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第88話

第88話


「ふふん~」


鼻歌まじりに、村の中をぶらぶら歩き回る。

今、俺の首から下がっているのは、例のGanonカメラだ。


ここに来る前、車で移動しながら何枚か撮ってはいたが、ほとんどは風景写真ばかり。

村の写真はまだ撮れていない。


カシャ、カシャ。


この状況をどうするべきか考えつつ、気分転換も兼ねて村を見て回り、あちこち撮っていった。

崩れた瓦礫、悲しむ人々、それでも遊ぶ子供たち。

片隅に並ぶ墓石と、祈りを捧げる人々。


戦争後の村を訪れたようで、心が痛む。


村の入口から広場を見渡し、全景を一枚収めた。


「もう一度会いたいんだが…」


人の言葉を話せるオーク。

特に敵対的なようでもなく、言葉が通じるなら、話し合い次第で――血を見ずに、この状況を収められるかもしれない。

だが、あのオークが俺の話を聞いてくれるとは思えない。

オークの村に何かあるらしいが、確かめようがない。

もどかしい。


「ブイ~」


村の入口付近に三脚を立て、カメラを固定してタイマーをセット。所定の位置まで歩いていって、Vサインで笑ってみせた。

数秒後、カシャッというシャッター音が鳴った。


「完全に…失敗したな。」


元の世界では、写真を撮るという行為はあまりしなかった。

せいぜい報告書の写真を何枚か撮ったり、会社でワークショップに行けば他の人たちに混ざって何枚か撮る程度だった。

だからカメラの扱いに慣れていない。


今撮った写真がそれを物語っている。


正面に立ったつもりだったのに、俺は画面の右端に豆粒みたいに写っていて、ほとんど村の風景写真になっていた。

撮り直しても似たようなものだ。

一枚は中央に収まったが下半身が切れていて、別の一枚は顔がでかすぎて、背景が目に入らない。


完璧な一枚を撮りたいのに、思うようにいかなくて、ただただもどかしい。


「フレイアに頼もうか…でもあいつ、部屋に入ってから出てこないのを見ると、寝てるみたいだし…」


写真のために寝ている人を起こすのも気が引けて、ひとまずは一人でもう何枚か撮ってみることにして、三脚を抱えて場所を変え、今度は森を背にする角度に据えた。

いっそまともに撮れないなら、森を背景にしたほうがまだマシだ。

あとでこの騒動を思い出すとき、ネタにはなるだろう。


「さあ、それじゃあ…」


タイマーをセットし、森を背景にしてもう一枚撮った。

森を背にすると妙に不気味だが、まさか幽霊でも出――…


「写った…!」


瞬間、驚いて大声で叫んだ。


「な…なんだ…?」


森を背景にした写真。

ぎこちない笑顔でVサインを作る俺の背後に、何か人間型のような感じのものが写っている。


「ま…まさか幽霊…?」


ちなみに俺は幽霊を怖がらない。

幽霊はいないと信じてはいるが、いたとしてもどうせ人に害を及ぼすことのできない無形の何かだ。

そんなものが人に害を与えるとしても、たかが知れている。

せいぜい物を一つ落としたり、動かしたりするくらいだろう。


そもそも実際に幽霊が存在するなら、世の中は牛や豚、鶏の幽霊で溢れかえっているはずだ。

それどころか、今まで死んでいった生き物の幽霊だっているはずで、なら恐竜の幽霊がいてもおかしくない。

牛、鶏、豚の幽霊を見たという霊能力者は見たことがあっても、ティラノサウルスの幽霊を見たという霊能力者は見たことがない。


この世界でも事情は同じだろう――そう思っていた。

だが、この世界は俺が住んでいた世界とは根本的に違う世界だ。

技術の代わりに魔法が発展した世界。

そんな世界なら、もしかしたら幽霊がいるかも…?

ましてやここは今、オークたちのせいで死んだ人がいる村だ。

いても、おかしくは――


「なわけあるか。幽霊なんているわけがない。」


そう言いながら振り返ろうとして、首がうまく回らなかった。

ごくりと唾を飲み、ゆっくり首を回して背後を確かめる。


そして、その場にあるのは他ならぬ…


「だよな。」


――何もない。

そこにあったのは、ただの空気だけだ。

やっぱりな、幽霊なんているはずがないからな。


となると、写ったのは“生き物”だ。

つまり――


「もっと問題だということか…」


幽霊ではないことが分かったので、あとは、あれが何なのか確かめるだけだ。

あの形は、確かに人間と似た形だ。

この周辺で人間型のモンスターといえばオーク。


もしこの物体がオークなら良くない。

攻撃するタイミングを計るために偵察に来た可能性もあるからだ。


逃げられる前に、素早くマップを開いた。

赤・黄・緑の点がいくつも動いている。

村にいる緑色の点は、おそらく村人たち。

黄色は獣が行ったり来たりしている。

赤い点は、おそらく…


「オーク…」


カメラをしまい、インベントリから拳銃を取り出して握りしめ、赤い点が動く場所へと走った。

近づけば近づくほど心臓が高鳴る。

マップのおかげで不意打ちを受ける心配はないが、油断すればやられて、そのまま餌として連れ去られかねない。


荒い息を整えながら、赤点の場所へ辿り着く。

そこにいるのは。


「…?」


両方の額に角が生えている。

片方は半分ほど折れた状態。

首より少し上まで伸びた銀色のショートヘア。両眼は赤紫の瞳。

青白いほどの肌をした、幼い子供。

誰かに拷問でもされたのか、口は糸で縫われている。


腕にはフリル付きのアームバンド。服も青系のフリル付きワンピース――そんな格好の少女だ。

胸に、体ほどもあるテディベアを抱えている。


ぱっちりとした瞳。

何も知らない子みたいに、じっと俺を見つめて立っていた。


「あの、お嬢ちゃん?」


俺の声が聞こえると、子供が首をかしげる。

やがて、甲高い女の子の声がどこからか響いた。


「間抜けな人間!私たちをつけてくるなんて、死にたくてたまらないみたいね?!」


声が聞こえてくる場所は、女の子の口ではない。

声の主は――少女が抱えているテディベアだった。


シロクマを思わせる、白くて可愛いテディベア。

こうして持ち歩いていればあちこち汚れそうなものだが、テディベアの体はまるで買ったばかりの新品の人形のように…いや、新品以上に白く、汚れひとつない。

妙なのは、手榴弾のピンみたいなものが頭を貫いていることくらいだ。


「……人形が、喋った?」

「人形?!誰が人形だっていうのよ?!ああん?!こいつ、死にたいのか?!」


人形という言葉に腹が立ったのか、テディベアの声が激昂する。

だが表情が変わることもなく、何か行動するわけでもない。

ただ声だけが人形の口から流れ出てくるだけだ。


「あの、お嬢ちゃん。その人形は捨てた方がいいと思うけど…」


元の世界にも、似たようなのはあった。

あらかじめ声を録音して腹を押すと声が出るようになる、そんな人形。

おそらく人々の反応を予想した後に声を録音したのではないかと思う。

そもそも、この世界に“録音”なんて概念があるのか?

……いや、あるから作れるのか。


「うぅっー!」


俺の言葉に子供が眉をひそめ、体を回してテディベアをぎゅっと抱きしめる。

すると、テディベアの口から笑い声が飛び出す。


「クハハッ!フェリシーはお前が嫌いだってさ!」

「フェリシー?」

「そう!フェリシーはこの子――ぐえっ!」


テディベアが名前を言うや否や、フェリシーと呼ばれた子が、ぬいぐるみの首をぎゅっと締め上げる。

すると、テディベアがゲホゲホ言い始める。

穏やかな顔のままなのに、声だけが咳き込む。そのギャップがひどく気味悪い。


「お嬢ちゃん、君の名前がフェリシーなの?」


フェリシーと名前を呼ぶと、女の子が再び俺を見つめる。

背筋がひんやりして、一歩後ろに下がって拳銃を構えた。


「お前…お前は何だ?」


あのテディベアも奇妙なテディベアではあるが、あの子…あの子は普通の子ではない。


「クハハッ!あの人間見てみろよ!完全にビビってるじゃないか!」


テディベアがケラケラと笑う。


普段ならビビってないと言い返しただろう。

だが今はそんな言葉を相手にしている時間はない。

ここで逃げるか、それともこのまま戦うか。

決めなければならない。


「何をそんなに考え込んでいるのかな、人間さん?」


そう言って、少女に引かれるように、テディベアが前へ出た。


「考えるまでもない。どうせ食われるんだけどな?」


その言葉を最後に、テディベアの頭に刺さったピンが独りでに抜ける。


ピンッ。


手榴弾のピンが抜けるような軽快な音と共に、テディベアの姿が変わり始める。

まるで生き物みたいに蠢きながら、だんだん巨大になり始めるテディベアは、ほどなくして真の姿を現した。


白かった毛は消え、全身が真っ黒な毛に変わる。

糸で縫われた目。

体に不釣り合いなほどでかい前脚を持つ、グリズリー。


そいつが目の前に現れ、口を開けて鋭い牙を剥き出しにした。


グォオオオ―!


熊特有の咆哮が森に響き渡る。

人生で初めて目にする“熊”の姿。

あまりの急展開に、体が凍りついた。


よだれをぼたぼたと垂らしながら近づいてくる熊。

目前まで迫ったそいつが前脚を振り上げる。

そしてその前足が俺に向かって飛んでくる。


動かなければ死ぬ。

動かなければ死ぬ。

動かなければ死ぬ…


ボウッ。


ドォン―!


火球がひとつ、俺の頬をかすめて熊に叩きつけられた。

ゆっくり振り返ると――


「フ…フレイア…?」


フレイアが手を伸ばしたまま、熊を睨みつけている。


「何してるのよ?!死ぬために森に入ってきたわけ?!」


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