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第68話「材料を探して」

 凱藍神国には3つの顔がある。

 1つは純然たる文化と規律を重んじる、文化的都市の顔。

 2つ目はそれから爪弾(つまはじ)きにされた者たちが住まうスラム街。

 そして3つ目は、この広大かつ自然豊かな桃源郷だ。

 国土はアウローラの2分の1ほどであるが、その大自然の壮観たるや。

 遺伝子に眠る原始の記憶が呼び覚まされそうなほどの、馴染みの布団の次に心落ち着くこの感じ、まさしく天国の景色と言えよう。

 この雄大な自然の空気に包まれながら、まじないの材料を探し求める旅が始まる……というわけではなく、崩季に連れられるまま、俺たちはとある村に来た。

 そこは崩季の住まう雀亨山(じゃっこうさん)から少しだけ歩いた川の近くの集落。

 田畑や果樹林の合間にこじんまりした小屋がいくつか立ち並んでいる。

 見たところ人口は100を超えない程度だろうか。

 崩季は立ち並ぶ小屋のひとつの戸を敲く。

 すると立て付けの悪い引き戸が開いて、中からひとりの女性が顔を出した。



「あら先生、はやかったですね。さ、どうぞ」



 招かれるまま入ると、内装もやはりこじんまりとしていた。

 補修痕の目立つ木製の床のうえに、生活感のある瓶やら籠やらが置かれている。

 崩季が靴を脱ぎ上がると、奥にある布団から1人の男性が起き上がった。

 「あ、ちょっとお父さん、起きなくていいから」と女性が駆け寄り、彼の体を支える。

 見たところ農夫のようだが、体は痩せ細っていて、目立つシワは少ないのに白髪が多い。

 おそらく何かしら患っているのだろう。

 この家に来た理由ってもしかして。

 崩季は布団の横に座ると薬箱を開き、中から道具を取り出して男性を診察した。



「体調はいかがです」


「ええ、変わりなく。先生の薬のおかげで、最近は少し歩けるようになったのですよ」


「それはよかった。念のため薬は出しておきます。しかし症状が無くなって3日経ったら控えるように」



 相変わらずのぶっきらぼうな話し方ではあるものの、少しだけ物腰が柔らかになっている気がする。

 なんだか真っ当なヒトに見えてきた。

 いや、真っ当ではあるんだけど。


 崩季は薬箱から小瓶を取り出して女性に渡すと、そのまま家を出た。

 この後も数件の家を訪ねて集落を出たが、それからも素材を取りにいくことはなく、今度はさらに下ってスラム街まで来た。

 聞いた話と経験上よろしくない場所である認識が強かったので戸惑いはしたものの、崩季の歩幅があまりにも遠慮ないので、はぐれるわけにもいかずに着いていった。

 こちらでもやはり崩季は家々を回って診察をして薬を渡していた。見た様子、大半は漢方薬だろう。

 綺麗な小瓶にひとつひとつ込められたそれを受け取る人々の浮かべる表情は、行きの馬車で俺たちが目撃したそれとは全くの別物。

 規律社会から爪弾きにされた無法者とは言われても、悪人の面にはとても見えなかった。

 「スラム街」という単語と一部思想の視点からの言葉だけを聞いて、勝手な先入観を持ってしまっていたのだろう。

 そもそも、男のノースリーブが禁止されるような突飛で嫌に厳しい法律を守りきれという方が難しいんだ。

 トップの河伯や兵士たちはガッツリノースリーブだったのに、下々が制限されているのはこれいかに。

 戦士は許容されてるとかなのかな……。


 そのまま色々な家を訪れたが、いずれの場所においても崩季は患者から金銭や物品の類を受け取ることはなかった。

 無償で医療や漢方を提供しているのか?

 企業へ漢方を(おろ)しているうえ、本国でも外国でもバカにならない値が付いていると吉松さんから聞いていたけれど。

 老婆心だが、それだけの価値があるものをこうも簡単に配って良いのかと思ってしまう。

 スラム街や村の人々が貧しい暮らしを送っていることは見ればわかるが、そのような高価なものを配って、盗賊や悪徳企業などに狙われたら危ないんじゃなかろうか。

 そんな疑問を胸に抱きながら、俺たちはスラム街を後にした。


 いよいよ最初の材料を探す旅が始まる。

 平地を進んだ先の関門のような場所を抜けると、険しい山々を越え、龍のような激流を越え……たいところだが、残念ながらこの時点ですでに半日以上が経っているので、少し進んだところで今日は川の近くで野宿をすることになった。

 目的地まで道のりは長く、大自然の中を歩くのだから足場のままならない地域も当然ある。

 崩季は夜中でもそういった道を歩くことには慣れているようだが、俺たちには少々厳しいはなしだ。

 暖かくなって日も長くなった頃だと思っていたが、午後6時ともなれば地面から影が消える。

 見えなくはないが、この暗がりであの岩山を越えるのは不安も不安。

 勝手に着いてきただけの俺たちの意見を尊重してくれた崩季さんに感謝だな。



「お、焼けた焼けた」



 焚き火の日でこんがり焼けて香ばしい匂いを漂わせる魚を取り、箸で身を骨から外して大皿に盛り付け、調味料をふりかけた。

 サワガニを油で揚げたものに塩と胡椒、ニンニクを刻んで眩してこちらも盛り付ける。

 こんな豊かな自然の中でこの量の油を使っていいのかと思うだろうが、そこは心配ない。

 この油はミフターフにいた頃に、オアシスで採集したアッシャンシアデーツの種から抽出したもの。

 現地では肥料としても使われるそうなので、常温に冷ましてからなら土に流しても大丈夫だし、酸化もしにくいから普通の油の倍以上繰り返して使える。

 すでに揚げ物で数回使っているが、黒ずみは全くない。

 アッシャンシアデーツの独特な風味が料理についてしまうのと洗剤で落ちにくいのが難点だが、味の濃い料理なら調味料でいくらでも誤魔化せるし、食器には葉っぱを被せれば問題ないので、自然への優しさを考えれば野宿にはうってつけ。

 ちなみに、この知識はトトからの受け売りだ。

 生活がカツカツだった頃に節約術として教えてくれたんだよな。

 酒で蒸した貝と山菜でスープを作れば、晩飯は完成。鎧銭やアウローラ風の味付けだけど、崩季さんの口に合うかな。

 「いただきます」と食べ始める3人の横で、崩季は大皿をじっと見つめてから箸を伸ばし、魚の身を口に運んだ。



「……美味いな」



 よっし!



「お口に合いましたか?」


「ああ。若い割には大した腕だ」



 褒めてる……よな。

 仏頂面は崩れないが、箸が止まっていないのがその証拠。

 どれ、俺も……おっ、なかなかいいんじゃないか?

 初めて調理した魚だが案外いい具合に火が通って、旨みも水分も逃していない。

 サワガニもちゃんと芯まで上がっているし、貝もドブ臭さが全くない。淡水貝のキツイ匂いの原因はゲオスミンという成分が原因で、シジミの旨み風味はこの成分からきている。

 だがそれが濃すぎるとペトリコールやドブ特有の生臭さを醸し出し、淡水貝はこのせいでクセがある。

 そのゲオスミンを分解してくれるのがアルコール、まあ酒蒸しだな。

 ゲオスミンのことも川の甲殻類は寄生虫がやばいってことも、前の世界で生物観察の鬼から教わったんだ。

 ……そういえば前世の知識が生活に役立ったのって、何気に今回が初めてじゃないか?

 剣と魔法のこの世界では科学知識を披露しようにも、義務教育で習う程度のものの多くは割と解き明かされていて、さすがに一般常識ではないものの、魔導士の多くはそれを心得た上で魔術を操っている。

 政治形態や農作物の栽培に関しては一見古臭いように見えて、魔素や魔物の存在するこの世界の気候や大気、生態系に合わせて独自の発展をしているし。

 あとマヨネーズもあったし。

 そもそも断片的な記憶を持って転生してくる奴がいる時点で似通う箇所があるというのは、ガイアから聞いた時点でなんとなく想像はついていたんだ。

 義務教育程度の知識じゃ通用しない、転移者って案外シャバいもんだな……今さだらけど。




 翌日はまだ日も登らない早朝に出発した。

 でこぼこの野道を進むと見えてきたのは、天高くそり立つ鋭利な岩山。

 地獄の鉢山を彷彿とさせるほど凶悪な飛び出た岩が行手を阻み、幾度となく断崖絶壁へ落下しそうになった。

 それから2日めの朝、地平線から太陽が顔を出した頃、ようやくたどり着いた山頂には、目を見張るほど立派な御殿があった。

 けたたましい業火が燃え盛るような屋根と柱の彫刻には、風化の歴史が刻み込まれた金銀の装飾が施され、鬱蒼とした竹林に堂々と(たたず)む実に豪華な建物。

 崩季は迷うくとなく大扉へまっすぐ歩み寄ると、分厚い鉄板の門環を強めに叩いた。

 重たい音を立てて扉が開くと、漢服に甲冑を合わせたような装束に身を包んだ、使用人と思しき筋骨隆々の男が2人で出迎え、挨拶と頭を下げる。



哪吒(ナタ)はご在宅か」


「はい。ただいま……」



 使用人が言葉を言い切るその前、突如建物奥からとてつもない熱風と共に炎が飛来した。

 炎は(はやぶさ)の如き勢いで一直線に崩季へ突進するが、彼はそれをいとも容易く受け止めると、外へ向かって投げ飛ばした。

 あまりに一瞬の出来事に、俺は(かまえ)も忘れて唖然とするばかりであった。

 炎は竹林に激突し、生い茂る竹をバキバキへし折り焼いて地面へ転げた。

 崩季が舌打ちを吐き「餓鬼が……」と呟くと、途端に炎が笑いだす。



「ハハッ、いいねぇ鈍ってないねぇ!それでこそオレ様永遠のライバルってもんだァ!!」



 消えた炎の中から姿を現したのは、1人の小柄な少年。

 真っ黒な癖毛に真っ赤な瞳で、ところどころ焦げつつも煌びやかな装飾の赤と黄色の服を(まと)っており、その表情は生意気そのもの。

 少年は悪そうな顔でニヤニヤわらうと、崩季をまっすぐに指差した。



「またオレ様の炎を貰いにきたな?この護法神哪吒様の炎を!!」



 なるほど、彼が哪吒なのか。

 前の世界で中国神話をよく知らない俺でもその名は聞いたことがある。

 神話じゃ荒くれ者だって話だけど、こっちでもなかなかの……。



「俺は……」


「あー!皆まで言うな。良いぜ、炎はくれてやるよ。()()()だ、わかってんだろォ?」


「……やんのか」


「ったり前ェよ!お前がこのオレ様に見事勝つことができたら炎はくれてやるぜ。じゃ、いっくぞぉ!!」



 間髪入れずに構えたナタの背後に、橙色のオーラが浮かび上がる。崩季は呆れたようにため息をひとつ溢すと、俺たちを建物の中に押しのけ、背負っていた薬箱を置き構えた。彼の背にもまた、紅のオーラが炎のように燃え上がる。

 再び勃発しようとする神々の戦い。

 その様子に俺たちは息を呑み、激しき戦いの幕開けに手に汗を握…………っていたのだが、その結末はなんとも呆気のないものであった。

 威勢よく崩季へ突進したは良いものの、いとも容易く受け流され、その上片手間で地面に叩きつけられる哪吒。すぐに起き上がり今度は魔術で巨大な炎を生成したが、それ以上に巨大なの崩季の炎で吹き飛ばされる哪吒。どうにか巻き返そうと死角から攻撃を仕掛けるも、見向きもされずに回し蹴りを喰らい、地面に転げる哪吒。

 どんなに雑にあしらわれてもめげずにアタックし続けるその姿勢は素晴らしいが、側から見れば情けないのなんの……。

 ボコボコにされたのが相当悔しかったのか、哪吒はアザだらけの顔を顰めて、子供のように地団駄を踏んだ。



「懲りねぇなお前は」


「いつもこんな感じなんですか?」


「ああ。毘沙門天(ビシャモンテン)がいりゃぶん殴って止めてくれるから、こうはならねぇんだがな」


「オヤジは関係ねーだろーがっ!!」



 毘沙門天……も護法神だよな確か。

 よく見りゃこの御殿、色合いといい炎の様子といいどちらかと言うと「哪吒」よりも「毘沙門天」って感じだもんな。

 


「ほら、約束だぜ哪吒。お前の炎をよこしな」



 あぐらをかいて不貞腐れる哪吒に、問答無用で小さな灯籠のようなものを差し出す崩季。

 哪吒は恨みのこもった眼差しできっと睨みつけると、手のひらに小さな炎の球を生成し、崩季へ投げつけた。

 彼がそれを灯籠で受け止めると、歪んだガラスの中に炎が灯った。

 今までにないほど鮮やかな橙の炎。あれが哪吒の護法の炎、まじないのひとつ目の材料だ。



「また来いよーー祝融ーー!!勝ち逃げなんざ許さねーかんなーー!!」


 

 御殿を去る俺たちを大声で見送りながら、哪吒が手を振る。

 彼は崩季さんのことを祝融と呼ぶのか。

 河伯や龍兵さんたちも「祝融」と呼んでいたが、冬虫夏草の神やスラムや集落の人々は「崩季」と呼んでいた。

 親しさの違い?否、出会って3日の俺たちが「崩季」と呼ぶのだから、それは矛盾になる。

 では何故?気になるは気になるが、わざわざ呼び止めて尋ねるようなことでもないしな……。

 まあ、タイミングがあった時に訊いてみよう。





 断崖絶壁から落ちそうになったり、初見の魔物に食い殺されそうになったり、神経をすり減らしながら2日かけて足場の悪い山岳地帯を越えると、今度は広大な湿地帯が姿を現した。

 ここは凱藍の内陸側の端、南東端に位置し、湖や沼地が多く点在しているという。雨季でもないのに年中湿っているのはそのせいだ。

 昼過ぎにも関わらず沼地は霧が濃く、耳をすませばカエルや虫の鳴き声が聞こえてくる。

 湿った草のなか平たい石で舗装された道をしばらく歩くと、目の前に巨大な湖が見えてきた。

 風一つないおかげで水面は静寂の極み。覗き込めば上等な鏡のように自分の顔がはっきりと映った。

 反射する光を手で遮ると、湖の中の様子がよく見える。細かくサラサラとした綺麗な砂の上を、小魚が銀色の背を光らせながら泳いでいる。

 この中に飛び込めたらどんなに気持ちがいいだろうか。

 そんなふうに考えていると、覗き込む水面に小さな波が起きた。顔を上げると、ただっ広い湖の中心から、水の上をこちらへゆっくり歩み寄ってくる一つの影が見える。

 霧の隙間から刺すの陽光が逆光でよく見えないが、その形はヒトのようであり、頭には角のようなものが見える。

 

 

「お久しぶりです、崩季殿」



 やっと姿が見えた頃に聞こえた声は、目の前に広がる湖のように涼しく透き通っていた。

 凛々しくも落ち着いた面持ちの少年。少し長めの黒髪に簡素な服装だが、その両腕には立派な甲冑が装備されている。俺が角だと錯覚したのは、角に見立てた頭の装飾だった。



「今日は1人ではないのですか、あなたにしては珍しい」


「まあな」



 少年は陸に上がると、俺たちを向いて深く一礼をした。



「お初にお目にかかります。私は姚淵神君(ドウエンシンクン)。この姚淵湖(どうえんこ)と周辺の守神を勤めさせていただいております」



 中性的な声と顔立ちだけど、立ち姿と胸板は確かに男。

 なんだか出会った当初のジュリアーノを思い出すな。

 彼に答えるように、俺たち4人も簡単な自己紹介を済ませた。



「ガイアとは、まさか生命の原初神様ですか?」


「そうだよ〜。んでぇ、こっちの賢吾くんがボクの眷族ね〜」


「言っちゃっていいのかよそれ」


「仕方ないじゃん。ここ端っこだからさ、浄化の力が強すぎて認識阻害が効かないんだもーん」



 鎧銭と凱藍全土には、シャンバラの毒から国土を守るために巨大な浄化結界が張られている。この湿地帯は凱藍の南東端、つまりシャンバラと巨大山脈を挟み隣する土地であるため、特に浄化結界が分厚く力が強いのだそう。そのせいで認識阻害や変身の術が効力を成さず、俺たちはある意味素っ裸な状態なのだ。

 経津主の角もいつのまにか見える状態になっている。

 人の少ない辺境の地で良かったよ本当。



「そうだ崩季殿。先日は兄上が多大なるご迷惑をおかけしたようで、大変申し訳ありませんでした」


「お前が謝ってどうすんだよ。もういいから気にすんな」


「いえ、身内のしでかしたことは私の責任でもあります。最近はマフィアが血気盛んで手を焼いているそうで、おそらく国を守ろうと気が立っていたのだと思われます。決して悪気があって強行手段に及んだわけではございませんので、どうかお許しください」


「だからいいって!お前に頭下げられると虐めてる気がして気分悪ぃんだよ……」



 神君にはお兄さんがいるのか。

 ていうかその話、若干思い当たる節があるんだが、もしかして……



「あの、すみません。もしかして、姚淵神君のお兄さんって河伯様だったりします?」


「ええ、そうですよ。よくご存知ですね」



 やっぱりか!!

 ってことは紅嬋姫と河伯と神君で3人兄妹?

 見事に似てねぇ……神の遺伝子の仕組みとかわかんないけど、3人いてここまで似ないことってあんの……??



「厳密に言えば私は養子ですので、兄上や姉上とは血が繋がっていませんが」


「あ、そうなんだ。神君様はずっとここに住んでらっしゃるんですか?」


「ええ。この地を管理守護することが私の役目ですから」


「ケンゴ、”神君“は尊称でもあるから、“様”は付けないでいいんだよ」


「え、あっ失礼しました!」


「構いませんよ」



 ジュリアーノに指摘されて顔を真っ赤にする俺に、神君は優しく笑ってみせる。

 穏やかヒトだな。

 純然たる規律を重んじる凱藍の神々は硬派や荒くれ者ばかりだったからか、人当たりがよく物腰柔らかな彼はとても新鮮だ。

 神々が彼のようなヒトばかりだったら、きっと許可なく眷族契約を結んだりしないんだろうな。



巴蛇(はだ)(こけ)の神はいるか?角と雌株をいただきたいんだが」


「ええ、いらっしゃいますよ。お呼びいたしましょうか」


「ああ、頼む」


「では少々お待ちください、すぐに呼んで参ります。そうだ、長旅で疲れたでさぞしょう、あちらへ腰をかけておやすみになっていてください。周辺に実っている仙果もよろしければどうぞ」



 どこまでも丁寧で心配りの効く。雑でわがままなウチのとは大違いだ。


 俺たちは言われた通り石作りの椅子に腰をかけてしばらく待っていた。お言葉に甘えて仙果もひとついただいたが、もう美味しいのなんのって。みずみずしくて飲み込んだ後にも口に甘さと香りが残るのに、全くもってしつこくない。この実と果汁でゼリーなんか作ったら、最高に美味しいんじゃなかろうか。

 そんなふうに皆で仙果を堪能していたところ、椅子に腰掛け垂れ下がったジュリアーノの左脚に、ふわっとしたものがぶつかった。

 彼がなにか蹴ったかなと思いつつ覗き込むと、そこにはフワフワした緑色の球体が。

 ジュリアーノは思わず声を上げる。



「どうした?」


「いや、なにか緑色のものが……って、わっ!動いた!」



 緑色のフワフワはモゾモゾ動いてジュリアーノの左脚にしがみつくと、丸っこい胴体で蠕動(ぜんどう)するように素早く彼の下半身を登った。

 ジュリアーノが恐怖で払い除けようとしたその時、緑色のモフモフの中に丸い4つの目玉がパチっと開く。

 そして大きく口を開けたかと思うと、食べかけの仙果を彼の右手ごとぱくっと頬張り、飲み込んだ。

 状況が読めず、固まるジュリアーノ。



「こらこら、お客様を驚かせてはいけませんよ」



 薄い霧の中、微かな笑い混じりにそう言いながら現れた姚淵神君の後ろには、彼の身長を超えるほど大きな長細い影が。

 ジュリアーノが正体不明の緑にあたふたしていると、崩季がスッと立ち上がり、彼の胴体にしがみついていたそれを抱え上げた。

 丸っこい体に緑色の苔のようなものがびっしり生えていて、まんまるの目が4つ。足は細い仮根のようなものがダンゴムシの足みたいにたくさん生えていて、頭(?)の上から細長いキノコのような草が生えている。



「怖がらなくても大丈夫。その方が苔の神ですよ」



 これが神?こんなちっさくて丸っこい、ダンゴムシとス◯モを掛け合わせたみたいなのが??

 いや待て、冬虫夏草の神だって人外(あっちの方が100倍キショいけど)に振り切ってたし、案外珍しいことでもないのかも。

 崩季が苔の神を地面へ置く。

 ……なんだか、ずっと見てると可愛く思えてきたな。

 


「撫でたら不敬かな……」


「ぽわぽわしてて可愛いよね、もう一回触りたい……」


「よーく言うぜ、俺様たちのことは雑に扱うクセしてよォ」


「ホントホント!絶対ボクの方が可愛いのにぃー!!」


「お前らとはベクトルが違うの」



 そんなふうにわちゃわちゃ問答をしていると、神君の後ろの影がクククと笑った。



「君たちはたいそう仲が良いのだね。まるで昔の神君たちを見ているようだ」



 白と焦茶色の大蛇の体はところどころの鱗が金色で、顔を覆い隠す丸い仮面にも金色の装飾が施されている。

 こっちが苔の神ということは、彼が巴蛇か。

 


「昔は兄妹2柱、この湿地帯へよく遊びにきていたものだ。いつしかそこに神君が加わり、より賑やかになった。鯉を釣ったり、(かわず)を追いかけたり、貴殿が幼い頃は追いかけっこもしていたね。ぬかるみに足を取られて転び、初めに泣き出すのは決まって紅嬋姫だった。ちょっとした怪我やあざでもすぐに兄上殿に泣きついて、その(たび)河伯殿はまじないで治療し(なぐさ)めていたね。しかし咲耶姫が毒災で亡くなられて以来、あれほど仲睦まじかったお二方は、互いにいがみ合っておられる。実に残念な話だ」



 シャンバラの毒災がもたらした厄は、多くの命を奪っただけにとどまらない。

 メルクリウスの件も、咲耶姫のことも毒災に起因して二次災害に起こったことだ。

 河伯がまじないで治療……もしかして、あの緑色っぽい包帯のことだったりするのかな。

 昔はそんなに仲が良かったのに、今じゃ国を分断してそれぞれが治め、互いにバカみたいな関税掛け合っているんだもんな。



「原初の時空神ですら、過去を変えることはできません。私たちにできることは、今ある状況を受け入れた上で乗り越えること。また昔のように3人……いや、4人で集まり団欒することができたらと毎日のように考えますが、まだまだ遠い話のようです」



 4人?



「おや、神君は彼の神座(かむくら)をお認めになっているのか」


「ええ。神であろうと自然の摂理を否定することはできません。権能を受け継いでいることが何よりの証拠でしょう」


「マザコンどもは断固として認めねぇみてぇだがな」


「仕方がありません。ある日突然肉親を失う苦しさは計り知れない。私にはよくわかります」



 そう言う神君の瞳は悲しそうで、霧の先の遠い場所を見つめているようだった。

 あちらは、方角的にシャンバラかな。



「久方ぶりにお会いしたいです。彼の話は事実も作り物も面白いですから。お茶でもしながらゆっくりと、崩季殿もいかがです?」


「俺ぁいいよ。これから薬の材料もらいに会いに行くしな」


「そうなのですか。では、よろしく伝えておいていただけると幸いです」



 そんな様子で少しの間話した後、苔の神の雌株と巴蛇の角をそれぞれ採集し、俺たちは湿地帯を後にした。

 姚淵神君は入り口まで俺たちを見送り、見えなくなるまで笑顔で手を振ってくれていた。

 どこまでも礼儀正しくて律儀なヒトだ。


 次に目指すのはここから真反対。海を越えた先に待つ咲耶島へ、御國桜の根を採取しに行くのだ。

 また2日かけて険しい岩山を越え、そこから広大な平地を進む。

 専ら歩いたり時折馬車に揺られること約6日。

 たどり着いた港で良さげな渡船を探す。

 咲耶島と凱藍を日常的に結ぶ渡船はないので、崩季は船長と片っ端から交渉していた。

 まじないを作ってもらうための分の貯金しか用意していなかったので4人分の船代はだいぶ痛手……とはならなかった。

 というのも、お金を下ろしにギルド銀行へ立ち寄り残高を確認したところ、なんと外部から500万ルベルもの大金が振り込まれていたのだ。

 一瞬見間違いかと目を擦ったが、ふと自分の手を見た瞬間に思い出した。

 河伯が崩季との戦いに巻き込んだ慰謝料と、この手の治療費も込めて振り込んでくれたのだ。

 あれだけ酷かった火傷は、崩季の薬と治療のおかげですっかり良くなった。

 さすがに痕は残ってしまったけれど、これはこれで"歴戦の猛者"感が出てかっこいい。

 お金はちょっと多い気もするするけど、俺相場知らないからなぁ……まあ、何にしろ助かることには変わりないいいか。


 良さげな船が見つかると、すぐに港を出た。

 時間が遅かったので、港を出て数時間で空が暗くなる。

 船長がまた気前のいい人で、夕食は広い甲板に乗員乗客みんなで集まり、大皿の海鮮料理で小さな宴を開いてくれた。

 星空の下、皆で集まり食べる夕飯は最高のひと時。

 茶を飲んでいた俺すらも場酔いするほど、賑やかで楽しい時を過ごした。


 夜も更け、満月もてっぺんへ登ろうかという頃、就寝の支度をしていた俺は、崩季がいないことに気が付いた。

 「ちょっと外見てくる」と言って甲板へ出ると、柵にもたれかかる崩季の姿がすぐ目に入った。

 酒瓶を片手にぶら下げたその顔はほのかに赤く、上着が汚くはだけている。

 だいぶ出来上がってるなありゃ。



「風邪ひきますよ崩季さん。そこ危ないですし」


「るっせぇなぁ、餓鬼が俺に命令すんじゃねぇよ。ぶっ殺すぞ」



 めんどくせぇな。



「おっと」


「あーもー言わんこっちゃない。ほら、立てます?」


「水」


「は?」


「水」


「あ、はい、水ですね」



 瓶から水を汲み崩季へ渡すと、彼はそれを一気に飲み干す。



「落ち着きました?」


「お前さ、なんで旅なんかしてんの」


「え?」



 唐突な質問に戸惑う俺。

 会話のキャッチボールよ……まあいいや。



「世界中に散らばったガイアの身体を集めるため……ですね」


「それだけか?」


「まあ、今のところは。崩季さんは?なんで炎神さまが漢方薬師なんてしてるんです?」


「俺は……色々あるが、1番はそうだな……目に見える形で人の役に立てるから……か」



 意外な理由だ。

 いい人であるのは知っているが、こうも正直に言われるとなんだか違和感が。



「医療の類は貧民が1番削りがちな出費だ。そのクセ、軽い疾患でも放っておけば生死に関わる。こういうもんは生まれた環境に関わらず、平等に与えられるべきだ。たとえ、その者が犯罪者の血を継いでいようとな」


「え、それって、犯罪者の子孫は公共医療に援助がないんですか?」


「そんな軽いもんじゃねぇ。そもそもとして、アイツらは治療を受けることすらできねぇ」


「受けることすら……?」



 一瞬、言葉の意味がよくわからなかった。



「凱藍において、一定の指標以上の罪を犯した犯罪者は、その地域から追放され、ひとつの区域に隔離される」


「それってもしかして、スラム街とかですか?」



 崩季の住んでいる地域を抜ける際、小さな関門のような場所を通った。

 周りには魔具と思しき札の貼られた小さな柵のようなものもあったし、おそらくあれは隔離するための結界のようなものなのだろう。



「罪人から3代後まで、住まう者はその地域を出ることは許されず、公共の福祉も一才受けることができねぇ。法整備はされているが統治が間に合っていねぇせいで治安は悪いし、そのクセ税は取るから住民の暮らしもよくならねぇのに、そこに漬け込むクソ共が阿漕(あこぎ)な商売をしやがる。なのにお上は見向きもしやしねぇ」


「酷すぎるな……」


「だろぉ!?百歩譲ったって犯罪者に償わせるためってのはわからんくもねぇが、その子孫もンな劣悪な環境で一生を過ごさなきゃならんってのは、いくらなんでも人道に外れていやがる!!」



 ヒートアップした己へさらに燃料を投下するが如く、崩季は酒を飲む。



「……生まれたその時から神だったやつに人の道を解いたところで、何にも響きゃしねぇんだろうな。あの冷たい目を見てりゃわかる」


「元からって、崩季さんは初めから神じゃなかったんですか?」


「ああ、まあな……」



 神じゃない崩季さんか。

 少し気になるな。



「その頃の崩季さんって、どんな感じだったんですか?」


「どんなって、ただの人間だよ。ちいと喧嘩っ早いせいで家を追い出されて落ちぶれた、良家のドラ息子」



 それ自分で言う?

 ていうか今とあんま変わってない気が……。



「薬学はどこで身につけたんです?当てもなく放浪していたところを師匠に拾われたとか?」


「まあそんなところだな」



 当たってんのかい。



「あん時ゃ犯罪者の隔離はなかった。家も金もなくてさ、とりあえず野に生えてるもん食って飢えを凌いでたら、周辺に住んでた百姓家族が拾ってくれたんだよ。何もねぇ俺に飯を作ってくれてさ、あれほど美味い焼き魚は食ったことがねぇな」


「良い人たちだったんですね」


「ったり前ェだ馬鹿野郎。何もしねぇわけにはいかねぇからさ、畑仕事手伝ってたんだが、そこにたまたま外国の旅人が通ってよ。そのヒト自体は問題なかったんだが、付き人の態度にムカついて喧嘩ふっかけたら妙に気に入られちまって、でなぜかそのまま奴らの国まで連れて帰られた」


「半分誘拐じゃないですかそれ」


「ああ、今でも許してねぇよ。で、着いた途端『私の薬学を享受させてやる』とか一方的に言い出して、そっからスパルタ教育の毎日よ。来る日も来る日も知識を叩き込まれて、挙句奴隷のようにこき使われた。自己中心的かつ横暴で本っっっっ当に苦労して……おい、なんで泣いてんだよ」


「すみません……なんか、他人事とは思えなくて……」



 話を聴く限り、彼の師匠はアイテールを煮詰めてさらに濃くしたようなヒトだ。

 どれだけの苦労を重ね、どれだけの屈辱を味合わせられたのだろう。

 似た立場から激しく同情するよ、崩季さん。



「アイツの師匠……師匠か?上司は良い人だったな。こき使われている俺をよく気遣ってくれた。人格が逆だったらと何度思ったことか」


「我が師の師は師も同然ですか」


「なんだその呪文」


「はは……」



 崩季は溜め息をひとつ吐き、また酒を飲む。



「……その後はこっちに戻ってきて、都市近くの平原で漢方薬局を開いた。せっかく得た知識だし、得意ごとで商売した方が手っ取り早いからな」


「それでちゃんと暮らせるほど稼げてるのすごいですよ」


「繁盛具合はまあまあ、常連が着き始めた頃に奴がやって来た」


「奴って、師匠ですか?」


「違ぇよ馬鹿。炎神だよ、炎神」



 炎神……?あ、そうか、先代の炎神か。

 名前は確か……



火之迦具土神(ホノカグツチノカミ)でしたっけ。どんな方だったんです?」


「クソ」



 あまりに短く、しかしあらゆる私怨のと怒気のこもった言葉に、俺は引き攣った声しか出せなかった。



「治療してほしいっつーから手当てして薬も処方してやったのに、何故か1週間も居座った挙句、何の脈略もなく『眷族にしてやる』だなんて言い出して、断ったら気付かぬうちに儀式を済まされた。今思い出しても(はらわた)が煮え……おまっ、なんでまた泣いてんだよ!」


「いやなんか、聞けば聞くほど他人の話とは思えなくて……」



 俺たちはきっと巡り合う運命だったのだろう。

 そうとしか考えられない。



「"祝融"っつーのはそいつが勝手に付けた名だ。外部じゃ本名よりも浸透してんのが実に解せん」



 だから祝融で呼ばれたがらなかったのか。

 確かに、大体のヒトはそっち呼びだもんな。

 芸能人でもないのに初対面の人間にあだ名で呼ばれると考えてみると、確かにいい気持ちとは言えないか。

 崩季は残りの酒を全て飲み干すと、盛大にくしゃみをした。



「あーほら、言わんこっちゃない。風邪ひきますから、もう寝ましょう」


「っせぇな!ンで俺が手前ぇの指図なんざ受けにゃならねぇ!!」


「いいから寝ましょうよもう。薬師が体調崩すとか、評判悪いですよ」



 俺の言葉に崩季は渋々納得した様子で、千鳥足になりながら部屋へ戻って行った。

 疲れた……けど、話は面白かったな。やっぱり長い年月を生きているだけあって、内容も濃いしインパクトもすごい。

 あ、そういえば、孤児院のこと訊きそびれちゃった。

 まあ良いか、その分いいこと聞けたし。て言ってもへべれけだったし、俺が聞いて良かったことなのかはわからないけど。

 疲れを実感したら、途端に眠くなってきた。

 色々急ぎの道だったもんな、疲れて当たり前か。

 さ、俺も寝ーようっと。

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異世界転移
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