第41話
第41話
「ん?」
じっと戦闘を見ていると、一つおかしな点が目に留まる。
冒険者側は三人。
しかし、直接戦っているのは二人だけだ。
残りの一人、神官の服を着ている女性は、後ろで二人を見守っているだけだ。
「(戦うべきじゃないのか…)」
今、この対決は一対三だ。
いくら戦いが不得意だとしても、周りにあるものを利用して助けるべきではないのだろうか?
訓練場の床は土で、地面には小石もある。
そういったものを拾って投げ、視線を引くだけでも、前にいる二人にとっては十分な助けになるはずなのに。
「治癒師は前に出ない方がいい。」
隣にいた中年の男性が、俺の独り言を聞いたのか、対決を見守りながら俺に話しかける。
「あの後ろにいる冒険者のことかね?」
「はい…」
「あの者は治癒師だろう。魔法使いなら前衛で少しは役に立つだろうが、治癒師は違う。戦闘で治療を担う治癒師が視線を引きつけて死にでもしたら、残りの仲間も死ぬ可能性があるからな。」
「ああ、でしたら、このような対決でも神官は何もせずにじっとしているべきなのですか?」
「まあ、死が保証されていないこのような対決では手伝ってもいいとは思うが…どうやらあの治癒師は、治癒師の立ち回りを定石のように覚えているようだ。」
治癒師は前衛に出る必要はなく、負傷した仲間の治療だけをしていればいい。
このようなことが定石として定着しているから、彼女は何もせずにいるということか。
「定石が全て正しいわけでもないがね…まあ、初心者の治癒師がよくやる間違いだ。」
男は肩をすくめ、引き続き対決を見守る。
彼との会話が終わってからほどなくして、戦闘は終わった。
「ふぅ…」
勝者はレベッカさん。
完全に力を使い果たした冒険者たちは、大の字に伸びたまま動かない。
「ちくしょう!」
「大丈夫ですか?」
治癒師の女性が彼らに近づき、傷ついた部分に手を伸ばす。
その瞬間、緑色の光が放たれる。
「(おぉ…)」
治癒師が手をどけると、少年の傷ついた膝が、傷跡一つなく治っている。
あんな魔法のようなものも、覚えておけば本当に良さそうだな。
自分が怪我した時に治療もできるし、ハルが怪我した時も治療できる。
「レベッカさんは、怪我はありませんか?」
「はい。大丈夫です。」
かなり激しく動いたようで、レベッカさんも息を切らしている。
「どうでしたか?」
俺の問いに、レベッカさんが俺を見つめる。
しかし、彼女の表情はあまり良くない。
「やはり、私は反対です。」
勝者であるレベッカさんが反対する。
異世界から来た俺とは違い、レベッカさんはこの世界の住人だ。
以前は俺の勘に従って雇用すると言ったが、実際に体をぶつけ合ったレベッカさんの意見が同じなら、彼女の意見が正しいのだろう。
「でしたら…」
パチ、パチ、パチ。
一人の拍手の音が、だんだん近づいてくる。
顔を向けて拍手の主を見ると、俺たちに向かって一人の男が近づいてくる。
それは、先ほど俺の隣で対決を見ていた中年の男性だった。
「対決、実に楽しませていただきました。」
「あ、はい。」
レベッカさんが軽く会釈をして、彼を見つめた。
「私はカルロス・ゼフェス。ジェルノータ冒険者ギルドのギルドマスターです。」
「カルロス・ゼフェス…?」
「ギ…ギルドマスター?」
今まで俺は、冒険者ギルドのギルドマスターと話していたというのか。
まるで、どこか別の会社のメインホールで、何も考えずに社員と話していたら、その人が社長だったと知った時のような気分だ。
「あなた、お名前を伺ってもよろしいかな?」
「レベッカ・デ・クレッシェンドと申します。」
カルロスさんは名前を聞くと、からからと笑う。
「やはり、クレッシェンド家の方でしたか。」
「ご存知でしたか?」
「ええ。あなたのその剣術は、クレッシェンド家しか使いませんから。」
何か特異な剣術でも使っていたのだろうか。
気づかなかった。
「(そもそも、気づかないのは当然か…)」
剣術について何も知らないのだから、何を見ても同じに見える。
「クレッシェンド家のお嬢様がここに来られたということは…冒険者になるためですか?」
「いえ。この方が用事があって、ここに来られたのです。」
レベッカさんが俺を指差すと、カルロスさんが俺を見つめて尋ねる。
「この方は…」
「坂本様です。以前、ジェルノータの北の森に現れたサーベルタイガーを仕留められた…」
ちょ…ちょっと待って。
レベッカさん、それを言ったら…
「おおおおおっ!」
カルロスさんの激しい反応と共に、周りからざわめき始める人々。
注目されたくはなかったのに、こうなっては注目されるしかないではないか。
「サーベルタイガーを仕留めた方が別にいるとは聞いていたが…!それがあなたでしたか!」
「え、それが…はい、まあ…そうなりました。」
カルロスさんが俺の腕を持ち上げては下ろし、体をあちこちと触りながら、不思議そうに観察する。
「確かに筋肉もついているようだし…かなり長い間、訓練を…」
何か小さな声でぶつぶつと呟き始める。
どうやら彼は、大きな勘違いをしているようだ。
筋肉は農業と建築をしていてついたものだし。
訓練は…
なんだ、それは?
俺はしたことがないぞ。
「でしたら、坂本様が冒険者になるために来られたのですか?」
「あ、それは違います…私は依頼を頼みに来ました。」
「依頼、ですか?」
「はい。用事があって、クイーンアントの産卵管を探さないといけないんです。」
「クイーンアントの産卵管、ですか…」
カルロスさんが顎の髭を撫でながら、考え込む。
「おそらく、うちの冒険者ギルドでは、その依頼を受けるのは難しいでしょう。」
「やはり、交尾期のためですか?」
「交尾期も一つの理由ではありますが…うちの上位ランクの冒険者たちが皆、討伐に参加している状態でして…今ギルドに残っている冒険者は、皆Dランク以下の者たちです。」
「討伐、ですか?」
「ええ。先日、首都から討伐令の公文が下りました。」
「討伐令というと…ビッグウッドのことですか?」
レベッカさんの言葉に、カルロスさんが頷く。
「ええ。ビッグウッドがゼルトラ平原に現れ、居座っている状態だそうで。」
「ジェルノータとかなり近い場所にビッグウッドが…」
「おそらく、魔族がそこに種を…」
二人が何かを熱心に話しているが、残念ながら俺には何一つ理解できない。
そうだ、この世界についてもっと熱心に勉強しよう。
今回のことが終わったら、だが。
「クイーンアントとなると、少なくともCランク以上の冒険者が多数で行かなければならないでしょうが…どうやら、うちにCランク以上の冒険者が皆出払っている状態ですので、依頼を受けるのは難しいでしょう。」
「そうですか…では、討伐はいつ終わるのですか?」
「討伐というのは、ビッグウッドが退治されてこそ終わるものなので、私がいつ終わると申し上げるのは難しいです。」
結局、討伐が終わるまで待たなければならないということ。
ため息が自然と出る。
「しかし、どうして依頼しようとなさるのですか?サーベルタイガーを仕留められた方なら、クイーンアントくらいはたやすく退治できるでしょうに。」
「それは…初めて見るモンスターなので、少し怖くて…」
その言葉に、目を丸くしたカルロスさんが、からからと笑う。
「まあ、そうでしょうな。アントの奴らは地面を掘ってダンジョン内部を絶えず変えるので、道に迷うこともありますし。熟練者がいなければ、ダンジョンを出ることさえ大変ですから。」
ああ、そんなこともあったのか。
一人で行こうと考えなくて良かった。
「でしたら、これはどうでしょう?」
カルロスさんが少し考え込んだ後、やがて口を開く。
「はい?」
「レベッカ様と戦ったあの子たちは、まだEランクではありますが、ダンジョンに何度か入ったことがあるので、ダンジョンをどう探検するかについては知っているでしょう。ですから、あの子たちを案内役として連れて行くのです。」
「案内役…ですか?」
「ええ。彼らが戦闘で戦うのは少し難しいでしょう。坂本様はサーベルタイガーを仕留められたのですから、Aランク冒険者の実力をお持ちのはず。レベッカ様もCランク冒険者の実力をお持ちのようですから、クイーンアントを退治するのは、お二人で十分でしょう。」
「え…それが…」
サーベルタイガーは、完全に俺の力で仕留めたわけじゃないんですけど…
「ご心配なさらず!クイーンアントは強いですが、サーベルタイガーほどではありませんから!」
そう言って、からからと笑う。
「それなら、私も大丈夫だと思います。」
「はい…?」
「カルロス殿がおっしゃった通り、クイーンアントはサーベルタイガーほど強い相手ではありません。サーベルタイガーを仕留められた坂本様なら、クイーンアントくらいは十分に退治できるでしょう。」
レベッカさんまで…!
「じゃあ…私たちも行くんですか?」
「ええ。あなたたちに道案内をお願いします。モンスターは私と坂本様が倒しますから。」
「それなら簡単だな。」
待って…
俺の意見は…?
「では、急いで準備します!」
「ええ。私も領主様に許可をいただいてまいります。」
「では、ジェルノータの東の出入り口で会いましょう。」
「それでは、うちの冒険者たちをよろしくお願いします、坂本様。」
待って…これは違うだろう…
これは…
「これはないだろう!!!」
***
「はぁ…」
東の出入り口。
俺は近くの木の柱にもたれて座り、顎に手を当てて出入り口を眺めた。
まだ他の人々は準備が終わっていないのか、見当たらない。
「どうしてこんなことに…」
サーベルタイガーを倒したのは確かだが、あくまでハルが奴の体力を削りきった状態で、拳銃で仕留めたのであって、完全に俺の実力で倒したわけではない。
もし俺一人の力で倒したのなら、冒険者ギルドに依頼しようともしなかっただろう。
「どうしてそれを分かってくれないんだ…」
これも全部、レベッカさんのせいだ。
レベッカさんがサーベルタイガーについて話さなければ…
「はぁ…」
ふうっとため息をついて頭上の木の葉を見ると、ピンク色の細長いものが、俺の顔を舐める。
ワンッ!
「ハル~!」
顔を突き出したハルをぎゅっと抱きしめ、頭を撫でた。
気分が良いのか、尻尾をふりふりと振りながら、俺の隣に横になる。
今回の戦闘は、ハルを連れて行くつもりだ。
ハルがいてこそ、俺も楽に銃を撃てるだろうし、何より今まで戦闘で俺を守ってくれた守護神のような存在だ。
命を落とすかもしれない今回の旅で、ハルを連れて行かないというのは、戦争で銃を持たずに行くのと同じこと。
「今回も、俺を守ってくれるよな~?」
ワンッ!
ハルは、俺に任せろとばかりに、俺の頬を舐めて吠える。
「連れて行くのはいいけど…」
もちろん、心配がないわけではない。
大きさは俺の背丈ほどある奴だから、入れるとは思うのだが、問題になるのは俺と一緒に行く冒険者たちだ。
ハルがあまりにも大きいので、モンスターだと思われるのではないかと心配だ。
警備員だけを見ても分かる。
俺がハルを連れて近づくや否や、ぶるぶると震えながら槍を構えて警戒した。
入らないという言葉で何とか説得して、今前にいるわけだが、まだ俺を注視して警戒している。
「はぁ…」
早くハルを小さくする方法を見つけなければならないのに。
エレシアさんに一度、聞いてみるか。
一緒に行く冒公険者たちに一度、聞いてみよう。
「優司お兄さーん!」
ジェルノータの中から、誰かが俺の名前を呼ぶ。
お兄さんと呼ぶ人は、一人しかいない。
先ほど会った冒険者の少女だ。
彼らは厚手の服を着て、俺の方へ歩いてくる。
少女、少年、女性の順に、名前はターニャ・グランデ、カイル・マス、アニエス・ハロウェルだ。
冒険者ギルドの中で詳しく話しながら、互いに自己紹介した。
俺の名前を聞いて変だと思ってはいたが、名前について特に尋ねてはこなかった。
「準備は終わった?」
「はい!」
「持ってくるものは全部持ってきた。煙幕と、虫除けスプレー、それと…」
丸い物に、瓶に入った液体、そして鋭いフックがついたロープなど、カイルが俺に様々な道具を取り出して見せる。
それにしても、その量は思ったより多い?
「これが全部、ダンジョンを回るのに必要な物なの?」
「当然だろ!ダンジョンの中では何が起こるか分からないんだ!こういうものは全部持って行かないと。」
なぜだろうか。
カイルの言葉に信用がいかない。
「なんでそんな目で見るんだよ?」
「何でもない。」
俺が何を考えているのか、顔に出るのか。
少し気をつけよう。
「あの…坂本さん?後ろにいるのは…」
アニエスさんが少し怖がった表情で、俺の後ろを指差して尋ねる。
俺の後ろにいる奴といえば、一人。
「ああ、この子ですか?この子はハル。俺の家族です。」
「家族、ですか?」
信じがたいというように、アニエスさんがハルと俺を交互に見つめる。
「犬…じゃないよね…?」
「たぶん…じゃないんじゃないかな…?」
「だよね?犬がこんなに大きいわけないし…」
「じゃあ、モンスターなの?」
ターニャが近づいてきて、ハルを観察する。
彼女をじっと見つめていたハルが、頭を下げてターニャの顔を舐めると、ターニャが明るく笑ってハルの頭を撫でる。
「何にせよ、可愛い~!」
「あいつ…触っても大丈夫なの?」
「もちろん。うちの犬は噛まないよ。」
うん、ハルは噛まない。
俺が噛めと言うまでは。
「この子も連れて行くの?」
「そうだよ。ハルは戦いがすごくうまいんだ。ゴブリンを倒す時も、たくさん助けてもらった。」
「ふーん…まあ、大きさを見れば、ゴブリンはうまく倒せそうだな。」
カイルはハルについて色々と尋ねてきたが、なかなか近づこうとはしない。
ずっと見ているところを見ると、触りたいようだが…
「(プライドのせいか?)」
そういう子が時々いる。
可愛いものが好きだが、他の人に知られるのをプライドが許さない男の子たちが。
カイルも、おそらくそういう類ではないだろうか。
一方、アニエスさんは俺の後ろに隠れてハルを見ている。
当然、カイルとは違う表情をしている。
とても怖がっている表情。
「タ…ターニャ…!あなたは怖くないの?」
「何が?」
「その犬だよ…!」
ターニャが首をかしげる。
「怖いことなんてある?こんなにおとなしくて可愛いのに~!」
そう言って、ハルをさらに撫で回すターニャ。
アニエスさんは驚愕に満ちた表情を浮かべ、目をぎゅっと閉じる。
「私は絶対に嫌…!犬で…それに、体まで大きいなんて…!」
犬が嫌いなところを見ると、どうやらハルを連れて行くのはやめた方がよさそうだが…
ところで、レベッカさんはいつ来るのだろうか。
そろそろ来る時間なのに。
ハルの周りで遊んでいる三人を眺めながら、しばらく待っていると、門の方からレベッカさんが歩いてくるのが見える。
レベッカさんは腰には剣を、体には胸と骨盤の部分に鉄板を当てた革の鎧を着て、ゆっくりと俺たちに近づいてくる。
まさにレベッカさんの性格が反映された鎧だ。
冬だからか、ヒートテックのように見えるレオタードの上にプレートアーマーの胸当て、下腹部には赤い布がベースの鉄板のスカートを履いている。
「来られましたね!」
「はい。領主様に許可をいただいて戻る途中です。」
他の人々はレベッカさんの服装が気にならないのか、特に何も言わない。
「坂本様?」
「鎧、よく似合ってますね。」
「あ…ありがとうございます…」
俺の言葉が想像外だったのか、当惑したレベッカさんが顔を赤らめ、言葉をためらう。
「さて、人も全員集まりましたし。出発しましょうか?」
「よし、行こう!」
「やっほー!」
カイルとターニャが先頭に立って歩き始め、俺とレベッカさん、アニエスさんが彼らの後を追って歩き出した。




