感覚は“分析”しなくていい&説明は優しさじゃない
◽︎感覚は“分析”しなくていい
小説を書いていると、キャラクターが勝手に動く瞬間がある。
例えば、ここは断定で言い切りたいの。とか。
そんなとき、キャラクターの感情は“分析”しなくていい。
感じていることは、そのまま滲ませる。そのキャラがする。と思った行動は、キャラクターを生かす。やらせてあげるといい。
そこに、なぜこのキャラクターはこう思ったのかという作者のノイズが入ると、没入が薄れ、作者の感覚が混ざる。
キャラクターと作者は、同一人物じゃない。だから滲んだ感情は、そのまま拾ってあげる。結構合ってる、と思うよ?
分析は、あとからいくらでもできる。
書いている最中くらいは、
感じたまま、行かせてあげてもいい。
◽︎説明は優しさじゃない
説明っていうのは、定義すること。読書は想像すること。
作者に必要なのは、読者の感情の方向を示してあげること。
そっと指差すくらいでいい。手を引いてあげなくても、読者は導かれていく。
説明の定義は強く言えば、作者の感覚を押し付けてしまう。
同じ感覚を共有してもらうにはいいかもしれない。
でも、私は読者を信じて、道だけ示す方が、ずっと読者と作者の信頼感を高めると思う。
そして読者は、自分で噛み締めて、自分ごととして解釈する。
へー、綺麗なお話だった。
より、なんかすごいよくわかんないけど、胸に来た。
こっちの方が覚えてもらえる気がする。




