第79話
第79話
明るい日差しがムルバス全体を明るく照らす。
木々には新芽が芽吹き、村の花壇では花々が蕾をつけ、もうすぐ訪れる開花の時期を待っている。
「今日、本当に良い天気ですね!」
「そうですね…」
早朝から外に出て村を見物するのは、本当に、本当に…
「(疲れた…)」
昨日、トゥスカードギルドでルアナさんに携帯電話の使い方を教えた。
最初はすんなり理解しているように見えたのだが…
どうやら、ただ理解できなくても「はい、はい」と返事をしていただけだったらしい。
そうして理解できない人に文字を教えるように一つ、一つと教えているうちに、屋敷に戻ったのは月さえも沈んだ深夜だった。
そうだ。
今、俺はせいぜい四時間しか眠れていない。
「はぁ〜あ…」
二十代前半の頃は、四時間睡眠で勉強もしたし、ゲームもした。
だが、仕事を始め、残業と徹夜を繰り返し、睡眠時間が不規則になるうちに、体がひどく重くなった。
もしこの世界に来たばかりの頃の体だったら、今頃は歩きながら寝ていたかもしれない。
「とてもお疲れのようですね?」
ヘメラが心配そうな顔で俺を見つめる。
「大丈夫ですよ。このくらいは。」
今朝、ヘメラは俺と村を回るのを相当楽しみにしていたのか、朝早くから直接起こしに来た。
あれほど楽しみにしている人をがっかりさせるわけにはいかない。
「では、最初はどこへ行くのですか?」
「ご心配なく!私が優司様のために、計画を全部立てておきましたから!」
かなりの自信を感じるが、何だか少し不安だ。
せめて一日中はやめてほしいんだが…
少なくとも半日だけで…
***
ムルバスツアーは、思ったより悪くなかった。
最初の目的地は中央広場の市場。
ジェルノータよりは確かに小さい広場ではあるが、発展途上の村らしく、思ったより多くの商人が店を構えて商売をしていた。
広場に広げられた露店を回りながら、パンやフルーツの串焼き、クレープやマカロンのような甘いお菓子も買って食べながら歩き回った。
そして一時間ほど経った後、次にヘメラが案内したのは、露店ではなく正式に店を構えた商店街だった。
おおむね木造の建物で建てられた商店街は、ジェルノータとは少し違う雰囲気を醸し出していた。
大都市らしく多くの人々が行き交い、あちこちで客引きをする人々が見られたジェルノータとは違い、ムルバスの商店街は静かだった。
通りを歩く人はかなり多かったが、彼らに客引きをする人は見当たらなかった。
そうして歩いているうちに到着した雑貨店。
中には様々な道具や彫刻品、その他にも色々な魔法道具もあった。
そこで、俺はヘメラに一つ買ってあげた。
小さなビーズで編まれた腕輪で、保護の腕輪だとか何とか。
着用者が攻撃を受けると、一回だけ防御魔法が展開されるという。
初めて会った時のように怪我をしないでほしいという気持ちで買ってあげたのだが…
「ふふん~」
俺がプレゼントしたのが相当嬉しいのか、雑貨店を出てからずっと鼻歌を口ずさんでいる。
「さあ、では次の場所へ参りましょう~?」
「次はどこですか?」
「次は~、洋服店です~!」
「洋服店…」
雑貨店でもかなり長く見て回ったのに、洋服店となれば、しばらくは…
「ん?」
道を歩いていた俺の目に留まる一つの店。
看板もなく、かといって外に商品を置いて販売しているわけでもない。
だが、入り口の方にはかなり多くの馬車がある。
そして、その馬車に乗っているのは…人だ。
「優司様?」
「ヘメラさん。あの店は…」
俺が指差すと、ヘメラが俺が指した方へ視線を向けて見つめる。
「あ~、あそこは奴隷商ですよ。」
「奴隷商…?」
「はい。各地で奴隷になった人々を連れてきて、販売する場所です。」
「ジェルノータでは見かけませんでしたが…ムルバスにあるとは…」
「ジェルノータにないですって?いいえ。ジェルノータにもありますよ。」
「(ジェルノータにもあるのか…?)」
今までジェルノータの近くで暮らし、ジェルノータを出入りしながら、奴隷商のような店は見たことがなかった。
なのに、ジェルノータにもあったとは…
「ネルガンティアは奴隷制が許された国ですから。都市で見かけなかったのは…おそらく、隠れているからでしょうね。何しろ、奴隷を買うのは大抵、貴族か冒険者たちだけですから。他の民が見て、あまり気分の良い店ではありませんし。」
「冒険者も…奴隷を買うのですか?」
「はい。奴隷というのは、色々と使い道が多いですから。ダンジョンで荷物持ちとして使ったり、自分の身代わりの捨て駒として使ったり、時には欲求のはけ口のために買ったりもしますから。」
瞬間、背筋がぞっとした。
今まで奴隷を見たのは、ジェルノータの外でモルモス国家商業ギルドに売られた奴隷たちだけだった。
せいぜい、昔の農奴のように地主に収穫した穀物を納める程度で終わるものだと思っていたが、どうやらかなりひどい目に遭う奴隷もいるようだ。
「(郷に入っては郷に従え、とは言うが…)」
何であれ、こんな光景を見るのは、あまり愉快な気分ではない。
「優司様、一度見物してみますか?」
「え?」
「私にこの魔法道具も買ってくださったのですから、私もプレゼントを一つ差し上げますわ!」
「いえ、大丈夫…」
「ご遠慮なさらないでください!」
ヘメラが俺の手を掴み、奴隷商へと引っぱっていく。
今、この光景。
かなり現実離れした感じがする。
人を物のように買ってプレゼントする?
少し認知不協和が起きるような感覚だ。
だが、慣れなければならない。
そうしてこそ、この世界で生きていけるのだから。
***
チリン、と聞き慣れたベルの音が、扉を開けるや否や聞こえる。
「いらっしゃいませ。」
真っ白な髪を後ろに流し、目と口元には皺が、鼻の下から伸びた髭を綺麗に整えて上に巻いた、若い男性の身体のように見える頑丈な体つきの老年の男性が、俺たちに挨拶する。
建物の内部は、外部とは違ってかなり綺麗だった。
床には角に沿って金糸が刺繍された絨毯が、頭上にはシャンデリアに埋め込まれた魔石のようなものから光が放たれている。
「お久しぶりですわ、テス。」
「おお、この美しいご婦人はどなたかと思えば、ホーランド家のヘメラお嬢様ではございませんか?」
その言葉に気分が良くなったのか、胸を張ったヘメラがカウンターに向かってカツカツと歩いていく。
「実に十年ぶりでございますな。お嬢様が自らお越しになるのは。」
「もう、そんなになりますの?」
「はい。私が最後にお目にかかった時が、このように…」
テスさんは、手のひらを自分の太ももの下あたりに当てて、言葉を続けた。
「小さかった頃でございました。その頃は、何と可愛らしかったことか。この老いぼれの口元から、笑みが絶えませんでしたぞ。」
「今も可愛いのは同じですわ。」
「今は可愛らしい上に、美しくさえあられるので、このテス、目のやり場に困ってしまいます。」
お世辞の腕前が尋常ではない。
もし俺が会社でこんな人物と取引をしなければならなかったら、おそらく俺は彼の巧みな話術に惑わされ、不公正な契約を結んでしまったのではないかと思うほどだ。
「ところで、後ろにいらっしゃる方は…」
「あ、この方は…」
ヘメラが恥ずかしそうに腕輪を見せる。
「ふむ…?」
「私にこの贈り物をくださった方よ。」
何か勘違いを招きそうな言葉に、テスさんは本当に勘違いしたのか、驚いた表情を浮かべ、やがて満足そうに見つめる。
「さようでございましたか。お二人は大変お似合いだと思っておりましたが…」
これを訂正すべきか、それとも訂正しないべきか。
ひどく悩む。
「それで、この方へのお返しに、贈り物を一つしようと思うのだけど、何か良い品物は入っている?」
「今朝、かなり良い品々が入荷いたしました。一度ご覧になりながら、お選びになってはいかがでしょう、ヘメラ様。」
「では、案内をお願いするわ~」
カウンターにいたテスさんが外に出てきて廊下を歩き、ヘメラが俺の腕に腕を組んだ。
「さあ、見物しましょう、優司様!」
生きている生命体を、品物を見物するように見に行くとは。
心の中で、かなりの違和感を覚える。
「(すぐに慣れるだろう…)」
***
カウンターの近くにある扉を開けて入ること数分。
広い空間に出た。
だが今、この光景は俺が考えていた奴隷商内部の姿とは、かなり違うものだった。
どういう構造になっているのか分からないほど広い空間。
その広い空間には、それぞれ部屋が一つずつある。
その部屋の扉には鍵がかかっており、扉の周りは中が透けて見えるほど透明なガラスでできていて、内部が全て見える。
内部は、綺麗な貴族の書斎のようになっている。
壁面には本が挿さっている本棚があり、近くには羽ペンと共にインク、羊皮紙が置かれている。
部屋の一角にはソファがあり、ソファの前には小さなティーテーブルと共に、暖炉で薪がパチパチと音を立てて燃えている。
「う~ん、誰がいいかしら~?」
ヘメラがガラスに顔を近づけ、内部を観察する
一つ、一つと見て回っていると、奇妙な点が目に入った。
奴隷の中で、誰一人として俺たちに関心を持つ者がいない。
まるで見えていないかのように、自分の仕事を続けたり、ぼんやりと座っているだけだ。
「どうして、何の反応もないんだ…?」
「それは、この部屋の反対側からは外部が見えないようになっているからでございます。」
俺の独り言に、テスさんが答える。
「反対側が見えないのですか?」
「はい。外から見れば内部がこのように見えるガラス張りですが…内部から見れば真っ黒な壁に見えます。」
「真っ黒な壁…」
「はい。多くのお客様がお越しになる分、お客様の個人情報もまた重要ですので。売られていった奴隷が、奴隷商に来たお客様について話して回ることがないように、それを防ぐために施した措置でございます。」
「ああ…」
じっと中にいる人々を見つめた。
自分の人生を諦めたかのように虚空を見つめたり、壁をじっと見つめている姿。
いつか一度、似たような場所に行ったことがあるような既視感を覚える。
そうしてじっと考えていると、思い浮かんだ一つの場所。
「ペットショップ…」
元の世界で一度、ペットを飼ってみたくてペットショップに行ったことがあった。
その時、店内に入ってみると、全ての動物たちが壁面にある、地下鉄の小さなロッカーのような感じの透明な空間の中に、皆座っていたり、壁に前足をかけて人を見つめながら尻尾を振っていたりした。
今の光景は、まさにそんな感じだ。
もし人間がペットになったとしたら、こんな感じではないだろうか、と思えるほどの光景である。




