穏やかな日々
風が頬を撫でては通り過ぎてゆく。一人の男があの花畑の中心で大の字になって横になっている。表情は柔らかく、眠りにつきそうなほど瞼は閉じかかっていた。
「ジアァース。風邪引くわよ!」
しばらくすると柔らかな風をかき混ぜるように駆けてくる、小さな足音が響く。男--ジアス・リーバルトはゆっくりと閉じかけた瞼を起こし、足音の方向へ目を向けた。
「また、こんな所で眠って! 善に馬鹿にされても知らないからね」
視界に顔を出してきたのは、美しい少女。薄い青の髪にすみれの瞳をもつ彼女の名はソフィア・アバランティア。ジアスは呆れ顔の彼女にニヤリと笑って見せ、横を指差した。
「ざーんねん、今日は俺だけじゃないんだよなぁ~」
「えっ? まさか」
「そう。そのまさか」
指さす方向に彼女は身を乗り出して、ジアスの隣りにも人がいることに気がついた。しかも二人。
「リオ? それに善まで!?」
まぁっ、と驚く彼女。ジアスはケラケラ笑いながら体を起こした。
ソフィアをそのまま幼くした風貌のリオールは、頭に花の冠を付け、スヤスヤと気持ちよさそうに眠っている。
善はそんなリオールを守るように、彼女のすぐ横で微かな寝息をたてて眠っていた。
「一時間くらい前にな、善がやってきてさ、俺がこの体勢で動かないもんで、退屈そうなリオのお相手をさせられたって訳なんだな」
ジアスは若草色の髪をかき混ぜ、微笑ましいとリオールの柔らかい頬をつつく。
「まぁ、これで俺は明日からこの様に花畑の中心でも胸を張って眠れるわけだ!」
「誰が胸を張って眠れるんだ?」
「うわっ」
すると、眠っていたと思われた善がムくりと起き上がった。驚いたジアスはその場に倒れ込んでしまう。
「お、脅かすなよ! 寝たふりするなんて、卑怯だぞ!」
「寝たふりなんてしていない。今まで眠っていた。……私は兵士だからな、眠りが浅い。少しの物音で目が覚めるから仕方ないさ」
身の潔白を訴えながら、善は苦笑いをし、驚いてひっくり返っているジアスに手を差し出した。
「いつまで、その体勢でいるんだ? それに、任務中に眠りこけるのはいい加減止めろ」
「今の今まで、眠りこけてた奴に言われたかねぇよ」
「残念だったな。私は今休憩時間だ」
差し出された手を取り、体勢を整えるジアス。だが、同時にムカっとしたようで、さりげなさを装って善の足元をすくうように、蹴りを入れた。
「甘いな」
善はそんな蹴りを足で軽く踏むようにして止めると、ニヤリと笑った。
「体術で剣士のお前が私に勝てるわけ無いだろう」
「お、言うね~。久しぶりに手合わせ願おう……かな!」
ジアスは言いながら、踏まれている善の足を掴み、投げ飛ばす。
「相変わらず、馬鹿力だな」
空中で一度クルリと回り、着地した善は、中肉中背のはずのジアスの力を褒めるように手を叩く。
「馬鹿にすんな! ……あっ」
ギュ~グルグルグル
馬鹿にされていると思いこんだジアスは、更に攻撃しようとしたが、突然、彼のお腹から大きな音が鳴った。
「ぷっ、うふふふ」
「ジアス、お前どんな腹の音をしてるんだ……」
黙って様子を見ていたソフィアは笑い、戦闘の構えを解いた善は呆れたように肩をすくめた。
「う、うるさいっ、あぁ~もう、止めた止めた!」
笑われ、さすがに恥ずかしくなったジアスは顔から耳までを真っ赤にして、拗ねてそっぽを向く。
「ああぁ、拗ねちゃったわ」
「仕方ない」
ソフィアはまだ顔に笑みを浮かべたまま善に目を向けた。彼はソフィアの視線を受けてやれやれと溜め息をつく。
「今から、何か作ってやる」
「本当か!」
善がそう言って、黒いスーツの上着を脱ぐと、そっぽを向いていたジアスが途端に元気を取り戻した。
「単純ね、ジアスは」
ソフィアは柔らかく頷いて、ジアスに微笑みかける。それは、好意の眼差しのようにも見えた。
「だってさ、善の料理旨いだろ~。昔は目玉焼き焦がすくらい下手くそだったけどな。俺、煮込みハンバーグが良い。こないだの赤ワインのソースの奴」
そんな眼差しに気づかないジアスは嬉しそうに善の肩を抱く。善は少し淋しそうに彼女とジアスを一瞥すると、わかったと頷いた。
「材料はオフィスに揃えてある。少し待っててくれ」
「最近配属されたグレイスって奴も連れてこいよ。あいつ、最近つらい仕事ばっかやってて鬱なんだよ。気晴らしになるから良いと思うぜ」
花畑を去る善の背中にジアスが言葉を投げる。善は片手を上げて返事を返し、足早に去っていった。
「……ふふっ、優しいのね」
「どういう意味だよ、ソフィア?」
善が姿を消し、ソフィアはジアスに向けて笑いかける。
「善が人見知りだから、なかなか話し掛けるチャンスを逃して、いつも淋しそうにしているのは知っているわ……だからわざと善と同じ歳のグレイスさんを呼んだんでしょ? 善に新しい仲間が出来るようにさせたかった……違う?」
「さすがだな」
隠し事はできねぇな、とジアスは笑い、ふと目線を下に落とした。
「善は、子供の時から組織にいたから、淋しいとか、楽しいとか、馬鹿らしいこととか何にも知らないし、辛くても何とも感じてないようなそぶりで隠そうとしちまうとこがある。笑みだって最近ようやく見せ始めたくらいだ……俺は心配なんだよ、親友としてさ」
ジアスはそう言って、顔を上げ光が差し込む天窓を仰いだ――




