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第59話「前夜」

 常夜泉町の一角。

 ろうそく以外の一切の光が入らない冷たい倉庫の中に、若い男の絶叫が響き渡る。

 半裸で鉄製の椅子に裸で縛り付けられ、体中から脂汗を噴き出す男は、自身の頭上で髪の毛を燃料にパチパチと燃える炎を、白目をひん()いて見つめる。

 しかしそんな炎を気にも留めず、龍兵(りょうへい)は男の短い髪を左手で雑にわし掴んだ。



「いい加減吐かんかクソボケがァ!!」



 龍兵はそのまま男の頭を引き寄せると、力任せに顔面へ膝蹴りを入れた。

 そして続けざまに右フックを頬に叩き込む。

 骨が砕けるような鈍い音と共に、血と唾の混じった粘液と歯のカケラが茶色い地面に飛び散る。

 


「し……しあない……ほんろにしあないんれふ……」



 右肩に入れられた蛇のタトゥーとは裏腹に、拍子抜けな情けない声でそう訴える若い男。

 散々殴られ蹴られ、血と唾と涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で必死に真実を言うが、尚も納得のいかない龍兵の額には青筋が走る。

 再びパンチを入れようと握り振り上げた拳に、真紅の炎が(とも)る。

 だが振り下ろそうとしたその瞬間、力を込めた右腕が脳の指令に逆らうかのように動かなくなった。

 振り返ると、木村が龍兵の右腕を力強く掴んでいた。



「もういいだろ」



 赤い瞳がサングラス越しに龍兵を(にら)む。

 龍兵は舌打ちをし、木村の腕を乱暴に振り払った。

 思わぬ救いに安堵したのか、男はそのままほっとため息をつく。

 吉松(よしまつ)はそんな男の近くにしゃがみ込むと、赤黒い液体の粒がポタポタ垂れる顔を覗き込んだ。



「はぁ〜、マジ蹴りやんけコレ。あ〜あ可哀想に、前歯が釣り針みたいなっとるがな」


「ようガキ、助かりてぇか」



 その言葉に男は必死な形相で何度も(うなず)く。

 すると龍兵は男の下顎を強く掴み、鼻先がつく寸前まで顔に近づけて睨みつけた。



「なら犬になれ。俺らの命令は絶対だ、逆らったらその時点で殺す。ヤクも同じだ。隠れて捌いてみろ、ヒトの形で往生なんざさせねぇぞ」



 龍兵が手を離すと、男は首が根本からちぎれんばかりの勢いで何度も頷く。

 涙溢れる彼の瞳には、目の前の3人が怪物に見えていた。

 逆らうどころか、下手な行動一つで殺される。

 彼が違法薬物を観光客に売り付けている現場を彼らに目撃されてしまった時点で、男の命は五体満足、形を留めて生き残れるかどうかの未来は、目の前の筋者たちに握られてしまっていた。


 龍兵は男の腹部に拳を叩き込み、気絶させる。

 


「吉松、そっち持て」


「あいあい」



 男の縄を解いて椅子から下ろし、茣蓙(ござ)の上に寝かせて服を着させる。

 そして布製の大きなボストンバッグに詰め込むと、吉松が担ぎ上げて倉庫の扉を開けた。

 倉庫から少し離れた埠頭のゴミ捨て場でバッグから男を出すと、ゴミの入った麻袋の山の上に寝かせ、龍兵が顔にバケツで水をかけた。

 突然被せられた冷水に飛び起きた男は、状況を理解できず一瞬混乱するも、龍兵たちを視認するなり息を荒げて後退った。


 

「行け」



 冷く吐き捨てるような龍兵に男は慌てて立ち上がると、一目散に路地を抜けて走っていった。



「結局繋がり無しかァ」



 気だるげに言う吉松の隣で、無言でタバコを咥えてマッチを取り出し火をつける龍兵。



「しかしよォ、コスパ悪いよなコレ。売人なんざ星の数ほどいるってんに、こんな一人一人懇切丁寧に尋問しとったら爺さんになってまうがな」


「兄貴も舎弟も今は黄金錦組の件で忙しいんだ。同じヤクの問題でもコッチは私情も私情、成部の兄貴に見つかったら殺されるぜ」

 

「けどよォ木村ァ。なァんか焦臭(きなくさ)いと思わん?黄金錦組なんざ今まで噂に聞くくらいで、関わりなんざ(もっぱ)らやったんやぞ?それがなんでいきなり万套会のシマでヤク売り捌くことになんのよ。こちとら東部イチの巨大極道組織やぞ」

 

「さあな。アッチもデケェ組織だし、東部進出でも狙ってんじゃねぇか。なんにしろナメてることにゃ違ェねェが」

 

「それにしたって初っ端からデカい組織に手ェ出すって、組長頭悪いんとちゃうか?なあ龍兵」



 吉松の呼びかけに返事はない。

 そして咥えていたタバコがポロッと落ちたかと思うと、まるで操り人形の糸がプツリと切れたかのように、その場に倒れ込んだ。

 「おっと」と咄嗟に右腕で受け止めた吉松。

 彼の腕にもたれかかる龍兵の顔色は青白く、消して良い血色とは言えない。

 吉松は慣れた手つきで龍兵をおぶり、木村はまだ赤く煙立つタバコを踏み潰して消火して龍兵の顔を覗き込む。

 彼の(まぶた)の下に深い(くま)を見つけると、「またか」とでも言いたげな様子でため息を吐いた。




 目元を照らす暖かい日の光で龍兵は目を覚ました。

 見慣れた焦茶色の天井と雨漏りで錆びれた照明。

 体を起こすと、額から何かか落ちた。

 拾い上げてみると、それは湿った白い布。



「3徹ってところか」



 不意に聞こえた声で、右隣にあぐらをかく木村の姿を視認した。

 


「その意欲、否定はしねぇが自制が必要だな」


「……悪りぃな」


「いいよ。治療代はもう貰ったぜ」



 そう言って木村が向いた方向には、ちゃぶ台に突っ伏して寝息を立てる吉松の姿が。

 そばには酒瓶とおちょこが2つ転がっている。

 時計は午前9時を指している。

 逆算すれば、龍兵は11時間も寝入っていたことになる。



「抗争が本格化しちまったら呑気に調査なんてできねぇ。自由にできる今のうちにやっておかねぇと」


「だからってお前が無理する必要あるのかねぇ。せっかく使い勝手の良い駒も手に入れたってのに」


「写真も何もねぇんだ、頼りのなるのは、この焼け焦げた脳みそだけよ」



 龍兵は顔の右半分を覆う火傷痕を撫でる。

 哀愁漂うその姿に、木村はなんともいえない様子で小さくため息を吐いた。

 と、その時。

 8畳の静かな部屋の中に玄関の戸を叩くコンコンと言う音が響く。



「もうそんな時間か」



 龍兵は無言で布団から出ると、コップで水瓶から水を一杯すくって飲み干す。

 壁にかけてあった紫のジャケットを羽織って玄関へ向かった。





「おかしいな、誰もいないのかな」



 扉を叩いてみたけれど、返事がないし全然出てこない。

 進捗の報告はいつもこの時間なのに、まさか9時半に寝てるとかないよな。

 すると首を傾げる俺を「退け」と言わんばかりに押しのける経津主。



「ンな上品な叩き方じゃ聞こえねぇんだよ」



 そう言って分厚い鉄板を叩くような勢いで力強く戸をノックした。

 すぐさま開いた玄関から飛び出すのは



「じゃかァしィ!!聞こえてらァ!!」



 龍兵の稲妻のように太い怒号。

 寝起きなのか、元々悪い目つきが今日はよりいっそうキツかった。


 いつも通り昨日までの成果と進捗を報告。



「夜の2時ごろに1人で……か」

 

「咲子ちゃんが言うには。日にちは不定期だけれど、家を出る時間はいつも一緒だって」


「それが明日ってことかァ〜。よぉ調べとるやないかぁ、えらいぞぉ餓鬼共ぉ」



 いつもより1オクターブ高い声でそう言い、俺に肩を組む吉松の顔は鬼灯のように(ほて)った朱色。

 完全に酒の入った人間の顔だ。

 朝っぱらから何やってんだこのひとは……。

 やれやれと言った調子で(たしな)める木村と、それを横目に呆れてため息を吐く龍兵。

 酔ってるところは初めてみたけれど、吉松さんはいつもこんな感じだ。

 初対面はなんというか飄々(ひょうひょう)としていて、ヤクザという職業柄もあり、快楽のために人殺すタイプの殺人鬼みたいで怖かったけど、話してみると基本的に気さくで、この3人の中だと1番接しやすい。

 言動にところどころ頭の悪さが滲み出るけれど、考えが分かりやすいという点では信頼ができる。

 彼だけでない。

 他2人への印象や関係性も、初期に比べれば確実に変化していると言えるだろう。

 初めはおっかなびっくりに話していた俺たちだったけれど、約2ヶ月間潜入中以外のほぼ毎日報告に会いに来ていたら、彼らの人間性が少しずつ見えてきたんだ。

 龍兵さんは強面(こわもて)だし声も低い装いもイカついの典型的ヤクザだけど、なんだかんだ面倒見が良くて世話を焼いてくれる。

 尾行の仕方だとか交渉術なんかを丁寧に教えてくれるし、潜入先の手配なんかはお願いしなくてもやってくれるし、顔は怖いけど頼れるお兄ちゃんのような安心感がある。

 木村さんは……未だに何を考えているかわからない。

 滅多に喋らないということもあるんだが、常に目元がサングラスで隠れているせいで感情が読みずらい。

 珍しく口を開いたと思えば、その喋り方は抑揚が(ほとん)ど無く実に平坦で、言うなればトトのように起伏が全くわからない。

 けれどその分、大して怖いと思うようなこともないので、話しづらい点を除けば良い人ではある。

 右手にだけ付けている黒い手袋も気になるところ。

 鬼の手だったりして。



「急になっちまうが、次がいつになるかわからん。明日の夜、埠頭で張り込んで待ち伏せしろ。……ただ」


「ただ?」



 龍兵は複雑な表情で目を逸らし、数秒考える。

 


「……西側にはなるべく近づくな。アッチは愚連隊(ぐれんたい)がたむろしてる。あの餓鬼共ァいつだって血気盛んだ、近づいたら面倒なことになる」


「わ……かりました」



 愚連隊がうろつてる埠頭とかおっかなすぎるだろ。

 しかも薬物の密輸も横行してるし、そんなところに夜な夜な1人で行くなんて……。

 今のところ、一刻さんへの感情は疑惑よりも心配の方が勝つ。

 このヒトたちの思い過ごしならいいんだけど……。




 明日の段取りなど一通り話し終えると、俺たちは龍兵の家を後にして冒険者ギルドに向かった。

 こんな状況下でも依頼をこなしていかないと、物価の高い鎧銭では生活がままならない。

 俺たちが受けられるCランク依頼は一度の報酬がそれなりに高いので、1日一度受ければその日は暮らすことができる。

 だが、幸か不幸かこの鎧銭は他国に比べて生息する魔物が少ない。

 離島、また春夏秋冬寒暖差が激しい気候や頻発する地震など、生物には少々過酷な自然環境というのもあるだろうが、最大の原因はその魔素の少なさだろう。

 鎧銭は他国に比べて魔素の少ない土地であり、大気に含まれる魔素を多くの栄養とする魔物にとって、この環境は住めないまではいかないが、繁殖には不利だ。

 だがしかし、魔物は居ずとも魔族は多く在住している。

 理由としては、大昔の戦争中に中央大陸で差別を受けてきた彼らが、他文化に寛容な思想を持つ凱銭(がいせん)(当時の鎧銭)に逃げてきたのがルーツなんだとか。

 特に離島で、他国との関わりが少なかったこの地域には多く集まったんだそう。

 そして住まう環境が大きく変わったことで、長い時間をかけて独自の進化してきた。

 それがいわゆる『妖怪』というものだ。

 鎧銭では魔族の総称として使われているが、外国では鎧銭で進化した新たな魔族のことをそう呼ぶ。

 俺が唯一会ったことがあるのが、ジュリアーノの杖を作ってらったがしゃどくろさん。

 まあ色々あって、今でも定期的にガイアの血液を彼女の元に郵便で送っている。

 元気にしてるかなぁ。


 今回の依頼は鎧銭西部の蒼鏑(あかぶら)という町までの荷物輸送の護衛。

 魔物が出ずとも、一般人が山の中でクマやイノシシなどと遭遇すれば危険。

 鎧銭は先進な地域と発展途上な地域との差が激しく、国土が小さい割には雄大な自然に恵まれている。

 西部と東部を繋ぐ大陸は裾野の長い山々と深い森に囲まれているため、護衛の依頼は後を断たない。



「お疲れさん。あんたらのおかげで予定よりも早く着けた。ありがとうな」



 荷物を届けた蒼鏑町の雑貨屋の近くの茶屋で、依頼主のおじさんが茶と菓子を奢ってくれた。

 うん、美味い。

 小さな国だけど、島を東西に縦断すれば料理の味付けは結構変わる。

 東部が関東風の味だとすれば、西部は関西に似たしっかりした味付けだ。

 町を行き交う人々の雰囲気もだいぶ違くて、こっちの方が文化的というか、懐かしい和装が多い気がする。

 そして何より街のど真ん中を、安心して、堂々と歩くことができる!

 鎧銭一大きな極道組織とはいえ、万套会の勢力は西部には及んでいない。

 代わりに、黄金錦組(こがねにしきぐみ)という極道たちが幅を利かせているらしい。

 ちょうどさっき、茶屋の守代(もりだい)をもらいにその黄金錦組の構成員がやってきたんだ。

 茶屋の店主とそいつとの会話が聞こえて、その中で名前が出ていたから多分間違いない。



「黄金錦組って、たしか万套会と揉めてるところだよね」


「ああ。完全に見た目がその筋のヒトだったな」



 万套会の方は調べた中では一般人に溶け込めそうなヒトが割といたけど、黄金錦組はもうパッと見ただけで「あ、ヤクザだ」となるくらいにわかりやすい。

 アクセサリや服の付属品が多くて、個性が強いというか、主張が激しいというか。

 訛りも理解はできるがクセがあるし、いい意味で全体的に濃い人たちだ。




 依頼を終えて常夜泉町の冒険者ギルドまで戻ると、時刻は午後4時半。

 夕食のための食材を買いに俺とガイアは商店街へと出かけた。

 時間も時間なので、食品を扱う店はどこも賑わっている。

 


「えっと、あとは豚肉と野菜か……ガイア、そこの八百屋でにんじんとじゃがいも2袋ずつ、あと大根とネギも2本ずつ買ってきてくれるか」


「オッケー!」



 その間俺は精肉店で豚肉を買う。

 豚足とか鯨肉とか、他の国じゃ見慣れなかった肉がたくさん置いてあって、少し新鮮だ。

 小学生の時に旅行で食べた鯨の竜田揚げが美味かったんだよな〜。

 確か本屋で揚げ物のレシピ本が売ってたし、今度作ってみるか。

 そんなことを思いつつ豚バラブロックを一本購入すると、ちょうどガイアも買い終わったようで、後ろから声をかけてきた。


 買い物を終えた帰り、商店街を帰路についていると、ふとガイアが足を止めた。

 「どうした?」と振り返ってみると



「近くにルジカたちがいるみたい」



 と。

 辺りを見回してみれば、遠くの方に確かに見覚えのある背中が2つ。

 着物屋で何やら2人で問答をしている様子。

 せっかくだし、声をかけてみよう。



「俺はこっちの方がいいと思うぞ。鎧銭の伝統的な浴衣により近い形だし、模様も綺麗でルジカに合っているんじゃないか」


「うん。かわいい。けど多分、ケンゴはこっちの方が……」


「ディファルト、ルジカ!」



 なんお前触れもなく背後から聞こえた声に、ルジカはビクッと肩を揺らし、ディファルトは少し驚いた様子で振り返った。



「ケンゴ、ガイア。随分な大荷物だな、買い物か」


「まあな」


「なーにしてーんのっ……うん?服屋さん?」


「ルジカの着物を選んでいたんだ」


「ああ、着物……」



 俺は明日、ルジカと京天街の舞踊祭に行く約束をしている。

 多分、それに着ていくやつだよな。

 忘れてたわけではないんだけれど、おめかしとかは何も考えてなかったな。

 とは言っても、服なんて買っている余裕はないし……。



「そうだルジカ、ここで会ったのも何かの縁。ケンゴに選んでもらったらどうだ?」


「えっ」


「俺に?」



 唐突な提案。

 見れば2人の前には2種類の着物を着こなす、首なしのマネキンが。

 片方は正統派な和柄の着物で、肩にスカーフのようなものがかかっており、もう一方は大胆にも前方をはだけさせて肩を出した、黒いインナーとの組み合わせのもの。

 見事に正反対な両者。

 これを俺に選べってか!?



「お、俺ファッションとかマジでわかんないし、こういうのはガイアとか女の子の方が……」


「ボク目ぇ見えないのに?」


「そうだったぁ……」



 弱ったな……。

 話にはよく聞くシチュエーション、しかし経験などしたことがない。

 「どっちも似合う」というのが禁句だということだけは知っている。

 この場合何が正解だ?

 素直に自分の好みな方を選んでおくべきか?

 それとも安定の正統派を選ぶべきか?

 正直ルジカならどっちでも完璧に着こなせるだろうし……どっちか……どっちかかぁ……。

 ひたいに脂汗を滲ませながら悩むこと数分。

 不安げにこちらを見ていたルジカが口を開いた。



「……ご、ごめんね、迷惑かけちゃって。大丈夫、私こっち着ていくから」



 そう言ってルジカが向いたのは、肩の出た方。



「本当にいいのか?」


「うん……」


 

 ルジカに問うディファルトの表情はどことなく不安そうで、少しだけ気になった。

 けどまあ、ルジカ本人が選んだものだし、俺が口を出す権利なんてないよな。


 会計をしようと2人がカウンターへ店員さんを呼びに行った時、不意にガイアが俺に話しかけた。



「ルジカさ、アウローラにいた頃、よくボクらのとこに遊びにきてくれたよね」


「懐かしいな。あれからもう2年以上経つのか」


「うん。でさ、ルジカの服が会いに来るたび違ってたの覚えてる?」


「……あー、そういえばそんなこともあったな」



 あの頃のルジカは会いに来るたび、服装の一部が前日とは違っていた。

 初対面の頃の彼女は伸ばしっぱなしの長髪に、少しサイズの大きい民族衣装のような(よそお)いで、洒落っ気の一切無い見た目だった。

 それが今じゃ可愛らしい服で髪の毛も綺麗に編んで、こんなにオシャレさんになってしまった。

 年頃の少女がオシャレに目覚めるのは必然なこと。

 特にその過程を見ていた身としては、とても微笑ましく思う。



「あれさ、少しずつ賢吾が好きな格好になっていってたの、気が付いてた?」


「……え?」



 カウンターに並ぶルジカを見る。

 前髪が切り逸れられ、後ろで一本に編まれた三つ編み、肩の出たフリル付きのブラウス、膨らんだ袖口、シュッとしたショートパンツ、アシンメトリーのニーハイソックス、(かかと)の高めなローファー。

 確かに、言われてみれば彼女の格好には俺の好みが事細かに反映されている。



「あの子たまにね、ボクのところに訊きにきてたんだよ。賢吾はどんな髪型が好きかとか、どんな靴が好きかとか」



 ルジカのコバルトブルーの髪の毛が、差し込む夕日に照らされて透き通るように輝く。



「ボクが思うに、ルジカ本人が好きな格好って、鎧銭に来て初めて会ったときの服装だと思うんだ」



 胸周りまで隠れたコルセットに、裾のフワフワしたショートパンツと裏地の見えるミニブーツ。

 そして、肩にかけた小さめのポンチョ。



「彼女、肩が出た方の着物にしたんでしょ?」


「……え?おま、なんでそれ知って……」



 言葉が終わる前に、ルジカが店員を連れて戻って来た。



「こちらでよろしいですか?」


「はい、おねが……」


「ちょ、ちょっと待って!」



 言葉を(さえぎ)るように叫んだ俺の声に驚いて、3人が一斉にこちらを向く。



「あ、あの……さ……」



 言い方がわからず、目を逸らして口をモゴモゴさせる。



「えっ……と、こっち……の方が似合うんじゃ、ない……かな……」



 そう指差したのは、スカーフとの組み合わせられた青い着物。

 これにはルジカもディファルトも驚いた様子で、目を大きく見開いている。



「あ、ご、ごめん、ルジカがそっちが良いならそっちで良いと思うけど、その……一応、質問の答えとして……」



 言葉が末尾にいくにつれて小さくなっていく声。

 後出しのくせに情けないことを言ってしまった。

 けれど、俺の解釈が正しければ、きっと……。

 ルジカは一度(うつむ)き、店員の方に向き直った。



「あの、ごめんなさい。やっぱり、こっちでお願いします」



 そう言ってスカーフの方を指差すルジカの顔は照れたように少し赤く、心なしか嬉しそうだった。




 「また明日」と2人と分かれてギルドの宿舎へ帰ると、腹をすかせた3人が出迎えた。

 特にベルのはらの虫が凄まじく、ジュリアーノと協力して早急に晩御飯の支度をする。

 自分で料理を作るのは実に1ヶ月ぶり。

 陰間茶屋に住み込みで潜入していたせいでまったくできていなかったから、久々に台所へ立てたのが少し嬉しかった。

 ただ、驚いたのはジュリアーノの料理の腕が格段に上がっていたこと。

 公族といえど天下のアウローラ人。

 元々センスが光る部分は多々あったが、やはり本格的に始めると天才的だ。

 この前のマヨネーズもめっちゃ美味かったし。

 くー、台所に立つイケメンなんて、世の女性がほっとかないぜ。


 食事を終えて風呂に入ったら、その後はすぐに就寝。

 今日は久しぶりに沢山歩いたな、おかげでブーツが窮屈になるくらいに足がパンパン。

 体が芯から疲れ切っていた俺は、布団に潜るなりまるで気絶するかのように一瞬で寝入ってしまった。

 


 

 窓から刺す月明かりが少し上へ傾き出した頃、俺は尿意で目を覚ました。

 開ききらない目を擦りながら危なっかしく階段を下り、冷たい空気に身震いしながら外の便所へいそいそと歩いていく。

 要を済ませて部屋に戻ったその時、ふと違和感を感じた。

 綺麗な2列に並べられた布団の中に、膨らみがないものが2つ。

 1つは俺、だがもう1つは……。


 また部屋を出て、宿舎の中を見て回った。

 けれどどこにも姿は見当たらない。

 ……ひょっとして……。

 俺は(きびす)を返し、その足で宿舎の裏手の運動場へ向かった。

 すると案の定、静寂に包まれた広い運動場の中に大きく貼られたドーム状の結界。

 触ってみると、結界はいとも簡単に俺の侵入を許した。

 足を踏み入れ、完全に中に入ったその時。

 ホッキョクグマでも凍りつきそうなほどの極寒の冷気が、俺の体を一瞬で包み込んだ。

 氷に覆われスケートリンクと化した土の上に、大きな杖を振るって詠唱を唱える人間の姿がそこにはある。

 俺は手足を縮こませ、震えながらもなんとか舌を動かして名を叫んだ。



「ジュリアーノ!!」



 俺の呼びかけにジュリアーノはすぐに気がついて振り返った。

 

 運動場の傍の石畳みに腰をかけ、澄んだ星空を眺めながら2人で話す。



「ごめんね、一応防音と衝撃吸収の結界を張ったんだけど、起こしちゃったかな」


「いや、たまたまだよ。夜はいつもやってたのか?」


「うん。でも、ここ1ヶ月くらいかな」



 ジュリアーノの表情は優れない。

 夜も遅いし、眠たいのだろうか。

 ……いや違う。

 浮く考えろ、自分の短慮さを今日、見せつけられたばかりじゃないか。



「何かあったのか?」



 俺の問いにジュリアーノは一瞬目を逸らして考え、俯いた。

 


「鎧銭に着いてすぐの頃に僕、兄さんへ手紙を送ったじゃない」


「ああ、そういえば書いてたな」


「ミフターフで起こったこととか、鎧銭に上陸したこととか、ほとんど近況報告なんだけど。杖のおかげもあるけど、僕、アウローラにいた頃に比べて、魔力量も構築技術もすごく向上したじゃない。それが嬉しくって、そのことについて沢山手紙に書いたんだ。……あれから1週間経たないうちに返事が来てね。それで……」



 ジュリアーノは不意に言葉を濁す。

 そして暗いため息を吐くと、細い眉を下げて空を見上げた。



「『これからは上級以上の魔術を使うな』だってさ」


「えっ」



 斜め上の回答に驚き、わずかに言葉を失った。

 いや、驚いたというよりも、手紙にかてあったというロレンツォの言葉の意図が、俺には理解できなかった。



「褒めてくれると思ったのに、開いてみたらお説教で。もう、昔とぜんぜん変わってないじゃんか!」



 声を荒げ、膝を抱え込むジュリアーノ。

 俺から見れば、彼はよくやっている。

 アウローラ時代はもちろん、旅を始めてからも暇があれば魔導書を読み込んで、基礎練習も俺と経津主が手合わせをしているそばで毎日(おこた)らずこなしている。

 アウローラを出てからの驚異的な成長速度だって、そういった努力の積み重ねに本人の才能の開花が合わさったと思えば、なんら不思議なことではない。

 公王様が弟に関して果てしなく心配性なのは理解しているけれど、そこまで言わなくても思うが……。



「……でもね、理由はなんとなくわかるんだ」


「理由?」


「うん。前に話したよね、母さんが僕を産んですぐに亡くなったってこと」



 ジュリアーノのお袋さんは宮廷直属魔導士で、当時の公王であった彼の父にみそめられて結ばれたという。

 その実力もさることながら、周辺諸国でも名の知れた人物だったらしい。

 だが、第二子であるジュリアーノを産んだ後にその場で亡くなってしまったのだとか。



「母さんはね、出産の反動で起きた急な魔力の解放、それで生じた術の暴走で自分自身を傷つけて亡くなってしまった」


「術の暴走……?」


「滅多にあることじゃないんだけどね、ごく稀に起こる事故なんだよ。魔力を操るのは自分の意識、その糸が切れた時に内部へなんらかの大きな力が加わると起こる事故。体内に保有する魔力量が多ければ多いほど被害は大きく、また何かしらの疾患を抱えていたり、病弱なヒトだったりに起こりやすい」



 そうか、このままジュリアーノが成長し続ければ、そんじょそこらの宮廷魔導士なんて目じゃない。

 けれどそれは同時に、事故が起きた時の死亡率を上げるというリスクにも繋がる。



「兄さんは事故の現場を目撃した。その心情がわからないわけじゃない」



 事故が起きたのがジュリアーノの生まれた日、ということは、ロレンツォはまだ12歳ほど。

 幼い日に母を亡くし、現場が凄惨なものとあらば、その傷はどんなに深く根強いものか。



「……でも!僕は何も患っていないし、病弱なわけでもない!一生懸命ここまで頑張って来たんだ!いくら兄さんの言うことでも諾けない。でも、心配が一つもないといえば嘘になる」



 ジュリアーノは立ち上がり、また空を見上げた。



「だから決めた、もっと強くなるって。魔力の暴走で引き起こされる事故は、魔力のコントロールを鍛えることである程度の抑止ができるって、いくつかの本に書いてあった」



 ジュリアーノは自分の手を広げて念じる。

 すると、周りの空気から水の粒が集まり、ビー玉ほどの小さな氷の結晶が生成された。



「可能性があるならなんだってやってみせる。そうすればきっと、兄さんも安心してくれるはずだ」



 そう言うジュリアーノの表情はいつになくキリッとして、自分の未来のため、腹を決めた青年の顔つきだった。

 ……かと思いきや、彼はいきなり眉を下げ、肩を落としてため息を吐く。



「あれから毎日、時間を見つけては修行をしてるけれど、今のところ、わかりやすい手応えがなくてね。なんだか、ちょっとだけ……疲れてきちゃった」



 「疲れてきちゃった」この言葉何気ないには、ジュリアーノの本心が詰まっている。

 普段滅多に弱音を吐くことのない彼の本音。

 いつも通りの気さくな話し方でも、相当思い詰めていることがわかる。

 ジュリアーノに出会ってから、魔術については訊いたり調べたりしてある程度の知識は持っているが、彼ほど造詣は深くない。

 これは俺が口出しできる件ではない。

 ……だが彼は、ジュリアーノは俺の親友だ。



「大丈夫さ、ジュリアーノなら」



 俺は立ち上がり、彼の肩に手を乗せる。



「俺、昔スポーツやってたんだけどさ、友達にさ、びっくりするぐらい下手くそな奴がいたんだよ。そいつ本当に何やってもダメで、俺も最初はバカにしてた」



 俺は、空を見上げた。



「けど、ちょっとした縁で一緒に練習することになってからは、みるみるうちに上手くなっていった。元々人の話をよく聞いて実行に移せる奴だったから、ちゃんとしたアドバイスがあればいくらだって上手になれる。時々、お前を見ていると思い出すんだよ。似ているなって」



 ジュリアーノの顔を見ると、彼はキョトンとした表情のままでいた。



「フィオレッタ先生のスパルタ修行を2年間も耐え抜いて、環境が大きく変わったミフターフでも基礎練習を怠らなかった。成長が目に見えなかった時期も、決して諦めなかった。夢のまた夢だった最上級魔術だって使えるようになったんだ。諦めずにコツコツ積み重ねていけば、その努力はきっと(みの)る」



 俺を見るジュリアーノの瞳は、何かに気がついたように見開かれ、もとの輝きを取り戻していた。



「ありがとうケンゴ」



 彼は石畳の上に置かれていた杖を手に取り、夜空の月に掲げた。

 青い杖身が白い月明かりに輝き、先端の晶石が星の光を乱反射する。

 すると彼は、ポケットから何かを取り出した。

 それは、碧い水晶のカケラ。

 あれ、どこかで見たことがあるような……。



「父さんの杖。ドクロさんにカケラをストラップにしてもらったんだ。僕のにとってのお守りだよ」



 ジュリアーノがはじめに使用していた杖。

 それは病弱だった父親にもらったという、思い出のもの。

 俺は無意識に、胸ポケットに入っているトトのメガネを握りしめた。



「僕頑張るね!兄さんが手放しで自慢できるようなすごい魔導士になってみせる!」


「ああ。応援してる!」



 ジュリアーノの表情は、頭上に広がる星空のようにすっかり晴れていた。

 自信を取り戻したようだ、こんな俺でも役に立てて良かったよ。

 明日は色々と忙しい。

 大きなイベントが2つ、それも立て続けにだ。

 どちらも失敗できない、特に前者はな。

 5月中旬の鎧銭は、上陸したあの日よりもずっと過ごしやすくなったが、夜に肌を晒せばまだ空気は冷たい。

 今日の選択が正しかったかどうかは、明日になれば(おの)ずとわかる。

 それまでは十分に体を休めておこう。

 杞憂だとは思うけれど、本当に極わずか、マジで少しだけ、嫌な予感がするから。

龍兵

挿絵(By みてみん)

吉松

挿絵(By みてみん)

木村

挿絵(By みてみん)

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