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第74話「帰路に予兆」

 世界一の美しさを誇ると名高い凱藍の自然において、最も美しいものは何か。

 そう訊かれれば俺は、間違いなく「早朝の山」と答えるだろう。

 まだ星の残る中うっすら明るい空の下、鬱蒼とした竹藪の中をめぐる青白い霧は、まさしく神秘的のひと言。

 そこに金色の朝焼けが差し込めば、まるで天女でも舞い降りてきそうなほどの神々しさが眼前に広がるのだ。



「この景色ももうすぐ見納めか……」



 そんなふうに感傷に浸りながら、ここ2週間ほどのことを思い出した。




 咲耶島から帰ると、崩季さんはすぐに魔法薬(まじない)の調合に取り掛かった。

 まず巴蛇(はだ)の角を細かく砕き、それを白い石臼で粒子状にすりつぶす。

 次に苔の神の雌株と御國桜(みくにざくら)の新緑を護法神哪吒(ナタ)の炎で燻して、そこにその他色々な材料と何やら青や緑に光る水を入れて、今度は自分の炎で1週間無休で煮詰める。

 驚くべきことに、この間崩季さんは一睡もしていない。

 だが全くもって平気というわけではなく、3日目あたりから目の下に濃いクマが浮かび上がり、うとうとしかけるたびに謎の飲み物を口から流し込んでいた。

 体中から汗をじんわり滲ませながら、クマの浮かぶ眼差しを炎に向けて離さない。

 トーシロの俺にはそれがあまり痛々しくて、「一晩変わりましょうか」と持ちかけたこともあったのだが



「だーい丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫。こーゆーンは専門家に任せンのが1番なんだよぶっ殺すぞ」



 と断られた。

 明らかに大丈夫なヒトの情緒ではない。

 


 そんな調子で崩季さんが働いている中、俺たちは何をしていたか。

 予定通りならば、薬の代金に足りない分を冒険者の依頼で必死に稼ぐ予定だったのだが、幸か不幸か、この両手に大火傷を負った代わりに500万ルベルの大金を得ていたので、その必要なはくなった。

 なので俺たちは、もっぱら家事と鍛錬に励んだ。

 崩季さんは職業柄、普段から作業場にこもって何日も出ないことが多々あるそうで、その間の保存食は中に常備してある。

 だがその内容は干した果物や肉、いく種かの漢方だけと、一見意識高そうに見えるが、その実栄養は傾きまくっている。

 特に塩分が甚だしく足りていない。

 ただでさえ不眠不休なのにこんな食事を続けても大丈夫なのは、おそらく神の生命力があってこそ。

 しかしさすがに心配が勝つので、せめて朝晩だけはちゃんとしたものを食べてもらいたいと、俺は毎朝毎晩おにぎりを3つ彼の元へ持っていった。

 中の具は主に惣菜。

 足りない栄養素を補うことを意識して、居間で拝借した本で調べた滋養強壮に良い山菜なども入れ、少々塩分多めに作った。


 最初はウザがられていたのだが、日を追うごとにすんなり受け取るようになり、3日目以降は感想をくれるようになった。

 ある日の薬膳炒めおにぎりを「今までで1番美味かった」と言われた時は、不覚にもキュンとしてしまった。

 あれで何故伴侶がいないのか。

 口の悪いツンデレとか、女子が1番喜ぶやつだろうに。


 鍛錬の方は経津主とガイアの指導のもと、各自を高めるためのメニューを作成し、それをこなした。

 俺は普段通り経津主との手合わせを中心に、基礎体力と俊敏性を高める訓練。

 ジュリアーノは魔術における魔力構築の技術向上と、基礎魔力の上昇を図った訓練。

 まあ、言ってしまえばどちらも基本的なものであるが、結局基本が正義なのだ。

 ジュリアーノは魔術のバラエティを増やそうと時折 魔導書片手に練習しているのだが、俺みたくほぼ武器に助けられているような人間は、無鉄砲なガムシャランニングで細かいことにこだわりながら基礎を固めまくる他ない。

 だからひたすらに頑張った。

 雨の日は泥だらけになったが、それでも足を止めず、全力疾走で山を登った。

 槍を振りすぎて手の豆が潰れると血がたくさん出たが、構わず振り続けた。

 ここまできつい鍛錬をしたのは、アイテールに教わっていた時以来か。


 ……そういえば、彼は今何をしているのだろう。

 だいぶあっさりした別れ方をしてしまった手前、自分から連絡を入れるのは小っ恥ずかしいというか、そもそも連絡先自体わからない。

 まあそこはガイアに訊けばどうにかなるんだろうが、今のところ、わざわざ手紙を送る理由もないしな。



 そうそう手紙と言えば、咲耶島から帰ってすぐ、冒険者ギルドで俺宛の手紙を受け取ったんだ。

 送り主は誰かって、そんなわかりきっていることを。

 崩季さんの工房まで折り目ひとつつけないよう大事に大事に持って帰って、色々落ち着いた寝る直前あたりに封を切った。

 開いて1番に飛び込んできたのは、よく見知った丸文字。



「んふふふ、文字すら可愛いなぁ〜ルジカは」



 内容は前回の手紙への感謝と近況。

 なるほど、ディファルトの体調は回復したのか。

 あの超人が暑さにやられたと聞いた時は相当驚いたが、何事もなく元気になってくれてよかった。



『最近までディファルトの看病で私はあまり外に出る頃ができなかったので、食べ物などの日用品は、新しくできた友人に依頼をして買ってきてもらっていました。

 ですがその友人が少し元気の良過ぎる人で、いつもお願いした以上のものを追加で持ってくるのです。

 お金を払うと言っても全く聞かなくて。

 とてもありがたいことなのですが、ミフターフの食べ物はどれも美味しくてついつい食べ過ぎてしまうので、後期はディファルトの看病よりも、いつのまにか食べ物へ手を伸ばしてしまう自分を律することの方が大変です。』



 なんて可愛らしい悩みだろう。

 でもそうだよな、女の子って異様に体重のこと気にするからな。

 どれだけ丸くなろうが健康に害を増さなければ、もといルジカならば俺は問題はないと思うが、本人が気にするというのならば言うことはない。

 元気の良過ぎる友人か……なんとなく心当たりがあるが、まさかな。



『ディファルトが完全に回復した頃、ミフターフで初めての依頼を受けました。

 例の友人に誘われて受託したのですが、冒険者ギルドの依頼というよりも個人的な依頼に近く、詳細は控えますが、とある御要人のボディガードです。

 依頼主様のお嬢様がお出かけをなさる最中に、私たちはそばについて行動するというものだったのですが、正直、護衛というよりも友人役の方がしっくり来るかもしれません。

 私は催事などの付き添いを想像していたのですが、実際はお買い物や遊戯を楽しまれるお嬢様の遊び相手として振る舞う方が多かったです。』



 ……おや?



『そのお嬢様は気品こそ素晴らしいのですが、大変お転婆な方で、いろいろなお店を見回ってはあちらこちらを走り回って、追いかけることで精一杯でした。

 しかしとてもお優しい方で、私や友人たちにそれぞれプレゼントをくださいました。

 お付きの方いわく、これがいつものお嬢様なのだそうです。』



 なんだろう、なんか既視感があるぞ。



『買い物の後はビーチに行きました。

 依頼主様のプライベートビーチなのだそうで、とても広々とした砂浜を私たち7人だけで占めて、もう夢のような気分でした。

 常設のネットを使って、みんなでウォールボールをしました。

 あまりに白熱しすぎて、ディファルトが友人の頬へ強烈なスパイクをぶつけてしまった時はとても焦りましたが、終わる頃にはお嬢様方も私たちも、主従の関係など忘れるほどに楽しんでいました。』



 ビーチ……ビーチでバカンスか、いいなぁ。

 俺がいた頃は砂嵐で封鎖されてたから叶わなかったんだよな。

 いつかみんなで行きたいよ、ルジカたちも一緒に。

 もちろんやましい思いなどはない。

 あくまで海を楽しむためだ、うん。


 

『ディファルトが写真を撮ってくれたので、いくつか封入しました。

 少し恥ずかしいですが、友人たちも写っているのでぜひお納めください。』


「なにィ!?」



 俺はすぐさま封筒の中を確認した。

 確かに滑り出てきた、数枚の厚紙。

 なんか硬いし分厚いと思ってたんだ。

 まさか写真だったとは。


 息を飲み、高鳴る鼓動を抑えながら、ゆっくりとそれをひっくり返す。

 瞬間、双眸に飛び込んだ光景に俺は声が出なかった。

 そこに写っていたのは、デッキチェアに腰をかけ、カメラに気がついたような目線を送る水着姿のルジカ。

 まずい、まずいぞ。

 これはまずい。

 あまりに刺激が強すぎる。

 反射的に天井を見上げた目線を、再び写真へ戻す。

 ビキニ水着のパッド部分には可愛らしいフリルが付いており、写真機の性能のせいで色はわからないが、その肌が日に焼けてほのかに赤くなっている様子はハッキリとわかる。

 そして言うまでもない、その素晴らしいシルエット。

 薄手のパーカーを羽織ってもなおその造形美が垣間見える様は、まさしくコントラストの黄金比。

 こんな子が健気で優しくて強くて……お、俺の……。


 ……とまあ浮かれているが、衝撃はそれだけでは終わらない。

 ルジカの隣に座る少女。

 こちらに背を向けつつも、少しツンとした目線をカメラに送るその顔を、俺はよく知っている。



「ウルファ……だよな、絶対」



 そしてまたその隣。

 ボールを抱え、最前で輝かしい笑顔を向ける少女は、元気でありつつもどこか気品の宿る佇まいで、髪型は違えど見知ったその容姿が否が応でも俺に正体を教えてくれる。



「姫様まで……何故……」



 そう、ルジカの写るその一枚の写真に、なんとウルファとアサーラ姫も写っていたのだ。

 え、え、え、なんでなんでなんで??

 上記の文面からなんとなく察してはいたけど、まさかそんな……。

 同封されていた他の写真を見てみれば、もちろんサイファルとアサドも写っている。

 シャジェイアさんもいるんだけど、どうなってんだこれ、数奇な運命すぎるだろ!!

 世間は狭いというが、いくらなんでも狭すぎる。

 地域の公民館に行ったら出会いましたとほとんど同じ感覚だもん。

 

 最初の写真以外は、正直言ってカオス極まりない。

 だが、それがまた彼ららしいというもの。



「本当にめっちゃ楽しそうじゃん……」



 久しく見れていなかった旧友の姿を思いがけず拝むことができたのは嬉しいが、それにしたって羨ましすぎる。

 俺だってジュリアーノと海を泳ぎたいよ、ガイアと砂浜を駆け回りたいよ。

 経津主が木刀でカチ割ったスイカを、ベルと一緒に頬張りたいよ。

 だが生憎と、凱藍も鎧銭も今は初夏。

 四季がはっきりしたこの国々では、海開きにはまだ早い。

 色々落ち着いた頃、検討してみるかな。


挿絵(By みてみん)






 そんな様子で過ごしていると、ついに魔法薬が完成した。

 鍋で煮詰められていた頃は色の悪いあんかけのようなドロッとした液体だったのが、今 手元の瓶に収められるそれは砂のようにサラサラしている。

 日にかざすと液体の中で舞う粒子が日光を反射して、まるで瓶の中にエメラルドグリーンの天の川がつめられているようだ。



「あんま日に当てんな。薬が焼ける」



 不機嫌そうに言う崩季さんに、俺は瓶をバッグの中へしまった。

 次に薬の代金が入った箱を渡せば、これで崩季さんへの依頼は終わり。

 あとは鎧銭へ戻り、やることを成すのみ。



「ありがとうございました、本当に」


「俺は恩を返しただけだ、感謝される筋合いなんかねぇ」


「とか言ってぇ、久々に楽しそうだったじゃないの」



 そう言って、冬虫夏草の神がいつものように崩季さんにダル絡みする。

 だが太ももを小突かれる彼の表情に不機嫌の色はない。

 その様子に苦笑しつつ経津主も礼を言い、それに続くようにガイアとジュリアーノも頭を下げた。

 

 その後は特に長い会話もなく、ほぼ淡白な形でわかれた。

 少し寂しいような気もするが、そこら辺のあっさり感は実に崩季さんらしいというか。

 後腐れがなくて格好良いな、なんて思いながら帰路を歩く中、俺も振り返ることはなかった。



 早朝に雀亨山(じゃっこうさん)を出発したが、港町へ着く頃には空はうっすら赤く、日が暮れかけていた。

 埠頭の人々が撤収する前に船の予約は取れたが、何やら近頃海の生物たちが荒れている様子で、選択肢が少なかったため少々お高めになってしまった。

 だが例の通り当分金の心配はいらないのだから、さして問題はないだろう。

 ベルが鎧銭で待っているんだ。

 こんなところでモタモタなんてしていられない。


 ギルドの宿舎で一晩を明かし、翌日の朝、いよいよ俺たちは船で凱藍を出た。

 俺の体を大陸へ引き戻そうとするような潮風に背を打たれながら、少しずつ遠のいていく街並みを眺めていた。

 人の形が完全に見えなくなった頃にすぐ前を向いたのは、きっとここからじゃ雀亨山が見えなかったから。

 

 噂に恥じぬ神秘。

 出会った神や神獣はなんというか、クセの強いヒトたちが多かったけれど、それがまた楽しかった。

 崩季さんは乱暴なようでその実すごく面倒見が良いし、冬虫夏草の神は見た目こそ気持ち悪いけど、話してみると気さくでユーモアがあって、楽しく会話ができた。

 姚淵神君(ドウエンシンクン)は物腰柔らかでとても優しかったし、凱藍ではないが、あの咲耶華宰先生と友人になれ、また彼が異世界のことを知っていたということは、一生涯の喜びと言っても過言ではない。

 ……トトがいたら、もっと楽しい話もできたんだろうな。





 凱藍から鎧銭まで船で渡れば、どんなに絶好調な日和でも1週間はかかる。

 みんなもうほぼ酔わなくなったが、やっぱり寝床が揺れるのは少し落ち着かない。

 3日目の夕食を終え、1番星が見え始めた甲板の上で、俺は羊皮紙を開いて眺めていた。

 それはトトが俺に託してくれた、ガイアの身体のパーツの所在について、さまざまな情報からの予測を記したもの。

 

 右足は今、経津主が持っている。

 けど左足は……


 羊皮紙を見るに、10年ほど前に凱藍の闇市で取引された記録があると書いてある。

 崩季さんが薬を作ってくれている最中に何度か山を降りて調査を試みたが、手がかりは何ひとつ見つけられなかった。

 なにせ調査範囲が狭すぎるし、そもそも記録は10年前。

 もう少し残って探したい気持ちも少しあったが、何よりも優先すべきはベルだと、ガイア本人が言った。


 まあアイツ自身、真剣に探しているというよりかは、様々な地を放浪しながらのんびり探し歩く方が性に合っていそうではある。

 俺もガイアも寿命は無限。

 何か世界に危険が迫っているという話も聞かないし、そう急ぐ必要もないのかもしれない。


 そんなふうに心の中で呟きながら、羊皮紙をカバンにしまった時。

 ふと、背後から俺の名を呼ぶ声が聞こえた。

 振り返ってみると、ガイアが手を振りながらジュリアーノと経津主を連れて、こちらへ歩み寄ってきた。



「ホント好きだね〜こーゆーとこ」


「気持ちいいじゃんか、涼しくて」


「僕も好きだよ。潮の香りが乗った風を浴びていると、水に浸かっていなくても海を感じられる」


「同感だな」



 3人は俺の隣に腰掛ける。



「凱藍ももう、見えなくなっちゃったね」



 甲板の外は見渡す限り澄んだコバルトブルー。

 俺の故郷でも、きっと全く同じ景色を見ることができる。



「薬は手に入れたし、後は永河晤京に接種させることができればハッキリする」


「そう簡単な話じゃねぇぞ」


「ここまで来れたんだもの、きっと上手くいくさ」



 そう言ってジュリアーノはニッと笑ってみせる。

 その様子に勇気付けられる俺たちであった、唯一経津主だけは表情に光が灯っていない。



「なあ、ジュリアーノ」



 唐突に名を呼んだ経津主に、ジュリアーノが視線を向ける。



「炎神に魔法薬を依頼する時さ、お前、なんで真っ先に頭下げたんだ」



 崩季さんとの初対面、相手方の機嫌が悪く一方的に突っぱねられるシビアな状況で、ジュリアーノは怯むことなく彼へ依頼を懇願した。

 本当ならば経津主が先陣を切るべき状況であるが、彼が前へ出るその前にジュリアーノが頭を下げた。

 俺も当時は少し驚いたが、仲間のためにと、彼の後に続いた。



「だってほら、……ミフターフでドクロさんに僕の杖を作ってもらおうって時、君『なんでもする』って言ってくれたろ?」



 ジュリアーノの杖。

 亡くなった父親の形見であるそれが壊れてしまった際、経津主はとても責任を感じていた。

 長年連れ添った愛刀を失った彼にとって、それが心にどれほど深い傷を負うことかは、きっと痛いほどわかる。

 その上、自分の実力ならば防げたかもしれないと思えば尚更だろう。



「気にしてないよって言ったのに最後まで体張って。すごく心配したけど、本当は嬉しかったんだ。まだよくわからなかった君の、優しさが見えた気がして」



 そう言って、ジュリアーノはいつもと変わらない様子で微笑んで見せる。



「それに頭下げるとか、君の柄じゃないだろ? お願いするも謝るも、崖を流れる滝のごとく(こうべ)を垂れるなら僕とケンゴが適任だよ」


「お前……仮にも一国治める貴族でしょうが……」


「高い地位には威厳が必要だけど、時に(へりくだ)る姿勢も大事なのさ。戦争もなくなったんだ、世の中平和が1番じゃない」


「確かに。この数百年 本当平和になったよねぇ」



 元の話題も忘れて再び談笑を始めた俺たちに、経津主はどこか安堵したような様子で眉を顰め、微笑む。

 出会いはともかく、ガイアもジュリアーノも経津主も、もちろんベルだって、みな同じ釜の飯を食べ、修羅場をくぐり、長い道のりを歩いてきた仲間だ。

 貸し借りなんて安いもんじゃない。

 仲間だから助け合う、ただそれだけのこと。



「これが終わったら、経津主は鎧銭に残るのか?」


「ああ。鎧銭は俺様の故郷で、万套会は俺様の家だ。何があったって帰る理由がある」


「そっか。そう思うとなんか……寂しくなるね」



 覚悟はしていた、もといそのために鎧銭を目指したんだ。

 だがいよいよとなるとやはりどこか受け入れ難くて、目頭にくるものがある。



「そう言うお前はどうなんだよ。公王から旅の許しが出たからって、いつまでも空けてて良いわけじゃねぇだろ?」



 経津主の言葉に、俺はハッとした。

 ジュリアーノは俺にとって、異世界でのはじめて対等な関係を築けた友だち。

 右も左も分からない頃からガイア含め3人で切磋琢磨して、様々な困難を共に歩んできた。

 彼らが横にいない情景が、俺には想像できなかった。

 想像しようとも思わなかった。


 ガイアはおそらく、契約上ほぼ一生を共にすることとなるだろう。

 だがジュリアーノはどうか。

 魔道士に憧れる青少年とはいえ、その血は一国を治む貴族の本筋。

 現公王に妃や子息は見られなかった。

 ということは、おそらく一位の継承権は彼にある。



「うーん……まあ、確かに。ずっとはいられないよね」



 ジュリアーノは甲板へ足を伸ばして、空を見上げる。



「フィオレッタ先生の元で修行をしてた頃、それについて兄さんと話したんだ。兄さんは僕の気持ちを優先してくれている。けれど、ベラツィーニの本筋に後継者が少ないのも事実。わかってたことなんだ。次男とはいえ、貴族の子息が家のことをほっぽり出して……」



 ジュリアーノの表情は笑っているが、その瞳はどこか寂しげでもあった。



「20になる頃には帰らないと。でも、できる限り旅は続けたいと思ってる。君らと会えなくなるのは寂しいからね」



 そう言い、ジュリアーノはこちらを振り向く。

 そしてまた、いつも通りに無邪気に微笑んで見せた。

 なんて健気な。

 何のしがらみも無く、のほほんと生きている俺とは違う。

 背負った運命に抗おうと努力しながら、与えられた役目にきちんと向き合って従い、全うしようとする姿勢。

 立派すぎる、本当に一個違いなんだろうか。



「じゃあ俺、写真送るよ」


「写真?」


「ああ。その地を訪れるたびに写真を撮って、ジュリアーノに送るよ。目に見える景色を共有すれば、たとえ星の裏側にいたって一緒に旅してるみたいな気分になれるだろ? お前が銅像の立つくらい立派な公王になっても、俺たちが旅をする限り、ずっと送り続けるよ」



 そう言って俺は、右手の小指を立てて「約束」とジュリアーノへ差し出した。

 だがしかし、彼の顔に張り付いた表情はまさしく、鳩が豆鉄砲を食らったような顔つきだった。

 そして何がおかしいのか、突然「プッ」と吹き出して肩を震わせ、笑い出した。



「え、え? 俺なんか変なこと言った?」


「んふふ……いや、ごめんごめん。僕が言葉足らずだった」



 俺と経津主が顔を見合わせて頭にハテナマークを浮かべるなか、ガイアだけが何かを思い出したかのようにハッとする。



「僕は公王にはならないよ。兄さんにはもう子息が2人いるし」


「え、そうなの!? でも宮殿には……」


「ウチの家の風習でね、生まれた子が5歳になるまでは母方の実家で暮らすんだ。だから宮殿には兄さんしかいない」



 初耳なんですけど。

 けどそっか、ロレンツォ様28歳だもんね。

 一国の王がアラサーで妻はおろか、子供が1人もいないとか普通ありえないよな。



「僕も本家筋だし、若いうちに奥さんもらって子孫も残さないといけないけど、落ち着いたら復帰するつもりだよ。もちろん定期的に会いに帰るけどね」



 ジュリアーノは高揚した気分を沈めるように、大きく深呼吸を挟んだ。



「けどありがとう。君のそういうところ、僕好きだよ」



 涼しい顔でこういうことを言って退けてしまうあたり、生粋のアウローラ人なんだなと改めて思う。

 これで恋人が1人もいないというのだから、不思議なものだ。



「え〜、ボクはボクはぁ?」


「もちろんガイアも好きだよ。経津主もベルもね」


「お前よく言えるよなァ……ンな歯の浮きそうなセリフをよォ……」


「いいじゃない、こんな場ではプラスな感情は積極的に言葉にするべきさ。そうすれば、相手も自分も幸せになれる」


「賛成ー!」



 また、いつも通りに戻った。

 ここ最近、みんながこうして笑っている姿をよく見た。

 鎧銭にいた頃よりも危険へ気を配らずにいられたこともあるが、やはりなによりも、共に協力をしてひとつの目標を成し遂げたことが大きいだろう。

 ドクロさんに杖を作ってもらった時よりは楽だったが、道のりは遥かに長かった。

 そのおかげで崩季さんとの絆も深めることができたし、新しい出会いもたくさんあった。

 ……だがいつも、頭の端にはベルの顔がチラついている。

 鎧銭に1人残してしまって、今頃何をしているだろう。

 寂しい思いをしていないだろうか、何か危ないことに巻き込まれていないだろうか。

 龍兵さんたちは信用できる。

 だがもし万が一、他の万套会の連中に見つかっていたらどうしようかと、心配にならない日はなかった。

 経津主の言うように、本人が「大丈夫」と言ったのなら信じるべきだろう。

 心配性すぎるのだろうか。

 けど、それでも……


 少し雲の出てきた空を見上げながら、心の中でそう呟いた。

 その時。

 俺たちの腰掛ける甲板が、突如の突風と共に大きく揺れた。

 体幹の優れた経津主が転げかけるほどのそれは、数秒を開けたのちにまた襲い来る。

 なんだなんだと狼狽える一同の中、右手の海に目線を向けていた俺は、波打つ漆黒の上を飛ぶ巨大な影を見た。



一目連(イチモクレン)ッ!! 一目連だァーーーッ!!!」



 怒号とも錯覚する船員の叫びと当時、再びとてつもない突風が真横から吹き荒れた。

 それは甲板に積み上がった木箱やボートを吹き飛ばし、ガイアの体が軽々と浮き上がる。

 俺は彼女の名を叫びその胴を掴んだが、風の勢いに流されて自分の体すらも地面から離れてしまった。

 しかし飛ばされかける俺の体を、柱に掴まる経津主が間一髪で俺の服の裾を掴み引き止める。


 

「ケンゴ!! 手を!!」



 経津主と共に柱で耐えるジュリアーノが、俺へ手を伸ばした。

 それに応えて俺も必死に手を伸ばすが、長さが足りないのと風に煽られるせいで全く届く気配がない。

 星の灯る空はいつのまにか分厚い雨雲に覆われ、雷すらもけたたましく鳴っている。

 大粒の雨が降り出し、視界に曇りが生じた頃。

 とてつもない落雷が近くに降り注ぎ、一瞬のうちだけ辺りを(まばゆ)い光が照らした。

 吹き荒れる狂風の中に、長く揺らめく1本の影。

 銀と紫の鱗に覆われ、枝分かれの長い角を携えた1匹の龍がそこにいた。

 潰れていない方の瞳でこちらを狂気的に睨みつける様は、正気の沙汰とは思えない。

 再び突風が襲った、次の刹那。

 雨で濡れた影響か、経津主がしかと握る俺の服の裾が、悲鳴をあげてちぎれた。

 支えを失った俺とガイアは、横暴な風にその体を振り回され、一瞬のうちに船より遠くへ吹き飛ばされた。

 経津主とジュリアーノが俺たちの名を呼んだ気がするが、その声すらも一瞬で落雷と狂風にかき消される。

 何もわからないままガイアを内側へ抱き締めたその瞬間、背中に打ち付ける冷たい衝撃と共に、俺の意識は途切れた。

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異世界転移
― 新着の感想 ―
ギャー、ルジカ!ルジカ!ルジカ!太もも最高!! で、脳内が埋め尽くされて何にも入ってこなくなってしまい、二度読みしてしまいました。 アサーラ姫も元気そうですね! 後半、船の甲板でのジュリアーノの語…
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