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第21話

第21話


「はぁ…」


湖のほとりの椅子に座り、インベントリから取り出したインスタントコーヒーのスティックコーヒーを眺めながら、深いため息をついた。


‘結局、言えなかったな…’


レストランを出て話そうとした矢先、慌ただしい声が聞こえて振り返ると、後ろから警備兵が一人、急いで駆け寄り、「領主様が騎士様方をお探しです」と言って、エレシアさんを連れて行ってしまった。


その事件について調査中なら、ここがバレるのも時間の問題だ。

領主様に正式に報告せずに住んでいる状態なので、見つかった瞬間、撤去されることになる。


「ここまで作るのに、どれだけ苦労したか…」


俺が夢にまで見た生活が、撤去によって崩れ去るなんて、憂鬱で仕方ない。


「もし撤去されたら…ルアナさんに住む場所を頼んでみるか…いや、いっそムルバスの近くに家を建てて住む方がいいか。どうせ2年間は取引もしなきゃならないし…」


どちらにせよ、厄介な状況は変わらない。


「ハル。」


ワン!


バンッ!


ハルを呼ぶや否や、家の中にいたハルがドアを突き破って駆け寄ってくる。


‘修理しなきゃな…いや、必要ないか?どうせ撤去されれば終わりだし…’


撤去がまだ決まったわけではないが、ほぼ半ば諦めている状態なので、壊れても特に気にならない。

それでも、まだ俺の元に何か通達があったわけでもないし、修理はしておいた方が良さそうだ。

そう思いながら立ち上がった俺は、ハルを見つめた。


「おい、お前、また大きくなったんじゃないか?」


こいつ、頭が今、俺の胸のあたりまで来ている。

俺にのしかかっているわけでもないのに、だ。

このままでは、俺がこいつに乗って移動してもおかしくない状況だ。


ワン!


「スタンダード・プードル…ではないよな?」


昔、一度スタンダード・プードルを見たことがあった。

子供の頃だったが、そのスタンダード・プードルの大きさは、俺よりも頭一つ分大きかった。

しかし、犬種を見れば、こいつはスタンダード・プードルではない。

見た目自体はシベリアン・ハスキーかウルフドッグに似ている。

しかし、シベリアン・ハスキーやウルフドッグがここまで大きくはならないはずだが。


俺が黙って自分を見つめていると、奴は尻尾を振って俺の体にのしかかってきた。


「おい、降りろ、降り…」


バキッ。


腰が砕ける音が耳に聞こえると同時に、痺れるような痛みが腰全体に広がる。


「あ…うぅ…」


ワン、ワン!


ふざけているとでも思っているのか、ハルは尻尾を振りながら、また俺の背中に乗ろうとする。


「おい、どけ、こら。どけって…」


押し退けようとしても、びくともしない。

結局、俺はしばらく痛む腰を抱え、ハルを背負って這うように家の中へと入っていった。


***


真夜中になって、ようやく腰の痛みが少し和らいだ俺は、街へと向かった。


‘なんだか、閑散としているな…’


街の雰囲気は、俺が初めて来た時とはずいぶん違っていた。

夜でも活気に満ちていた場所だったが、人々が夜に見当たらない。


「はぁ…」


大体の予想はつく。

ルーコンとエレシアさんが言っていた、あの赤い月のせいだろう。

それが二度も現れれば、人々が不安になるのも無理はない。

それに、大きな音まで聞こえるとなると?

俺でも「これは戦争だ!」と叫んで、家の外に出なかっただろう。


「久しぶりに外食でもしようと思ったのに…」


この状態なら、ハンスさんの店も閉まっているはずだ。

それでも、もしかしてと思い、ハンスさんの店へ行ってみた。


「開いてるな?」


ハンスさんの食堂から光が漏れている。

いや、当然のことだろう。

ハンスさんは食堂ではなく、宿屋の主人だ。

夜でも客が訪れるだろうから、ずっと開いているだろう。


「ごめんください。」


もう大きすぎて中に入れるのが憚られるハルを家の外で待たせ、俺はドアを開けて中に入った。


「お、優司さん!」


ハンスさんが俺を迎えてくれる。


「最近、どうして顔を見せないんだ?」

「仕事もありましたし、この前はムルバスへ旅行にちょっと行ってきたんです。」

「ムルバスへ?」

「はい。」


その言葉に、ハンスさんが肩をがっくりと落とし、深いため息をついた。


「本当に羨ましいな。俺も旅行に行きたいぜ。」

「どこへ行くっていうの?あなたは私と一緒に、一生懸命働かなきゃ。」


メガンさんがカウンターの裏のドアを開けて、中に入ってきた。


「だ…ダーリン…!」

「いらっしゃい、優司さん。」


俺の手を握り、明るく笑って迎えてくれるメガンさん。

一目で何か魂胆があるのが分かる。


「はい…」

「さあ、ひとまず座って。あなた、優司さんに早くシチューを一皿お出ししてちょうだい。」

「なんだって?お出しする?金は?」

「お金なんて、他の人たちに売ってからもらえばいいじゃない!そうでしょう、優司さん?」


それは詐欺じゃないのか?


「分かったよ…」


ハンスさんは深いため息をつき、後ろの窯へと歩いて行く。


「ムルバスには行ってきましたの?」

「はい。」

「なかなか良いところでしょう?」

「良かったです。街とは違って、自然と調和した感じというか。悪くなかったですよ。」

「どんどん発展している村ですからね。最近は新しい領主様が赴任されたんですけど、その方がとてもうまく治めていらっしゃるそうで、その方の噂がジェルノータまで届いているくらいですよ。名前は何だったかしら…ライオンハート領主様だったかしら…」

「あそこにも領主様が住んでいるんですか?行った時、城のようなものは見えなかったんですが…」

「村には当然、城はありませんわ。城は村がだんだん大きくなって、街になる前に作られるものですから。ムルバスは、おそらくまだ城が作られる段階ではないのでしょうね。」


人々が集まって村を形成し、各村で財産が築かれると、それを守るための城が作られる。

どんな感じか、大体分かった。

城がまだ作られていないなら、村の管理は屋敷で行うはず。


‘特に領主が住んでいそうな屋敷は見えなかったような気がするが…’


おそらく、他の一般人と同じように、小さな屋敷で仕事をしているのではないだろうか。

それならば、それは完璧な名君ではないか。

庶民と共に暮らし、村を治める領主。


‘後でムルバスに住むことになったら、挨拶がてら行ってみるのも悪くないな。’


そんな領主なら、話がよく通じそうだ。


「ところで優司さん。」

「はい?」

「それがですね…」


何か言いたいことがあるのか、メガンさんが身をよじりながら俺を見つめる。


「その…シャンプー…ですけどね?あれ、もしかして、もっと納品してもらえないかしら…?あ、もちろん、いつまでにしてくれってわけじゃなくて~ただ、時間がある時に気楽に…」

「はい、いいですよ。」

「本当?!」


あまりに即答だったので驚いたのか、メガンさんが目を丸くして俺を見つめる。


「はい。」


以前ルアナさんに聞いたが、俺がシャンプーを安定して売れたのは、メガンさんが築き上げた信用のおかげだ。

それがなければ、俺はシャンプーを売って警備兵に捕まり、牢屋暮らしをしていたはず。

あまり忙しくない限りは、メガンさんが頼むことは、大抵聞いてあげるつもりだ。


「ありがとう、優司さん!あなた!早く優司さんに食事を持ってこないで何してるの?!」

「ちょ…ちょっと待ってくれ!これが温まらないと持っていけないんだ!」


二人。

今日は何か一悶着ありそうだ。


そんな二人を見て気まずそうに笑っていた俺は、振り返って食堂の中を見回した。

夕食時だというのに、人がいるテーブルは数えるほどしかない。


「人がずいぶん減りましたね。」

「そうだな。最近、世の中が物騒だから。」


ハンスさんが俺の前にシチューを置き、答えた。


「やはり…あの赤い月のせいですか?」


赤い月という言葉に、腕を組んだハンスさんが頷く。


「まあ、それも理由と言えば理由だが…」


ハンスさんは左右を素早く見回すと、俺に顔を近づけて、慎重に口を開いた。


「一つ、噂が流れているんだ。」

「噂?どんな噂ですか?」

「魔族。」


ああ、ヴァンパイア・ロードの話か。


「どんな奴らかは知らないが、魔族の一人が街の周りをうろついているらしい。」


今日の昼、エレシアさんに聞いた話だ。


「そのせいかは分からないが、最近は商人の足もぱったりと途絶えて…」


ハンスさんが深いため息をつく。


「おかげで、こうしてうちの宿屋の収入も半減したってわけだ…」

「私のビューティーショップもそうよ…」


心配そうな表情で頬杖をつき、互いを見つめる二人。

どうやら、この二人には話すべきだろう。

赤い月を作った者の正体が、俺だと。


そう話そうとした俺は、やがてハンスさんが続けた一言に、口を噤んだ。


「そういえば、この前、冒険者が北の森で大規模なゴブリンの部隊を見つけたって言ってたな?」

「ちょ…ちょっと待ってください。ゴブリンの部隊ですか?」


そんなはずはない。

赤い月、つまり照明弾の光を作ったのは俺だ。

エレシアさんが言っていた、ゴブリンを連れて攻めてくるというヴァンパイア・ロードも、実在はしないだろう。

なのに、ゴブリンの部隊が見つかっただと?


「それが本当なんですか?」

「ああ。数日前に酒を飲みながら愚痴っていた冒険者の奴が言ってたんだ。北の森のゴブリンの奴らのせいで、自分の仲間が一人死んだとか何とか。」

「はぁ…最近、世の中がどうしてこうなるのか…」

「これも全部、魔族のせいだろうな。」

「そんなはずが…」


今まで北の森で起こった異変は、全て俺のせいだ。

赤い月も、時々聞こえる大きな音も、そしてワイルドボアが消えて狼が現れたのも、俺のせいだ。

そのせいで魔族が現れてゴブリンを連れて攻めてくる?

そんな噂が流れることまでは理解できる。

なのに、ゴブリンの部隊が見つかっただと?


‘どうして、ことが実際に起こるんだ…?’


まさか、これも俺がしたことのせいなのか?

あのワイルドボアという一種を、ほぼ絶滅寸前まで追い込んだから、狼たちが縄張りを広げる隙を突いてゴブリンが押し寄せてきたのか。


‘こんなことじゃ、ダメじゃないか…’


俺のせいで生態系が狂うなんて。

このままでは、そのゴブリンだか何だかが押し寄せてきて、俺の土地まで到達するのは時間の問題だ。


「まあ、ここに到着する前に領主様が何とか処理してくださるだろうが…それでも、犠牲者が出るのは覚悟しないとな…」

「だ…ダメだ…ダメだ!」

「きゃあ!」


驚いたメガンさんが胸を撫で下ろし、目をまん丸にして俺を見つめる。


「ど…どうしたんですか?ゆ…優司さん!」


このまま、俺のせいで人々が死ぬのを見過ごすわけにはいかない。

俺がどうにかして解決しなければならない。

必ず。

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