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Avalantear アバランティア  作者: 海豹
第一幕 ―起―
26/68

不安な行方

 白い壁、白い扉、白い床。特に目を引く装飾があるわけでもなく、簡素な白で統一され廊下は清潔感よりも、どこか漠然とした寂しさを感じる。初めて〈イレブン〉にやってきた時も、そんな印象があったと、レイスは見覚えのある景色を油断無く見回した。


「ここは一階フロアの北階段か」


 灯りの少ない地下フロアの階段を音を立てぬように駆け抜けてきた彼は、白の空間を目にして、目を細める。地下フロアは脱出ができたようだ、と彼は頭の片隅で思った。

 レイスは無意識のうちに剣の柄に手を伸ばす。人の気配は今のところはなく、静かではあった。彼はそれでも手を下げようとはせず、廊下の広さが十分剣を振るえるものだと確認すると、躊躇い無く剣を抜き放つ。


「やっぱり、こいつが一番だな」


 柄を握り締め、剣の感触を確認。軽く二度素振りをして、ようやく彼は納得したように剣を鞘に戻した。素手の戦いも思いの外体に馴染んでいたが、彼は馴染みのあるグリッドの感触に、安心していることに思わず苦笑する。

 しみじみ、やはり己は剣士なのだと改めて思いながら、レイスは後ろの気配に声をかけた。


「地下フロアって廊下が狭かったんだな。このフロアと比べるとやけに息苦しかった気がする」

「脱走防止のためにそうなっているのだろう」


 暴れられるスペースが無ければ囲みやすいし、第一剣なんかリーチの長い武器は使いものにならない。今更確認するまでもないだろう、と背後から鼻で笑われる。振り返るとレイスより三歩程後ろで、階段の影にとけ込むようにしているテラが不満げに腕を組んでいた。


「さっき見た武器倉庫、明らかに接近戦を好んだ……いや、〈イレブン〉では扱わない安物の武器がほとんどだったはず。囚人の大半は金の無い奴ばかりと見えるな」


 俺の場合、武器は元々持ってなかったから、詳しいことはわからないが。テラは言いながら肩をすくめてみせる。確かに看守がいた管理室には、性能の良い接近戦型の武器がある割には、高価な銃火器類がまちまちにしか置かれていなかった。


「銃火器は、〈イレブン〉の生産物だから、さ」


 仕方ないだろ、レイスはテラのぼやきに緩く笑う。

 銃のような飛び道具は便利だ。わざわざ敵に危険を承知してまで近づく必要もないし、誰にも気づかれることのないところから悠々と狙い撃ちもできる。

 だが銃火器は、構造が複雑且つ精製には多くの金を要するために元々の原価が高く、一般の人間にはまず手に届かない代物だった。

 性能は、膨大なエネルギーを持つ〈イレブン〉産が群を抜いて良く、生産の八割以上を占めている。彼等の製品だといっても、よもや間違いではない。よって銃器の普及は進まず、力のある者達が独占して持つ希少な武器になり果ててしまっていた。

 金さえあれば俺だって、体力も鍛錬も何年も積み重ねなきゃならない剣など好んで使うものか。そう重たい台詞を口にすることはなく、レイスは鉛を吐き出すのような溜め息を代わりにして首を左右に振った。


「テラ、“作戦二”はなんだっけ?」


 今は落ち込んでいられる余裕は無い。レイスは一瞬で気持ちを入れ替えると、真横に出てきていたテラに声をかける。


「テラ?」


 沈黙。返事は無く、彼の周りの雰囲気がピリピリしていた。

 近くに兵士が来ているのか? ただならぬテラの様子に肝を冷やしたレイスは、慌てて辺りを見回して気配を探った。


「レイス、気づいたか?」

「あぁ。嫌ぁなくらいに」


 自然と眉間に皺が寄る。気配を探ったレイスはやる気のない返事をして、肩をすくめた。


「囲まれてるな、七人くらいか?」


 辺りは奇妙なほど、静まり返っている。だが、左右に別れる廊下のどちらにも異常にハッキリとした殺意が感じられた。


「いや、八人だろう。随分と殺気立っておられるようだ。気配を隠す気などさらさらないらしい」


 背中に背負う槍の入ったケースに手をやるテラは、“思ったより対応が早い”などとレイスには分からないことを小声でつぶやきながら、はぁと溜め息をつく。


「作戦を変更しなくてはならないかもな」


 “作戦”という単語にレイスは、はたと我に返った。


「だから! その作戦ってなんだっけ、って聞いてるんだけど」


 これでもかと言わんばかりに顔をしかめて、同じくしかめっ面のテラへと詰め寄る。その行動は只でさえ頭を悩ませているテラを更にガッカリさせる言葉でもあった。


「それくらい覚えろ、アホ。作戦は段階二。戦闘部隊の服を奪って扮装する」

「そういやそうだったな」


 勢い良く手を打ったレイスは何度も頷いている。本気で忘れていたようだ。

 ほんとに頭は空っきしだな。レイスに向けて嫌みをたっぷり含ませて睨むと、テラはやれやれと肩をすくめる。


「だが、それはもう無理そうだ」


 左右の殺意は秒刻みに大きくなっていた。数は今の所増えはしていないが、増援を呼ばれる可能性は十分高い。こちらはただでさえ二人しかいないのだから、数で押されたらまず勝機はないだろう。敵の服を奪って扮装する余裕などあるようには思えない。

 テラの考えた大まかな作戦は、最上階に向かうまでは戦闘を極力起こさないように、と考えて立てた作戦だった。だが少しずつ強くなる殺気を肌に感じ、その策が水泡に帰したことを嫌でも悟らなければならない。


「敵に囲まれたこの状況下だと苦しいよな……どうするか?」


 必死に鈍い頭で状況把握をしているレイスも、戦闘を極力少なくしてリオールのいる最上階に向かう作戦の実行は難しいのだと理解したようだった。


「強行突破」

「やっぱりそれしかないよな」


 レイスは内心舌打ちをしたくなった。扮装をして敵に紛れ込むことも難しいが、強行突破はどんな状況ですら使いたくない手段だった。

 数で押されたら負けることは目に見えているのに、力を使うと言うことは死を遠回しに選択していることに等しいからである。


「念の為もう一度聞いておくが、リオール救出を逃走のみに変える気はないな? 今ならまだ間に合う」


 テラは、張り切って剣を鞘から引き抜いたレイスに横目で問いかけた。


「変える気はない」


 テラはその声に現れた彼の決意の図太さに、半ば呆れ顔。しかし、すぐにその表情を引き締めると、視線を前に戻す。


「分かった。もう聞かない」

「そういうあんたは? 怖じ気ずいたりしてないよな」


 テラの手がソフトケースから槍を引き抜くと、レイスが意地悪そうに笑ってウインクしてくる。


「ほざいてろ」

「頼もしいね、あんたの強さもどれくらいか知っておきたかったし、お手並み拝見だな」


 冷たい返事にレイスは小さく笑う。気分を害したのか、テラは身の丈程の長さをもつ槍をレイスへめがけて降りおろした。


「いい振りしてるな。これは心配するほうが失礼だったみたいだ」


 突然の攻撃に慌てることもなく、たまたま手にしていた剣の鞘で槍を受け止めるレイスは、あんた本当に五年間も牢屋に閉じ込められてたのか? と驚いているようだった。


「牢は毎日が暇だからな、体を鍛えるくらいしかする事がなかった」

「伊達に〈イレブン〉のエネルギーに手を出した怖いもの知らずじゃないって訳か」


 納得した様子のレイスは、左右に分かれた道を、剣で指し示す。


「殺気からの強さからして右が三人、左が五人。さっき玉を銃に装填する音がしたから、恐らく左右どちらにも一人ずつ銃を持ってる奴がいるな」

「どっちに攻めるか?」

「お前の好きにしろ」


 テラはレイスの問いかけに、どうでも良い、と左手をヒラヒラ振る。


「じゃあ、お言葉に甘えて」


 投げやりなテラの言葉は嬉しそうに頷いたレイスによって、槍と共に勢いよく弾き返された。更に戦いに行くというのにもかかわらずレイスの口元は緩くゆるんでいる。


「五人と三人か。どっちの方がいいかな」


 だが、余裕そうな表情と相反する様に、彼の目は今までにないほどに真剣な輝きを放っていた。テラはそんな彼の闘志溢れる姿をやる気のない目で見つめている。“好きにしろ”と言っただけに、レイスの選択など本気でどうでもいいらしい。


「左!!」


 三秒後、弾かれたように走り出したレイスは人数の多い左の道へと向かっていた。


「やっぱりな」


 レイスの背中を目で追ったテラは小さく鼻で笑うと、残った右の道へと音も立てずに走り出した。




【左】



「あぁは言ったけど、あいつ本当は大丈夫なのかなぁ? 勢いで置いてきちゃったけど」


 走り出したとたん、レイスは二手に別れたことが正しい選択だったのかと、ふと疑心が芽生えるのを感じた。

 テラの実力を信じて飛び出してきただけに、早々心配してしまうのは申し訳ない気もしたが。

 レイスの戦士としての感では、テラは十分戦闘ができるタイプの人間だと告げている。現に先程受け止めた槍の衝撃は、まだ手にし痺れが残るほどだった。相当力があるのだろう。だが、だからといって自分の武器を所有していなかったような人物を一人戦いに向かわせて良かったのだろうか。


「念のために数が多い方に来たけど……大丈夫っ!」


 気を後ろに向けながら走り続けていた彼だが、突然表情を強張らせて歩幅の間隔をずらす。そうすることで走る勢いを殺さずに前に進むスピードを変えたのだ。見た目には何をしているのか分からないのだが、その刹那。


「L-10、発見!」


 突き当たりの角の道から飛び出してくる五つの影。猛スピードで向かって来るレイスを通せん坊するばかりに彼等は相変わらず強い殺気をむけてくる。


「ふぅ、危ない危ない」


 更に、走るレイスの床には銃弾がたたき付けられた跡がまるで足跡のように浮かび上がっていた。歩幅をずらした事で回避したが、普通ならば今頃足に穴が空いていたに違いない。


「くそっ、外したかっ」


 大きく毒づく声がすると思えば、レイスの予想通り銃を持つ者がおり、悔しそうに新たな銃弾を装填していた。目を凝らすと銃口から銃身かけて筒のような物があてられている。


消音器サイレンサーか」


 さっきの銃撃で、殆ど発射音がなかったのはそのせいか。レイスは納得しながらも、右手に持った剣と左手に持つ鞘を交差させ、それを突き出して更に速度を上げて走る。


「戦闘部隊じゃ……ないな」


 レイスを捕らえようと現れたのは警備兵と思わしき格好の兵士達。騒ぎが大きくならず上手くいけば、扮装に必要な服が手に入るかも……と頭の片隅でこっそり考えていただけに、殆ど顔が露わになってしまっている警備兵の武装姿に、レイスは思わず舌打ちをした。


「L―10、抵抗は無意味だ」


 そんな合間にも、彼は兵達が剣の間合いに届く距離にまでやって来ていたようだった。すると、一番歳が多いと思われる兵士が何やら言いながら、腰から剣を引き抜く。威嚇のつもりなのか、それを合図に残りの兵達も己の武器を一斉に構える。


「無意味かどうかなんて、決めるのは俺だ!!」


 だが、そんなことでレイスが止まるわけがなく、彼は走ったことでついた勢いのまま交差させた剣と鞘を同時に引き放った。

 懐に突然入られたことで、避けるタイミングを逃した二人ほどが、鞘に当たってその勢いで壁に激突する。紛いながらも武器を二つにしたのは正解だったと、手応えのある鞘をレイスは強く握りしめた。

 そうとは言え、鞘にさほどの攻撃力は無い。レイスは体勢を崩した二人から離れ、四散した兵達に狙いを移す。


「はなっから足を狙って来るところを見ると、捕獲命令か?」


 返答は返っては来なかった。そのかわりに銃を構えた若い兵士が、レイスに向けて容赦無く発砲する。


「また足か」


 銃弾はまたも足元の床に食い込む。レイスは今度は避けることをせず、大きくステップを踏むことで大胆にも銃口の前に出た。


「せめて次、敵を前にしたら手加減しようとか思うのはやめた方がいい。特に、相手が傭兵のときはな」


 弾はまだ残っていたようだが、レイスは相手が引き金を引く前に銃身を掴んで捻り上げ、そのまま床に押し倒した。あまりの早さに兵士は引き金を引けず床に這う。


「このっ!」


 背後からの攻撃。全く連携の取れていないそれを、レイスは空いている右の剣で受け止めて弾く。そして早々に左の鞘をその場に離すと、銃を手にしていた兵を手刀で気絶させた。


「まず一人」


 背後に振り返る際に剣を両手に持ち替えて、下から斜め上へと切り上げる。確かな手応えを感じながらも、止まらずに剣を真横に滑らせた。弧を描く剣筋は迷いは無く、その振りの早さ故に、彼を中心に一陣の風が出来上がる。


「なっ……」


 死角を狙った兵士は、レイスの放つ一撃目によって剣が飛ばされた。二撃目では急所は避けたものの、剣撃の勢いも相合わさって三メートルほど後退する嵌めになるのだった。


「まだまだ!」


 レイスの攻撃に間は無い。三メートルの距離を詰めながら、彼は剣を振るう。年長の兵士が途中で剣を振るって割って入るが、彼はそれを横飛びでかわして、年長兵の剣までもを弾き飛ばした。


「悪いな。あんたに怨みはないけど、よっ」


 弾き飛ばした剣を蹴り上げ、宙に浮かせた一瞬、レイスはそれの柄に拳を叩きつける。

 風が鳴る音が耳を通り抜け、柄を殴られた剣は真っ直ぐに年長の兵士の肩に突き刺さった。だが、剣の勢いはそう緩むことは無く、兵士ごと壁にぶつかってようやく停止する。一見すると兵士が蝶の標本のように見えた。


「化け物」


 走りながら戦っているとは思えない正確な技に、後退した兵士は思わずつぶやく。彼が最も恐れたのは、レイスはそれだけの戦いを見せているのに、殆ど疲れを見せていない事だった。


「二人戦闘不能確定」


 残り三人か。そんな兵士の恐れなど気づきもしないレイスは、走る速度を抑えて辺りを見回す。初めに壁に叩き付けた二人はとっくに戦闘体勢に戻っていた。


「そんじゃ、続き行こうか」


 ゆっくりと足を止め、レイスは剣を構え直し、ひとつ息を吐き出す。肩幅程に足を開く彼は自然体そのもので、どこからでも攻めて来いという挑発にも見えなくはなかった。


「ほら、どうしたよ?」


 “余裕”の二文字が顔に張り付いている。そんな表情を浮かべる彼は、自然体だというのに隙がなかった。彼にとってはこの兵士数名など敵ではないのだろう。


「これなら、早く片を付けられそうだな」


 レイスは相手が一斉に攻撃を仕掛けて来るのを見ながら、冷静にそう呟いた。

 テラが心配なら、早く敵を片付けていけばいい。

 今のレイスには、負けの要素が一つも存在していなかった。




【右】



 レイスと時を同じくして飛び出したテラは、槍を突きの姿勢に構えた状態で風の如く疾走していた。


「なんて速い奴なんだ!」


 敵は三人。そのうち、銃を持つものは一人。ここまではレイスの言った通りだが、それなりに誤差があった。


「いいから、狙いを定めろ。いつかは当たる」


 テラはその誤差に思わず舌打ちしていた。


「いかにすばしっこいとしても、全ての弾丸は避けられまい」


 そう、銃は銃でも兵士が手にしているのはサブマシンガンなのだ。テラの想像していたハンドガンなどの生易しいものでない。脅威の弾丸数をもつそれは明かに殺傷能力に優れているといった雰囲気が滲み出ていた。


「俺達二人相手に随分躍起になっているみたいだな」


 兵士三人とはいえマシンガンは厄介だ。と、そう愚痴りながらも、決して物影にかくれようとしないテラ。彼は、雨のように降りかかってくる無数の弾丸全てを、走る速度も勢いも落とさずに、体を多少ながら捻ることで鮮やかに避けている。


「これだけ撃ち込んでいるのに何故当たらないんだ!?」


 兵士がサブマシンガンで発砲し始めて約三分。ほぼ真っ直ぐに、身を隠すわけでもなく走り来るテラには今だにかすり傷一つ付いていない。兵士は有り得ないその状況に、己の目を疑わずにはいられなかった。

 彼は弾丸を一つ一つ避けているわけではなく、多くの弾丸のわずかな間をすり抜けて走っているかのようにすら見えるのだ。


 「まさか肉眼で弾丸の動きが分かっているのか!?」 


 銃弾の間を故意にすり抜ける、などという行動が可能になるには、超人並の視力と瞬発力に加え、相当な反射能力が無くてはならない。到底、人間の出来る範囲を越える内容なのだ。

 マシンガンの反動に必死で耐えつつ、狙いを定めている兵士は、そんな人間離れした行動を行ってみせるテラへ、恐怖心を抱だかずにはいられなかったに違いない。彼の目は大きく見開かれ、唇は色が失せ、震えていた。


「落ち着け、いくら相手が卓越した能力を持っているとしても、人間であることにはかわりない。ここまで来る間には動きが鈍り、被弾するはずだ」


 すぐそばで剣を構える二人の兵士は、冷静さを失いつつある彼に、鋭い声で叱咤する。そういう彼らでさえ、多少ながらの困惑が表情から読み取れた。


「人間であることにはかわりない……か」


 彼らの叱咤の言葉を耳にしたテラの口元にうっすら、自嘲が浮かぶ。兵士との距離が五メートルと迫ったとき、彼は左目を隠していた銀色の髪を掻き上げた。


「残念だが、俺を人間というには少し無理がある」


 見えるか、と紅い眼を見せ付ける行為は兵士達に大きな衝撃を与えていた。


「な、なんだあの眼は!」

「獣か?」

「いや、そんなことはどうでもいい。早く撃」


 物凄い音が、廊下に響き渡る。金属が勢いよくぶつかったような鋭い音に、兵士達は言葉を失い、更に目の前で起きたことから目を離すことができなくなった。

 ただでさえ驚きで冷静さを失っている兵士達を更に驚愕させる行為を、テラは一瞬の間に行っていたのである。


「空を駆ける狩人は、小さな獲物ですら捕らえる。例えそれがどんなに小さく、どんなに速いとしてもな」


 まるで詞を詠むようにテラは呟き、目線を足元へと向けた。

 そこには、およそ十数発分の銃弾が“真っ二つ”になって散らばっている。そして少し奥には銃身を切断されたサブマシンガンの一部が横たわっていた。


「馬鹿な……槍で切断したというのか!?」


 硬直状態を抜け出した一人の兵士が、信じられないと叫ぶ。事実、テラは槍を水平に薙ぎった姿勢の状態で止まっており、床に散らばる弾丸とマシンガンを見れば、彼が何をしたのかは明白だった。例え、常人にはできないことだったとしても。


「貴様何者だ!? そして何なんだその“眼”は!?」


 指差された紅い眼は、まるでそれに意志があるかのように赤い光を帯びていた。兵士達は異形であるその眼にただでさえ恐れを抱いていたのだから、一連の行動とその禍々しい輝きは、更なる恐怖を彼らは味わうこととなる。


「俺はただの脱獄囚人だ。強いていうならばお前等〈イレブン〉の玩具の慣れ果てというべきか」


 テラは答えを返すかどうか少しの間悩んだが、無意識に言葉を紡いでいた。早く始末しなくてはならないのは分かっていたが、それ以上に彼の抱く感情がそれを許さなかった。


「玩具だと? そうか。貴様は研究所のサンプル体なのだな」


 使い物にならないサブマシンガンを手にしている兵士が心当たりがあるように、大きく頷いている。テラは槍を構え直しながら、また言葉を紡いだ。


「俺の左目は人のものじゃない。なら、人の力とは違うものがあってもおかしくはないはずだ」


 凜とした響きを残す彼の言葉には、多少の苦難の傷痕を感じさせた。兵士は眉間にシワをよせながらも、サブマシンガンを傍らに捨て置き、腰から剣を引き抜いて構えを取る。相手はなんであれ、彼らは戦うのだという強い意志を感じた。


「研究対象は合成獣か。悍ましいものだ」

「悍ましい、か。褒め言葉としてもらっておく。いくぞ!」


 別にテラは同情してほしかったわけではなかった。ならば何故、あんなことを口走ったのか。それは彼自身分かっていなあたらしく、彼はそんなもやもやした気持ちを振り切るように兵士達へ槍を向けた。

 力一杯切り掛かってくる兵士を慣れない槍で捌き、多くは身を翻して避けまくる。

 距離が近すぎる。マシンガンを破壊することに気を取られすぎていたテラは、ここにきて槍の弱点に気づいて舌打ちした。 

 槍は敵から離れたところにいることで優位に立てる武器である。だが、慣れないことと、マシンガンに気を取られたこともあり、槍の間合いを考えることをテラはすっかり忘れていたのだった。

 これでは刃を当てることができない。


「面倒だな」


 相手は皆、リーチに劣る剣を手にしているが、訓練された兵士らしく勢いがあり、絶え間無く攻撃を向けて来る。そのために、まともに後退することもできず、なかなか距離をとれないでいた。


「なんだこいつ……全然攻撃してこないな」


 動きが人間離れしていて、更に銃までをも切断した力をもつ男を前に、兵士達は警戒心を募らせていたのだが、何故だか相手は攻撃らしい攻撃をしてこない。避けてばかりいるだけで、牽制紛いの反撃も正確さに欠けていた。


「あいつもしかして、戦いには不慣れなのか?」


 バレたか!! 必死に相手との距離をとろうと頑張っていたテラは、一人の兵士の小さな呟きにかなり動揺した。事実、彼にとって槍を使った戦闘は初めてであり、慣れているわけがない。


「テェェェェラァァァァァア!!!!」


 そんなときだった。物凄い雄叫び、のような声が廊下中に爆発した。


『は?』


 ビリビリと周りの壁が共鳴する程の大音量に兵士がど肝をぬかれたように反応する。そして背後から大きな足音が聞こえた。

 もちろん、テラも兵士と同じ位、あの叫び声に驚いてはいたが、攻撃の手が緩んだこの瞬間を彼が見逃すわけがなかった。

 相手の隙や背後を狙うのは不本意ではあったが、この際どうこう言えないと、テラは目の前の二人それぞれの腹部を槍の柄で思いっきり殴りつける。

 当然の如く、二人の兵士は後方へと吹き飛び、そのままピクリとも動かなくなった。勢いよく殴ったのだから、意識を飛ばしてしまったのだろう。もしかすると胸部の肋骨あたりの一本や二本折れたのかもしれない。


「き、貴様!!」


 残った一人もようやく我に帰ったらしく、慌てて剣を振りかぶった。


「残念だったな」


 だが既に時は遅く、隙を着いたテラはとうに後退し、かなりの距離が二人の間には開いて、とても剣撃は届かない。

 そしてその距離は、槍にとって優位な長さでもあった。

 腹部に向けた斬撃で、兵士はその場に膝をつつく。しかし、傷は深くないようだ。兵士は再び剣を握り締め、テラを睨む。

 しかし、彼が立ち上がろうと足に力を入れたその時、頭部に背後からの攻撃を受けた。来るはずのないと思っていた方向からの攻撃に、何が起きたのか彼には咄嗟に理解できていないに違いない。


「後ろががら空きだ。残念だったな」


 背後に迫っていたのはレイス。彼は剣の柄で兵士を殴りつけていた。


「ふう」


 思わず安堵の息がこぼれたテラは、槍を軽く振って血を落としながら、やれやれと肩を竦める。久々の戦闘とはいえ酷いものだったと、自己分析しているのだ。


「お疲れさん。こっちは全部片付けたぞ」


 兵士が倒れた所から、一歩後ろで柔らかい笑みを浮かべているレイス。よく見ると、微かながら息を切らせているのが分かる。

 言うまでもないが、テラの名前を叫んで全力疾走して来たのも、目の前の兵士の後頭部に手刀をたたき付けたのも彼だった。


「せっかく助けに来てやったのに……ほとんど一人でやっつけるんだもんな」


 テラが目線を上げて目を合わせると、レイスは途端に表情を崩し、わざとらしく落胆したように肩を落とす。

 テラは、そんな彼のふざけた様子に少々呆れたように眉を寄せ、何を思いついたのか、意地の悪そうな薄笑いを口元に浮かべた。


「礼を言うつもりだったんだが、要らないみたいだな」

「え……いや、お礼を言ってもらえるなら。是非とも言ってくれた方が」


 想像通りの反応に、テラはうっすらと笑みを零していた。からかいがいがある……と呟くと、レイスは幼い子供のように頬を染めて、ムッと口をへの字に歪めてしまう。


「阿呆。本気にするな」


 バカ正直なレイスへ、テラは鼻で笑い飛ばす。更に膨れっ面になった彼の顔をほんの数秒だけ眺めて、今度は倒れた兵士を冷静な目で見つめた。


「だが、礼を言いたいのは本当だ。流石に今の戦闘は危なかった」


 思い返してみると、さっきの戦闘はかなり不利な状態だった。レイスの叫び声が無かったら、兵士の隙を見つけて、攻撃することはできなかったに違いない。


「俺が駆け寄ろうとしたら。一気に相手を気絶させたのにか?」


 テラの本心を知らないレイスは、よく言うぜと、ニヤリと笑いかける。謙遜するなよ、と言いかけて、ふと槍を持つテラの手に注目した。


「……にしてもその槍の持ち方、随分型崩れなんだな。我流なのか?」


 突然手元を凝視され、テラは訝しげに己のそれに目を落とす。

 レイスは顎に手をやりながら小さく唸っていた。


「癖が強いな」


 槍はかなり末端で握られていて、重心のバランスが取れていないように見て取れた。更に槍を握り締める指は力が殆ど入っておらず、やる気がなさそうな印象を受ける。

 彼の自由すぎる構えを見て苦笑するレイス。そんな彼の観察の眼差しにテラは罰が悪そうに目をそらして、言い訳じみた言葉を紡いだ。


「いや、槍は今まで扱ったことは殆どない。パッと見、他に良さそうなものがなかったからな」


 武器庫ではゆっくり武器を選べるような時間はなかった。テラはそう残念そうに肩を竦める。


「ふーん」


 テラのそんな仕種を見て、レイスは納得したようにと頷くと、再び辺り周辺へと注意向をけた。今は比較的に静かだが、警報機が鳴った以上、追い詰められるのは目に見えている。


「次、どうする? こいつらの制服でも剥ぎ取るか。まぁ、顔がもろに見えてるからあんまり意味ないんだけどさ」


 倒れた兵士を指で指し示すレイス。だがテラはそんな物は使い物にならんと、完全無視を決め込み、足を動かしてずんずん、進み始めた。


「どこに行くんだ」


 兵士に注目していたレイスは走り出すテラの姿にギョッとして、慌てて後を追う。


「とりあえず、東側の外階段を占拠する」


 振り返ることなく返される言葉に迷いは無かった。少しずつ進む速度を速くしていくテラは、真っ直ぐと廊下の先を見つめていた。


「なんで東側の外階段なんだ?」


 レイスはテラの後を追いながら、ただ首を傾げ、自信ありげな彼の背中に質問を投げ掛ける。

 数週間過ごした施設だが、外階段のことはテラが口にするまで存在すら知らなかったのだ。


「地図を見ると、明らかに使われそうもない階段だからな」


 地下の看守の部屋でコピーした地図は、テラが持っているため、レイスには確認のしようがない。そのため、更に彼は首を傾げて説明を仰ぐ。

 テラはやれやれと面倒そうに肩を竦めると、呼吸を乱すことなく続けた。


「東側の外階段は<イレブン>の施設の正門からかなり離れた場所に位置しているが、輸送を専門とする乗り物の駐車場所には近い。更にどのフロアもその階段周辺にある部屋の殆どが、資料室や倉庫としてあてはめられているーーもう分かるな?」


「えっ、何が?」


 長々、説明してくれたのは良いのだが、いま一つレイスにはテラの言いたいことが分からなかった。なるべく分かりやすく話をするように心掛けていたテラは、押し黙ってしまう。


「テラ?」

「……はぁ」

「もしもーし!」


 呆れて、言葉を見つけるのに数秒の浪費が必要だった。


「理解力がなさすぎだろ」

「えっ?」


 真剣な瞳。いやむしろ子供のような好奇心溢れる輝きを放つ、レイスの無邪気な目が、テラの苦悩する思考を遮る。

 仕方がないと彼は肩を竦めた。


「つまりは、今から向かう階段は利用する人間が限られているということだ」

「?」

「おそらく、輸送されてくる荷物の持ち運びに作られたのだろう。物の為にある階段だ、うまくいけば最小限の戦闘でいけるかもしれない」

「だから階段周辺に倉庫があるんだな」


 ようやく理解できたレイスはなるほど、と嬉しそうに呟いて、テラの隣にまで追いつく。再び顔を合わせれば、テラは眉間にシワを寄せて、険しい表情になっていた。


「特殊部隊の制服を奪えれば、もっと確実なルートを使えるはずだった」

「いきなり作戦が変わったんだし、仕方ないさ。元々、上手くいくとは思ってなかったんだろ?」

「まぁな」


 会話が進むうちに、二人は目的の外階段の前に到着していた。距離があったはずでありながら、アッサリと到着できたことにテラもレイスも疑心を浮かべずにはいられなかった。


「ここって一階のフロアだったよな。どうしてこんなにも人がいないんだ? 外部の人間だって出入りする空間なのに、殆ど警備の兵士も見かけないぞ」


 フロアにいる人間は、斑だった。姿を見られないように注意して走ってはきたが、明かに少な過ぎる気がしてならない。


「罠か?」

「だが、俺達には好都合だ。いちいち詮索していたら、先に進めん。行くぞ」


 不安に駆られるレイスを押しのけて、テラは外階段への金属製の重い扉をそっと開いた。

 なりふり構っていられる状況ではないことは分かっている。レイスは胸の辺りに霞がかった何かを感じたが、考えることを止めて、扉の中へ急いだ。



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