第50話
第50話
「できるだろうか…」
生まれて初めてドリルを使う。
念のため、コンビ∞で安全ヘルメットやゴーグル、マスクまで着用したが、不安は拭えない。
唾をごくりと飲み込み、スイッチを入れた。
エンジンが唸るような音がすると思っていたが、そんな音は聞こえない。
「それじゃあ…」
電動ドリルを壁に当て、引き金を引いた。
その瞬間。
ドドドドドドド。
予想通りのドリルの音が、ダンジョン内に響き渡る。
「うわっ!」
予想以上の反動に、思わずドリルを落としてしまった。
「半端じゃないな…」
ドリルを再び拾い上げ、壁に当てる。
どの程度の振動かは分かった。
あとは、その振動に耐えられるだけの力を込めればいい。
「ふぅ…」
再び深く息を吐き、ドリルの引き金を引いた。
「い…いける…!」
今度は問題なく壁を貫いている。
時々、力負けしてドリルが下にずれることもあるが、素人にしては上出来だろう。
もちろん、これはあくまで俺の考えだ。
もし現場の作業員が俺の構えを見たら、舌打ちしながら罵倒するだろうな。
工事現場でしか聞けないような音が、ダンジョンに響き渡る。
四方八方に石の破片が飛び散る。
時々、目を保護しているゴーグルや足に重い石が当たるが、痛くても止めるわけにはいかない。
「ふぅ…」
壁に穴が開き、危うかった壁がそのまま崩れ落ちる。
ひどい殺虫剤の匂いが、開いた穴から噴き出してくる。
そして、正面に見える明るい光。
崩れた壁を乗り越えて光に向かうと、俺の下半身ほどの大きさの穴が見えた。
身をかがめてそこから出ると、肺を洗い流すような森の新鮮な空気が、ダンジョンで汚れた肺を浄化するように流れ込んできた。
「ここが出口か。」
ワン!
ハルがかろうじて頭だけを突き出して吠える。
「どうやってここを見つけたんだ?」
ハルの頭を撫でると、ハルは舌を出してハァハァと息をする。
「さて、それじゃあ…」
ハルの頭をぐいと中に押し戻し、再び中に入った。
「ここが突き当たりか…」
長い通路。
これ以上掘った形跡はなく、ここを掘っていたアントウォーカーと思われるアントの死体が一つ、目に入った。
おそらく、こいつが掘っている途中で殺虫剤のせいで死んだのだろう。
「効果はあったってことだな。」
タン!
万が一、生きているといけないので、インベントリから拳銃を取り出し、奴の頭に一発撃ち込んだ。
びくん!
気絶していただけなのか、奴は足をぶるぶる震わせると、そのまま動かなくなった。
「よし…」
出口に近い奴がこの状態なら、おそらく奥にいる奴らも皆、気絶している可能性が高い。
俺はインベントリから防毒マスクを再び顔に装着し、ライフルを手に取った。
「行くぞ、ハル。」
ワン!
中に入ると、ハルは尻尾を振りながら俺の後をついてきた。
***
クシュン!
後ろでハルがしきりにくしゃみをしている。
おそらく、ひどい殺虫剤の匂いのせいだろう。
「すまないな、ハル。もう少しだけ我慢してくれ。」
ハァ、ハァ。
ハルが俺の隣に寄ってきて頭を擦り付ける。
俺は後ろを振り返った。
数多くのアントウォーカーの死体が横たわっている。
「どれだけ長いんだ…?」
ここまで来る間に、数多くのアントウォーカーの頭に穴を開けてきたのに、奥はまだ見えない。
マップを開いても、見えるのは覆われた空間だけ。
目標が見えないので、ハルのことが心配になってくる。
「ひとまず、戻…」
グルルルン…
「ハル!」
俺が話している途中で、ハルが警戒態勢を取り、そのまま前へ駆け出した。
防毒マスクもつけていないハルを、このまま殺虫剤が充満した密閉空間に行かせるわけにはいかない。
すぐにハルを捕まえるために走り出した。
そうしてハルを追いかけてたどり着いた空間。
暗闇に包まれた場所で懐中電灯をつけると、広い空間が目に飛び込んできた。
「ここは、さっきの場所じゃないか…」
気絶した数多くのアントで満たされた広い空間。
その中央には、クイーンアントが横たわっている。
奴も気絶しているように見えたが、産卵管からは絶えず卵が産み落とされていた。
本来ならアントウォーカーたちが卵を運んでいったのだろうが、アントウォーカーは皆、気絶している状態。
卵を運ぶ働きアリがいないため、産卵管から絶えず出てくる卵が、クイーンアントの後ろに山のように積まれていく。
「(まずはクイーンアントから処理するか…)」
俺の目標はクイーンアントの産卵管。
本来、群れをなすアリは、基本的に女王が中心だ。
女王が死ねば、道は二つ。
新しい女王アリを作るか、群れが崩壊するか。
しかし、これだけ卵があるのを見ると、おそらく群れは崩壊しないだろう。
新しい女王を作るはずだ。
俺は気絶したまま卵を産み続けているクイーンアントへと歩いて行った。
「これをアリの部位を切り取るのに使うことになるとはな…」
俺の手に握られているのは、ライフルではなくチェーンソー。
普通の採集用ナイフやサバイバルナイフでは、このアリの分厚い甲殻を貫くのは難しい。
俺が持っている中で最も使えるのは、チェーンソーだ。
奴の甲殻が鉄でない限り、分厚い木さえ切れるこのチェーンソーなら、十分に奴の甲殻を貫き、産卵管を採取できるだろう。
ウィィィィン――
チェーンソーのスターターハンドルを引いてエンジンをかけると、洞窟全体にチェーンソーの音が響き渡る。
「よし…もうすぐ終わりだ…」
これさえ採取して出れば、もうダンジョンにいる必要はない。
そして、これを使って交渉するのだ。
フクラ商団に。
「ふっ!」
俺は息を止め、素早くクイーンアントの産卵管部分に刃を下ろそうとした。
しかし、俺の頭に一つの考えが浮かぶ。
「どこまでが産卵管なんだ?」
産卵管を採取するのはいい。
しかし、きちんと採取しなければ、採取しない方がマシな結果になる。
「レベッカさんでも連れてくるべきだったか…?」
こんな絶好の機会に、どう採取すればいいのか分からず、何もできないでいるとは。
「(ひとまず半分に切って、後ろの部分だけインベントリに入れていくか?)」
ワイルドボアの死体がインベントリに入ることは確認済みだから、こいつも同じように入るはずだ。
今のところ、方法はそれしかない。
ウィィィィン。
もう一度エンジンをかけ、産卵管があるクイーンアントの後部を切り始めた。
ギギギギギッ――
四方に肉が裂ける音と共に。
キェェェッ!
クイーンアントの悲鳴が響き渡る。
しかし、反応するアリは一匹もいない。
すでに殺虫剤を吸って気絶しているか、死んでいるのだから。
「早く…」
そうだとしても、できるだけ早く終わらせなければならない。
こんな場所では、何が起こってもおかしくない。
もし切り取っている間に何か問題でも発生したら、大変なことになる。
例えば、殺虫剤が効かないアントとか…
グルルルン…
俺が考えた途端、ハルが唸り声を上げた。
「ハル、どうした?」
ワン、ワン!
眉間にしわを寄せ、どこかを見つめて荒々しく吠えるハル。
ハルの視線を追って、俺も視線を動かした。
闇の中から、何かが現れる。
一匹のアントが、闇の中からゆっくりと近づいてくる。
アントが目標にしたのは、大量の卵が積まれた場所。
卵の前にたどり着いたアントウォーカーは、クイーンアントが産んだ卵を顎で掴んだ。
そして、それと同時に。
「…?!」
顎で卵を砕く。
産まれたばかりの卵にもかかわらず、中には幼虫が入っていた。
うごめく幼虫を見たアントは、次々と卵を砕き始めた。
チィィィッ。
気味の悪い音が、洞窟の中に響き渡る。
塩酸のようなもので何かが溶ける音。
「(酸性…?)」
飛び出してきた幼虫の口から、液体が流れ出る。
その液体は、自分が出てきた卵の殻を溶かし、周りに倒れているアリたちを溶かして食べ始めた。
共食いだ。
「ちっ!」
作業を止めてすぐにライフルを取り出し、アントの頭に穴を開けたが、すでに孵化した奴らの数はかなり多い。
さらに、孵化した幼虫が他の卵の殻を溶かすせいで、その中からまた幼虫が、また幼虫が出てくる。
今は互いを捕食することに集中しているが、奴らがクイーンアントに興味を持つようになるのは時間の問題だ。
俺はすぐに作業を再開した。
ウィィィィン。
刃が肉を裂く音が四方に広がる。
それと同時に、耳元で何かが溶ける音がさらに大きく聞こえ始めた。
ワン、ワン!
「ハル、行くな!」
今にも飛びかかりそうなハルに叫ぶと、ハルは動かず、俺が乗っているクイーンアントの横で、顔を歪めたままじっと見つめている。
チェーンソーを使うのは、良い考えだった。
剣や鋭利な道具では半日かかりそうな大きさの奴を、素早く切り離せた。
ドスン。
腹と胸が分かれ、クイーンアントが二つに分断された。
触覚も足も動かないところを見ると、間違いなく死んでいる。
「入れ…!」
クイーンアントの腹の部分に手を伸ばした。
その瞬間、その巨大な奴の腹が光の粒子となって消える。
【クイーンアントの腹部】
「せ…成功だ!」
インベントリに、確かにクイーンアントの死体が入っている。
ならば、残るはここから抜け出すだけ。
「ハル!」
ワン!
ハルを呼んで一緒に脱出しようとするが、互いの殻を溶かして生まれた幼虫たちが、俺の周りを囲んで死体を溶かして食べている。
今、こいつは酸性を持っている。
ハルに攻撃させることはできない。
かといって、銃を撃つには。
タン!
「血にも酸性が…!」
銃で撃って破裂させると、奴の体液が四方八方に飛び散り、周りのものを溶かし始める。
絶対に攻撃せずに、外に出なければならない。
「ハル…」
このまま興奮してあんな奴らを噛みでもしたら、ハルは取り返しのつかない大怪我を負うことになる。
できるだけハルの頭を撫でて、奴を落ち着かせた。
「(俺を乗せたら…重くて速くは動けないだろうな…)」
いくらハルが大きいとはいえ、俺の体重を支えながら動くのは難しいだろう。
一度のミスで体が溶けかねない危険な場所で、そんな賭けはしたくない。
コンビ∞の中を見てみると、酸性耐性のある靴のようなものはあったが、VIPレベル3を達成しなければ買えない装備だ。
他のものも、VIPレベル3を達成しなければ購入できない。
「はぁ…はぁ…」
泣きっ面に蜂とは、このことか。フィルターが全ての有害物質を完璧に遮断してくれるわけではないのか、殺虫剤の匂いで頭がくらくらし始める。
息も切れ始め、頭もぼうっとして、考えがまとまらない。
ワン、ワン!
「大丈夫だ、ハル。」
これから幼虫の数はさらに増えるだろう。
このままここにいれば、奴らの餌になるだけだ。
ハルの頭を撫でて落ち着かせ、俺はゆっくりと前へ進んだ。




