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第59話

第59話


ルアナが向かった先は、ジェルノータにある聖堂だった。

ネルガンティアの国教、愛と慈愛の神ロベトスを祀る聖堂、聖リアント聖堂。

ルアナは聖堂の入り口にずんずんと歩いて行くと、一人の修道女を見て言った。


「ここにティルカラはいる?」


だしぬけに尋ねてくる彼女を見て、修道女はわずかに眉をひそめたが、かけている眼鏡を中指で押し上げながら微笑んだ。


「ティルカラ様は現在、面会を予約された方でなければお会いすることが…」

「ティルカラ!」


聖堂の中にルアナの声が響き渡る。


「ティルカラ、いるんでしょ?!」


周りで祈りを捧げていた信者たちが眉をひそめて彼らを見つめるが、ルアナは意にも介さず、さらに中へと入りながら叫び続ける。

それはルアナだけではなかった。


「ティルカラ!さっさと出てきた方がいいわよ!」


一緒に来たモルガナも同じだった。

二人は聖堂の祈祷室の内部をあちこち見回しながら叫んだ。

そして聖堂のさらに奥へ入ろうとする気配を見せると、扉を開けて誰かが外に出てきた。


「もう、そっとしておいてはくれないか?」


金色の長い髪。

聖堂の司祭というよりは、聖堂から金を奪いに来た山賊のような、司祭服がはち切れそうなほど分厚い筋肉と巨体。

夜空よりは少し薄い真っ青な瞳と、口元に山賊のように生い茂った髭。


服装を除けば、聖堂とは全くかけ離れた男が、眉間に深くしわを寄せたまま彼らを睨みつけた。


「久しぶりね、ティルカラ。」

「黙れ、尻軽女。それとチビ。」

「尻軽だなんて、ひどいじゃない~まだ中古にもなってない新品なのに。」

「その歳で自慢か、自慢だな。男と付き合いながら静かに商団でも運営するって言ってた女が、ここには何しに来たんだ?」


司祭らしからぬ、かなり荒々しい言葉が彼の口から出たにもかかわらず、二人は平然とした様子で肩をすくめた。


「ちょっとお願いがあって来たのよ。」

「ハッ!またくだらないお願いだろうな。」


そう言うと、彼は再び部屋の方へ入ろうとした。


「お願いがあるなら、冒険者ギルドに行って依頼しろ。信者がいる聖堂に来て騒ぎ立てるな。」


チャリン、チャリン―


金貨の音が聞こえると、ティルカラの手が止まった。


「こんな大きな聖堂を維持するのって、お金がかなりかかるんじゃない?献金は十分にするからさ。」


その言葉に、ティルカラは視線を回してルアナを虫唾が走るといった様子で見つめると、深いため息をついて頭を掻いた。


「とりあえず、入れ。リリアナ!」

「は、はい!」

「こいつらと少し話があるから、部屋には誰も入れるな。」

「は…承知いたしました、ティルカラ司祭様!」


ティルカラの後について部屋に入ってきた5人。

ティルカラは彼らの前に湯呑みを一つずつ置き、茶を注いだ。


「飲め。」

「ありがとう~」


ルアナが茶を一口飲んだ。

ほろ苦い緑茶の味が口いっぱいに広がる。


「やっぱり、お茶だけは淹れるのが上手いわね。」

「フン、この程度、何でもないわ。私が淹れる紅茶の味は、もっと格別よ。」


ルアナがティルカラを褒めると、モルガナが鼻を鳴らして呟いた。


「お前らと話す気は毛頭ないから、本題に入れ。」

「ひどいわね~それでも、以前は背中を預けて共に戦った戦友じゃない。」

「戦友?ハッ!戦友ねぇ。よく言ったもんだ。お前らのせいで俺が死にかけたことが何回あったと思ってる?4年間で合計768回だ、768回!」

「そ…それを数えてたの?」

「ケチな奴…」

「ケチだと?ケチだと?!」


ティルカラが目をむいて叫ぶ。


「強いモンスターの前に餌として投げ出される気持ちが、お前らに分かるか?!俺が自分から行ったわけでもなく、無理やり背中を押されて行ったあの気持ちが、お前らに分かるかってんだ?!」

「そ…それでも、生きてこうして司祭までやってるじゃない。違う?」

「お前らとパーティーを組んでなかったら、とっくに主教まで上り詰めて贅沢三昧に暮らしてたよ、このクソ…」


口から悪態をつこうとしたティルカラが、深呼吸をして怒りを鎮めた。


「あの…」

「なんだ?」


座ったまま様子をうかがっていたターニャが、恐る恐る口を開くと、ティルカラが目を光らせてターニャを睨みつけた。


「その…久しぶりにお会いになって話に花を咲かせるのは良いのですが…先に、お話から聞かせていただけませんか…?」

「話?」

「この子…」


ターニャが慎重に布をめくった。

外に現れる一つの生命体。

それをティルカラが驚いた目で眺め、ルアナに尋ねた。


「お前たち…何をして回ってるんだ?」

「ティルカラ。お願いがあるの。」


先ほどとは違い、ルアナが真剣な表情で言った。


「こいつを、元の姿に戻してほしい。」


ティルカラが乾いた笑いを浮かべ、ルアナに言った。


「モンスターを連れてきておいて、元に戻せだと?」

「ハルはモンスターじゃありません!」


ターニャが席から勢いよく立ち上がり、ティルカラを睨みつけて叫んだ。


「ハルは…ハルは…!」

「犬だよ、おっさん。」

「犬?」


カイルの言葉に、ティルカラが眉をひそめた。


「そうです。ハルは、優司お兄さんが飼っている犬なんです。」


ティルカラは疲れた表情で顔をすっと撫でると、言った。


「ひとまず、話を聞こうか。どうしてこうなったんだ?」



「まったく、大したものだな。」


話を全て聞いたティルカラが、最初に口にした言葉だった。


「大したことだなんて…私たちはそんな大それたことを…」


三人が褒め言葉だと思い、照れながら後頭部を掻くと、ティルカラが呆れた表情でルアナを見て尋ねた。


「元々、こういう奴らなのか?」

「私も知らないわ。会ったのが今朝だから。」

「やれやれ…」


ティルカラはあちこちを見回すハルを見て言った。


「見た目は、ただのモンスターだがな…」

「それでも、一度見てやってくれない?」


ティルカラは目をじっと閉じ、頷いた。


「ひとまず、見てはやる。だが、俺が治せるかどうかは確約できないぞ。」

「それでもいいわ。」

「じゃあ、その前に…」


ティルカラがルアナに手を差し出した。


「何よ?」

「金だ。」

「金?」

「ああ。俺もお前たちのために時間を割くんだ。それなりの費用は貰わないとな。」

「まだ何も…!」

「確認してやるだけでも、金を貰う価値はあると思うがな。もし金を払うのが嫌なら、そのまま帰れ。」


ルアナは舌打ちをした。


「ケチな野郎。」


そう言って、金袋を彼に渡した。


「献金ありがとうございます、尻軽女様?」

「黙れ。」


そう言うと、彼は懐に金袋をしまい込み、咳払いをしてハルに歩み寄った。


「こいつに触れてもいいんだな?」

「たぶん…大丈夫じゃないでしょうか?」

「たぶんってなんだ、たぶんは。」


ティルカラは生命体に向かって、恐る恐る手を伸ばした。

ハルは平然とした様子でじっとティルカラを見つめており、やがて目を閉じたティルカラは、ゆっくりとハルの体をあちこちと触り始めた。


「どれくらいかか…」

「シッ!今は集中しないと。」


ティルカラがルアナの言葉を遮り、引き続きハルの体を触っていたが、しばらくしてゆっくりと目を開けた。


「治せる?」

「治せると…言うべきか…ひとまずは、可能だ。」

「ひとまずは?」

「言うなら、はっきり言いなさいよ、肉壁。」

「黙れ、耄碌エルフのチビアマめ。」

「なっ…?!」

「モルガナ、我慢して、我慢。」


ティルカラが舌打ちをした。


「こいつ、元の姿は犬だと言ったな?」

「ええ。かなり大きな犬だったわ。」

「だとしたら、何かおかしいと思わなかったか?犬だった奴が、なぜ人間の姿をしているのか。」

「おかしいとは、思ってました…」


ハルの元の姿は犬だった。

ならば、モンスター化したとしても、犬科のモンスターになるべきだった。

しかし、今のハルは腕と足だけが犬で、体は人間の形をしていた。


「こいつの体の中には、二種類の身体が混じっている。一つは、レイジドッグというモンスター。」

「レイジドッグ?!」


カイルが驚いてハルを見つめた。

確かに、普通の犬ではないとは思っていた。

しかし、レイジドッグだなんて。


「レイジドッグと言えば…」

「ああ。Sランク冒険者ですら倒すのに苦労するほど、かなり知能が高い奴だ。」


Sランク冒険者は、都市一つをたやすく破壊できる実力を持つため、国家レベルで名簿を管理するほどの冒険者たちだった。

そんな冒険者さえも手こずる超大型モンスター、レイジドッグ。


「でも…こいつは、私たちが知ってるレイジドッグとは、かなり違ったけど?」

「そう言われても、直接見てない俺には分からん。だが、この中には確実にレイジドッグの身体が入っている。」


ルアナは腕を組んだまま、考えに耽った。


「(どうやってレイジドッグを飼いならしたの…?)」


今まで、誰一人としてレイジドッグを飼いならしたという話は聞いたことがなかった。

坂本優司によく懐いているのを見ると、おそらく幼体の時から育ててきたのだろう。

レイジドッグの幼体は、またどこで手に入れたというのか。


「じゃあ、もう一つは何なのよ?」

「もう一つは、人間だ。」

「人間?」

「ああ。どうしてこうなったのかは分からないが、レイジドッグと人間の身体が合わさって、今のこの形になったんだ。」


ダンジョンは危険な場所。

それゆえに、人間の死体は溢れていた。

そんな場所で、人間の死体がないはずはなかった。


「ひとまず可能だ、というのはどういう意味ですか?」


ターニャの言葉に、ティルカラがハルの頭を撫でながら言った。

ブヨブヨした肉塊は気味が悪いはずだが、彼は可哀想な獣を見るかのようにハルを見下ろして言った。


「俺の治癒魔法は、小さな肉片さえあれば元の状態に復元できるというのは、お前たちも知ってるだろ?」

「ええ。」

「その魔法で、二つの肉片が混じった体を治癒したら、どうなると思う?」


その言葉に、三人の表情が驚愕に染まった。


「今よりもっと、恐ろしい姿になるかもしれない。それに、レイジドッグの大きさがどの程度かは、お前たちもよく知ってるだろ。」

「よく知ってるわ…」

「どのくらいなんですか…?」

「都市一つ分の大きさよ。」


ルアナの言葉に、ターニャが目を大きく見開いて見つめた。


「都市一つ分、ですか?」

「以前、メルクロス王国にレイジドッグが現れたことがあったの。その時見たレイジドッグは…都市一つ分の大きさだった。」

「ありえない…!」


アニエスが拳を固く握りしめ、隣にいるハルを見た。

ハルが首をかしげると、アニエスは怯えたように隣の席へ移動した。


「こんな奴を元通りにして、問題でも起こったら俺たちは終わりだ。それに、俺はまだ自分の人生をこんな風に終わりたくはない。」


ティルカラが手を振りながらドアを開けた。


「だから、今回の話はなかったことにしよう。そうすれば俺も生き、お前たちも生き、この都市にいる人々も生きる。」


カイルとアニエスが席から立ち上がった。

それほどのモンスターを蘇らせることはできなかった。

そもそもハルを犬だと思っていたから、今まで助けようと奔走していたのだ。

モンスターだと知ってしまった以上、もはやハルを助ける理由はなくなった。


「ティルカラさん…!」


しかし、ターニャは違った。

拳を固く握りしめたターニャが、ティルカラに言った。


「ハルに治癒魔法を…使ってください。」

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