第25話
第25話
フレアガンを売ってくれないかと尋ねてくる領主様。
この都市を所有する領主である以上、このフレアガンの用途を瞬時に見抜いたのかもしれない。
いや、見抜けない方がおかしいと言えるだろう。
空高く舞い上がり、広い範囲に光を撒き散らすこのフレアガンの価値を知らない人間はいないはずだ。
おそらく、領主様にフレアガンを納品すれば、一生遊んで暮らせるほどの大金を稼ぐことができるだろう。
しかし、この質問に対する答えは、すでに決まっている。
「申し訳ありませんが、お売りすることはできかねます。」
元の世界、つまり地球で1950年代にある技術が開発されたことがあった。
それは、蚊の不妊化技術。
放射線や遺伝子操作によって雄の蚊を不妊にし、大量に散布する技術なのだが、この技術で交尾した雌の蚊は、卵を産んでも孵化せず、時間が経つにつれて個体数が減少し、最終的には絶滅してしまうという技術だ。
人間にとって当然、害虫として広く知られているこの技術をすぐに実用化すれば、もはや蚊が媒介する病気で死ぬ人間はいなくなり、血を吸われて痒みに苦しむ人も現れなくなるだろう。
これだけを見れば、この技術を積極的に導入して蚊を絶滅させることが人類の助けになると考えるだろう。
しかし、その蚊の不妊化技術は、技術開発が完了してから70年以上経った今でも、まだ蚊を絶滅させていない。
その理由は一つ。
それは、蚊が生態系で果たす役割をまだはっきりと解明できていないからだ。
蚊が人間に害虫だと知られているとはいえ、それはあくまで人間の基準で考えたことだ。
生態系では、人間が知らない有益な働きをしている可能性もあるだろうし、その働きが蚊にしかできないことならば、代わりになる昆虫がいないため、人間にとって、生態系にとって大きな問題が発生する可能性があり、まだ絶滅させられないのだ。
今の場合もこれと同じだ。
俺が何の考えもなしに大量のフレアガンと照明弾を納品すると言った時、この世界にどんな影響を及ぼすか、誰も分からない。
トゥスカードギルドに納品するものは、まだしも対等な関係で進められる取引なので、何か問題が発生すればすぐに納品をやめることができるが、領主様との契約は上下関係で行われる契約だ。
特に、この時代において領主という存在は、人の命さえも奪うことができる存在。
迂闊に契約して、問題でも発生した日には、止められないかもしれない。
「お気持ちとしてはお譲りしたいのですが…私もこの品物の製造法や、どなたが作ったのかを知りません。」
「では、これはどこで手に入れたのだ?」
「昔、父から譲り受けたものです。」
「父から?」
「はい。今は亡くなりましたが…」
ここで悲しい表情を浮かべて演じ、深いため息をつく。
こうすれば…
「そ…そうか…」
‘よし、うまくいった。’
やはり、領主様はそれ以上は尋ねてこない。
当然、尋ねないだろう。
亡くなった父親を蘇らせたり、魂を呼び寄せて連れてくることもできないし。
そもそも、父親はこの世界にいないので、魂さえも呼び出すことはできない。
「分かった。これはもう聞かぬ。」
そう言って、俺にフレアガンを再び渡す。
「ありがとうございます、領主様。」
フレアガンをインベントリに入れ、俺は領主様と話を続けた。
***
領主様と様々な話をした。
その中で、いくつかの出来事があった。
拳銃まで見せると、これも一度撃ってみたいと言い出すし。
ギリースーツを見て、これは一体どこで手に入れたのかと不思議がり、着てみたりもする。
初めて会った時はかなり重々しい人かと思ったが、話してみると、親しみやすい近所のおじさんのような感じがした。
だからといって、俺が親しく接することができるということではない。
いずれにせよ、この世界では身分の違いがあるので、親しいからといって本当に近所のおじさんのように気安く接したら、大変なことになる。
‘会社でも同じだったな…’
チーム長が親しく接してくれたからといって、気安く接していた奴らは、全員人事評価が地に落ちて会社をクビになった。
俺はかろうじて一線を守っていたから、クビにはならなかった。
今思えば、あの時、一線を越えてクビになるべきだった。
そうすれば、徹夜から少しでも早く抜け出せただろうに。
「もうこんな時間か…」
領主様が窓の外を眺めた。
時計塔を領主様のために建てたと言えるほど、時計塔が執務室から非常によく見える位置に建てられていた。
「そういえば、一番重要なことをまだ話していなかったな。」
「一番重要なこと…ですか?」
「お前が知らないはずはない。正直、私がここまでお前を呼んだのは、その理由のためなのだから。」
俺を呼んだ理由?
俺を呼んだ理由なら、すでに前で全て話したのでは?
「本当に知らないという顔だな…人が良いのか、それとも愚かなのか…」
領主様が苦笑いをする。
「報酬のことだ、報酬。」
俺は誰かに依頼されてゴブリンを討伐したわけではない。
ただ、自分が招いたことだと思ったから、ゴブリンを討伐しに行っただけで、その状況で偶然ジェルノータの兵士たちに出会って助けたに過ぎない。
‘だからといって、報酬を断るわけにはいかないな。’
少し気が引けるが、もらえる報酬をもらわないのも道理に反する。
くれると言うなら、さっさと受け取るのが人生を生きる上でずっと役に立つ。
「報酬をいただけるなら、いただきます。」
「断りはしないのだな。」
領主様はそう言って、からからと笑う。
「良い。男ならそうでなくては。では、欲しいものでもあるのか?」
「一つ、考えておいたものがあります。」
「お前…本当に報酬をもらえるとは思っていなかったのか?」
「思ってはいませんでしたが、欲しいものはありました。」
「そうか…?分かった。一度聞いてみよう。」
俺が領主様に望むことは一つ。
「今、私が住んでいる北の森に、引き続き留まることを許可してください。」
「北の森…?」
その言葉を聞いた領主様が、首をかしげる。
「お前、森で暮らしているのか?」
「はい…」
北の森に住んで久しいが、まだ俺の小屋を発見した人はほとんどいない。
領主様が知らないのも、当然と言えば当然のことだ。
「北の森か…」
首を横に振った。
「残念だが、そうはできぬ。」
「はい…?」
「数はかなり減ったとはいえ、ワイルドボアは人間が相手にするにはかなり難しい相手だ。Eランクの冒険者が多数で挑まないと狩りができないほどだ。そんなお前を北の森に住まわせるわけにはいかない。」
「あ、それについてお話があるのですが…」
そういえば、まだワイルドボアの数が減ったことについて話していなかった。
「何か?」
「そのワイルドボアの数が減ったのは、おそらく私のせいかと思いまして…」
「ワイルドボアの数が減ったのが…お前のせいだと?」
「はい。正確に言えば、私が飼っているペットがしたことではありますが…ペットの管理を怠ったのも、主人の責任ですから。」
理解できないというように、眉をひそめる。
「お前はペットに熊でも飼っているのか?」
「犬です。」
「犬?」
犬という言葉に、さらに理解できないというように頭の上に疑問符を浮かべ始める。
「その小さな犬…のことか?」
「小さい種類もいますが、私が飼っている犬は、私の体の半分よりも大きい奴ですから。」
その言葉に、虚脱したように笑う。
「本当に、お前が飼っているのは犬なのか?」
「はい?」
「私が知る犬ならば、最大に大きくなっても人の太ももまでしか来ない。しかし、人の半分よりも大きく育つ犬がいるとは?それは…」
領主様が顎を撫でながら、言葉を続ける。
「モンスターではないか…」
‘ハルが…モンスター?’
腕を組んでじっくりと考えていた俺は、首を横に振った。
「そんなはずがありません。」
ハルは初めて会った時から今まで、おとなしい犬だった。
そんな奴がモンスターだなんて。
そんなはずがないだろう。
「もちろん、飼っているお前が違うと言うなら違うのだろうが…もしものために注意しろ。モンスターは幼い頃は大丈夫だが、時間が経つにつれて凶暴になると言うからな。」
「注意します、領主様。」
「そうか…では、再び報酬の件に戻ろう。北の森で暮らすのではなく、街の中で暮らすのはどうか?私が邸宅を一つ、贈り物にしよう。」
「いえ。これまで北の森で過ごしてきたので、街よりも森の方が落ち着きます。危険なことは承知しておりますが、どうか北の森で過ごすことを許可していただければと思います。」
領主様は腕を組んだまま顎を撫でていたが、やがて頷いた。
「仕方ないな。お前が北の森で暮らしたいと言うなら、そうしてやろう。」
「ありがとうござ…」
「しかし、一つ条件がある。」
「条件…ですか?」
「そうだ、条件。」
領主様がニヤリと笑う。
「外に誰かおるか?!」
「お呼びでしょうか?」
「今すぐレベッカを呼んでこい。」
「はい。」
レベッカを呼んでくるようにという言葉に、扉を開けた侍女が頭を下げて挨拶し、扉を閉めて出て行く。
一体、何の魂胆なのだろうか。
本心が分からない彼の表情をじっと見ていると、侍女が扉を閉めてからほどなくして、誰かが扉を叩く。
「レベッカです。」
「入れ。」
中低音の女性の声が聞こえ、領主様の許可が下りると、一人の女性が中に入ってくる。
蓋を逆さにかぶせて切ったような、まっすぐな短い髪、左の口の下にある小さなほくろ。
少し色褪せた兵士の鎧を着た若い女性。
目尻が下がって優しそうに見えるのとは裏腹に、外見から漂う雰囲気からは、彼女がなかなかの性格をしているであろうという印象を、はっきりと与えている。
「お呼びでしょうか、領主様。」
「挨拶しろ、レベッカ。しばらくお前が世話になる人だ。」
瞬間、ぽかんとした表情で彼を見つめた。
俺が聞き間違えたのだろうかと頭の中でリプレイを回してみるが、何度回しても、俺が理解した通りの声が頭の中で再生された。
「ちょ…ちょっと待ってください、領主様。世話になるって?」
「お前が北の森で暮らしたいというのは分かるが、まだお前の身元を正確に知ることもできないのに、私がお前をどう信じて、北の森にずっと居座らせることができるというのだ?」
「それは、そうですけど…」
「だから、私も保険は一つかけておかなければならぬ。私の条件はこれだ。私が君に対する確かな信頼が生まれるまで、君がレベッカと同居すること。」
「ど…同居ですか?」
「そうだ。なぜだ?嫌なのか?それなら街の中に入って暮らすがいい。」
「ちょ…待ってください…」
頭の中が真っ白になる。
つまり、俺が北の森で暮らすには、あの人をしばらく連れて暮らさなければならない。
しかも、それも男ではなく、女だ。
「領主様。いくらなんでも、女性は少し…」
「女性がどうした?むしろお前は喜ぶべきではないのか?」
そう言った領主様が、両目を細めて俺を見つめる。
「お前、もしや…男色を嗜むのか…?」
「違います!」
生涯、女性だけを好み、男色などには見向きもしなかった俺だ。
そんな俺が男色?
100回生まれ変わっても、そんなことはない。
「ならば、拒否する理由はないはずだが?」
「そうではなく…私は構わないのですが、あの方がむしろ心配で…」
「レベッカ。お前の考えを聞いているぞ。嫌か?嫌なら断っても構わぬ。」
「いえ、領主様!領主様がお命じになることであれば、何でもする覚悟でおります!」
「そう言っているが?」
頭がくらくらする。
「では、よろしく頼むぞ。坂本君。」
「いや、こんな風に終わらせられても…」
「さて、話は終わりだ。レベッカ!坂本君を自宅まで送って差し上げろ。」
「はい!」
「よ…領主様、ちょっと待って!ちょっと待ってください、領主様!」
いくら呼んでも遠ざかっていく領主様の顔。
これで本当に終わりか。
ああ、一人で暮らす平和な日々よ!




