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Avalantear アバランティア  作者: 海豹
第一幕 ―起―
16/68

彼女が生きる理由

「この間は大変だったみたいね」


 治療室から解放されたのは約三時間前。一日以上も眠っていたのだから、さすがに眠る気にもならなかったレイスは特殊部隊のオフィスでコーヒーをすすっていた。そのコーヒーというのは、徹夜で報告書を作成していたイヨールが出してくれたものであり、いつも入れてくれるシエルとは味が違うように感じた。


「まぁ結晶化病がなければ、もっと戦えたんだけどな」

「仕方ないわ。それは」

「そうだな」


 賑やかな特殊部隊のメンバーの中で無口なクールビューティーを貫き通す彼女はやはり無口であり、朝日で明るくなり始めたオフィスはいろんな意味でひんやりと肌寒かった。


「なぁイヨール。あんたは何でこの特殊部隊に、いや〈イレブン〉に入ったんだ?」

「……どうして?」


 そんなことを聞くの? とイヨールは報告書を打ち込む手を止めた。


「いや、どうしてっていうほど何か理由がある訳じゃないけどさ。気になっただけだよ、嫌なら話さなくてもいい」

「そう? じゃあ話さないわ」

「……」

「冗談よ」


 サラリと無表情に言うイヨール。ジョークを言うとは思わなかったため、レイスはぽかんとして、リアクションを取れなかった。


「私は元々は浮浪児だったのよ。組織の抗争に巻き込まれ両親を失った私は施設に入れられ、ある程度の教養を受けてから直ぐに飛び出した。そのまま街を徘徊して、人をだましてなんとか這いつくばって、希望もなにも失っていた頃に〈イレブン〉に拾われた」


 ゆっくりと語る彼女は、横に置いたコーヒーに手を伸ばし、まだ温もりがあるカップを両手で包み込んだ。


「私はまだこれでもいい方。シエルなんかはグレイスさんが引き取らなければ今頃どこかの店に売り飛ばされてたでしょうね」

「酷いな」

「そうね。それに信じられないかもしれないけれど、ターナーは元は大企業の若社長候補の一人だったのよ。ただ彼は見た目と違ってかなり頭がいいから、会社を乗っ取られることを恐れた親、つまり社長に視察を名目にここへ追放されている」

「……ターナーが若社長!?」


 あの女たらしがか? 本人がいたら飛びかかってきそうな事を口走り、レイスはあんぐりと開いた口が閉まらくなってしまった。


「この部署で、しっかりした環境で育ったのはケイスとグレイスさんだけ。……分かった?」

「ああ」


 なんとか口を閉じると、レイスは少し寂しげな表情のイヨールのダークグレーの瞳から慌てて目をそらした。

 内心、面白い話を聞けると期待していたために、深刻な彼等の過去はレイスに少なからず驚きを与え、彼は安易に聞いてしまったことを後悔した。

 質問には答えたわよ、とイヨールは再びレポートに取りかかる。静寂が再び戻ろうとしていた。


「おっはよう! 諸君。〈イレブン〉きってのイケメン、ターナー様の出勤であるぞっ……って、あれ?」


 が、そんな空気など知ったことかと言わんばかりにドアが蹴破られ、噂の若社長が大声で登場した。

 突然登場したターナーは、かっこよくポーズを決めたが良いものも、何故かそのままの形で留まる。そしてぽかんとレイスに視線を止めて、凍り付いたように動かなかった。


「おはようございます。……あれ? ターナー先輩、どうしたんですか。そんな所で決めポーズなんかして、似合いませんよ」


 その三秒後。ひょっこり現れたケイスが固まったままのターナーを見て、またアホなことしてんな、と言わんばかりに苦笑した。たがオフィスにいるレイスを目に止めると、彼と同じく固まった。


「レイス……」

「えっ、えっ? えっ?」


 訳が分からない。レイスは何? どうしたんだ? とぽかんとしている二人の様子に慌てる。俺、なんかやらかした? とまで思い詰めたそのとき、固まっていたターナーとケイスがいきなり同時にレイスに飛びかかってきたのだった。


『レイス!』

「はいぃぃぃぃぃぃい!?」


 床に響く衝撃音。


「痛ってぇ!」


 当然のことながら、二人分の体重をいきなり支えきることなど出来るはずもなく、レイスは彼等の下敷きになるように椅子から転げ落ちる。何すんだよ、と怒鳴りつけようとしたが、その前に何やら満面の笑みを向けたターナーに襟筋を捕まれ、ガクガクとゆすぶられた。


「倒れたって言うから心配したんだぞ。おいっ、新人。もう仕事に戻って大丈夫なのか? 嗚呼、こんな事になるなら俺の発明品、いつでもどこでも薬飲める号を渡しておけば良かったと、昨日一日なんど思ったことか」

「タ、ターナー……くっ、苦し……」

「大丈夫ですよ、レイス。アミーちゃんは僕とターナー先輩で面倒見てましたから」


 同じく突進してきたケイスもどこから連れ出したのか、ひょいとアミーの首筋を掴んでレイスの前に掲げる。


キュ~~ン

「ケイスありが……いや……そのまえ……に……」


 どうやら二人は相当、レイスの事を心配していたようだ。レイスはゆすぶられながらそう感じていた。


「今日戻って来るんなら早く連絡よこせばいいのに」


 そして二人はレイスが今日戻ってくることを知らなかったらしく、だからなのか、感激したようにレイスをもみくちゃにする。何故こんなにも感激されるか理解出来なかったが、レイスはそれよりもターナーが襟筋を掴む為に首が締まり、呼吸困難に陥りかけていた。


「うふふ……二人ともぉ、嬉しいのは分かるけど、レイス死んじゃうわよぉ」

「そうだ、病み上がりの人間はもっと労ってやれ」


 すると、そんな三人のやりとりを見ながら出勤してきたシエルとグレイスがそれぞれ助けの一言を入れる。


『あ』


 ようやく気づいたターナーとケイスは慌ててぐったりしかけているレイスを解放した。二人ともレイスが苦しがっていたことに全く気づいていなかったらしい。


「けほっ、けほっ……大歓迎だな、嬉しいよ」


 息を整えながら、とりあえず礼を言ったレイスは、少し意外そうにターナーを見る。彼とは、なかなか馬が合わないと思っていただけに、飛びつかれたことに一番驚いていた。


「ターナー……てっきり俺のこと嫌いなんだと思ってたんだが……」

「はぁ? 嫌いに決まってるだろう! 何をいっているんだ。俺が好きだと認めているのは女の子だけだ」


 気色の悪いことを言うな、と何故か慌てた様子のターナー。すると横にいたケイスがすかさず横やりを入れる。


「はい、レイス。気にしないでくださいね。こういう人間を俗にツンデレと呼びますから」

「こらっ、ケイス! 何言ってんだよ」

「昨日一日、あいつ大丈夫かなってぐちぐち一番言ってたのは先輩なんですよ? 今更」

「それ以上言うなぁぁぁ」


 ターナーがケイスを押さえつける。もう少し彼はキザな奴だと思っていたのだが、レイスは少しだけターナーを見る目を変えることにした。


「レイス」


 彼の周りから騒ぎが去ったの見計らって、黙っていたイヨールがこちらに目を向けた。


「私達は境遇が皆バラバラだけどチームワークが大切だと考えている。だから、みんなあなたの事は大切だと思っているし、あなたの不幸もみんな人事だとは思わないわ。ハザードに負けて気落ちするのは分かるけど、気にすることはないのよ。私もこの馬鹿共を見ていると多少は和むし……」


 イヨールはレイスが多少ながら落ち込んでいることを見抜いていたようであった。


「何事だ? 随分と騒がしい」


 そんなとき、最近全く朝顔を出さなかった善がタイミングよく登場する。感激モードに入っていたターナーとケイスはやはり善にも走り寄る。


「うわっ、何をする。離れろ」


 善の焦る声。レイスはニヤリと笑ってイヨールに向き直った。


「仲間か……単独行動の多い傭兵にはあまり慣れない単語だよ」


 レイスは励ましてくれる彼女にそう言うと、蹴りで歓迎を一蹴されるターナーとケイスを見て、ケラケラと笑いこけるのだった。




*****




 久しぶりのハザード退治はやはり体の鈍りもあり、いつもよりも時間がかかってしまった。夕焼け空にカラスが数羽漂い始めた頃、レイスは最上階のエントランスに降り立った。


「ご苦労様。そういや、あんた達大丈夫だったか? この間のハザード戦は入り口の確保大変立ったんじゃないのか」


 やはり花畑に続く扉の前には双子の警備兵がおり、彼等は話し掛けられたことに一瞬動揺したようだったが、こっくりと頷いて同時に口を開く。


『問題ありませんでした。ご心配、ありがとうございます』

「何もなかったんなら、良かった。……じゃあ、入らせてもらうかな」

『どうぞ』


 レイスは扉を大きく開き、サクサクと花畑に足を入れた。ここ数回ハザードとの戦場になったということで、やはり花畑は彼が初めて訪れた時よりも荒れてはいた。だが、不思議と美しいと思う気持ちに変わりはない。


「リオ、いるか?」


 夕焼けに染まる赤は天窓を通して、花畑をほんのりと色づけており、レイスはそんな景色を見渡しながら少女の姿を探す。


「リオ」


 やがてリオールが小屋の裏でしゃがみ込んでいるのを発見した。近寄ろうとしたが、彼は彼女のしゃがみ込む先に白い墓碑が立てられていることに気づく。


「姉さん最近ね、面白い人が護衛についたのよ」

「面白いっていうのは俺のことか?」


 躊躇いなく声をかけると、彼女はびくりと肩を震わせて、恐る恐る振り返る。


「レイス」


 が、背後にいたのがレイスだと気づくと彼女は笑みを浮かべて再び白い墓碑へ向き直った。だが左手はレイスを指し示すように突き出している。


「この人が最近来た護衛のレイス」

「……あ、どうも」


 紹介されたので一礼するレイス。墓碑にはソフィア・アバランティアと名が刻まれていた。手入れの行き届いた、どこか真新しい墓石はどこかさみしい印象を彼に与えた。

 返答があるわけない紹介は、やはり墓碑が前だと分かっていながらも奇妙な気分になった。


「じゃあ、今日の報告は終わり! 姉さん、また明日ね」


 しかし彼女は、そんな事などとうに慣れてしまっているようであり、元気よく言葉を切り上げるとその場を歩き出す。


「リオ?」


 たがその姿は、早く墓碑から離れたいだけのようにも見えなくはなかった。レイスは矛盾が生じるような気分で歩き出した彼女の背を目だけで追う。何故だか彼女が泣いているように見えるのだ、背中を向けているいまですら。


「私の一日は六時三十分に起床するところから始まって、いつもいつも同じように時間が流れていく」


 突然花畑の中心で立ち止まったリオールは、その上にある天窓を仰ぐように見上げて、まるで歌うかのようにしゃべり始めた。その表情はレイスには伺うことができない。

 夕焼けに染まる花畑の中に佇む彼女の、淡く青い髪は、窓からはいる風によって柔らかく波打ち、その風はレイスの鼻に優しい香りを届けては去っていく。


「朝いつものように朝食を取って、花畑の世話に出る。ハザードとの戦いによって傷ついた花には魔法の治療を、もうすぐ芽吹く小さな命には水を。全ての場所の手入れが終われば既に時間は九時を指し示し、私は迎えにくる白衣の研究者に連れられて十一階に向かう」


 赤色の世界に一つだけある彼女の青。彼は優しい香りの中で、儚さを感じさせるそれが美しいと不意にそう思えてしまった。


「血液検査から始まり、訳の分からない検査をして最後にいつも、体調はどうかと聞かれる。私は“問題ありません。大丈夫”と答えて、笑顔で答えて終わり。私は、姉さんのように完璧な結果を望まれている。でも私にできるのは元気なふりをすることだけ」


 その当時ソフィアはアバランティアのコントロールが出来る人間の中で最も優秀だった。レイスは記憶の底でグレイスがそう口にしていたことを思い出す。リオールは空を見上げたままさらに言葉を紡いでいった。


「全ての検査を終えて戻って来ると丁度昼の二時前。そこで私はいつも目的をなくしてしまう。善さんが護衛の時はいつも迷惑をかけちゃいけないって思っているけど、本当は退屈で寂しい」


 少し俯いた彼女だが、次の言葉には力が籠もった。


「最近はあなたが来てくれて、なんだか少し違う。怒られたり、大笑いしたり、泣いたり……全てが久しぶりに感じる感覚。とても充実している。正直善さんには申し訳ないけどあなたといる時間が一番楽しい」

「そうか」


 そう言った彼女は振り返って、レイスに微笑みかける。彼は褒められたような気がして少しだけ笑い返した。


「そして、夕方はもう一度花の手入れをして、ついでに花束をつくる。花束は小屋裏にある姉さんの墓碑の前に供えて終わり。後は夕飯を頂いて、日記を書いて寝てしまう。……つまらない一日でしょ?」


 リオールはもう一度空を見上げ、小さくため息をつく。レイスはそんな彼女にかける言葉など見つけられる訳もなくただただ黙っていた。


「一日の締めくくりをする、日課の姉さんの墓碑への報告は一番虚しくて馬鹿馬鹿しい。だって姉さんはあそこで眠っていないんだもの」

「ほかの場所に埋められているのか。それとも海葬とかされるのか?」


 リオールは彼の言葉を否定するように俯いた。


「姉さんの死体は無いの。最初から」

「え?」

「いいえ、姉さんだけじゃない。姉さんの前のアバランティアをコントロールできた一族の人も、その人の前の人も……いつも死体なんてないまま墓碑がたてられるの」


 リオールは知ってる? とレイスの顔を見た。その目は悲しくゆがんでいる。


「私達、アバランティアのコントロールが出来る者は、最期どうなるのか……」


 聞いてはいけないような気がしたが、レイスは首を振って、彼女の言葉を待った。


「私達の終わりは決まっている。コントロールを失ったアバランティアを制御するためにこの身をアバランティアに捧げるの。そう、私達は生け贄同然“肥やし”なの」


 何かが頭にぶつかったような感覚に襲われた。


 リオールが詳しい事を知っている。彼女から聞くと良い。私が秘密事項を口にすることはない、よく覚えておくんだな。


 善が治療室で言っていた言葉が頭の中をぐるぐるとまわった。

 善は秘密事項だから話せなかった訳じゃない。

 この残酷な事実を言いたくなかったんだ。

 

 レイスはそう思い、直ぐにはリオールの顔を見ることができなかった。

 彼女は泣いているのだ。笑顔の下で、ずっと。


「……それって、どういう意味だよ? 」


 約三十秒後、我に返ったレイスはリオールへと近づいた。彼女は空を見上げながら動かない。視線を追えば赤い空はやや暗い藍色に変わりつつあった。


「生け贄? 肥やし? 身を捧げる? 分からない。善にも聞いたけどはぐらかされたし、この〈イレブン〉で何が起きているんだ?」

「正直にいうと、詳しいことは私にも分からない」

「どうして? リオ、君の命に関わるこどだろう、何故知らされていないんだ」

「……私達にそんな権利はないの。ただのサンプルだから。目的のために生かされているにすぎない。これが私が今、生きいていられる全てなの。私が生け贄になることは私が四歳の時には決まっていたんだよ。……アバランティアは〈イレブン〉の最大の強さであり、同時に弱みでもある。あの人達はアバランティアを守るためなら、何だってする。私も姉さんもその材料に過ぎなかった、それだけなの……」

「リオは人間だ、実験道具なんかじゃないはずだろ! どうして、犠牲になることが決まっている人間がいなきゃいけない」


 覚悟していたつもりでいた。〈リジスト〉でサンプル体を護衛すると聞いたときから、その人物が過酷で残酷な目に遭っていることなど想像できていたはずだった。これは仕事、見て見ぬ振りをしていればいい。そう考えていたのに、レイスは目の前の現実を直視できない。なぜだろう、ここで納得したら自分を否定するような気持ちになるのだ。


「……どうして君が生け贄にならなくちゃいけないんだ」


 命のあり方は人それぞれあるのだと、初めて護衛についたあの日彼女は言っていた。同時に自分にはそのあり方を決めることができないのだと、そう嘆いていた。

 ただ自分の境遇を悲観して、己は可哀想なのだと見せつけてきているのだと、レイスはその時は腹を立てた。しかし今はそれを激しく後悔している。

 彼女に選択肢はないのだ。命を捧げる最期の瞬間まで生き続けることしか許されないのだ。それはどれだけの苦痛だろう、夢を見れない、希望を持てない人生になるのだろう。

 俺は馬鹿だ。レイスは後悔するとともに激しく自分を責めた。可哀想だと言って欲しかったのは、ただ不幸を嘆いていたのは自分のほうだったのだと。生きていれば、なんでもできるはずだとリオールを自分の物差しで測ったのだ。自分が命が短いから、その理由で。

 レイスは自分が情けなくて仕方がなかった。


「……アバランティアってなんなんだ?」

「えっ?」


 俯いたレイスがぼそりと呟く。善がリオールに聞けと言っていたことを今更思い出したからである。

 レイスはリオールと目を合わせて、もう一度言った。


「教えてくれ。君を生け贄にしなければならないようなアバランティアを、〈イレブン〉が隠し続けるアバランティアを……全てが繋がっている。俺にはそう思えて仕方がないんだ」


 北から強い風が吹く。夜が近づいているようだ。レイスは目の前の現実をしっかり見据えるために、リオールから目を決してそらさなかった……






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