままのフロアへの扉へかじりつくように目を向けているレイスは、奥の“何か”にレイスは目を奪われたらしい。
「やっぱり、そうだ!」
しばらく彼の不審な行動を黙視していたが、ついには小さくガッツポーズ取り、歓声まで上げはじめると、テラは思いっきり、いっそ盛大なほどの鋭さで、レイスを睨みつけた。
「おい、覗き魔。ハアハア言いながらそうしてると本気で殴るぞ」
「誰が覗き魔だ、誰が」
「他に誰がいる」
「あのなぁ」
とたんに、テラへと振り返るレイス。頬は興奮で紅潮してはいたが、顔付きは真剣そのもので、ふざけている様子は微塵にも感じられない。
「こんな緊急事態に、いくら何でもふざけるわけないだろ。ちゃんと理由があるの。正当な、“り・ゆ・う”が!」
どんだけ俺を馬鹿だと思ってるんだよ。レイスは小さく心の中で溜息を零す。
「……」
「な、なんだよその目は! さては、信用してないな!?」
テラは毎度ながら無表情であったが、瞳は彼の感情に従順で、“いや、お前はどう見ても馬鹿だろ”という蔑んだ視線がありありと現れていた。
レイスはそんな視線に負けじと睨み返すが、数秒後、渋々諦めをつけて扉の方へと再び身を乗り出して、テラに指し示してみせる。
「空なんか見て突っ立ってないで、見てみろよ。そうすれば俺の言いたいことがわかるからさ」
馬鹿馬鹿しいと、今だに目を向けようともしないテラの腕を無理矢理引っ張ると、自分が見ていたように彼をドアに張り付けさせた。
「――ほら!」
やれやれ、と目を懲らしたテラは、次の瞬間にはレイスへと振り返る。その表情は驚きの色が強く現れていた。
「どうだと思う?」
「……戦闘部隊だな」
信じられないといった声色でテラが呟く。扉の向こう側には、二人にとって又とない幸運な状態があった。
九階フロアは、<イレブン>の様々な資料・物資等が保管される。そのため人影は少なく、奇妙な程に静寂な空気に包まれている。
「ラッキーだぜ、ぎりぎりになって変装着が見つかるとはな」
外階段から見えるのは長い直線の廊下で、奥にはエレベーターが見えるのだが、そんな視界を遮る二つの影。
影の正体は兵士だった。
表情を防護ヘルメットのアイカバーで覆い隠し、体のラインなど全く分からない防具を着こなす彼等は、当初のテラの作戦で必要だった戦闘部隊。レイスは相変わらず興奮したようにテラの顔を覗きこんだ。
「なぁ、まだ間に合うんじゃないか?」
「確かに」
まじまじと、二人の兵士を見るテラは何処か怪訝そうな表情。レイスの言葉を肯定している辺り、否定ではないようだが。
彼は、この目の前の幸運を信じられない。ようやく敵が動き出したかと思えば、タイミングよろしく二人組の戦闘部隊が現れた。偶然といえばそれで片付くが、彼はどうもスッキリとそうは思えなかった。
「虎穴に入らずんば虎児を得ず……か?」
今戦闘部隊の服を奪えなければ、二人は何百とも何千とも分からない、<イレブン>の兵士と激突することになる。元々玉砕覚悟で飛び出したのだが、どんなに二人が足掻いたところで無駄死にすることは目に見えていた。見るからに怪しい状況でもやってみる価値は大いにあるように思える。
「当たって砕けろみたいな感じで行こうぜ」
「そうだな」
リオールを助けたい一心のレイスは、目の前のチャンスを手放すことは意地でもしたくない。分かっているだけにテラは、彼の強固な意志に渋々ながらも頷いていた。
「だが、罠かもしれない。行くにしてもタイミングを――」
「よっしゃ! そうと決まれぱ善は急げだ」
尚更ここは慎重に……と、切り出そうとしたテラだったが、拳を固めて気合いを入れるレイスの言葉に固まった。
「おい、待――」
「とりあえずささっと頭なんかをぶん殴って、手っ取り早く気絶させようぜ」
「こんな怪しい状況で、突撃はやめ――」
「行くぞ!!」
しかしテラの説得も虚しく、一人意気込むレイスは一度自分の頬を叩くと、テラの腕をがっちり掴んで走り出していた。
「あ、おい!?」
「グズグズ言ってると逃げられるし、何より上に兵士が沢山押し寄せて来るんだろ? 行くしかないでしょっ」
理屈なんて聞きたくない! と言いたいのか、腕を掴むレイスの手は力が入っていた。
テラは半ば強引に引っ張られながらも、少しずつ近づく二人の兵士へと目を向ける。
これだけ、殺気立ったレイスが猛スピードで迫って来ているというのに、二人は全く気づく様子がない。今までの流れならば、とうに戦闘になっていてもおかしくはないはずなのに、二人はこちらに背を向けてピクリとも反応しなかった。
「“背を向けている”……?」
ふと、テラは気づく。
「何故あいつらは二人で後ろを向いているんだ?」
二人の兵士は、まるで並んで列を作るように背を向け立っていた。雑談しているのなら向き合うだろうし、歩いているわけでもない。明らかに、それは不自然な姿勢だった。
「れ、レイス」
「何だよ!?」
「奴ら、様子がおかしい。気をつけろ」
どういう意味だ。レイスの目に困惑の色が見える。しかしテラはそれ以上は言わなかった。
「仕方ない……行くぞ。思いっきり怪しいが、変装する服は欲しいからな」
流石に諦めるしかない。テラはそう肩を落とし、ただ前を見据える。俺がいくら何を言った所で、こうなってしまった以上、今更止まれないだろう。と、彼は未練がましく愚痴をつぶやいてはいたが、これは本当にどうにもならないのだ。
「そんじゃ、やりますか!」
テラを妥協させることに成功したレイスは小さく笑うと、走るスピードを上げる。資料室の直線廊下は異常な程に長かった。
先を急ぐレイスと、どうなるのか未知数な状況を受け入れられないテラ。どちらも半ばやけになったような猛スピードで兵士に近づいていく。
幸運なのかそうではないのか、相変わらず兵士は二人揃って背を向けたまま気づく様子はない。
しめた。兵士との距離が十メートルと迫った時、二人は勝利を確信し、
「覚悟ぉぉ――――わぁぁぁぁあ!!」
滑った。
*****
実はこの日、九階フロアの一部分の床に大量のワックスが“意図的”塗られていたのだが、そんなことを二人が知るはずもなかった。
叫び声が、廊下中に響く。もちろん、声の主は……レイス。
「ええぇぇえ!? ちょっと、何?!」
初めにワックスによって足を滑らせたのは先を走るレイス。あまりの己の無様さに発狂しかけているようにも見えた。
そして、残るテラはというと、目の前で起きた転倒事故に素早く反応し、走るスピードは殺せないにしろ壁に張り付こうとしていた。
「な!?」
……が、レイスが彼の腕をガッチリと掴んでいたことをすっかり忘れていた。
「うわっ」
言うまでもないが、テラも先を滑るレイスに引っ張られて転倒し、彼と同じ運命を辿ることに。
ふざけるなと、言いたくなる衝動にかられたテラだが、転倒してみて今の現状の馬鹿さ加減に呆然としてしまった。
血に飢えた獣のような勢いで走っていた二人は、崩れた体勢で着地した後も止まることなく、アイススケートの如く床の上を真っ直ぐ滑り出していたのだ。このまま敵の前に突っ込む可能性が高い。
ため息が自然と彼の口からこぼれ落ちる。
「手を……はな、せ!」
それでもなんとかしようとテラが声に出してみるものも、見事なほど綺麗にすっ転んだレイスが我を失っており、なかなか意志が伝わらない。
「うわぁぁあ」
「はなせっ!」
「そ、そんなこと言ったって……ねぇぇぇえ!!?」
「滑っているんだ、壁に手を当てて摩擦で止め、ろ。だから手を離せ!」
「この体勢じゃ、無理!!」
「無理じゃない! やれっ」
「いや、でも手を離したら自分だけ助かる気だろ!?」
「なっ……」
パニックになっているくせに、そういうことには頭が回るのか。テラは思わず舌を打った。
確かにこのままレイスが手を離しても、廊下のど真ん中を滑る彼には壁に手は届かないだろう。
「今、舌打ちしたよな!? やっぱり自分だけ助かる気だったんだろ」
「うるさい! どちらかが助かれば、何とかなるかもしれんだろうが」
図星だった。テラは珍しく声を荒げて無理矢理腕を引き剥がそうと専念してみる。本音は――滑って敵の前に突っ込んで、バッサリ殺られるなんて、馬鹿げた死に方だけはしたくない。
「絶対離さないからな! この薄情者め!」
「うるさい!! 死んでも構わないって言ってただろ、潔く逝けっ」
「逝かねぇよ。なんでそういうこと言うんだ!? それに、死ぬ時は一緒じゃなかったのかよっ」
「確かにそうは言ったが、俺はこんな馬鹿げた死に方だけはしたくない!」
「あ~~! 本性を現したな! かっこよくクールに決めてたくせに、実はそうでもなかっ――」
「黙れ」
言葉の攻防戦が続く。いや、汚い罵り合といった方が正しいかもしれない。そんな合間にも、二人の兵士に確実に接近していることに、レイスもテラも頭から消え失せていた。
よって、先程まで、無関心ともとれた二人の兵士が動き始めたことになかなか気づかない。
「だ・か・ら! 手を離――」
気づいた時には遅く、テラの表情が凍った。叫びまくっていたレイスも、何か嫌な予感がしつつ彼の視線の先を追う。
二人の兵士はいつの間にか振り返り、真ん中、レイス達の滑り道となろう位置を左右に移動することで開けていた。
暴れまくるレイス達から回避するつもりなら当然の措置なのだが。
「え゛、マジ……」
二人が避けた中心は、何やら大きな黒い箱。それがまるで川の流れに逆らえない小魚をタモで捕獲するかのようにぱっかりと口を開けているのだ。
「おい……なぁ、これって普通に考えたらさぁ」
先程まで口論になっていたことなど忘れているかのように、レイスがテラと視線を交わえる。
「ゴールインだな」
テラも半ば、どうにもならないといった様子で呆然としていた。表情も未だ凍ったままだ。
「どうするよ、ちょい!」
「いや……どうにもならんだろう」
「なんで、そんなに冷静なんだよぉぉお!!」
約四秒後、廊下中に響くほどの音を立て、レイスとテラは箱――金属製のそれの中に二人一緒にゴールインした。
「痛ってぇ」
折り重なるように箱に突っ込んだため、どこが上で何が下で、自分の体勢も、お互いの状態も分からない。ただ、滑る勢いのまま金属製の壁に顔面激突したレイスは身悶える。テラは、レイスがクッションとなって痛みを伴うことはなかったが、相変わらず腕は捕まれたままで身動きか取れなかった。
『捕獲成功』
そうこうしているうちに箱の扉が閉められる。
二人の兵士の声だ。綺麗に揃った声は確実に実直そうな兵士を思わせた。終わったか……テラが呟くのを耳にしたが、レイスはその前に何か引っ掛かるものを感じた。
「さて、どうする?」
「分かっているんじゃない?」
『我々のお姫様のところに突き出す』
変な会話だ。レイスは二人が何かと声を揃えて話をすることに違和感を持つ。まるで二人はお互いの意志を共通しているようにも取れるのだ。
「れ、レイス!」
自分の背中が叩かれて、はっと我に返るレイス。光りが入らない箱の中は狭く、叩いてきたのがテラだということは分かるが、彼の顔がどこにあるのか見えなかった。
「どうした!? テラ」
「か、鍵が……かけられてる」
「えっ」
何故だかテラの声が苦しそうに感じる。息苦しいのかもしれない。
先程から尻の方から感じる柔らかい何かはもしかして、とレイスは思いながら、現状を知る好奇心が勝り、動かなかった。
「開けてみようと試してはいる。が、お前の体が邪魔でうまくいかない」
「開けられるのか?」
「この手の鍵は軽くショックを与えつづければ留め具が緩む。何とかなるかもしれない」
へぇ~。レイスはテラの博識ぶりに思わず感嘆の声を上げた。しかし、彼は夜目がきくのだろうか。まだ暗闇に目が慣れないレイスはただ驚いていた。
「で、どうすればいい?」
「とりあいず、潰れろ」
「はぁ? どういう意――痛でででで!」
レイスの質問が途切れる。問答無用とばかりに、テラが狭い空間の中で無理矢理動きはじめたからだ。
「レイス、もう少し上に行け」
「痛い痛い痛い!! 上? 無理だ、これ以上行けない」
「何とかしろ」
そんな無茶な。レイスはまだヒリヒリする顔を動かし、上と思われる方へと動いてみる。しかし、箱は元々体を屈めないと入いらない丈しかないのだ。到底どうにかなるものではなかった。
「テラ、やっぱり無理だ」
テラは数秒、考える素振りをみせたが、箱が兵士達によって運ばれはじめたので、小さくため息をついた。
「仕方ない、潰れろ」
「だから――痛でででで! 死ぬ死ぬマジで!!」
「一瞬でいい、死ね」
「いや、無理だろ!?」
「このまま連れてかれたら、どちらにしても死ぬ! 我慢しろっ」
テラは怒鳴るが、潰されているレイスにしてはたまったものではない。しまいには呼吸もできなくなり、彼は暴れるしかなかった。
「レイスっ!」
「ん゛っっ~~~」
『お静かに。皆に見つかってしまいます』
その時だ。囁くような小さな声が、二人の間に割り込んできた。
「えっ?」
『あと、暴れるのもお控え下さい。身じろぐ程度ならごまかしがききますが、いいですね?』
良く聞けば、声は綺麗に揃っており、それが、箱を運ぶ兵士達の声だと気づく。
「どういうことだ?」
レイスの体ににかかっていた負荷が消えた。テラが止まったらしい。
「その話は後程」
「先に、行かねばなりません」
丁寧な口調だが、二人ともどこか張り詰めた空気と、焦りが滲み出ていた。
箱には運搬用のローラーが着いているようだ。それが止まる。慣性の法則によって、レイスとテラは箱の壁に押し付けられる。
『ドアが開きます』
聞き覚えのある合成音。レイスはわけが分からなくなった頭で、何とかそれがエレベーターの到着音だと理解する。
果して彼らは敵なのか、そうじゃないのか。レイスもテラも分からない。ただ二人は言われたとおりに押し黙るしかなかった。
『ドアが開きます』
エレベーターは、数秒間下に下がる動きをして停止した。階数としては二、三階降った程度だろう。レイスは微かな揺れと勘でそう判断した。
動き出した。レイスは後頭部が箱にぶつかるのを感じて、思わず手で口を塞ぐ。自分達の現状はよく分からないが、声を出すのはマズイ。
――レイス。
そんな中、テラがこちらにかろうじて聞こえるほどの声で話し掛けて来た。レイスは多少抵抗はあったが口を塞いだ手を離す。
――どうした?
――前から、二人組が来る。
目が暗闇に慣れてきたレイスは、テラの輪郭を捉えようと目を凝らした。彼は箱に耳を当て、外の様子を伺っているようだ。表情はさすがに分からないが、険しい顔をしていることは容易に想像できる。
――もし、運んでいるこっちの二人も敵だったら、四人だ。
――四人? それなら余裕じゃないか。倒すのに支障はないさ。
――だが、こちらの二人は戦闘部隊の兵士だ。今までの警備をしていた兵士とは格が違うはず。
――そんなに堅く考えなくてもいいよ。この数週間眺めてきたけどさ、戦闘部隊とは名前だけで、たいして目を引く腕の人間は五人もいなかった。よっぽど、アルティス傭兵団の同僚の方が強いぞ。
レイスはテラの冷静な分析を聞き、簡単に捌く。彼の頭の中は、自分達を箱で覆った運び手達のことでいっぱいだった。
『お静かに。皆に見つかってしまいます』
彼等の言葉が耳に残っている。一体何が目的なのだろう? レイスはただ首を傾げた。レイス達に捕縛か殲滅の命令が出されているのはまず間違いない。だが、殲滅なら、二人がワックスで転倒したときに幾らでもチャンスはあったはず。かといって捕縛が目的だとしても、とっくに鍵の掛けられる箱に入れた今、味方を思わせる手の込んだ芝居は必要ないだろう。兵士がする行動としては納得いかない要素が多すぎた。
――やっぱり、味方なのか。
レイスは心の片隅でこの二人の兵士は敵ではないと認識しつつあった。理由はハッキリと分からないのだが、どうしても彼等を疑えないのだ。
――どうしてだろうな。
漠然としない気持ちのまま、それでも成り行きに任せようとレイスは心を決める。
――そういえば。
気持ちの整理が着いたことで、幾分か落ち着いてきたのか、彼は無造作に腰のバッグへと手を伸ばし――停止した。
「えっ」
思わず、声が口からこぼれ落ちる。
――レイス。
テラが怪訝そうな顔を向けて来るのが分かった。他の人間が近付いて来ているのだから、今のレイスの声は大きすぎる。
慌てて声を潜めるが、心は掻き乱れていた。レイスは腰のバックを掻き回しながら顔から血の気が引いていくのが分かる。
――アミーがいないんだ!
いつもなら触れられる感触がバックの中には存在しなかったのだ。
――アミーが?
レイスの動揺を察したテラも少し驚いたように身を乗り出す。
――バックの中に居ない……
さっき転倒したときに落ちたのか? レイスは、自分の体のあちこちに触れながらアミーの感触を探した。
――アミーは諦めるしかないな。
テラの溜息は大きい。彼も動物好きであるのだから辛いのだろう。レイスはそれでもアミーを探すことをやめなかった。
「任務ご苦労」
そんな時、箱の外から声が降りかかり、レイスもテラも同時に息を止めた。四人の兵士が合流したらしい。聞こえていた足音が止まった。
「見回りは万全ですか?」
運び手の兵士が問う。形式的な会話なのだろうか、真剣味があまり感じられなかった。
「いやいや、こちらは何も。L―10とT―306は既に上階にいるのかもしれないな。私達はこれから交替に行く途中でね」
新たにやって来た兵士は疲れたような声色で笑ったようだ。穏やかな言葉遣いから、落ち着きを払った年嵩のある人物が想像できる。
「それはそうとそのデカイ箱は何だ?」
更に、会話の中に声が加わった。気の抜けていて、どこか荒っぽさを感じるその声の主は、箱に近付いて来るなり爪の先でコンコンと突いてきた。
「研究局から、新兵器の実験とやらで……」
「なるほど、今逃走中の囚人を使って新しいお遊びを……。相変わらず、やることがえげつないねぇ。人間を何だと思ってるんだろうな、あの連中は」
説明を聞くなり、やれやれと半ば呆れ果てたように呟く声が降り注いで来る。更に新兵器という言葉に驚いたのか、近付いていた気配が離れた。
「君達も大変だな。脱獄者捕獲の指揮権が特殊部隊に移るなり、戦闘部隊は奴らの駒のように使われているみたいだし。今度は研究局にもこき使われてるのかい?」
「まぁ、そんなところです」
「気の毒だな」
心底気の毒そうな言葉と、特殊部隊という単語に、レイスは知らず知らずのうちに耳をそばだてていた。
「しかし、幹部も何を考えているんやら。特殊部隊といや、若造だらけだし、統括は空軍上がりの現場知らず。最後にゃ五年前に裏切った善がいる部隊だぞ。よく指揮に選んだよな」
「仕方なかろう。L―10はアバランティア制御体の警護にあたっていた。あれの管轄は特殊部隊だ」
「たがらこそさ。あの善は、前制御体を逃がした張本人だ。今回も信用できるかどうか……」
「大丈夫だろう。もしそんな動きがあれば、今度こそあの部隊は取り潰しになる。あやつも隊をまとめるリーダーだ。そんな軽率な真似はしないだろうさ」
二人がこぼすのは愚痴だろうか。レイスは握り締めた手が汗ばんでいることに気づきながら、ひたすら息を潜める。この至近距離、少しの物音も立てられない。
「……いかん、いかん。立ち話をしている場合ではなかった。早く行かねばな」
「確かに。あのリーダーは、やたら目つきは鋭いからな。あれに睨まれたくはない」
ようやく、話に一区切りつくらしい。たった二、三分の会話だが、密着した状態で停止していなければならないレイスとテラにとっては、辛い時間だった。
「すまなかったね。君達も任務中なのだから、愚痴など聞きたくはないだろうに」
「おい、早く行こうぜ!」
早足で歩きだしたのか、二つの足音が遠ざかっていく。レイス達を隠していた運び手の兵士達の安堵のため息が微かに耳に入る。
とりあえず、安心していいのか。
レイスとテラも一息付こうと身じろぎしたその時――
キュ~~ン
「な、何だこいつ!?」
聞き覚えのある鳴き声に、再び二人は体を強張らせた。
「イタチなのか!?」
――アミーだ。
レイスが思わず身を乗り出す。やっぱり、箱の外に落ちていたのか。テラも額に冷や汗が浮かぶのを感じた。
「こいつ、ひょっとしてL―10の……」
『お待ちください!』
バレる!! 二人がそう覚悟した時、運び手の兵士達の綺麗に揃った声が、空間中に響いた。
キュ~~ン、キュ~~ン
「それは、我々の“運び物”です」
「このイタチがか? 君達は“新兵器”を運んでいたのではないのか?」
怪訝そうな、兵士。運び手の一人が二人の兵士に走り寄る。アミーは相変わらず金切り声のような鳴き声を上げていた。
「なんかお前ら、変だな」
この一言に、その場にいる空気が凍りついた。
「……どういう意味でしょうか?」
やや動揺したのか、運び手の兵器が切り替えしに遅れる。すると、相手はあのなぁ、と声を少し荒げた。
「俺はこのイタチはL―10の所有物に酷似していると思うぜ。第一よくよく考えりゃ、この状況下で戦力になる戦闘部隊を研究局の使い走りに回すのか?」
荒っぽい声の兵士が不信そうに運び手の兵士を問い詰め始める。レイスはもう無理だ、と暗闇のなかで自然と剣の柄を握りしめていた。
「いえ、使い走りというのは些か不躾なお言葉かと。我々は研究局長であられるアルフスレッド殿の命で“新兵器”を運んでおります」
しかし、箱の近くにいるほうの兵士が、落ち着いた様子で、問い詰める相手へと声を投げる。
「じゃあ、こんな小さいイタチもお前達の言う“新兵器”なのか?」
そんな風には見えねぇけどな。口の悪い兵士は馬鹿にしたように笑う。全く信じていないようだった。
「確かに、それは“新兵器”ではありません」
信じられないのは当たり前です。運び手の兵士は、突然そう切り出して、口の悪い兵士の言葉を遮った。
「しかし、我々の“運び物”であることは変わりありません」
「??」
どういうことだ? 話している二人の兵器だけでなく、隠れているレイスやテラですら首を傾げた。すると、運び手はやれやれと言わんばかりに溜息を漏らす。
「仕方ありません。これは口止めされていたのですが。……この箱の中身は“生体兵器”です」
『生体兵器ぃ?』
兵士達の声が揃う。そうです、と答える彼は周りに聞かれるとマズイと言わんばかりに声を低く抑えた。
「研究局の中でも今回は合成獣の研究チームから、将来警備に借り出されるだろう警備獣の試作品を放つよう命令されました」
「警備獣……?」
「はい。こいつがなかなか狂暴な化け物でして、《剣聖》であるL―10に対抗できるように判断しての選択らしいのです。しかし、試作品であるがために、味方にまで攻撃されてはたまりません。ですから、我々戦闘部隊が、近くで管理するハメになったのです」
なんという口上だろう。二人の兵士は圧倒されるように、押し黙ってしまった。レイスは運び手の言葉を聞きながら、ただただ感心するしかなかった。
“箱の中は生体兵器だ”などと言ってはいるが、もちろん実際に中にいるのはレイスとテラである。立派に口実を並べているが、当然嘘なのだろう。
だが感心するのは、その口実。この運び手は、さも事実のことのように即席で考えた嘘をスラスラと口にしている。文章表現も苦手なレイスは到底真似できないが故に、ただ唸るしかなかった。
「ほら、聞こえませんか? 獣のもがいている音が?」
運び手の兵士が箱を数回、何かをこちらに訴えるように叩く。レイスは訳が分からなかったが、真横にいるテラは何か思い付いたらしく、
ヴゥゥゥグァァアアア
と、人の喉から出しているとは思えないような声を上げはじめた。
「ひっ!?」
疑いをかけていた二人の兵士はその“声”に恐れを抱いたように、小さな悲鳴を上げる。
「あ、ちなみにそのイタチですが、警備獣の食事です。空腹で狂暴化させてはいるのですが、なにしろ何かの手違いで我々が喰われてしまっては話になりませんので……」
しゃあしゃあと嘘ぶく運び手は、あえてなんともないといった平然な口調で話を切る。流石に二人は反論する気を失ったのか、再び歩き始めていた。
「そ、そうか。なんか、疑っちまって悪かったな」
「私達はこれで失礼する。き、君達、くれぐれも怪我のないように」
「はい。お気遣いありがとうございます」
彼等の声が震えているように聞こえるのは、気のせいだろうか。レイスは思わず笑い出しそうになる気持ちをぐっと抑えて、二人がエレベーターに乗り込むまで耳を澄ました。
再び、箱が動き出した。レイスもテラも、もう運び手の二人が敵であるとは思わなかった。
「ご協力感謝します」
先程のテラの鳴き真似のことを指しているのだろうか。小さな声で礼をする兵士の言葉に、レイスは小さく笑みを浮かべていた。
*****
それから、数分後。再び箱は停止した。
「お疲れ様です」
労いの言葉が降ってきたかと思えば、ドアが開かれる重い音がレイスの耳に届く。
「入ります」
ドアが開くと、運び手の兵士はまた少し箱を動かして、ドアを閉めた。カチリという金属音が後に続き、箱はどこかの部屋に入れられ、更に鍵が掛けられたのだとレイスは理解した。
「長い間、拘束を強いてしまい、申し訳ありませんでした」
兵士が箱の前にしゃがみ込むのと、箱に掛けられた鍵が外されるのが分かった。
箱の蓋が開けられると、レイスとテラは、転がり落ちるようにして、狭い空間から脱出する。暗闇から解放され、レイスは電灯の明かりの眩しさに思わず目を細めた。
「レイスっ!」
何故か、自分の足元から声が聞こえる。訳も分からずボケーとしていると、自分が床の上にいるのではないと気がついて、慌てて動いた。どうやらテラを下敷きにしていたらしい。
「ここは……」
その場から離れ、低い視野から辺りを見回して見れば、まず目に入いるはシングルベッド。次に冷蔵庫、流し台。必要最低限の家具がぽつりぽつりと置かれたその部屋は、レイスにも与えられた型と同じ寮の一室だと分かる。
『レイス殿』
名前を呼ばれ、ソワソワとしていたレイスだけでなく、危険が無いかと慎重に床を調べていたテラも振り返った。相変わらず戦闘部隊の兵士は装備で顔が分からない。だが、揃った声がまた、レイスに意味不明な違和感を与えている。
「あんた達は一体、誰なんだ?」
感謝しなきゃな、とレイスは笑いかけながら、問い掛けた。敵ではない。頭ではそう判断した。それでもレイスの右手はいつでも戦闘に移れるように、愛剣を探している。
『我々は、貴方に我々の恩人を救っていただきたいのです』
そんな彼の様子などとっくにお見通しなのか、小さく苦笑いした兵士。やはり装備を解かない二人は、穏やかな声でそう切り出した。やはり何か意味が分からない。レイスがそれを表現しようと首を一気に捻ると、兵士達は揃ってレイスの後ろ示すように右手を突きだした。
どこか急かされているような、そんな気になって、レイスは躊躇いを押し切り、二人の指し示す方へ目を移す。
「女?」
テラの方が、早く振り返ったらしい。訳が分からない、そんな声色で、直ぐにレイスの方へと向き直る。
しかし、レイスは違った。目は見開き、口はポカンと半開きになり、信じられないといった表情。彼の目が今までに無いほど、動揺の色を見せていることに驚き、そして納得したようにテラは頷いていた。
「そうか、あれが――」
*****
レイスは突然全身に電撃が走ったかのようにその場から動けなくなってしまった。
「……レイス?」
幻かと思った。
「な――」
彼女が、いた。
決して広くはない部屋の隅で、自らを追いやるように小さくなっていた。
目に大粒の涙を浮かべ、服を掴む指は力が入りすぎて白くなり、精一杯震える足を立たせて、崩れ落ちるのを必死で堪えてながら、それでも微笑んでいる彼女が――目の前に。
聞きたいことは山のようにあった。
――ここはどこなのか?
――箱を運んだあんたらは誰だ?
――施設内はどうなっているのか?
たくさん、たくさんあった。
「……ごめん。迎え、遅くなった」
けれど、彼女を目にした途端、そんなものは全てどうでもいいものになり果てていくのをレイスは噛み締めるように、感じていた。
彼女が必死で我慢していた涙が、つぅっと頬を滑り落ちる。彼女は崩れる落ちるように、レイスに向かって、走り出していた。
彼女は救えないのだと、言われた。それでも、自分の命すら救われないのなら、救いたい。生きていてほしいと思った。
「…………れ」
諦めなかった。無理だと言われても諦めなかった。
「……レイス」
それでも心のどこかで諦めている自分もいた。
「レイス!」
レイスは大きく腕を広げた。迷いは一欠けらも存在しない。もしかしたらもう触れることも出来なかったかもしれない彼女が、腕のなかに飛び込んで来て――
「リオ」
そして、受け止めた。
小柄で華奢な体。優しい香りのする青い髪。夕焼けの中、涙で濡れたスミレ色の瞳。そんな彼女の全てを両手いっぱいに感じた。
「もう、……会えないのかと……思った。……私のせいで……もう貴方は……」
「言ったじゃないか。俺は、死なないって」
残りの生涯をかけて、守りたいと思った彼女――リオール・アバランティアをレイスはもう放さないといわんばかりに強く強く抱きしめていた。




