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第64話「ふたつの旅立ち」

 翌日の朝は、いつもよりも早かった。

 通常7時ごろに皆で起床するところを、ガイアが5時に叩き起こしてきたのだ。



「なんだよもぉ……こんな早く……」

 

「ねむ……」



 眠たげに目を擦る俺とベルに、「ごめんごめん」と言って見せるガイア。

 昨日の疲れで完全にスイッチが落ちていたから、こう早く起きると頭がぼーっとして仕方がない。

 経津主とジュリアーノはさすがの自律神経でピンピンしているが。


 皆を円形に集めて喋り出したガイアの言葉を、眠気眼(ねむけまなこ)で耳に入れる。

 


「経津主。君の親殺しが濡れ衣だってこと、証明できるかも知れないよ」

 

「なに?」



 その言葉はさすがに寝耳に水。

 瞬間、(まぶた)にのしかかる眠気が一瞬で覚めた。


 

「お前、マジで言ってんのか。ありゃ400年以上も前の話なんだぞ」


「うん。道のりによってはだいぶ苦労するかも知れない。それでも、試してみる価値はあると思うんだ。確証と言える確証はないけどね」


「確証がないって……ちょっと不安だな……」


「それって、本当に大丈夫なヤツのか……?」

 


 今まで無茶なことなどは散々してきた。

 けれど、今回のことは極めて難しい事象な上に、確証と言える確証もないときた。

 400年前の免罪を証明するだなんて、防犯カメラやタイムトラベル無しにそんなことが可能なのか……?

 不安を募らせる一同に見つめられるガイアであるが、心底冷静な様子で眉一つ動かさない。

 そんな彼女の頭の中に去来するのは、つい昨晩の記憶。



 ――昨晩深夜、商店街の路地裏―― 


 

「君、アスラ族だよね」


 

 ガイアの発した言葉に、木村は一切の動揺を見せない。

 

 

「おとぎ話でも聴かせてくれるのかい。悪ィがよ、他人の声があると栄治くん寝れねェんだわ」


「アスラ族は魔力操作が多種族に比べて(いちじる)しく劣るせいで、多くは術を扱えない。けれど地中という高重力かつ厳しい環境で生活し代々受け継いできたその強固な肉体と精神、精密な五感が、脳を惑わす幻惑系の術への強い耐性を生んだ」



 ガイアの話に、木村は一切の興味がなさそうに相槌を打つ。

 


「ボクらには、ジュリアーノがかけてくれた認識阻害魔術に被せる形で、ボクが生成したさらに上級の魔術がかけられている」


「聞いてた話と違うな」


「ミフターフでちょっとしたアクシデントがあってね。二重の認識阻害に加え、ボクの術は神格級だ。そんじょそこらの神だって簡単には見破ることはできないはず。けれど、君ら3人は至極当然のように見破った。術に(ほころ)びはひとつもなかったのに、こんな離れ業ができるのはアスラ族か、ボクの知らないような突飛な術使いしかいないからね。これで疑わない方がおかしいよ」


「早計じゃないか。毎年毎年アスガルドで新しい魔術の魔導書が執筆されるように、術は日々進歩している。後者の可能性だって十分にあるんじゃねぇの」


「でも、君はここに来てくれたじゃない」


 

 その言葉に、木村の口の動きが止まる。

 

 

「玉蟲のように光の向きで色の変わる特有の美しい銀髪を地味な色に染めて、慣れない紫外線から瞳を守るために暗い夜にもわざわざサングラスをかける。魔力をまともに扱えないことを隠すため、体の一部を改造して武器として補う。一族の伝統を、誇りを、本当の自分を殺してまで守ってきた秘密が暴かれようってのに、こうもノコノコとやってくるってことは、ボクには大して隠す気がないんだよね」

 


 ガイアの声はいつにも増して低かった。

 木村は小さくため息を吐く。

 


「で。だったらどうするってんだ。ここで俺を殺して、謀反の血潮を絶やすか」


「そんなことはしない。もし許されるのなら、ボクは君に心から謝りたい」



 ガイアは拳を握り、無い瞳で木村を真っ直ぐ見つめる。



「君らアスラ族を守れなくて、本当に申し訳なかった、と」

 


 木村は目を逸らし、なにも言わなかった。



「アスラ族絶滅の責任は全てボクら原初神にある。ウラノスを止められなかったこと、戦争を早急に抑えきれなかったこと、そして、戦後に降り注いだ厳しい差別の雨から、君たちを守れなかったこと。この世を管轄する者として、生命を生み出した神として、我が子とも言える君たちが理不尽に晒されたにも関わらず、何もできなかった」



 言葉が続くにつれ、ガイアの小さな拳に悔しさが滲む。

 5000年の時を経てなお消えない後悔。

 謝罪という一方的な行為が自己満足に過ぎないことは、ガイアも理解(わか)っている。

 それでも、ただ1人と思われるアスラの生き残りを目の前に、口を(つぐ)むことなどできなかった。

 


曾祖父(ひいじい)さんだよ」

 


 木村は小さく(うつむ)きながら言う。



「大戦を知ってるのは曾祖父さんの代だ。社会で差別を受けたのも爺さんの代まで。俺と両親はそんなもん、ひとつたりとも知りやしねぇ」



 ハッとするガイアを他所目に、木村は続ける。



「確かに俺らにとっちゃ生き辛ェ世の中ではあるがよ、アスラの伝統も誇りも何も知らねェ俺にしてみりゃ、アンタの謝罪を聞いたって、他人事にしか思えねぇ」


 

 木村はおもむろに自身の髪の毛を一本抜いた。

 先端からのほとんどが焦げ茶色であるが、根元の数ミリだけは星の灯りに白く輝いている。



「生まれつきの髪を何で染めなきゃいけないんだなんて思った日もあったさ。けどよ、親が野槌(のずち)に食われて、極道に拾われてこの社会の文化に触れてから理解(わか)ったんだよ。ヒトってのは、案外怖がりなんだ。刺青(スミ)の入った極道は普通の銭湯に入れねぇし、外国人の多くは賃貸を契約させてもらえない。得体の知れないもん、恐怖を言い聞かせられているもんにはみんな、潜在的な拒絶反応を示す」



 そう言って、髪の毛を夜風に乗せ捨てる。

 


「……苦しくはないの?本当の姿を、自分を抑え込んで」

 

「嫌々染めてるんじゃねぇよ。タレサンも昔っから憧れてたモンだし、体を改造したのも、抗争で(かたき)に腕を持ってかれちまったからだしな。まあなんだ、俺なりに結構気に入ってんだぜ、この格好」

 

 

 木村は飛び出た前髪を後ろへ流す。


 

「ハードボイルドだろ」

 


 そう言う木村の声は、無表情でありつつも、心底満足そうだった。

 その言葉にガイアも安心し、いつも通りに口角を上げる。



「……そっか。君は君なりに、楽しくやっているんだね。失礼を詫びるよ」


「いーよ。お前さんも思い詰めてたんだろ」



 優しい言葉。

 それを聞いた瞬間、ガイアの中で燻っていたとっかかりが5000年を経て、浄化されたような気がした。

 ヒトの恨みつらみは深く根強いものであると同時に、継承されなければいつのまにか消えてしまう儚いものでもある。

 彼の先祖が恨みを注いでいかなかった理由は定かではない。未来に起こる争いを防ぐためか、はたまた後世に生き延びた子孫を社会へ溶け込ませるためか。なににしろ、それが懸命な判断であったことには違いない。

 事実、唯一の生き残りが今、こんなにも幸せそうなのだから。


 ガイアは別れの言葉を発し(きびす)を返した。

 だがしかし、再び聞こえた低い声がその足を止めさせる。


 

「俺だって話したくてここに来たんだぜ」


「君も……?」

 

「おう」



 ガイアが振り向くと同時に、木村が話し出す。



「アスラ族が社会に溶け込み始めたのはここ数百年間の話し。戦争直後、数を減らした彼らは滅びた故郷を捨てて、雲隠れをするように文明の少ない秘境へ住み着いた。周りに居住する民族もいない中、少数の彼らがその血を絶やさぬためにやむを得ず続けた近親交配。それはアスラ族を滅ぼした差別の次の原因だが、ただひとつ、ただひとつだけ、とある天賦を子孫へ授けた」



 ガイアは向き直し、息を呑む。

 

 

「圧倒的に精密な、()()()()()()だ」

 


 『状態鑑定』。

 それはつまり、あるものの身体の状態を、負った怪我から(わずら)う病気、かけられた術や呪いまでもを検知する、魔力自体に反応する神や魔族の能力とはまた別のもの。

 一般的に対象の鑑定は『鑑定の術』や、それらに精通する妖怪の力をもって成し得るものであるが、それを木村は天賦の才のみで成す。

 その上彼は魔術操作能力の乏しいアスラ族であるにも関わらず、圧倒的に精密だと言うのだ。

 悠久の時を過ごし、実にさまざまな景色を目にしてきたガイアであるが、これほどのことはさすがに、にわかには信じられなかった。

 


「確かに、稀だけれど近親交配の結果そんな事象が起こることはある。けど、それをボクに教える意味があるの?」


「俺の『状態鑑定』は体内の魔力を以って発動させるものじゃねェ。意識を集中させりゃ、いつだって魔力の波をひとつたりとも立てることなく発動可能だ。もちろん、今この時もな。だからどんな手練れだろうと、たとえ目の前にいたって俺が『状態鑑定』を使ったかどうかの判断はつかない。もし勘付いたとしても、俺の厳しい顔つき見てうんこ我慢してるとしか思わねぇだろうよ」


「随分と都合の良い能力だね」


「ごもっとも。我ながら、最近の娯楽小説に出てきそうな力だ」

 

「そんな能力を持っている組員がいるのに万套会が未だにボクらはを捕まえられていないってことは、組はその能力も君がアスラ族であることも知らないんだね」


「一部以外はな。俺もこの能力が特別だって知ったのは、育ての親に拾われたばかりの頃だ。ヤニの吸いすぎで肺を患っているっつーのに、周りの人間は愚か、そいつ自身すらも気が付いていねぇのが違和感だった。で、気が付いちまったらどこまでも試したくなるのが子供心ってもんよ。俺を拾った極道は当時組の老舗でな、着いて行った宴会場でたまたまあい(まみ)えちまった親父に能力を試したのさ。で、ちいとばかしとんでもないもんを見つけちまってね」


「とんでもないもの……?」

 


 ガイアの問いに、木村は一拍を開けて答える。



「永河の親父にかけられた、認識改変の魔術さ」


「!?」



 その言葉に、ガイアは息を呑んだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 それはつまり、彼の価値観や記憶の一部が何者かの手によって捻じ曲げられている可能性が、極めて高いということ。

 まさしく青天の霹靂であった。

 


「しかも随分根深かった上に、やたら馴染んでやがった。ありゃ数百年ものだぜ」


「まさかそんな……改変って、具体的にどこをどう……!」


「それは俺にも判断しかねる」



 木村は渋い顔つきでサングラスの位置を整える。



「だが一つ言えることは、親父にとって良いモンじゃねェってことだな。あのヒトは過去に目を(つむ)ることはあっても、記憶から消し去るようなことはしない。子の俺が言っちゃあれだが、経津主を殺さなかったのだって同じだと思うぜ。本当に心の底から憎んでいたのなら、会ったその瞬間に斬り捨てるだろうよ。あのヒトの中ではまだ、納得いってねェんじゃねぇの」



 ガイアは俯き、考える。

 木村の話が本当であれば、晤京にかけられた認識改変の魔術が400年前の経津主の親殺しの濡れ衣に関係している可能性は大いにある。

 木村自身も、おそらくはその程で話しているだろう。

 だが、魔術は長い間維持され続ければ続けるほど、そのものに深く太く根を張ってしまう。

 トトが亡くなってなお残り続けた図書館の亜空間や結界が良い例。

 解除は容易なことではない。



「その魔術を、ボクらなら取り除くことができる。そう考えたんだね」

 


 確証がない上に無理難題。

 だがしかし、もしそれが事実で成功したならば、大きな問題が一気に解決に進むことになる。



「わかった、引き受けよう」



 そう力強く言って見せるガイアに、(かたく)なであった木村の口角がうっすらと上がる。



「けど!そのかわり、君もちゃーんと協力してよね。ボクらだけじゃ無理なことだってあるんだから」


「ああ。できる限りはな」



 ガイアの差し出した手を、木村は右手で掴む。

 握手は互いの心を繋ぐ儀式だというのに、手袋という一枚の布越しにぶつかる2つの硬物は、無機質であるが故に感触を一切伝えない。その上互いに表情を伺うことはできない。

 だがしかし、人でない者同士、その濃い経験からわかることもある。

 だからこそこの口約束は成立したのだ。

 

 

――現在――


 

「晤京が、認識改変魔術に……」



 その言葉を口にしながら、経津主の表情が険しくなる。



「だがお前、どこでそんなことを」

 

「知り合いの神に聞いたのさ。よく常夜泉町をフラフラ〜っとしてるらしくてね、たまたま目についたんだって」


「確かにあのヒト、タッパデカいし目立つもんな……」



 あの背丈なら人混みに入ったって頭2つ分は飛び抜けているだろう。

 会長といい若頭といい、万套会の上層って雲隠れとか無理そうだよな。


 

「お前の知り合いならまあ、信用はできるか……」



 経津主は妙な感覚を覚えながらも、無理やり自分を納得させる。



「でも問題は、その根深く馴染んだ術をどう取り除くかだな」


「近くで詳しく分析ができない以上、浄化の術に頼るしかなさそうだね。400年以上も月日が経っていれば、ヒトの技で成すのは難しい。となれば、神……、有名どころは咲耶姫だけれど、彼女はもう……」


「うーん、ボクも知り合いとか有名神以外の能力はあんまり知らないんだよねぇ」


「浄化かぁ……」



 こんな時、トトがいてくれたならどんなに心強いか。

 彼ならきっと、その膨大な知識からすぐさま候補を挙げてくれるだろうに。

 

 

火之迦具土神(ホノカグツチノカミ)……」



 不意に経津主の発した言葉に、一同振り向く。



「火之迦具土神……確か、鎧銭の炎神だよね。結構古参の」


「親父……先代の万套会会長の知人でな、奴の炎には浄化の力が宿っている。昔、組の抗争で敵に呪いを受けちまった時、取り払ってもらったことがある。つっても、400年以上昔の話だがな」



 火之迦具土神、前の世界でもその名を耳にしたことがある。

 確か、生まれた瞬間パパにキレられ首チョンパされたちょっと可哀想な神だったか。

 こっちの世界じゃ長生きなんだな。



「先代の知り合いかぁ。相手が経津主のことをどれくらい理解してるかで、対応が全然変わるよね」 


「俺様自身はそこまで親しくねぇ。年に数回会う程度、どこに住んでいるかもわからねぇし、もう顔もうろ覚え。ただ、先代と酒を飲み交わす仲だったのは確かだ」


「う〜ん、微妙な……」 



 先代の酒の友とはいえ、親殺しとなった経津主のことをどう思っているか。

 恨んでいる可能性は大。だが、古参の神の知見の深さを信じればひょっとすると……。



「だが、俺様はやる。居場所は万套会の連中か情報屋に聞き出せば良い。会って突っぱねられたら、話を聞いてもらうまで迷惑だろうが何度だって押しかける。布都御魂(ふつのみたま)を取り戻すまで諦めん。決してな」



 経津主の顔には、確かな決意の色が宿っていた。

 愛刀を取り戻すため、恩人の死の真相を解明するため、やっと見えた光を掴んで離すまいとする、頑固で一度決めたら()かない実に経津主らしい表情。



「そうだな。ここで暗いことばっか考えてたって仕方ない」


「だね、まずは動かないと」


「よーっし!こっからが本番だね!みんなで火之迦具土神を見つけるぞー!」


「みつけるぞー!」


「お前ら……」



 一気に活気付く俺たちの様子を見て、経津主は気だるく、しかしどこか嬉しそうに口角を上げた。



 朝食と身支度を済ませると、俺たちはいつもの如く、龍兵の元へ向かった。

 次の仕事についての話しを聞いた後に、俺が話を切り出す。



「火之迦具土神……知っちゃいるが、どうした」



 龍兵の問いに、ガイアが先陣を切って答える。



「じつはぁ、昨日の依頼でボクが魔物の罠にかかっちゃって、それで呪いかけられちゃったんだよね。普通のヒトならジュリアーノの術でどうってことないんだけど……」


「呪いが……えっと、ガイア自身の生命力とどういうわけか結びついてしまって、なかなか解呪ができないんです。浄化の術も使ってみましたけど、僕の力ではうまくいかなくて……」



 ヤクザの絆は強固だ。

 なんの前触れも無しに「お前たちの親に魔術がかけられている」なんて言ったら、どんな反応が返ってくるか。

 正直、作戦はもっとあったと思うがまあ、隠しきれればどうにかなるだろう。

 ガイアもジュリアーノも練習通りにできてるじゃないか。



「だから、浄化を得意とする神の力を借りようってか」



 そう言いながら龍兵は木村の方を向く。

 木村はガイアをじっと見つめると龍兵を見て小さく頷いき、それを確認してから龍兵は口を開いた。



「生憎だがな、火之迦具土神は随分前に死んでるぜ」


「死ん……!?」


「たった1人でウチに喧嘩売ってきたらしくてな。若衆が何人か殺されたんで、親父がその場で叩き斬ったと」



 なんてことだ。

 やっと光が見えたと思ったのに。

 龍兵の答えを聞いて明らかに肩を落とす俺たち。

 


「火之迦具土神はもういないが、跡目ならまだ生きてるぜ」


 

 今まで黙っていた木村が不意に口を開いた。

 それを聞いた俺は「本当ですか!?」と身を乗り出し、向かいの龍兵が不服そうに木村の名を吠える。



「良いんじゃねェの。生命神はコイツの契約主だろ。主の呪いの影響が眷属にどう出るかわかったもんじゃねェし、坊ちゃんに何かあっちゃ困るのは栄治くんたちも同じだぜ」


「せやなぁ。不死身じゃ呪いは弾かれへんしなぁ」



 龍兵は苦虫を噛み潰したような険しい顔つきで俯き悩む。

 そして数秒すると、鼻で小さくため息をつき、顔を上げて渋々許可を出した。



「この鎧銭から海を越えた先の隣国凱藍(カイラン)神国に、"祝融(シュクユウ)"っつー神がいる。そいつァ火之迦具土神が直接眷族に選んだ、正真正銘の世継ぎだ」



 "祝融"

 響きからしても凱藍らしい名だ。


 

「祝融は凱藍の山奥で薬師(くすし)やってるらしいで。界隈じゃ有名でな、あのヒトの調合する薬は効能がえらい優秀やさかい、高うて一般人じゃ手も出ぇへんのよ。()()()()もやっとるらしいから、多分浄化もできるんちゃうん」


「本当ですか!良かったなふつ……ガイア!」

 

「うん!」



 満面の笑みで頷くガイアの後ろで、経津主は静かに口角を上げる。

 そして喜びも束の間に向き直すと、俺は龍兵たちの瞳を真っ直ぐに見つめて切り出した。



「龍兵さん。俺たち、その祝融さんに……」

 

「会いてェっつーんだろ」



 全てを発する前に、俺の言葉は龍兵の低い声に遮られた。

 驚きつつも頷く俺に、龍兵は眉間に皺を寄せて腕を組む。

 


「正直な話し、難しいと思うで」


「難しい……?忙しい方なんですか?」


「いやいや、そりゃ基本的には暇人やと思うで。けどな、あのヒト一応ウチの取引先の製造元なんやけど、たまげるほど人嫌いやし気難しいらしくてな。商品受け取りに来た卸売業者にすら尋ねたタイミングが悪いっちゅーんでブチギレて、薬箱投げつけたっつー話しや」


「ええ……」

 


 気難しいっつーか、それもうただのヤバいヒトなんじゃ……。

 吉松の話にドン引き、顔を青ざめる俺たち。

 すると

 

 

「わかった」



 固く結ばれていた龍兵の口から、承諾の言葉が溢れた。



「凱藍への渡航を許可しよう」

 

「!!……ありがとうございま……!」


「ただし、そのままいなくなってもらっちゃ俺らが困る」



 布都御魂を取り戻すという目的を果たしていない時点で、俺たちが凱藍へ行ったまま行方をくらますなんてことはない。

 だが、確保を命令されている人物を匿うという、下手すれば組織への謀反(むほん)とも言えるようなことをしている彼らにとっては、俺たちが手元から遠く離れた場所、それも海を隔てた外国へ飛ぶことを見逃すというのは、ハッキリ言って自殺行為に等しい。



「お前らが俺の元へ帰ってくるという確証が欲しい。だがアッチは都心と郊外で治安が天と地の差だ。お前らとて少数で行くのは危険だろう。だから……お前」



 そう言って龍兵が指差したのは、まだ眠そうにボーッと窓の外を見ていたベル。



「お前はこっちに残れ」



 驚き一斉にベルの方を振り向くと、彼女はいきなり目が覚めたように瞼を見開き、何が何だかわからない様子でキョロキョロして首を傾げた。

 ベルを1人、ここへ残せだってか。

 


「ま、待ってください!この子はまだ子供なんです!喋るのだってまだたどたどしいし、1人で留守番だってしたことないのに、依頼なんてそんな……」


「馬鹿野郎。プロでもねェガキ1人に素行調査なんざさせるほど、俺ァタチの悪ィ極道じゃねェよ。何もしねぇしさせねェし、ちゃんと面倒も見てやる」

 


 龍兵の言葉に嘘の色は見えない。

 だがそれでも、この子1人を鎧銭に置いていくなんて……。


 悩んでいても(らち)が開かないので、とりあえずベル本人に訊いてみることにした。



「ベル。いきなりなんだけどさ、俺たち外国に行かなくちゃならないんだ。でも、君は連れて行けなくて……その、龍兵さんたちとお留守番できるか……?」


「うん」



 迷いひとつない(うなず)きで返すベル。

 即答じゃないか、ちゃんとわかっているのか?



「……本当に良いの?嫌なら嫌って言って良いんだよ」

 


 ジュリアーノがそう問うがしかし、ベルは表情を変えぬまま首を横に振って見せる。



「ベルできるよ、おるすばん」

 

「でも……」

 

「みんな、いつもがんばってる。ベル、みんなだいすきだよ」


 

 ベルは真っ赤な瞳を経津主へ向ける。



「ふつぬし、こっちきてからずっとかおこわい。でも、きょうはすこしうれしそう。ふつぬしがうれしいの、ベルもうれしい。だからベル、おるすばんできるよ。みんなのこと、いいこでまってられるよ」


「ベル……」


「決まったみてぇだな」



 龍兵の声で、一同が向き直す。



「ベル、おるすばんする」


「そうか。凱藍は法律も文化も鎧銭とは似ているようでったく違う。特に都市部と郊外とで治安が天と地の差だ。都市部じゃ道にゴミを捨てただけでとっ捕まるが、郊外じゃ刺し殺されても道端でほったらかしだ」


「こ、こわぁ……」



 治安統制厳しい国なのに、そんなに差があるのかよ。

 マフィアとかいたりして……。


 その後は、就航の日程とそれまでの段取りを龍兵さんたちと小一時間話し合った。

 どんな下手を打っても、俺たちが鎧銭を出たことと龍兵さんたちがそれを手助けしたことは、万套会の者に知られてはいけない。

 この1ヶ月バレていない時点で杞憂なのかもしれないが、万が一というものがある。

 そして話し合いの結果、出航は1週間後の早朝になった。



「龍兵さん、ベルのこと……お願いします」


「わかってる。任せろ」


「生活費……特に食費が(かさ)むと思いますけど……」


「……まぁ、なんとかしよう」



 とはいえ、猶予はあと6日ある。

 それまでこの子には、1人でできそうなことはなるべくやらせるようにしないと。

 洗濯物とか買い物とか、料理は……流石に龍兵さんがなんとかしてくれるだろう。



 その後は、いつも通りに龍兵さんからの素行調査依頼をこなして、あっという間に時間は4時過ぎ。

 調査し集めた資料を整理すると、俺たちは急足で埠頭に向かった。

 あまりに急ぎすぎたせいで玄関の鍵しめたかな〜、なんて心配をしつつ地面を蹴れば、石畳の上に見えてくるのは見慣れた2つの背中。



「ルジカ!ディファルト!」



 名を呼ぶと2人は振り返り、嬉しそうな様子で手を振る。

 


「良かった〜間に合って」


「そんなに急いできたの?まだ出向まで30分もあるのに」


「あれ、ジュリアーノはどうした?」


「なんか用事があるって言って、商店街の方行っちゃったよ」


「まあ出航までには帰ってくんだろ」



 そう、今日はルジカとディファルトが鎧銭を発つ日なのだ。

 見送る予定だったのに、調査が思ったよりも長引いてしまったせいで少し遅れてしまった。



「ミフターフに行くんだっけ」


「ああ。その後はバレイシアへ寄って、そのままアスガルドへ行くつもりだ」


「ルジカの故郷だね」



 そう、アスガルドはルジカの故郷だ。

 そして、俺はそのアスガルドを目指さなければならない。

 何故なら……。



「俺たちも、魔界でベルの家族を見つけたらすぐに行くよ」 


「うん。待ってる」



 ルジカが隠しているという秘密、アスガルドへ来れば教えてくれるのだそう。

 今からでも心がうずうずするくらいに気になる反面、もし衝撃の事実だったらどうしようだんて考えてしまう自分もいる。

 辿り着いた先にどんな答えが待っていようが、俺のルジカへの気持ちが変わることはない。

 でも……それでもやっぱ、めっちゃ気になるんだよな!!

 これぞ童心。不死身の弊害か。

 そんなふうに心の中で密かに騒いでいると、おもむろにルジカが頬を染めて俯いた。



「あの……て……み……」


「ん?ごめん、なんて?」


「その……手紙……書いても良い?」


「手紙?」


「うん。で、でも、いやなら良いの。返事書くの大変だし、国際輸送はお金かかるし……」


「い、いやいや!もちろん、むしろ嬉しいよ!」


「ほんと……?」


「ああ。俺もルジカのこともっと知りたいし、その……なんだ……せっかくこういう仲になったのに、また離れちゃ寂しいもんな」



 その言葉を聞いて、ルジカは心底嬉しそうにへにゃっと笑みをこぼした。

 あまりの破壊力に俺も顔面を沸騰させつつ、真横でニタニタと小さく野次を飛ばす3人を睨みつける。

 


「ルジカ」



 不意にベルがルジカ名を呼び、彼女の元へ駆け寄ってくる。

 そして彼女オペラピンクの瞳をじっと見つめたかと思うと、突然バッと頭を下げた。



「いきなりにおいかいで、ごめんなさい」



 いきな何をし出すのかと思ったが、思い返してみれば、ベルは初対面の時にルジカに背後から近づいて匂いを嗅いだことがあった。

 あの頃はまだ鎧銭に来たばかりでベルも周りに興味津々だったし、ルジカ自身も気にしていない様子だったから特に何も思っていなかったけれど……。

 もしかすると、あの子なりに申し訳ないと思っていたのかな。

 ルジカはいきなりのことに驚いていたが、ベルの思いをくみ取ると直ぐに微笑む。



「ベルちゃん。顔、上げて。大丈夫。気にしてないよ。私もごめんね。大きい声出しちゃったから、びっくりしたよね」


「……うん。ありがとう。ルジカ、やさしいね」


「そうかな。ベルちゃんも……」


「ううん」



 ルジカの話しを遮るように、ベルが首を横に振る。



「ベルでいい」


「ベル……うん。ベルも、ちゃんと謝れてえらいね。きっといいお姉さんになれるよ」


「おねえさん……」



 するとベルは両手を広げ、「なかなおり」と言った。

 それをみたルジカは面食らった表情をしながらも、優しく微笑んで彼女をぎゅっと抱きしめた。

 これであの子のとっかかりも取れただろう。

 良かったな、ベル。



「ごめーーん!!」



 和やかな空気の中を通る大声を上げて、ジュリアーノが手を振って全速力で駆けってきた。

 右脇に紙袋のようなものを抱え、1ミリも余裕のない表情。

 そばまでくると、今にも死にそうなほど激しく肩で息をし、けたたましく鼓動する心臓を抑える。

 


「ジュリアーノ!」


「どこ行ってたんだお前よぉ」


「ハァ、ハァ、ごめんごめん。でも間に合って良かった」 



 額の汗を拭くと、彼は手に持っていた紙袋から何かを取り出した。

 それはCDケースほどの大きさ箱で、中心にはビー玉サイズの小さな水晶が埋め込まれている。

 


「ハァ、せっかくだからさ、みんなで撮りたいでしょ、写真!」


「え、まさかそれ、カメラか!?」



 ジュリアーノが手に持つそれは、なんとカメラ。

 驚いた。この世界にも写真が存在することは知っていたが、まさかカメラまであるとは。

 スコーピオは大きな水晶玉で景色を羊皮紙に転写していたから、てっきりそんなようなもんだと思っていたのに……。



「本当は今日までに転写の術を覚えたかったんだけど、どうにも上手くいかなくて。でも大丈夫!ちゃんとカラーで撮れるやつだし、台紙も人数分買ったから!もちろん僕の自腹でね!」



 うちの魔導士、有能すぎる!!



「ナイスジュリアーノ!じゃあ早速、みんなで撮っちゃいましょー!!」


「やっぱり、海が見えた方が良いよね!」



 ガイアとジュリアーノに手を引かれ、船着場の端っこ、雑多の居ない海の近くに皆で並んだ。

 集合写真なんていつぶりだろうか。

 久しすぎて変に緊張してしまう。



「あれ、経津主、その角」


「ああ、せっかくの記念写真なんだから、って、ジュリアーノがな」


「あはは、まあ見られなきゃいっか……」


「写真か。何度か見たことはあるが撮るのは初めてだな」


「自然体でリラックスしてればダイジョーブだよ。まあボクも初めてなんだけどねぇ」


「ベル、こっち。ほら、前見て」


「ん」


「みんなーこっち向いて!撮るよー!」



 ジュリアーノのがそう叫び、シャッターのタイマーを押す。

 カチカチと歯車を弾く音が鳴りだすと、彼は急いで配置につき、俺ん方に手をかけた。

 すると、後ろにいたガイアが唐突に前に飛び出し、俺の(ひざまず)く俺の腹部へ盛大にダイブしてきた。



「うぐっ、お前なにして……!」


「いえーい!ボク真ん前ー!」


「2人とも前見て!」



 ジュリアーノの声でカメラを向いた瞬間、目が眩むような一瞬の閃光が、俺の視界を覆った。





 あれからもう1週間。俺は波風に押され海を走る帆船の船首で海を眺めていた。

 鎧銭を発ち、隣国凱藍を目指すこの船は、雲ひとつない晴天の中、美しい紺碧の海を白波を立てながら駆け抜ける。

 向こうへ着くまでは丸4日。

 ルジカももう、ミフターフへ着いている頃だろう。元気にやっていると良いが。

 俺はおもむろに、カバンから一枚の写真を取り出した。

 それは、あの日撮った皆の集合写真。

 茶ばんでいるし、色味も若干くすんでいて、せっかくの綺麗な夕焼けと海の色が全く反映されていない。前の世界で見慣れたものには到底及ばない出来。

 撮るのも手間がかかるし、いちいち高い台紙を買わないといけなくて、焼き増しにもずっと時間がかかる。

 けれど、今の俺とってこの写真には、金銀財宝にも及ぶ価値がある。


 俺は写真を一通り眺めると、手帳に挟みカバンの中にしまった。

 


「凱藍……か」



 正直、こんなに早く訪れるだなんて思っても見なかった。

 気難しいと噂の炎神祝融、果たして説得できるだろうか。

 知らない土地へ行くのはもう慣れっこだが、ミフターフの砂漠以上の治安の悪さと言われる郊外。考えただけでも、今から胃がキリキリしてくる。

 


「まあ、なんとかなるさ」



 広い海を眺めていると、そんな不安もちっぽけなものに思えてしまうのは何故なのか。

 実際全然ちっぽけではないのだが……。

 まあ、今くらいは心を落ち着かせたって良いだろう。

 束の間の休息。これからもっと、大変になるのだから……。

挿絵(By みてみん)

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異世界転移
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