第8話
「うぅ……はぁ……」と、早朝に伸びをしながら体を起こした。
電気ケトルで湯を沸かしコーヒーを淹れた後、駆け寄ってきたハルを抱きしめ、外の椅子に座って湖を眺めながらコーヒーを飲む。
それはもう完璧に確立された朝のルーティンだった。しかし今日からは、このルーティンにもう一つ加える必要がある。
「よし……」
俺は今、頭に麦わら帽子を被っている。
両手には鋤と鍬を、登山服だった服装は、赤いチェック柄のネルシャツの上に、サスペンダー付きのズボンを穿いた姿へと変わっていた。
そうだ。
今日から農業をするつもりだ。
こんな記念すべき日に、俺が植えるのは、そう、ジャガイモだ。
コンビ∞から芽が出たジャガイモが入った籠を取り出して置いた。ハルは鼻を近づけてクンクンと匂いを嗅ぎ、気にせず畑の中に入ってあちこち走り回っていた。
「まさに農業日和だな」
温かい日差しが降り注ぐ天気。
こんな天気にジャガイモを植えれば、きっとよく育つだろう。
サク、サク。
様々な作物はあれど、俺がジャガイモを選んだ理由がある。
それは、ジャガイモが荒れ地でも育つ救荒作物であるということだ。
だからジャガイモは、農業初心者でも育てやすい植物トップ10には常に欠かせないものとして入っている。
サク、サク。
何しろ俺も農業は初めてなので、完璧な初心者だ。
まずはジャガイモを皮切りに、他の作物も育ててみるつもりだ。
カツ、カツ、カツ。
鋤で選り分けた石を湖に投げ入れ、鍬で土を掘り、半分に切った種芋を土に植える作業を繰り返す。
「うう……腰が……」
朝から昼になった今まで、一度も腰を伸ばせずに種芋ばかり植えていたら、腰が痛くなった。
その場に立ち上がり、伸びをしながら畑の外に出て見て回った。
「まだ半分も終わってないな……」
かなりやったつもりだったが、まだ俺が定めた区画の半分にも満たない状態。それほど広くないと思っていたのだが、どうやら俺は農業をあまりにも過小評価していたようだ。
「昼も過ぎたし、少し休むか……」
ワン!
畑で転がりながら遊んでいたハルが外に駆け出してきて、頭を振って体を震わせた。
もう一ヶ月は経っただろうか。
メガンさんにシャンプーを配達しに行った時を除いて、街には入っていないのだから。
だから今回は、ハンスさんやラティアさんに会いに行くついでに、街で食事をしようと思う。
「(あの時みたいに食中毒にはならないだろうな……?)」
以前、村で美味しく食事をした翌日、一日中トイレにこもりきりだった記憶があるので少し不安はあるが……大きな問題はないだろう。
まあ、農業を始めようとしている今となっては、むしろ好都合かもしれない。天然肥料ができるのだからな。
***
人で賑わう街。
宿屋を訪れてハンスさんと挨拶を交わした俺は、現在、商人ギルドの前に立っている。
「いつ来ても驚かされるな」
いつ見ても胸が高鳴る、商人ギルドの圧倒的な大きさだ。
扉を開けて中に入ると、チリンチリンという音が俺を出迎える。同時に、
「くそっ……くそっ!」
と、涙をこらえながら悪態をつく一人の男の声が聞こえた。
声が聞こえる方向を見ると、一人の男が他の商人たちに囲まれている。
「どうしたんだ?」
着ていた服は破れ、顔や体には傷だらけだ。
ここにいる商人たちが嫌がらせをしているのかという合理的な疑念も頭をよぎったが、彼の体にできた引っかき傷を見て、これが人間によるものではないと悟った。
「ラティアさん」
「あ、優司さん!」
カウンターに近づくと、ラティアさんが手招きして俺を呼んだ。
「一体どうしたんですか?」
「優司さん、聞きました?その噂?」
「噂?」
俺が首をかしげると、ラティアさんは周囲の様子を伺うと、口元を覆って小さな声で囁いた。
「最近、街の周りに凶暴な獣が現れているらしいんです」
「凶暴な獣ですか?」
「ええ!あそこにいらっしゃる方も、その獣に追いかけられて荷物も馬車も全て失って、かろうじて命だけは助かったそうですよ」
「ああ……」
だからあんなに傷だらけの状態で戻ってきて泣いているのだろう。
商人にとって馬車と荷物は全財産と言えるもので、それが自然の摂理によって全て奪われてしまったのだから。
しかし、ここで一つ重要な事実がある。
「(街の外で現れるということは……俺のところにも来る可能性があるってことじゃないか?)」
俺は今、街の中ではなく、街の外で暮らしている。
それはつまり、その獣が俺が住むログハウスまで来る可能性があるということだ。馬車を襲ったのを見るに、人の匂いを恐れないやつだ。夜中に匂いを嗅ぎつけてログハウスにでも来られた日には、俺は抵抗もできずにそいつに食い殺されてしまうだろう。
「その獣、どこで発見されたんですか?」
「多分……東の森の通り道でしょう」
「東の森の通り道?」
「以前見た方は、南で見たと言っていましたね」
「(じゃあ、今度は北の番じゃないのか……?)」
俺が住んでいるのは、まさに北の森だ。南から東へ来たとすれば、今度は北へ来る可能性が高い。
「どんな姿をしているんですか?」
「聞くところによると、斧で打ちつけたような大きな目に、オレンジ色の毛の上に黒い縞模様があり、鋭い牙と爪は一度振るえば馬まで即死させるとか。何より……」
ラティアさんが両手を上げて、今にも飛びかかってきそうな姿勢を取り、恐ろしい表情で叫んだ。
「ガオーと鳴くその獣の鳴き声は、まるで雷鳴のような音だそうですよ!」
そして、俺の隣に座っていたハルに向かって、もう一度「ガオー」と叫んだ。
すると、ハルは俺の後ろに隠れて、ワンワンと吠えた。
彼女が言った獣。
俺は知っている。
「(トラじゃないのか?)」
黒い縞模様に鋭い牙と爪。
何より「ガオー」という鳴き声。
これは間違いなくトラだ。
「(これは……一筋縄ではいかないぞ……)」
イノシシのようなやつは、それでも前に突進してくるだけの相手なので、ボウガンで仕留めるのに大きな無理はなかった。
だがトラは違う。速いのはもちろんのこと、猫科の獣らしく方向転換も優れており、一度視界に入れば逃げ切ることはできない。
「もし優司さんも街の外に出ることがあったら、必ず武器を持って行くか、傭兵を雇って行ってくださいね!本当に危険ですから!」
「ええ、心に留めておきます」
ラティアさんが微笑んで頷いた。
「ところで優司さん。ギルドには何かご用ですか?」
「色々やることが多くて、ずいぶん長い間ラティアさんにお会いできませんでしたから」
「私の顔を見に来てくださったんですか?」
「ええ。街に来たついでにご挨拶でもと思いまして」
俺の言葉を聞いたラティアさんが、カウンターから出てきて俺の脇腹を肘でツンツンと突いた。
「優司さん!淑女にそんなこと言ったら勘違いされちゃいますよ」
「そうですか?」
「そうですよ!」
どこに誤解の余地があるのか、俺にはよく分からなかった。
「では、俺はこれで失礼します」
「え、もう行かれるんですか?」
「お仕事でお忙しいでしょうし、邪魔するわけにもいきませんから。それに、俺も昼食を取りに行かないといけませんからね」
「じゃあ、一緒に……!」
「コホン」
ラティアさんが俺について来ようとすると、誰かが彼女の襟首を掴んだ。
赤い長い髪を後ろで束ねた女性。
赤いレザーベストとぴったりとした綿のズボンを穿いた女性が、目を見開いてラティアさんを睨みつけている。
「うぐ……テニ……」
「ラティア、どこへ行くつもり?」
「放して!遊びに行くのよ!」
「絶対ダメ」
赤髪の女性がラティアさんを連れてカウンターの中へ入っていく。
「優司さん!助けてください!優司さん!」
赤髪の女性が目を見開いて俺を睨みつけているのを見ると、これ以上関わらない方がよさそうだ。
「じゃあ、また今度……さあ、行こう、ハル」
ワン!
俺はラティアさんに向かって手を振って挨拶し、素早く扉を開けたまま外へ歩いていった。
***
ハルと一緒に食事を終え、俺は街の広場の椅子に座ってコンビ∞を起動し、中を覗き込んだ。
「(ボウガンではやはり無理そうだな……)」
他の獣ならボウガンで対処するだろうが、トラは一発でもミスをすれば致命的な傷を負いかねない相手だ。
もっと強力な武器が必要だ。俺が知っている武器の中で、トラを容易に仕留められる武器は一つしかない。
それは、銃だ。
「値段はそれほど高くないんだが……」
俺が持っている金なら、ショットガンや短機関銃だけでなく、各種の銃弾までたくさん買える。
だが、この「銃」というものは、彼らにとっては新文明の産物だ。もし俺が使った銃を見て誰かが関心を持ち、俺を調べ始めでもしたら、かなり面倒なことになるだろう。
購入ボタンを押すかどうか指をカタカタと動かしていたが、結局押さずにウィンドウを閉じた。
「北に来ない可能性だってあるじゃないか」
南で発見されて以来、東の通り道で再び発見されたとは言え、次が北の森だというのはあくまで俺の予想に過ぎない。
東の森から方向を変えて遠くへ移動する可能性だってある。様々なケースがあるのだから、銃を購入するのはまだ早計な判断かもしれない。
「(だが、本当に北の森に来たら……)」
再びコンビ∞を起動した俺は、火器のリストを眺めて悩んだ。
「うう……ああ、もうどうにでもなれ!」
森の中で一人で暮らすということは、俺を守ってくれる防護壁が存在しないことを意味する。
人間が暮らしている以上、いくら隠そうとしても匂いはするだろうし、その匂いはきっと森を徘徊するトラにまで届くはずだ。
ピン——
拳銃一丁くらいなら、多分大丈夫じゃないか。
カチャ。
ここで確認したら、他の人々の注目を集めてしまうだろう。
薬室とマガジンを満たすため、9mmの拳銃弾まで買った俺は、拳銃と一緒にインベントリにしまい込み、その場を立ち家路についた。




