第54話「華と娯楽の都、鎧銭神国」
「ケンゴ!ケンゴ!島だよ!島が見えるよ!」
船首に身を乗り出したジュリアーノとガイアが大はしゃぎで前方を指差す。
青い海の水平線の先から少しだけ顔を出していたピンクと緑のマダラ模様が、気がつくと既に全貌を表していた。
船着場では清々しい空とコントラストをとるように風にそよぐ枝垂れ桜が俺たちを迎え、黒い瓦葺の屋根が、初めて訪れたはずなのにどこか懐かしさを覚える。
「とうちゃーっく!!来たぜー鎧銭!ヤッホーー!」
「あっ!コラ!勝手に走るな!!……って、ちょっ!ベルも!!」
船着場へ降りるなり港を走り回るガイアをとっ捕まえ、物珍しそうに辺りをうろつくベルをこちらに引き寄せる。
上陸早々のバタつきで息を切らしながら、辺りの景色を眺めた。
貿易港も担っているだろうこの港を行き交いする人々が纏うのは、前の世界でもよく見た和服に近い服装。
建物の様子も生い茂る草木も、ある程度見覚えのあるものが多い。
聞いた話と『鎧銭』という名称から大方想像はついていたが、こうも似ているものだとは。
ふと後ろを振り返ってみると、初めての景色に手当たり次第見回すジュリアーノと、その隣で感慨深そうな顔で空を見上げる経津主がいた。
そっか、経津主はやっと故郷へ帰ってこられたんだもんな。
俺もできることなら帰りたいけれど、そう簡単にもいかないしな……。
街に来た。
港から石造りの階段を上がれば、もうそこは城下町。
早朝にもかかわらず華やかな着物姿の男女が立ち並ぶ店の間を行き来し、海辺であるからか鮮魚を売り出す快活な声がそこら中で飛び交っている。
住民は基本的に和装だが、スーツや和洋折衷的なファッションもちらほら見られ、江戸に大正をちょっと混ぜ込んだようなそんな不思議な雰囲気だ。
ギルド運営の宿の大部屋に荷物を広げ、旅の疲れを癒す。
「空気も花のいい香りがする。フレグランスじゃこんなに柔らかい香りは再現できないよ」
「曙詠桜って言うんだっけ、爽やかだよねぇ〜」
畳の上で大の字になり、全身の力を抜いてダラケモードに入るガイアとジュリアーノ。
そのすぐ隣ではベルが窓から吹き込むそよ風に毛先を遊ばれながら、街を行き交う人々を眺める。
そして俺は荷物の仕分けをしていた。
すると、上陸してから一言も発することのなかった経津主が、突然皆に声をかけてちゃぶ台の周りに集めた。
「どうしたの改まっちゃって」
「お前らにゃ何も言わずにに連れてきちまったからな、まずここに来た目的を話す」
経津主は一拍置き、切り出した。
「俺様がこの鎧銭に帰ってきた目的は、『布都御魂』を取り戻すためだ」
「布都御魂……」
聞いたことあるような無いような。
その名前を口にした経津主の声色はいつものいい加減ぽい物言いと違って、何か重いものがこびりついているようだった。
「それは、何?武器の名前?」
「ああ。俺様の愛刀だ」
「愛刀」、経津主の口から飛び出したその言葉に、一同は口を開いたままキョトンと固まる。
驚いた様子の俺たちに経津主は少々不機嫌そうに「なんだ、何か文句でもあるのか」と聞き返したので、俺たちは顔を見合わせながら半笑いで
「だって……まさか経津主から『愛刀』なんて言葉が聞けるなんて……」
「いつも使い捨ててたからさ、てっきり武器に愛着とか無いもんだと思ってたもんな」
「お前ら、俺様を何だと……とにかく、俺様の目的は布都御魂を取り戻すことただそれだけ」
「どこにあるか検討はついてるのか?」
「ああ、万套会っつー極道組織の本部だ」
その名に聞き覚えはなかった。
しかし、“極道”という言葉には耳馴染みがある。
「ご、極道って、あの極道……?」
「それってその、ヨロイゼニマフィアだよね……」
「経津主、ヤクザと知り合いなの!?」
「……まあ、昔な」
極道って言ったら、前の世界じゃ名の知れた犯罪者集団だ。
マフィアのように映画じゃ人気の悪役で、今は暴対法で弱体化しているなんて話を聞いたが、まさかこっちの世界にも存在しているだなんて。
まあ、ありもしない古代都市を信仰しているヘンテコな宗教があるくらいだし、極道くらいいるか。
「元々はそこの構成員だったんだけどよ、何があったかはおいおい話すが、今の万套会じゃ俺様は組織全体にとっての敵だ」
「何したんだよお前……」
「だから後で話すっつってんだろ。本当なら今すぐにでも本部へ乗り込んでブン取ってきてやりてェくらいだが、生憎、そう簡単にゃいかねェ」
「なんで?経津主 強いし、ヤクザの一つ二つめじゃないでしょ」
「万套会を舐めるんじゃねェ。あそこは東部イチ規模を誇る組織だ。それに、場所がわかんねェんだよ。奴らの本部があるのは亜空間の中だ。入り口はカチコミ対策に定期的に変えられているし、俺様がいたのはもう400年も昔だ。今更訊ける知り合いもいえねェよ」
経津主の表情は寂しそうでありつつ、どこか悔しさも滲んでいた。
後で話すというのは、きっと口に出しづらい事情があるからなのだろう。
それに、400年ったら俺の世界じゃ令和から江戸まで遡る。
それだけのブランクがあれば何もかもが様変わりしてしまうもの。
経津主にとってこの鎧銭は故郷でありながらも、今は全く知らない地になってしまったのか。
俺がこの世界に来てもうすぐ3年が経とうとしている。
こっちとあっちとで時間の流れが同じかはわからないが、母さんたちもそろそろ立ち直ってる頃かな。
「まず、万套会の構成員を探す。カシラでもペーペーの餓鬼でもいい、とにかく関係のある奴を探し出して」
「場所を聞き出すの?」
「いや、回りくどいことは返って悪い結果を生むからな、どうにか本部まで直接案内させる」
なるほど、正々堂々真っ向から行くというわけか。
けど確かに相手はヤクザだし、変なふうに立ち回って怒りを買ったら何をされるかわかったもんじゃない。
最悪人質をとって鉄砲玉か、バラして闇市に売りに出されるかも……。
色々と話した後、俺たちは宿舎を出て町に来た。
多くの店が立ち並び、花びらや木の葉が緩やかに捻れる風に運ばれるこの町は、島の東側に位置する鎧銭きっての繁華街『常吉泉町』。
周りに立ち並ぶ店はほとんどが外国人向けの衣食住などのサービスを主としているが、路地を覗けば風俗や賭場、酒場などが所狭しと詰め込まれている様子は、さすがは娯楽の国といったところ。
しかし、路地に建っていると言えどもひっそりと営業しているような様子はなく、なんなら表に堂々と看板を出している。
「鎧銭は風俗やカジノの営業が法律で禁止されていないんだよね。他の国じゃなかなか見られない光景だよ」
店名や謳い文句が少し濁してあるのは子供に気取られないためか、こんなにドーンと宣伝されちゃ最早凄いまであるが。
店前にはキャストと思しき女性のポスターが幾つか貼ってある。
こうやって美女のセクシーショットを出してくれるのは男としては嬉しいことこの上ないけど、ちょっとだけ恥ずかしいかも。
そういや卒業する前に死んじゃったんだよな、俺。
思えばもう17歳、真っ当な人生なら彼女の1人いるかいないかの年頃だ。
まあ、俺を好きになる物好きな女の子なんていないだろうけど。
「ねえ賢吾〜ボクお腹すいた〜」
「ああ、そういやもうそんな時間か」
雑貨屋の時計を見ると、短針は既に十二の文字を越していた。
「僕、寿司食べたい!鎧銭で獲れた魚の本場寿司、前々から食べたかったんだ」
「いやいや、ここは天ぷらだろうよ。寿司なんてどこいたって味は一緒だぜ。その点天ぷらは小麦粉と水の比や揚げ方で味に大きな差ができる」
「じゃあさ、じゃあさ、あいだを取ってすき焼きってのはどーお?」
「好き勝手言ってくれる……」
「ごめんごめん。でもさ、外国に来たならやっぱり地元の郷土料理が食べたくなるものじゃない」
「そうそう、最初くらいハメ外してもバチは当たんないよ」
「うーん、まあなぁ……」
数分間の問答の結果、ジャンケンで買ったガイアの意見を採用し、すき焼きを食べることになった。
常吉泉町は碁盤目状に大通りが枝分かれしており、京都の街並みを引き伸ばして更に建物を敷き詰めたような印象だ。
鎧銭きっての繁華街なだけあって、飯屋は無視することが難しいほど多く点在している。
もちろんすき焼き屋もなんとなく歩いただけで簡単に見つかったのだが、一つだけ問題があった。
どの店も目ん玉が飛び出るほどの高級店ばかりなのだ。
店の外に張り出されている簡易的な品書きを見れば、ゼロの文字が4つ以上羅列しているのは当たり前で、しかもそれで2人分。
5人前を頼むともなれば貯金の4分の1が一気に吹き飛んでしまうだろう。
なんでだよ!前の世界なら九千円ちょいくらいで2、3人前食えたのに!!
訊けば常吉泉町は外国でも有名な観光地であり、大通りに並ぶ店の多くが外国人旅行客向けの高級店なんだそう。
「鎧銭を満喫するのならばまず金だ!飯や宿は安くても良いものが得られるが、充実した旅行をするなら金を持つに越したことはない。あそこは積んだ金の数とサービスの質がキチンと比例するからな。特に風俗!!」
ミフターフからの出港前、サイファルがそんなこと言ってたっけ。
金持ちの感覚だからとあまり深く考えていなかったけど、実際に来てみればわかる。
やっぱ金だなぁ。
彼らから聞いた様子じゃ、おもてなしを重視する国民性からぼったくりなんかはあんまりないらしいから、多分値段に見合うだけの美味しさなんだろうな。
けれど、いかんせん高い……。
ちょうど良さそうな店を探していたら、結局ギルドの前まで戻ってきてしまった。
もう13時過ぎてるな。
どこの店もえらい高そうだし、もうすき焼きは諦めるしか___。
「こんにちは!」
町を行き交う雑多の中、ふと誰かの声が聞こえた。
甲高い、小さい女の子のような声。
一瞬振り返ったが、新天地で知り合いもいない中、さすがに俺達へではないだろうとまた向き直った。
と、その時。
突然服の裾が下に引っ張られた。
驚いて見下げてみると、そこには小さな女の子が。
「お兄さんたち、お昼まだ食べてないやんな」
「え……?」
9、10歳くらいだろうか、短めの2つ結びがクルリンと跳ね、可愛らしいフリフリのエプロンをつけており、右手に抱えている手提げ袋からネギが何本か飛び出している。
「ケンゴ、このガキ知り合いか?」
「まさか」
「お嬢ちゃん1人でお買い物?偉いねぇ〜」
「かくしてもムダだがね。うちにはわかるんやよ、お腹をすかせた人はお店でたっくさん見てきたかんな!」
女の子は意気揚々と宣言すると、小さい手で俺の手をヒシと掴み、無理やり引っ張って横道の方に誘導した。
訳がわからず頭にはハテナマークが浮かぶ。
だが小さい女の子相手に適当な加減ができるか自信がなかったので、困惑した顔を仲間と見合わせつつ、とりあえず着いていくことにした。
道の奥には賑やかな繁華街と比べて、ずいぶんと落ち着いた町並みが広がっていた。
落ち着いたと言ってもボロいとかそう言う意味じゃなく、大通りほど看板も呼び込みもいなくて、よく時代劇なんかで使われるセットのような、ザ・和風な感じのそそられる町並み。
やがて、一軒の店の前についた。
茶色い入母屋屋根にかけられた流木を縦に割ったような看板には『飯処堂前』の文字。
ここは……定食屋か?
女の子は迷わず木製の戸をガラッと開け、大きな声で「ただいまー!」と言うと、奥から簡素な和服の青年が迎えた。
「おーおかえり。どうだったよ」
「バッチシやよ。お兄の言ったとおり首さおっかしげておねがいしたら、ダイコンふたっつもつけてもらっちった」
「やるじゃねえかァ!でかしたぜ!……お?お客さんかい?」
青年はワシワシと米を洗うような手つきで女の子の頭を撫でると、彼女に手を掴まれ、中腰で暖簾から覗く俺に気が付き、「いらっしゃい。兄さんら運が良いねぇ、さっき座敷が空いたとこだよ。ほれ、さっさと入んな」と言って手招いた。
壁にかけられたメニューを見れば、どうやらここは定食屋らしい。
すき焼きとはほど遠いけれど、外装からさっきほどの高級感は感じられない。
念の為ガイアの方を見たが、既に興味が店へ移っている様子だったので、とりあえずお邪魔することにした。
内装は外からも想像が容易な作り。
土間と座敷に分かれ、入ってすぐ右には厨房と急なささら桁階段。
まあ、よくある古民家を思い浮かべてもらえれば良い。
お客はまばらだが中年から初老の人が多く、山盛りの白米を勢いよく掻っ込む姿は、前の世界でもよく見たガテン系そのもの。
そんな彼らの元にさっきの女の子がお盆へお茶を乗せて運んでいくと、皆笑顔で「ほんに関心だのう。そじゃ、エエもんやんべ」と言って胸元から巾着袋を取り出し、彼女に渡した。
「ああ!金平糖!でもええんか?」
「あたぼうよ。咲子ちゃんはいっつも頑張っとるけぇの、たまにゃあお友達と遊んできてもええんでねェのよ」
「ううん、うちお兄ィに育ててもろたから、役に立ちたいねん。あ、無理してるわけやないんやよ?この仕事もちゃんと好きよ」
「おうおう、ほんにエエ子だのう。ウチの倅さにも見習ってほしか」
随分と楽しそうに話すんだな。
でも客と店員との仲がいい店は味も期待できる。
……ってか、あの子ここで働いてたのか。
お兄ィって言ってたけど、もしかしてさっきの人の妹だったり。
青年の方は女の子とは違って、ほつれた着物に伸びたままの髪の毛を邪魔な部分だけ縛った、実に洒落っ気のない見た目。
16か7か、ジュリアーノと同い年くらいかな。
厨房に彼以外見当たらないけど、料理も接客も任せられるくらい店長さんから信用されてるってことだよな、たぶん。
「あ、ガイア、ここすき焼きあるみたいだよ」
「え!ほんと!?」
「まじで!?定食屋なのに!?」
「存外わかんねぇもんだな」
ジュリアーノの指さす品書きには、確かに『牛鋤焼き』の文字が。
「スキヤキってなに?」
「すき焼きってのはねぇ、甘ダレにお肉とか野菜とかシラタキとか、色んな美味しい具材が入ってるお鍋のことだよ。すっごーく美味しいんだから〜。ベルも食べればわかるよ」
「小さい頃 外交の晩餐会で食べた時はあの甘いタレが苦手だったんだけど、成長してから改めて食べると、すごく美味しかったんだよね。特に、鎧銭産の牛肉で食べるすき焼きは絶品だよ」
「そりゃ鎧銭の料理なんだから鎧銭の食材が一番合うに決まってる。俺様も食べるのは400年ぶりか」
早速注文をしようと、先ほどの女の子を呼んで牛すき焼きを3つ頼んだ。
「牛すき3つね……。はい、うけたまわりましたっと。そういやお兄さんたち、外国の人やんな。お仕事はなにしとるん」
「フフン。ボクらミフターフから遠路遥々、あるビッグなお宝を探しにきた冒険者さ!」
「ありゃ、ミフターフから!そりゃまたヘンピなとこから海さわたって来たんだぁね。アッチっは朝と昼じゃ温度全然ちゃうって聞いたがね。どや?鎧銭は過ごしやすかろ?」
「そりゃもう。でもミフターフに慣れちゃったからちょっと寒く感じちゃうな。こんなんでアウローラに帰ったら僕凍えちゃうかも」
「お?緑のお兄さん、アウローラの人なんか?」
「うん。生まれも育ちもね」
女の子は下を向いてクスクスと笑い出す。
そんな様子にジュリアーノは不思議そうな顔で首を傾げた。
「フフ、堪忍ね。いつも来るお客さんにもアウローラの冒険者さんがいるんやよ。せやからつい」
「え、そうなの?もしかしたら知り合いかも。ねえ、どんな感じの人達か教えてよ」
「ええとねぇ、名前呼ばれんから覚えにくいんよ。いつも黒い鎧に黒いめっさおっきな剣を背負っていて……」
「ガッツ!?」
「いんにゃ、もぅちっと長い名前やった気がするよ。あと女の子もいっしょに来るんやよ。そっちの子は覚えとるでね、ルジカちゃんっての」
「「「ルジカ!?!?」」」
あまり聞かない名前、しかしハッキリと覚えがある。
黒い鎧に黒い大きな剣も、よくよく考えればわかるじゃないか。
その時、ガラガラという音と共に店の引き戸が開き、誰かが入って来た。
挨拶の声が店の中に低く通ったと同時に聞こえる、金属同士の擦れる音。
その者の方を振り返った俺は、思わず声を上げた。
「ディファルト!!」




