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Avalantear アバランティア  作者: 海豹
第一幕 ―起―
19/68

すれ違う意志

 扉を大きく開くと強い風が体に叩きつけ、善は一瞬だけ顔を顰めた。

 ハザードによって割れた天窓はまだ修繕が間に合っておらず、夜風をなだれ込ませている。

 薄暗く、そろそろ電灯がつきはじめる夕暮れの風は冷たい。セリカ独特の冷え込みだ。先ほどまで夕焼けに染まり、赤が支配していた空間に、深い藍色が迫る。善はまるで己が夜を連れてきたような、妙な錯覚に襲われた。


「護衛しなければならない人間が、今度は誘拐を企むだと? 笑わせるな。冗談だというのなら酷すぎる」


 彼は寒さを跳ね返すような勢いで声を張って、その感触を確かめるように地を踏みしめて花畑を進みだす。

 顔には表情は無く、一切の感情がそこには現れていない。静かすぎる態度と、悠然と花畑を進むその姿は、負い目がある者にとっては威圧的に見えているのだろう。リオールが既に怯えた様子で一歩後退していた。

 そんな彼女を、背中に隠すように動いたのはレイス。リオールを目で追っていた善は自然とレイスと視線が混じる。


「…………に。どう……」


 いきなりの登場に驚きを隠せないのか、レイスも明らかな警戒体勢で善を睨みつけている。

 どうして、こんな時に。善の目にはレイスの口がそう動いたように見えた。

 視線が真っ直ぐ交わったのは一瞬。善が四歩目を踏み出すと、レイスは一瞬で剣を引き抜いた。

 近寄るな、という無言の圧力に善は一旦足を止める。


「冗談なら今のうちに、取り消せ。〈イレブン〉から脱走しようとなど、正気とは思えない」

「悪いな善。俺は本気だ」


 レイスは善の追及に取り繕う様子も、ごまかしの言葉を吐くそぶりも見せない。潔く見える彼の態度に、善はかえって頭痛を感じる。保身を考えない行動とは、つまり覚悟を持った決断と言わざる負えない。

 肌に突き刺すような殺気と強い意志力を纏う彼の姿は、彼が<イレブン>の脱走を本気で考えていることを主張していた。

 

「理由は何だ?」


 それでも善は訊ねた。

 抜き身の剣を握り、いつでも飛びかかれるように構えを取っているレイス。今更何を聞いても無駄なことは分かっていた。それでも善は一分でも一秒でもこの緊張状態を保っておきたかった。アベルが戦闘部隊に応援を頼みに向かってまだ数分。最低でもあと十分は耐えておきたいところだろう。善は無意識のうちに背後の扉に目をやった。


「分かっているんじゃないのか? 俺は、リオを死なせたくない。それだけだ」


 低く抑えた声で返答するレイスの瞳は何の迷いもない。分かり切っていたことだが、善はその真っ直ぐな反応に微かないらつきを覚える。幼い子供が正義感を振りかざし、他者を糾弾するような、そんな稚拙さを彼は感じずにはいられず、止めていた足を前に踏み出した。




*****





「近づくな! これ以上近づくなら、容赦はしない」


 平然とした表情でたいした驚きの反応も無い。他人事のように振舞う善の態度にレイスは怒りを覚える。彼になら自分の決意を理解してもらえると少しは期待していたのだ。抜き身の剣の切っ先を善の顔に向けレイスはその憤りをそのままぶつける。


「俺はお前の親友と同じことしようとしているんだぞ、何とも思わないのかよ!」


 五年前の事件。

 駆け落ちをした男女は共に善の親友だった。肩を抱き合って笑い、共に生きた大切な仲間だった。

 善もその当時はアバランティア一族の運命に抗おうとしていた。レイスと同じ思いを感じていたはずなのだ。

 リオールの気持ちも、彼が一番理解しているに決まっている。

 賛成されることはないのかもしれない。レイスは己が、善の触れられたくない部分を土足で踏みにじっているという自覚があった。場合によっては糾弾され、この場ですぐに殴り掛かられるとさえ思っていた。

 それほどに、自分の行為には善の関係性が深いと感じていた。


「何か言ってほしいのか?」


 善の無関心な態度が、彼に怒りを湧き上がらせていた。


「違う!」


 かっ、と腹の辺りが煮えるような感覚を覚えた直後、それは一気にのど元に駆け上り、レイスは全身で叫び声をあげていた。 


「お前はそれでいいのかってことだよ。リオをこのまま見殺しにするのか!? ソフィアみたいに!」

「……」

「平然と素顔を隠して、本音を隠して。後悔しないのか? 俺はそんな後悔したくない!」


 善はただの無愛想な男ではない。

 ここ数日に見た、冷たい鉄仮面から覗かせる思いの外脆い素顔。そしてあの謎の夢の善の過去の姿。後悔を滲ませた言葉、リオールと微妙に空いた距離感。全てが、血の通う人間の行為だった。


「私のことを知ったように言うな」


 偉そうに、何様のつもりだ。善はレイスの憤りに対し、ひどく軽蔑的な目つきを向ける。彼にはレイスの言葉が、己を馬鹿にされているようにしか感じられないのだろう。

 ようやく善の表情に、怒りらしい怒りが滲む。しかしそれはレイスの望んだものではなかった。


「私は〈イレブン〉の一員。〈イレブン〉に忠誠を誓う兵士だ。勘違いするな」

「リオは死んでも良いってことなんだな」

「それが〈イレブン〉の為になるのなら」


 それが最後だった。善の声に拒絶の色が混じる。これ以上の会話は無意味だと、一方的に遮断された。

 レイスは悔しさに、剣を握る手に力が入る。


「お前の意志は理解した。もう私は何も言わない。説得しても無駄なら、力ずくで止めるまで。何を言おうが、リオを連れ去ることは許さない」


 それは絶対曲げられない事だ。鋭く言葉を放った善は、小さく息を吐き出して、目を細めた。

 途端に、彼の周りをまとう空気が一瞬にして凍りつく。気迫と鋭く冷たい殺気が彼の周りに纏ったのだ。


「どうしても争わなければならないのか」


 再び強い夜風が一陣通り過ぎていく。レイスの呟きも、二人の間にあった暖かな繋がりも何もかも全てさらっていくように。




*****




「リオ、下がってくれ」


 敵意をむき出した善に、初めにレイスがとった行動は、後ろのリオールを自分から離すことだった。

 彼女は善とレイスを見つめて、再び泣き出しそうな顔をしている。


「レイス」

「大丈夫だ、俺は死なない。さて、いくぞ!」


 心配そうな彼女の声に笑顔を返して数歩前に出た。

 ここは辛いが、善はやはり<イレブン>の人間なのだ。戦うしかないのだろう。

 リオールにとって、善はどんな存在なのだろう。姉やジアスと同じく、最も近くにいた人物。身内同然なのか、姉や親しい人を死なせた憎むべき人なのか……


「今は駄目だ、考えるな」


 雑念は捨てろ、とレイスは一度頭を振って、右手に持った剣の柄を握り直した。

 他のメンバーの話によれば、善はかなりの手練れらしい。手合わせしたことがないのが惜しまれるが、やむ得ない。〈イレブン〉を脱走するのには相当骨が折れるはず。これくらい何とかしなければならない、とレイスはそう言い聞かせ、剣を水平に構えて走り出した。

 相手は素手で丸腰。武器が確認されない善の腕へと突きを食らわせる。

 そういえば善がどんな戦い方をするのかちゃんと知らなかったな、とレイスは今更のように思った。

 次の瞬間、生身ではない硬い感触が剣を通して腕全体に走る。善は振り下ろされる剣を避けずに左手の甲で受け止めたようにレイスには見えていた。

 しかし剣に血が着いていない。


「まだまだ太刀筋が甘いな」


 現状を目で確認する前に善の蹴りが飛んでくる。反射的にレイスは剣を手前に戻し、それを盾にして腹部をガードした。

 その刹那、凄まじい衝撃が激突してた。勢いを殺しきれない。

 レイスは構えた体勢のまま後ろへ下がらざる負えなくなった。

 蹴りだとは思えない、大砲でも打ち付けられたような強さに、腕がしびれるのを感じる。


「まだまだ!」


 剣を逆手に持ち替えて、再び前進。善の胸部のあたりへ水平に刃を薙ぎ払った。当然後退する善に、レイスは続けて肩口へ抜ける下からの切り返しを繰り出す。

 今度は甲高い音が響いて、剣の軌道を逸らされた。見れば善は両腕を前に出し、斬撃を弾いている。

 レイスはそこで目を凝らし、善の拳に異様なグローブがはめられていることに気づく。甲から手首にかけて金属のプレートのような物がついており、それで剣撃を防いでいたようだ。

 見たことのないタイプの装備だが、善の動きのキレの良さからようやく戦い方を悟る。


「意外だな、格闘家だったのか」


 てっきり暗器でも使うのかと思っていた、と驚きながらも獲物を持たない謎が解決したレイス。そして宙に逃がされた刃をそのまま地に突き刺すように落とした。

 流石にその切り返しを想定していなかったのか、レイスの懐に入り込もうとしていた善は素早くバックステップして難を逃れる。

 刃先は柔らかな土に刺さった。

 そこから一息つかせる余裕もなく、レイスは姿勢を落とす。そして刺さった状態の剣を抜かずに土を抉るように斬り上げる。

 後退してバランスを崩した善にこれ以上動いて回避することはできない。……はずだとレイスは思った。


「ふん」


 結果は大きく異なった。その場で軽くステップを踏んだ善は、レイスの剣の刃先が足元に到達する直前を見計らい少しだけ足を浮かせる。足のギリギリを通過する刃の腹に爪先を叩きつけ、力の方向がぶれたそれをそのまま踏み倒した。


「なに!?」


 あまりに一連の動作が滑らかすぎて、レイスには善の行動を理解していなかった。これは以前、この場所で黒い騎士の剣を抑えた時と同じことをしているのだが、そんなことは彼に分かるはずがない。

 思わぬ切り返しに反応できずに剣とともに善の支配下に置かれたレイス。

 善はそのまま数発拳を体の中心に叩きつけた。そして踏みつけた剣を上に蹴り上げると、一気に体勢を低くして懐に入り込む。

 仰け反って注意がおざなりになっている足元をすくうように蹴りを喰らわせて、転倒させた。

 素早い連続攻撃をまともに喰らったレイス。

 そのまま地面に叩きつけられ、痛みで意識を飛ばしかけそうになったが、本能的に起き上がる。

 既に距離を詰めていた善は起き上がったレイスへと上段蹴りを容赦なく与え、再び彼を地面に這わせた。


「今ならまだ間に合う。先程の言葉を取り消せ。私はこの事は噤む」

「ふざ……けんな……よ」


 鳩尾に蹴りが入り、苦しそうに悶えるレイスは掠れる声で言い、善の腿を狙って剣を振り上げる。


「その体勢では無駄だ」


 有利な立場にいる善は振り上げられた剣を足を少し動かすことで避け、またそれが戻る勢いで剣を蹴り返した。そしてその場にかがみ込み、いまだに攻撃しようとするレイスの胸倉を掴み上げる。


「いい気になるなよ。お前はただの傭兵だ。人助けをするのは勝手だが、荷が重すぎる。少しは考えたのか?」

「考えたところで……リオは救われない」

「馬鹿が。自分の命も残り少ないというのに他人の心配か?」


 自己犠牲に浸っているつもりか? 善は呆れて冷たく笑う。


「〈イレブン〉を相手にお前一人で何ができる。どうせなにもできないのなら、大人しくしていればいいだろうに」

「それで……お前は……後悔したんじゃないのかよ」


 レイスの叫び声に善は驚いたようで、表情を無くした。


「俺は後悔しなくない。命が短いとかそんなのより……貫かなきゃならないことってあるだろ。大人しく組織に従っていることが、正しいなんて誰が決めたんだよ!? そんな目先のことに捕らわれて大事なものを見失う方がよっぽど馬鹿だろっ」


 そう言ったレイスは体を無理やり動かして、善の頬を殴る。

 避けきれない善は、大きく飛び退いてレイスの間合いから逃れた。


「何で分からないんだ? ソフィアもジアスも失って、一番辛いはずのお前がどうして分からないっ。このままリオを肥やしにしたら同じことを繰り返すんだぞ」


 ヨロヨロと覚束ない足取りで何とか立ち上がったレイスは、剣を構え直し、善へと剣先を向ける。


「俺は絶対にリオをここから自由にさせてやる。善、お前を倒してでもだ」


 宣言を受けた善は小さく鼻で笑い、戦闘姿勢を取る。さきほどのパンチは効いているらしく、口元が切れて血を滴らせている。今までのような余裕は彼の表情からなくなっているように見える。


「お前が言っていることは全てが奇麗事だ。よそ者のお前にどうこう言われる筋合いはない」


 言い終わるや否や、善はレイスとの距離を詰める。

 剣の間合い直前で、善は高く跳躍した。

 剣は掠っただけでも場所によれば致命的にもなりうる。体を使って戦う人間としては負傷することはまず避けねばならない。そんな意図が組みとれる程に、善はレイスの剣技を避けていた。

 レイスもめげずに追撃するが、善の方がスピードが上なのか、かえってレイスの動きに隙が生まれてしまう。

 善は、大ぶりの一斬を避けると地面に手をつき、足を蹴り上げる。

 鋭い蹴りが来るのを感じて、レイスは体をひねって回避を狙いつつ、剣を振り上げる。しかし、狙いが正確なその一撃は彼の腹部に衝突した。


「!」


 一瞬、体がぐらつきそうになったが、レイスは構わず狙いも分からずに斬りかかる。

 善を相手にごく至近距離の戦いは不利だ。

 レイスは、ここまで体術に長けた者と戦うことになれていない。スピードの速い攻撃に、異常なほどの回避反応。功を焦り必要以上に近づけば、リーチの長い剣では相手の攻撃を防ぎきれない。レイスは、今の自分では善と確実な実力差があるのを理解していた。結果、彼がとる手段は間合いギリギリの距離を保って、剣のリーチを最大限生かせること。動きの速い善を捉える前に、体力が尽きるかもしれないが、それは相手も同じこと。微かでも相手を負傷させれば、勝機はある。レイスはそう信じていた。

 そんなことを考えていた矢先、レイスは剣にわずかな手応えを感じた。

 腹部を蹴られバランスを崩したものの、彼の剣は善の左足の腿を掠る程度だが斬りつけていた。


 ようやく戦局がこちらにも傾いてきたと思ったのも束の間、痛みに動揺も怯みもしない善の容赦ない攻撃が、レイスの気の緩んだ一瞬に利き腕を捉えた。しまったと思った時には、続けて胸に衝撃を受け膝を地に着けていた。


「お前は直感と推測に頼りすぎるきらいがある。だがその割に視界あるものに囚われやすい……前から言おうと思っていた」


 剣が空を舞い、己の首元に手刀を突きつけている善を見て、レイスは自分に勝ち目がないことを悟る。


「だから〈イレブン〉から逃れようなどと無謀だと言っただろ」


 善はレイスの背後に回った。彼を目で追おうとして、視界の隅にいたリオールと目があった。

 だが、その目から感情を読み取る前に、彼の首に鈍い痛みが走った。

 剣がないとはいえ暴れられたら厄介だ。微かに善のつぶやきが聞こえた。

 レイスは為すすべもなく前に倒れ込み、あまりの痛みに息を詰まらせながらも、足掻くように顔を上げる。


 悪いな、リオ。約束守れそうもないよ。情けないな、俺。


 薄れていく意識の中、彼を見つめるリオールは泣いているように見えた。



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