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第63話「嵐のように」

 獅子神の繰り出した拳を東条が受け止めると同時、まるで落雷のような衝撃と共にえも言えない強烈な痺れが全身を駆ける。

 奴の胴を蹴り返して一旦下がり体勢を立て直すが、先程拳を受けた左腕が、電気を流されたかのように小刻みに震える。

 しかし、これしきのことで遅れをとっては万套会の代紋(だいもん)に泥を塗るようなもの。

 "極道"の名を背負う以上、面子(めんつ)をかけた喧嘩事では後退の2文字を思い浮かべることすら許されない。

 東条は目の前の空気を掴み取るように拳を握ると、そのまま突進と共におおきく振りかぶり、獅子神目がけて力一杯に投げた。

 (はた)から見ればそれは、何も持っていないにも関わらず投球をするという、極めて滑稽な姿。

 それは獅子神も同じであり、彼は拍子抜けな様子で前へ出た。

 しかし次の刹那。

 突進した獅子神の目の前で、何かが弾け飛んだ。

 眼前に駆けってくる東条と彼との間約4メートルに障害物はない。

 けれど、確かに破裂した何かの爆風で獅子神の体勢は崩れ、コンマ一秒に注意の()れが生まれた。

 軸のブレた獅子神と裏腹にスピードの落ちない東条は、そのまま彼の(ふところ)に体当たりをした。

 187センチの巨躯から繰り出される衝撃に骨の(きし)みを感じる獅子神は、同時に腹部へめり込む小石ほどの小さな硬い感触を覚えた。

 吹き飛ばされ宙を走る己の体を受け止めるように地面へ足をついたその時、先程硬さを感じた腹部で何かが弾け飛んだ。

 それは獅子神の(まと)うアロハシャツに風穴を開け、腹の表面を食い千切って四散した。

 体の勢いを殺すと同時に、獅子神は右手で傷を押さえて膝を突く。

 


「兄貴ィ!! 」



 絶叫する輝原の声に右手のひらを見てみれば、暗闇の中でもハッキリわかる(あけ)がべっとりと付着している。

 


「手榴弾……やないのう。妖術かァ」



 獅子神は立ち上がると、高揚したように口角を上げる。



「東条瑞騎ィ、噂には聞いとったけど、ホンマにおもろいやっちゃのォ」


「そりゃ啖呵か? 腹の皮削れてんだから無理すんなよ」



 東条の言葉が終わると同時に、獅子神が拳を構え地面を踏み締めた。

 筋肉が隆起した彼の足が光り輝く稲妻を纏う。

 その刹那、瞬きの間に東条の瞳に映ったのは、獣の如き鋭く研ぎ澄まされた金色の眼光。

 まずいと瞬時に後ずさるが、既に彼の懐へ入った獅子神はそのまま拳を叩き込む。

 その打撃は東条の(へそ)上を正確に打ち抜いた。

 逆流する胃の内容物を喉元で抑え込み、吹き飛ぶ体を石畳に指を引っ掛けて耐える。

 起き上がると、食らった箇所にまたも痺れが走った。

 先程腕に受けた痺れは既に消えたが、この正体がいったい何なのか未だにわからない。

 大した害はないが、少々力を入れにくくなることだけが厄介だ。

 何かしらの術なのであればなるべく食らわないことが先決であるが、おそらく獅子神は術を拳に乗せている。

 極道らしい真正面からの素手喧嘩(ステゴロ)は、彼の戦闘法の今のところの主。

 それに加えて、瞬く間に東条の懐を狩る圧倒的なスピード。

 武闘派としてハクのついた東条といえど、全てを避け切ることは不可能と言えるだろう。

 一回りも年の離れた若造に苦戦を強いられるとは、とても良い気はしない。


 だがその一方で、笑みを浮かべながら相対する当の獅子神の胸中にも、余裕と言える余裕はなかった。

 前触れもなく起こった2つの爆発。

 うち一つは目の前で起こったにも関わらず、彼は瞳にとらえることが叶わなかった。

 小規模かつ射程は短くあるものの、まともに食らった獅子神の腹は皮膚を少々持っていかれた。

 既に腹筋を(こわば)らせ止血は済んだが、ヒトの弱点に張り付いた痛みは、どうしたって体の動きを鈍らせる。

 食らったのが鍛えられる場所であったから良かったものの、これを喉元や脳天などに受ければ、いくら妖怪の血を引く獅子神といえども無事では済まない。

 


「俺ァもっと、あんたと戦いたいねん」

 


 獅子神は拳を握りなおし、再び突進する。



(たぎ)るのォ!! あんたの本気、俺に見せてぇな!! 東条サン!! 」 



 それに応えるように、東条も下駄を鳴らし走った。

 

 

(タマ)吹っ飛ばしたらァア!!」



 正々堂々真正面からの拳を東条は身を捻って避け、真横から獅子神の頬へ鉄拳を叩き込む。

 だが獅子神がすんでで身を引いたがためにクリーンヒットとはならず、お返しと言わんばかりに左下から飛んでくるのは、強烈なアッパー。

 東条は腰を反って避けながら流れるように横へ回ると、再び虚空を握り締めて獅子神へ投げた。

 硬い感触が獅子神の頬へぶつかると同時に素早く後退する東条。

 すると、またもや何もない空中で小規模の爆発が起きた。

 獅子神は勘づいて(かが)んだものの、額がうっすら削れ、輪郭を沿って右目に鮮血が流れた。

 拮抗する一進一退の攻防を、両者の味方が静かに見守る。

 目元の血を腕で拭い払いながら石畳を駆ける獅子神を、迎え撃つように東条が腰を落として地面を踏みしめた。

 彼が両手のひらを合わせたと同時、鼓膜を殴るような凄まじい衝撃音と共に辺りの空気が一瞬歪む。

 そしてまた見えない何かを右手の中指と人差し指で挟み、前方へ手裏剣のように飛ばした。

 


(軌道が全く読めへん。せやけど、)



 獅子神は耳を澄ます。

 静かな闇夜の中、微かに聞こえた空気を切り裂く音を瞬時にみつけ首を捻って避けようとするが、すんでで間に合わず、顔を掠めたと同時に破裂し、頬の肉を少しばかり持って行かれてしまった。

 だがしかし、その程度で止む獅子神ではない。

 頬が削れたとてその脚は止まることを知らず、そのままのスピードを維持して東条に殴りかかる。

 東条は攻撃を受け流しつつ自らも拳を放つが、獅子神の超スピードには及ばず、逆に自分が頬へ拳を食らってしまった。



「お返しやァ!!」


「餓鬼がァ!!」



 怒号を挟みつつ顔を囮に獅子神の注意を引き、胴ががら空きになったところを足払い。バランスを崩した彼の顔面のアッパーを叩き込む。

 寸前に腕を入れられクリーンヒットとはいかなかったが、吹っ飛ばしたおかげで4メートルほどの距離を作ることには成功した。

 すかさず東条は虚空を握り締め、手の中のものを獅子神に向けて投擲(とうてき)する。

 獅子神はまずいと身を(よじ)るが、体の軸がブレていたせいで間に合わない。

 せめてダメージを軽減するため、両腕でガードを作る。

 ……がしかし、いつまで経っても固い(つぶて)が腕にめり込む感触も、それが破裂し肉を(えぐ)る感触もない。

 腕をずらし見てみれば、東条の顔に張り付くのは微かな驚きの表情。



「なんや不発か!まあ生きてりゃそんなこともあらァなァ!!」



 そう叫びながら一気に体を起こし、突進する獅子神。

 地面を蹴る脚と握りしめる拳には、金色に輝く稲妻が走る。

 東条が体勢を直したと同時、電光石火の鉄拳が彼の顔面をとらえた。

 間に腕を挟む暇もなく、東条は歯を食いしばった。

 直後左頬にぶち当る拳。

 だがしかし、その威力は先ほど腕にくらったそれとは違う、全くの拍子抜け。



「ありゃ?」



 放った本人すらも素っ頓狂な声をあげて、一旦その場から下がる。

 東条は困惑しつつも体勢を立て直し、拳を握った。

 すると



「ア゙ア゙ーーーーーーーー!!!!」



 眼前の獅子神が突然頭を抱えてのけ反り、奇声を発した。



「ンッッッでやねん!!なんであそこで失敗すんねん!!今のはカッコよく決める流れやったやろがいっっ!!!」



 子供のように地団駄を踏んで悔しがる獅子神。

 あまりの光景に、さすがの東条や小館、その他舎弟たちもドン引き顔を青ざめる。



「ハァ……興醒めや。東条サン今日はここで終いにしまひょ」


「アア?ここまでやっといてイモ引く気かテメェ」


「そういうこっちゃないねんよ」



 獅子神はしょぼくれた顔で手櫛(てぐし)を通し、崩れた髪を直す。



「なんや今日、お互い調子悪いやんか。敵が本調子やないんじゃおもろい喧嘩なんかでけへん。今日は俺の負けでええから、次会うた時に思いっきしぶつかりましょうや!」


「何言ってやがる、調子が悪いのはテメェだけだろうが。俺ァちっとも……」


「星二ィ〜帰るでェ〜」


「テメェコラ話を……!!」



 その時、輝原の真横に巨大な魔法陣が出現する。

 眩しさに目を覆いながらもうっすら開けた隙間から見てみれば、輝原が魔法陣の中に手を伸ばし、何かを巨大なものを引き出した。

 徐々に姿を表すのは、馬ほどの大きさでありつつもそれほど背が高くもない黒い影。

 見たこともない全長2メートルほどのゴテゴテしい鉄塊を前に、一同目を見開く。

 輝原がそれにまたがると、続くように獅子神も駆けって後ろにまたがる。



「またいつか戦こうてなァ!!」



 獅子神が言った途端、鉄塊から後方に飛び出した鉄棒が突如爆発し、革製の車輪が高速で石畳を蹴る。

 すると2人を乗せた鉄塊は、脱兎の勢いでその場から飛び出した。

 去り際、に放った「だぁぁぁぁぁい好きやでぇぇぇぇぇぇ」という獅子神の言葉が、彼らの姿が見えなくなった後も暗い埠頭でこだまする。



「なんなんだアイツらは……」



 嵐のようの突如として現れ、気付けばその場から去っていた。

 破竹のごとき敵衆の刺客に、東条は呆れと感心の混ざった顔で呆然と立ち尽くす。

 すると、一部始終を静かに見ていた晤京が小館の名前を読んだ。



「明日8時半に本部へ幹部を集めろ。会議を行う」


「承知しました」

 


 晤京が見据える先は、獅子神たちが鉄塊にまたがり走り去っていった道。

 その黒い瞳の中には、えも言えぬ胸騒ぎがあった。

 吹き付ける夜風は、嵐の前触れのように長い前髪を揺らす。

 右目に刻まれた刀傷が、微かに(うず)いた。





 一方その頃、俺たちは得体の知れぬ男を前に苦戦を強いられていた。

 いくら弱体化を喰らっていたって、ほとんど3対1。

 負けるはずなどはまずないが、何故か勝つこともできない。

 奴の()()()や切り替えが上手すぎるせいで、入ったと思った攻撃に手応えを持って行かれてしまい、どうにも調子が狂う。

 加えてあの暗器とキツイタバコの臭いと煙で、真正面型の俺たち3人は戦いづらいったらありゃしない。

 以前戦ったスコーピオも似たような戦法だったが、コイツは戦闘IQがやたらと高い。



「しぶといのォ。お前らが最後でほんま良かったわ」



 奴は前方から放たれる水撃を跳んで避けつつ、3人へ的確にクナイを飛ばす。

 俺は身を捻ってクナイをかわし、勢いを殺さぬまま男の腹部へ横薙ぎの風刃を放った。

 だが奴はバックステップで避け、追撃に真横から降り注ぐ経津主の長ドスもクナイで弾き防いで見せた。



「泥臭いねんなぁ。自分ら、センスって言葉知っとるか?」



 そう言って奴は白い煙を吐き、短くなったタバコを靴で踏み消す。

 そして懐から新たなタバコを取り出そうとしたその時、突然俺たちの後方からけたたましい爆発音が聞こえてきた。

 驚き振り返ると、煌々と輝く一つの光がこちらへ向かって猛スピードで迫ってきている。

 太鼓を叩くが如く連続的に鳴る爆発と摩擦の音に、俺は確かな聞き覚えがあった。

 いやしかし、ここは異世界だ。

 そんなものがあるはずない。

 幼少期、長期休みの度に釣り堀へ向かい父と共に乗ったハーレー。

 広い黒光りの背中にしがみつきながら、雄大な景色を背景に鳴らすエンジンと地面を蹴るゴムの音。

 徐々に近づくその音は、あの日聴いた心地よい騒音と果てしなく似ている。



「まァァァこォォォとォォオオオ!!!」



 風を切って迫る、快活な呼び声。

 橙のレンズ越しに光を視認すると、男はフッと笑って取り出しかけたタバコをしまい込み、右手を横へ広げた。

 直後、光は俺たちの間をすり抜け、目にも止まらぬ速さで目の前の男を掻っ攫う。

 閃光のように横切る一瞬、俺はそれの全貌を見た。



「はあ!?バイクぅ!?!?」

 

 

 ガラの悪い男2人を背に乗せたフロントフォークをガッツリ改造した紫色のハーレーのようなものが、石畳の上を颯爽と走り去っていったのだ。

 あまりの勢いに俺とジュリアーノは横っ飛びで避けるのが精一杯で、2人とも石畳に尻餅をついた。

 俺は瞬時に立ち上がり、去っていくハーレーのケツを見る。

 間違いない、バイクだ。

 一方向からしか見ていないけれど、確実にバイクだ。

 え、バイクとかあるの???

 個人的に世界観ぶっ壊れた……けどバカかっけぇ……。

 あれも魔術か妖術なのかな。

 魔唱石とか魔具の原理使えばイケるのかな。



「なんだありゃ……」


「生き物……じゃなかったよね……。あんなに速い乗り物見たことない……」



 2人の反応から察するに、この世界でも珍しいものらしい。

 魂の付随した断片的な記憶の弊害……?

 にしたってあそこまでバチバチのカスタムハーレー、手作りできるもんか……?





 絶体絶命の危機も去り、依頼も成し遂げた俺たちは帰路に着いた。



「夜の埠頭って怖いね」


「ホント、ボク心配したんだから。賢吾、お腹大丈夫?」


「ああ、なんとか。西側に行ったらあんなのがゴロゴロいるんだもんな。今後は依頼でも行きたくねー……」


「夜の鎧銭って、ミフターフの郊外よりも治安悪いよね。噂に聞いてた通りだ」


「ちあん……わるい……?」


「怖い人がいて、危ない場所ってこと」


「鎧銭はトップの頭がおめでたいからな。法律はあっても抜け穴が多すぎるし、そもそもとして国側が積極的に取り締まる気がねぇ」


「ええ……それって国の頭としてどうなんだよ。一応千年以上生きてる神なんだろ?」


「うん、そうなんだけど。紅嬋姫はすごく歓楽的な方だから。来るもの拒まずだし、新しいものが大好きで、自身が気に入ったものはグレーゾーンでもなんでも取り入れるんだよ。結果的にそれが小国だった鎧銭を爆発的に発展させたってのはあるんだけど、その分治安維持がおろそかで……」


「びっくりするくらいお兄ちゃんとは真逆だよね。アッチは厳しすぎるせいで苦労してるのに」



 うーんと唸るガイアの横で、俺はひとつだけ気になった。

 


「お兄ちゃん?あのお姫様、兄妹いんの?」


「ケンゴ知らなかったの?ほら、アウローラとミフターフの間に凱藍って国あるじゃない?」



 鎧銭から海を渡った先、大陸の西部に位置する凱藍神国。

 名前はそこかしこで聞いたことはあるが、詳しいことは何も知らない。

 確か、世界一の水質と豊富な固有種を誇り、その地に居住する神獣が最も多い。

 そしてこの鎧銭と、関税で嫌がらせし合うくらいに仲が悪いということだけ。



「あそこを収めている河神河伯(かはく)と鎧銭の紅嬋姫は、兄妹同士なんだよ」


「え、そうなの?初耳だな……」



 兄弟なのに、そんなに仲悪いのか。

 前の世界の同級生にも姉や妹と仲の悪い奴はそこそこいたけれど、世界規模で対立しているほど犬猿の仲な奴らはいなかったな。

 そこは喧嘩するほど仲がいいというか、成長していくにつれて少しずつ改善されていくことが多い。

 それなのに千年以上生きている神の兄妹がいまだに火花バチバチで対立しているなんて、それだけ根の深いことなのか……。



「鎧銭と凱藍が元々一つの国だったってことは知ってるよね」


「ああ。確か、凱銭(がいせん)神国……だっけ」


「うん。その頃は木花之(コノハナノ)咲耶姫(サクヤヒメ)っていう女神が収めていてね、2人はその子息と令嬢なんだ。元々はとても仲の良い兄妹だったそうなんだけれど、500年前に(くだん)の厄災で咲耶姫がいなくなってから、国の統制方針について保守派の河伯と革新派の紅嬋姫で激しく揉めてね。結局、大陸側と離島側で分裂したんだ」


「どちらの言い分もわからなくはねェがよ、ハッキリ言ってどちらも()()()()だよな。極端っつーかなんつーか」



 500年前の厄災というのは、おそらくシャンバラの毒災のことだろう。

 凱藍はシャンバラと山脈を隔てた隣国。

 ミフターフの惨事を考えれば、被害は相当の問題だったのだろう。

 咲耶姫という名前は以前にも聞いたことがある。

 確か、その毒災の最中で自身の治める国一帯に、身を挺して超巨大な浄化結界を施したという話しを聞いた。

 あれほど恐ろしくかつ強力な呪いと毒素を浄化し、いまだにその影響すらも残さないだなんて、いったいどれだけ強力な浄化術なんだ。

 まさしく神の御技。

 その子供たちだというのだから、河伯も紅嬋姫も相当の実力者なのだろう。

 その2人が500年もの間対立……もし咲耶姫がいたならば、この現状をどう思うのだろうか。



「極端な法律でも、それが500年も続けばもう文化の一部みたいになっちゃうもんだから。不老長寿の神が収めるひとつの弊害ってやつかな」


「俺様が生まれた時にゃ普通だったからな。アウローラで売春が全面的に違法だったのは驚いたぜ。こっちじゃ国の認可が降りてる店なら普通に目につくところで構えてるもんな」


「鎧銭は賭場とか風俗とか、娯楽業での管理と統括はしっかりしてるからね。その他の治安維持はまあ……頑張って欲しいけど」



 何か事情があるのか、単にサボっているだけなのか。

 何にしろ自警団が幅を利かせている時点でロクな様子じゃないんだろうけど、そこは余所者の俺がどうのこうのと言えるもんじゃないよな。

 そもそも俺、公民苦手だし。


 そんな風に見聞を深めながら歩いていると、行く道が見慣れたものに変わってきた。

 ここをしばらく真っ直ぐ行って、2回ほど曲がれば冒険者ギルドの宿舎に着く。

 と、その時。

 通り過ぎようとした右側の路地から、突然1人の男が飛び出してきた。

 炎の中から飛び出してきたかのように身なりのそこかしこが焼けこげ、覗く皮膚や顔はあざだらけ。

 そしてこちらを見るなり、「たっ、助けてくれ!!」と飛びついてくるではないか。

 いきなりで反応しきれなかった俺だが、困っていることには間違い無いので、とりあえず受けの姿勢を取る。

 だがしかし、男がこちらへ走ってきたと同時に経津主が前へ飛び出して、彼の顔面を長ドスの柄で思いっきり突いたのだ。

 あまりの出来事に思わず「何してんだお前!?!?」と声が漏れる。

 鼻が潰れるほどの衝撃に吹き飛んだ男は、背中から地面に打ち付けられた。



「目の奥がが濁ってやがった」


「だからって怪我人に……」



 俺が駆け寄ろうとしたのも束の間、男は気力と火事場の馬鹿力で立ち上がり、逃げの姿勢をとった。

 だがそれと同時、男が飛び出してきた路地が、鮮やかな朱色に照らされる。

 次の刹那、光る路地の中から龍兵が飛び出してきた。

 硬く握られた右手には煌々と燃える炎が灯り、その姿勢は本気(マジ)殴りの1秒前。

 そして何かを言おうと両手を上げた男の土手っ腹に、問答無用で叩き込んだ。

 凹んだ腹から血反吐を吐き出し、痙攣する男。



「こんなんでイモ引くくれェなら、ハナからやるんじゃねェよクソッタレが」



 低い声でそう吐き捨て、右腕の炎を振り払った。

 今のは竜兵さんの魔術……じゃなくて妖術か。

 火拳じゃん、カッケー。

 そして続くようにゾロゾロと路地から現れたのは、吉松と木村。

 アンタも夜にサングラスかけてんのかよ。

 鎧銭で流行ってんのか……?

 吉松はこちらに気がつくと、驚きつつも街のはずれで偶然旧友を見つけた時みたいな笑顔で手を振ってきた。


 ちょうどいいと路地に入って、依頼の結果を3人話す。



「……そうか、ご苦労だった。他に異常はなかったか」


「ああ、そういえば、なんかガラの悪い人に絡まれて襲われました」


「僕らが万套会の者か訊いてきたし、代紋も形が違ったので多分万套会の構成員ではないと思います」


「ありゃ極道だな」



 それを聞いた龍兵たちの額に、深い青筋が走る。



「ナメてるねェ。あの埠頭はウチのシマなんだがな。特徴教えてくれや」


「身長は170後半、色白でセミロングの銀髪に、橙の丸サングラスかけてました」


「あと、キッツい西部訛りな」



 男の特徴を聞くと、龍兵たちは神妙な面持ちで考え込む。

 何やら深刻そうだ。



「……わかった。今度そういうことがあったら、なるべく逃げるようにしろ。連絡もな。怪我はいいのか」


「ええまあ、俺以外かすり傷ですし、俺死にませんし」


「そうか」


「残党がいるかも知れへんからな、気をつけて帰れよガキども」



 3人が踵を返し、地面に仰向けの男を担ぎ上げて去ろうとしたその時。

 


「あ、木村さん白髪(しらが)みーっけ」



 そう言ってガイアが飛び出し、ワックスで固められた木村の後頭部から毛を一本引っこ抜いた。

 


「おっっま!!何してっ!!」



 慌ててガイアを引き寄せる俺の額に、大量の冷や汗が滲む。

 いくら知り合いだからって、ヤクザになんてことを!!

 ただでさえ何考えてるかわかんない人なのに!!

 木村は後頭部に手を添えてゆっくりと振り返る。

 サングラス越しにガイアを見る彼の赤い瞳が、光の屈折で一瞬だけ見えた。

 無言。

 絶っっっっっっ対怒ってる。



「ごごごごごめんなさい!!」


「わわわ悪気はないんですよ!ね、ガイア!」



 俺とジュリアーノは必死の形相で頭を下げる。

 その姿を見たベルが、不思議そうにしつつ自分もなんとなく頭を下げる。



「疲れてるんじゃなーい?夜もあったかくなってきたし、ちゃんと風通しのいいところで寝ないとー」


「バカヤロウ!!」



 なおも反省の様子を見せないガイアの頭を掴み、無理やり頭を下げさせる。

 やばいよ……殺されるよ……助けて龍兵さん……吉松さんでもいいから……。

 木村の吐いた小さなため息に、俺とジュリアーノはビビって肩を揺らす。



「窓開けて寝るにゃまだ早ェだろ。栄治くん風邪引いちまうぜ」



 帰ってきた応答は、予想の斜め上をいった。

 怒って……ない?

 てか一人称、栄治くんなの……?



「ふふふ、夜風に吹かれながら寝るの、ケッコー気持ちいいよ。ね、賢吾」


「え、ああ、まあ……」


「そうか。じゃあ12月あたりやってみるわ」


「そっちのが寒いじゃん、ほんとに風邪引いちゃうよー?」



 木村は無表情のまま踵を返し、歩き出した。

 月明かりだけの道を並んで歩く3人の背中を見えなくなるまで見送ってから、ガイアの肩をガッと掴んでこちらを向かせる。



「お前なぁ……ああいうことは時と場合とヒトを選べ……。危なそうなヒトにはやっちゃダメだから……」


「ええー、大丈夫だよ。龍兵さんたち優しいし」


「でも、僕ら以外にはあんまりやんないでね。嫌がるヒトもいるから」


「はーい」



 本当にわかってんのかこいつは。

 こういうトラブルはベルだけだと思っていたが、ガイアにも目が離せない。

 ってか、なんで白髪があるってわかったんだ?目が見えないのに。

 まあ神だし、生命力云々かな。

 頼むから、余計なことはしないでくれ……。




 その後宿舎へ戻り、一夜明けて翌日。

 いつものように9時ごろ龍兵さんのところに行く前、俺たちは早朝の飯処堂前へ向かった。

 一刻さんの素行調査に協力してもらった咲子ちゃんへ、こっそり結果報告をしに行ったのだ。

 ちょうど裏口からゴミ出しをしていたところを捕まえて、裏路地で調査結果をひっそりと伝える。



「そっか。おにぃ、ウソついてなかったんやね」

 

 

 そう言う咲子ちゃんは、心からホッとしたように笑っていた。

 以前話を聞きに行った時に、危ない目に合っているんじゃないかって心配してたもんな。

 一刻さんには頑張って欲しいし、咲子ちゃんにも早く良くなってもらいたい。

 ひとまずは一件落着かな。


 その後朝食を取ってから龍兵さんのところへ来てみたけれど、留守のようでいくら戸を叩いても返事はなかった。

 仕方なしに戻ろうとしたら、郵便受けに折り畳まれた紙が挟まってるのを発見した。宛先は俺たち。

 それを読むに、どうやら今日は都合がつかないらしい。

 朝から無駄足を喰らってしまったわけだが、今日の仕事がないというのは好都合。

 ということで今日は生活費を稼ぐため、1日冒険者依頼を受けることにした。

 もちろん、万套会の情報収集も忘れずに。

 自由な時間に量を選んで働けるのが冒険者のいいところ。

 危険が(ともな)うからこその利点、普通の日雇いじゃこうはいかないだろう。

 手近の護衛依頼と運良くCランクの討伐依頼も取れたので、今日の稼ぎは上々。

 戦利品も結構高く売れたし、とりあえず1週間は余裕を持って暮らせる。


 とはいえ一日中働き詰めて、今日はもうくたくた。

 いつもよりちょっとだけ豪華な夕食を取ってからそれぞれ風呂に入って床に着くと、皆スイッチが切れたかのようにぐっすりと寝こけてしまった。



 賢吾たちが寝入ってから数時間後。

 時計の短針が12の少し手前を刺したところで、雑魚寝の布団から起き上がる影が1つ。

 ほとんど光の無い中を忍足でこっそり抜け出し、宿舎を出て夜道を軽快に駆けていく。

 白い長髪を星の明かりに(なび)かせながら走ること数分。

 目玉がない故に見えないながら、感じ取る魔力と生命力を追っていけば、光の入らない裏路地に彼はいた。

 新月の暗い夜にもかかわらず、色の濃いパイロットサングラスをかけたその男。

 


「すげぇもんだな、神ってのは」



 そう言う木村の声は、ふとした時の何気ない一言のように淡々としていた。



「そっちこそ。初見でボクの正体を見抜いた人間は君だけだよ」



 ガイアの声色はあどけない様子を見せつつ、まったくもって感情が読めない。

 決して互いの思考を読み合っているわけではない。

 あくまでも対等な対話。

 そのつもりで、ガイアは口を開く。


 

「単刀直入に言うね」



 白い肌に張り付いたガイアの笑顔が、フッと消えた。



「君、アスラ族だよね」

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異世界転移
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