第69話「華神・木花之咲耶華宰神」
亜空間の空というものは、魔術で濃霧や結界の類を張らない限り永遠の漆黒が広がっている。夜の空を比喩にすればわかりやすいが、実際は星も月も無く、あるのはただ黒洞洞とした闇だけ。故にその中に天候の都合は無く、何の手も加えなければ湿気はおろか、空気すらもない。
万套会の本部地として使用されているこの亜空間は、大昔に先代の会長である建御雷之男神により作り出されたものであり、中に漂う空気やどこからともなく暗闇を照らす灯りなども彼の仕業。死後400年以上経とうという今この時も消える気配を見せないのは、数千年の時経つうちに術が深く根を張ったからであろう。
その本部の一角。母屋から隔絶された小さい御殿の中は暗く、四方に佇む燭台も灯りだけが揺れながら室内の2人を照らす。
「で、どうするつもりなの」
机越しに向き合う椅子の片側に座る少女が、向かいに座る晤京にそう問う。
紫色の長いツインテールに、漢服を模したような姿で脚を組む彼女の佇まいには、小柄ながらも確かな高圧さがある。
そして揺れる炎に照らされる顔に嵌められた仮面には、まるで鋭い表情を隠すかの如くハサミを閉じ、身を固めた蟹の彫刻が掘られていた。
「『私情を優先して構わない』なんて聖帝様は言っていたけれど、アンタは存外、自分を優先しすぎじゃないの?」
「……最もだ」
仮面の穴から覗く晤京の瞳は暗く、濁っている。
そんな彼を見て、苛立ちを抑えるように少女は大きくため息をついた。
「せっかくカサイケンゴを捕らえたのにみすみす逃した挙句、数ヶ月経った今でも足取りすら掴めていない。この際だからハッキリ言うけど、正直さ、アンタやる気ないでしょ」
「……」
「は、図星?ダッサ」
少女は吐き捨て、首を傾げてこめかみに指を立てる。
「アンタの地位がどうなろうが、他にどう言われようが知ったこっちゃないわ。けどね、聖帝様の不利益に繋がることだけは許さない」
「承知の上だ」
「どうだか。そもそもさ、アンタ自分の使命わかってんの?アンタみたいなくたびれたオッサンが十二公に選ばれた理由、聖帝様に認められた理由。力でしょ。力があるから選ばれたんでしょ?なのにさ、何してんの?アンタが殺害を命じられた神は2柱。……バカのアクエリアスがしくじったから今は3柱か。で、その中でアンタが殺したのは何柱?1よ、1柱。あり得ないでしょ、マジで」
少女は言葉を羅列しながら立ち上がり、細い人差し指を突き出して向かいの晤京に詰め寄る。しかし晤京の顔に物怖じの色はなく、その瞳はただ心の奥底で何か渦巻き引っかかったような、深い漆黒に染まっていた。
少女は声を少々荒げた喉を落ち着かせるように小さく息を吐くと、席に戻って湯呑みを手に取った。
茶を飲もうと仮面をずらしたその一瞬、白くきめ細やかな肌に映える薄い臙脂の唇が顔を出す。
「アンタの事情は考慮しない。やらないんだったらワタシがやる」
「ああ、構わない」
「うるさい。アンタのためにやってんじゃないのよ。聖帝様に落胆してほしくないのと、ちょうどタイミングが良かっただけ。どうせ家族ごっこで忙しいんでしょ」
「無論だキャンサー。君の思う通りにやってもらって構わない。助力が必要とあらば私も力を貸そう」
「いらねぇっつってんだろジジィ。お前を使ってやるか否かはワタシが決める」
キャンサーと呼ばれた少女は湯呑みを机に叩きつけ、仮面越しに晤京を睨みつける。
「余計なことはしないで、命令だけ聞いとけばいの。じゃなきゃ、アンタの可愛い子供たちに何するかわかんないわよ」
キャンサーはそう吐き捨てると、不機嫌そうに立ち上がって傍に置いていたマントを羽織った。
そして御殿の出口まで歩くと、挨拶もなく引き戸に手をかけた。
しかし
「待て」
取手を持つ手に力を入れようとした直前、晤京の低い声がキャンサーの背中を刺す。
「なに」と振り返った彼女の仮面の隙間から覗く額には、不快の青筋が刻まれていた。
「役に立たぬ立場から恐縮ではあるが、これだけは言わせてほしい。もし組員に危害が加わるような事態になれば、私はいつでも鬼になる。それは、同胞たる君相手でも例外ではない。それだけはぜひ覚えておいてほしい」
先程まで高圧的であったキャンサーも、鎧銭一の極道組織を背負う大男の気迫には思わず冷や汗を流した。
「……わ、わかってるわよ。そんなこと。でも、それがわがままだってことも覚えときなさい。もしアンタが教団を裏切ったその時は、ワタシも容赦しないから」
キャンサーは動悸を抑えるように乱暴な手つきで戸を開けると、足早に御殿から出ていった。
入り口前で待機して彼女と入れ替えに入った巨海は、不機嫌な様子で揺れるツインテールの後ろ姿を怪訝そうな流し目で睨む。
「生意気な嬢ちゃんでしたね。一刻ンとこの咲子ちゃんの方がよっぽどお利口さんだ」
「聖帝様へのご恩を返せぬ私は役立たずなのだ。年功序列以前に、彼女を揶揄する権利はない」
「理解ってますって。けど親を侮辱されたんです、手が出なかっただけ褒めてくださいよ」
うなじに手をやってやれやれとする巨海の口角は上がっているが、裏腹に瞳の青は不服げであった。
そんな2人の様子などは知らず、キャンサーは同じくマントの従者を連れて、早歩きで亜空間の出口へ向かう。
地面を強く踏むせいで跳ね返り足にぶつかる白い砂利。更に苛立つ彼女の様子に、従者はめんどくさげな表情で歩幅に配慮しながら後ろを歩いた。
「肩書きのわりに使えねぇオッサンでしたね。アレお嬢の同僚ってマジすか?」
「ギベオン教団は実力至上主義だから、強ければ上にいけるのよ。その弊害がアレや水瓶のクソエルフ」
「なんて言うんですっけそういうの、世知辛い?じゃないか?ええ〜…………ん?お嬢?」
従者が考え天を仰ぐ間に、キャンサーの足が止まった。不思議に思った従者は彼女の顔の向く先に瞳をやった。
それは、母家の縁側に座るいくつかの影。ひとつはこちらに背を向けて紙芝居を掲げ、もうひとつは正座に背筋をピンと伸ばしてそれを真剣な眼差しで見つめ、さらにもうひとつはその横であぐらをかき、こちらも紙芝居を見つめている。
「……え〜、こうして凱銭に再び平和が訪れました。めでたしめでたしぃ〜」
読み手の声の伸びに合わせて紙芝居の幕が降りると、ベルは両手のひらを真っすぐ伸ばして拍手をした。
「秋典お前、語り部上手いじゃねぇか」
「へへ、あざっす。兄弟がチビだったころによく読み聞かせてましたんで、こーゆーのは得意中の得意なんすわ」
小館に褒められて、紙芝居を読んでいた舎弟の藤原は胸を張り得意げにそう言った。
すると、紙芝居の最後のページをじっと見ていたベルが背筋をピンと伸ばして挙手をする。
「お、ベルちゃん質問すか?イイっすよ、なんでもどうぞ」
「が、がいせんは、どこの くに?」
「おー、イイ質問っすねぇ。凱銭っつーのは昔の鎧銭と凱藍のことっすよ。500年前までは鎧銭と凱藍は一つの国で、そん時までは凱銭って呼ばれてたんすけど、ご存知シャンバラの毒災で国が分断されてからは、それぞれ名を改めて統治されたっす。まあ、お上が勝手に始めた喧嘩に俺らが巻き込まれてるってわけっすわ。それを利用してうちが飯食ってんのも事実ではありますがね」
万套会は凱藍製品の密輸により多くの利益を得ており、それら資金は全て組織の金として運営される。
つい最近取引先を増やした効果もあり業績は右肩上がりであるが、一方で昨今の違法薬物事情や西部の黄金錦組とのいざこざもあり、多くの出費で懐が痛んでいることも事実。
組員一同この騒動が早く終われば良いものと考えており、それは敵対する黄金錦組の者どもも同じことであった。
ベルは理解しきれない様子で首を傾げ、頭上にはてなマークを浮かべる。
「はは、わかんねぇか。仕方ねぇっすよ、ベルちゃんには関係のない話っすから」
そう言いながら藤原はニッと笑い、ベルの頭を撫でた。
極道の本拠地とは思えないほどに平和な様子。その景色を見つめるキャンサーの瞳は、後ろから見下ろす従者には仮面の影に隠れて全く伺えない。
「これだからこの仮面制は嫌いなんだよな」なんて思いつつ従者はキャンサーに声をかけ、彼女と共に先を急いだ。
一方常夜泉町のはずれ、花街から逸れた古い商店街近くの路地の一角でたむろするのは、以前晤京たちを襲った黄金錦組の武闘派、獅子神雷皇、輝原星二、甲賀真都の3人と、若手の赤塚燈一郎。
「ジャーン!見ろやこれ!」
獅子神は3人に背を向けると、黒地の背中に白の筆文字で堂々と「悪魔」と書かれたアロハシャツを得意げに見せつけた。
「あっこのちっこい露店でさっき買うてん。『悪』の『魔』人やで!かっこええやろぉ〜ええ?」
有頂天の声色に流し目で3人の様子を伺う獅子神。
しかし彼の予想とは裏腹に彼らの反応には呆れの色が濃く、甲賀に至っては頭痛でも起きたかのように悩ましげに頭を抱えていた。
「お前ェそれ、ゴリッゴリの差別用語やんけ。しかも魔族の蔑称やぞ」
「ええー!?ほんまァ!?」
獅子神は素っ頓狂な声を上げ、すぐにそのシャツを脱ぎ捨てる。
「アカンやんこれェ!なんで教えてくれんかってん!業績向上に貢献してしもたやろがいっ!!」
「知らんがな、おどれが勝手にみっけて勝手に舞い上がって勝手に買うたんじゃろが。そもそもなんで知らんねんワレ。のォ燈一郎」
「ええまあ、普通は気付きはるもんや思いますけど……」
可愛がっていた後輩にハッキリとものを言われ、あからさまに肩を落とし膝から崩れ落ちる獅子神。
差別と知らずに軽い気持ちでこんなモノを買わされてしまった屈辱、それを見た仲間たちにあからさまに呆れられた屈辱、そして自分達に差別用語があったという事実を知った屈辱。無知であるが故の屈辱の重なりが、壮大な絶望となって獅子神の背中にのしかかる。
しかしそんな獅子神を見かねてか、そばに控えていた輝原は座り込んだ彼にすかさず駆け寄り、励ました。
「知らんかったっちゅうことは、兄貴がこれまで差別を受けんで生きてきたっちゅうことです。差別を受けんいうことは、ナメられへんやつやと相手が思うとる証。兄貴が真の漢たる証ですわ」
「……せやろかァ……」
「せや。そン証拠に、兄貴がその服を着て町を歩いとった時、誰ひとりとして笑う輩はおらんかったんでっしゃろ?」
「アホすぎて呆れられよっただけじゃろ」
「せや……せやな!そうや、そうに違いあらへん!!」
獅子神は立ち上がり、輝原に肩を組む。
「お前はほんっっっまにええやっちゃなァ星二ィ!大大大好きやでぇ〜」
「事実を言うだけですわ。兄貴には敵いません」
さらに上機嫌な様子で輝原の肩にパンチを入れる獅子神。
そんな2人を興味深そうに眺める赤塚の横で、甲賀はため息を吐いてタバコを咥え火をつけた。
「ほんまに仲がよろしんでんなァ」
「馬鹿が馬鹿の傷舐めてやっとるだけや。お花畑な奴らやでほんま」
「あ、せや甲賀の兄貴。塩沢の兄貴から手紙届いたんですけど、もう2週間こっちにいてくれ言うてはります。薬物流しとォ半グレ調べて、力ずくで色々聞いてきてほしいらしいですわ。ご丁寧にリストも同封で」
赤塚からリストを受け取ると同時に、低く喉を鳴らしながら煙を吐く甲賀。
屋根の隙間から刺す陽光を反射するサングラスの裏には、確かな苛立ちの気配があった。
その佇まいに、赤塚は思わず肩を震わせる。
「あァ゙ンのボケカスが……兄貴分に文字で命令たァ、いい度胸だのォ」
「てっ、手紙は塩沢の兄貴からですが、命令自体は幹部からですンで!けっ、決して兄貴たちを舐めてはるわけとちゃうんやと思います……っ!」
「ア゙ア゙?」
喉を鳴らす甲賀をなだめるように、冷や汗を垂らしながら必死に訴える赤塚。
その言葉に納得したのか、甲賀は眉間の皺を解いてため息を吐いた。
「ワシらが出とる間にカシラが帰ってきたらどないすんじゃボケが。お帰りなさいの会 顔出されへんじゃろがィ」
まだまだ怪訝な顔つきで煙を一つ吐くと、舌打ちをして短くなったタバコを投げ捨て、靴の底で火を踏み消した。
そのような状況などはつゆ知らず、風を切る渡船に優雅に揺られる俺の目の前には、目的地の景色が間近に迫っていた。
ほとんど正円形の島はまるで桜もちのように、埋め尽くす緑色の中心に桃色の花が咲く。砂浜に足を踏み入れれば、眼前に生い茂るのは見たことがないほどに鮮やかな緑色の木々。初夏だと言うのに、ここまで新緑の若々しさを保っているとは。これも結界による効果なのだろうか。
凱藍のような広大な平地もなければ、鎧銭のように俗的な雰囲気もない。そこにあるのは優雅に佇む木々の海。
「噂に聞くには、春夏秋冬の花が咲いているって話だったけど……」
「見える限りは森だな」
残念に思ったわけではないけれど、聞く話からの想像とはだいぶ離れた事実に少々驚いている自分がいた。
「一見無人島みてぇだな」
「経津主、来たことないのか?」
「ああ。ここは鎧銭と凱藍の共同自然保護区だからな。入っちゃいけねぇ法律はないが、進んで行こうとも思わんな」
この咲耶島はシャンバラの毒から鎧銭と凱藍を守る結界の中心であり、それは両国民にとって周知の事実。厳しい環境での国家運営において重要な場所であるが、裏を返せば民にとってはただそれだけの場所。鎧銭には娯楽がたくさんるし、美しい自然なら凱藍にも沢山ある。
地元民は地元のパワースポットに行かない的なあれかな。
いや、少し違うか?
そんなふうに辺りを眺めていると、生い茂る木々の間から何やら大きな影がこちらに近づいてきた。
なんだなんだと目を凝らしてみれば、その姿は驚くべきものだった。
大きな木の葉でできた服の間から人形劇の操り人形のように細く長い木の腕が生え、足はなく宙に浮いている。木彫りのおもちゃのような丸い顔にはまんまるの黒い瞳が二つに、大きくにっこりと笑った口と、頭の後ろの扇のように2枚の葉っぱ。
端的に表せばフラットウッズ・モンスターに妖精チックな服を着させたような、とても奇妙な姿だった。
今までの傾向から考えると、やはりヤツも神なのだろうか。
ソイツは風に吹かれる木の葉のようにゆらゆら浮遊して崩季へ近付くと、細長い指を揃えて腹の前に合わせて丁寧にお辞儀をした。
崩季も頭巾を取り、お辞儀を返す。
俺たちも慌ててそれに続いた。
「華宰に会いたい。案内を頼めるか?」
崩季の申し出にソイツはこくっと頷き、手招きをしてからゆらりと振り返ってもと来た道を進んでいった。
ヤツの後を追い森に入ると、柔らかい陽光は一瞬で青々とした木の葉に埋め尽くされ、ところどころの木漏れ日だけが行く道を照らす。
少し歩くと、周りを囲む深緑のカーテンが、突然爽やかな桃色に変わった。
これは、桜だ。
真っ黒な太い幹が立ち並び、青空がもっとハッキリ見えさえすれば入学式の桜道そのもの。手を差し出すと、淡いピンク色の花びらが手のひらに着地した。
先に見える出口らしき光を目指して、ひたすら神(?)の後ろを着いて歩いていく。
唐突に刺した強い陽光に思わず目が眩んだ。
ぎゅっと閉じた瞼の裏で黄色く叫ぶジュリアーノの声にゆっくり瞳を開けると、そこには広大な花畑が広がっていた。
春夏秋冬、四季折々の花が一斉に咲き誇るその姿は、さながら小人状態で花束の中に飛び込んだよう。
中心部には巨大な枝垂れ桜が鎮座し、吹き付けるそよ風に乗せられて、爽やかで優雅な香りが漂っている。
色とりどりの花々が混在しているにもかかわらず、全く目が痛くないどころがずっと見ていたい景色。
俺の語彙ではとても全貌を表しきれない、まさしく楽園のような光景がそこにはあった。
神に連れられて花園の小道を歩くと、桜の香りが鼻を通った。
花特有の撫でるような優しい香りの中に、まるで母の腕に抱かれているような安心感がある。
樹の根元に、誰かがいる。
石造りの椅子と机に腰掛けて、他は誰もいないのに何やら話をしている様子だ。
「だからさ、商業誌なの。わかる?広場の掲示板に貼っつけて『ご自由に手におとりください』ってやってんじゃないの。そこそこにお金払ってんのにこれ見せられてもさ、正直喜んじゃくれないと思うよ」
桃色の髪の毛に和洋折衷スタイルの少年。
背中越しに発せられる声は、辺りを包む花の香りのように柔らかい。
しかし、その内容はいくぶん不穏だ。
「別に君の好きなものを否定してるわけじゃないけどさ、最低限ウケるもの描かないと。いやまあ奇を衒った作品が売れることもあるよ。でもさ、ちょっと構成力と表現力が足りないよね。キャラクターも薄っぺらいっていうかさぁ、名前もうちょっとどうにかならなかったかなぁ〜。マメルト族だから苗字がマメルティってさ、メインヒロインにする名付けじゃないよね。部族みんな同じ苗字とか、そういう設定でもないじゃん?お偉いさんなわけでもないし。明るい作風とかギャグならいいんだけどさ、こんだけガチガチにシリアスで暗い話やってんのにこれだと、なんか萎えるっていうか、雰囲気ぶち壊しだよね。本当もったいないと思う」
これ知ってる。漫画でよく見る雑誌の辛口編集者だ。
柔らかい口調で毒針を吐き出して、作者のメンタルをズッタズタに引き裂いていくアレだ。
少年の前の机上には、青く光る大きな水晶玉が。どうやら誰かと通話している様子。相手が作家であることは明らかだろう。
少年は背後から近づく俺たちに見向きもせず、スッと右手を上げると、こちらへ手招きをして横の石のベンチを指差した。
おそらく、「座って待ってろ」ということだろう。
俺たちは従い、そのまま腰を掛けて待った。
「……うん、うん。そうだね。…………いや、そんなことはないよ。最初はみんなこんなもんだからさ。君まだ10代でしょ?その歳でここまで絵が描けて重厚なストーリー考えられるんだからさ、努力すればもっと伸びるよ。新しいことにチャレンジしてくれる作家は少ないしさ、頑張ってね。応援してるよ。僕この世界観好きだから」
凄まじい嵐の後の快晴。その温度差に、俺とジュリアーノは汗を流した。
「批判にとどまらず結で本人を誉めて最後は激励の言葉で締めるあたり、プロの技を感じるね」
「まさしく愛のムチだよな」
水晶の光が消えると、少年は座ったままで体を120度回転させてこちらを向いた。
「さてと。ごめんごめん、仕事中だったんでね。案内ありがとう葉守くん。お待たせしましたっと」
「休載してまでよくやるなお前。そんなに編集が信用ならねぇのか」
「わかってないね崩季ちゃん」
崩季ちゃん……。
「大先輩の叱咤激励ほど効果的な刺激物はないよ?期待の若芽には自ら唾をつけておかないと。これぞ文明開花」
「相変わらず大袈裟な脳みそだな。馬鹿と天才は紙一重か。つーか、名前のくだりは完全にお前の好みだろ」
「いやいや、作り込む意識が大事なのよ。多くの人に読まれたくばこと更に」
崩季と少年とのやり取りの中に見えるのは、ありきたりな旧友の様子。
崩季の言葉は強くとも刺々しさはなく、一方の少年もそれを理解した上で受け流し、嘘偽りなく自分の言葉をぶつける。
いい関係だ。崩季さんもあんな言い方だが、悪くは思っていないのだろう。ちゃん付けで呼ばれて「ぶっ殺す」が出ないのがその証拠。
「おや、まさかまさかの崩季ちゃん、ついに弟子取っちゃった感じ?」
「ンなわけねェだろぶっ殺すぞ」
あ、出た。
「わかってるよ。崩季ちゃんが芋虫くん以外と暮らすなんて、ポセイドン王が自分のこの名前を忘れるくらいにあり得ないことだからね」
「例えがユニークなヒトだね」
「芸術家気質って感じだな」
「そんな大層なもんじゃねぇよコイツは」
少年は襟を正してこちらに向き直ると、軽くお辞儀をした。
「初めまして。僕は華を司る神、木花之咲耶華宰神。長ったらしいし覚えにくいだろうから、華宰って呼んでね」
桃色のシュートヘアとそれに呼応するような淡い桜色と濃い紺の服は和洋折衷で、耳の後ろの上から生える2本の枝別れした角の間に、凝った装飾のハンチング帽をかぶっている。
木花之咲耶華宰神、そして華宰という名前。
前者はあたりまえとして、後者もどこかで聞き覚えがあるような……。
モヤのかかった記憶を辿ろうと目を逸らしたその時、ふと視界に入ったジュリアーノはの瞳は見開かれ、全身がワナワナと震えていた。
「げ、華宰ってまさか……ネビュラバスターの……あの、咲耶華宰先生ですか!?」
そうだ、思い出した!
トトの図書館で見かけ、その後ジュリアーノの勧めで読んだ、剣と魔法の世界では考えられないSFロボット超大作『超金戦隊ネビュラバスター』。
咲耶華宰は作画、原作ともに担当する作者の名前。
ゲイサイなんて珍しい音、そうそう被るはずもない。
だとすれば彼は……。
「う〜ん……まいっか。その通り、僕がかの有名な咲耶華宰さ」
それを聞いた瞬間、俺とジュリアーノの瞳にかつてない光が灯る。
「ほ、本物!?僕ファンなんです!ギラガメイザーのデザインが本当に大好きで!あ、も、もちろん主人公たちが目的のためにひたすら突っ走るところとか、ゾルバレオン軍の手段を選ばないけれど確かな仁義も持っているところだとか、好きなところは沢山あるんですけどでもやっぱりギラガメイザーが1番大好きで、特にバリアロード作戦の後半で破壊されたギラガメイザーが爆烈怒漢からカースラ工房の大修理を経て超神閃光に進化してロイドビットたちのピンチに颯爽と現れた場面が本当に胸熱でもう読みながら手に汗握りすぎてインクがにじんじゃったんですけどそれに気が付けないくらい熱中して読んじゃって本当もうやっぱりネビュラバスターの絆って最高なんだなって思って感無量であと初期から爆烈怒漢まで無骨めだったデザインが超神閃光になってから一転スタイリッシュになった時は不評も飛びましたけど装甲が進化したことで閃光と名高いスピードにも説得力が出ましたしあの黄金と牡丹色が融合した色合いも最高にカッコよくて僕大好きなんです本当機体のデザインも一眼見ただけで進化系だってわかるのにあそこまで違いを出せるのも天才的だしゾルバレオン軍の兵器も安易な人型にとどまらず生物を混ぜ合わせた禍々しいシルエットを作るのが本当に上手で幹部たちも敵ながら畏敬を感じてしまうくらいかっこよくて僕は特にラグダグレイ将軍が大好きなんですあの冷酷さをつくる大志の理由が本当に男気溢れる軍曹らしいエピソードで願うことならあんな真っ直ぐで自分の心を強く持った人になりたいと心から切望してしまうくらいに本当に憧れててもう本当に架空のキャラクターだなんて信じられなくて本当に」
「ちょ、ジュリアーノストップストップ!一旦落ち着けって、先生びっくりしてるから!」
「あ、ごごごごごごごごめんなさい!!つい熱が入っちゃって……で、でも本当に大好きなんです!」
「あ、うん。よくわかったよ。マジで、すごいね君。僕より熱量あるんじゃないのかな」
華宰の表情は若干引いていたが、それでも関心が勝るようで、ジュリアーノと楽しそうに話をしていた。
俺もちゃんと作品のファンなので入っていったが、やはりジュリアーノの熱量には敵わない。この場にサイファルがいたら、もっとすごいことになっていただろうなぁ。
白熱する談義をガイアと経津主は爽やかなそよ風にあたりながら、先ほど案内をしてくれた葉守神の入れた茶と菓子を堪能していた。
「あはは、いいねぇ。ファレターじゃ表現しきれないテンションっていうの?強烈だけど新鮮だ」
「ファンと話したりしないんですか?」
「うん、僕は基本的にこの島に篭ってちるからね。一応は管理人だからさ、好き勝手ほっつき歩くとドヤされちゃうのよ」
「サイン会とか開いてほしいです。地べたの流刑とか他の作品も大人気なんですから、絶対ヒト集まりますよ。僕だったら必ず行きます!」
「なに君、僕のサイン欲しいの。書いてあげようか?」
「ええ!いいんですか!?……あ、で、でも、会って話せるだけでも幸せなのに、サインまで貰っちゃったらさすがに他のファンに申し訳ないというか……」
「いいやジュリアーノここは貰うべきだよ。こんな凄いことこれから一生かけたって巡り会えないかもしれないんだ!乗るしかない、このビッグーウェーブに!!」
そう言いガッツポーズして見せると、ジュリアーノはさらに迷って目を逸らした。
「そ、そうかな…………うん、そうだね。そうだよね!こんなチャンス2度とないかもしれない。……よし!さ、咲耶先生!」
「俺「僕たちにサインを書いてくだ……」」
お辞儀をしようと向き直った華宰の顔は、驚きの表情に満ちていた。
目をまん丸に見開いたまま口はぽかんと半開きで、絵に描いたような面食らった表情。
かと思えば牡丹色の瞳が突然鋭く尖り、オレの顔をじっと見た後、つま先から頭までくまなく見回した。
「ケンゴくん……だったっけ」
「は、はい……」
なんだ、なんなんだ。
何かまずいことを言ったのだろうか。
まさかサイン!?いやいやいや、満更でもない感じだったじゃん!
「その眼鏡は君が使うものなのかな」
華宰が指さしたのは、オレの左胸ポケットに入っているトトの眼鏡。
「あ、いやこれは、友人ので。御守りみたいなものです」
「ふ〜〜〜ん」
依然として華宰の瞳は座ったまま。
楽しい雰囲気から一転、突如辺りを包み込んだ緊張の静けさに、俺とジュリアーノは無言で冷や汗を流す。
しかし俺たちの心配とは裏腹に、華宰はしばらく俺の姿を観察すると、突然ニコッと笑った。
「いいよ、サインは書いてあげる。けど、」
華宰はぽんと俺の肩に手を置き
「彼、少し借りてもいいかい?」
と笑顔のまま言ったのだ。
「え?え?え?」
「ぼ、僕は良いですけど……ケンゴは……?」
「い、いや、俺も別に……」
「なら決まりだね」
ジュリアーノに席を外してもらって、枝垂れ桜の樹の下で石の机を向かいに2人っきり。
激しい動悸と大量の汗が背中に染みる。
自分が何をしてしまったのか、ひたすら脳みそをフル回転させながら考え抜くが、思い当たる節などはただの一つもない。
「煎茶と玉露、どっちが良い?」
「せ、煎茶で……」
少なくとも、世間一般的に見てヒトの琴線に触れるような発言はしていないはず。
だがそれは誰にでも当てはまるわけではない。
俺が何したってんですか先生!!!
「さて、誰も聴いてないかな。じゃあ本題ね」
華宰は俺の前に若緑色の茶を置き、椅子に腰掛けた。
「ケンゴくん」
「はいっっ!!!!」
脊椎に鉄パイプを突っ込まれたかのように、反射的に伸びる背筋。
額から大量の汗が吹き出し、動悸が最高点にまで達した。
華宰の唇が開くその一瞬が、果てしなく長く思える。
そして発せられた桜の花びらのように柔かい声は、俺の想像とは全く別ベクトルのことであった。
「君さ、もしかして異世界人だったりする?」




