危機
『レ、レイス殿! 早く中へ、ここもう長くはもちません』
オフィスを飛び出し、運よくエレベーターに乗り込んだレイスは数分後最上階に到着した。
エレベーターから降り立ったレイスは、面立ちがよく似ている(最近双子だと知った)警備兵がハザードと戦っている場面に遭遇した。彼等は剣を手に何とか花畑に侵入を果たそうとしているようだったが、数が多いため難航しているように見える。
「……すまない」
彼等の周りには既に十数体のハザードが集まっており、助けてはやりたかったが中には彼等よりも非力なリオールがいる。レイスは、空いているスペースを選んで先を急ぐ。
仕方がないが二人で乗り切ってもらうしかなかった。
「おい化け者共、こっちだ」
せめての応援として、入口の前でレイスは一度振り返。兵士に群がったハザードを手を叩いて引きつけて、一気に斬りつける。
八体ほど倒れたのだから、少しは気休めにはなった筈だった。レイスは申し訳ない、と頭を下げて、踵を返す。
「じゃあ、入り口は頼んだぜ」
『一気に八体とは……』
走りゆくレイスに目をやりながら二人はやはり同時に呟く。息ピッタリの二人は、すぐにエレベーターを死守する戦いに身を投じた。
*****
「リオ、どこだ」
花畑は悲惨な状況だった。至る所に埋め尽くすようにハザードがいる。どのハザードも皆背中に片翼があったが、前回のトカゲだけではなく、ライオンやトラであったり、狼であったりとバリエーションは様々であった。
「化け物共、邪魔だっての。こらこらアミー、噛みつくんじゃない!」
剣で進路を塞ぐハザード達を薙ぎ倒しつつ、彼はついてきてしまったアミーが勇敢にもハザードに挑もうとしているため、慌てて押さえつける。
そんなことを繰り返していると、小鳥がいた木の近くにハザードが集まっていることに気づく。レイスはそこにリオールがいるのだと推測した。
「だから、邪魔だっていってんだろ!」
攻撃をしてくるハザード達。レイスは体を中腰体制にして刃を下へと向ける。そして奴等の足元を集中して剣を振るった。
ハザード一体一体にはそう強い力は無いのだから、命までは奪わずに戦闘不能にすれば良いと、結論づけたレイス。彼は斬っては走るを繰り返し、前へとズンズン進んでいった。
「リオ!」
ハザードの集まる中心にいざ着いてみると、リオールはバリアの魔法を張って、何とか奴等の攻撃に耐えていた。体力の消耗が激しい魔法を長く使っているので、リオールは既に肩で息をしている。間に合って良かったと、レイスは彼女の前へと高く跳躍して躍り出た。
「大丈夫か?」
「……はい。……あのバリアは」
これが一週間ぶりに初めてした会話なのだが、荒い息の彼女にはそんな事など関係ないようで、気づくとバリアを解き始めている。
「悪いがまだ張ったままにしてくれ。大きな魔法攻撃が来たら、庇いきれないかもしれないからな」
俺が来たからって安心するのは早いぞ。レイスが叱咤しようとすると、彼女は首を振って違うのだと訴えていた。
「……ハザードは……私に向けて……死傷するような……大きな魔法攻撃は……してこないはず……」
どういうことだ? レイスは聞き返そうとする。
だが、それを周りのハザード達が遮り始めたため、彼は仕方なく奴等を倒すことだけを考えることにした。
「さすがにこの数のハザードからリーダー格の奴を見つけるのは無理だろうな……」
ハザードが組織制で動いており、必ず団体で来る場合には、リーダー格の奴がいることをレイスは知っていたが、ざっと数百匹はいるハザード相手に不可能だとは思った。……仕方ないが向こうが諦めるまで、地道に数を減らしていかなければならいのだと悟る。
「来いよ、リオが狙いならまずは俺を倒してけって」
レイスは苦笑いする。少しクサイ台詞だが、そうでも言わなければやってられない気分だった。なんせハザードを何匹体も相手にするのは《剣聖》である彼でも骨の折れることには違いない。
「昔、アルティス傭兵団に乗り込んだときとどっちが大変かな?」
そう小さく呟き、レイスは剣を片手に左に跳ぶ。
「あっぶなっ、いきなり魔法攻撃か」
先ほどまでいたはずの場所は草木の全てが凍り付いていた。魔法にもいろいろあるのだとレイスは感心しつつ、剣の柄をいきなり逆手に持つ。
すぐに右側、左側からの同時攻撃が襲う。レイスは体を捻るだけでそれらを交わし、再び跳躍してハザードの群れに飛び込んだ。
驚いて動きの鈍っている隙に、ダガーの様に構えた剣を素早く走らせる。そして順手に持ち戻すと、倒れた仲間を踏んでやって来るハザード達に、体を回転を利用して力任せに剣を一閃する。
時に跳躍して空中のハザードを斬り、降下の勢いで回し蹴りを地上のハザードに与え、蹴散らす。体を回転させて切り裂く。
レイスは敵に長く接しない方法で剣を振るう。一体に時間をかければ、背後はがら空き、体力も更に減ることになるため、それを避けたいのだ。
だんだん、レイスに向かうハザードの数が増え、攻撃の動きも忙しくなっていく。レイスは肩にしがみついているアミーへ声を上げた。
「アミー、ここは危険だ。リオのところへいけ、こないだ抱っこしてもらった女の子のところだ分かるな?」
説明しながら、三体のハザードをなぎ倒す。アミーは理解したらしく、背後のリオールの方へと駆け出していった。
「いいこだ……」
レイスはそう呟き、改めて辺りを見回した。今の戦いで五十体ほどが姿を灰にしているが、まだまだハザードの数は多い。
「次行きますか」
溜め息はつかない。レイスは気合いを入れて、高く高く跳躍した。
*****
「おかしい……」
しばらくして辺りを見ましたレイスは、己がハザードを初めの数の三分の二ほどを灰にしたことを理解した。勢いとしては申し分ないし、こちらが有利なのだが、彼はその戦局に違和感を感じていた。
「リオ、大丈夫か?」
「大丈夫です」
度々、後ろを振り返りリオールの無事を確認する。何度も声をかけているのに、彼女が危険さらされることは殆どと言っていいほど無かった。
彼女が狙いなのなら、普通は直ぐにでも彼女を襲うべきだ。ましてはこの数の多さなら、護衛の一人位足止めすればそれは簡単のはず。だが、ハザード達は先ほどからレイスにしか攻撃をしていないように見える。
こいつら、本気でやる気あるのか? レイスは片っ端から地道に倒して行きながら、ハザードの真意を探ろうとしていた。
その時
「レイス」
不意にリオールの声が耳に届く。慌てて彼女の方へと舞い戻ると、彼女はアミーを抱いていない左腕で上空を指さしていた。
指先を追って見ると、新たな敵がこちらを見据えていることに気づく。だが、レイスはその敵の姿に驚愕するのだった。
「あれは人間?」
上空に漂った敵は、今までのハザードとは形が違った。片翼の黒いドラゴンの様な生き物に乗り、黒い甲冑を纏うそれは紛れもなく騎士そのもので、人間の様に見える。彼の顔は立派なヘルムで伺うことは出来ないが、長い暗い緑色の髪がなびいている。背中の大きな白い片翼が無ければハザードとは分からなかっただろう。
「あいつが今回のリーダー格って訳か? ハザードもなかなかバラエティーに富んでるな」
そんな軽口を叩きながら、レイスは油断なくリオールの側に寄った。
気づけば、辺りに群がったハザード達が突然後方に下がり始めていた。必然的にレイス達がその場にと取り残される。妙に開かれたスペース。レイスは直感的にリオールの肩を抱いた。
「来る!」
「え?」
辺りの様子の変化に、訳の分からないリオール。レイスは上空の黒い騎士が降下して来るのをいち早く察し、リオールを地面に押し付けた。
乱暴ではあったが、その判断は間違っていなかった。降下してきた黒い騎士は中腰の体勢のレイスの胸に、降下の勢いのついた蹴りを入れたのである。
蹴りの勢いは凄まじく、レイスはそのまま五メートルほど吹っ飛んだ。
「……り……おる…お………で」
「えっ?」
後方に吹っ飛んだレイスなど気にもしていないのか、黒い騎士はドラゴンを降り、リオールに近づいた。
「…そ……ふ…あ……の…と……こ…へ」
何を言っているのか分からない。黒い騎士自身、どこか自分の言葉に首を捻っているようで、何度も何度も言い直す。
「リオ……ル…おい……で」
「おいでって言ってるの?」
なんとか言葉として成立し始めると、黒い騎士はリオールに手を差し伸べる。
「そ……ふぃ……あに…あわ……せ……」
「ソフィア姉さんのことを言ってるのね」
リオールは騎士の言葉の意味を察すると、酷く動揺したようだった。
「姉さんは“まだ”居るのね! まだ取り込まれていないのね」
黒い騎士はリオールが立ち上がったのを見て、彼女の問い掛けを肯定するように微かに頷く。
「リオ駄目だ、そいつに近づくな。何されるか分からないぞ」
そこへ何とか体制を整えたレイスがリオールと黒い騎士の間に滑り込んだ。蹴りを受けた胸の防具プレートが凹み、体中草を張り付けた彼は息を整えながら、剣を構える。
「……何されるか分からないのは、ここでも一緒よ」
リオールはレイスの背後で首を振った。言葉の内容は事情を把握している彼には、心に突き刺さるものだったが、あえて無視した。
「こいつはハザードだ! お前を危険な目に遭わせるんだぞ」
「……いいえ。ハザードは多分、私を迎えに来ているだけなの」
「迎え……だと?」
何を訳の分からないことを! レイスは苛立ちを抑えきれなくなっていく。分からないことが多すぎて、状況の把握に追いつけない。レイスは何をどうすればいいのか分からない状態に混乱し始めている。
「それに、彼に着いていけば姉さんに会える」
「姉さんは死んだんだろ! しっかりしろっ」
レイスは叫びながら、黒い騎士に剣の切っ先を突きつけた。これ以上リオールをこのハザードと一緒に居させるのは良くない。レイスは直感的にそう思った。
「……じゃ……ま……する……?」
目に前のハザードは敵。自分はそれからリオールを守る傭兵。レイスはそれだけを頭の中で確認し、ぶれそうになった己の心を一喝した。
「悪いなハザード。俺の仕事はリオール・アバランティアの護衛なんだよ」
レイスはそう言い、黒い騎士が戦闘態勢にはいる前に攻撃しようと一歩踏みだそうとした。
だがその次の瞬間、左腕の力が急激に抜けるような感覚に襲われ、レイスは剣を取り落としそうになった。
レイスはこの感覚が結晶化病の発作の一つだと感じ、昼の薬を飲み忘れていたことに気づいて愕然とする。
「……なん……だ……“肥やし”……か?」
そんな時、今だ戦闘態勢にさえならない黒い騎士はレイスの左腕に注目してボソリと呟く。
俺のこと言ってるのか? レイスは両手に握った剣をさり気なく右手だけで握るように持ち替えながら、黒い騎士を睨んだ。
「肥やしって、俺は肥料か!? バカにするなよ」
そしてもう一度、一歩踏みだそうとする。と、ようやく黒い騎士も背中から大きな剣を引き抜いた。
「……戦う……だな」
「当たり前だ」
レイスは叫び足に力を込めた。体は薬の効果を失い、熱くなり始めている。ふらふらになることは目に見えているため、素早く終わらせようと考えたのだ。
しかし、姿もハザードの中で特殊なように、動きもやはりどこか普通ではなかった。レイスが一気に跳躍するのに合わせ、黒い騎士は上から剣を振りかぶってレイスをハエのように叩き落としたのである。
レイスの防御が遅れていれば恐らく真っ二つだったに違いない。
「こいつ……!」
どういう動体視力してるんだ。レイスは目を丸くしながら、今度は真っ直ぐに攻撃を仕掛ける。
上段斬り、中段斬り、水平回転斬り。
後方に回り込み、下から大きく斬り上げてもみた。
「……なか…なか…」
しかし、そのどれもが騎士には防がれる。かなりの速さで剣を繰り出しているのに、奴は重たそうな大剣を木の棒のように扱ってはレイスの剣を受け流していく。
「じれったい!」
右から斬り出そうとした剣を一気に振りかぶって、水平に横一線に斬りつける。この勢いなら大剣でも防ぎきることは難しいはず、とレイスは見切りをつけた。
しかし、騎士はそれを体を捻るだけでかわし、油断仕切ったレイスをに回し蹴りで後ろへと押し出した。
「痛っ」
「……いく…ぞ」
何とか蹴りを後退することで緩和するレイス。一旦間合いの外に出たのだが、騎士が戦闘の構えを取ったため、更に後ろへと退いた。
風が鳴る様な音が耳に届く。反射的に剣を守りの型にすると、強い衝撃がぶつかって来た。騎士が突っ込んできたのである。
――五メートルあった距離が一瞬でなくなっている。ゾッとするレイスだが、呆けている場合ではなかった。
騎士が繰り出す剣技は一つ一つが重いだけではなく恐ろしいほど早い。安易に隙をついて剣を出せば先を読むように剣を流されバランスを崩される。更に今のレイスは発作で視界が安定していないのだから、最悪な状況であった。
そこからしばらく、騎士の連続攻撃が続く。発作は左腕が激痛で使いものにならないところにまで進んでいた。さすがに片手で支える剣だけでは限界が訪れる。
「あっ……!」
強い衝撃に右腕が耐えられず、剣が高く舞った。取りあえず後ろに退いたが、剣は遥遠くに突き立って、とてもじゃないが、取りにはいけなかった。
「どうするよ、この状況……」
恐らく次に攻撃がくればふらふらの体で避けることは出来ない。既に座り込んでいるような体制で、レイスは絶望感に浸るしかなかった。
「レイス! 逃げて」
横で見ていることしか出来ないリオールも、さすがにレイスが不利だと気づき、走りよろうとする。
「来るな! 死にたいのかっ」
血を吐くような怒号。レイスは何とか立ち上がると不敵に笑ってみせた。
「逃げないさ、どうせ踏ん張ったって後一年足らずの命だ。どうせなら誰かを守って逝きたい」
クサい。自分で言っておきながら、レイスは苦笑い。そんな間に騎士は彼に向かって突きを喰らわせようと、突進してきた。
レイスは無駄に足掻こうとはせず、来たる最後の衝撃を受け入れようと目を伏せた。
「諦めの早い奴だな」
すると、鋭い衝撃の代わりに鋭い叱咤がレイスの耳を通り過ぎた。驚いて目を開ければ、黒く長い髪がふわりとなびく後ろ姿が目の前にあった。
「ぜ、善」
いつやってきたのか、そこには善が毅然とした姿勢で、黒い騎士と対峙していた。
「……なかなか珍しいハザードだな」
どうやったのか分からないが、突進してきた黒い騎士の剣を足で地面に叩きつけた善は、淡々と喋りながらも、人型のハザードをジロジロと観察する。
「……ぜ……ぜ…ぜ、だと?」
すると、黒い騎士に変化が起きる。彼は突然剣を下げ、後方へとさがり、待機させていたドラゴンに飛び乗った。
善に恐れを覚えたのか、はたまたほかの理由があるのか分からないが、黒い騎士はそのまま、多くのハザード達と共に、上空へ去って行った。
「どういうことだ。随分、あっけない」
追撃するわけでもなく、退避するハザードを見つめていた善は拍子抜けした様子で戦闘姿勢を解いた。
「リオを守らなくてはならない護衛が自分から死のうとしてどうする」
完全にハザードの気配が消えると、善はギロリとレイスを睨みつける。
弁解をしようとも思ったレイスだが、薬の切れた体力は既に限界にあり、そのまま倒れ込んだ。
「レイス!」
薄れている意識のなかでリオの叫ぶ声が聞こえ、善がそんな彼を悲しげな目で見つめているのが見えた気がした。
リオを守ることが出来て良かった。今日最大の危機は去ったのだと、レイスはそれだけを胸に抱え、意識を飛ばした。




