第58話「ご依頼、いただきました」
常世泉町の一角、閑静で控えめな住宅街にひっそりと佇む古い建物。
木造の共同住宅のようなそれは階段を踏むだけでギィという耳に悪い音が鳴り、不快感と同時に崩れないかという心配に襲われる。
赤髪のヤクザに連れられて開かれた戸の奥に入ると、六畳の小さな部屋があった。
ちゃぶ台に座布団が3枚、部屋の隅に放置された数本の酒瓶。
釜戸やトイレなどは無く、かろうじて押入れの襖と小さな窓があるくらいのとても質素な造りの部屋だ。
赤髪は取手のとれかけた押入れを開けて座布団を更に2枚出すと、入り口から見て奥側のちゃぶ台のそばに5枚を雑に並べ、低い声で「座れ」とぶっきらぼうに言い放った。
従って恐る恐る座ってみるが、特になんの変哲もない座布団だった。
てっきりまた牢屋に閉じ込められると思っていたのに、ここ普通に誰かの家だよな。
いや、まだわからない。
これからまた違うヤクザがやってきて、それでから連れて行かれるのかも。
「茶か水かジュースか、何が良い」
「……え?」
「茶か、水か、ジュースか、どれが飲みたい」
全く予想だにしない言葉に一瞬硬直する。
すぐ隣のジュリアーノも状況が飲み込めず、明らかなはてなマークを顔に浮かべている。
「え……あ、お、お茶で……みんな……」
「わかった」
赤髪のヤクザはそう言って頷くと、壁際の戸棚から茶筒を取り出してもう1人の金髪のヤクザに渡した。
「ああ!?俺かいな!」
「たりめぇだろ。昨日あンだけ解放してやったんだから、ほら働け」
赤髪にそう言われ、不服そうな顔で木筒を受け取る金髪のヤクザ。
ブツブツと文句を垂れながら戸を開け、大袈裟な足音をたてて階段を降りていった。
すると、「さて」と言って、残りの2人が畳の上に腰を下ろす。
「ンなに緊張すんな。とっ捕まえようってワケじぇねェからよ」
そんなこと言われたって、目の前にいるのはつい5日前に牢屋に放り込まれた相手だ、この状況で緊張が解けるわけがない。
幸い、今回は拘束術の類はかけられていない。
閉鎖的な空間だが窓も近いし、どうにか隙を見つければ逃げ出すのは前回よりもずっと容易だ。
目の前には赤髪のヤクザと、その右後ろに金縁のタレサンをかけたオールバックのヤクザ。
どちらも威圧感のある見た目だが、軽く見積もって20代後半から40代未満ほど。
それくらいの年ならヤクザとしては中堅でも大した強さは持っていないと考えられる。
……いや、待てよ。
あの巨海とかいうヤツが23歳で若頭になったという事実を考えれば、彼らが相当の実力を持っていることも否めない。
今は大人しく話を聴いておくのが賢明か。
俺は少しだけ体勢を崩しつつ、いつでも槍を抜けるようにと右手を少し後ろへ下げた。
「ってもいきなりは無理か。まあいい、さっさと本題話しちまおう」
赤髪のヤクザは刈り上げたこめかみを人差し指でカリカリとかき、小さくため息を吐いた。
「お前らにちょっとした依頼がある」
「……依頼?」
また予想外の言葉だった。
「コイツが何だかわかるか」
そう言って赤髪のヤクザが懐から取り出したのは、三角に折り畳まれた小さな紙。
その紙をちゃぶ台の上で広げると、中から白い粉が出てきた。
塩や砂糖に近い、少し透明感のあるその粉は実に見慣れた姿だけれど、何故か言葉にできない嫌な感じがした。
ジュリアーノやベルも不思議そうな顔をしているが、経津主だけは眉を顰めている。
「淏露か……」
「フッ、さすが元若頭さんだな」
「俺様の時代にも手を焼かされたからな。で、コイツをどうしろって?まさか運べってんじゃねェだろうな」
「いや、その逆だよ」
「あ、あの、いいですか……」
ジュリアーノが恐る恐るに小さく手をあげ、『淏露』とは何かと問う。
すると、ずっと後ろで黙り込んでいたタレサンのヤクザがその時初めて口を開き、「麻薬だよ」と吐き捨てるように言った。
そしてそれに続くように赤髪のヤクザが話す。
「呼び名は色々ある。だが一般的なのはそれだ。吸引、服飲、摂取方法は様々だが、どの使用法にも共通するのは異常なまでの快感と高揚感で、腕を切り落とされても気が付けねェほどに人の脳をおかしくする。だがそんな強い効果を持っていりゃ相応の欠点もあるわけで、使い続けると肌が爛れたり脳みそに穴が開いたり、骨の中が空っぽになったり、まあ散々なもんだ。そして、中でも最も恐ろしいのがその高すぎる依存性だ」
「酒やヤニなんか比じゃねぇ、一回でも使っちまえば脳がその味を覚えて、数時間で細胞が求めるようになる。それに耐えられずまた使っちまえば、間隔がどんどん短くなって、終いにゃそいつが無きゃ幻覚、幻聴、鬱症状なんかで精神が支配されて完全にブッ壊れちまうのよ。患者を俺様が最後に見たのはもう400年も昔のことだがよ、ありゃヒトっつーよりも、数日野晒しにされた死人みてェだったな」
粉なのに露……まあつまり、違法薬物ってことか。
前の世界でもその類のことはニュースや記事なんかでみたことがあるけれど、まさか転移先の異世界でモノホンに出会すことになろうとは。
その恐ろしさは警察の出張講義や保健体育の授業なんかで何度も熱弁された。
三者面談の度に俺の父からセブンスターの微かな残り香が漂うだけで明らかに顔を顰めていたあの担任の女教師に、「最悪タバコは吸ってもいい、けど薬物だけは死んでもやるな」と言わしめたほどのもの。
周りの反応を見れば、その認識はこの世界でもきっと間違いではないのだろう。
「これでわかったろう、閑話休題だ。お前らにはこのヤクの密売グループを突き止めるため、関係者を洗い出す手伝いをしてもらいたい」
「随分と上から目線じゃねェか。俺様たちがそれを断ったらどうするつもりだ?どんな術を使って認識阻害魔術を破ったのか知らねェがよ、こっちには抵抗する術がいくらだってある。手前ェらコイツらも俺様もカタギだからって舐めてるようだがな、天下のギベオン教団様の追われる身が、甘っちょろいただの小僧なわきゃァねェんだよ。なァ、ケンゴ」
思わぬ飛び火に一瞬固まる俺。
何言ってんだコイツ……いや、ここは合わせるのが正解か。
「あ、ああ。そうだな。うん。なんてったって俺は、かの有名な原初神最強たる男、天空神アイテールの弟子だからな」
そう言って胸を張って見せる。
この挑発に何の意味があるのかわからないし、正直相手が怒り出さないか不安まであるけど、経津主のことだからきっと何か考えがあるのだろう。
「そうか。まあお前らには無法者を相手にしてもらうわけだ。武力はあるだけ心強いな」
相手は冷静だった。
「候補は何人か洗ってあるんだ。そん中の3人、売人との関わりがある可能性のある奴らををお前らに調査してもらいたい」
赤髪がそういうと、タレサンが懐から3枚の紙を取り出して、机の上に並べた。
それは羊皮紙みたいに若干黄ばんだ、モノトーンの顔写真だった。
ほとんどは皆知らない顔。
だがしかし、真ん中に1人だけ、見知った男の顔があった。
「あれ、これ一刻さんじゃないか?」
「あ、本当だ!」
洒落っ気のない様子でいつものように厨房で味噌汁の大鍋をかき回しているこの姿、間違いない。
だが信じられない。
あんなに優しくて気前の良い一刻さんが、違法薬物の密売に手を染めているだなんて。
体の悪い咲子ちゃんのそばに居ておいて、そんな危険なものを扱うなんてリスクの高すぎることをするか?
現に大型のヤクザにも目をつけられているし、メリットなんてないだろう。
やっぱり信じられないな……。
「まだ疑惑段階に過ぎない。一刻の店は俺らも世話になっている。だからこそその潔白を証明してもらいたい」
「でもなんで僕たちに依頼するんです?こういう調べごとは冒険者よりも、あなた方のような裏の人間の人脈の方が適任なんじゃ」
「そんなことは知らなくていい」
「僕らに依頼を受けて欲しいのなら、それくらいは教えていただきたいです」
「お前らは指示通りに動けばいいだけだ。手前ェのハッピーな脳みそで考えた結果失敗されちゃあ、困るのはコッチだからな」
「でも……」
「いい、ジュリアーノ」
納得がいかず眉を顰めるジュリアーノを、経津主が静止する。
「タダってわけじゃねェだろ」
「もちろんさ」
赤髪は組んでいた腕を元に戻すと、若干前のめりになってちゃぶ台の上の麻薬の紙を折りたたんで、懐にしまった。
「実を言うとな、お前さんらの正体を知っているのは俺ら3人だけなのよ」
「上層は知らねェと?」
「ああ。そして見破る術もねェ。緑の兄ちゃん、アンタの魔法なんだろう?大したもんだぜ。成部の兄貴に付き添ってた時に一度遠目に見たが、術に敏感なあの人が全く気が付かなかった」
ジュリアーノは目まぐるしい速さで日々成長している。
ロレンツォに魔術を見破られ、激しい叱責を受けたあの日に比べてみれば、その精度は一目瞭然。
だからこそ、彼らには一つ疑問が残る。
「その成部とやらにわからず、何故お前らに見破れた」
そうだ。
成部は情報収集の際に、手練の1人として名前が上がっていた構成員の名前。
そんな名のあるヤクザが気が付けなくて、言っちゃ悪いが中堅に見破れるだなんて到底思えない。
「それも知らなくていい」
答えてはくれない。
まあ、ヤクザがそう簡単に手の内を明かすわけはないか。
「今のところ、親父や兄貴たちに報告するつもりはねェ。だが俺らの気が変わるかどうかは、お前たちの返事次第だ」
完全に弱みを握られてる。
どうしたものか……。
「少し相談させてください」と言うと、赤髪は「5分待ってやる」とポケットから懐中時計を取り出した。
部屋の隅に集まり、小声で会話する。
「僕は反対だよ。上層部が知らないのに中堅が気付いてるだなんて、そんなのあり得ないよ。きっと既に情報がいってるはず」
「どうだかな。舎弟にゃ派閥の関係で上に不満持ってる奴もいる。もし気にいらねェ奴に下剋上狙ってんのなら、手柄を立ててやろうと俺様たちを利用するのも一つの手だ」
「悩ましいな……」
もしヤツらが対魔の煌光のような魔術は持ち合わせていても、この鎧銭全土のヒトを調べるには数が多すぎる。
そういった点では上層部が俺たちの消息を把握できていないと言うのは納得がいくが、ギベオンが絡んでくるとやはり俺たちのことを上に黙っておくメリットがわからない。
ギベオン教団は万套会最大の支援者だというし、何より永河晤京は十二公だ。
俺のヤクザに対する認識が合っていれば、もし黙っていたことがバレれば、彼らは想像を絶するようなヤキを入れられるだろう。
それと天秤にかけられるほどの利点が、果たしてあるのだろうか。
「ボクは良いと思うよ」
今までずっと黙っていたガイアが突然口を開き、そう言った。
「多分、上の人たちは本当に知らないよ」
「なんでそう思うのさ」
「うーん……まあ、原初神のカン……かな」
「カンって、そんな不確かなのじゃ根拠には……」
「良いんじゃねェの」
不服そうなジュリアーノの言葉を経津主が遮る。
「ギベオンの手に落ちたとはいえ、あの晤京がンな姑息な手を使うとは思えない。アイツはああでも仁義を重んじる任侠の漢だ。捕まえようってのなら、きっと真正面から来るはずだぜ。それに、あの3人からは明確な敵意は感じられねェ」
そんなふうに相談を長引かせていると、金髪のヤクザが帰ってきた。
漆の剥がれた焦茶色のお盆に5つの湯呑みを乗せて、こぼさないようにとバランスをとりながら革靴を脱ぐ。
「まだ終わっとらんかったんか。そない悩むことかいな」
「警戒してんだよ。前回も今回もちィとばかし乱暴にしちまったからな」
金髪はほーんと言って、湯気の立つ松葉色の湯呑みをちゃぶ台に並べる。
すると赤髪は懐中時計の針を見て、「時間だ」と言った。
「で、答えは出たんだろうな」
問いかけに頷く俺に、赤髪は「じゃ聞かせてもらおうか」と腕を組む。
一拍を置き、口を開いた。
「やります」
その一言に、ずっと顰めっ面だった赤髪の口角が少し上がる。
「ああ、そう言ってくれると思っていたぜ」
「けど約束は絶対です。破ったらその時点で依頼はやめます。もし俺たちが万套会に見つかったとして、それがあなたたちの過失じゃなくても、正体が知れた時点で完全に中止です」
「なんや、まだ疑っとんのかおどれは」
「やめろ馬鹿。わかってるさ。依頼さえこなしてくれりゃ、俺ら3人はお前らに直接手出しすることはないし、上に告げ口もしない。やりとりも見つからないよう、最大限に配慮しよう。それで良いな」
「……はい」
「なら、決まりだな」
赤髪はそう言うと、「くれぐれもヨロシク、な」と俺に右手を握手の形で差し出した。
俺が恐る恐るに彼の手を握った瞬間、強く握り返される。
い、痛い。
さすがはヤクザと言ったところか、デフォの握力が強い。
俺の手を握るその右手は、顔の右半分を覆う火傷痕よりもずっと酷い色をしていた。
皮膚が異様に硬い、いったいどんな修羅場を潜ったらこんな火傷を負うことになるのか、末恐ろしい。
その後依頼の詳細について口頭での細かない説明を受け、ヤクザにとっ捕まって2時間後、ようやく解放された。
2時間しか捕まっていなかったというのに、まるで20年間投獄を受けた後に満を辞して釈放されたかのように、心から外の空気を美味しいと感じた。
もっとも、それほど生きてすらいないんだけど。
ともかく、あの解放感は半端なかった。
緊張しっぱなしだったというのもあるだろうが、何より万套会に近づくことができたというのが結構大きい。
聞いたところ、あの3人は揃いも揃って中堅の同期らしい。
中堅ということはつまり、兄貴分に散々とこき使われた上に新人の育成にも尽力する、言わば極道組織内における中間管理職のようなもの。
まだまだわからないことだらけの新人を問い詰めるより、おつむの回路がプッツンしてる武闘派の上層を付け回すより、色々な面でずっと良いと言える。
がしかし、今は受けた依頼を早急にこなすことが先決だ。
依頼の内容をまとめるとこうだ。
目的は万套会が洗い出した麻薬の密売に加担していると思われる人物、彼らの動向を探って白黒をはっきりさせること。その者を捕らえたり暗殺するわけではなく、今回はあくまでも調査のみ。
ターゲットとなるのは小田川正美、市村晃志郎、浅津一刻の3人。
・小田川正美
常夜泉町巻腹地区にて雑貨屋『五末堂』を経営。
主にミフターフやアウローラから調味料や香辛料を趣味で輸入し、また自身の店にも多く並べている。
調味料や香辛料に酷くこだわりが強く、それら輸入品を運ぶ船には長年信頼のおける船長を起用していたが、その船長と数名の船員がつい数日前に違法薬物所持で御用になった。
信頼を裏切られ酷く腹を立てている様子だったが、長年の付き合いということもあり、彼自身の関与も否定できない。
・市村晃志郎
常夜泉町灘羽地区にて陰間茶屋『漢甘屋』を経営。
気前のいいことで知られており、万套会とも親交が深い。
数日前に茶屋で働いていた青年数名が、常夜泉町の路地で薬物を捌いていたところを万套会の構成員に捕まった。
経営者である彼自身は関与を真っ向から否定しているものの、真偽は定かではない。
・浅津一刻
常夜泉町緒下地区にて食堂『飯処堂前』を経営。
違法薬物の売人や使用者との直接的な接点は無いものの、薬物の密輸現場の埠頭にて夜間に何度か目撃情報が上がっている。
常連客の証言によると、前々から店舗のリフォームを計画しており、そのための資金が必要だが現状足りていないとのこと。
見事に経営者だらけなのはさておき、みんな決定的な証拠はなくて、あくまでも疑惑止まり。
一刻さんの場合はここまで神経質にならんでもと思うけれど。
麻薬なんて極道にとっちゃ上手くやれば格好の稼ぎだろうに、それを撲滅しようと奔走するだなんて、さすがは仁義の集団だ。
冒険者ギルド宿舎の一部屋。
雨戸に打ち付ける夕方の春風の音など気にも留めず、「失くすなよ」と念押しされた資料を皆で眺める。
行動パターンや行きつけの店なんかもある程度入念に調べてある。
こんなに細かく調べちゃって、逆にこっちの目的がバレたりしないのかな。
……いや、だから俺たちを選んだのかも。
俺たちはこの地の土を踏んでまだ1週間も経っていない。
万套会と経津主との間に深い因縁があるとはいえ、いわく今の構成員で顔見知りは晤京だけらしい。
人口における亜人の割合が比較的多い鎧銭としては珍しく人族の多い組織だし、400年も経てばそりゃそうだよなって感じなんだけど。
絶縁状が出されたのも相当昔の話し。
経津主は頭から飛び出た刃物さえ隠せばただの人間も同然だし、慎重に行動すればまあ、なんとかなるだろう。
依頼は翌日から実行。
まずは雑貨屋『五末堂』の店主、小田川正美。
龍兵さんの指示通り、外国から出稼ぎに来たしがない冒険者として店に何度か立ち寄って顔見知りになってから、精神的にまいっているような様子を見せて彼の反応を伺った。
2週間目の昼過ぎ、いつものように店へ顔を出すと、「これで元気を出せ」と言って、人の目の無いところで小さく包装された粉を渡された。
早速龍兵さんのところに持っていってみたもののの、その正体は漢方薬。
しかも凱藍産の有名な薬師が調合したなかなか高価なものだそうで、その後も少し様子を見たが、結局小田川は白。
騙してしまった罪悪感に苛まれ、後日ジュリアーノお手製、本場のアウローラ人のこだわりが詰りに詰まったアヴィスガーリック入りマヨネーズを手渡しておいた。
犯罪も疑惑の段階だと人を騙すってのはなかなか心にクるもので、早くも申し訳なさから断念してしまいそうだった。
まあ、”自分がこの世界の住人でないと隠して日々過ごしている“という点では俺も日常的にみんなを騙しているわけだけれど、保身で素性を隠すことと他人を疑って騙すのは全然違う。
報告に行く度に龍兵さんたちに会うけれど、「やっぱりこういうことに慣れてるのかな」なんて思うくらい淡々としている。
あ、ちなみにだが、龍兵さんというのはあの火傷痕の赤髪のヤクザのことで、名前は荒若龍兵。
エセっぽい訛りの金髪が伊賀吉松で、無口のタレサンが木村栄治だ。
次に調べるのは、陰間茶屋『漢甘屋』のオーナー市村晃志郎。
名前は同じでも前の世界のものとは結構違くて、本当にただ美青年を集めただけのそういうお店だ。
龍兵の紹介で多重債務者という設定を背負った雑用係として俺と経津主が雇用してもらい、1ヶ月ほど働いた。
例の通りガイアとベルは歓楽街には連れて行かないとして、ジュリアーノは何故?と思うかも知れない。
けれどよく考えて欲しい。
彼は母国アウローラでは『美しきもの』と謳われたほどの美青年。
そんな彼を雑用とはいえ陰間茶屋なんぞに近づければ、きっと無事では帰ってこられないだろう。
認識阻害はあくまでも人物に対する素性の認識を歪めるだけで、変装ではないのだ。
そういうお店なだけあって、雑用はかなりキツかった。
度々顔を合わせる陰間たちは美人だし優しいしで癒されたけれど、話すとやっぱり声が低くて、途端に現実に引き戻される。
何よりキツかったのは、ターゲットにもソッチの趣味があって、謎に俺が気に入られてしまったこと。
めちゃめちゃ積極的だし、何度か薬盛られかけたし、最終的には襲われそうになったし……。
いやほんとに、マジでキツかったし経津主がいなかったらガチで危なかった。
単純にペドなのかパッとしない男が趣味なのか定かではないけれど、何も無きゃ本当にただ気前がいいだけの良い人なので、陰間たちからの評判が良いのは納得だった。
そんなふうに精神をすり減らしても、結局有力な情報は得られなかった。
経津主が市村本人に薬物を仄めかすような話をしていたけれど、逆にすごく真剣な様子で2時間も説教をくらったらしい。
「もうマヂムリ……死にそう……」
夕食をとりに来た飯処堂前で、席に着いた途端机に突っ伏す俺。
「大丈夫ぅ?」と声をかけてくれたガイアに、か細くしゃがれた声で相槌を打つ。
遅い時間帯で客も少ないからか、小さな声でも15畳の店内によく通る。
「ケンゴは当分休んだ方がいいかもな。体力的にも精神的にも受けてるダメージが1番デケェ」
「本当に何があったのさ」
「知らなくていいよ……」
そんな様子で注文した料理を待っていると、茶色の暖簾をくぐってディファルトとルジカが入ってきた。
「奇遇だな」と言いつつ近くの席に座った2人だが、顔面蒼白で机に突っ伏す俺を見つけると心底驚いた様子だった。
「ケンゴ!?見ない間に随分やつれたな……」
「だ、大丈夫……?」
「ありがとう……とりあえず……大丈夫……」
とは言ったものの、本当は大丈夫じゃない。
そんな俺を心配してか、ルジカはなおも心配そうな眼差しだった。
すると彼女はおもむろに俺のそばに歩み寄ると、両手をかざして念じ始めた。
ルジカの小さな白い手が淡い緑色に発光し、俺の体を徐々に包み込む。
温かい……まるでお天道様に抱かれているような感覚……なんて心地いいんだろう。
気がつくと、体の疲労がすっかり消えていた。
「え……?あれ……?」
立ち上がって見ると、肩の重さも腹の不調も何もかも無くなっている。
驚きながらそばで安心したように微笑むルジカを見て、はじめて状況を理解した。
「おお……ありがとうルジカ!」
感謝して微笑み返すと、ルジカはハッとしたような顔をして、そそくさと自分の席に戻っていった。
「さすがだなぁ。やっぱりヒーリングじゃルジカには敵わないや。僕も頑張らないと」
「これで攻撃系の魔術も使えるんだから、ホント若いのにすごいよねぇ〜」
ジュリアーノとガイアに褒められて、耳まで真っ赤に染めるルジカ。
本当に、マジでその通りだと思う。
はじめて会った時から、ルジカは杖を持っていなかった上に詠唱も使っていなかった。
それは魔力量、術の構築技術共に卓越している証であり、まさしく冒険者ギルド最高ランクの名に恥じない実力者だ。
その上こんなに可愛らしくて、体つきも……まあその、なんだ、アレだよ、包容力がある。
そういえば、服がまた変わってるな。
鎧銭上陸初日に着ていた短めのポンチョが無くなって、アウローラにいた頃の肩の出たブラウスを着ている。
ブーツもローファーになってるし、ショートパンツもいつものやつに戻っている。
俺としてはこちらの方が好みではあるのだけれど、今の鎧銭は初春。
寒くはないのだろうか。
「あいよー、お待たせー」
「おまちどぉー」
ディファルトたちと談笑をしていると、俺たちの頼んだ料理を一刻さんと咲子ちゃんが運んできた。
トンカツ定食が5人前。
けれど、もう1つ見慣れない皿が。
「あの、この天ぷら頼んでませんけど……」
「サービスだよ。お前ら最近暗い顔してんだもんよぉ、せっかくのメシも不味くなっちまうから、それ食って元気出せや」
「やったー!一刻さんありがとー!!」
一刻さんの粋な計らいに、ガイアは元気よく「いただきまーす!!」と言って天ぷらの一つを口に放り込んだ。
なんて大きい人なんだ。
薬物の密売に加担しているだなんてのは言いがかりだ、調査するまでもないのに。
俺たちもガイアに続き、一つずつ天ぷらを頬張った。
「んまい」
「白子の天ぷらか、初めて食べたけど美味しいなこれ」
「全然臭みがねぇ」
俺たちが美味しそうに食べる中、ジュリアーノは特に気に入ったようで、初めて食べた白子の天ぷらに舌鼓を打っている。
「白子っていうんだ、僕初めて食べたな。生き物なんですか?」
「ああ、岩海鰔の精巣だよ」
「え゙」
一刻の言葉に見たことなのない表情で固まるジュリアーノをよそ目に、ディファルトは生姜焼き定食二つを咲子に注文した。
食べ終わり店を出ると、月が夜空のてっぺんに登っていた。
初春の澄んだ空気で、北の空に輝く北斗七星がよく見える。
「……ケンゴ……」
なんとなく空を眺めていると、ルジカが俺の名を呼んだ。
「なに?」と振り返ってみると、恥ずかしさからかはたまた寒さで色づいたのか、指先の赤い手をモジモジさせて、何かを言いたげにしている。
肩をすくめ、数秒口をモゴモゴさせてからぎゅっと目を瞑ると、意を決したように見開いて
「い、一緒にお祭り!!行かない……かな……って……」
「お祭り?」
また肩をすくめて俯いてしまったルジカの肩を、ディファルトがぽんぽん軽く叩く。
「3日後、京天街で開催される納涼祭さ。ルジカが紅嬋姫の舞を間近で見たいらしいんだが、生憎俺は別の予定が入っていてな。良ければ、どうだい?」
「俺?」
祭り自体には興味があるけれど、わざわざ俺を指名して誘う理由がわからず、少しだけ混乱した。
そんな様子にジュリアーノたちは何かを勘付いて、会話に割って入る形で参戦する。
「良いじゃない、紅嬋姫の舞なんてなかなか見られるものじゃないし、こんな機会滅多にないよ?絶対行った方が良いって!」
「え、でも俺そういうのわかんないし、芸能だったらジュリアーノの方が詳しいんじゃないか?それにほら、やらなきゃいけないこともあるし……」
「お前まさか、あれだけ体も心もボロボロになってたクセに、まだ無茶しようってのか?」
「いや、でも言うほどボロボロじゃ……」
「そうだよ!確かにルジカのヒーリングは凄いけど、だからってまた無茶してイイってワケじゃないんだからね!」
そう言って迫り来るガイアの圧にたじろぐ俺。
……まあ、そうだよな。
最近ちゃんと休めてなかったし、確かにヒーリングで疲れとか不調はすっかり取れたけど、心が完全に晴れきったかと訊かれれば、そういうわけではない。
不死身といえど、疲労が溜まれば倒れることもある。
休息は必要か。
「わかったよ、一緒に行こう」
「……!……うん!」
そう頷くルジカは見たことのない笑顔で、とても嬉しそうだった。
「経津主も俺と同じで疲れてるだろ?一緒に行かないか?」
「ああ?俺様はいいよ。人混みは嫌いだからな」
「え?でもミフターフの露店じゃあんなに楽しそうに……」
「うるっせェな!!行かねェっつったら行かねェんだよ!!」
とんでもない剣幕、修行中でも見たことない。
そんな彼に思わず吹き出すガイアとジュリアーノ。
今日はみんな少し変だ。
夜も遅いし、きっと疲れが溜まっているのんだろう。
祭りが楽しみだなと思いつつ、早く帰って寝よう。
澄んだ夜空の下でそう考える俺だった。




