第55話「旧友と筋者と」
「まさか鎧銭にディファルトとルジカがいるなんてねぇ」
突っ張り棒越しに青空の拝める座敷で4人3人に別れ、魔晶石の灯ったばかりのすき焼きを囲んだ。
何ヶ月も会っていないせいか、2人とも人相も格好も少し違って見える。
俺達もそうなんだろうが、なってったって半年ぶりだもんな。
ディファルトはより冒険者らしい、革や布地多めの重たい服装に。
ルジカはより魔導師らしい爽やかな服装に変わって、後ろで三つ編みにまとめられた髪の毛も少し長くなっている。
2人とも美人だから何着ても似合うなぁ。
「世間は狭いって言うけど、本当だね。2人はいつから来てたの?」
「3ヶ月ほど前からな。君達がミフターフへ飛ばされた後、俺は失った記憶について考えていた。そうしたら、ルジカが助言をくれたんだ。様々な国を訪れ、様々な景色を見て様々な人々に出会えば、何か思い出す手掛かりになるんじゃないかとな。それで、思い切ってアウローラを飛び出してみたんだ」
「なるほどな。でもなんで鎧銭に?」
「君達が鎧銭へ行くと言っていたからさ。ミフターフは砂嵐が半年は止まないと聞いたから凱藍にも立ち寄ったが、行先で友人に再会するというのもまた、旅の一興というものだ。なあ、ルジカ」
「……うん」
再会を喜ばしそうに意気揚々と話すディファルトとは正反対に、ルジカは目を泳がせながら黙っている。
一瞬目があったと思えば、慌てた様子でそらし、またあったと思えば今度は下を向いてしまう。
久々に会うもんで恥ずかしいのかな、なんだか親戚の家のちびっ子を見ている気分だ。
「僕たちは今朝来たばっかりだよ。こっちでもやっぱり依頼をこなしてたの?」
「もちろん、そっちが本業だからな。文化も価値観も違う異国だが、それなりの交友関係も築けた。この店にも随分とお世話になったよ」
ディファルトは振り向き厨房の方を見る。
短い暖簾の下から覗くのは、目を見張るほどの手際の良さで野菜を切るさっきの青年の姿。
なんだあのとんでもなく早い包丁さばきは、公宮のシェフ並みだぞ。
「店主の一刻さんだ。あの人の作る生姜焼き定食は鎧銭一だよ」
「店主?あの人が?俺と変わらないくらいなのに、すごいなぁ」
「変わらない?君と?……ハハハ」
急に笑い出したディファルトに首を傾げる俺。
すると俺の後ろで同じく困惑していたジュリアーノが突然ハッとして「あ、そっか!鎧銭の人だから!」と人差し指をピンと立てた。
「変わらないどころか、彼はもう二十代後半だよ」
「はあ?!」
バッと振り返り厨房を覗く。
ジュージュー音を立てる鍋を片手で軽々持ち上げ、カウンターの皿に生姜焼きを盛り付ける彼の容姿は、どう考えたって十代後半。
グラウンドで白黒の球を追いかけるような青春を営んでいても、なんら違和感ない。
彼が二十代後半だって?
にわかには信じ難いが……。
「信じられないよね。でも本当なんだよ」
「ああ。ミフターフから海を渡ってきた船路で、北の方に小島を見なかった?」
「小島……?あ、そういえば」
ミフターフから鎧銭までの航海の中、4日目の昼あたりに、紺碧の海とコントラストをとるように浮かぶピンク色の島を見た。
遠目から見てしまえばどこからどう見たって桜餅だけど、あんなにデカい桜餅が海のど真ん中にあったらたまったもんじゃない。
そんなことを考えつつスルーしたけれど、もしやそれが彼の若さに関係あるとでも言うのだろうか。
「咲耶島といってな、あそこには樹齢500年にもなる巨大な桜の木があるんだ」
「あれ、それってもしかして、ドクロさんに会いに行った時にトトが俺たちにくれた」
「そう。御國桜っていってね、あの桜の樹から展開される浄化結界が強力すぎて、付近一帯に住む人々の老化まで遅くしてしまうんだ」
花弁一枚でも俺を殺しかけた毒素を完全に消し去って、それが大樹一株ともなればどれだけの……老いすら浄化してしまうというのも納得がいく。
ということは、ここにいるガテン系のおっちゃん達も、見た目のプラス10歳くらいは歳食ってるってことか。
「すげぇな……じゃあ、鎧銭に来ればみんな若返るってことか。天然のエステじゃん」
「ンな簡単な話なわけあるか。余所者に若返りの効果なんぞねぇ。餓鬼の頃からこの土地の空気吸って、この土地のモン飲み食いしてきた奴だけだ」
「ハハ……」
まあそんなもんだよな。
訪れるだけでシワがなくなるってなったら、美容関係は商売上がったりだ。
そんなふうに話している中で、ルジカは度々相槌を打ちながらお冷を口にする。
グラスを下げた拍子に氷がカランと鳴ったその時、彼女はふと首元に違和感を感じた。
「きゃっ」
皿を擦ったような声をあげて横へ倒れ込むルジカ。
なんだなんだとそちらを見てみれば、なんとベルが背後から近づき、彼女の匂いを嗅いでいた。
「なっ!何してんだ!やめなさい!」と引き剥がすと、今度は俺に抱きついて匂いを嗅ぎ、そのまま膝立ちでジュリアーノの方まで移動すると、彼の匂いも嗅いだ。
「ごめんなルジカ。この子少し不思議っていうか、行動がなかなか予測できなくて……」
「ううん、大丈夫」
そう言ってルジカは笑ってみせる。
本人が気にしていないならいいけど、これはさすがにやめさせないと。
……なんだろう、前にもこんなことがあった気がするな……。
ベルはなおもジュリアーノの匂いを嗅いでおり、満足すると今度は自分の匂いも嗅ぎ出す。
一通り嗅ぎ終えるとまたルジカに近づいていったので慌てて静止しようとすると、寸前で止まり、彼女の顔をじっと見つめた。
「ほんとににんげん?」
ベルがその言葉を口にした瞬間、ルジカのブローチにヒビが入った。
ヒビが入ったといっても、そのブローチ自体大きさがさくらんぼほどの小さなものだったので、周りの誰もそれには気が付いていない。
それよりも、先ほどのベルの言動の方が皆の興味を惹いた。
「ルジカのにおい、ちょっとちがう。ジュリアーノよりも、ベルににてる」
「匂いが?そんなバカな」
ベルとジュリアーノ、というか俺たちの使っているシャンプーやボディソープは同じだし、もしルジカが同じものを使っていたとしてもベルとジュリアーノの匂いが違うというのはあまり考えにくい。
ルジカはヒビの入ったブローチを隠すかのように手を当て、若干引き攣ったような顔。
……いや、でも質問の仕方がおかしいな。
「ほんとにんんげん?」って、そのヒトの種族なんて、匂いだけで判断できるようなことじゃ……。
「もしかすると、女の子同士だからかもね」
ガイアがそう言ってベルを後ろからギュッと抱きしめ、彼女のほっぺたに鼻を近づけた。
「女の子ってさ、男の子よりもチョコっといい匂いするじゃない?だから似てるように感じるんじゃないかな」
「ええ、でもただ性別が違うだけで一応は同じ知的生物だし……」
ジュリアーノがそう言い終わる前に、今度はルジカに抱きついて彼女のほっぺたにも鼻を近づけ、「うん、やっぱそうだよ」と言ってニコッと笑ってみせる。
ジュリアーノは納得がいかなそうな顔をしながらも、「僕にはわからない感覚があるのかも知れない」と自分を半分無理やり納得させた。
ルジカはいきなり抱きつかれて驚いた顔をしていたが、ガイアの発言に何処かホッとしたような表情でいる。
ガイアは「でも」と何か言いたげなベルの手を握り、元いた席に座らせて自分も席に戻った。
「しかし随分といい義肢を作ってもらったな、ガイア」
服の裾から覗くガイアの四肢を見つめて、先ほどの話題から逸らすかのようにディファルトが言った。
ガイアがノリノリで腕をまくり、「でしょ〜?」と自信満々に見せびらかすと、ルジカも興味津々に見つめた。
「色が肌と同じならきっと気がつけないだろうな。がしゃどくろ……だったか?やはり長命種の職人というのは技術が凄まじい」
「確かに長命種だからってのもあると思うけど、あのヒトの場合はストイックさの方だと思うな」
「ああ。一度作業場に行くと何時間も籠りっぱなしだったぜ」
ドクロさんのあの集中っぷりは、魔導書を読み込んでるジュリアーノにも勝る。
今となっては懐かしいで済まされるけど、当時はご飯の時間になっても部屋から出てこないなんてことはザラで、色々苦労したんだよな。
時間きっかりに食卓へ並べておかないとたまに普通に出てきた時にドヤされる。
ラップなんて便利なものは無いから、米はカピカピになって味噌汁も冷めちゃって。
元々一人暮らしの長いヒトだし、共同生活に慣れないのは仕方ないんだと思うけど、終わりそうな時間を伝えるなりなんなり、もうちょっとだけ配慮が欲しかったな。
「ベルも魔族なんだろう。初対面でこんなことを言うのは失礼かも知れないが、聞いた姿よりもずっと人間に近いんだな」
「そういえば。魔族っていったら角とか長い耳とかのイメージがあったけど、ベルは俺たちとそんなに変わらないよな」
「えー、そんなことないよ。ちゃーんと背中に可愛い羽が生えてるんだから。ね、ベル」
「ん。ちっちゃいけど」
「え、そうだったの!?」
初耳だ……。
ベルの裸を見る機会なんてないし、一緒に風呂に入っているガイアがそれを知っているのも不思議なことじゃないんだけど、出会って半年以上経つってのに俺たちは全くもって知らなかったというのは、少し悔しいというか意外というか……。
服の上じゃ気がつけないくらい小さいのかな。
まあ個人的にはエルフとかハーピーとか、ザ・ファンタジー!!みたいな魔族も見てみたかった気持ちもあるんだけど、それはそれとしてベルの姿がどうというのは関係ない。
なんなら今の姿でも十分可愛らしい。
強いし可愛くて優しいくて、俺にとって自慢の仲間だ。
値段以上の絶品牛すき焼きを堪能した後、俺たちは冒険者ギルドの前まで戻ってきた。
万套会に近づくため、まずは情報収集が必須。
一応アングラな組織なので表立って聞き込みをするのはさすがに危なそうなので、まずは同業者から色々と聞き出すことにした。
「万套会?そりゃもちろん知ってるさ。なんてったってここいらはそこん家のシマだからな。……構成員を探してるって、やめといた方がいいぞ。ほら、最近ヤクの密売が盛んになってるだろ?それに黄金錦組との仲も芳しくないらしいし……まあなんだ、今は無理に関わらないのが吉だな」
誰に訊いてみても返答はだいたいこんな感じ。
関わるなと言われるのは想像ついていたけれど、それ以外は少し意外だった。
「ロクな連中じゃないから近づくべきでない」などと釘を刺されるかと思いきや、関わっちゃいけない理由というのが他組織との関係が悪化しているからだなんて。
何もない時なら関わってもいいのだろうか、もしかすると、俺の知っているヤクザとこの世界のヤクザは少し違うのかも知れない。
もう少し話を聞いてみると、その予感は的中。
やはりこの世界のヤクザは俺の知っている奴らほどの無法者じゃないらしい。
むしろ己が信念を固く守り、任侠に生きる義理堅い漢の集まりだと。
仁義が建前じゃなくマジもんの志、まるでフィクションの中にいるみたいだ。
……けれど、万套会に近づく目的にはさほど重要ではないこと。
さらに聞き込みを続けると、夜の繁華街によく見かけるとの情報が入った。
よくよく考えればド定番というか。
ああいうところはヤクザにとっちゃ格好の稼ぎ場だもんな。
特に鎧銭は賭場も水商売も他国に比べて盛んだし、イメージにもピッタシだ。
……ということで、日が完全に没し、街灯が完全に灯った20時の常吉泉町にやってきた。
朝も夜も賑わいは変わらないけれど、この時間帯は客層が全く違う。
月のない夜にも関わらず昼のように明るい大通りを練り歩く人々の大半は、いい年の大人ばかり。
昼間は路地に隠れてひっそりとしていた客引きが、スタイリッシュな服や胸元の大っぴらな薄い着物を羽織り、声をかけられた男女は次々と暖簾の奥に吸い込まれている。
見上げれば、窓から手を振る美男美女の群れ。
多種多様な人種混在し、美のタイプも実に様々だ。
ちなみにだけど、ガイアとベルは宿で留守番させている。
ベルは年齢がわからないぶん未成年(この世界の成人年齢は16歳なので、俺もジュリアーノも一応大人の括り)の可能性が捨てきれないし、夜の歓楽街なんて良い話は聞かないから、危険な状況に陥ったとき、太刀打ちするにも退散するにもガイアがいるのは危険。
ということで、2人には仲良く待ってもらっている。
ガイアにはまたグズられるかと心配だったけれど、今回はすんなり受け入れてくれた。
いつもこうなら良いんだけどな……。
「とりあえず、訊き込みしてみよう」
人混みを掻き分けながら、行き交う人々、客引きなどに声をかけて色々と訊きまわる。
すると驚くべきことに、今回は比較的スムーズにことが進み、あれよあれよという間に有力な情報が集まっていった。
時間帯のおかげか酔った人が多かったせいか、どちらにしろありがたいことには変わりない。
ヤクザの情報をこんな簡単に流していいものかとも思うけれど、それだけ信頼があるということなのだろうか。
集めた情報を整理した結果、ある遊郭の前のに辿り着いた。
常吉泉町の一角で特に目立つわけでもないこの「乙吹屋」に、構成員が入っていったのを見たという。
「どうした」
本物の遊郭を目の前に高鳴る鼓動を押さえていたところ、不意に背後から経津主に声をかけられ、不覚にも驚いてしまった。
「もう勃ったか」
「ンなに拗らせてねぇよ!!……ただちょっと、まだ心の準備ができてないっていうか……」
「だよね、僕も緊張する……」
「ああ?」
店前でオドオドと挙動不審にする俺とジュリアーノに、経津主は呆れたような顔で大きくため息を吐いた。
「酒も呑める年になってなに言ってんだ。生息子じゃねェんだからよォ、背筋伸ばして胸張っとけ」
そう言い店に向かおうとする経津主。
だが、先ほどの発言を最後に途端に言葉を発さななくなった俺たちに違和感を覚え振り返ると、普段の彼からは想像もし得ないような声で、「まさか……お前ら……」と顔を引き攣らせた。
「ジュリアーノはまあ……公族だし分からんくもないが、ケンゴ!なんでお前が未経験なんだよ!順当な人生歩んでたら普通、女の1人や2人……」
「うるせぇな!!順当じゃなかったんだよ!!」
「おかしいだろ!!今までの人生、恋人と過ごしてる時間もよォ、ただの一回も手ェ出さなかったってのか!?ンなのありえねェだろ!!」
「いや、ありえないどころか恋人なんていたことないし……」
「はぁ゙!?」
ジュリアーノは面食らった表情で固まり、経津主は顔を青くして頭を抱えた。
仕方ないだろ。
俺みたいなやつに恋心を抱いてくれる女の子なんているわけないし、俺の方から好きになったとしても、気持ちを伝えることなんてなかった。
そりゃ俺にだって並の人間くらいの愛欲も恋慕う気持ちもある。
けど、前みたいにまた大切な人を裏切ってしまったら、俺は、立ち直れる確信がない。
もちろんジュリアーノたちが大切じゃないわけではない、むしろ厳しいことを共に沢山乗り越えて、前よりもずっと親密な関係になっていると思う。
でも恋人なんて、そんな深い関係になってしまったら……。
そんなふうに1人で思い詰める俺をよそに、経津主とジュリアーノは互いに肩を寄せ合って耳打ちをする。
「さすがに嘘だよな、散々タラシっこいことしといてよォ」
「いや、案外本当かもよ。2人の関係が進展しないのって、もしかするとケンゴの方に原因があるのかもしれないね」
再び俺の方を見る2人。
まだ何か考えている様子の俺に経津主はまたため息を吐くと、俯いて腕を組む俺の右肩を強めに殴った。
衝撃と痛みに驚き顔を上げると、目の前で拳を握る経津主の眉間に皺が寄っている。
言葉を発さなくてもわかる、これは「早くしろ」の意味だ。
なんで不機嫌になってしまったのか、想像はつくがここは下手に謝らない方が吉。
素直に従っておこう。
建物に近づくと、客引きと思しき男が声をかけてきたので、とりあえず事情を説明した。
難しい顔をした後、「一応お客様ですので……」と断られてしまった。
案の定といったところか、あっちも商売だし仕方ないか。
迷惑をかけるわけにもいかないので、とりあえず許可をもらって店前で出てくるのを待つことにした。
入って行ったのが1時間近く前らしいから、少し待てば出てくるだろう。
遊郭の相場は分単位で数万円だそう。
もしこの中にいるというヤクザの階級が高くても、そう何時間も遊んでいられるわけはない。
キャバクラだって平均滞在時間は90分前後らしいし、もうそろそろでできても___。
と、その時。
俺たちから見て左手の方から、何やらガラの悪い3人の男たちがやってきた。
着崩した着物や風景に見合わない派手柄のシャツ、肌にこびりついた生々しい傷跡などはどう見たって無頼漢そのもの。
言っちゃあれだけど人相も悪い。
「ゴロつきか?」
「いや、極道だ。けどあの様子じゃ万套会の者じゃねぇな」
「あ、さっきの店に入って行くよ!」
男たちは乙吹屋の暖簾をくぐろうとする。
だが汚れた草履が踏み入れられる手前で、客引きの男の1人が止めに入った。
「営業中に困ります、せめて日中に……」
「ああ?なに勘違いしてんだよ。俺たちゃ遊びに来ただけだっつーの。ほれ、ちゃーんと金もあんだろうが」
男は硬貨の入った巾着袋を客引きに叩きつける。
なんて態度。
クソ客はどんな世界でも共通か。
すると、騒ぎを聞きつけてからか店の奥から方向人と思しき初老の男が出てきた。
「これはこれは、ようこそお越しいただきました」
「おーおー聞いてくれよ。この若造ときたら、俺らを門前払いしようとしたんだぜ?許せねぇよなァ〜」
絵に描いたような因縁をつけて初老の男にふっかける男たち。
「なんだか、初めて会った時の経津主に似てるな」
「うん」
「ンなことあってたまるか」
そんな他愛のない会話をしている最中にも、男のデカい態度はどんどん悪化していく。
遂には初老の男に掴み掛かり、大声で威嚇まで始めた。
これはさすがに見過ごせないと、経津主は背後から男の肩を掴む。
「ンだテメェ、ここはガキの来る場所じゃねェぞ」
「餓鬼は手前ェだ半端者が。回りくどいことしやがって、みかじめの利権取りに来たってンなら始めっからそう言えや。そんなに万套会が怖いか」
男の額に青筋が走る。
肩にかけられた手を振り払い、経津主を睨みつけた。
神といえど、変身術を施されている今の経津主はただの細身の青年にしか見えない。
体格はあちらの方が圧倒的に上だ。
経津主が一般人に負けることは決してないはずだけれど、この光景だけ見ていると少し心配になる。
睨み合う2人、ガラの悪い男は経津主が帯刀していることに気がつくと、服の裾に手を入れて弄り出した。
このパターン、任侠映画じゃよく見た展開。
アイツ、なにか武器を取り出すつもりだ!
俺は咄嗟に槍へ手を伸ばした___と、その時。
「よう、なにしてんだお前」
突然耳元で聞こえた低い声に、男は振り向くと同時に店の外に吹き飛んだ。
一瞬の出来事で、なにが起こったか理解ができなかった。
驚き先ほどまで男の立っていた位置を見てみると、すぐそばに別の男が立っていた。
長い黒髪を耳よりも下の位置でまとめ、青みがかった白いスーツを纏っている。
てかでっっか!!
童顔に似合わないガッチリとした体つきに、身長は2メートル近い。
「また先に手ェ出したんですか、カシラ」
また声のした方を見てみると、そこには赤と緑の派手髪の男が2人いた。
緑の方はニッカポッカにサラシと羽織一枚のガテン系で、赤い方はこれまた派手な紫のスーツ姿。
こんな奴らは見ればわかる、明らかな極道だ。
……ってことは、こっちの方も……。
「いっけね。まーでも先に因縁つけてきたのはアッチだしィ」
「大丈夫でしょう。喧嘩になったところで、吉岡組総出で来たってカシラに勝てるわきゃねェ」
困った顔で額を掻く緑の男に、赤い男は表情を一つも崩さず頷いて見せる。
「テメェ巨海!!ンでこんなとこにいんだよ!!」
「ああ?万套会が守ってる店に俺らが遊びに来てなにが悪いってんだ。こっちのセリフだぜ、んでこんなとこにいるんだってのはのよォ」
長身の男に掴みかかろうとするガラの悪い男たち。
すると、先ほど吹っ飛ばされた男が店の外から「やめろ!!」と怒号を響かせ、静止した。
「巨海がいるんじゃ勝ち目がねェ、今日は引くぞ」
「けど兄貴……」
「死にてねェのかクソガキ!見ただろうが、間髪入れずに殴ってきやがった。あの狂人とまともに喧嘩なんかしてみろ……」
男たちは巨海と呼ばれた男を見る。
巨海は表情こそにこやかであるものの、その瞳の奥には見透せない黒と微かに漂う狂気があった。
そんな彼に男たちはゾッと肩を振るわせ、尻尾を巻いた犬のようにいそいそと退散していった。
「面目ありません巨海さま、本来はわしらが追い払うべきものを……」
「いいってことよ。おっさんらの仕事は接客だからな。俺らは俺らでみかじめ料もらってる分ちゃーんと働かねェと、親父にドヤされちまう」
初老の男性のあの態度、あの巨海とかいう男、随分と慕われているらしい。
やっぱりこちらの世界のヤクザは俺の知っているヤクザとは少し違うみたいだ。
意外だったけれど、これは好都合。
対等な話し合いが望めそうだ。
「止めに入ってくれてたんだってな坊主。ありがとうよ、若ェのになかなか度胸あるじゃねェか」
店を出た巨海は上機嫌で経津主に礼を言った。
ガラの悪いやつを不意打ちにぶん殴った時点でヤバい人だと思ってたけど、案外常識的だ。
いや、無法者に対して厳しいだけで、案外普段からこんな感じなのかも。
「遊びに来たんだろ?あんなのは当分来ねェだろうからよ、存分に楽しんでってくれや」
「いや、いい。俺様たちはお前らに用があってきた」
「手前ェ誰に向かって口聞いてんだ」
無礼な態度の経津主に緑髪の男がつっかかるが、巨海は静かに制止する。
「度胸は褒めてやったが喧嘩売る相手は選んだ方がいいぜ。……でもまあ、さっきの恩もあるしな。良いぜ、聞いてやるよ」
腰に手を当て、楽な姿勢を取る巨海の立ち姿には全く隙が見えない。
20代後半か30代ほどに見えるが、鎧銭人ということはもっと歳を重ねているはず。
それに後ろの2人や店の人からたいそう信頼されていた。
おそらく階級もそれなりに高いのだろう。
「お前らの本拠地に案内してほしい」
「ふーん。そりゃまたなんで」
「手前ェらの、万套会の親、永河晤京と会って話がしたい」
「親父にねぇ……」
巨海は顔に手をやり、顎の骨をなぞるように考え込む。
永河晤京……聞いたことのない名前だ。
小並感だけど、なんとなく強そう……。
巨海は数秒考える。
やはりいきなり親に会わせろというのは無理があったのだろうか。
まあヤクザの親って言ったら、組織を統括するボスのことを指す。
何処の馬の骨ともわからない輩をいきなり合わせるわけないはいかないだろう。
「……いいぜ。会わせてやるよ」
だよね、普通なら……って
「ええ!?マジで!?」
あっ、やべっ。
つい思い切ってタメ口をきいてしまった。
案の定、赤と緑にキッと睨まれる。
と、とりあえず知らんぷり……。
「マジだぜ。直接とはいかねぇが、遠隔でなら合わせてやれる。ただ、知っての通り親父は何かと忙しい。話せる機会がいつになるかは俺にもわからねェが、それでも良けりゃ手配してやるよ」
「それでいい。感謝する」
良かった、これでひとまずは交渉成立。
まず一つ目の目標が達成された。
「良かったね!」と嬉しそうに駆け寄るジュリアーノに「ああ」と言って見せる経津主の顔は、いつも通りに眉間に眉が寄っているものの、なんだか嬉しそうだった。
そんな2人を少し微笑ましそうな顔で眺めていた巨海は、フッと笑って服の襟を緩めると「で、お前の名前は?」と経津主に問うた。
「経津主神だ」
その瞬間、巨海の表情が固まった。
後ろの2人も、微動だにしなかった表情筋が引き攣っている。
なんだ?
よくわからないまま、俺がどうしたのか問おうとしたその時、突然巨海が経津主の前に手をかざした。
手のひらにはバチバチと火花を散らす電気を纏った水の球体。
年はもいかない子供にだってわかる。
これは、威嚇行為だ。
俺とジュリアーノは瞬時に自分の武器へ手を伸ばす。
だが、当の経津主は微動だにしない。
「経津主神……ねェ。知ってるよ。耳にタコができるくれェにはよく聞いた名だ」
巨海の表情は崩れていない。
だがしかし、その瞳は激しい殺気を帯びていた。
後ろの2人もそう。
まるで因縁の相手相手を目の前にした猛犬のように、殺気という名の牙を剥いている。
一体どうしたってんだ、さっきまで有効的だったじゃないか。
経津主が名乗った途端この有様。
彼と万套会との間に、一体なにがあったっていうんだ。
「まさか自分から現れてくれるとはなァ。会えて嬉しいぜ“親殺し”さんよォ」
巨海のその言葉にも、経津主は何も言わずにただ睨みつけるばかりであった。




