アルフォンスpart5
転移は魔力が足りなければ、指定された所より手前に転移されると聞いていたが、きちんと指定場所に転移されたという事は魔力は足りたのだろう。
転移した場には公爵が待ち構えていた。
「殿下!シルフィー嬢を公爵家へ!医師を手配します!」
あぁ、そうだった。今は急ぎシルフィーの状態を見てもらわなければ。公爵家の医者は国一番だからな。それに慣れ親しんだ医者に診てもらうのがいい。こんなことなら初めから公爵家に転移をすれば…。いや、魔法騎士団隊長はフィオーネ公爵家には行った事が無いのだったな。公爵家に転移するのは不可能だ。
……シルフィーを普段から抱きしめているからこそわかる。シルフィーはこの数日で随分と痩せた。軽くなった。いや、この場合はやつれたといった方が正しいか。どちらにしろ5歳児が経験する事ではないはずなのに。それに目元にははっきりと隈が出来ている。それに怖くて随分と泣いたのだろう。目元が赤くなっている。
身体に付けられた傷だって許せない。本当に怖かっただろう。小さい頃は家族の剣の稽古だって怖がっていたと聞いた。後から聞いた話だと、大きな音が怖かっただけだという事だが。それでも、刃物や尖ったものを無抵抗の状態で自身に向けられれば恐怖以外の何ものでもないだろう。
そう、一番許せないのはシルフィーの『心』に恐怖を植え付けた事だ。シルフィーは皆に愛されている。だから、心穏やかにのびのびと暮らしていく権利があった。
……こんな目にあっていいはずがないんだ!
段々と怒りが再発してくる。
急ぎ公爵家へシルフィーを抱えていく。玄関に入ると、メイド達が心配そうな顔をして私達を迎えた。
「医師はまだか!」
「早く怪我の手当てを!」
そう叫ぶと、奥から医師が出てきた。
「準備はできております!お嬢様の部屋へお願いします!」
「分かった!」
シルフィーを彼女のベッドに寝かすと、すぐに医師が魔法で精密検査をしてくれた。この魔法が開発されたのはごく最近だ。この魔法が出てきたことに今以上に感謝した事は無い。
医師によると、身体の傷はひどいが、妙な魔法がかけられた形跡もなく、自然と目が覚めるのを待つだけという事だった。目が覚めてからゆっくりと栄養のあるものを取り、心を癒していく必要がある、と。
『心』の傷は身体の傷よりもっとひどいはずだから、ゆっくりと癒していく必要がある、との事だった。……勿論、そのつもりだ。
けれど、それを聞いて安心した。もう目を覚まさなかったらどうしようかと思った。
医師は一度下がって、シルフィーの傷に塗る傷薬を持ってくるそうだ。傷が思ったより深く、今持っている薬だと効果が合わないらしい。
公爵と公爵夫人は医師の見送りでエントランスに降りていった。
医師が戻ってくる間、私はずっとシルフィーの手を握っていた。ピクリとでもいいから手を動かしてくれるんじゃないかと期待して。
けれども、シルフィーが目を覚ましたのは医師が出ていってすぐだった。ゆっくりとシルフィーが瞼を空ける瞬間を見て思わず名前を呼んだ。
「シルフィー!!」
あぁ。シルフィーが目を覚ました!良かった。本当に。思わず膝から崩れ落ちそうになったが何とか耐える。シルフィーに格好悪い所は見せられない。
「もう大丈夫だよ!」
安心して。だから笑って、またいつもの笑顔を見せて。シルフィーの笑顔は皆を幸せにしてくれる。勿論私だって。
「シルフィー、目が覚めたのか?!」
「シルフィー!」
私の言葉につられて、公爵も公爵夫人も部屋へ飛び込んでくる。傍へ寄り、シルフィーの顔を覗き込む。
「シルフィー、体痛くない?!すぐにお医者さんが来るからね!あぁ、顔もこんなに傷ついて…!」
夫人は執事長であるロバートに、医師をすぐに呼び戻すように言う。ロバートは急いで出ていったし、医師も出ていったばかりだから、医師はすぐに呼び戻されるだろう。
それでも、信じていたんだ。シルフィーは目を覚ましたら、また笑顔で『アル様』って呼んでくれることを。一緒にケーキを食べて、くだらない話をしていっぱい笑って……、シルフィーの笑顔が見れると信じていたんだ。また、いつもみたいに走り回って皆を無意識に魅了していく可愛い小悪魔。そんなシルフィーに会いたい。
「シルフィー、大丈夫?」
私はぼーっとしているシルフィーを抱きしめる。寝起きだからぼんやりしているのかな?そんなシルフィーも可愛いけれど。でも、流石にぼんやりしすぎかな?私の声だけじゃなくて、公爵や公爵夫人、スティラ、シリア嬢の声にも反応しない。
どうしたんだろう。シルフィーの寝起きは悪くない方だと思う。けれど、このパターンは珍しい。やっぱり怖かった時の記憶を思い出したのかな…。よく考えたらここはシルフィーが攫われた部屋だ。シルフィーが連れ去られたのは恐らく眠った後だから、この部屋に忌避感は無いはずだけれど……、判断ミスかな。
移動させた方がいいかも。でも、本当に何の反応もない。
「シルフィー……?」
本当に大丈夫だろうか。いや、大丈夫ではないだろう。公爵達もこんなシルフィーを見るのは初めてのようで動揺している。欠伸でもくしゃみでもいいから、何か、シルフィーが生きている証拠が欲しい。シルフィーがシルフィーである証拠が欲しい。
……もしかして、
「声が…出ないの・・・?」
私がそういった途端、周囲の至る所で息をのむ音が聞こえる。でも、本当はそれだけじゃないって、私は心のどこかで気付いていたのかもしれない。
「シルフィー!」
「シルフィー……」
皆がシルフィーの名前を呼ぶ。シルフィーの家族だけでなく、メイドや執事たちも。シルフィーがどれだけ皆に愛されているかが分かる。しかし、シルフィーは本当に『何も』反応を示さなかった。
声が出ない『だけ』ならどれほど良かったのだろう。
それがまさか、声どころか、『感情』そのものを見せる事が出来なくなっているなんて。そんなシルフィーを見て、皆悟った。
『助け出すのが遅かった』
私達が絶望に顔を染めていると、シルフィーは再び目を閉じていた。
医師によると、恐怖から逃れるために自身の心を殺してしまったのだろう、という事だった。これはすぐに治るケースもあれば、治らないケースもあるらしい。
焦らず、ゆっくりと心を癒していくしかない。
私はそれからできるだけシルフィーの所に来るようにした。どうしても第二王子としてしなければならない事以外の公務はレオン兄上とルートが代わってくれた。普段だったらこんな事しないけれど、こんな事態だったから父上もこの事については何も言わなかった。寧ろ快くシルフィーの所へ送り出してくれた。
シルフィーが次に目を覚ましたのは医師がシルフィーの薬を塗りなおして包帯を巻きなおしている時だった。
けれど、医師に、「お嬢様が次に目を覚ました時は静かにお願いします」と言われていたから、「シルフィー!」と駆け寄りたいのを我慢する。
「よく眠れたかい?」
医師は優しくシルフィーに話しかける。けれど、当然ながらシルフィーに反応は無い。……次に目を覚ました時には笑顔を見せてくれるんじゃないかってどこかで期待していた。でもそれが叶わないという事は、それだけシルフィーの恐怖が強かったという事だろう。
「どこか痛い所はない?」
痛いに決まってる。苦しいに決まっている。怖いに決まっている。全部全部、変わってあげたい。せめて痛みだけでも。
「ここはもう怖いことは無いよ」
「大丈夫だよ。きっと治るよ」
医師がそう言うと、シルフィーは再び目を閉じてしまった。
それからシルフィーは気まぐれに瞼を開けるようになった。一日中眠っていることもあれば、3時間ほどずっと目を覚ましている日があったりする。
私はシルフィーに話しかける事に決めた。いつものように頭を撫でながら、手を握って。
シルフィーは頭を撫でられる事と、手を繋ぐことが好きだった。だから、こうする事で少しでもシルフィーに癒しが与えられるんじゃないかと考えた。
いつもは私がシルフィーから癒しを与えられている。だから少しでもそれが返せていたらいいのに。
けれど、
「早く治るといいね」
そう言った時、シルフィーは諦めたように目を閉じる。まるで、『治らなくていい』と言っているようだった。『治りたくない』と言っているようだった。
シルフィーが私の話を聞いているのかは分からない。聞こえているのかも分からない。いつもうつろな目をしている。それでも話しかけた。少しでもシルフィーが生きることに希望を持ってくれれば。そう願って。
そうしているうちに、最近は段々と起きている時間が増えてきた。このまま元に戻るんじゃないかって少し期待していた。
でも、本当は怖かった。勿論目覚めると信じている。もう一度シルフィーの笑顔が見られると信じている。でも、どこかで、このままもう目が覚めないんじゃないかって感じている自分もいる。そう思っている自分こそが何より怖かった。
それでも、奇跡は起きた。ここに帰ってきてから9日経った頃だった。
シリア嬢が歌を歌っていた時に目覚めたらしい。子守歌だからと、シルフィーが好きな曲だからよく眠れるようにと。
あぁ、良かった。今日も目を覚ましてくれた。このまま眠る様に死んでしまうのではないかといつも怖かった。
シリア嬢がシルフィーを呼ぶと、シルフィーも答えるようにシリア嬢を呼ぶ。
当たり前の仲の良い姉妹の微笑ましい光景。あぁ、でも
奇跡だ。
思わず泣きそうになる。
きっと皆、一度は諦めた。諦めて、それでも、確証のない希望にすがった。シルフィーの笑顔が見たくて。
シルフィーがゆったりと微笑む。この笑顔が見たかった。
(あぁ、『シルフィー』が、戻ってきた)
思わず目の端からしずくが一粒零れ落ちたけれど、誰にも見られていない事を願っている。




