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Avalantear アバランティア  作者: 海豹
第一幕 ―起―
17/68

真実と疑惑


 世界には世界を支える続ける“ 女神 ”がいた。

 女神は大地を一人守りながら、自然を愛し、生命を愛し、そして心ある者達、“人間”を愛していた。

 女神は心という存在の意義が分からなかった。それでも、怒り、叫び、泣くことや、喜びには肩を叩きあって笑う人間の姿は女神には新鮮であり愛おしいものに見えた。

 心を知らぬまま、人間を愛し続ける女神は決して満たされることはなくただ彼女は苦悩する。

 人間を理解すれば良いのだろうか。女神はそう考え、人間の心を知るための対価として一雫の涙を人間へ与え落とした。


 その涙こそが、彼女の知りたがっていた心であり、彼女自身の心の欠片なのだと、誰も気づくことは無い……




*****




「女神は心を知るための対価として一雫の涙を与え落とした……ってなんだこれ?」


 リオールが歌うように語ったのは、何かの神話のようで、戦いに生きてきたレイスには聞いたことのない話だった。


「世界神話の始まりの書と呼ばれる書物の一八三〇ページに載っている有名な一節で、私は幼いときから何度も聞かされてきたから覚えているの」

「一八三〇って、本か?」


 言語の勉強が苦手なだけにレイスは、勉強で使う教科書以上の厚さの本を手にしたことが無く、千を超えるページ数の本をイメージすることはできなかった。


「研究所の人達はその一節はアバランティアの事を指しているって言ったの」

「アバランティアのことを指しているって? じゃあ、女神はアバランティアってことか?」


 レイスにはリオールの話すことが俄かに信じがたかった。神話だの聖書だの、そんなものは所詮物語であって現実の出来事に関係があるとは思えないとレイスには思える。


「人間に与える対価の涙とは、膨大なエネルギー体の事を指している」


 レイスに頷き掛けながら、リオールは目を伏せた。


「対価ということは、私達人間もアバランティアに返す対価があるということ。アバランティアはエネルギー体を〈イレブン〉に手渡している代わりに人間を一人捧げるように要求しているの」

「その捧げられた人間は具体的にはどうなるんだ?」


 死体がないほどだ、どんなおぞましい目にあうのだろう。リオールが無意識に腕で己の体を抱く姿を見て、レイスは思わず拳を握っていた。


「私達は対価をなかなか手渡さないアバランティアがなにかしらの反応を示し始めると、怒りを押さえに行くようにアバランティアの元につれてかれる。その後は私にもどうなるか分からない。けど、さっきも言ったように私はアバランティアに取り込まれアバランティアの“肥やし”になるの」

「肥やし?」


 また“肥やし”だ。レイスは黒い騎士との戦闘中にも聞いた言葉にただ首を傾げる。あのときはただ馬鹿にされたのだと彼は思っていたのだが、リオールの口から同じ単語が溢れればそれは意味のある言葉に変わる。


「つまり肥やしとは、アバランティアの一部として取り込まれ、私という存在は消えてなくなる。姉さんのように死体も何もかも残さぬまま」

「死ぬってことなんだな。“肥やし”っていう存在は」

「……うん」


 小さく頷いて再び強く目を伏せた彼女の肩に壊れ物に触れるように手を置くレイス。


「なぁ、アバランティアって人を食らう化け物なのか?」

「違う。世界神話の“女神”、私達に繁栄と進化を与える改革の神――」


 激しくかぶりを振るリオールの顔には怯えが張り付いている。声には感情が無く、決められた言葉を繰り返す機械のようだった。レイスはそんな彼女を労わるように腕を取り――袖から覗く白い素肌に刻まれたおびただしい注射跡が目に入れる。何度も血を抜いたのだろう、血管にそって赤く腫れている箇所もあった。


「そんな奴、“女神”なんかじゃない!」


 実験、という単語が脳によぎった。

 レイスはとっさにリオールを抱きしめた。彼はこれ以上彼女の痛々しい姿を見ていることが出来なかった。

 折れてしまいそうな華奢な彼女の体は強張っており、自分を投げ出さず運命に殉ずるものにしては、あまりにもひ弱だと彼は感じる。いや耐えられるはずがない、人間は死を受け入れられるほど強くはないのだから。


「神様はそんなことしない」

「レイス……」


 リオールはレイスの行動に驚いたようだった。体が凍りつく程に。ただ自分を包み込む彼が異常に熱く、結晶化しているであろう左腕を目にすると、彼も運命を背負っている一人だと気づいて、彼女の頑な心を溶かしていた。

 そのまま逞しい胸に顔をうずめれば、こぼす言葉は嗚咽になる。感情の置き場所を得たリオールの声は、それでも小さなものだった。

 レイスは彼女をただの弱音ばかりを言う、嫌な人間だと思っていた。だが、彼女の残酷な真実を知り、そうでなかったのだと気がつく。


「アバランティアがどんな奴かは知らない。でも、君がそこに行かなきゃ取り込まれる事はないんだろ? どうして今まで姉さんのように脱走とか考えなかったんだ?」


 そして彼女がこの残酷な運命に必ず従わなければならないことが信じられず、彼は善が話した駆け落ちの話を思いだした。


「……ハザードが」

「ハザード?」


 泣き声で小さく言うリオールの言葉にレイスは耳を近づけた。優しい香りが鼻元をくすぐる。


「ハザードは……アバランティアが……対価の人間を連れて帰るために送り出す使者……」

「ハザードは、アバランティアが送り出してくるものなのか!? じゃあ、あのとき」


 レイスはハザードと対決したあの時、リオールが荒い息で口にした言葉が頭の中で映像のように蘇ってくるのを感じた。


 ハザードは……私に向けて……死傷するような……大きな魔法攻撃は……してこないはず……


 ハザードは多分、私を迎えに来ているだけなの……


 今なら意味がわかる。


「あのとき、あんなにも危機感無くいられたのはハザードが君を死なせることはないって、知っていたからなんだな?」


 確かにあの時のハザードは、誘拐が目的の割には全くというほどにリオールに無干渉だった。レイスは少しずつ明らかになる事実に納得する。


「でもハザードは危害を加えることはなくても、送り出すアバランティアのために、私をいつまでもどこへでも、どんな手を使ってもやって来ると思う」

「……」

「いずれ〈イレブン〉からアバランティアに連れてかれるのも、迂闊に飛び出してハザードに誘拐されるのも結局同じこと」


 リオールはうずめていた顔を上げ、少し充血した目をレイスと合わせた。

その目には諦めと悔しさが混ざっている。


「だから私は、殺されるまで飼われている飛べない鳥と同じ。足掻いたところで意味はないの」


 風は勢いを増し、夜になった空から容赦なく吹き込んでくる。レイスは風の勢いで髪を乱しながら、リオールを少し体から離し、しゃがんで目線を同じにした。


「意味のない命はない。一年くらいしか生きれない奴が食い扶持稼ぎに護衛なんてやっているんだ。リオ、君にだって何かあるはずだ、必ず」

「でも」

「俺が守ってやる」


 レイスは勢いのまま言った。そう、何も考えずに。心がそう言えと鐘を鳴らしているのだ。

 意味のある命。それはレイス自身求めて悩まぬものだ。一年を宣告された命に果たして意味があるのだろうか、意味のある生き方をできるのだろうか。レイスはその答えを今掴みかけているのだと直感した。

 最後には捨て駒にされた〈リジスト〉に雇われ続けていたのは、死をただ待つことが出来ないと思っていたからであり、好んで協力していたわけではない。

 組織間の争いにほとほと飽きがきていたレイスは、違う自分に合う使命ができたと思えた。自身の求める答えと共にそれは手の中にある。


 自分が選ぶ選択肢は一つしかない。


「リオール、逃げるんだ!〈イレブン〉から。そして自由を勝ち取ればいい」


 びくりと驚くリオール。突然の申し出だ無理もない。レイスは分かっていながら、彼女に早口で説明する。


「俺は余命があんまりなくて、頼りない傭兵だけど、君をここから助け出すことくらいできる! あとは君をハザードから守ってやれる所へ俺が探して連れていってやる。その場所がどこかは分からないけど、こんな所で飼い殺しになっているより絶対に良い」

「でも」


 リオールはレイスの申し入れに対して首を縦に振らない。彼女はレイスの提案の意図を正確に理解していた。冗談などではなく、彼が本気で逃亡を望んでいるのが分かるだけに、彼女は困惑する。


「レイスは怖くないの?」

「怖いさ。でもやらないと後悔する、って俺の頭のどこかでそう叫んでいるんだよ。正直よく分からないけどな」


 いつからだろう。自分の命がこんなにも簡単に投げ出せるようになったのは。リオールの問いに答えながらレイスは、命掛けになるはずのこの選択に躊躇いや狼狽を感じないことを他人事のように思った。


「私は……私のせいで誰も傷ついてほしくない。姉さんもジアスさんも善さんも、あんな事があったから酷く傷ついてしまったのよ」


 リオールは左右に首を振る。そしてレイスの身体から一歩後ずさりした。近づくなと言わんばかりに手を前に突き出して。


「私は取り残されたのよ! この小さな箱庭に、たった一人で。私の大切なものはみんな無くなってしまって、私に残ったのはいずれ来る死という運命だけ。それがどれだけ寂しいものか貴方には分かる? 私は、レイスが私を救うためにそんな風になってほしくないっ」


 レイスの判断は唐突すぎる。彼は分かっているのだろうか。姉達の判断が引き起こした惨劇は、当事者の命を奪っただけでなく、多くの人を傷つけていったのだと。

 自分のことをこんなにも気遣ってくれて、嬉しいはずなのに苦しい。レイスの言葉が暖かく感じるのと同じように、現実がそれを胸に突き刺すナイフに変える。


 リオールは混乱した。


「リオ」


 徐々に落ち着きを失っていくリオールは、レイスを頑なに拒んだ。しかしレイスはそんな彼女を離さず、もう一度、彼女を抱きしめる。


「俺は俺が生きられる間ギリギリまで、絶対に死なない。約束する。絶対にだ」


 優しすぎるんだ。レイスは彼女の恐怖の矛先が自分自身ではなく、大切な人を傷つけることに向いていることに気づいた。だから、レイスは守れるかも分からない誓いを口にした。そして自分を大切にしろよと彼女に優しく語りかける。


「……君は姉さんや善の傷ついた背中を見すぎたんだ。君の姉さんは上手くはいかなかったけど自分で自分の生き方を切り開こうとした。リオ、君だって自分の生き方を自由に決める権利があるはずだ。君は自由になれるんだよ、飛べない鳥なんかじゃない」


 リオールの表情に変化の兆しがみえた。分かってくれたのだろうか……? レイスは彼女の顔をのぞき込もうとして、また彼女を少しだけ離した。


 だが


「そこまでだ、レイス・シュタール。お前にリオを連れて行かれるわけには行かない」


 堅く、冷めていて、どこか憂い感じさせる声が花畑に鋭く響きわたり、変わりかけていたリオールの表情が一瞬で凍った。レイスは、はっとして反射的に彼女を自分の背後へと隠し、音もなく扉を開いて入ってきた男へと目を向ける。

 今一番会いたくない人物だった。


「護衛しなければならない人間が、今度は誘拐を企むだと? 笑わせるな。冗談だというのなら酷すぎる」


 声は大きさを増すとともに、強い殺気を纏いつつある。レイスは腰の剣の柄を握り締め、近づいてくる黒い人物を睨み続けた。


「……善」



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