第53話
第53話
「ジェルノータの冒険者ギルドに来るのは、久しぶりね…」
商人と冒険者。
両者は、切っても切れない関係にあった。
冒険者がモンスターを討伐して持ち帰った素材を、冒険者ギルドに納品する。
そして、その納品された品を商人が買い付け、必要とする人々や鍛冶屋、工房といった加工施設に卸す。
加工施設は素材から製品を作り上げて商人に売り、商人はその製品を再び冒険者や必要とする人々に販売する。
この世界の商業は、そのような仕組みで成り立っていた。
その中でも、冒険者の存在が最も重要だった。
彼らが素材を持ち帰らなければ、商人が他の製造業者に卸すこともできないからだ。
それだけではない。別に必要な品物があれば、商人が直接冒険者に依頼して手に入れることもできた。
もちろん、その分費用は嵩むが、商人たちもやむを得ない状況では、高額な報酬を払ってでも彼らを雇うしかなかった。
チリン、チリン。
軽快なベルの音が鳴り響くと同時に、むせ返るような匂いが鼻をついた。
「(いつ来ても、この匂いには慣れないわね…)」
冒険者は、外で活動する者たちだ。
モンスターを仕留めた後に体を洗っていない者から漂う血の腐った匂いや汗の匂い、そして冒険者ギルド内の食堂から流れてくる刺激的な料理の匂いと、冒険者たちが酒を飲んで吐き出す息が混じり合い、実に不快な悪臭を放っていた。
「いらっしゃいませ!」
カウンターにいた褐色の肌の男が、ルアナを見て笑った。
「ルアナさん、お久しぶりっす!」
「ロカ、久しぶりね。」
ルアナはゆっくりと彼に歩み寄り、挨拶を交わした。
ロカ。
かつてAランクの冒険者だった彼は、ルアナが頻繁に依頼していた冒険者の一人だった。
「商売の方は、うまくいってるんすか?」
「まあ、そこそこよ。冒険者ギルドも最近は人が多いんじゃない?」
「俺たちも、まあ、ぼちぼちっすね。最近は事件も結構ありましたし、色々なことが重なって…」
「色々なことって…?」
「ビッグウッドの出現から、正体不明の赤い月の出現とか。ビッグウッドはともかく、いつまた魔族が現れて赤い月を作り出すか分からないんで、常に備えてるって感じっす。」
「ああ、その話。私も聞いたわ。」
ジェルノータに現れた赤い月に関する話は、トゥスカード商人ギルドのギルド員からも報告を受けていた。
「誰がやったのかは、まだ分かってないんでしょ?」
「ええ。現れた場所で見つかったのは、ヘルブライアン家が発見したっていうあのサーベルタイガーだけでしたから。他には、突然ゴブリンの群れが現れたくらいで…」
ロカは後頭部を掻きながら、深いため息をついた。
「それでも、しばらくあの赤い月は出てきてないんで、幸いっすけどね。」
「そうね。安全が一番よ。」
「それにしても、俺はちょっと寂しいんすよ。」
「寂しいって?」
「はい!ムルバスに行かれてから、どうして一度も顔を見せてくれないんすか?ジェルノータとの取引を完全に断ったわけでもないのに。俺の顔くらい、見に来てくれてもいいじゃないっすか?」
「あんたの顔が、そんなに見る価値あるわけ?」
「わー、分かってないっすね。俺、こう見えても女性冒険者の間じゃ、結構人気あるんすよ!」
「それはあんたの妄想の中でだけでしょ。」
「妄想だなんて…今日一日、見ていきます?女性冒険者が何人声をかけてくるか。」
ルアナはふっと笑って手を振った。
「いいから、もう。ちょっと聞きたいことがあるの。」
「何すか?」
「坂本優司っていう男、知ってる?」
ロカが腕を組んで考え込む。
「坂本優司…さかもと、ゆうじ…」
「この辺りでは見かけない雰囲気の男よ。服装も少し変わってるし、顔立ちも私たちとは少し違うわ。」
「さかもと…あ!あの人のことっすか?」
「あの人?」
「はい。サーベルタイガーを仕留めたっていう、あの人っすよ。」
「サーベルタイガーを…仕留めた?優司が?」
「ええ。だから領主様が、嘘をついたヘルブライアン家を全員処刑したんじゃないっすか。」
「(ヘルブライアン家が処刑された理由って、それだったの…?)」
ヘルブライアン家が処刑されたという知らせは聞いていた。
しかし、その内情までは忙しくて聞いていなかったが、まさか坂本優司が関わっているとは思ってもみなかった。
「大した男じゃないっすか?見た感じ商人みたいでしたけど。冒険者でもない人が、あの恐ろしいサーベルタイガーを仕留めるなんて。最初、あの体つきを見た時は信じられなかったっすよ。」
「それ、確かな情報なの?」
「間違いないっす。城で領主様と謁見したっていう情報もあります。」
「(ジェルノータ領主とも繋がりがあるってわけ…?)」
ルアナが爪を噛んだ。
今まで自分は、そんな男と取引を続けていたというのか。
特に領主との繋がりがあるのなら、絶対に手放してはならない人材だ。
「それで、その男をどうして探してるんすか?」
「あ、それは…もしかして、その男が最近、冒険者ギルドに来たって聞いたんだけど。本当?」
「ええ、本当っす。」
「何しに来たの?」
「それは…」
ロカが深いため息をつき、首を振った。
「個人情報なんで、言えないっす。」
「ちょ…ちょっと、ロカ。私たちの仲で何よ?個人情報ですって?」
「俺たちの仲でも、どうしようもないんすよ。ここで個人情報を漏らしたら、俺が冒険者ギルドから追い出されちまいますから…」
ルアナは歯を食いしばり、気まずそうに笑うと、服のポケットから金袋を取り出し、中から金貨を一枚取り出して置いた。
「これならどう?」
ロカがちらりと金貨を見ると、にやりと笑う。
「うーん…ここに金貨が…」
嬉しそうな顔で金貨をポケットに入れたロカは、咳払いをして言った。
「そんな依頼をされるとは…分かりました!私が、腕利きの冒険者たちをご案内しやす。あそこのテーブル、見えますか?」
ルアナがテーブルの方を見た。
「ターニャ・グランデ、カイル・マス、アニエス・ハロウェルっていう冒険者たちなんですが、あそこへ行って依頼の話をすればいいと思いやす。」
「あ、そう。助かるわ。」
ルアナはすぐに三人がいる方へ歩いて行った。
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「ターニャ、あまり気にしないで。」
「でも…」
ターニャが食卓に置かれたパンを見つめた。
少し前にあったダンジョンでの出来事。
それが、まだ頭から離れない。
あんなに可愛かった**ハル**の姿はどこかへ消え、あのアリの巣にあったのは、毛がまばらに生えた肉塊だけ。
「仕方がなかったじゃない。私たちが着いたとしても、どうすることもできなかったはずよ。」
「そうだよ、ターニャ。仕方がなかったんだ。私たちが生きて戻れただけでも幸運なんだから。」
カイルとアニエスが、落ち込んでいるターニャの肩を叩いた。
ターニャは気まずそうに笑うと、目の前のパンを掴み、少しちぎって口に入れた。
「でも、依頼のおかげで、かなりお金が手に入ったな。」
「そうね。」
「ターニャ、アニエス。何か欲しい装備でもあるか?」
「装備かぁ…あ、この前、ウェポンアクセサリーの店で見たのが一つ…」
「あんたたち。」
後ろから聞こえた声に、三人が振り返って声の主を見た。
朱色のウェーブのかかった髪、鋭い目の中に輝く美しいサファイアのような瞳。
革のズボンに革のブーツ、白いチュニックの上にコルセットを締めた女性。
彼女は、三人をじっと見下ろしていた。
「ど…どちら様ですか?」
「私はルアナ・ベリル。ちょっと話があって来たの。」
「話、ですか?」
本来なら許可を得て座るべきだが、彼女は何も言わずにアニエスの隣の椅子を引いて座り、彼らを見つめた。
「私はターニャ・グランデ。隣がカイル・マスで、向かいにいるのがアニエス・ハロウェルです。」
「よろしく、みんな。」
ルアナが微笑みながら三人に挨拶した。
「何の用?私たちに依頼でもあるの?」
「いいえ、依頼じゃないわ。聞きたいことがあって来たの。」
「聞きたいこと…?」
ターニャが首をかしげると、ルアナが真剣な目で彼らに尋ねた。
「あんたたち、**坂本優司**っていう男、知ってる?」
「優司お兄さん?優司お兄さんがどうかしたんですか…」
「待て、ターニャ。」
カイルがターニャの言葉を遮り、にやりと笑って彼女を見つめた。
「どういう理由で来たのかは知らないけど、俺たちは依頼主の情報を売るつもりはないんだ。そういうことなら、帰ってくれるか?」
「心配しないで。私は優司とよく知ってる仲よ。さっきも、優司の家に行って顔を見てきたところだし。」
「優司お兄さんは、大丈夫なんですか?!」
「ターニャ…!」
「大丈夫かって聞かれたら…大丈夫じゃないわね。」
「やっぱり…」
ルアナが椅子に寄りかかり、ターニャを見つめた。
彼女の表情は、かなり良くなかった。
「何があったの?」
「さっきも言ったはずだ。俺たちは依頼主の情報を…」
「カイル。」
ターニャがカイルの腕を掴んで首を振った。
カイルは深いため息をつき、ルアナに言った。
「何が聞きたいんだ?」
「まずは、どうして優司が**あんな有様**になったのか、そこから聞きたいの。」
「それは…」
ターニャがゆっくりと口を開いた。
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「(これは…かなり厄介なことになったわね…)」
ルアナが舌打ちをした。
話を聞けば、彼に問題が生じたのは、全て彼が飼っていた犬が死んだせい。
心にできた傷は、金ではどうすることもできなかった。
「私たちがそんな話さえしなければ…」
「だから、私たちのせいじゃないって言ってるだろ!」
「でも…私たちが帰るって言ったから、優司お兄さんが一人で奥まで入ることになったんじゃない…」
「それは…!」
反論できなかったカイルが舌打ちをして、顔をそむけた。
「俺たちがそんなこと気にしたって、何が変わるんだよ?俺たちにできることは、ただ忘れることだけだ。」
ターニャが口を閉ざし、うつむいた。
「それで、その犬は死んだの?」
「え?」
「アントの幼虫にやられたんでしょ。」
「それは…死んだんじゃないでしょうか?」
ルアナが眉をひそめた。
「ちゃんと確認もしなかったわけ?」
「それは…肉塊しか残っていなかったので…」
ルアナが理解できないという表情で彼らを見つめた。
「それで、本当に冒険者と言えるの?」




