第44話
第44話
目の前に広がる視界から聞こえてくる音ではない。
まるで家の中でゴキブリが動き回るような、壁の中を引っ掻くような音が、耳元で響く。
真っ先に動いたのは、冒険者であるターニャとカイルの二人だ。
彼らは素早く駆け寄り、壁面に耳を当てる。
「何か…」
「シッ!」
尋ねようとした俺の言葉を遮り、カイルが目を閉じたまま音を感じ取る。
そして、ほどなくしてゆっくりと目を開き、壁から徐々に離れていく。
「どうしたんだ?」
「この内側にいる。」
「内側に?何が?」
「アントが…!」
「アントが?」
俺が知っているアントがアリだとしたら、信じがたい言葉だ。
アリの顎が岩を砕くほどの力を持っているわけではないので、大抵は家を建てやすい木や土くれ、あるいは土の地面に巣を作る。
なのに、こんな岩の中に巣を作るアリだなんて。
聞いたことも見たこともない種だ。
しかし、カイルの言葉が事実なら、今の状況はかなり危険だ。
なぜなら、アリが岩に住めるということは、アリの顎の力が岩を砕けるほどの力を持っているということだから。
「カイル、持ってきたか?」
「持ってきたぜ。」
カイルはカバンから丸い何かを一つ取り出す。
黒い球体に、その上に導火線がついているもの。
その形は、俺もよく知っている形だ。
「みんな、下がってフェロモン抵抗剤を鼻にもう一度塗れ!」
カイルを除いた他の者たちが後ずさりしてフェロモン抵抗剤を鼻に塗り、俺も素早く取り出して鼻の下に塗った。
鼻がミントの香りに慣れたのか、今回は薄く感じる。
人々が適度に離れたのを見て、カイルはマッチを取り出して導火線に火をつけ、そのまま壁面に向かって転がした。
壁までコロコロと転がっていった爆弾の導火線は、ほどなくして本体の中まで入り、それと同時に「ドカン!」という音を立てて、強い爆発を起こした。
ゴホッ、ゴホッ。
立ち込める土煙と共に、破片を撒き散らしながら砕けた壁面。
そして、その内側は。
サワサワ、サワサワ。
「…!」
初めて見て、驚くしかなかった。
これが本当に、俺の知っていたアリなのだろうか。
目をこすって見ても、俺が知っているアリなのか疑わしいほどの姿だ。
アントの姿は、そもそも俺が想像していたものとはかけ離れていた。
大きさは一般的な中型犬と大型犬の間くらい。
懐中電灯の光を受けた外見は銀色に輝き、六角形がびっしりとついた形の目は、赤い光を放っている。
アリの口元に突き出た顎は、相当な岩を削ったにもかかわらず닳り減っておらず、頭、胸、腹に分かれた三対の足は、角材で思い切り殴っても折れないようだった。
「これがどうしてアリなんだ…?」
どう見ても、これはアリではない。
アリの姿をした、別の生物。
そもそも生物で合っているのだろうか。
生物の中で、鉱物を精製したかのように光を反射する体を持つ生物が。
あれはどう見ても、アリの形をしたロボットだ。
「戦闘準備!」
「分かった!」
ターニャの叫び声に、三人が皆、構える。
俺も石弓を固く握ってはいるが…
「(これで倒せるのだろうか…)」
あれが、見た目だけが硬そうに見えるのか、それとも本当に硬いのかは分からない。
しかし、外見だけで判断するなら、俺の石弓をいくら撃っても、このアントの甲殻を貫通することはできないだろう。
「優司様は、後ろでお待ちください!」
「レ…レベッカさん!」
レベッカさんがアントに向かって駆け出す。
その後を追って、ターニャとカイルが走り出す。
キィィッ!
アリの鳴き声は、初めて聞いた。
かなり不快な鳴き声だな。
三人が速い速度で動き、潜り込んでいく。
気づいたアリたちが、一糸乱れぬ動きで侵入者たちを排除するために、彼らがいる方へ駆け寄ってくる。
「チッ!」
一番前にいるアントを、カイルが強く突く。
槍の先が入っていくのが目に見えるが、致命傷にはならないのか、カイルに向かって動き続ける。
「ハァッ!」
ターニャがアントの頭を切り落としてとどめを刺し、二人は互いに背中を合わせ、襲いかかるアリたちを退ける。
一方、レベッカさんは自分に向かってくるアントの頭を、たやすく斬り飛ばす。
もちろん、時々完全に死んでいないアントが再び起き上がるが、それも束の間。
レベッカさんの剣が頭を貫通すると、足だけをぶるぶると震わせてぐったりと倒れる。
武器が良いのか、それとも実力が良いのか。
おそらく、その両方だろう。
「ふむ…」
俺は今、何をすればいいのだろうか。
レベッカさんのように、ただ見ているべきなのだろうか。
心の中では、助けたい気持ちでいっぱいだ。
しかし、俺ができることは、石弓で体を撃つことだけ。
剣で倒せるのを見ると、石弓も通用するようではあるが、ウォーゲーターのように避けられる可能性もある。
「ターニャ…!」
アニエスさんがターニャの方を見つめる。
カイルといつ離れたのか、ターニャはアントたちに囲まれたまま、ひたすら剣を振るっている。
「い…嫌だ…死ね…!死ね!」
アントたちに向かっていくら攻撃しても、C、Dランクの冒険者が倒すモンスターを、Eランクが勝つには力不足に見えた。
「(見ているだけではいられない…!)」
「ハル、アニエスさんをしっかり守れ。」
ワンッ!
「優司さん…何をしようと…?!」
「何って。」
俺は石弓を手に握った。
「俺の手にも武器があるのに…」
そして、ボルトマガジンの内蔵量を確認した。
これくらいなら、ターニャが出てこられる道くらいは作れるだろう。
「俺も手伝わないと、でしょう?」
言葉を終えるや否や、すぐに走り出した。
石弓自体は遠距離攻撃だが、距離が遠ければ遠いほど威力が弱くなるしかない。
アントの甲殻がどの程度の硬さか分からない今、ボルトが弦の力を最も受ける近接で撃つしかない。
ピシュッ。
引き金を引くや否や、一本のボルトがアントに向かって素早く飛んでいく。
俺が狙ったアントの頭まで飛んでいったボルトが、アントの頭に突き刺さる。
その瞬間、死んだアントの周りにいる他のアントたちの視線が、俺に向かう。
「そうだ、俺を見ろ…!」
「優司お兄さん!」
ターニャが石弓を撃っている俺を呼ぶが、残念ながら今は答えてやる余裕などない。
ピシュッ、ピシュッ!
レバーを引くたびに落ちるボルトを発射し、また発射し。
続けて発射しながら、一匹ずつ仕留めていった。
もちろん、外れるボルトも、頭ではなく腹や胸に当たるボルトもあった。
死んでいない奴らが近づいてきてはいるが、あくまでこれはターニャを脱出させるために視線を引いたものに過ぎない。
ピュン、ピュン。
「あ。」
石弓を撃っているうちに、いつの間にか装填されていた石弓のボルトが全てなくなった。
幸い、ターニャの周りにいたアントはかなり減った状態。
ターニャは盾を前に出し、素早くアントたちの間を抜け出す。
「さて、と…」
もう残されたことは一つ。
「俺だけ…抜け出せばいいのか?」
ターニャのことばかり気にしていたので、自分の周りを見ていなかったが、今度は俺がアントたちに囲まれている。
ターニャと違って、俺には剣も、盾もない。
持っているものと言えば、拳銃やライフルといった大きな音を出す武器だけ。
もしこれを使えば、間違いなく他のアントやモンスターが集まってくるだろう。
今信じられるのは、コンビ∞だけ。
素早くコンビ∞を開き、中にある武器を調べた。
音を出さずに生き延びられるものは、何があるだろうか。
【**ソニックウェーブ**】
一度も聞いたことのない言語、そして人間が出せるだろうかと思うほどの太い女性の声が、耳を打つ。
それと同時に、俺の前にいたアントの半分が、得体の知れない異形の気に斬られて地面に落ちる。
声が聞こえた方を見ると、そこにレベッカさんが息を切らしながら立っていた。
俺がいる方向に向かって、剣を構えたまま。
「大丈夫ですか、優司様…!」
「はい、大丈夫です。」
レベッカさんが俺の方へ駆け寄り、周りに残ったモンスターを片付ける。
「お使いの武器の弾丸が、全て尽きたのですか?」
「はい、少しだけ時間を稼いでください。また装填しますから。」
「分かりました。」
俺はコンビ∞で素早く石弓のボルトを購入した。
今回購入したのは、石弓だけではない。
肩にかけることのできるボルト筒まで購入して肩にかけ、ボルトを入れ、残りのボルトは全て石弓のボルトマガジンに入れた。
「よし…」
これくらいあれば、周りにいるアリの奴らは十分に退治できるだろう。
「できました!」
「援護をお願いします!」
レベッカさんが、アントたちが集まっている内部へと潜り込む。
彼女の後ろを狙おうとするアントに向かってボルトを撃ちながら、俺も彼女の後を追った。
数多くのアントの死体を踏みながら中に入っていく俺とレベ-ッカさん。
そして、俺たちの後を追いながら残りのアントの残党を処理するカイルとターニャ、そして彼らの後ろで治療に専念するアニエスさんと彼女を守るハルまで、皆でアントを倒しながら、レベッカさんの後を追ってさらに深層部へと進む。
「(暗すぎるな…!)」
内部へ入れば入るほど、闇が濃くなる。
こんな戦闘状況で、懐中電灯を持って歩き回ることはできない。
しかし、こんな状況で俺ができることがある。
ピシュゥゥンー
インベントリから取り出したフレアガンを、空に発射した。
赤い光では周りをきちんと見ることができないので、今回撃ったのは白色光の照明弾。
明るく輝く照明弾は、今いる空間全体を照らす。
「…」
そして、その照明弾が照らした空間の内部を見た俺は、目をぱちぱちさせ、当惑するしかなかった。
ワールドカップ競技場?
いや、それ以上の大きさだろう。
その中を埋め尽くす、数多くのアントたち。
そして、そのアントたちが守っている中央には、巨大なアリが一匹いた。
同じく頭、胸、腹でできているアリ。
しかし、腹の後ろにもう一つの器官がついていた。
管のような形をしたその器官からは卵が出てきており、卵が出るたびに、アントが卵をどこかへ運んでいる。




